Candy Drop -後輩たちの番格恋事情-

Candy & Drop



 北条秋夜は私立四天学園高等部に通う三年生だ。薄茶色の癖毛のミディアムヘアをゆるく後ろに流したソフトリーゼントが、モデル顔負けの美麗な顔立ちによくよく映えている。長身でスレンダーな体つきも相まって、万人が見惚れるような男前だ。
――が、そんな出で立ちに似合わずというべきか、腕っ節が達つことでも有名で、故に学園の不良連中からも慕われ、”頭”として崇められていた。
 そんな秋夜には、ライバルといわれている男がいる。近隣校の私立桃陵学園で頭を張っている番格で、名を源真夏という。
 濡れた羽を思わせる艶やかな黒髪に似合いの黒曜石のような瞳には、一見しただけで敵わないと思わせるような眼力がある。高身長の秋夜を若干上回るような均整の取れた体格からして立派な風貌で、顔立ちもこれまた秋夜に負けず劣らずの端正さがより一層雰囲気を引き立てているといった具合の男前だ。そして、彼もまた秋夜と違わず腕が達ち、同じく不良連中に崇められてはいるが弱い者苛めや汚いことは一切しないという――いわば男の中の男ともいうべき筋の通ったことで名を馳せているような器である。故に”斉天大聖”という通り名で呼ばれ、彼の通う桃陵学園のみならず地区内外の広範囲でも一目置かれるような存在だった。

 四天学園と桃陵学園――双校は古くから犬猿の仲とされていて、不良連中が通うとしても名高いことで知られていた。街中で顔を合わせれば一触即発の間柄、隣校であるが故に対抗心も半端ないというわけだ。どちらも自分たちが一番だと自負していて、相手校をねじ伏せたいと常々息巻いている連中揃いである。そんな願望に決着をつける為、双校の間では年度が変わる新学期を迎えると共に、それぞれの頭同士で一戦を交え、雌雄を決するというのが決め事となっていた。
 最上級生から新入生までひっくるめて、腕に自信のあるやんちゃボウズたちが結集する一大集会である。場所は埠頭の廃墟化した倉庫街で行われ、”番格対決”と名付けられたそれは、今や各々にとっての誇りを賭けた伝統行事となっていた。
 ところがどういうわけか、この二年の間でそれらはすっかりと息を潜めてしまった。原因は、秋夜と真夏らの二代前の番格たちが意気投合し、これからは四天と桃陵の諍いをやめて手を取り合っていこうと宣言したからである。彼らも元々はこの伝統行事を率いていた側の頭たちであったが、紆余曲折を経て互いを尊重するようになったらしい。
 そんな経緯もあってか、しばらくは皆おとなしくそれに従っていたものの、やはり血が疼くのだろうか。時と共にかつての血気盛んなこの行事を取り戻そうとする風潮が高まっていった。そしてついに秋夜と真夏の代で過去の伝統が復活することになったわけだ。
 かくして四天と桃陵、そして仲裁役の白帝学園までもが加わって、”番格対決”が行われることとなった。勝敗を決めるのは双校の頭とされる秋夜と真夏の一騎討ち、俗にいうタイマン勝負が行われ、勝ちを手にしたのは秋夜率いる四天学園であった。



◇    ◇    ◇



「てめえが四天の北条か――?」
 それは新学期の番格対決が終わったばかりの、とある放課後のことだ。一人、帰路についていた北条秋夜の目の前に、いきなり現れたふてぶてしい集団。彼らは川を隔てた隣町にある川東高校の学生たちだった。
 青色のブレザーを着崩し、髪は派手なカラーリングやブリーチで弄り放題――見るからにガラの悪いメンツ揃いである。そんな男たちが七、八人で徒党を組み、顎を突き出して秋夜の行く手を塞ぎに掛かってきたのだ。
「てめえ、四天じゃ今年の頭だなんだと言われてるらしいが、あんま調子コイてんじゃねえぞ!」
「つかよ、桃陵の源とタイマン張ってのめしたって話だけど、ホントかよ」
「正直、信じらんねえよなぁ。相手は”斉天大聖”と言われたあの源だぜ? ガセじゃねえのか?」
「よっぽどツイてたか、それとも姑息な手段でまぐれ勝ちしたってだけじゃね?」
 ニヤニヤとせせら笑いながらにじり寄られ――秋夜はあっという間に彼らに周りを囲まれてしまった。
「なぁ、どうなんだって!」
「黙ってねえで何とか言えってのよ!」
 罵倒と共に頭を小突かれそうになり、咄嗟に学生鞄でその手を振り払った。
「……ッにしやがる、てめえ!」
「ナメてんじゃねえぞ、ぐぉらッ!」
 いわば多勢に無勢だ。気が大きくなっているわけか、川東の学生らは大袈裟に肩を鳴らして凄み掛かった。だが、秋夜は尻込むわけでもなく、かといって凄み返すでもなく、うっとうしいとばかりに冷淡とも思えるような視線で彼らを一瞥した。そして、無言のままそこを退けとばかりに歩き出す。――が、今度はいきなり胸倉を掴み上げられ、
「シカトこいてんじゃねえよ、このクソがッ! 何ならここで畳んでやってもいんだぜ!?」
 そのまま後方へと突き飛ばされた。
「何せあの斉天大聖を倒したってんだからよ! てめえ、強えんだろ?」
 斉天大聖というのは、言わずもがな番格勝負で対戦相手だった桃陵学園の源真夏のことだ。彼は桃陵のみならず周辺高校の不良連中からも腕の達つことで名を馳せているのは事実で、そんな大層な通り名が広く定着しているのだ。無論、秋夜ら四天の仲間内でも真夏の噂は周知のことだった。だが、秋夜とてその真夏に引けを取らない実力を認められているのも本当のところで、だから番格勝負の行方は誰もが気に掛ける大催事であったことに違いはなかった。
 その勝負で勝ちを手にしたのは秋夜の方だったわけだが、それが気に入らないのか、部外者であるにもかかわらず、こうして川東の不良連中が絡んできたというわけだ。
「正直、信じらんねえよなぁ。あの”斉天大聖”がてめえなんぞに負けたとかさ」
「嘘じゃねえってんなら、俺らにもその実力見してみなってよ!」
「ムリでしょ? 何つったって、まぐれ勝ちしただけだもんなぁ?」
「それともナニか? まぐれじゃねえってんなら、今ここで俺ら全員相手にしてみるか!?」
 ギャハハハと品のない高笑いが湧き上がった時だった。
「正直うぜえ――。そこを退け!」
 初動なしの一撃ストレートと共に秋夜はそう言い放った。
 今の今まで秋夜の胸倉を掴み上げていた男は道端へと倒れ込み、呻き声も儘ならないままうずくまってしまった。
 拳一つでこのザマだ。やはり秋夜には頭と崇められるだけの腕も度量も備わっているのは認めざるを得ない事実なのだろう。だが、顔立ちが綺麗すぎることや、細身で厳ついタイプでもないことから、川東の連中にとっては素直にそれを認めたくはないという思いが強いらしい。加えて、見るからに女にモテそうな秋夜に対しての嫉妬もあるのだろう。男前で喧嘩も強いとされている彼のことが目障りで仕方ないというのが本音だったようだ。
「……ッの野郎! ふざけやがって!」
「フクロだ、フクロ! 殺っちまえ!」
 全員が一斉に押し寄せて、まさに袋叩きにされ掛かった瞬間だった。
「おい、てめえら何してやがる!」
 地鳴りのするような低い怒号で、一同はピタリと動きをとめた。
 見れば、そこには桃陵学園の源真夏が立っていた。”斉天大聖”といわれた張本人だ。
 秋夜とは正反対の濡羽色の黒髪が艶やかで、顔立ちこそ男前ではあるが、体格はガッシリとしていて風貌も備わっている。同じ不良の頭でも、彼のような男になら腹を見せるもやぶさかでない、誰もがそんなふうに思っているようだった。
 その真夏がみるも不機嫌に眉をしかめ、鋭い視線の中には怒りの焔が灯っているかのようで、眼力だけで身震いがしそうなオーラをまといながら睨みを据えている。
「やべッ! 斉天大聖だ……!」
「クソッ……何でヤツが……」
「撤収だ、撤収! ズラかんぞ!」
 その姿を見るなり、秋夜を取り囲んでいた川東の一団は瞬時に蒼白となり、蜘蛛の子を散らすようにしてその場から引き上げていった。



◇    ◇    ◇



 後に残ったのは秋夜と真夏の二人きり――河川敷に掛かる鉄橋の側道は人影もまばらだ。まあ、川東の連中もこういった場所柄と知っていて秋夜に因縁を付けたわけだろう。
「大丈夫か?」
 真夏が静かに口を開く。だが、秋夜の方は無言のままで彼にガンをくれた。
「何でてめえがここにいる――」
「鉄橋の上からお前らが見えた。何だか厄介な雰囲気だったから気になってな」
「――ふん、そんでわざわざ加勢に駆け付けたってか? ご苦労なこったな」
 嫌味まじりで嘲笑するも、真夏の方はまるで気にしていないようだ。それどころか、怪我はないのかとばかり、真剣な顔付きで容態を気に掛けている。
 そんな彼に、秋夜はまたひとたび苦笑を漏らすと、クイと顎先で『付いて来い』といったふうにして、更に人気のない鉄橋下へと誘った。
 何故だろう、秋夜はこの源真夏という男を前にすると、訳もなくつっけんどんな態度に出てしまう。元々愛想のある方ではないが、輪を掛けて仏頂面になり突っ掛からずにはいられない気分が顔を出すのだ。
 何故そんな気持ちにさせられるのか、ザワザワと心の奥底を掻き乱されるような不安感に苛まれる。単に因縁関係にある相手校の頭だからという以前に、彼を目にした途端に疼き出す奇妙な感情の原因を秋夜は自覚できずにいた。

「おい、北条――」
 頭上には車の往来の轟音が響いていて、人の目も届かない。こんなところに連れて来て何のつもりだとばかりに真夏が眉根を寄せる。秋夜はそんな彼を振り返ると、面と向かいざま立ち止まった。
「……川東の奴らも言ってたが、実はそれを一番訊きたかったのは俺なんだよね」
「――何のことだ」
「こないだの番格勝負のことだ。てめえ、何だって俺に負けるようなマネしやがった……」
 そう――復活させたばかりの新学期の番格対決で、確かに秋夜はこの真夏に勝利した。勝利したのだが――秋夜にはそれがイカサマではないかと感じられていたのも事実だったのだ。
「俺の攻撃は全部空振りで、一発もお前に届かなかった。なのに……最後の一撃でお前は吹っ飛んだ。ノックアウト状態で……結果は俺の勝ちってことになったが、正直納得いかねんだよね」
 つまりはこの真夏がわざと負けたのではないかと思えたわけだ。
「何であんなことしやがった? てめえ、俺をバカにしてんのかよ」
 周りで見ていた者たちには分からなくても、対戦していた当人同士には身をもって優劣が体感できる。秋夜は拳を交えながら、この真夏には適わないと実感していたのだ。
 それなのに結果はあっさり勝利となった。当然、納得のできるものではなかったわけだ。
「黙ってねえで何とか言えよ……! 何でわざわざ負けるようなマネしやがったのかって訊いてんだ!」
「勘違いするな。俺はわざと負けるなんてことはしねえ。油断したのが運の尽きってことだったんだろう」
「ふざけんなッ!」
 秋夜はそう吐き捨てると、真夏の胸倉を掴み上げた。
「空々しい言い訳なんか聞きたかねえ!」
「言い訳なんぞじゃねえさ」
「……ッ! そうかよ……。だったら今ここで決着付けようぜ」
「……いきなり何だ」
「あン時の勝負のやり直しをしようって言ってんだ! このまんまじゃ俺は全然納得いかねえ。まぐれ勝ちしたなんてレッテル貼られんのも懲り懲りだ!」
「川東の奴らの言うことなんざ、気にするこたぁねえだろ」
「川東の奴らだけじゃねえよ! 誰が見てもそう思う。実際……俺自身がそう感じてんだからな……ッ」
 掴んでいた胸倉を勢いよく突き放すと同時に、秋夜は利き手のストレートを繰り出した。――が、その拳は苦もなく真夏の掌に封じ込められてしまった。
「……ッ!? クソッ……」
「勝負をやり直してどうする気だ」
 既に利き手のストレートを封じられた今の時点で、勝敗などついたようなものだ。だが、秋夜は最早コントロールのきかない感情に取り憑かれたように、暴れ足りないといった調子で目の前の男に食って掛かるしかできなかった。
「俺は……ッ、イカサマなんかじゃなく、ちゃんと勝負してえだけだ! そんで負けたなら素直に引き下がるさ! 一年間、てめえの言いなりにでも何でもなってやる……!」
「一旦ついた勝敗を覆そうってのか? 桃陵や四天の奴らにはどう言い訳するつもりだ?」
「は……! まるでてめえが勝つみてえな言い草じゃねっかよ! グダグダ言ってるヒマがあったら……本気で掛かって来いってのよ!」
 秋夜は掴まれていた掌を振り切ると、間髪入れずに真夏へと殴り掛かった。だが、先日の番格勝負の時と同様に全ての攻撃がかわされてしまう。
「……ックソ! 避けてばっかいねえで……ッ、掛かって来いって……んだよッ!」
 渾身の力を振り絞って体当たりせんとしたその時だった。繰り出した腕を取り上げられて、思い切りひねり上げられた。
「……っ……うッ!」
 コンクリートの壁面へと押し付けられ、行き場を失ってしまう。腕はひねり上げられたまま、身動きさえ儘ならなかった。
 ハァハァと荒い吐息が両肩を揺らし、言葉さえもすぐには出てこない。完全な敗北だった。
「気は済んだか?」
「……ッ、クソ……やっぱ、てめえ……わざと……」
 何度やり直そうが結果は同じだろう。攻撃の全てをかわされ、かすりもしない。きっと彼が本気を出せば、一撃でこの場に沈められたことだろう。だが、彼はそうしなかった。攻撃もせずにかわすばかりで、挙句、いとも簡単に動きを封じられてしまった。真夏の思うところが掴めずに、秋夜は困惑させられた。
「何なんだよ、てめえ……ッ。ワケ分かんねッ!」
「俺の勝ちってことでいいんだな?」
「……ッ」
「俺が勝ったら何でも言いなりになる、そう言ったな?」
「……くッ……!」
「どうなんだ。――北条?」
「ああ……言った」
「だったら条件を言おう。俺は勝敗を覆す気はねえ。表向きは一年間、お前の下で用心棒扱いでいい」
「はぁ……ッ!?」
「その代わり――俺の欲しいもんも貰う」
 真夏はそう言うや否や、秋夜の身体を正面に向かせると、そのまま壁に押し付けて両の腕で彼を囲うように掌をべたりと壁についてみせた。俗にいうところの”壁ドン”体勢である。
「は!? 何だよ、これ……」
 秋夜は驚きに目をひん剥いた。と同時に唇が重ねられ、ほんのわずか触れるだけのキスを仕掛けられて絶句させられてしまった。
「なっ……!? てめ、こ……」
 しどろもどろで言葉にならない。
「無理強いするつもりはねえ。一年掛けて、もしもお前がその気になってくれたら……お前自身を俺にくれ」
「ッ……はぁッ!?」
「それが俺の条件だ」
 真夏はそう言うと、薄く笑って壁ドン体勢を解いた。
 硬直状態のままの秋夜に背を向けながら、そそくさと歩き出す。
 壁にもたれたまま、いつまで経っても動こうとしない、否――動けずにいる秋夜を振り返ると、照れ隠しの為か仏頂面でボソりと呟いた。
「おい、帰るぞ」
 そんな彼の横顔に夕陽が反射して橙色に染め上げている。
「ちょっ……待てって……! てめ、何考えて……」
 そう怒鳴るも、声は裏返り、上手くは言葉にならない。しかも突然のキスのせいでか、頬は熱を持ちドキドキと心拍数までが速くなる。
「……ど……ういうつもりだ、てめえ! おい、源――ッ」
「言った通りだ。他意はねえよ」
 ぶっきらぼうな言い草ながらも、その頬にはうっすらと朱が射している。見事な程の濡羽色の髪がはらりと額を覆い、そこから覗く大きな切れ長の二重瞼を細めながら気恥ずかしそうに口角を上げる。たった今、触れ合った唇が切り取られた絵画のように鮮烈な印象となって秋夜の鼓動を跳ね上げた。
「……ッ! ふ……ざけたこと抜かしてんじゃ……ねえよ」
「ふざけてなんかねえさ。俺は至って真面目だ」
「……! わ、ワケ分かんね……」
「とにかく帰るぞ。いつまでそんなとこに突っ立ってねえで早く来い」
「……ッ!」
 まるで当たり前のようにリードを取られ、だがどういうわけかそうされて腹をたてられずにいることに惑わされる。それどころか心ざわめき、浮き立つような心地良さにも面食らう思いだ。
 秋夜はチッと舌打ちをしながらも、おずおずと一歩を踏み出した。

 目の前を歩く男の背中には、春霞でやわらかに色付いた夕陽が眩しい程に反射している。
 川面を撫でる風もうららかだ――。

「北条、行くぞ」
「……っそ! 源……てめ、好き勝手しやがって! 覚えてろよ……」

 いつの日か、互いを名前で呼び合うようになるだろうか。そう、苗字ではなく下の名前で――『真夏』、『秋夜』と特別の想いを乗せて呼び合う日はそう遠くないのかも知れない。
 秋夜を振り返る真夏の眼差しは細められ、そこはかとなく穏やかで優しげだ。それはまるで愛しい者に向けられる格別の視線でもあるようで――。
 その背を追う秋夜の頬もうっすらと春色に染まり出す。

 二人の季節は今まさに始まりを告げたばかりだった。

- FIN -



Guys 9love

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