Candy Drop -後輩たちの番格恋事情-

無自覚な恋情



 源真夏が北条秋夜の護衛的役割を担うようになってからふた月余りが過ぎた。頃は梅雨入り間近の六月はじめのことだ。
 その日、秋夜は衝撃的な夢で飛び起きた。
「……ッ!? ンだよ……夢かよ……」

 なんちゅー夢だ――! 何で俺があんなヤツと――

 それはひどく艶めかしい、淫猥な夢だった。源真夏の股間に顔を埋め、懸命に彼を欲し貪っている――しかもあろうことか自らしなだれ掛かり、夢中になっている――そんな夢だ。
「……っくしょう……! そもそもヤツがあんなことすっから――」
 新学期の番格対決の勝敗がイカサマではないかと真夏に食って掛かったあの日――思いも寄らない意味深な告白と共に、突如仕掛けられたキスが頭から離れない。あれ以来、秋夜は来る日も来る日も真夏のことで頭がいっぱいになっていたのだった。
 その真夏はといえば、何事もなかったかのように平静そのものだ。番格勝負に負けた側の責務と称して、放課後になると必ず校門の前で待っている。秋夜の護衛役というわけだ。
 格別には何を話すわけでもなく、ただただ一緒に肩を並べて放課後の帰路を歩く。秋夜を家の前まで送り届けると、黙って帰って行く。それだけだ。
 なのに、また次の日の放課後になると必ず門の前で待っている。桃陵学園の方が若干終業時刻が早いのだ。
 当初は怪訝がっていた秋夜の仲間たちも、今では真夏の存在を受け入れるようになっている。因縁関係だなどと言われている桃陵学園で頭を張る彼が、自分たちの頭である秋夜を立てて近しくしていることが、内心では嬉しいわけだ。それは桃陵学園の面々にとっても同じことがいえるようで、真夏が秋夜を送るようになってからは桃陵と四天という域を越えて、徐々に親しくし始める連中も出てきたくらいだった。
 そんなことが二ヶ月も続けば、さすがに悶々とせざるを得ない。毎日毎日、ただ一緒に並んで帰るだけの繰り返し――それ以上は何があるわけでもない。あの日のキスも告白もまるで絵空事のように、真夏からは何のアプローチもなければ少しの進展すら感じられない。へんな話だが、デートの誘いもない。告白の返事を訊かれる気配もない。そんなふうだから、逆にどう思われているのか、あのキスはいったい何だったのかと焦燥感でいっぱいにさせられ、思い悩む日々が続いている。秋夜にしてみれば苛立ち半分、かと思いきや落ち込むこと半分で、甘苦しい思いを持て余し続けていた。
 だからなのか――今朝方に見たとんでもない夢といい、とうとう無意識の内にまで源真夏という一人の男のことで頭がいっぱいになっているのかと思うと、秋夜は無性に腹立たしくてならなかった。自分はこれまで男に惚れたこともなければ、入れあげたこともない。こんな思いは初めてで、戸惑いを通り越して既に錯乱状態だ。

(……っそ! なんだって俺があんな夢見なきゃなんねんだ……って!)

 悶々とする思いに歯軋りしたい気分だった。
「……ったくよー! 今まではマス掻く時だって女のグラビアかエロビだったってのに……!」
 それこそ無意識のまま、吐き捨てるようにそう口走った秋夜に、仲間たちが興味津々で話題に乗っかってくる。
「なになに? マスベがどうしたって!?」
「秋夜、いいエロ本でもゲットしたとか?」
「うっそ! マジ!? それ、俺にも貸してくれよ!」
 しまったと思いつつも、秋夜はタジタジとした調子でソッポを向きながらシラを切った。
「……ッ……! エロ本の話なんかしてねーよ」
「なーんだ。違えのかよ」
 残念とばかりに皆でクイと肩をすくめる。昇降口のざわめきのお陰で助かったとばかりに秋夜はホッと胸を撫で下ろしていた。――と、その時だ。
「あれえ? おっかしいな……今日は斉天大聖様がいねえじゃん」
「あー、ほんとだ!」
 仲間たちの言葉に校門に目をやれば、そこには当然あるはずの真夏の姿がなかった。



◇    ◇    ◇



 いつもは必ず門塀に背をもたれている姿が見当たらない。その事実を目の当たりにした瞬間に、秋夜は自覚のないまま蒼白となっていった。心臓を鷲掴みにされたように苦しくなり、バクバクと心拍数が速くなっていく。
 どういうわけか、次第に膝までが笑い出し、気をしっかり持っていないとフラついてしまいそうになる。
 真夏がいない。真夏が自分を待っていない。迎えに来ていない。ただそれだけのことで、目の前が真っ白になりそうだ。いつもだったらウザがろうが、どんなに突き放そうが、迎えにやって来ないことなど皆無だったというのに。秋夜にとってはたったそれだけのことで衝撃を受けている自分自身の方がとんでもなく驚愕だった。
「……別に……どーでもいーだろ。あの野郎にだって都合ってもんがあるだろうし。それに――正直、毎日毎日うぜえと思ってたし、ちょうどいいじゃねえの」
 目一杯強がってはみたものの、少しでも気を許せば声が上ずりそうだ。秋夜はそんな自分を奮い立たせるように、わざと粋がった仕草で肩に鞄を担ぎ上げると、一歩一歩を踏みしめながら必死に平静を保とうとしていた。
 そんな折だ。
「北条――」
 後方から聞き慣れた声がそう呼んだ。
「すまない! ホームルームが長引いちまって……遅くなった!」
 見れば、斉天大聖・源真夏が息咳切らしながら慌てたように駆け寄ってきた。
「もう……帰っちまったかと思った……。間に合って良かった……!」
 ゼィゼィと荒い吐息を押さえながら微笑む。余程慌てて走ってきたのか、普段はクールそのものの彼が焦燥感いっぱいといった調子で、今日は別人のようだ。こんなに余裕のない様子は見たことがない。
 秋夜は無論のこと、仲間内の誰もが同じことを思ったようで、大きく肩をならしながら呼吸を整える彼を不思議顔で見つめていた。

 まるで地獄から一気に天国へと登ったような安堵感――ホッとしたなんていう言葉では到底言い表せないほどの気持ちの揺れが瞬時に秋夜を包み込む。戸惑いを通り越して無心にさせられてしまう。
 本当だったら、『そんなに慌てることねえのに』とか、『用がある時は送迎なんて気にすんな』とか、何でもいい。何かひと言相槌を返そうにも言葉さえ上手くは出てこなかった。
 やっとの思いで我に返り、秋夜はボソリと呟いた。
「……ッ、てめえも律儀なヤツだな。別に毎日来る必要なんてねえってのによ――」
 精一杯つっけんどんを気取りながら吐き捨てた。
「ま、まぁまぁ! こうしてわざわざ駆け付けてくれたんだから!」
「そうそ! 斉天大聖様、今日もお疲れ様ッス!」
 ぶっきらぼうな秋夜を擁護するように仲間たちが真夏を労う。そのまま駅前に出る道まで皆で一緒に歩いた。
 仲間たちと別れると、いつものように真夏と秋夜の二人きりの下校時間だ。ここから家までほんの十分足らずの距離を肩を並べて歩く。今までワイのワイのとしていた朗らかな会話も一気に途絶え、それとは裏腹に心拍数が速くなり、次第にドキドキとうるさいくらいに高鳴り出すのが非常に厄介だった。
 何だか頬までもが熱をもっていそうで、それらを気付かれまいと、秋夜は視線を地面に集中させたまま無言で歩いた。
 ほんの短い道のりが――今日はやけに長く感じてならない。
 気の利いた会話のひとつも繰り出せない――何とも息苦しい間合いも堪らない。手持ち無沙汰のまま、ふと空へと視線を逃がせば、今にも雨粒が落ちてきそうな分厚い曇天が頭上を覆っていた。
「そんじゃ、また明日な」
 耳元に飛び込んできたその言葉で、もう家に着いたことを知る。
「今日は遅れちまってすまなかった」
 はにかむような笑顔と共にそう言われて、ドキりと胸が鳴った。
「……べ、別に……構わねえ。つか、毎日の送り迎えなんて必要ねえしよ……。てめえにもいろいろ都合ってモンがあるだろうが」
「俺が好きでやってることだ。お前にゃ迷惑なことかも知れねえが――」
「別に……迷惑なんて思っちゃねえけど……よ」
「そうか。だったら良かった」
 またもや少々はにかんだ笑顔を見せられて頬が熱を持つ。この気持ちがいったい何なのか、分からないほど秋夜は子供ではない。
 この男の前に出ると、どうしてかひねくれた態度になってしまう。ドキドキと心臓が脈を打っては逸り出す。もうごまかし切れない。これを恋といわずに何といおうか――まさに恋情以外の何ものでもなかった。
 だが、素直にそれを認めてしまうことができずにいるのもこれまた事実であった。
 あの日のキスはいったい何だったのか、今一度はっきりと訊きたくとも、それもままならない。単なる出来心か、あるいはからかわれただけなのか。それとも本気の想いなのか――。
 夢に出てくるほどに掻き乱されているこちらの身にもなって欲しい。はっきりとした言葉で『好きだ』とか『付き合おう』とか、明確に示してくれたならきっと素直に受け入れられるだろうに――。
 だが、よくよく考えてみれば、そんなふうにしてこの男からのアプローチを待っているだけというのも情けないと思う。かといって、自分から彼の腕に飛び込む勇気も持てずにいる。そんな悶々とした思いを振り切るように苦笑した秋夜の頬に、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
「……っと、やべえ。降ってきやがったな。それじゃ北条、また明日な」
 そう言って足早に駆け出そうとした真夏の腕を、とっさに掴んでいた。
「ちょい待ってろ!」
 秋夜は言うと急ぎ玄関へと向かい、傘を手に慌てた素振りで真夏へと駆け寄り、それを差し出した。
「これ、持ってけ」
「いいのか?」
 受け取りながら、驚いたように真夏が目を丸くしていた。
「て、てめえにゃいつも世話かけてっから……」
 相も変わらずぶっきらぼうな物言いしかできずに、だがそれとは裏腹に頬を朱に染めながら視線を泳がせた秋夜に、
「それじゃ遠慮なく借りてくわ。サンキュな、北条」
 やわらかな声がそう囁き、踵を返した大きな背中が去って行った。

 それから間もなくして、雨足はあっという間に強くなっていった。ザーザーと音を立てて屋根を叩き付けるような土砂降りだ。
 部屋の窓からその様子を見つめながら、秋夜は未だドキドキと心拍数のおさまらない胸を鎮めるように、無意識のまま拳を当てていた。
 やはり傘を貸すだけじゃなく、雨宿りがてら部屋に上げて茶の一杯も出した方がよかっただろうか。そんな思いが込み上げる。
「あの野郎、無事に家に着いたのかよ……」
 急な土砂降りで風邪など引かなければいいが――。
 状況を知りたくとも、今更ながら互いの連絡先も交換していないことに気付かされる。
「……ったく! 携番くらい訊いときゃよかったのか……」
 二ヶ月も共に下校しながら、本当に何の進展もないことに歯痒い思いでいっぱいになる。
「源……真夏か……」
 またもや無意識にその名を口にすれば、甘苦しい想いにキュッと胸が締め付けられた。

 夜半になっても雨は降り続き、一向に止む気配をみせずにいる。ベッドへと潜り込んでも、秋夜はなかなか寝付けずにいた。
「風邪……引いてなきゃいいけどな」
 あの後、彼はどうしただろう。せめても無事に着いたと、ひと言でいい。言葉を交したかった。
「ま、無理か――携番さえ知らねんだしな」
 そもそも桃陵と四天の番格対決という経緯がなければ、接点さえない間柄だ。彼が毎日校門の前で待っているというのも、勝負に負けたからという理由があればこそで本来は有り得ないことなのだ。
「……何、やってるんだかな、俺も――」
 あの男は今頃何をしているだろうか。何を考え、何を見、何を思っているのだろう。うるさいほどのこの雨音を、彼も同じように聞いているのだろうか。そして、よもわくば彼も自分のことを考えてくれていたりすることもあるのだろうか。
 秋夜は布団の中で身を丸めながら、指先で自らの唇をなぞっていた。

『無理強いするつもりはねえ。一年掛けて、もしもお前がその気になってくれたら……お前自身を俺にくれ』

 あの春の日の告白と――ほんの軽く触れただけのキスが胸を焦がす。
「源……真夏。真夏……真夏……マナ……ッ」
 声に出してその名を口にすれば、胸を締め付ける苦しさが痛みに変わるほどだった。
「……っそ! 俺にこんな思いさせやがって……! ちゃんと……責任取れってのよ……!」
 ギュッと瞳を閉じて、両の腕で自らの肩を抱き締めた。
 いつの日か――この肩を彼の逞しい腕が抱き包むことがあるだろうか。触れるだけのキスなんかじゃなく、息もできないくらいの強く激しい口付けに閉じ込められる時がくるだろうか。
 気付いてしまったこの想いを――もうごまかすことなんかできない。もう知らない振りなんかできない。張り裂けんばかりの恋の苦しさと闘いながら、秋夜は一人、眠りへと落ちていった。



◇    ◇    ◇



 次の日の朝は昨夜の雨が嘘のように快晴となった。蒸し暑さが夏の訪れを感じさせる季節の到来だ。きっと今日も放課後になれば、あの源真夏が校門の前で待っているのだろう。眩しいほどの夕陽の中、肩を並べて帰ることができるのだ。それを思うと何だか心が躍るようで、自然とたゆたう笑みが頬をゆるませる。
 そんな秋夜を驚かせたのは、玄関を出たところで待っていた源真夏の姿だった。
「――はよ!」
「……ッ! 源……てめ、何で……」
 これまで真夏は下校時の護衛に来るだけで、朝の登校の際には迎えになど来たことがなかった。だから秋夜はその姿を見るなりめっぽう驚かされてしまったわけだ。
「これを返そうと思ってな。昨日はホントに助かった」
 傘を手に、はにかんだ笑顔でそう言った。少し照れたような独特のその笑顔が秋夜の胸を瞬時に高鳴らせる。
「あ、ああ……傘か。ンなの、帰りでも……つか、いつでもよかったのに……」
「放課後に返そうかとも思ったんだが――学園に持って行って、万が一にも失くしたりしたらいけねえと思ってな」
「……あ、そ、そう……。わざわざ悪かったな」
「いや。お陰でお前を迎えに来る理由もできたし――俺には笑福万来ってところだ」
「……ッ! ンだよ、それ……」
 何とも直球な、それでいてやはりどこか意味深な真夏の台詞にカッと頬が染まりそうになる。そんな気持ちを悟られまいと、秋夜は傘を受け取り、そそくさ玄関へと置きに戻ったのだった。

「なあ、北条」
「……何?」
「もし――迷惑じゃなければ――これから朝も迎えに寄って構わねえか?」
「え……ッ!?」
「それと――これも……もしもよかったらなんだが――携番交換しねえ?」
「……ッ!?」
「嫌なら無理とは言わねえが――」
「べ、別に……嫌なんて……思っちゃねえけど……」
「昨日さ、帰ってから礼くらい言いたいと思ったんだが、お前の連絡先も知らねえしで参ったなと思ってよ。せめて携番くらい訊いときゃよかったってな。それに……昨日みてえに遅れるとか、急な用事が入った時とかに連絡手段がねえってのも不便かと思ってよ」
「あ、ああ……。て、てめえが……いいなら、俺は構わねえ……し」
「そうか、良かった」
 歩きながらそんな会話を交し、信号で立ち止まると真夏は胸ポケットからスマートフォンを取り出して、例のはにかんだ笑顔をみせた。
「お前の番号――」
 何番だ? というふうにクイと首を傾げる。そんな仕草のひとつひとつが秋夜の胸をドキドキと掻き鳴らす。
「……っと、俺ン番号は――」
 秋夜が言う側から器用な仕草でそれを打ち込む。その指先は男らしく骨太感のあるものの、長くて綺麗な形をしている。今までは特に気に止めて見たことなどなかったが、美しいその指先に視線は釘付けにさせられてしまう。思わず咳き込みそうになるほど心拍数の速くなったその時、秋夜のスマートフォンに着信が届いた。
「それ、俺の番号だ。ちゃんと登録しとけよ?」
 ニッと白い歯を見せて笑ったその表情が爽やか過ぎて、またもや咳き込みそうにさせられてしまった。
 それからどのくらい歩いただろうか。あまりにもドキドキとしすぎたせいでか、気付けば既に四天学園の校門の前に着いていた。
「たまに架けさせてもらう。お前も……架けてくれたら嬉しい」
 真夏はそう言うと、「そんじゃ、また放課後にな!」手を振りながら駆け出して行った。その後ろ姿を見送ったままの状態でぼうっと立ち尽くす秋夜の背を、登校してきた仲間たちがポンと叩いた。
「秋夜、はよ! もしか今のって斉天大聖じゃなかった?」
「なになに? まさか朝の迎えも始めたってか!?」
 驚き顔の仲間に高鳴る気持ちを悟られまいと、秋夜は軽い咳払いと共に肩をすくめてみせた。
「……ったく……律儀過ぎなんだよ、あいつ」
 ぶっきらぼうを装う秋夜の頭上に、夏のキラキラとした日射しが降り注いでいた。あとひと月もすれば気温は更に上昇し文字通りの真夏を迎える。その頃にはもうひとつの”真夏”との間にも熱い季節が訪れるだろうか――そんな想像を胸に、秋夜は逸る気持ちを抱き締めながら昇降口をくぐったのだった。

 その夜のことだ。ベッドに寝転がり、相変わらずに真夏のことを思い巡らせていた時、スマートフォンの画面に登録したばかりの”源真夏”の文字が映し出されて、秋夜は慌てて飛び起きた。
『もしもし、秋夜か?』
 苗字ではなく、いきなり名前で呼ばれてドキリと心臓が跳ね上がる。
「お、おう……」
『良かった。ちゃんと架ったな』
 電話越しにでも分かるような、にこやかな感じの声音が更に心拍数を加速させる。
『別に用事はねんだけどさ。寝る前にお前の声が聞きたくなった』
「あ、ああ……そう……」
『ま、ちゃんと架かるか確認がてらな』
 少し照れたような調子で、楽しそうに言っては笑う。きっとまた例の”はにかんだ”表情でいるのだろう。そんな想像を浮かべながら、秋夜もまた自然と笑みがこぼれるまま、素直な言葉を口にしていた。
「んだよ。さっき一緒に帰ったばっかだってのによ」
 クスっと笑いと共に楽しげな感情が声に出る。
『だよな。じゃあ、また明日な。朝も迎えに寄るから、先に行ったりすんなよ?』
「ああ、分かってるって。てめえもあんま無理すんなよ? 来れねえ時は全然構わねえんだからさ」
『ああ。そん時はちゃんと電話すっから。じゃ、夜分にすまなかったな』
「お、おう……。んと……ゆっくり寝ろよな」
『ん、お前もな』
「そんじゃな」
『ああ。――秋夜、おやすみな』
「お、おう……おやすみ」
 通話を切りながら、鎮まらない胸の高鳴りに昨夜とは別の意味で苦しくなる。
「秋夜……だって……。い、いきなり呼び捨てとかよ……ビビらせやがって……! 誰が許可したってよ!」
 憎まれ口を叩きながらも躍る心は止めどない。思い切りベッドにダイブしながら枕を抱き締めて、変な奇声まで発してしまいそうだった。
 そういえば『おやすみ』なんて言い合ったのはいつ以来だろうか。近頃では両親にすらそんな台詞を言ったことがないことに気付かされる。
「秋夜……かぁ……。もっと……もっと呼べよ……」
 そう、あの少し低いトーンの色気を帯びた声で何度でも呼ばれたい。
「……クッソ……! 真……夏……。真夏……真夏……真夏ー! おやすみなぁ、真夏!」
 バタバタと足で布団を蹴り、枕を抱き締めたままゴロゴロとベッド上で悶えまくる。
「うっひゃー……真夏……! 愛してるぜー! なーんつってな」
 冷めやらぬ興奮と満面の笑みが秋夜を包み込み――真夏へと向かう幸せな夜が更けようとしていた。

- FIN -



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