極道恋事情

19 三千世界に極道の華5



◆81
『うわッ……すっげえ……マジで入れたんだ刺青……』

『まあな。氷川のヤツの背中にもでっけえ龍が彫ってあるし、俺もこの世界で生きていく覚悟の為にと思ってな』

『ああ、本格的に親父さんの後を継ぐ為に若頭を襲名するんだったな。お前も本物の極道になるんだなぁ』

『まあ若頭なんざ名ばかりの、まだまだ駆け出しの青二才だがな。組員の荷物にならねえよう精進するさ』

『ほぇえ……もうすっかり立派な若頭じゃん! しっかし見事だなぁ。真っ赤な花かよ。これ、サザンカか? それとも……』

『椿だ』

『椿ねぇ……。俺りゃーまた般若とか蛇とかの渋い図柄にすんのかと思ってたけど』

『こいつぁ俺の覚悟の証だ。彫るんだったらこの世で一等大事なヤツが生まれた日に満開を迎えてたっていう紅椿の花を彫ってもらうと決めていたからな』

『大事なヤツぅ? なにそれ、初耳! まさか惚れた女でもできたってか?』

『ふ、惚れた腫れたなんざ、そんな甘っちょろいもんじゃねえがな。椿が咲くのは冬だ。その中でも満開を迎えるのは一月から二月の半ば頃だろ?』

『つまり……惚れた子の誕生日に咲いてた花にしたってわけ?』

『ああ、そうだ』

(俺は一生そいつと生きていきたい。いつでもそいつを傍に感じていたい。その思いを込めてこの紅椿を肩先に彫ってもらったんだ)

『ふえぇ……お前がそんなロマンチストだったなんて意外だけどさ。そういや俺ンちの庭にも紅椿が植わってるわ! それによく考えたら俺ン誕生日も二月だぞ?』

 企むように、それでいてはにかむように笑ったその笑顔をどれほど愛しく思ったことだろう。

『ああ、知ってる』

(だから紅椿にしたんだ。この世の誰よりも何よりも……そう、自分の命よりも大事なおめえが生まれた日におめえの家の庭で満開だったという椿の花だ。いつかこの想いを打ち明ける日がくるだろうか。男同士という世間から見れば奇異な想いかも知れねえ。おめえが受け入れてくれるかも分からねえ。だが、例え生涯叶わぬ想いであっても俺の気持ちは死ぬまで変わらねえさ)

 お前だけを想い、お前だけを愛して一生生きていく!
 例えお前から拒絶されようが、二人別々の人生を歩むことになろうがこの想いだけは揺るがねえ。
 俺もお前も男同士だ。お前がいずれ誰かを娶る日がきたとしても――そんな残酷な現実を目の当たりにせざるを得ない時がきたとしても俺の想いは変わらねえ。
 椿の花が首を落として散るように、お前と共に歩めないなら俺は死んだも同然となるだろう。
 だが例え運命が今生で二人を別かつとしても、この想いだけはぜったいに色褪せねえ。この肩に刻まれた椿はお前そのものだ。生涯この肩の上で満開に咲き誇って永久に散ることはねえ。
 俺はこいつを背負って極道の人生を全うする。その誓いを込めた何より大切な紅椿をこの身に刻み込んで俺は生きていく。これが俺の覚悟の証だ。

 脳裏に響くそんな会話が薄れていくのと入れ替わるように現実のざわめきが戻ってきた。



◆82
「なんて見事な彫り物なんだ……」
「ありゃあ本物の刺青かい?」
「まさか!」
「本物のわけがあるかい! あんな若い男だぞ……本物だとすりゃ堅気じゃねえってことかい?」
「馬鹿野郎……今時の若いモンらの流行りだろ? タトゥか何かの貼り物に決まってらぁな」
 逞しい肩に咲く見事なほどの大輪の紅椿の刺青が群衆の目を釘付けにする。それらを後押しするようにレイが今一度煽りの言葉を口にした。
「おいおい、やってくれるじゃねえか青二才が! どこで手に入れて来たか知らんが、そいつぁ貼り物の化粧か何かかい? よくできた代物だが、そんなもんでこの紅椿の気を引こうなんざ小細工もいいところだぁな! ガキが頭を捻ったまでは認めてやらねえでもねえが、その程度の小細工で威嚇しようったってそうは問屋が卸さねえぜ? こいつぁ……花魁紅椿は俺のもんだ。とっとと失せやがれ!」
 鐘崎の肩を思い切り手で押しこくって花魁を抱き締めんとした時だった。
「ふ――ありがとうよ、兄さん。だが渡すわけにゃいかねえ。こいつぁ俺が生涯をかけて愛し抜くと心に決めた唯一無二の宝だからよ」
 今の今まで死んだ魚のように濁っていた瞳がみるみる内に生き生きとした輝きを取り戻していく。

 真一文字だった口角がゆるりと弧を描き、自信のみなぎる笑みが戻ってくる。

 沿道のそこかしこに灯された灯籠の灯が黒曜石のような瞳に反射してキラキラと煌めきを増してゆく。

 その様子を食い入るように見つめていた源次郎や春日野、周や冰ら仲間たちの間にも歓喜の感情があふれ返った。

(若! 思い出されたのですな! おめでとうございます! よく頑張られた……! 若を導かれたレイさんと姐さんもさすがです!)

「……野郎……帰って来やがった。見ろ、あのギラギラとした生きた目だ。紛れもなくヤツはカネだ!」
 感動に声を震わせた周がガッシリと冰の肩を抱き寄せながら目頭を熱くしている。
「鐘崎さん……良かった……! お帰りなさい!」
 冰もまた潤み出した涙をくしゃくしゃの笑顔に滲ませながら歓喜に浸ったのだった。
 それとは反対側の沿道にいた蓉子もまた安堵の思いに胸を撫で下ろすと共に、感極まった胸の内が涙となって色白の頬を濡らしていた。
(良かった……! 思い出せたんだね! よく頑張ったわ。偉いよ、あんた!)
 胸前で手を合わせて感激の思いにあふれ出た涙を拭う。三浦屋の二階からその様子を見守っていた倫周や飛燕、綾乃木らも互いに抱き合いながら興奮の思いに浸ったのだった。
 と、その直後だった。遠くの方からドヤドヤと群衆を掻き分けて来る一団が大声でがなり立てながら近付いて来るのが分かった。見物客らは突き飛ばされて方々から悲鳴が上がる。鐘崎と蓉子がいなくなったことに気付いた敵方が血相を変えて捜しにやって来たのだ。
「いやがったぞ! あそこだ!」
「こんの……傷野郎! てめえ、まだその男花魁に執着していやがったか!」
「しゃらくせえ! 構うこたぁねえ! 全員まとめてぶった斬ってやる!」
 腰に差していた真剣を抜いて一斉に斬りかからんと襲い来る。それに気付いた飛燕が三浦屋の二階から鐘崎と紫月に向かって一振りの日本刀を投げてよこした。
「受け取れ、遼二坊!」



◆83
 まさに敵が斬り掛からんとした時だった。飛燕から投げられた刀の鞘で鐘崎が攻撃を受け止めると同時に紫月がその鞘から刀を抜き取り、居合い抜きの技で敵の羽織紐を斬って飛ばした。先日の時と同様に一瞬何が起こったのか分からないほどの早技である。空高く舞う房のついた紐を見上げながら、誰もが驚き顔で唖然としたように視線で追う。まるでスローモーションのように通りの道端に落ちていく様子を沿道にいた全員が大口を開けて見つめていた。

 ポトリとそれが地面に落ちると共に一気に喧騒が戻ってきた。

「こ……んの野郎ッ! やりやがったな!」
「構うこたぁねえ! 皆殺しだ!」
 束になって襲い掛かってきた敵の刃を三浦屋の二階から飛び降りて来た飛燕と綾乃木が受け止めたと同時にいよいよ真剣での斬り合いが始まった。
 沿道にいた源次郎と春日野、そして冰の護衛に付いていた周は即座に手際よく群衆をそれぞれ近くの茶屋へと押し込んで避難させ、鐘崎らが立ち回りのしやすいように道を開けていく。瞬く間に大通りからは人が消え、残ったのは敵方の男たち数人と鐘崎らが睨み合う形となった。
 そんな中で群衆に押されて逃げ遅れた蓉子がポツリと一人大通りに立ちすくんでいた。
「酔芙蓉! てめえ、やっぱりここにいやがったか! よくも裏切りやがったな!」
 彼女が鐘崎を逃したことを確信した敵方の男が怒号を飛ばす。真剣を手にまさに斬り掛からんとした時だった。ここまでかと思いきり目を瞑った蓉子の前に広い背中が立ちはだかり……向かって来た男を苦もなくその場に沈めてしまった。
「遅くなってすまねえ、蓉子。怪我はねえか?」
「……!? あんた……!」
 不敵に笑うその横顔を見た瞬間に蓉子の瞳は再び潤み出した安堵の涙でいっぱいになっていく。男はもちろんのこと鐘崎の父親の僚一であった。
「ヤツらのアジトの方を制圧するのに手間取ってな。少々遅れたが間に合って良かった」
「あ……あ……、あんたも無事で良かった」
「ああ。息子の奴も記憶を取り戻せたようだな。お前さんのお陰だ。ありがとうよ、蓉子!」
「ううん、ううん! アタシこそ……」
「さあ、ここは危ねえ。そこの茶屋に避難するんだ」
 僚一は蓉子を源次郎らに預けて無事を確保すると、敵と戦うべく通りの中央へと歩み出て身構えた。
 群衆を避難させ終えた源次郎と周も参戦し、しばし大立ち回りが繰り広げられる。真剣での斬り合いには飛燕と綾乃木、それに紫月が鮮やかな剣捌きの峰打ちで次々と敵を沈めていく。それらを援護するように鐘崎親子と源次郎、周が体術で制圧していった。
「退け! 役立たずのクズ共が!」
 突如後方から怒号が上がったのに振り向くと、そこにはいかにも腕に自信のありそうな強面の男たちが数人でこちらへ向かってくるのが分かった。



◆84
「おわ――ッ! ちょ……まだいやがったってか!? 丹羽さんたちが敵のヤサを押さえに行ってくれたんじゃねかったんかよ!?」
 思わず紫月がそう声を上げたのに、僚一が苦笑で答える。
「どうやらこいつらは敵が雇ったっていう傭兵上がりのボディガードといったところか……。ヤサの方には見当たらなかったんで、どこかに隠れていやがるとは思ったがな」
 相手は十人まではいないようだが、見るからに場慣れした精鋭という雰囲気だ。日本刀を携えた者が三人ほどで、残りの者はこの街の常識である着物すら着ておらず、いかにもといった戦闘スタイルである。十中八九、銃も所持していることだろう。
「万が一にもここでぶっ放されたらまずい。飛燕、斬り合いを任せていいか――」
 僚一が訊くと、「もちろんだ!」と言って飛燕はうなずいた。
「じゃあ、そっちは頼んだぜ。俺と源さんが囮になってヤツらを引き受ける。春日野と橘は援護を頼む」
 僚一は銃撃戦になった場合を想定して、ひとまず群衆のいるこの場から離れ、街外れにある敵のアジトの方に向かって彼らに後を追わせる作戦に出るようだ。
「遼二と焔はこのまま紫月の援護に付いてくれ!」
 敵方の剣士は三人である。剣術ができる飛燕と綾乃木、そして紫月が相手をするしかないわけだが、剣士の内の一人は二メートルをゆうに超える大男が混じっている。筋肉も見るからに隆々で、例えて言うならアニメによくある巨大な剣を片手で振り回しそうな巨漢なのだ。日本刀でまともにやり合えるかどうかも分からないような桁違いの大男に対して、飛燕と綾乃木に紫月の三人では心許ない。そんな危惧もあって僚一は息子の遼二と周を加勢に残したわけだ。
「俺たちもなるべく早くカタを付けて戻るつもりだ。頼んだぞ!」
 そう言い残して傭兵集団に向かって行った僚一の後ろ姿を見送りながら、紫月はピクピクと眉根を逆立てていた。
「や、親父ー……! 頼んだぞって……言われても……。つか、もう行っちまったし……! マジで勝てる気がしねえー」
 大男は見るからに強敵で、目の前に立たれるとその影の中にすっぽり埋もれてしまいそうだ。紫月とて長身の部類に入るし、それよりも俄然体格のいい鐘崎や周でさえも子供に見えてしまうほどなのだ。あとの二人は体格的には自分たちと遜色ないが、技には自信があるぞと顔に書いてある。つまりそれなりに腕も達つということだろう。飛燕と綾乃木が斬り合って互角に持ち込めるかどうかといった雰囲気である。
「つーコトは……当然俺ら三人であのデッけえのを相手しなきゃなんねえわけ?」
「そのようだ……」
「しかし――マジでご立派なこった」
 さすがの鐘崎と周も大男を見上げながら頬をヒクつかせて苦笑気味でいる。唖然といった調子で立ち尽くす三人を見下ろしながら、大男は得意気に笑ってみせた。



◆85
「はん! てめえら、そこそこ腕は達つようだがこの俺様には敵うまい。まあいい。久々に手応えのあるヤツらと出会ったわ。こいつぁ楽しませてもらえそうだ」
 大男はそう言うと、いきなり剣を振りかざし、紫月目掛けて斬り掛かってきた。
 カーンッと刃と刃が合わさる音が大通りに響き渡る。受け止めはしたが、さすがに大男の振りかざすだけあって物凄い衝撃だ。
「クソッ! なんちゅう馬鹿力だよ……!」
 紫月が顔をしかめてカタカタと剣を震わせている様子に、
「紫月、任せろ!」
 すかさず鐘崎も一緒に手を添えて二人で懸命に支えるも、わずかでも気をゆるめれば押し切られそうな勢いだ。
「クソッ! 退きやがれこのデカブツが!」
 周が援護せんと大男の背後からその脚に蹴り掛かったがビクともしない。
「おいおい、てめえの脚は鋼鉄かよ……」
 思わず苦笑いと共に冷や汗が浮かんでしまいそうだ。鐘崎と紫月、それに周という精鋭が三人掛かりでも持ち堪えるのがやっとという具合である。
「クソ……ッ、人間技とは思えねえ……気を抜くな紫月!」
「ああ……。つか、マジ馬鹿力……! このオッサン、前世は牛魔王かよ……」
 ガクガクと腕を震わせながら紫月が口走ったが、正直なところ冗談を言っている場合ではない。
 その様子を横目に、もう二人の敵も日本刀を携えていた飛燕と綾乃木相手にニヤりと笑む。その構えを目にした飛燕が、
「ほう? お前さん方も素人じゃなさそうだな」
 これは少々本気で相手をしなければと、グッと両脚を開いて形を決める。睨み合う三組を目にしながら、各茶屋に避難した群衆が固唾を呑んでその行く末に胸を逸らせていた。
 飛燕と綾乃木の二人を相手に次々と早技の応酬を仕掛けてくる剣士たちが斬り合う傍らで、鐘崎らの方でも苦戦を強いられていた。
 刀での立ち回りを紫月に任せて鐘崎と周があらゆる方向から体術を仕掛けていくもビクともしない。さすがにこんな強敵に出会ったのは初めてかも知れなかった。
 このまま斬り合いを続ければこちらの体力を削がれるだけである。敵方が傭兵上がりのプロ集団を抱え込んでいるとは聞いていたものの、正直ここまでデキる相手とは思っていなかった。とにかく相手の身長が大き過ぎて、剣や攻撃の届く範囲が格段に違うのだ。せっかくの凄技も届かなければ意味がない。
「ほーれ、どうしたチビ共!」
 大男は面白がってガツンガツンと間髪入れずに力一杯高い位置から剣を振りかざしてくる。その度に受け止める紫月の刀も悲鳴を上げながらようやくかわしているといった状況だ。
「クソッ……埒があかねえ……」
 紫月は大男の刃を勢いよく振り払うと、鐘崎と周に向かって大声で叫んだ。
「遼! 氷川! 飛天だ! 飛天でカタをつけるぞ!」
 大男から逃げるように後方へ数十歩退くと、紫月は利き手とは逆に剣を構えて思いきり屈んでみせた。



◆86
 『飛天』という言葉を受けて鐘崎と周が同時に瞳を見開く。つまり肩を貸せという意味である。
 それは学生時代に三人で稽古の傍ら、遊び半分で編み出した技の名称だったのだ。一之宮道場で師範の飛燕にも内緒で三人で考えては何度トライしたことだろう。毎度毎度失敗を繰り返しては汗だくになり、三人で地べたに寝転んで笑い転げた日々が懐かしく思い出される。
「飛天って……例のアレか?」
「……一度も成功したことねえぞ、あれ……」
 鐘崎と周が思いきり眉を吊り上げながら互いを見合う。だが、そんなことを言っている場合でもない。この化け物のような大男を倒すには一か八かやってみるしかない。
「いくぞ!」
 紫月が身構えて叫ぶ。考えている暇はない。
「分かった――」
「来い、紫月!」
 紫月が勢いよく走り出すと同時に二人が地面へとしゃがみ込んで肩を差し出した。
「今度こそ成功しろよー……。乾坤一擲! 飛天一閃ーーーッ!」
 猛ダッシュした紫月の素足が周の背中と鐘崎の肩を一歩二歩と順々に踏み台にして空高く舞い上がる。空中で身を捩り一回転しながら刀を利き手に持ち替え渾身の力を込めて振り下ろす。大男は上空から斬り掛かってくる姿を見上げながら余裕の仕草でその刃を受け止めた。
 カーンッと刃と刃が重なり合う音が響いて、やはりか繰り出した技が止められてしまう。
「はん! チビ共が! ガキの飯事がこの俺様に――」
 通用するとでも思ったか――そう言い掛けた瞬間に両の足元を思い切り蹴り飛ばされて、大男はその場で前のめりにつまずいた。上に意識を取られていた隙に鐘崎と周から同時に攻撃を食らったからである。これまでテコでも崩れなかった身体が地面に向かって顔面から倒れ込み、砂埃が舞い上がる。その背中に向かって紫月がとどめの一撃である峰打ちを振り下ろすと、「ぐあぁッ」という鈍い呻きと共に大男が意識を失った。
 その大きな肢体をゼィゼィと息を切らした紫月が大きな瞳をまん丸くして見下ろした。
「……やったか?」
 鐘崎と周も駆け寄って三人で大男を見下ろす。当の彼は大口を開けて白目を剥いたきりピクりともせずに地面の上でノビたままのようだ。
「……おい、マジか?」
「まさか成功したってか……?」
「――そのようだ」
 三人はキョトンとした顔つきで互いを見合うと、次の瞬間肩を抱き合って歓喜の声を上げた。
「うおー!」
 その雄叫びと同時に飛燕と綾乃木の方でも勝負がついたようだ。大通りの至るところにノビてひっくり返った敵の男たちが点在している。それらを固唾を呑んで見守っていた群衆が喜びに湧き、一気に大歓声となって街中に轟いた。



◆87
 同じ頃、敵のアジトの方でも丹羽が引き入れた警察の援護によって制圧が完了していたようだ。それと同時に僚一と源次郎が囮となって引き連れて行った傭兵上がりのボディガードたちも丹羽ら警察や大工に化けて潜入していた鐘崎組の組員らと合流したことにより、一網打尽にすることに成功した。
 大通りの彼方から武装した特殊部隊にお縄にされた悪党たちがゾロゾロと引き連れられ大門へと向かって行った。その先には警察の装甲車が待ち構えているわけだ。武器庫を空にしたことで危惧していた銃撃戦に至ることもなく、爆発や火災を起こさずに一件落着できたことに誰もがホッと胸を撫で下ろす。悪党たちが護送されていく後ろ姿を見送りながら、三浦屋主人の伊三郎をはじめ、周辺茶屋の主人や遊女たちが感無量といった顔つきで胸前で手を組んでは喜びと安堵の涙に暮れていた。
 客たちもまた然りである。長い間闇に閉ざされていたこの世界に光が戻ってきたことをすぐには信じられないといったふうに呆然ながらも、戦いの幕引きを実感してか誰彼ともなく肩を抱き合っては歓喜したのだった。
 それと同時に鐘崎組の若い衆らも続々と三浦屋の前に戻って来た。その一等後ろの方から群衆を掻き分けるように何度も飛び跳ねて遠くを見渡しながら駆け寄ってくる一人の男の姿があった。彼は群衆の中にお目当ての姿を見つけると、歓喜に掠れる声で目一杯その名を叫んでよこした。
「兄さん! 菫兄さーん!」
 まるで迷子になっていた仔犬が飼い主を見つけたかのように必死の形相でクシャクシャに顔を歪めながら駆け寄って来る。男は鐘崎組に入って日の浅い徳永であった。自分の世話係として面倒を見てくれている兄貴分の春日野を心配して、是が非でも大工の任務に加えて欲しいと組幹部の清水に泣きついたとのことだった。
「徳永! お前も来てくれたのか!」
「兄さんもご無事で……ああ、ホントに良かったっす! 俺もう心配で心配で……! 兄さんたちがいなくなっちまった日から生きた心地がしなかったっす!」
 思わずこぼれた涙をグイと袖で拭いながら男泣きをしている。そんな彼の頭をワシャワシャと撫でながら、
「心配掛けたな。すまねえ」
 春日野もまた瞳を細めてみせたのだった。

 かくして永きに及んだ抗争の果て、地下三千世界に平穏な日々が戻ってきた。三浦屋の伊三郎は紫月らに心からの礼を述べると共に、これで彼らともお別れだと思うと寂しい気持ちが過るのか涙が止まらないようであった。
「紅椿、できることならこのままずっとお前さんたちと一緒に店をやっていければと思うが……そうもいかないね。本当に皆さんにはお世話になって……御礼の言葉もございません!」
「ンな辛気臭えツラすんなって! あんたが俺らの親父であることはこれからも変わらねえ。地下だろうが外界だろうが、何処にいたって俺らはずっとあんたの子供さ!」
「紅椿……お前さん」
 伊三郎は人目も気にせずにおいおいと声を立てて嗚咽を繰り返した。



◆88
「なに、これからは俺たちもお客として寄せてもらうとするさ」
 長の僚一がそう言って微笑みながら慰める。
「ありがとうございます。ありがとう……ございます! 本当に……! 私共もこの地下施設が立派な花街であり続けられるよう日々努力を重ねて参る所存でございます!」
「ああ。俺はもちろんのこと、息子ら若いヤツらがまたちょくちょく世話になると思いますが、その際はどうかよろしく頼みますよ、四郎兵衛の親父さん」
 僚一の言葉に深々と頭を垂れながら、伊三郎以下花街の者たちは別れの時を惜しんだのだった。
 そんな中、群衆の後ろの方で背伸びをしながら別れの挨拶を見つめている一人の女の姿を見つけて、僚一はハタと瞳を見開いた。美濃屋の酔芙蓉こと蓉子である。
「蓉子!」
 僚一はすかさず彼女の方へと駆け寄ると、面と向かって彼女の色白で華奢な手を取りながら言った。
「蓉子、お前さんにも本当に世話になった。遼二が記憶を取り戻せたのはお前さんの親身な介抱のお陰だ。心から礼を言う」
「ううん、そんな! アタシたちこそこの街を取り戻してもらって何てお礼を言ったらいいか……。ありがとう僚一さん」
 彼女もまた別れが惜しまれるわけか、その瞳には今にもあふれそうな涙をいっぱいに溜めて微笑む。
「おめえさんはこれからどうするんだ。やはり美濃屋に残るのか?」
 僚一が訊くと蓉子は名残惜しそうにしながらもコクりとうなずいた。
「ええ。美濃屋のお父さんに恩返しできるように精一杯がんばるわ!」
「そうか。街が元の状態に戻ったとはいえあまり無理をするんじゃねえぞ? 身体だけは大切にな」
「ありがとう。あなたも……。あの、それにもし良かったら……」
 たまには美濃屋にも寄ってくれたらうれしいわ――その言葉を呑み込んで笑顔に代えた蓉子を見つめながら、
「たまには酒を楽しみにお前さんの店にも寄せてもらう。その時はよろしく頼む」
 僚一の方からそう言われて、蓉子の瞳いっぱいに溜まっていた涙の雫がこぼれて頬を伝わった。それをクイと指で拭いながら、
「達者でな」
 僚一もまたやわらかに瞳を細めたのだった。そんな二人が向き合うシルエットの向こうには、この地下の街にはあるはずのない太陽の陽射しがキラキラと輝き照らしているような光景が浮かぶようだった。



◆89
 外に出ると幹部の清水が組の若い衆らと共に迎えのワゴン車を従えて待っていた。
「親父さん、若、姐さん! それに皆さんも本当にお疲れ様でございました!」
 腰を九十度に折って組員たちが一斉に出迎える。
「お邸の方ではご帰還の膳をご用意してございます。どうかごゆっくりお疲れを癒されてください」
「ありがとうよ、清水! 留守の間、よく組を守ってくれた。皆を代表して礼を言うぞ」
 紫月らが拉致されてからかれこれひと月になろうとしている。その間ずっと組を守ってくれた清水に長の僚一から厚い労いの言葉が掛けられる。
「勿体のうお言葉でございます。皆様ご無事で何よりです!」
 バカンスで来日していたレイ・ヒイラギと息子の倫周も拉致されてしまったことで、彼らが滞在していたホテルなどの解約もすべてこの清水が執り行ってくれたらしい。
「ヒイラギ様たちにお過ごしいただくお部屋も鐘崎の邸の方でご用意してございます。ごゆっくりお疲れを取っていただけたら幸いです」
 まさに痒いところに手が届く清水の手配ぶりに、レイと倫周も心からの礼を述べたのだった。
 一方、周と冰の方にも側近の劉が筆頭となって手厚い迎えが用意されていた。家令の真田も出向いて来ていて、彼は二人の主人を目にするなり両手放しで喜んでは嬉し涙を真っ白なハンカチで拭いながら出迎えた。そんな一同を讃えるかのように春の夕陽がビルの谷間を縫って眩しいくらいに皆を照らしていた。
「うっはぁ! ひっさびさの太陽だ! つか、今って夕方だったんだな!」
「ホント! 一ヶ月ぶりで空を見ましたねー」
 紫月と冰がとびきりの笑顔で背伸びをしている。それを見守る鐘崎と周もまた日常が戻ってきた安堵に互いの手と手をがっしりと握り合っては瞳を細めたのだった。
「今回は俺の油断から皆には多大な迷惑と心配を掛けちまってすまねえ。その間、紫月を守ってくれた親父さんや綾乃木さん、それに皆んなにも心から礼を言わせて欲しい。この通りだ」
 鐘崎が深く頭を下げると、皆はとんでもないといったように一斉に首を横に振った。
「一番大変だったのはカネ、お前だ。DAなんていう最も危ねえモンを食らわされて……よく復活できたと賛辞を送るぜ。本当によく頑張った」
 ともすれば誰もが鐘崎同様に危険な目に遭っていたかも知れない。決して彼一人の油断というわけではないし、逆に彼一人だけとんでもない目に遭わせてしまったと皆の方が恐縮していた。
 そんな一同を横目に、
「まあでもこうして皆んな無事に元の世界に戻って来れて一安心だよな! けど……この一ヶ月ずっと一緒に生活してたせいか、今日からまた別々の家に帰ると思ったら……ちっと寂しい気もするよなぁ」
 紫月がそんなことを口にすれば、冰以下全員が同様といったふうにうなずいては互いを見合った。
「なに、今夜一晩ゆっくり疲れを取ったらまた明日にでもすぐ会いに行くさ!」
 周が頼もしげにそう言えば、
「おお! だったら明日からまた買い物の続きに繰り出すとするか!」
 レイが張り切り顔をしてみせる。
「ええッ!? レイちゃん、まだ買うのー? っていうか行動力あり過ぎ! 普通ちょっとは休むとか英気を養うとかあるでしょー? 五十過ぎのオジサンとは思えないよー!」
「バカタレ! だれが五十だ! 俺りゃー永遠の二十歳だって常々言ってんだろうがー」
「はいはい、そうでござんしたね! お若い父上を持って僕は幸せでござーますよ!」
 息子の倫周に呆れられて、皆からはドッと笑いが巻き起こった。



◆90
 例えまたすぐに会えると分かってはいても別れが名残惜しい。倫周の言葉ではないが、だがまあとにかくはそれぞれの家へ帰って英気を養わなければならない。鐘崎家と周家へ向かって車が走り出すと、その車中で父親の僚一に話し掛けたのは鐘崎であった。
「――良かったのか?」
 主語も何もなく突如投げ掛けられて、僚一は怪訝そうに首を傾げてみせた。
「何がだ」
「あのまま残して来ちまって良かったのかって訊いてんだ」

 本当は連れて来たかったんじゃないのか?

 言わずとも息子の目がそう語っているのに気付いてか、僚一はふいと不敵に口角を上げてみせた。
「ガキがマセたことを抜かしてんじゃねえ。何を勘違いしてやがるか知らんが、そいつぁ余計な詮索ってモンだぜ?」
「そうかな」
「そうだ」
 二人だけで納得しているようなやり取りに紫月が不思議顔で覗き込む。鐘崎曰く本当は蓉子を連れて帰りたかったのではないかと、そう訊いたわけだ。鐘崎自身も蓉子にはたいそう世話になった。彼女が親身になって介抱してくれたお陰で体力が快復したのは明らかな事実である。先程も別れを名残惜しそうにしていた彼女の様子を遠くから見ていて、もしかすると父の僚一も同じような心持ちでいるのではないかと思ったのだ。
「なぁ親父。今回は俺の油断でえらく世話を掛けちまったから……偉そうなことを言えた身分じゃねえのは分かってるし、まだまだ未熟だってのも充分理解してはいるが……。俺も三十路を迎えたことだし、この先もっともっと精進しようと思ってる。だからもし親父が仕事だけじゃなく他に大切にしてえものがあるってんなら……」

 組のことは俺も今まで以上に責任を持ってやっていくつもりだし、自分の幸せの為の時間を持ってくれてもいいんじゃねえかと思ってる。

 最後まで言葉にはしなかったものの、息子がそう言いたげにしているのは充分に伝わったようだ。要は仕事一筋ばかりじゃなく、組のことは一緒に背負っていくから自分自身の幸せを考えて欲しいと思っているのだろう。例えば心惹かれる相手ができたなら自分たちに遠慮することなく、その想いを大切にしてくれと、息子の視線がそう訴えているのが僚一には痛いほど分かった。
 そんなふうに思いやってくれる迄に成長した彼を誇らしく思う気持ちに代えて僚一はがっしりとその肩に腕を回しては笑った。
「大人になったな遼二。そんなお前を見られて頼もしい限りだが――もしもそういう縁があった時は正直に打ち明けるさ。だが今回のことでは気遣いは無用だ」
「親父……」



◆91
「人にはそれぞれ運命の相手というのがいるもんだ。いっときの感情に流されるのも悪いとは言わねえが、少し時間を置いて冷静になれば本物の想いに気付く場合もある」
「――? 本物の想いって、それじゃあの人には他に大事な相手がいるってわけか?」
「かも知れねえな」
 僚一は自分だけが納得しているように笑うが、鐘崎にとってみればチンプンカンプンである。
「俺には言ってることがさっぱり分からんが……」
「今は分からんでいいのさ。とにかくお前の気持ちだけは有り難く受け取っておく。そんなふうに他人を思いやれる男に育ってくれたことが俺は何より嬉しいからな」
「……ッ、ますますワケ分かんねえ」
「それになぁ、まだまだお前ら若いモンだけじゃ心配で仕方ねえ。俺ももうしばらくは現役でいてえしな!」
 なぁ源さん! というように源次郎に向かってウィンクを飛ばすと、彼もまた「その通りですな!」と言って微笑んだ。
「この源次郎もまだまだあと十年は頑張れそうですぞ!」
「十年か! その頃には遼二も紫月も四十路に突入だ。そんくらいになれば、若い者に任せていよいよ余生を考えてもいいかも知れん」
 豪快に笑う僚一を横目に若い二人はあんぐり顔で互いを見つめてしまった。
「四十って……さすがに想像がつかねえぜ。けど俺らが四十になる頃は親父は六十半ばだぜ? 青春のセの字も残ってねえように思うけど……」
「失礼なことを抜かすな、おいー! 今は人生百歳時代だぞ。第二の青春はそれからでも遅くねえ」
「や、第二っつーか、それもう第四くれえじゃねえか?」
「バカタレ! 年寄りを見くびっちゃいけねえ。仕事はともかく俺は男としては八十くれえまでは現役でいられる自信はあるぞ」
 僚一が鼻を膨らませながら『ウンウン』と納得している様子に、車内はドッと和やかな笑いに包まれる。
「つーか、何の話してんだよ!」
「何のってお前、男の甲斐性の話だろうが」
「何の甲斐性だか……」
 呆れ気味で肩をすくめてみせた鐘崎に、またしても皆から朗らかな笑いが起こる。ポツリポツリと街のあちこちに街灯が灯り始め宵闇に染まる中、一同を乗せた車は懐かしの我が家の門をくぐったのだった。
 その後、レイと倫周を交えて労いの夕食会を済ませると、鐘崎と紫月はひと月ぶりの自室に戻って寝酒を傾けながら寛いでいた。
「あー、やっぱ我が家はいいなぁ」
 ソファの上で気持ち良さそうに伸びをする紫月を見つめながら、鐘崎は愛しげに瞳を細める。すっかり体調も快復して安堵のひと時をしみじみと実感していた。
「なぁ遼。そういやさ、さっきの話! ありゃいったいどういう意味だったんだ? 親父の青春がどうとかって言ってたろ?」
 帰りの車中で鐘崎が父の僚一と話していたことを不思議に思っていた紫月が訊いた。
「ああ、あれはな――」
 鐘崎は今回の件で知り合った美濃屋の蓉子を見ていて感じたことがあったのだと、経緯を話して聞かせた。
「あの女性が後ろ髪を引かれるような顔をしてるように思えたんでな。もしかしたら親父の方も似たような思いでいるんじゃねえかと――ふとそんなふうに感じたわけだが」
「……!? ってことは……二人はイイ仲になったんじゃねえかってことか?」
 さすがに驚き顔で紫月が目を丸くしている。



◆92
「何となくそう感じただけだ。まあ、俺は女心ってのはいまいちよく分かってねえところがあるからな……。ただの勘違いかも知れねえが――」
「そういや親父も運命がどうとか言ってたもんな。つまりあの蓉子さんって女性には他にそういった相手がいるってことなのか?」
「さあ、俺もそこまでは分からんが、もしかしたら俺たちの知らねえところで親父は何か気付いたことがあったのかも知れん。いっときの感情がどうとかも言ってたから、あの女性が親父に対する何らかの好意を抱いているのは少なからず嘘じゃねえとは思うが」
「そっか……。まあお前がそう感じたんなら当たらずとも遠からじってこともあるのかもな。まあ相手が誰にしろ、親父に大事な人ができたんなら幸せになって欲しいと思うよ。そん時はきっと親父の方から俺らにも打ち明けてくれるんじゃねえかな」
 そんなふうに言ってくれる紫月の気持ちが素直に嬉しかった。
「そうだな。まあ他人の恋路なんてのは周りがどうこう言わずとも縁がある時はなるようになるだろうしな。それよりまずは自分がしっかりしなきゃいけねえわ」
 今回は皆に多大な心配をかけてしまったことだしと、鐘崎はえらく反省している様子であった。
「それを言うなら俺だって一緒さ。たまたま今回は睡眠薬だけで免れたが、ヘタすりゃ俺だってお前と同じ薬を盛られてたかもだしな。氷川や源さんたちも同じこと言ってたし」
 鐘崎のみならず誰がどんな薬を盛られても防ぎようがなかったのは確かである。というよりもそういったことを想定して警戒できなかったことをまずは全員で反省すべきだと、皆の思いはほぼ一緒だったようだ。
「まあでも誰一人欠けずに無事に帰還できてやれやれだな」
 笑いながらそう言って深くソファにもたれ伸びをする紫月を見つめながら、鐘崎はフイと瞳を細めた。
 そっと手を伸ばして愛しい頬に触れる。
「久しぶりだな。もう何年もおめえに触れていなかったような気がする……」
「何年もって、たった十日くれえだろ? 相変わらず大袈裟なんだからよぉ」
 紫月はクスクスと楽しそうに笑う。だが鐘崎は存外真剣なようだ。
「確かにな。実際はそのくれえだったわけだが、俺は記憶が途切れちまってたからな。えらく長え間に思えてな」
「そっか。まあそうだよな。そういやちょっと前には冰君も記憶喪失になっちまったことがあったじゃん。自分がどこの誰かも分からなくなっちまうって、ハタで見るより本人は辛えだろうからな。けどよく思い出してくれたよ、ホント!」
「お前のお陰だ。レイさんや他の皆んなにも心配を掛けてすまねえと思っている」
「いや、俺なんか役に立てたんだかどうかってところだけどさ。レイさんとも相談して、どうすりゃお前の気持ちを揺さぶれるかってさ」
「レイさんが何度も覚悟を見せてみろって言ってくれたろ? それにお前が源氏名にしてくれた”紅椿”だ。その二つがキーワードになって思い出すことができたわけだが――。俺が感動したのはお前があの頃の――俺が刺青を入れた頃のことを覚えていてくれたってことだ」
 鐘崎にしてみればもう十年も前の、それこそ紫月に対する想いさえ打ち明けられずにいた頃の話だ。一生この片想いを一人胸の内にあたためて生きていくんだと思っていた。そんな当時の自分が言ったひと言ひと言を紫月が覚えていてくれたとは思ってもみなかった為、感激もひとしおだったのだ。



◆93
「あの頃はまさかお前が想いを受け入れてくれるとは思っていなかったからな。それでもいいと、例え叶わぬ片想いでも俺の気持ちは生涯変わらねえと、そんな覚悟でいた頃だ。だがあの日俺が言ったことをお前は今でも覚えていてくれた。一字一句違わずというくらい正確に――。それを知っただけで言いようのねえくれえ満たされた。だから思い出せたんだ」
 ありがとうな――というように瞳を細めた鐘崎の視線が色香を漂わせている。互いに想いを打ち明けあってからというもの、十日も触れ合わずにいたことなどそういえばなかっただろうか。言葉にせずとももう我慢の限界だと、早く抱きたくて仕方がないと彼の全身からその意がひしひしと伝わってくる。雄の色香を讃えた瞳に見つめられるだけで背筋にゾワゾワと欲情が這い上がってくるようだ。まるで初めてキスをする少年のように紫月もまたドキドキと鼓動を高鳴らせ、頬を染めた。
「んと……その、まあ久しぶりっちゃ久しぶり……だよな?」
「ああ。一日千秋の思いでいたからな」
 クイと顎先を持ち上げ、欲情ダダ漏れの瞳が視界に入りきらない位置まで迫って揺れる。
「遼、ベッド……」
「後でな」
 ベッドまで歩くのさえ待てない男は既に野生の猛獣そのものだ。場所なんかどうでもいい。すぐにも欲しくて仕方がないと、言葉にせずとも抱き寄せられた下肢にぴったりと張り付いた彼の硬く雄々しい熱がそう語っている。
「……ッ、遼……! 相っ変わらず獰猛……」
「ああ。お前を感じていねえと俺は生きた屍も同然だからな」
 だから早く触れたい。繋がりたい。そんな強引さにも欲情を煽られてならなかった。
 いつのまにか引き摺り下ろされた下着ごとギュッと尻を鷲掴まれて、紫月は思わず熱い吐息と共に嬌声を上げた。グリグリと雄と雄とを擦り付けられる腰の動きが更なる高みへと押し上げる。
「りょ……ッ、遼……!」
「ここにいる」
「あ……うん、分かっ……」
「好きだ。紫月……! もう二度と離れなくていいように、生涯ずっとこのまま繋がったままでいてえくれえだ……」
「あ……ああ、俺……も」
 余すところなく唇から首筋、鎖骨、胸飾り、脇腹、腰と激しい愛撫に攻め立てられて、既に昇天させられてしまいそうな勢いだ。
「な、遼……俺、俺さ」
「ん? どうした」
「俺、お前ンそゆトコ……好きだ」
「……?」
「そゆ……むっちゃめちゃくちゃなトコ……つか、獰猛なところ……ッあ!」
 要は余裕のなく激しく求められるこういった瞬間が堪らないと言いたいのだ。
「お前が……俺ンこと……すっげ好きでいてくれてんだなって実感できっか……ら」
「ああ。好きだぜ。すっげえなんてもんじゃねえ。気が違うほどお前が好きだ。欲しくて欲しくて堪らねえ。俺はいつでもそうだ」
「遼……」
「忘れてくれるなよ」
「あ、うん……! うん……!」

 戻ってきた――。
 危険な薬を盛られるというとんでもない目に遭い、記憶を失くして、もしかしたら互いに対する想いさえ忘れてしまったかも知れないと思っていた。だが、例えそうであってもこの想いは変わらない。若き日に彼がそう覚悟を決めてくれたように今度は自分が生涯変わらず彼だけを愛していくんだと決めていた。例え彼が自分を忘れても、二度と思い出せずに挙句はまったく別の誰かに心を寄せたとしても、この想いは墓の中まで持っていく。そう決めていた。

「遼、遼二……戻ってきてくれて……ありがとうな。俺、俺ももう二度とお前を離さねえわ……」

 そう、何があっても絶対に――。
 俺の身体は、心は、魂までもすべてお前だけのもんだ……!

 激しい愛撫を押しきるくらいに強く自らしがみつき、逞しい肩先に咲いた見事な紅椿の証ごと両の腕で抱き締める。
「紫月……?」
「好きだぜ、遼。お前ンこと……」

 大好きだ!

「ああ。ああ、俺もだ。二度と離さねえし、離れねえ……!」
 そのまま空が白むまで二人は激しく甘く、ドロドロになるまで互いを慈しみ貪り合ったのだった。



◇    ◇    ◇






◆94
 次の日、午後になると周と冰が家令の真田と共に鐘崎邸にやって来た。李と劉は社長不在の社でたまった仕事に精を出しているそうだ。
「警視庁の丹羽から連絡をもらってな。俺のところに寄った後にカネの家にも行くと言うから、それなら俺がここに出向けば一度で事足りると思ってな」
 どうやら丹羽の方では今回の件で助力してもらった礼方々、依頼料や経費の支払いが目的であるらしい。
「焔のところにも早速連絡がいったというわけだな? 修司の坊主ときたらもっと落ち着いてからでいいと言ったんだが、こういうことは早くすべきだと言って聞きやしねえ」
 長の僚一が苦笑しつつもその律儀さに敬服している。極道の世界でも世話になった礼の挨拶回りなど義理を通すのは一秒でも早い方がいいというのは鉄則だが、報酬などの手続きも含めて丹羽の方でもそのあたりは非常にきっちりとしているようだ。
 その丹羽がやって来るまでまだ少し時間があった為、一同は鐘崎邸の中庭で午後のティータイムを楽しむこととなった。一之宮道場からも紫月の父親の飛燕と綾乃木が呼ばれてやって来たので、半日ぶりにまた全員が顔を揃えたといったところだ。
「皆様、お疲れ様でございます。本日の茶菓子は我が鐘崎組厨房特製の苺のショートケーキでございます」
 幹部の清水と橘が揃ってワゴンを引いて来たのを見て、甘党の紫月は大興奮だ。
「うっは! 苺ショート! 超久々にありつけるぜ!」
 そういえば地下世界へ行ってからというもの、ゆっくり三時のお茶をすることなどなかったわけだ。三浦屋の伊三郎が食事の他にも茶菓子を振る舞ってくれたこともあったが、饅頭や煎餅という和菓子だったし、ケーキはまさに拉致されて以来である。
「な、な、清水! 苺ショートってことは、当然忠さん作だべ?」
「おっしゃる通りです。厨房の忠吾さんが朝から腕にヨリをかけてこしらえておりましたよ! 今日は料理長の忠吉殿も珍しく忠吾さんを手伝っていらっしゃいました」
「マジ? さすが忠さん親子! 超美味そうじゃん!」
 忠さんというのは鐘崎家に古くから仕えてくれている料理人で、歳は源次郎と同じくくらいのベテランだ。名を忠吉といい、組のおさんどんを一手に仕切ってくれている腕のいい職人なのだ。その息子である忠吾も修業と同時に組に入ってくれて、父親同様に厨房を預かってくれている頼もしい男だ。ケーキなどのデザートは普段はその忠吾が担当してくれている。今日は皆を労う気持ちを込めてということで、親子揃ってケーキを焼いてくれたとのことだった。
 余談だが、昨年末のクリスマスの時に紫月と冰が亭主たちの為にと手作りケーキにトライした時も、この忠さん親子には大層世話になったものだ。
「わ! マジ感謝! 忠さんのケーキは最高に美味いんだ! 早速皆んなでいただこうぜー!」
 紫月がフォークと皿を配りながら満面の笑みでいる。



◆95
「本日のお茶はマリアージュ・フレールの季節限定さくら茶をお淹れしました。苺ショートにも合うと思いますよ」
 清水が気を効かせて昨日皆を迎えに出た時に調達してきたそうだ。
「わっはぁー! 剛ちゃんサンキュなぁ!」
 姐さんの紫月に大喜びされて清水も嬉しそうだ。『剛ちゃん』と、こうして下の名前でフランクに呼んでもらえることも清水にとっては光栄なことだった。
「姐さんにそう言っていただけると皆様がご無事でご帰還された実感が湧きます。やはりこうしてお顔を拝見できる日常が何よりと心に沁みますね」
 そんなふうに言いながら淹れたての茶を次々と注いでくれる。皆はしばし豪華なティータイムを満喫したのだった。そんな中で昨日の敵との戦いが見事だったという話が持ち上がり、冰などは本当に凄かったですと感動の様子で目を輝かせていた。
「紫月さんたちの剣術がホント凄すぎて、映画かアニメの主人公のようでしたよー!」
 真剣での生の斬り合いなどそれこそ映画かドラマの中でしか見たことがないだけに、より衝撃的というか感動的だったようだ。
「そういや俺らの飛天! 一度も成功したことなかった割には、昨日は上手くいったってのが奇跡だよなぁ」
 紫月が暢気な感心顔でケーキを頬張っている。鐘崎と周も同じ思いのようだ。
「確かにな。高坊の頃は何度やっても上手くタイミングが合わなくて苦労した記憶しかねえわな」
「ああ。だから昨日一之宮があんなに高く飛び上がったのを見て驚いたんだ。以前は高さが足りねえっつって失敗のし通しだったのにな」
 しかも十数年ぶりにトライしたにしては一発でタイミングが合ったことに驚きを隠せない。不思議顔の三人を横目に、僚一と飛燕がその理由を教えるべく話に割って入った。
「あの頃おめえらが編み出そうとしてた技は実戦用だったからな」
「実戦用?」
 飛燕の説明に紫月がポカンと口を開けて首を傾げる。その先は僚一が続けた。
「まあ自覚のねえままに考えた技なんだろうが、あれは命が懸かった真剣勝負を目の前にした時に初めて本量を発揮できるタイプの技だったからな。当時お前たちが何度やっても成功しなかったのは、それが練習だという思いがあったからさ」
「おめえらが考えてたあの技はな、紫月が猛ダッシュして焔と遼二坊の肩を踏み台にする瞬間が要になるんだ。あの頃は紫月が二人の肩を踏み切る時に遠慮が生まれていた。頭のどこかで二人に申し訳ねえという思いがあって体重を消すタイミングがほんの一瞬ずれていたんだ。そうするってーと、踏み込む瞬間の脚力のバネが生かしきれずに飛び上がっても高さがでねえ――とまあ、そんな具合だったのさ」
「だが昨日は命が懸かった実戦だ。踏み台にする二人に遠慮する気持ちよりも敵を倒すことに意識が働いて、本来の技の力が存分に発揮されたというわけだ」
 僚一と飛燕から交互交互にそう言われて、三人は目から鱗が落ちたかのように唖然としながら互いを見合ってしまった。



◆96
「ほええ……そうだったのか」
「そう言われてみれば確かに昨日は一之宮が踏み切った瞬間に殆ど感触を感じなかった気がするな」
「ああ。えらく軽い印象だった」
 もっと重みと衝撃がくると踏んで覚悟していたものの、殆ど感覚がないくらいだったと言う。それこそ実戦の緊張下だったからこそそう感じただけかと思っていたと周も鐘崎もうなずき合っている。重みを感じなかったのは紫月が体重を消すタイミングがピタリと合っていたという証拠だ。
「……っつーかさ、何で親父たちは俺らのあの技を知ってんだ?」
 当時、練習していたことは飛燕にも内緒でやっていたつもりだ。むろんのこと僚一が知る由もなかったろうにと三人は不思議顔だ。
「いやぁ、実はこっそり僚一と二人でおめえらが稽古してんのを見てたわけだ」
「俺たちは何で成功しねえのか、その理由は分かっちゃいたがな。お前さんたちが一生懸命真剣にやってる姿が可愛くてなぁ」
「いつも二人でおめえらの稽古を覗き見ちゃ楽しんでいたもんだ」
 父親たちの言葉に紫月らは「はぁ!?」と眉間に皺を寄せてしまった。
「まさか知ってたってかー?」
 だったらアドバイスをくれても良かったのにと紫月が頬を膨らませている。
「だがあれは他人に言われたからといって成功するもんでもねえさ。仮に俺たちがアドバイスしたとしても実戦の極限下にならねえとまず上手くはいかなかったろうからな」
「そうかも知れねえけどさぁ」
「俺たちはお前ら三人がそんな技を編み出そうとしていること自体に感動してな。さすがにカエルの子はカエルだと誇らしく思ったもんだ」
 こんなふうに言われれば何ともむず痒いというか嬉しくなってしまう。紫月は照れ隠しの為か、ますますプウと唇を尖らせながらも、それとは裏腹に視線を泳がせながら頬を染めてみせた。
「カエルっつか……親父の場合は虎って感じだけどねー」
「言えてる! カエルなんて可愛いイメージじゃねえな」
「まあ虎ってのはてめえのガキを穴に突き落として酸いも甘いも体験させるスパルタ種族という喩えもあるしな。そういった意味では僚一と飛燕の考えそうなこった」
 鐘崎と周も参戦して父親たちをジトーっと見やる。周などはもはや『親父さんたち』ではなく名前のままで呼び捨てだ。そんな様子に全員同時に噴き出してしまい、鐘崎邸の中庭は大きな笑い声で包まれたのだった。
 ちょうどそんな時に警視庁の丹羽がやって来て、
「何だ、えらく盛り上がってるじゃねえか」
 キョトンと不思議顔で首をかしげた仕草にまた笑いをそそられて、楽しい午後の茶会はますます盛り上がったのだった。
「此度は皆ご苦労だった。お陰で俺たち警察が長い間追っていた無法者たちを逮捕することができた。心から礼を言う」
 丁寧に頭を下げた丹羽の話では、元々あの地下花街を乗っ取った無法者の他にも、彼らが雇い入れた大物のテロリストたちもお縄にすることができて大団円だということだった。



◆97
「奴らが雇ったボディガードの中には国際的にも名が知られている大物が混じっていてな。禁止薬物を所持していただけじゃなく、実際に使ったこともあって相当重い刑が課せられるだろう。当分はムショから出て来れんな。そんな大物を我が国でふんじばれたことで警視庁は蜂の巣を突いたような騒ぎに歓喜している。大手柄だと報奨まで出るそうだぜ」
「そいつは良かったじゃねえか。するってーと、修司坊も昇進か?」
 僚一がニッと笑むとすかさず皆からも拍手が湧き起こった。
「いや、俺は今の部署でやり残したことが山積みなんでな。まだまだこのままいさせてもらう所存だ」
 とはいえ丹羽の若さで現在の捜査一課長という地位だけでもえらく出世頭なのは確かだ。彼にとっては昇進や地位がどうというよりも自分に与えられた責任を全うしたいのだろう覚悟が窺えた。
「そういえば例の花街だが、乗っ取り犯たちが巻き上げていた上納金がそっくり敵の金庫から見つかってな。まあ全額とまではいかねえだろうが、ほぼほぼ納得の形で各茶屋に返金できそうだ。敵も貯め込むだけは貯め込んでいたようだが、あの地下世界じゃそうは使い切れずにいたらしいな」
 丹羽の言葉に一同は瞳を輝かせた。中でも一番に身を乗り出したのは紫月である。
「ってことは、三浦屋の親父さんたちにも金が戻ってくるってことか?」
「ああ。きちんと返金できるようこれまで巻き上げられた額などを細かく調査するつもりだ。少し時間は掛かるだろうが、俺たちが責任を持ってやり遂げる」
「そっかぁ、良かった! これで伊三郎の親父たちも無理なく店を立て直せるな!」
 まるで我が事のように喜ぶ紫月に、皆も安堵と喜びを分かち合うのだった。
「その伊三郎氏だが、お前さん方が鐘崎組だと知ってえらく驚いていたぞ。いつかは鐘崎組に助力を申し出るつもりでいたそうだが、それ以前にお前さん方を拉致して強制的に働かせたことを悔いていてな。とんでもねえことをしちまったと驚愕していた」
 そういえば美濃屋の蓉子も街を上げていつかは鐘崎組に助力を願い出たいという話が持ち上がっていたと言っていたのを思い出す。
「ま、でも結果的には万々歳だったんだし、これで良かったんじゃね? 伊三郎の親父っさんたちが俺らを拉致ったのも何かの縁だったってことだよ」
 呆気らかんと笑う紫月に、
「なんてったって俺たちは伊三郎さんの子供ですもんね!」
 冰も嬉しそうにうなずいた。
「少し落ち着いたら皆んなで伊三郎の親父さんに会いに行くか」
「そうだな。今度はちゃんと客としてな」
 鐘崎と周がそんなふうに言ってくれるのが紫月も冰も嬉しかったようだ。
 その後、丹羽から今回の助力に対する報酬の手続きなどの説明を受けて、茶会はお開きとなった。周と冰は夕飯を待たずに帰るようである。鐘崎らはせっかくだから一緒に食べていけばいいのにと誘ったのだが、ひと月も社を留守にしてしまったので本来の業務が山積みなのだそうだ。
「またゆっくり寄らしてもらう」
 冰の肩を大事そうに抱きながら帰っていく周を皆で見送った。



◆98
「うーん、やっぱ毎日一緒にいたからなぁ。ああやって自分ちに帰っちまうのを見てるとちっと寂しい気がすんなぁ」
 門を出て行く車を目で追いながら紫月がそんなことを口走る。
「だったらアレだ。将来は皆んなで住める共同住宅でも造るか!」
 僚一が壮大な計画を口にすれば、皆は半ば呆れつつも興味津々で瞳を輝かせた。
「共同住宅って親父なぁ。けどまあ、それもアリか。でっけえマンションが必要になりそうだが」
 息子の鐘崎が笑っている。
「いんや! 御殿だ。痒いところに手が届くでっけえ御殿を建ててやろうじゃねえか!」
 将来の新たな夢ができたとばかりに僚一は案外真剣に大乗り気でいる。今現在でも相当に広い事務所と言えるが、僚一の構想は果てしないようだ。
「うわぁ! いいなぁ。僕らも是非混ぜていただきたいですよー! ねえレイちゃん?」
 倫周が羨ましそうに言えば、レイも「当然だ!」と言って不敵に笑う。
「俺らは事務所と通信機器さえあればいい。あー、だが衣装部屋も必要だな。それに移動用に衣装箱を乗せられるでっけえ車もいるわな! そうそう、それからファッションショー用のウォーキングの為のレッスン場も必須っちゃ必須だ」
 最初の話からどんどん要求が増えていくレイに、息子の倫周はまたまた眉を吊り上げる。
「もう! レイちゃんったらホントどこまで図々しいのよー! そんな我が侭ばっかり言ってると仲間になんか入れてもらえなくなるんだからねー」
 相も変わらずポンポンと遠慮のない言い合いを繰り出すヒイラギ親子に皆で笑いを誘われる。当のレイは息子の小言など右から左といった調子でワクワク顔でいる。
「頼むぞ僚一! 期待してっからなー! もちろん資金面では俺もガッツリ協力させてもらうぜ!」
 ガッシリと僚一の肩を抱いたレイに、僚一もまたガッツポーズで応えてみせた。
「おお、そいつは頼もしいな! うちの組事務所に飛燕の道場、レイのモデル事務所と衣装部屋に全面鏡貼りのレッスン場だって造ってやらぁな! それに焔のところの業務もできる設備が必要だな。あそこは商社だからそれこそでっけえ倉庫が必要だろう。あとは娯楽施設に医療設備は必須だろ? 老後も踏まえて他にも必要なモンがたくさんあるだろうしな。それに皆の住居だ! こいつぁ計画のし甲斐があるぞー」
 すっかり本気で夢を描き始めた僚一に、鐘崎と紫月以下皆は半ば呆れつつも、本当に現実となったら――と考えるだけでも楽しいわけか、ワクワクと表情を輝かせた。
「すっげ壮大な計画じゃん! けど実現したらそりゃーいいだろうなぁ! つーかさ、それこそ伊三郎の親父ンとこみてえに街が必要になりそうじゃん」
「確かにな。だがまあ皆で一つ所に固まっていりゃ、仕事もはかどりそうだな」
 息子夫婦にも期待顔をされて、僚一は頼もしげに腕まくりをし、力拳を披露してみせた。
「もちろん夢ってのは実現させる為にあるんだからな。よし! 次の目標は共同一大御殿、いや街の建設だ。この際、城壁で囲んで本当の街にしちまうのもいいか」
「おいおい……だんだん現実離れしてきやがったぜ」
「いーや、俺はできねえ夢は描かねえぞー。なんせ人生百歳時代だからな! まだまだ半分も残ってんだ! やってやれねえことはねえ」
 大きな伸びをしながら意気込みを見せる組の長・僚一を囲みながら、和やかな笑顔に包まれた春の宵が更けていく。東の空を見れば上がったばかりの大きな朧月が春霞の中、それは見事な輝きを放っていた。
 突然の拉致から始まった騒動だったが、一風変わった江戸吉原の世界も味わえた上に無法者たちによって占拠された街の解放まで成し遂げることができた。それもこれもいつも一緒にいるこの面々たちとの絆と信頼があってこそだ。苦難もあったが互いを思い合う気持ちで乗り切って、結果は大団円といえよう。
 新たな夢に向かってより一層団結する一同を春宵が包み込む、そんな賑やかで幸せな時間がゆっくりと過ぎていったのだった。

三千世界に極道の華 - FIN -



Guys 9love

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