「ところでアンタさ。香港から来たって話だけど、生まれもそっちか?」
「え……? ああ、そうだが」
「ふぅん。じゃ、日本へは? 来たことある?」
「ああ、ガキの頃に一度だけ」
「へえ――?」
 今しがたまでの話題とは一転、自ら振ってきたきわどい質問にも、まるで知らぬ存ぜぬというようなひょうひょうとした調子で、紫月がそんなことを言い出したのをきっかけに、物言いたげに俺を静観していた無関心野郎の視線が、ヤツの方へと移動した。
 少々呆れたような冷めた目つきが、何も言わずともその心情を物語っているようだ。
 一緒に飯を食うくらいの仲だから、紫月とコイツとはそれ相応に親しい間柄なのだろう、軽く墓穴を掘った感じの紫月に、『バカな奴』とでも言いたげなのが一目瞭然だった。
 そんな視線にも全くお構いなしの様子で、先へと話題を続ける紫月というコイツの図太さにも、思わず笑みがこみ上げる。本当に変わった奴らだ。
「そーいや、コイツん家の支社も香港にあるんだぜ?」
 紫月は顎先でクイっと無関心野郎のことを指しながらそう言った。
 支社というからにはやはり、こいつらも何処ぞの会社社長を親に持つ御曹司というわけだろう。あまりにも堂々たる紫月の、都合の良過ぎる方向転換が可笑しくて、俺はクスッと声を立てて笑ってしまいそうになるのを抑えながら『へえ、そうなの』と言って、無関心野郎へと視線をやった。
 すると紫月は、すんなりと同調した俺の相槌を心底満足だというようにニヤッと微笑みながら、気を良くしたように先を続けた。
「ふぶき貿易っつってさ、でっけー貿易会社の息子なのよねコイツ!」
「ふぶき?」
――それがコイツの名前というわけか。
「そ! コイツはそれを継ぐ次期社長ってわけ。な、ヒョウよー?」
――ヒョウ。それが下の名前の方か。
 音で聞いただけでも思わず寒々しい光景が目に浮かぶような名前だ。漢字で書くとどう表すのだろう、思わず興味をそそられてしまった。
 それはそうと、こちらから尋ねもしないプロフィールを次々と代弁する紫月の節介加減に、当の本人は呆れ顔だ。少々うっとうしそうに大振りなゼスチャーをかましながら、
「おい紫月。俺のランチ注文してきてくれねーか?」
 そう言って、まるで追い払うような手つきで、シッシッ、と掌を振ってみせた。
「はあ!? なんで俺が……」
 突如、トンチンカンな指令を押しつけられて、紫月の方も冗談じゃねえよとばかりの不思議顔だ。
「いいじゃん。お前のお気に入りのウェイター、何っつたっけ? あいつに話し掛けるチャンスじゃねえかよ。俺、今日ちょっと食欲無えからトーストとコーヒーでいーや」
 文句をタレてねえで早く行けとばかりの命令口調で、ヒョウという奴はそう言った。すると、渋々とした表情ながらも、反面少しうれしそうな素振りで紫月は立ち上がり、いそいそと『お気に入りのウェイター』を目がけて去って行った。
 阿吽の呼吸がよくできたもんだと感心しつつも、この無関心野郎と二人っきりにさせられては、さすがに間が持たない。しばらくはこれといった会話もないままに、俺は自然を装いながら庭先を眺めるふりをしていた。
 だが、意外にもそんな心配を破るかのように、突如隣りから小さな笑い声が漏れ出したのに、俺は少々驚いてヤツへと目をやった。
「お前、度胸いいのな? 名前、何だっけ?」
 クックッ、と可笑しそうに笑いながら、そう訊いてよこす。ついさっき名乗ったばかりなのに、まったく聞いちゃいなかったってことか。
 まあ、この無関心野郎のことだから、それもありかと呆れつつも、俺は素直にもう一度自己紹介をすることにした。
「鐘崎だ。鐘崎遼二」
 さすがにそれ以上丁寧に答える義理もなく、多少ぶっきらぼうな調子で必要最小限だけを告げた。だがヤツは、そんな些細なこちらの思惑など全く気にとめることも無く、まるで今の今まで主導権を握っていた紫月という奴にとって代わるとでもいうように、いきなり流暢にしゃべり始めた。
「あいつさ、紫月の野郎。悪ィヤツじゃねえんだけどよ、思ったことを”まんま”口に出しやがるから、毒舌とかって言われたりすんだよ……」
 広いカフェ内をウロウロとしながら、ウェイターを探している紫月の後ろ姿に視線を向けたまま、まるで親しげにそんなことを口走る。
 何だ、今頃になってフォローの言葉かよ。
 そんなことよりてめえのことはどうなんだ、未だに自分の名前すら言わないままで、ツラツラと話を続けるこの男を、多少怪訝そうに観察していた。
「ま、けど、さすがの紫月もお前にゃ敵わなかったってトコだろーな? まさかあんなふうに切り返すなんて夢にも思わねえっつーか……恐れ入ったぜ、お手上げ降参!」

――黒

 何故だか分からないが、突如頭の中に漆黒色が広がった。至近距離で視線をはっきりと合わせながらそんなことを言い放ちやがったコイツの印象だ。
 バランスよく整った目鼻立ちは東洋的でいて、それを増長させるような印象の黒髪が何とも艶めかしい。一目見ただけで、きっと女が放っちゃ置かないだろうなと思わせるような面構えをしているのは確かだ。女に限らず、おそらくは万人がそういった印象を抱くに違いないだろう。ヤツの、比較的大きな瞳の墨色と、それに輪をかけたような黒髪の色が強烈なせいか、俺はこいつが放つ何ともいえない闇色に包まれたような不思議な印象に、理由のない興味をそそられる気がしていた。
 野郎に興味があるだなんて、これじゃさっき紫月という奴が言っていた冷やかしが、半ばそのままじゃないか。いや待て、俺のこの『興味』というのは、格別そういった方向にあるとは限らないが、まあ理由はどうあれ、何とも気に掛かる存在というのは確かなようだ。
 パッと目を引く外見に相反して何事にも無関心なふうで、それはあの紫月という奴とは面白いくらいに対照的だ。
 紫月の場合、自分の持つ魅力や才能の粗方をはっきりと自覚しているところからくる、自信めいたものが全面に押し出されていて、それはそれで個性的だ。ある種、そういったタイプの人間は分かりやすくもある。つまりはその感情を読むことも容易であって、だからヤツのようなタイプは扱いやすい部類に入るといっていい。
 例えば紫月とこの無関心野郎とが、突如親しげな態度を翻し、こちらに刃を向けてきたとしても、紫月に対しての方が受け身反撃を取りやすいということになる。
 頭の中でそんな想像をこと細かにシュミレーションしながら、俺はハッと我に返った。
 此処は日本だ。しかも危険とは無縁といっていい学園の中で、今現在、俺はそこで学業を学ぶ高校生だ。見知らぬ誰かと接する度にこんなことを考えるようじゃ、まるで香港にいた頃と変わらない。
 そう簡単には抜けきらないだろう習性とはいえ、同級生を相手にそんなことを考えている自分自身が哀れ愚かに思えて、俺は思わず苦笑してしまった。
「考え事?」
「――は?」
 不思議そうにこちらをチラ見しながら、またもやヤツに話し掛けられて、俺は隣りを振り返った。
「今、一人で笑ってたように見えたからさ」
「……いや、別に。なんでもねえよ。ちょっと昔のコト思い出しただけ」
 ふうん、と短くヤツは言うと、いきなりポケットから携帯電話を取り出し、器用にいじりながら、意外なことを口走った。
 それはつい今しがたに紫月という奴が振ってよこした話題に輪をかけたような内容で、俺は少々驚かされてしまった。
「ところでさっきの話――オンナは抱けねえって、あれホント?」
「――ッ?」
「そんなら、アッチの方はどーしてんだろうって思ってよ?」
 突飛な問い掛けに、不覚にも視線が泳いでしまった。



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