極道恋事情

21 孤高のマフィア5



◆81
 その後、医師の鄧がすぐさま真田の手当てに取り掛かったが、幸いなことに傷は浅く大事には至らなかったことにホッと胸を撫で下ろす。冰は鄧による処置の間もずっと真田の側に寄り添うにして、その背をさすっていた。
「真田さん、本当にすみません! 怖い目に遭わせてしまって……」
 心底心配そうに覗き込んでくる冰に、真田は全く問題ないと言って誇らしげに胸を張ってみせた。
「大丈夫ですぞ! この真田、だてに坊っちゃまのお側にお仕えしている訳ではございません! これしきのこと、なんともありませんぞ!」
 一生懸命元気な姿を見せようと笑顔で応えてくれる様子に、本物の肉親のような愛情を沸々と感じる。冰はそんな真田と毎日一緒に過ごせることの幸せをしみじみと噛み締めるのだった。
 そしてそれは真田も同様で、何よりも冰が自分を父親も同然と言ってくれたことが本当に嬉しくてならなかったと瞳を潤ませた。冰もまた然りだ。真田が坊っちゃまと冰さんの為ならば命など惜しくないと、必死に逃してくれようとしたことに涙のにじむ思いだったと言って二人は手を取り合った。まさに在りし日の黄老人と過ごした日々のように、出会って二年余り、冰と真田は本物の家族のように互いを大切に思う間柄になっていたのであった。
「あれ……? そういえば白龍たちは?」
 周りを見渡せど周の姿がないことに気付く。そういえば父の隼と兄の風も見当たらない。キョロキョロと辺りを見渡している様子に紫月が『あっちだ!』と木陰を指しながら苦笑してみせた。
「ご亭主は只今制裁中だ」
 むろんのこと香山に対してである。
「制裁って……」
 まさか殺しちゃったりしないですよねと心配そうに眉をひそめる冰に、紫月はおどけるように笑ってみせた。
「心配はいらねえ。氷川が手を掛けるような価値なんぞこれっぽっちもねえヤツだからな」
 ただ、拉致を始めこれだけのことをしてのけた相手である。ファミリーにはファミリーなりのやり方で落とし前をつけなければならないこともあるのだと言って、紫月は冰をなだめた。冰もまたそこのところは理解しているのだろう。ホッとしたように肩を撫で下ろすと、切なげにうなずいたのだった。
 そうこうしている内に丹羽がよこしたという所轄の警官たちが到着した。ちょうど鄧が真田の手当ての為に医療具を広げていたので、それを目にするなり警官たちは蒼白となって駆け寄って来た。
「大丈夫ですか!? お怪我を負われたのですか!?」
「犯人は……」
 慌てる彼らに対しては医師の鄧が応対を買って出る。



◆82
「ご覧の通りです。犯人はこの方に刃物を突き付けて怪我を負わせました。幸い我々の方もある程度人数がいたので、すぐに助けに入ることができて大事には至りませんでしたが、一歩間違えば命にかかわるところでしたよ。この程度の怪我で済んだのは奇跡としか言いようがありませんね」
 穏やかではあるが厳しい言葉といえる。警官たちは焦燥感いっぱいの表情ながらも、真田の容態と犯人のことを訊いてよこした。
「それで……犯人は……」
「救急車はお呼びになられましたか?」
 そう訊きながらも、鄧が着物の上から白衣を纏っていたので医者であることは分かったようだ。
「この場での処置は済みましたので救急車は必要ありません。あとは私の病院に戻ってから適切に治療致します。犯人のこともご心配なく。我々で捕えております」
 言葉じりは至って丁寧ではあるが、警官たちにとっては痛い言葉といえる。
「とにかく経緯をご説明しましょう」
 鄧は彼らを現場へと誘うと、周らが香山と対峙する時間を稼いだのだった。

 一方、周らの方では人目を避けた木立ちの陰へと香山を連れていき、これまでの落とし前の最中であった。険しい表情の男たちに囲まれて香山はガタガタと身を震わせている。
「ひ、氷川さん……ゆ、許してください……! 俺は決してあのじいさんを傷付けるつもりなんかなくて……本当にたまたま刃が当たってしまっただけで……」
 周はもとより隼も風も取り立てて声を荒げるわけでもなければ脅しの言葉を発したわけでもない。だが、ただ囲まれているだけで言いようのない恐怖が湧き上がるというか、怖くて視線も合わせられないほどなのである。先程小馬鹿にされた時とはまるで雰囲気が違う様子にも戸惑いを隠せない。発するオーラがビリビリとした気迫に満ちていて、縮み上がらずにはいられないといったところなのだ。
「あの……氷川さん……? この人たちはいったい……」
 耐え切れずに香山が周にすがるような表情で問い掛ける。それに答えたのは父の隼だった。
「名乗る必要はねえ。世の中には知らない方が幸せなこともあるのだということを覚えておけ」
 冷ややかに言われたと同時に後方から風に襟首を掴み上げられて、前方からは周の重い拳が鳩尾に見舞われる。
「……ぅぐぁ……!」
 前のめりになって草むらに崩れ落ちる間もなく今度は勢いよく蹴り上げられて、香山の身体は数メートルほどすっ飛んだ。



◆83
「ひ……ッえああああ……た、助けてください……! 誰かー……誰か……!」
 必死に叫ぶも、あまりの恐怖で声になっていない。慕っていたはずの男に信じられないような仕打ちを食らって、香山の中で恐怖とも恨みともつかないような複雑な感情が渦巻いていくようだった。
「し、信じられない……あなたがこ、こんなことするなんて……! け、警察に言いますよ……!」
「警察だ? どの口が言う。今頃はてめえを追ってその警察が血眼になって捜してやがるのを忘れたか!」
「ひ、ヒィーーー……! し、知らない! 俺は何もしてない……! あんたたちこそ……こんなことして逮捕されるぞッ……!」
「逮捕だ? そんなわけあるめえ。この日本には正当防衛ってのがあるのを知らねえほどバカなのか、てめえは」
「せ、正当防衛……」
 その言葉で本当に殺されてしまうのではという恐怖が全身を震わせる。目の前の男はもはや香山が知っている憧れの社長ではない。まるで別人のような圧を伴った怖い男にしか映らなくなっていたのだ。
「てめえは真田を羽交い締めにして怪我を負わせた。その前は冰を拉致し、異国へ売り飛ばす企てに加担した。何よりその獲物だ。てめえが刃物を振り回しているところは俺の仲間が証拠として動画で残している。言い逃れはできねえぞ」
「そ、そんな……! 知らない! 俺は何も知ら……」
 言い終わる前にもう一撃を食らって、香山はその場で崩れ落ちた。もう言葉を発することさえままならないようだ。
「そのくらいでいいだろう。後はこの国の司法に任せるとする」
 隼は息子の肩に手をやって止めると、無惨にも地面の上でのびている男に向かってもうひと言を付け加えた。
「お前は俺の大事な者たちに手を出した。本来ならばこんなもので許す筋合いもねえがな。次に俺たちの前にツラを見せることがあれば、その時は本当に最期だ。よく肝に銘じておけ!」
 香山には既に何を言われているのかも分からなかったようだが、本能で命の危険に繋がることだけは感じたようだ。
 その後、周らに引き摺られて香山は駆け付けた警官たちに引き渡された。パトカーへと連れ込まれようとしていたちょうどその時に警視庁の丹羽も到着したが、香山が生きて動いている姿を確認してホッと肩を落とした。丹羽にしてみれば周らが彼を許し置くはずがないことを重々承知していたし、その気になれば跡形も残らない始末の仕方を心得ている連中だと知っているからだ。
「周……すまなかった……。まったくもって我々の不手際だ。この通りだ――!」
 丹羽は周らに向かって丁重に頭を下げつつも、言葉にこそしなかったが、よく踏みとどまってくれたと言わんばかりに目を伏せて詫びの気持ちに代えたのだった。



◆84
 その後、周は香山が真田を人質に冰を脅している現場の証拠動画を提出した。駆け付けた際、迅速に僚一らが録画していたものだ。また、紫月の方でも香山が現れたと同時に、すぐに自らのスマートフォンの録音ボタンを作動させてくれていたので、最初から最後までの確たる証拠として残すことができたのだ。香山にとって不運だったのは、冰らを襲った時に周をはじめ隼や僚一などプロ中のプロが近くにいたということである。こうしてかねてからの拉致事件と花見に水をさした傷害事件は、ようやく幕引きとなったのだった。



◇    ◇    ◇



 それから一週間が経ち、香港の両親たちも帰国していった周邸にはいつも通りの穏やかな日常が戻ってきていた。真田の怪我もほぼ快復し、これまで以上にはつらつとしてお邸の管理に精を出してくれている。彼にとっては冰が父親同然だと言ってくれたことが格別に嬉しかったようで、より一層主人たちに仕えることが生き甲斐となったようであった。
 そんな中、週末を迎えた周と冰は、いつものように鐘崎邸へと遊びに訪れていた。拉致と花見の時に様々世話になった礼方々の訪問でもある。
 たわいのない雑談に花を咲かせる中で冰がふと珍しいことを口にした。
「やっぱり俺も紫月さんたちみたいに強くなりたいなぁ……」
「いきなりどうした」
 周はもちろんのこと、紫月らも不思議そうに首を傾げる。
「うん、なんていうか……こないだみたいなことがあった場合にさ。ちょっとは応戦できる技っていうか、護身術みたいなの? 俺は腕っ節は弱いし喧嘩みたいな状況になってもどうしていいか分からなくて。男として情けないっていうのもあるけど、もしもっていう時に何もできないんじゃ困るなぁと思ってさ」
 香港にいた頃は黄老人に武術の稽古にも通わせられたことがあったが、まったくといっていいほど身に付かなかったのだと言ってしょげている。
「そりゃまあ、冰君はディーラーの方の修行で目一杯だったろうからさ! あっちもこっちもじゃさすがに大変だったんだろうさ」
 紫月がすかさずフォローを入れてくれたが、確かにできないよりはできた方がいい場合もあることは事実だ。冰にしてみれば花見の時はもちろんだが、里恵子と共に拉致に遭った際にも、万が一の戦闘などが起こった場合には対処のしようがなかったことが悔やまれるわけなのだ。そう考えると今からでも身に付けておくべきではと思ったらしい。
「まあそうだな……。冰も俺と一緒にいる以上、今後もいつまたどんな敵意に巻き込まれるか分からねえからな。この際、冰専用の護衛係をつけることを考えるか」
 周が真面目な顔で考え込んでいる。
「そんな……専用だなんて。そこまでしてもらうなんて申し訳なさ過ぎるよ」
 冰は恐縮しているが、周としては真剣だ。すると鐘崎がクスッと笑みながら提案を口にした。



◆85
「だったら紫月の親父に護身術でも仕込んでもらったらどうだ。どうせ週末はここへ来ることが多いんだ。月に一度でもいいから道場に寄って稽古をつけてもらえばいいんじゃねえか?」
 それは名案である。
「おお、いいな! ついでに俺も久しぶりに基礎から見てもらうとするか」
 周がそう言うので冰も嬉しそうに瞳を輝かせた。
「いいの?」
「ああ。基礎を一度でも教えてもらっておけば、まったく知らんより安心なことは確かだからな」
「うっは、そりゃいいや! 親父も喜ぶぜー! ならさ、俺らも一緒に稽古しようぜ、なあ遼!」
「いいな。四人でやりゃ楽しそうだ」
 紫月も鐘崎も大乗り気で、父の飛燕には自分たちから伝えておくぜと言ってくれた。
「おーし! そんじゃ今日は冰君の修行前夜祭ってことで飲むとすっか!」
 紫月がそう言えば、
「おいおい、気が早えなあ。まだ昼だぞ」
 周が可笑そうに肩を揺らして笑う。
「いーじゃん! 飲んでりゃその内に夜ンなるって!」
「まあそれもそうだ。それじゃ早速厨房に言って何かつまみを作ってもらおう。それに今日は道場も休みだろ? 紫月、親父さんも呼んだらどうだ」
 鐘崎が気を利かせて厨房へ向かわんと立ち上がる。
「おー、そっか! そんなら一石二鳥だわ。あ、遼ー! つまみもだけど冰君が持ってきてくれたケーキも食いてえからそっちも頼むぅー」
「おう! お前は親父さんに電話しとけよ」
「ラジャ!」
 早速に父の飛燕へと連絡を入れる紫月を横目に、
「ケーキに酒かよ。一之宮は相変わらず甘味大魔王だな」
 周がクスッと笑う。
 甘味大魔王という言葉に冰はふと周と出会った頃のことを思い出した。まだ互いの想いを伝え合う以前のことだ。例のホテルラウンジで周が『俺の知り合いに甘味大魔王ってくらい甘い物が好きなヤツがいてな』と言っていた。その頃はそれが紫月のこととは知らなかった為、相手は女性で、もしかしたら周の恋人ではないかと勘違いをしてしまい、酷く落ち込んだものだ。その頃のことを懐かしく思い出しながら、今はこうして周の側にいられることが夢のようだとしみじみ思う。鐘崎や紫月をはじめ、お邸の真田ら素晴らしい人々に囲まれながら、この穏やかで明るい日常の幸せを噛み締めるのだった。

 ふと庭先に目をやれば先週は白一色で満開だった桜の枝からはチラホラと若葉が芽吹いている。稽古を始める頃には青々とした葉桜になっているだろうか。やがて青葉が大きくなり、落ち葉となり、季節が巡ってまた次の年の花が満開を迎える。そんな当たり前の日々をこれからもこの仲間たちと共に過ごしていきたい。
 誰もがあえて言葉にこそしないが、胸の内は同じであるだろう。
 ひょんな会偶から始まった望まざる事件であったが、様々な困難に見舞われつつも、より一層互いの絆を屈強なものにした。
 芽吹いたばかりの葉桜が刻一刻と緑萌える季節を運んでくる、そんな幸せな午後がゆっくりと暮れていったのだった。



◇    ◇    ◇



 今回の件で皆を巻き込み騒動をもたらした香山淳太だが、初犯ということを考慮されてか、執行猶予がつき実刑には至らなかった。そんな噂が周らの耳に入ってくるのは、それからしばらく後のことであった。

孤高のマフィア - FIN -



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