club-xuanwu

8 Flame



◆1
「波濤さん! 龍さんも……!」
「うわ、やっと会えた!」
「酷いッスよー! お二人とも突然辞めちゃうなんて、もうもう……俺らマジでパニくりましたって!」
 開店前のホストクラブxuanwuの店内が一気にざわつきを見せる。今日は月一回の合同朝礼が行われる日なので、同伴等もなく、ホストたちが全員集合していた。
 この店のナンバーワンを張っていたホストの波濤と龍がひと月前に突然引退して以来、初めて顔を見せたことで、店内はてんやわんやの大騒ぎとなったのだ。

 昨年の秋に六本木店からこの本店へと編入してきた龍は、その愛想のなさと仏頂面から、来た当初は他のホスト連中から敬遠されていた変わり種である。客に媚びることもなく、無口だから態度も横柄だと思われていた彼は、付いたあだ名が”頭領《ドン》”であった。
 まさか本当にマフィアの頭領を父に持ち、ファミリーの一員であったということは、さすがにホストたちもあずかり知らぬところだ。
 そんな龍だが、時が経つにつれて誤解も解け始め、彼の意外にサッパリとした性質や人懐こい面なども知られるようになってからは、和気藹々と馴染めるようになってきた。今日も今日とてダークなスーツを粋にまとい、さりげなさの中にも高級感が漂う出で立ちで登場した彼に、皆も相変わらずだと微笑ましげだった。
 そんな龍の隣には、入店以来トップの座を貫いてきた不動のナンバーワンホストの波濤が、にこやかな笑みと共に佇《たたず》んでいた。
 龍のそれとは対照的な淡い桜色のスーツは、他の誰かが着たのならば派手に映るか、一歩間違えば子供の七五三だと笑われそうなチョイスだが、そこはさすがのナンバーワンだ。色白の肌と端正な顔立ちを見事に引き立てていて、優雅で色気を感じさせる着こなしに、あちこちから溜め息が上がるほどだった。

「一ヶ月も音沙汰無しだなんて……一体今まで何処で何してたってんですかッ!」
「そうッスよー! 引退イベもしないで突然辞めましたって聞いて、しばらくパニックになったッスから!」
 ホストたちに取り囲まれて矢継ぎ早の質問に、龍はともかく波濤の方はタジタジと苦笑気味だ。
「悪かったよ。ちょっと所用でな、故郷に帰ってたんだ。お前らには心配掛けて済まない」
 謝る波濤に、皆からの声も止まない。
「今日からまた戻ってきてくれるんスよね? もうお客の女の子たちからも、波濤さんたちはどうしたんだって質問攻めなんスから!」
「例の拉致騒ぎの時に来店してた子たちは特に大騒ぎですよ! 波濤さんは殺されちゃったんじゃねえか……とかまで言い出す子がいたりして」
「ああ……本当に済まないと思ってるよ」

 一ヶ月前、波濤に金を無心していた腹違いの兄、菊造の差し金でガラの悪い男たちが店に押し掛け、波濤を連れ去るという事件が勃発した。幸い、波濤自身の機転と、龍やオーナー帝斗の素速い対応で何とか事なきを得たのだが、その時の様子を見聞きしていた客たちの間では有ること無いこと想像が暴走して、大騒ぎとなっていたのである。あの夜以来、龍も波濤も店から姿を消してしまった為、より一層の騒動となっていたのだ。
 贔屓にしてくれていた顧客たちには個々に長期休暇の知らせを入れたものの、ひと月もの間、当人たちが姿を見せないので、よからぬ噂が一人歩きするようになってしまっていたのだった。
 拉致されたまま殺されてしまったんじゃないかとか、酷い大怪我をして入院しているだとか、想像が想像を煽って、もはや誰も本当のことを知らないという有様である。一応、オーナーの帝斗からも顧客とホストたち全員に『大事ない、二人は所用でしばらく店には来られない』という通達があったものの、何か隠しているのではという疑念が先立って、誰も信じようとしなかったわけである。

 一方、あの拉致騒動の夜、無事に波濤を救出することができた龍は、初めて彼から本当の気持ちを聞くことが叶った。
 今までは互いに好意を寄せていることが分かってはいても、はっきりと波濤の口から『好きだ』という言葉を聞けずにいたのだが、拉致されてあわや輪姦されそうになり、いかがわしい薬を盛られて動画まで撮られそうになった。そんな究極の状況が、閉ざされていた波濤の素直な気持ちを解放した――ということには苦笑せざるを得ないが、とにかく龍はもう二度とこの愛しい男を手放す気がなくなったのである。
 波濤が無事に腕の中に戻ってきた時には、側に置いて、できることなら一生誰の目にも触れさせたくないと思うほどに、龍は焦燥感に駆られた。そんな思いを具現化すべくというわけでもないが、龍は波濤がこの先もホスト稼業を続けることに難色を示したのだ。
 香港マフィアの頭領の息子であり、この日本でも数多の大企業を経営する龍にとって、愛する者一人を養うくらい造作もないことである。彼は波濤に仕事を辞めて自分の傍にいて欲しいと申し出たのであった。


◆2
 だが、波濤の方にしてみれば、龍に囲われて何不自由なく過ごすというのも、正直なところ気が引ける話だった。ホスト業は日本に来て初めて就いた職であるし、育ての親である黄老人を亡くして頼るところのなかった自分を支えてくれた思い入れの深い仕事である。しかも、オーナーの帝斗や同僚ホストらにも温かく接してもらい、恩もある。直ぐには辞めたくないというのも本心だった。
 が、やはり龍としては心配なのも否めない。仕事柄、女性たちと疑似恋愛的な雰囲気になるのは否定できないし、今までアフターで深い関係を結ばざるを得なかった男性客が再び指名してくることもあるだろう。案外、心配性で独占欲も強い性質《たち》の龍にとっては、そんな中に波濤を置いておくなど論外である。
 双方どちらも引かずに、話向きは一向に進展しない。そんな様子を横で見ていた帝斗の提案で、しばらくの間、休暇を取っていいから二人でゆっくりと話し合えということになったのだった。

 こうして、帝斗の申し出に甘えることにした二人は、香港へと向かった。波濤を育ててくれた黄老人の墓前で報告をしたいという龍の希望を、波濤も有り難く受け入れ、二人一緒に墓参りに出向いたのである。
 久しぶりの香港の地だった。
 生まれ育ったこの地を離れ、日本へと旅立つ際に、たった独りで不安を抱えながら乗った飛行機――周囲には誰一人知り合いもおらず、頼るところも皆無だった。
 飛行場に降り立つと、郷愁が胸を過《よ》ぎる。
 遙か遠くの空を見つめながら当時を思い返せば、切なさやら懐かしさやら様々な記憶が胸を締め付けてきて、思わず涙があふれそうになった。そんな様子を気遣うように隣からそっと肩を抱き寄せられて、現実に引き戻される。自らをやさしく包んだのは、愛しい男の頼もしい腕だった。
 波濤にとってその温もりは狂おしいほどに温かく、そして嬉しく愛おしく、何ものにも代え難い大切なものだと痛感させられる。

 そうだ、今は独りじゃない。
 愛する唯一人の男の傍らで、こんなにも幸せに包まれている。

 懐かしい香港の地は、波濤に改めて大切なものを自覚させた――そんな旅であった。



◇    ◇    ◇



「はい、皆静かに! とにかく座ってくれ。朝礼を始めるぞ」
 ざわつく店内にオーナー帝斗の一声が響けば、龍と波濤を取り囲んでいたホスト連中も渋々とソファ席に腰を下ろし、月一合同会議の始まりである。帝斗は龍と波濤を自らの脇に座らせると、すっくと立ち上がって全員を見渡した。
「皆も知っての通り、今日は波濤と龍が来てくれている。約一ヶ月間という長い休暇で皆にも心配を掛けたが、こうしてまた顔を揃えてくれたことを嬉しく思うよ」
 そんなオーナーの挨拶を聞き終わるのを待てずといった調子で、方々の席から声が上がった。
「オーナー! 波濤さんたちは今日からまた復帰してくれるんスよね?」
「マジで待ってたんスよ、俺ら……!」
 再びざわつき出す一同を片手を上げて制しつつ、帝斗は言った。
「いや、波濤も龍も一先ず復帰はするが、この後、正式な発表をもってホストは引退となる」
 そのひと言にフロアー全体に地鳴りが走るような絶叫が轟いた。
「ええー! それ、マジなんスか!?」
「だって……引退イベとかもやってねえのに……」
「そんなの、客だって納得しませんよ!」
「俺ら、これからどうすりゃいいんスか!」
 戸惑いと苦情の嵐である。
「とにかく落ち着け! はい、いいから一旦座って!」
 帝斗が少し声高かに皆を鎮める。
「二人の引退セレモニーは来月の桜祭りイベントに重ねて行う予定だ」
 頃は三月の半ば過ぎだ。もう二週間を待たずして桜前線の声が聞こえる時期である。
 皆が待ち焦がれる心躍る春の到来――そんな時期にナンバーワンホストを競っていたトップの二人が揃って引退だなどとは、まるで別れの花吹雪のようだと皆が一気に消沈する。
「……ンなの、酷いッスよ。俺らを置いて……客だって皆泣きますよ」
「何でいきなりこーゆーことになるんスか! 納得できる理由を教えてくれなきゃ承知できませんって!」
 半ば涙声になりながら、そんなふうな声が上がる。そんな彼らに言い訳も説明も端折って、オーナー帝斗はもっととんでもないことを口走った。
「それから――もうひとつ報告がある。その桜祭りのイベントを最後に僕も代表を辞することにした」
 そのひと言に、フロアー全体が水を打ったように静まり返った。
 誰も言葉を発することさえ出来ずに、ただただ驚きに呆然とするばかりである。しばしの後、現在のナンバーを競う立場にある人気ホストたち数人が筆頭となって、代わる代わる苦渋の胸の内を絞り出し始めた。
「……ンなの、冗談っすよね? 波濤さんと龍さんに続いてオーナーまで辞めちまうなんて」
「俺たち、これからどうすりゃいいんスか!?」
「この店、畳むってことですか? 急にそんなことって……酷えよ……」
 オーナーはそんな薄情な人ではない、俺たちは貴男《あなた》を信じています、言葉にせずともそう言いたげな瞳で全員が帝斗を見つめる。

 場は静まり返り、誰もが言葉を失ったようにひと言も発せずにいた。


◆3
 そんな沈黙を打ち破るように帝斗は皆を見渡し、微笑んだ。
「皆、勝手を言って済まない。でも心配しないでおくれ。僕は引退して稼業を継ぐが、この店は畳まない。新しい代表の下でより一層盛り立てていって欲しい」
 帝斗の言葉に一同は辛そうに表情を曇らせた。
「……新しい代表って……そんなん、嫌ッスよ……。俺たち、オーナーがいいッス。オーナーの下だから……辛いことがあったって今までやってこられたんだ」
「そうですよ! 波濤さんたちもいなくなって、オーナーもチェンジだなんて……それじゃもうxuanwuじゃないッス!」
 涙声と共に怒りを堪えながらそう訴える者もいて、重苦しい雰囲気がますます皆の心を暗くしていく。そんな一同を切なげに見渡しながら、
「皆、ありがとう。そんなふうにこの店を愛してもらえて……僕は本当に嬉しいよ。お前たちと一緒に働くことができたことは僕の生涯の宝物さ」
 そう言って頭を下げた。そして、切なさを吹き飛ばすかのようにとびきりの微笑みを見せると、続けてこう言った。
「さあ皆、新しい代表を紹介させておくれ」



 僕の後を継いでくれることになった――波濤こと、雪吹冰だ――!



 波濤の背に手を回しながらそう紹介した。
 その瞬間、フロアーに再び地鳴りのようなざわめきが巻き起こった。

「う……うおーーー! マジっすか!?」
「波濤さんが……新代表……!?」
「夢じゃないッスよね!?」
「嘘じゃねえッスよね!?」
 もう隣にいる者の声も聞こえないくらい、歓喜の絶叫がこだまする。
「オーナーも人が悪いッス!」
「そうですよ! 落としといて……上げるって! 何の商法っすか!」
「うおー、すっげ夢みてえだ! 嬉しすぎてやべえ!」
「オーナー、もう隠してることないッスよね!?」
 わいの、わいのと詰め掛けて、ホストたちの熱気で帝斗らの席は押しつぶされそうになっていた。
「ちょっと皆、一旦自分の席に戻れって! 分かった、分かった、もう隠してることはないよ」
 帝斗も大声でそう叫びながら、その表情は心からの満面の笑みで破顔する程だ。
「xuanwuは元々、この龍の持ち物だったんだ。土地も、このビルも龍の名義だから、正確にはオーナーは龍ということになる。そして新代表が波濤。皆、二人を助けて店を盛り立てていっておくれ! 僕も今度はお客として、ちょくちょく寄せてもらうさ」
 そう言って、波濤へとバトンタッチをした。

 龍との香港帰郷で、自分にとって最も大切なものに気付くことが出来た波濤は、その素直な気持ちを洗いざらい彼に打ち明けた。先ずは何よりも誰よりも龍を大切に想っていること――これはもう云うまでもないことであるが――龍と共に生涯を添い遂げたいと思っていること。そして同じくらい今の職場が大事であり、それは波濤にとってかけがえのないものだということ。これまでオーナーの帝斗をはじめ同僚の皆から与えてもらった厚情に対して、出来得る限りの恩返しをしたいと思っていることを伝えた。
 龍も波濤の熱意とその深い思いを汲み取り、心配ではあるがホストを続けることに同意したのだ。
 そして、帰国後にそのことを帝斗に報告したところ、ちょうど彼も実家の父親からそろそろ財閥を継ぐ為に戻って来いと急っ付かれているらしいことを知り、三人で話し合った結果、それぞれにとって進むべくして開かれたような人生《みち》を歩むことに決めたというわけだった。

「じゃあ波濤、お前さんからもひと言挨拶をお願いできるかい?」
「はい――」
 波濤が立ち上がると、皆は静かに耳を傾ける。一人一人、誰を見てもその表情は輝き、既に新代表の下での意気込みを感じさせてくれるかのようだった。
「今、オーナーからご紹介いただいたように、これから代表を務めさせてもらうことになった雪吹冰です。この店は俺が日本へ来て初めて就いた、何物にも代え難い職場です。ここで皆に出会えて本当に良かったと思っている。感謝の気持ちを込めて、今まで以上にこの店を盛り立てていけるよう精進するんで、皆付いて来てくれ。よろしく頼む――」
 深々とした礼と共にそう挨拶を述べた波濤に、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「こちらこそ……よろしくお願いします、新代表!」
「代表!」
「雪吹代表!」
「俺ら、今まで以上に頑張りますんで! よろしく面倒見てやってください!」

 誰もがとびきりの笑顔で微笑み合う。花の季節の訪れと共に、club-xuanwuにも暖かい春風が舞い込んだようであった。



◇    ◇    ◇



 その後、オーナー帝斗の引退と新オーナーの龍、そして新代表へ就任した雪吹冰のお披露目イベントも滞りなく済み、ホストクラブxuanwuは新たなメンバーで好調に滑り出していた。まさに春爛漫の季節である。
 龍と波濤が競っていたナンバーも今は後継の辰也と純也に代替わりし、店先のボードも一新、ますます勢いを見せている。
「お前らもすっかり一人前のナンバーワンだな」
 開店前の事務所で純也らにそう声を掛ける波濤も新代表の風格が出て、現役時代とはひと味違った色香を醸し出している。今日はオーナーの龍も顔を見せていて、ホストたちの意気込みも一段と高まっていた。


◆4
「おはようございます波濤さん! ……じゃなかった、雪吹代表! お願いがあるッス」
「ああ、おはよう。お願いってのは?」
「はい。代表のカードさばきのテクを伝授して欲しいんス! お客の女の子たちに披露して喜ばせてあげたくて! これ買って来たッス」
 辰也と純也が真新しいトランプを片手に波濤を取り囲む。
「なるほど、カードか。勿論いいとも」
 差し出されたトランプを受け取った波濤が嬉しそうにカードをさばき始めると、辰也も純也も真剣な眼差しで食い入るようにその手元に集中する。
 と、そこへ扉がノックされて、フロアマネージャーの黒服が顔を見せた。
「失礼します、代表。新しく入店したいっていう希望者が面接に来ているんですが、少しお時間よろしいでしょうか」
 黒服から履歴書の入った封筒を受け取りながら、波濤がうなずいた。
「ああ、そういえばそうだったな。確か入店希望者は二人だったか?」
「はい。一人はホスト希望、もう一人はフロアーのボーイ希望です」
「今、来ているのか? じゃあすぐにここへ通してくれ」
 今日はちょうど龍もいるのでタイミングもいい。
「承知しました。じゃあ君たち、入って来て」
 黒服にうながされ、事務所へと招き入れられた入店希望者を見るなり、そこにいた誰もがハッと目を見張った。
 少々緊張の面持ちながらも部屋へと通された二人は、共に百八十センチを超えるだろう長身で、立っているだけで目を奪われるような端正な美男子たちである。
 一人はゆるやかな天然癖毛ふうの茶色掛かった長めのショートヘアが、色白の肌に似合っていて何とも艶めかしい。顔立ちはケチの付けようがないほどの男前で、くっきりとした大きな二重の瞳は、見つめられるだけでたじろいでしまいそうな色香を醸し出している。パッと見たところ、波濤の若い頃によく似た印象である。
 もう一人は茶髪の彼とは対照的な濡羽色の黒髪が何ともオリエンタルな雰囲気たっぷりで、珍しい濃灰色の瞳からは眼力を感じさせる。二人共にスレンダーな体型だが、単に細身というだけでなく、特に黒髪の彼からは男らしさを感じさせる筋肉質だというのも興味をそそられた。
「これは……!」
 波濤が思わずそうこぼしてしまったほどに、入店希望者の二人は魅惑的だった。たまたまこの場にいたナンバーワンを競うライバル同士の辰也と純也も唖然としたように口を開いたまま凝視状態だ。そんな様子を横目に、龍だけが余裕の調子でどっかりとソファにもたれてニヒルに口角を上げていた。

「俺はここの代表の雪吹冰だ。とにかくこっちへ来て掛けてくれ」
 二人に席を勧め、波濤は彼らと向かい合った正面に腰掛けた。
「それで……入店希望ということだが、ホストとしてやっていきたいのはどっちだ?」
「はい、自分です」
 そう答えたのは茶髪の男の方だった。
「ということは、君の方はフロアーボーイ希望ということでいいんだな?」
 黒髪の男に向かってそう訊くと、彼は「はい」と言って律儀そうに頭を下げてよこした。
 一見しただけでホストでもボーイでも即務まりそうな風貌の二人である。波濤は履歴書の封を開けないままで、一番訊きたかったことを二人へと投げ掛けた。
「では先ず初めに……この店で働きたい、ホストになりたいと思った動機から聞かせてもらっていいか?」
 波濤の問いに、二人はコクリとうなずく。まさか、この直後に驚かされるような答えが返ってこようとは、この場の誰もが想像し得ないことだった。
 最初に答えたのは茶髪の男の方だ。
「俺たちはガキの頃からの幼馴染みなんですが、この店で働きたい理由は金を貯めたいからです」
 その答えに波濤は僅かに眉をしかめた。
「――金の為か?」
「はい。正直、できるだけ短期で稼ぎたいんです。他のバイトも検討しましたが、ホストになるのが一番稼げると思ったもんですから」
 ますます眉間の皺を深くさせられそうな答えだ。しかも悪気のなく、飄々《ひょうひょう》と言う様も気に掛かる。波濤は続けてこう訊いた。
「何か金に困っている理由でもあるのか?」
 もしもこの若者たちが以前の自分のように誰かに金を無心されていたり、はたまた借金を返済しなければならないような事情を抱えているのだとしたら、酷く気に掛かるところだからだ。
 が、彼らから飛び出した答えは、そんな懸念を吹き飛ばすような変わり種だった。
「実は俺たち……その……付き合ってるんです」

 え――? は……?

 誰もがギョッとしたように、若い二人の言動に釘付けにさせられてしまった。
「えっと……将来的には、その……一緒になりたいって思ってます」
「一緒に……か?」
「はい。この日本じゃ結婚とかは無理ですけど、俺たちの気持ちとしては生涯共に生きていきたいって思ってます。このことを双方の両親にも打ち明けたんですが、そうしたら――俺たちの決意の証として二千万円貯めることができたら認めてやるって、そう言われたんです」
 彼らの話によると、二人はゲイで、互いに愛し合っているとのことだった。家も近所で親同士も懇意にしている間柄、幼馴染みとして育つ中で愛情が芽生えていったというのである。


◆5
 そんな二人がそれぞれの親に気持ちを打ち明けたところ、両親たちは絶句、最初は反対もしたが、今ではどうにもならないことだと認めてくれる雰囲気になってきているらしい。だが、さすがに同棲して人生を共にすることに同意するのは最後の一歩が踏み切れないらしく、二人の決意の形として二千万円を貯めることができた時には、晴れて公に認めてやると言われたそうだ。
 事の次第は理解できた。とにかくは借金などの困った方向性の話ではないことに安堵したものの、初対面の人間を相手に堂々と『自分たちはゲイで愛し合っている』と言ってのけることに驚かされる。だがまあ、波濤とて同性の龍と恋仲になり、生涯を共にしようと誓った立場である。若い二人の逸る気持ちも十分に理解できるものだし、応援してやりたいと思えるのも実のところだった。あとは多少不安に思える事柄があるとすれば、ひとつだけ――だ。
「話は分かった。だが、ここはホストクラブだぞ? お客様は殆どが女性だ。中には疑似恋愛的な雰囲気を楽しみたくて来店してくれるお客も多い。やっていける自信はあるのか?」
 ホストとボーイ、立場は違うとはいえ、同じ店内で互いの接客場面を見て嫉妬することもないとはいえない。それは波濤自身が身をもって痛感していることでもある。それ以前に女性客を相手に、ホストという仕事がこなせるのかということも懸念されるので、最後に念を押すべくそう訊いたのだ。すると、茶髪の男は意思のある瞳で「大丈夫です」と言ってよこした。
「ただ……」
「ただ――? 何だ?」
「はい……あの、俺……勤めは一生懸命やります。ホストをやっていく上で、難しい問題も出てくるだろうって……覚悟もしてます。でも自分らの夢は諦めたくない。仕事と私情はきちんとわきまえて精一杯勤めますんで……!」
 時折、言葉を選ぶように慎重にしながらも、彼の真摯な思いだけは十分に伝わってくるのが分かる。
「ただ、その……」
 何かを言いたいのだろうが、どうにもその先の言葉が出てこない様子の彼に、波濤をはじめ、辰也らも首を傾げてしまった。
「あ、いえ……何でもありません。俺、ゲイですけど、それは恋人として女性と付き合ったりするのが無理だってだけで、普通に女の子と話す分には楽しいんで……一生懸命勤めますんで、よろしくお願いします」
 何とも歯切れが悪い感が残るものの、必死さは伝わってくる。初めてのホストという仕事に対して不安もあるのだろうと思えた波濤は、穏やかに微笑んでみせた。
「もしも不安なことや分からないことがあれば遠慮なく言ってくれればいい。俺にでもいいし、ここにいる辰也や純也に訊いてくれてもいい。ウチは皆、後輩の面倒見のいい奴らばかりだから、安心して何でもぶつけてくれな」
 ただし、自分はゲイでフロアーボーイと相思相愛の仲だ――などという、お客に対して言わなくてもいいようなことは伏せておくようにと釘を刺すのも忘れない。
「では先ずは見習いから初めてもらうから、そうそうすぐには思ったように稼げないだろうが、頑張れるか?」
 波濤の問いに、二人は瞳を輝かせてうなずいた。
「勿論です! がんばります!」
「よろしくお願いします!」
 立ち上がり、ビシッと腰を九十度に折って深々と礼をする。そんな姿が初々しくて清々しくて、波濤は心温まる思いがしていた。
「それじゃあ、ホスト希望のキミ、先ずは源氏名を決めようか。何か希望のものはあるか?」
 そう訊いた波濤の言葉に、またもや驚くような答えが返ってきて、その場にいた皆は再び唖然とさせられてしまった。
「源氏名は隼斗《ハヤト》がいいなと思ってるんですが……」

 隼斗だと――!

 すっとんきょうな声を上げたのは、それまで黙って成り行きを見ていた現ナンバーワンホストの辰也であった。
「えっと……何かマズいっすか?」
 茶髪の彼が首を傾げる。
「いや、マズイっつか……”隼斗”ってのは前代表の源氏名なんだよ」
 そうだ。隼斗というのは、前のオーナー兼代表だった粟津帝斗が現役ホストだった頃の源氏名なのだ。今は彼も引退しているし、取り立ててマズい訳では決してないが、それにしても当時を知る客もいることだし、多少の困惑は否めない。そんな雰囲気を察したのか、茶髪の彼はすんなりと引き下がって第二案を口にした。
「じゃあ、波濤《ハトウ》ってのはどうですか? 俺、隼斗か波濤のどっちかがいいんじゃないかって思ってたんで、隼斗がダメなら、こっちでも……」

 ええッ、波濤かよ――ッ!?

 またもや絶叫した辰也と純也に、若い茶髪はさすがに怪訝そうにする。
「え……と、これもダメなんスか?」
「や、ダメじゃ……ねえけどよ。”波濤”は現代表の源氏名だったんだよなー」
 次から次へとダメ出しするのも気の毒に思ったのか、辰也らは申し訳なさそうに苦笑い状態だ。黙ってやり取りを見ていた波濤本人は、可笑しそうにクククと、今にも噴き出しそうになっていた。
「別に”波濤”でも構わないさ。君がそれでいいなら、俺は全然――」
 笑いを堪えながら了解しかけた波濤に、
「じゃ、あの……俺、本名でいきます」
 茶髪の彼はポンと自分の胸を叩きながらそう言った。


◆6
「本名って――、君はそれでいいのか?」
「はい。俺の本名、わりと色気あるっていうか、源氏名にしても通りそうな名前なんで」
「何ていうんだ?」
 そういえばまだ履歴書を見ていなかったことを思い出して、そう訊いた。茶髪の彼はまたひとたびすっくと立ち上がると、
「一之宮紫月《いちのみや しづき》といいます。紫《むらさき》の月《つき》と書いて紫月。これでどうでしょうか?」

――紫月。これが本名ならば確かに色気のある名前だ。

「ああ、いいね。じゃあ紫月、よろしく頼むよ。それから、そちらのボーイ希望のキミも本名でいいかい?」
「はい、鐘崎遼二《かねさき りょうじ》といいます。よろしくお願いします」
 黒髪の男も立ち上がり、そう言って今一度、共に頭を下げた。と、その瞬間だった。
 それまで特には口を挟まずにいた龍が、突如テーブルの上に散らばっていたトランプのカードの一枚を取り上げて、若い二人に向かって投げ付けるようにビッと放ってみせたのだ。

「――――ッ!?」

 勢いのある速さでカードが目の前を横切る――
 波濤は龍に向かって『いきなり何をするんだ』と問い質そうとした瞬間、黒髪の彼の指先が放られたカードをしっかりと挟んでいることに驚かされた。
 人差し指と中指――しかも左手の方の二本の指の間に、まるで真剣白刃取りのようにキャッチされたカードを見て、場が静まり返る。
「ふん、やはりいい勘してやがる。左利きか」
 ニヤリと口角を上げて笑った龍を、誰もが驚いたように凝視した。
「遼二といったか――お前、何か体術を心得ているだろう?」
 相も変わらずソファにどっかりと腰を落ち着け、脚を組んだデカい態度のままで、龍がそう訊く。遼二と呼ばれた黒髪の男は、僅かに怪訝そうにしながらも素直にこう答えた。
「空手と拳法を少しだけ――かじってます」
「謙遜するな」
「いえ――そんな」
 紫月という茶髪の男も、ポカンと口を開けた状態で、龍と自らの相棒である遼二を交互に見つめている。辰也と純也などは半ば硬直、唖然状態だ。龍が何をしたいのか、何を言いたいのか、全く読めないこの状況に呆然とするのみである。
 楽しそうなのは龍一人だけ――ニヒルに笑みを浮かべながら、とんでもないことを口にした。
「なあ遼二。ボーイもいいが、俺の側で働く気はねえか?」
「え――?」
「ボーイとして勤めるより給料は弾むぜ?」
「あの……それってどういう……」
 突如、親しげに名前を呼び捨てられた上に、突飛なことを言われて視線をキョロキョロと泳がせる。
「俺の用心棒兼秘書として働く気はないかと訊いている」
「はぁ……」
 はっきりとそう言われても、遼二は困惑顔だ。龍の突然の提案に、波濤も呆れたように肩をすくめてみせた。
 まあ条件もいいことだし、案外すぐにこの提案に食らい付いてくるだろうかと思いきや、遼二という彼は、きっぱりと断りの意思を口にした。
「有り難いお話ですが、俺はこの店で働かせていただきたいです」
 隣に座る紫月という相棒をちらりと見やりながらそう答える。そんな遼二の態度に、龍は片眉を吊り上げながらも面白そうに笑ってみせた。
「ほお? 要は二人、一時《いっとき》たりと離れていたくはねえってことか。案外心配性なヤツだな」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながらも、この状況を楽しんでもいるようだ。よほどこの若い二人が気に入ったのか、龍は珍しくも饒舌で、少々突っ込んだやり取りを止めようとはしない。
「心配には及ばねえさ。お前の”嫁”はこの冰に任せておけば安心だ。危ねえこともさせねえし、心配は無用だぜ」
「嫁……!?」
「お前の方が旦那だろうが。それとも逆なのか?」
 一歩間違えば破廉恥《セクハラ》と取られかねない際どい突っ込みを恥ずかしげもなく口にする。と同時に、もうひと言、皆が『え?』と首を傾げるようなことを言ってのけた。
「それから紫月――。お前がさっき言おうとしたこと、ウチの店では不要だから安心していいぞ」

「――は?」

 波濤をはじめ辰也と純也は無論のこと、言われた当人の紫月は酷く驚いたように龍を見上げた。
「枕営業はしたくない――、だろ?」
 その言葉に全員が一斉に龍を見やる。
 なるほど、そういうことか――と、波濤も滅法驚いたように瞳をパチクリとさせてしまった。要は恋人である遼二に対して操を立てたいということなのだろう、可愛らしいことこの上ない。波濤は微笑ましさが極まって、思わず笑みを誘われてしまうほどだった。
 それにしても横から会話を聞いていただけでそんな細かな心情を読み取るとは、さすがと言わざるを得ない。この龍にはどこまでも予想できない魅力を見せつけられるようで、波濤自身、改めて頬が染まる思いがしていた。
 そんな気持ちをも読まれたというわけか、龍は嬉しそうにニヤッと笑むと、
「何だ、冰。惚れ直したか?」
 満足げにそう言いながらすっくと立ち上がり、迷わず愛しい男の隣に座り直して、堂々と彼の肩を抱き寄せてみせた。
「え、ちょっ……! おい、龍……!」
 焦る波濤にもおかまいなしだ。
 若い二人の方も、真っ正面で不意打ちの熱々ぶりを見せつけられて唖然である。しばしどう反応していいのかと、しどろもどろだ。互いを見合いながら、
「あの……その……えーと」と、口をパクパクさせている。
「こいつは俺の”嫁”だ。お前の嫁もこいつに預けておけば心配ねえって言ってるんだ」


◆7
 堂々も過ぎるほどの物言いに、場の誰もが唖然状態――、
「おい、龍……いきなり何だ……!」
 こんなところで初対面の若者相手に暴露することじゃないだろうと、波濤は思い切り眉をしかめる。
「別に隠す必要ねえだろ。本当のことだ」
 そりゃそうかも知れないが――!
 苦虫を潰したような波濤の表情からは、文句を言いたいのが丸分かりだ。
 この店のホストたちには現役引退を機会に二人の仲を公表していたので、辰也と純也は驚かないながらもタジタジと苦笑を隠せない。龍さんの”嫁自慢”がまた始まったよ――くらいに思っているのだろう。だが、入店の面接に来たばかりの若者相手に突如そんなことを打ち明ける神経が分からないとばかりに、波濤は今にも白目を剥きそうになっていた。
 が、そんな波濤の懸念も若い二人には無用だったようである。
「あの……もしかして、お二人は付き合っていらっしゃるんですか?」
 驚くというよりは興味津々な調子で茶髪の紫月の方が身を乗り出す。続いて、黒髪の遼二の方が二人の左手薬指にはまっている揃いの指輪に気が付いて、何とも興奮気味に瞳を輝かせた。そしてすかさず、
「分かりました。俺、ボーイじゃなくていいです。付き人でも用心棒でも何でもやります! やらせてください!」
 遼二としては、先程この龍が言った『枕営業は必要ない』というひと言が絶大な信頼を生んだようである。目の前のテーブルに突っ伏すように頭を下げながらそう言った様子を見て、龍はこの上なく満足そうにうなずいてみせた。
「よし、決まりな! まあ、安心しろ。お前にはこの店の商品の仕入れとか経理関係なんかを主に手伝ってもらうようにするから。月の半分以上は”嫁”と一緒にいられるぜ?」
 ニヤッと冷やかすようにそう言った龍の脇腹に、ゴツンと波濤の肘鉄が命中する。
「――っと! 相変わらず油断ならねえな」
 嬉しそうに言いつつ、懲りないどころかもっと強く肩を抱き寄せては、頬摺りまでしてみせるオマケ付きだ。
(油断ならないのはどっちだ――!)
 そう言いたいのを呑み込んで、
「と、とにかく……! ”こんな”オーナーの店だが、二人とも本当に入店……でいいんだな?」
 龍の抱擁を押しこくりながら、波濤は若い二人に確認した。
「勿論です! 俺たちも……一日も早くオーナーと代表みたいになれるように、目標持ってバリバリ頑張りますんで!」
「よろしくお願いします!」
 二人揃ってビシッと礼をする。これから勤める先の経営者が、自分たちと同じように男同士で恋仲であると知ったからなのか、はたまた龍と波濤の人柄そのものに惹かれたのかは定かでないが――彼らの表情は生き生きとして、青葉萌えるこの季節の如くだった。



◇    ◇    ◇



 宵闇の降りる頃、街は煌めき出し、ネオンの海の中に幾つもの人生を紡ぎ始める。

 先のオーナーだった帝斗も、その言葉通りにちょくちょくと店へやって来ては、取引先の接待などで盛り立ててくれている。
 龍に気に入られた新入りの遼二は、大忙しながらもやり甲斐を見つけたようで、率先して仕事も覚え、精を出す。片や波濤の下でホストとしてデビューした紫月は、その美麗な容姿からしても目立つことこの上なく、しかも美形を鼻に掛けないフランクな天然さが客受けして、ぐんぐんと業績を伸ばしているらしい。
 そんな紫月にあわやトップをさらわれては立つ瀬がないと、現役ナンバーワンの辰也や純也らも根性をみせる。
 今宵もホストクラブxuanwuには賑やかで明るい笑い声が満ちあふれていた。



 嬉しいことがあった時、誰かにその幸せな気持ちを聞いて欲しい時、もしくは、寂しかったり辛かったりすることがあった時には――ふらりと此処を訪れてみませんか?
 xuanwuのホストがいつでも全力であなたをお迎えします。
 あなたと一緒に祝い、あなたと共に喜び、時にあなたを癒やし、あなたに元気を贈ります。
 いつでもあなたが心からの笑顔に満ちて過ごせますように――!

「いらっしゃいませ! 今宵もclub-xuanwuへようこそ!」

 心躍る煌めく世界を作るのは、街のネオンの輝きでも店内のシャンデリアの電球でもない。人を思いやる温かな気持ちが紡ぎ出すものなのだと思う。
 いつの時代もそれは変わることのなく――この先も手と手を取り合って、永遠の輝きを貴女と共に――。

-FIN-



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