RENEGADE LOVE
「――そんなことが茶飯事だった。
紫月には彼を目当てにそういった類の得意客が倫周の他にも何人かいて、だから当然の如く売り上げもクラブきっての文句なし、トップを飾り続けていた。
そんな日常の、頃は月末のことだった。
スタッフ全員を集めて、クラブオーナーである粟津帝斗から直接給料を手渡される儀式のときは少なからずざわついている。
今月は誰がトップになるのか、自分はどの位の配分なのか、そんな興味でホストたちはそれぞれに浮き足立っていた。
月一回の恒例のときだ。
「今月もナンバーワンは紫月――」
オーナー帝斗の呼び声に皆はやっぱりという溜息を漏らし、肩を竦めて参りましたというようなジェスチャーをする者もいる。
両の手にも余る程の札束が入ったろう給料袋が手渡されるのを横目にしながら、憧れの視線を送る者、チィと舌打ちをする者と様々だ。
そうして歓声やら溜息の入り混じる中、すべての給料を手渡し終わると、又新たな一ヶ月が始まるのだ。
ホストたちの興奮冷めやらぬ解散の直後、オーナーの帝斗に引き止められた紫月は開店前の事務室で彼と二人、少々不気味な沈黙のまま向き合っていた。
「大したもんだな? 今月も又トップ。ご苦労さんと褒めてやりたいところだがね?」
少々眉を引きつらせながら苦笑いをする帝斗を前に、紫月もまた不適な笑みを浮かべると、
「ふ……ん、なら素直に褒めてよ。そしたら今日からもがんばっちゃうし、俺?」
もたれた椅子に片肘をつきながら、上目使いにジロリと視線を動かした。
少々挑発のような感じに取れなくもない。そんな紫月を横目に、
「お前……知ってるのか? お客がどんな思いで此処に通ってるか」
不適な態度に呆れる感じで、帝斗はポツリとそんなことを言った。
「どんな思いって?」
「お前に逢いに来る為に彼らが担ってる努力、或いは犠牲といっても過言じゃないね。特にめっぽうお前にご執心のあの子、倫周っていったっけ? あの綺麗な坊やがさ……」
「ああ、倫ちゃんね。上客のひとりだ、大切なお客様だけど? それが何?」
「知ってるか? あの子がお前に貢ぐ為にどんな稼ぎ方してるか――」
重い溜息まじりでそう訊いた帝斗に、紫月の方はその意がまるで分からないといったように首を傾げてみせた。
「さあね、どんな仕事してるとかどこに住んでるとかそんなことはさっぱり。訊いたことなんかねえし、向こうも言うつもりなんかねえだろ? 此処は匿名性も売りになってんだから。それがよくって通ってくれてるんじゃねえの?」
まるで興味の無さそうに、ともすれば何でそんな質問をするのかと半ばうっとうしそうにもしながら返答をする紫月を前に、帝斗は更に深く溜息を落とした。
「あの子、倫周って子な、界隈は違うがウチと同じような店で働いてる。尤も、あの子の専門はお前とは逆の立場だがね。高級クラブで客を取ってる。ここ最近はかなりな荒稼ぎしてるって噂だ」
その言葉に、紫月は怪訝そうに瞳を歪めた。
「――だから何だ?」
機嫌の悪そうな低い声がそう返す、紫月にしては珍しいことだ。
大抵のことには無関心な上、興味のないことは軽く流してしまう性質(たち)の彼が、真剣に面倒だというような顔付きでいる。
「客がどんな稼ぎ方してようが、俺の関知するこっちゃねえぜ。俺にはカンケイねえ。俺はただ、客の指名を受けてヤツらが望むサービスを売るだけの話だ。客だってそうだろうが? いっときの楽しみの為に金払って俺を買うんだ。楽しい会話、旨い酒酌み交わして冗談言って? それに飽きれば、じきに通わなくなる。そうなりゃ新しい客を掴むまでだろ。そんでもって、またひとときの楽しみを売ってってか? 俺らの商売はその繰り返しだろうが」
言葉を重ねるごとに荒くなってしまいがちな口調に、自らチッと舌打ちをするような調子で、大袈裟な溜息をついては呆れまじりに肩をすくめる。
「客がどんな仕事してようが、どんな思いで此処へ来ようが、口出すつもりもねえし必要もねえだろ?」
紫月はゆっくりと椅子から立ち上げると、帝斗の腰掛けるソファへと移動して、その肩を抱き包むように隣へと腰を下ろした。
「ヘンなこと訊くんだな? 素性まで調べて……そんなにあの客、倫ちゃんに興味あるわけ?」
頬を寄せ、耳元に囁くようにそんなことを言いながら、抱き寄せられて少々身を固くしている帝斗の頬をゆるりと撫でた。
帝斗は瞳を閉じたまま、身動きせずに、されるがままになっている。
僅かにしかめ気味の眉間を震わせながら、しばらくは互いに言葉を交わさないままで、奇妙な沈黙のときが続いた。
「それとも何? ひょっとして焼きもちとか?」
ビクリとしたように開かれた帝斗の瞳に、紫月は口角を緩めると、
「あの客に……倫ちゃんに妬いてんの、お前?」
我が物顔で弄(まさぐ)るようにシャツの襟を押し広げる。
帝斗は更に身じろぎ出来ずに無言のまま瞳をしかめるだけだ。その額には秒を追う毎に――というくらいの勢いで、薄っすらと冷や汗のようなものが浮かび上がってくる。
「誰がっ……そんなことを言ってる……! 俺は単に人間(ひと)として客のことを気に掛けたまでだ……! 焼きもちだなんてっ、くだらないことをっ……」
語尾は強いが、額に浮かんだ汗が次第に玉となり、色白の顔を更に蒼白く染め上げてもいた。
そんな様子にニヤニヤと笑みを浮かべたままで、紫月は器用にボタンを外す。
鎖骨から胸板、そして肩先を撫でながら、わざとらしくねっとりとした動作でシャツを剥ぎ落とす――
まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直したまま動けない身体を後方からすっぽりと抱き包む。
素っ裸に剥いて尚、まだその下に素肌が隠れているのかと思わせる程に、強く激しく吸いちぎるかのように撫で回す。
誰も居ない二人きりの部屋の中――耳元を侵すのは、まるで強く激しく求めるような荒く興奮した息遣いだけだ。
「……よせ……」
「……は! よせるわけ……ねえだろッ……今ここで? 冗談キツイね、相変わらずだ」
「……ッ、よせと言ってる……っ、……紫月……ッ!」
鎖骨、首筋、胸、背骨、腹――と、互いの肌と肌がまぐわる箇所から次々と――、終いには身体中が流砂に呑まれてしまうような感覚に引きずり込まれていく。
「客はいつか俺に飽きる。飽きて通わなくなれば、俺はその客の持ち物じゃなくなるんだ」
「……ッ…………あっ……」
「でもお前は違うだろ? お前が解雇(すて)なければ俺はずっとお前のもんだ。ずっと――ずっと永遠にお前だけのもんだろ?」
「バ……カ……野郎……が――!」
拒みたいのか、求めたいのか、考える余裕もないくらいに乱したくなる、乱されたくなる。
額に浮かんでいた冷や汗がいつしか上気した汗へと変わり、無意識にあふれ出す吐息は熱さを増して嬌声へと変貌を遂げる。
「俺はずーっとお前のもんだ。他の誰のでもねえ。何度言わせりゃ気が済むよ?」
「……ッ……」
言葉で揺さぶり、肌を弄び、我が物顔で気持ちを乱す。
激しい律動に翻弄されながら、帝斗はゾクりと肩を震わせ、と同時に、怖いくらいに押せ寄せてくる快楽に流されまいと懸命に瞳を瞑った。
今、自分の肌を撫でているこの男に魅かれて、身も心も虜に嵌ってしまっている客たちへの同情心ともつかないものが込み上げるのは、自身の中にもまた、少なからずそんな感情が渦巻いているからなのだろう。それらを払拭したくとも、どうにもならない想いが彼らに重なるのだ。
――切なさが込み上げる。
「このっ……ろくでなしっ……! お前って本当に……酷い男だ……な……」
帝斗は複雑な自身の心をねじ伏せるかのように、抗えない男の腕の中に身を預けた。
「紫……月ッ……」
「……ッ、……んだよ……」
吐息は荒い。
すぐそこまで迫り来ている絶頂の閃光で、瞼の裏側には真っ白な世界が広がっていく。
「裏切ったら……許さない……からな。もしも僕を裏切るようなことがあったら……お前を……僕はお前を……! 覚えておけ……よ、紫――ッ」
「ああ――覚えとくさ。その代わり……」
その代わり――
「もしもお前が俺に飽きるようなことがあったら――その時は……捨てたりしねえで、ちゃんと……責任取れよ……な!」
激しい律動と噴き出す汗にまみれて、途切れとぎれの言葉が空気を響めかせ――
「……っ、ちゃんと……お前の手で…………」
――てくれよ……な……!
身体の奥の奥の、そのまた奥深く――魂の真髄にまで届かんばかりに強く激しく楔を打ち込みながら放たれた。そのひと言が耳を過ぎった瞬間に、帝斗の双眸から湧き水のように涙が溢れて落ちた。
- FIN -