アクリルガッシュな恋
01
「今日のリハ、めちゃよかったじゃない? 最高だったよ紫月、さすがだなぁ~!」
くしゃくしゃと髪を撫でながらまるで子供を褒めるような仕草をされて……。
こんなこと、他の誰かだったら間違いなく癪に障るところだけど。
それでもこの指の感覚が心地よくて俺はいつも高揚してしまうんだ。
八歳も年の離れた兄貴のようなこのヒトの、白くて長い指先に髪を撫でられるのを待っている自分がいる。
この瞬間の為だけに俺は誠心誠意を込めて唄ってる。
それがどんなに邪な思惑だと解ってはいてもどうしようもないんだ――
◇ ◇ ◇
「はっ、うっれしそうなツラしやがって! リーダーに褒められんのがそんなにうれしいか?」
今しがた撫でられたばかりの髪をコツンと叩かれて、慌てた表情で後ろを振り返った。
「ま、確かに今日のお前の唄は最高だったけど? 切ない心情がよく表れてるってーの? お前ってこういう切ない系のバラードも得意なんだな。今までガシガシ乗り系が多かったから気づかなかった。ってか、新しい一面発見ってとこだな?」
銜え煙草に火を点けながら囃し気味に視線を送ってくるのは、バンド仲間の遼二でベース担当だ。
茶化すようにそんなことを言われて少々不機嫌に瞳を翳らせたのは一之宮紫月、現在ブレイク中のロックバンドのボーカル担当である。八つ程も年の離れたリーダーの帝斗からリハーサルの出来を褒められて頬を染めていたのを一転させて、冷めた表情で遼二の茶化しを遮った。
「ふ……っん、うるせーよ。そーゆーてめえはどうなんだって! 二回も音外しやがって……他人の詮索よか自分のパートをきっちりしろってーの!」
遼二の手にしていた煙草の箱をかっさらうようにもぎ取ると、ふてくされたようにそう言った。
「あはは~、バレちった?」
「当たり前だバカ! ベースが音外すとバレバレだってこと位、いい加減自覚しとけっての……そうすりゃテメエだってリーダーに褒めてもらえんだろうぜ?」
お返しとばかりにそんな悪態をついてみせたが、内心はドキドキと胸の高鳴るのを抑えられずにいた。
『リーダー』という言葉を口にするだけで心の逸る思いがするからだ。紫月は遼二から取り上げた煙草に火を点けながら、自分の髪を撫でていった『リーダー』帝斗の後ろ姿を何気なく瞳で追っていた。
バンドはこのリーダー帝斗の率いる四人組で、年長二人と若者二人という珍しい組み合わせのユニットだった。ボーカルの紫月とベースの遼二は同じ年の二十一歳。そしてリーダーの帝斗はドラムス担当、残りの一人はギター担当の白夜、こちらは年長組で互いに二十九歳という構成だ。
たいがいのバンドユニットはメンバーの歳が近いのがお決まりだったが、紫月らのバンドはそんな点からしても少々風変わりで、だからかえって業界からは注目されたりもしたものだ。音楽番組のトークでは必ずといっていい程、年齢の話が持ち上げる程で、近頃では若組み、年長組などと話題になってもいたのだった。
その年長組の帝斗は穏やかな性質で面倒見もよかったことから、いつしか紫月はこの帝斗を兄のような存在として慕い、経験も才能も豊富な彼に淡い憧れのようなものを抱くようになっていった。スランプ時には丁寧に相談に乗ってくれて、調子がよければさりげなく褒めてくれる。帝斗といると、不思議と前向きな気持ちになれるから心地よかった。
その心地よさが甘い疼きに変わっていったのはいつの頃からだろう、帝斗と会話する度に頬が染まることに気づいたのもいつからだっただろうか。彼の声を聞く度に、彼の存在を側に感じる度に心拍数が急増化するようになったのも……いつから?
近頃では甘く重苦しい痛みを伴うまでになっている自分に戸惑いを隠せなかった。
そんな気持ちを悟られないようにと平静を保つのも一苦労なこの頃だ。丁度、新曲のバラードが熱く切ない片想いの唄だったから、不本意なことにも感情移入は嫌がおう、といったところでプロデューサーにまで絶賛を受けて、紫月は何だか苦虫を噛み潰したような思いがしていたのも否めなかった。
――はっ……どうしちまったんだ俺。なんか……このままじゃヤベエよ――
まさか同じバンドのリーダーに、しかも同性で先輩でもある人物にこんな気持ちを抱くなんて思いもよらなかった。
言っちゃなんだが高校時代からかなりモテる方で、異性からの人気も高かった。その頃から仲間内でバンドを組んでいたりしたから余計にそうだったと言えなくもないが、文化祭などでもステージに立っては注目を浴びていた。
まあそんなことを抜きにしても、確かに紫月の容姿は人目を引くものがあったのは事実だ。
北欧ふうの整った顔立ちをはじめ、長身で逞しくムダの無い筋肉質の身体、天然巻き毛ふうのセミロング、と、どこをとっても女子生徒たちを放って置かない魅力を持ち合わせていたからだ。貯めたバイト代を遣り繰りしながらライブハウスに立つと程なくスカウトされたのも必然だったといえようか。
それから三年、無我夢中で何が何だか解らないままに現在の位置にまで昇りつめたといったところだった。信じ難いようなメジャーデビューに当たってプロダクションから云わば強制的に組まされたユニットが現在のメンバーとの出会いでもあった。
年長組の帝斗と白夜は裏方として経験を充分に積んでいた為、実力の面では文句なしといったところで、他バンドのバックなどでステージ経験も豊富だったから密かなファンも多かったらしい。その実力派二人と、新人の紫月、そして同じく新人としてスカウトされてきた遼二が加わってスタートしたわけだった。
とにかくここ最近はモヤモヤとした気持ちが晴れない日が続いている。
唄うことだけに没頭出来ないという迷いがあるのに反して、皮肉にもそれとは裏腹に、新曲の切ないバラードの方は最高の仕上がりだった。
満場一致の大絶賛の末、レコーディングの終わったばかりのスタジオに残り、紫月はガックリと肩を落としていた。
演奏中、唄っている途中も片想いの切ない歌詞がビリビリと共感を煽ってくる。帝斗の表情や仕草を思い浮かべれば胸の中心がキュっと摘まれたように痛み出し、甘い疼きとなっては自らを翻弄してやまなかった。
そんな思いを吐き出すように唄うから現実みを帯びてなどという言葉では言い表せないくらいの素晴らしい出来栄えに仕上がってしまう。バンドとして、ボーカルとして結果的には喜ばしいことであっても、その根源を思えば当然の如く気は晴れなかったわけだ。
「あ~あ、マジどうしよ? まさか本気で野郎に惚れちまったなんて……洒落にならねーっつーの……。しかも相手はあのリーダーだ……なんて……」
悶々とした思いを持て余すように、熱気の冷め始めたスタジオの椅子に座り込んでいた。
◇ ◇ ◇
そんな紫月の奇妙な様子にいち早く気づいたとでもいうのだろうか、間の悪い程に気のきくリーダー張本人がスタジオの扉を開けたのは、冬の短い陽が暮れかかったそんな時分だった。
「おい、どうした? 電気も点けないで。紫月……? お前だろ? そんなとこで何してる……?」
レコーディングの疲れも相まってか軽い転寝にでも陥っていたのだろうか、そう声を掛けられ突然に電気を点けられて、紫月はハッとしたようにドア越しを振り返った。
「やっぱりお前か。どうした? まだ帰ってなかったのか?」
少々驚きながら瞳を丸くして、リーダーの帝斗が歩み寄って来るのに瞬時に頬が染まる思いがした。
「どした? あれからずっとここにいたのか? 何かあった……?」
ふわりとやさしげに髪を撫でられたのにドキドキと心拍数が上がる。心配そうに気持ちを窺いながら、隣りに腰掛けてくる彼に、緊張で身体が硬直してしまったのか、紫月はうつむき加減で肩をすくめていた。
「どうしたよ? 唄は抜群だったのにさ、何か悩みでもあんの?」
先程終了したばかりのレコーディングは大成功だったに関わらず、何となく沈んだ表情を気に掛けるように帝斗は言った。
「遠慮しねえで言ってみ? 役に立たないかも知んないけどさ? 俺で何か力になれたら……。あ、でも別に無理にじゃなくていいんだぜ? 余計な節介だったら素直にそう言ってくれれば。――って、やっぱ鬱陶しいかな俺?」
まるでなだめるように、けれども精一杯に自分の気持ちを尊重しながら声を掛けてくれる帝斗に、申し訳なさを感じながらもドキドキと高揚する気持ちも又、とめられずに紫月は戸惑った。
「あ……いや別に……何でもないっス……。ただちょっと……レコーディング終わったら気が抜けちまったっていうか……」
咄嗟にそんな言い訳をしたが、隣りに腰掛ける帝斗をすぐ側に感じて上昇する頬の熱を悟られたくなくて、視線さえも合わせられないまま紫月はただただうつむいているしか出来なかった。
そんな様子に帝斗はふいと瞳を細めると、
「ん、そうだな。お前がんばったもんな。なあ、よかったらこれから俺ン家来ないか? 何か旨いもんでもおごるから」
そう言って、うなだれ気味の肩をポンと叩いてみせた。
「え……!? でも……あの……俺……」
紫月は驚きようやくと帝斗へと顔を向けた。
そこにはにっこりと微笑むやさしげな笑顔が自身を覗いていて、まるで包み込むようなあたたかさのようなものも感じて、再び頬の染まるのが分かった。
「どう? 嫌か俺ン家来るの? それとも何か予定とかあるんなら……」
「な、ないっすよ予定なんてっ……!」
「そうか、よかった。じゃ決まりだ! 今日はいっちょ腕奮って旨いモン作ってやっから!」
「え、あの……旨いモンって……リーダー、料理なんかするんスか?」
「ははっ、ガラじゃねえ? でも結構イケるんだぜ?」
帝斗は悪戯そうに微笑み、そんな仕草や横目に流した視線にも思わずドキリとさせられた。
初めて招かれた帝斗の自宅……。
うれしさと好奇心、ためらい、期待、そして戸惑い。
いろいろな感情が入り混じりながらも、高揚感に浮かれるように高鳴り続ける心臓をやっとの思いで抑えながら、紫月は帝斗の家へと向かった。
02
「適当に座って。今飲み物持って来っから」
そう言ってキッチンへと消えていく後ろ姿を横目にしながらも、紫月はキョロキョロと部屋の中を見渡してはドキドキと胸を逸らせていた。
これがリーダーの部屋――
いつもここで暮らしているんだ……。
ここで食事して、ここで曲を書いたりもするのだろうか?
窓から見える風景はこんな感じ、風呂場でシャワーを浴びて……寝るときは寝室で……?
どんな格好で寝るのだろう?
料理が得意とか言ってたけれど本当に一人で自炊したりするのだろうか?
次々と想像と好奇心が浮かんで、落ち着いて座っているどころではなかった。
「はは、何だ紫月、まだそんなとこに突っ立ちっ放しで。遠慮しねえで座れって」
ソワソワと落ち着かない紫月の様子をクスッと笑いながら、帝斗はリビングへと戻って来た。
手には赤ワインのボトルが一本。
「今日は祝いだから。レコーディングの打ち上げってわけじゃねえけど、一緒にやろうぜ?」
乾杯をし、ホロ酔い気分に紫月は益々高揚し、そんな自分を悟られたくなくてうつむき沈む。気づけばそっと隣りに腰掛けた帝斗に抱き包まれるように肩に腕の回されているのに心臓が飛び出るくらい驚いた。ワインを片手に後輩を元気付けるように肩を抱き、親身に顔を覗き込む。
普通に考えるならば面倒見のよいやさしい先輩の行為に他ならない。けれどもそんな普通の行動にまで異様に興奮している自分には、さすがに焦りを感じる程だった。
このままではヘンな気を起こしかねない。極端に言うなればせっかく好意で親切にしてくれているリーダーをいつ押し倒してしまうかも知れない。紫月は肩に回された腕の重みと掌の感覚に衝動が爆発しそうになるのを必死で抑えようとしていた。
「お前さぁ、もしかだけど好きな娘(こ)とか出来たの?」
「はあ!?」
「や、何となくそう思っただけ。なんか最近塞ぎ込みがちだから。ひょっとして恋の病かなぁとか? 特に同じ業界の娘だったりしたら悩むの分かるし」
ひょいと首を傾げながら覗き込むようにそんなことを訊かれて、余計に頬が染まるのが恥ずかしかった。
「ちっ、違いますよっ……そんなっ……好きな娘なんて……いねえよ俺……」
あたふたと弁解の言葉にしどろもどろしながらも、それらを隠すように紫月は赤ワインのグラスを一気に飲み干した。
「はは、ひょっとして図星? なんて、やっぱお節介だな俺。でも独りで悩んでるんだったら、ちょっとでも役に立てればとか思ったの! ほら、俺らの世界ってそうゆうことうるさいしさ? 色恋沙汰なんてすぐにスキャンダルになるじゃん? だから独りで悶々としちゃってたら気の毒だなって……まあお前よりは大分先輩だし俺。そういう方面でも何かアドバイスしてやれればとか思ったわけよ」
いらぬ節介がかえってうざったがられないかといった調子で、少し申し訳なさそうにそんなことを言ってくる帝斗に紫月は更に熱いものが込み上げてくるのが分かった。
こんなに親身になってくれているのに申し訳ない、という気持ちも勿論あったが、それよりも何よりも好きな娘がいるかだなんて誤解されてしまう方が余程嫌だと思った。すぐ側で覗き込む瞳は明らかにそう疑っている感じだ。紫月は思わず弁明の為に声を荒げた。
「ホントにいねえって! 俺、好きな娘なんてっ……俺が好きなのはっ……」
タン、とグラスを置いて回されていた腕を振り払うように逆に捕り上げて……。
食いつくように隣りを振り返れば、驚いた帝斗が瞳を丸くして自身を見つめていた。
「あ……すいません……でもあの……俺、ホントにいないっス……好きな……娘なんか……」
掴んでしまった腕を放すことも出来ずに、体温が伝わって次第に熱くなっていくようだ。
自身のムキになったような勢いに驚きながらも、やはり申し訳なさそうに『ごめんな』などと言っている彼を、どうにかしたい欲望がジリジリと湧き上がるのを、若い紫月がとめられるはずはなかった。
「リーダー、俺……」
「ん? どした――?」
ワインのせいか、そうでないのか、僅かに潤んだ瞳の奥底にたぎるような熱さを覗かせながら、そんな感情を必死で抑えんとしているのが伝わったのだろうか、しばらく続いた間の悪い沈黙を押し破るように帝斗はフイと微笑むと、隣りで震わせている逞しい肩先を再び抱き直しながら言った。
「あは……分かった紫月。そういうことか……」
「へ――?」
「ん、お前さ、ひょっとしてそっちの方の欲求が溜まってるんじゃねえ?」
「――?」
「よく考えてみればそうだよな? 高校出てからすぐ今の世界入っちまったんだもんなお前? だから普通に彼女つくるとかそうゆう経験無くって当たり前だよな?」
トロリとやさしげに見つめられながらそんなことを言われて、今度は別の意味で頬が染まった。
もしかして経験無いとか思われたのだろうか――それはそれでみっともない、そんな思いに恥ずかしさでいっぱいになった。
「でもお前モテたろ? 高校のときとかさ?」
「へ?」
「お前、格好いいし、人気あったんじゃねえの?」
「なっ……そんなのっ、ないっスよ人気なんかっ……」
そう言ってしまってから、紫月はバツの悪そうにハタと口をつぐんだ。これでは自分から『女性経験ありません』と言っているようなものではないか――!
ああ、もうどうしたらいいんだ……!
焦れる思いを持て余す若い彼に、帝斗はフイと微笑を漏らした。
「紫月……来いよ」
「え……?」
「いいから付いて来い――」
連れて行かれた先はベッドルームだった。
リビングの広さの割にはこじんまりとしたその空間に、ダブル幅はあろうかというベッドの大きさが密室感覚を強く感じさせる。咄嗟のことで帝斗が何を意図しているのか理解出来ないままに、それでも思わずゴクリと喉を鳴らしそうになって、紫月は慌てて視線を反らせた。
「なあ、俺らミュージシャンったってさ、ようするに芸能人ってヤツじゃねえ? だからいろいろ気苦労も多いんだ。好きな奴が出来てもデートも儘ならねえしさ? 例えそうでなくても……遊ぶだけだって気軽には出来ねえよな? ましてや有難てえことに今みたいにブレイクしたりしてると注目されっぱなしで何処に行ったって自由なんてねえよ……。オンナ抱きたいと思ったってさ……? そーゆー店にも行けねえだろ?」
つらつらとそんなことを言っている帝斗の横顔は、心なしか普段よりも大人びて見えた。
元々八歳も年上の彼が大人びて見えるも何もないが、いわば普段の彼とは少々雰囲気が違って感じられた、といった方が正しいだろうか。とにかく帝斗は真面目な表情でそんなことを説明していて、紫月の方は半ば呆然としたように聞き流していたが、ふとベッド端に腰掛けながらシャツのボタンを外し始めた帝斗の様子にはさすがに驚きを隠せなかった。
そして又、平然とした表情でつらつらと言葉を並べ、それは信じ難い内容でもあった。
「だからってわけじゃねえけど……たまには解放するのも悪くねえだろ? 来いよ紫月……それとも野郎同士でなんて気持ち悪いか?」
見上げてくる視線は艶かしい。
既に開き切ったシャツのボタン――その中からは意外な程に色白の肌がちらりちらりと覗いている。
金色に染められたやわらかそうな髪が首筋でゆるくウェーブを描いているのも視線を煽る。
自身の恋慕の気持ちを知ってか知らずか、急にこんなことをする帝斗の意図も解らない。
けれども先程のワインの酔いも手伝ってか、若い紫月にはこの奇妙ないざないを退けることなど不可能であった。
吸い寄せられるようにフラフラとベッドの側まで歩み寄り、がっくりと跪いた先にはジーンズをはいた帝斗の膝がすぐ目の前で揺れていた。
「リーダー……俺……そんなんじゃねえよ……こんなことしてえわけじゃ……ねえし……」
高まりつつある性欲を隠すように弁明すれど、身体は引き寄せられるように膝に頬を擦り付け、まるで戸惑い甘えるように紫月は帝斗の膝にしがみついていた。
「紫月、ほら……」
ふと視線を上げれば、いつの間にか外されたベルトとファスナーの合間から木綿の下着が覗いていた。ぴったりとしたストレッチ綿の質感のその中でうごめくもの、独特のその形が綿の下着の中に納まっている様子にもう神経がどうにかなりそうだった。
「気色悪ィなら無理しなくていいぜ?」
恐らくそんな経験は無いだろう――と、気遣かわれた帝斗の言葉を押し退けるように、紫月はフラフラと股間へと顔を埋めた。それらを促すようにグイと後頭部を固定され、いつものように心地よく髪を撫でられるのにも高まりを促進させられる。思い切って下着に指を掛ければ、フワリと立ち上った雄の匂いが全身を欲情させた。
「あ……リーダー……」
引き摺り下ろした下着から覗く性器にぎこちなく唇を押し当てる。
くびれたソコに舌を這わせ、ぱっくりと銜え込み舐め回してみる。
こんな行為は初めてであっても、同性なのだから気持ちのいい箇所はおのずと想像がつく……。
紫月は初めてのその行為に躊躇しながらも、欲情のままに差し出された性器にむしゃぶりついていった。そして次第に存在を増す彼の男根を確認すれば、自身の欲望もそれに比例して最高潮へと上昇する。しゃがんでいるのが辛いくらいに膨張し始めた自身の身体の中心を解放するかのように、気づけば紫月は自らの手でベルトをゆるめてファスナーを下ろしていた。
03
「リーダー……たまんねえ……俺、すげえ辛えし……ねえリーダー……」
とろけた瞳は、まるで薬物でも盛られたように焦点さえ合わなくなっている。もうそれしか考えられないといったように紫月は甘え、帝斗の腰元にしがみつきながら股間を舐め続けていた。
「可愛いのな、紫月。いいぜ、換われよ。今度は俺が舐めてやる。お前の……」
抱き合ったままベッド上に這い上がり、ずり落ちているズボンを毟り取るようにして帝斗は紫月を組み敷き、パンパンに腫れ上がっている硬いものを下着の上からなぞる。
「すげえな、下着まで濡らしちまってるぜお前? そんなに感じちゃった?」
「……んなわけ……」
「だってほら。こんなに丸くグレーが濃くなってさ? 染みがいやらしい感じ……」
灰色の下着の濡れた部分だけ濃くなっている箇所を煽るように、帝斗は指で円を描き、弄んでみせる。
「可愛い紫月……。我慢汁いっぱい出しちゃって……すげえ興奮できるぜ」
「……ッ!」
「いいよ、恥ずかしがることはねえって。俺だって一緒だから。ほら紫月……お前の見てたら俺もこんな……」
そう言いながら、くったりとうな垂れ掛かるように、帝斗は紫月の股間へと顔を埋めた。
初めて他人によって施される愛撫は、紫月にとっては一たまりもない程の刺激で、唇が触れてくるだけでも気が遠くなりそうだった。
舌先で舐められたりしたものならば、頭がどうにかなってしまいそうだった。
ゾクゾクと背筋を這い上がる快感どころではない。
腰元から全身を包み込むような激しい快楽にみまわれて、紫月は股間でうごめいている帝斗の栗色の髪をぎゅっと握り締めた。
「リーダー……リーダーっ……! ダメ、もう俺……っ……」
――――!
叫びたくなるくらいの快楽と共に、射精感が押し寄せる。知らずの内にこぼれ出した嬌声も、荒い吐息と共に淫らに部屋でこだました。
「紫月、イキたいか? なあ紫……月……?」
「ん、……ごめんリーダー。俺……もう……。つか、ヤバイから顔離してっ……」
性器の先端からこぼれる蜜液の量も多くなって、到達感がすぐそこまで迫っているのが分かる。帝斗は顔を離すどころか、射精を導くように舌先の動きを激しくさせた。
「ダメだってリーダーっ……も、出ちまうよっ……あっ、うわっ……!」
ドクンドクンと脈打つ音をはっきりと感じながら、紫月は到達を向かえた。
解放された欲望の証を愛しそうに帝斗は飲み込んで、そんな様子を上から見下ろしながら紫月の方は突如として戻った現実感に、次第に恥ずかしさとも驚愕ともとれないものが込み上げては、奇妙な喪失感に駆られたりもしていた。
だが帝斗は更なるいざないに引き込むようにベッド上へと横たわると、自ら身に着けていた下着を脱ぎ去って惜しげもなく肌を晒し、信じられないような大胆な格好で誘いの言葉を口にした。
両脚を大きく開脚させ、甘えるように手を差し出して、潤みがちの瞳や濡れた唇が引き返せない欲望を煽る。そんな彼の口から飛び出した言葉は紫月にとっては更に驚きであった。
「紫月……なあ、ヤってみる?」
「え……」
「嫌か? それとも怖い? 俺のこと怖いとか思ってる……?」
半ば図星を突かれた感で、紫月は少し表情を硬直させ、だがそんな態度を寂しそうに見上げてくる瞳の甘やかないざないに心が激しく揺さぶられるのも確かだった。
確かに帝斗の言うように経験したことのない怖さのようなものも感じていたが、それ以上に好奇心が無いといえば嘘になる。しかも目の前のこの彼に対してその種の欲望と憧れを抱いていたのは否めない事実だ。それにも関わらずこんなに迷いがあるのは、差し出された据え膳が信じ難いくらい都合の好過ぎることだったからだ。
そんなふうにして頭でいろいろと迷いが生じれども、身体の方は相反して素直に反応の色を示していたのも驚愕だといえる。紫月は自分を待ち求めてくるような視線に引き込まれるように、帝斗の胸元へと頬を埋めた。
「紫月、お前初めてだろ? オトコとヤるなんてさ? でも大丈夫、そんな突飛な違いはねえよ。ほら、ココにこうして……お前のを挿れて……。分かるか? 俺のココ……」
戸惑う指先を導かれるように持っていかれた彼の密かな部分は、しっとりと湿り気を伴い、初めて触れるその感覚に背筋から欲情が這い上がるのをはっきりと感じた。
恐る恐る指先を進めれば既にソコは濡れていて、ぬるりとした感覚が彼の欲情の度合いをはっきりと示してもいるようで、堪らずにむさぼるように掻き回したくもなった。
再び勃ち上がり始めた自身の性器はみるみると硬くなり、したたる蜜が濡れた彼の秘部を求めてやまない。
頭の中はもやがかかったようになり、紫月は夢中で目の前の白い肌を組み敷いて、気づいたときにはしっかりと欲望を彼の内部へと押し込んでいたのだった。
「リーダー……ねえリーダー……なんで……? なんでこんなことする……? どうして……」
無我夢中で腰を振り全身が翻弄されながらも、ふとそんな疑問を投げ掛けてみたくなる――
突然に叶った願望。いや、それでもこんなことまでは望んでいたわけじゃない。けれどもまるで考えなかったかといえばそうともいえない。あまり思い出したくはないが、この年上のリーダーを想って独りベッドでイケナイ妄想を持て余したことだってあったのだ。
やさしい言葉を掛けられる度に、
褒められて髪を撫でられた日には、
その高鳴りを抑え切れずに家に帰ると同時に欲望を解放した。普通じゃないと思いながらも彼を想像しながら自慰に走ったことが断片的に思い出されては、再び込み上げた射精感に全身が快感に震えた。
「……っ、はっ……すっげ、イイ。紫月……」
求められ、目下の彼から漏れ出す嬌声は甘やかで淫らで、押し寄せる射精感を我慢する度に、紫月の中には新たな感情が生まれようとしていた。それは疑惑と嫉妬といった類のもので、現在の至福とは裏腹に突如気に掛かった彼の過去だった。
慣れた仕草は、恐らくこんな行為が初めてではないのだろうということを明らかに示唆していて、そんなことを考え出したら締め付けられるように胸が痛み出すのが更なる欲望を煽ってくるようだった。
「ね、リーダー……教えてよ。何でこんなことする……? 何で俺と……?」
「紫月……?」
「言ってよリーダー……誰としたんだよ、こんなこと……。野郎同士で……他の誰かともこんなことしてんだろアンタ?」
「紫月? ……何だ……急に……?」
「なあ言えってば! 誰とヤったんだよっ! 俺以外にもいんだろ、アンタのこんなことする相手っ!」
畜生っ――――!
突如として湧き上がった激情に流されるように紫月は乱暴に腰を振り、勢いのままに彼の内部で欲望を解放した。
くしゃくしゃになったベッドシーツの白が目に痛い。
乱れた髪と額を這う汗で照かり、切なげに求めるように見上げてくる瞳は、欲情の余韻でうっとりとしているように感じられる。
未だ内部に挿入したままの敏感な部分は、自身の吐き出した白濁が絡んですべるような感覚がすぐにも次の欲情を湧き上がらせるようだ。男同士のこんな行為にあまりにも慣れているふうな様子が気に掛かり、突如として湧いた嫉妬の感情が若い紫月を翻弄した。
そんな心の内をすべて理解できているといったように、帝斗は静かに謝罪めいた言葉を口にしたのだった。
「ごめんな紫月。悪かったよ、急にこんなこと付き合わせちまって……。ホントにごめん……」
少しの寂しさを伴ったような、或いは諦めの感情ともいえるような穏やかな口調が、底知れない孤独感を感じさせた。
まるで別れを連想させるような寂しげな言い回しと、うつむき加減で視線を合わさない帝斗の表情が酷く不安感を煽ってくるようで、紫月は思わず彼の胸元へとしがみついた。
「教えてよリーダー……何でこんなことした? 俺と……急にこんな……どういうつもりでこんなっ……」
「ん……ごめん。驚かせちまったよな? 別に深い意味はねえよ。お前見てたら何となくそんな気分になって――って、これじゃ答えになってねえな。とにかく悪かったよ俺が……」
「そんなっ……」
「ごめん紫月……。バカなことしたって後悔してるか? 野郎同士でなんて……やっぱり気色悪かった……?」
既に平静さを取り戻したように、いつも通りの気遣いで帝斗は済まなさそうにそんなことを言いながら、少し重苦しい今の雰囲気から逃げるかのように、ベッド脇に置いてあった煙草に手を伸ばした。
立ち上がる煙の匂いが『男』を感じさせ、強く現実に引き戻されるようだった。
軽いショックのような状態のまま、ベッドに横たわる身体を起こせないままで、ふと見上げた先には筋肉質の男の腕が煙草をくゆらすのが酷く幾何学的で、紫月はしばらく呆然となっていた。
奇妙な喪失感にフイと視線を落とせば、布団からちらりと覗く帝斗の腰元が目に入った。肌の生々しさがほんの少し前の興奮を思い起こさせる。急激過ぎた展開に湧き上がった不安を押し退けるように紫月は再び帝斗の腰元へとしがみつくと、
「リーダー……俺……俺さ……。本当はずっとリーダーのこと……憧れてて……こんなことしたかったわけじゃねえよ。多分こんな……ことじゃなくって……でも憧れてたんだ。リーダーと話しただけですげえうれしかったし、褒められたりとかしたらすげえ気分よくって、唄もがんばれたりとかしたし……俺、こんな形じゃなくってホントにリーダーのこと……」
好きだったんだ――――
そう言い掛け、けれどもなかなか実際には言葉になってはくれない。
「知ってたよ……」
「えっ――?」
「知ってた。お前の気持ち、俺……」
紫月の悶々とした思いを受け止めるかのように、帝斗はポツリとそう言った。
04
知ってたよ、お前の気持ち――
その言葉に紫月は驚いたようにポカンと帝斗を見つめた。
「解ってたお前がそんなふうに俺のこと見てるの、知ってた……」
「っ……知ってたって……そんなっ……それじゃ……それじゃ……」
「ん、ごめんな。何となくそんなんじゃないかって気づいてたよ」
「なっ……!? じゃあ、何……? だからこんなことしてくれたってわけ……? 俺が……アンタのことを……リーダーのことを好きみてえだから……想いを叶えてくれたとでもいうのかよ――」
「え……?」
「だからこんなっ……いきなりこんなことしてさっ……ヤらせてやりゃいいとか思ったわけ?」
「……紫月?」
「だってアンタ慣れてるっぽいもんな……? こんなことっ……野郎同士でこういうことすんのに全然抵抗ないみてえだしさ……。さっきだってすげえ当たり前みてえにリードしてくれたけどさ、初めてじゃねえよな? 野郎同士ですんの……誰かとヤったことあるからあんな平然としてられんだろ?」
「紫月、おい……何、急に」
「だからついでに俺の片想いも叶えてやろうとか思ったわけ? ようするにアンタ、相手なんか誰でもいいんだ? 野郎とすんのが好きだから……誰にだって……ヤらせちゃうんだ? そうだろ? なあリーダー……! 何とか言えよっ……!」
――何で俺にヤらせたか、ちゃんと言えよっ!
「俺以外の誰とヤったのかも……ちゃんと言えってば!」
自分の想いを知っていてこんなことをしたという帝斗の気持ちを聞いて、紫月は驚愕で何を言っているかも分からない程、興奮してしまっていたのだろう、カッとなったようにそう怒鳴りあげた。そんな様子に必死の思いが見て取れたのか、帝斗は相変わらず済まなさそうに瞳を翳らせていたが、覚悟を決めたかのように深く諦めの溜息をつくと寂しそうにポツリと思いを吐き出した。
「そうだな……やっぱりちゃんと言わなきゃいけねえよな……。ごめんな紫月。お前の言う通りだよ……俺、初めてじゃねえんだオトコと寝るの……」
――!?
「ん、慣れてるみてえだって言ったろ? 別に慣れてるなんて程のもんじゃねえけど……初めてのときは……そう、ちょうどお前くらいの歳だったな。前の事務所の社長とね。別にオトコが好きだったとか全然無かったし、俺ノーマルだったんだけど……。社長も初めてだったみてえだけど俺のことが気に入ったとかでさ、興味本位でヤってみねえかって誘われて……」
「リーダー……?」
「仕事くれるって条件に何度か寝たよ。寝るたびにステージ出演の話とか有名バンドのバックステージの話とかが一個づつもらえるんだ」
信じ難いその告白に紫月は言葉さえも発せられないまま、呆然とした瞳で帝斗を見つめていた。
「は……軽蔑したろ? でも本当のことなんだ。俺、その頃は若かったってのもあるけど考えが甘かったってーか、とにかく早くデビューしたかったんだ。仕事も欲しかったよ。だから言われるままに社長と付き合った……。決して本心から望んでたわけじゃねえけど……でも罪悪感も無かったんだ。俺みてえにコネもずば抜けた実力もない奴なんてさ、こんなことでもしなきゃ仕事取れないんだろうってそう思ってたから……」
「そ……んな……! ……リーダーは充分、ズバ抜けてんじゃんかよっ……実力だってあるじゃんかっ……! なのにそんなっ……酷えよそんなの……仕事もらう為にそんなことしなきゃならねえなんて……そんなの口実じゃんか……酷えよ、そいつっ……」
「確かにな……今考えりゃバカげてるって思うけど……。その当時はなんも分かんないし必死だったから」
苦笑いをしながら寂しそうに煙草をひねり消した指先が、僅かに震えているようにも思えた。
あまりにも驚愕で唐突で、どんな言葉を返せばいいのかも分からず紫月はいたたまれない気持ちになっていた。成り行きとはいえ、こんなことを話させてしまったことへの申し訳ない思いも込み上げてくる。けれどもどうしていいか分からずに、悶々と焦れるだけの自分が悔しくも思えていたときだ。
無表情のまま定まらない視線でぼんやりと宙を見つめながら、更に驚愕なことを帝斗は言った。
「なあ紫月――俺、オトコと寝たの、その社長とだけじゃねえんだぜ」
え――?
「社長にも随分無理させられたけどな。でもセックスなんて時が経てば飽きてくるもんだろ? だんだんカンケイがまんねり化してきて、社長も普通に寝るだけじゃつまらなくなってきたんだろ。その内、てめえの友達とかってヤツら連れて来てさ、俺をそいつらに遊ばせて……それ見て楽しいとかって言ってたっけな……。三人……いや、四人くらいいたかな、トモダチって奴ら。いろんなことされたよ。ただのセックスじゃ面白くないからっつって、ちょっとヘンタイみてえな遊びとかさ。女物の着物着せられたりとか……そういうの」
「…………」
「さすがに耐え切れなくなってすぐに辞めたよ、その事務所。もう仕事なんかどうでもよくなって……ミュージシャンなんかなれなくてもいい、デビューなんか出来なくてもいいって思って……」
又、一本、新しい煙草に火を点けながら帝斗は無感情にそんなことを話していた。
紫月にしてみれば想像さえもしたことのないような非現実的な内容に、ただただ呆然となるだけで相槌のひとつも打てないままに硬直しながら話を聞くだけで精一杯といったところだ。
立ち上がった煙で二人の間を遮るようにしながらも、視線を合わせないままでツラツラと帝斗は先を続けた。
「最初からそうすればよかったんだって、後になってから思ったよ。あんな……くだらねえことに付き合ったりする前に夢なんか諦めときゃよかったって思った……。別に貞操がどうのって、そんな後悔があったわけじゃねえけど何となく力抜けちまったっていうか……何もやる気が起こらなくなっちまったってーか。しばらく腑抜けみてえになってさ。金も無えのにバイトもしねえでフラフラしてたんだ俺。でも縁って不思議っつーか、そろそろ生活ヤバイかなってときに今の事務所から声掛けられた。トラウマがあったからどうしようかすげえ迷ったけど今の社長は前の野郎とは全然違った人でさ、お前も分かるだろ? ウチの社長いい人だってさ? 本当に音楽することに熱心で真面目で……この人のとこでならやり直せるかなって思った。もう一度夢追い掛けてみてえって気になって……」
帝斗はそこで言葉をとめ、深く煙を二、三服吸い込んでからふいと視線を翳らせながらもやっと紫月を振り返り、見つめた。
「そんでお前に会ったんだ。今のバンド組むことになって紹介された。これで全部だよ俺の過去の話……。寝たオトコの数は……四~五人ってとこかな? お前以外にこんなことやった相手は、前の事務所の社長とそのダチと……全部で四~五人……」
「もういいよっ――――!」
堪らずに紫月は言葉を遮った。
「もういいよっ……! もう……いい……ごめんリーダー……俺、本当にごめんっ……! 辛いこと言わせちまって……ヤなこと思い出させちまって、本当に俺っ……すげえ大バカ野郎だぜ……! 本当にごめんリーダー」
見つめてくる帝斗の瞳に視線を合わせることさえ出来ずに、やり切れない思いを持て余せば、悔しさに涙が滲む思いがした。いっときの湧き上がった嫉妬心とほんの少しの後悔と、初めての体験の為か不安の念から汚い言葉で帝斗をなじってしまったせいで、こんなことを言わせるはめになった。紫月はそう思って、更なる後悔の念に駆られた。
自分だって同性の帝斗に対して邪な想いを抱いていたというのに……。
現実的にではないにしろ、彼を思っていやらしい妄想に想いを持て余したことは事実だ。さっきだって如何に突発的だったとはいえ、こんな行為に誘われたことが正直嫌ではなかったし、それどころか自ら興奮してむさぼったのも事実――願望が叶ってうれしかったのも事実だ。
自分のことを棚にあげて大人げなくなじってしまったことに、紫月は自ら腹が立ってならなかった。と同時に帝斗を我が物扱いしていたという前事務所の社長という人物に対する憤りが込み上げて、抑え切れない衝動を伴ったような感情に耐え切れず、紫月はすぐ目の前の腰元に手を伸ばすと、抱き締めるようにしがみついた。
「リーダー……リーダー……俺、あんたのことが好きだよ……初めて会ったときからあんたやさしくて……あんたといるとやる気も出て楽しくて安心できて……知らない内にあんたのこと目で追うようになってて」
「……紫月?」
「あんたの言う通りだよ、俺リーダーのことが好きなんだ……マジで……好き……なんだ……。あんたに酷えことしたその社長ってヤツ、ぶっ殺してやりてえよっ……! 許せねえよっ……! リーダー……ねえリーダー……俺のことどう思う? いきなりこんなことしたのだって嫌いじゃねえから? ねえ、嫌いだったらこんなことしねえよな? 教えてよリーダー。俺のこと……どう思ってくれてる……?」
涙混じりの声で、それを気づかれんと必死に顔を隠しながら腰元にしがみつき、紫月は想いのたけを吐き出すようにそう訊いた。
逞しい肩先が目下で僅かに震えてもいるようで――
帝斗もたまらなくなり、つられるように滲み出した涙を抑えるように天井を仰いだ。
「サンキュ紫月。すげえうれしいよお前の気持ち……すげえうれしくって……何か感動……しちまったみてえ……」
「リーダー……」
「俺さ……俺も好きだったよお前のこと。本当言うと初めて会ったときからそうだったんだ」
「リーダー?」
「マジだぜ。バンド組むことになって初めてお前を紹介されたとき、いいヤツだって思った。歳も離れてたし、弟みてえで何だか懐かしい感じもしたんだ。言葉悪いけど可愛いなとかも思った。で、一緒に過ごす内にどんどんお前に魅かれてくのが解って怖いくらいだったよ。お前はまだ若いし将来もあるし……マジになっちまって挙句お前を困らせて、関係こじらせて、俺はきっと傷ついて――そうなりゃバンドもうまくいかなくなったりとかして。そんなのが目に見えるようだったんだ。でも気持ちはとめられなくて、正直ヤバイと思った。どうしたらいいか解らなくなって……だから俺……」
苦しげにそう告白しながら、帝斗は腰元に顔を埋めたままの紫月をそっと見下ろした。
05
「ごめんな紫月……俺、お前にマジになってく自分が怖かったんだ。だからこんなんじゃいけないって焦って何とか平静を保ちたくてこんなことしちまった。お前の様子から多分俺たちはお互いに同じような気持ちなんじゃねえかって気がしてて……ひょっとしたらお前も俺のこと好きなんじゃねえかって気づいたときはうれしかったよ。でも同時に怖くもなったんだ……。もしも気持ちを打ち明け合ったとしても、きっと長くは続かないって思った。お前は若気の至りで一時の気の迷いかも知れねえけど……俺は益々本気になっちまうだろうから。どっちにしたっていずれお前を困らせる、結局気まずくなって打ち明けなきゃよかったって思う日が来るかも知れねえ。そう思ったら怖くなって……だからわざとこんなことしたんだ。お前誘って、これはただの火遊びだって言い聞かせながら一度でもいいから想いを叶えられればって思った。ごめん紫月、結局何もかもさらけ出しちまうんなら同じだったのにな? ホントに悪ィ――俺、今何言ってんのか自分でもワケ分かんねえし……。イイ歳こいて、バカさらけ出しだな」
苦笑いの中に込み上げた涙を抑えようと、帝斗はギュッと唇を噛み締めた。
信じられないような告白と初めて聞いた帝斗の本心――
彼にしがみついたまま、頭上から降ってくる言葉が宙に浮いたようなままで紫月は呆然となりながらも、その甘やかな告白に心の奥底が震える気がしていた。
ポタリと何粒かの雫が手のひらに落ちてきたのはそんなときだ。
ハッとなって頭上を見上げれば、うつむきながら唇を噛み締めている帝斗の顔が目に入った。はっきりと表情は見えないまでも、長めの前髪の下から僅かに光る濡れる雫が紫月の心を揺さぶって――
逸った衝動のままにうつむく顔を覗き込めば、思った通り、色白の頬に涙の痕が伝っていた。
「リーダーっ……!」
黙ったまま耐えるように涙するその姿に、心臓を鷲づかみされるようだった。そして強く抱き締めたい衝動に駆られた。強く強く抱き締めて、もう誰にも触れさせたくはない。もう何処へもやらない、そんな思いが充満して胸が苦しくもなった。
「泣くなよ……リーダーお願い、もう泣かないで……何処へもやらない、あんたのこと。もう誰にも触らせねえ……俺以外の誰にもっ……触らせたりしねえっ……! 好きだよリーダー、あんた俺のもんだよ……。俺だけのっ……」
掠れ気味に発せられる途切れ途切れの言葉は、まるで魂の叫びのようだった。
心の深い部分から搾り出すように紫月はそう言って、ううむいた頬を両の手のひらで包み込むと、あふれる愛しさを差し出すようにおでことおでこを擦り合わせた。
そして頬と頬を重ね合わせ、
鼻と鼻がぶつかるのが歯がゆくて交差させ、
想いを確かめるように唇を触れ合わせ、
まるで戸惑うように、探るように、恐る恐る触れたり離したりを繰り返し――
抑え切れなくなった想いをぶつけ合うように二人は互いの唇を奪い合った。むさぼるように激しく吸い、絡め、少しでも相手を感じていたいというように瞳は虚ろに開いたままで奪い合った。動物的な本能のままに求め合いながらも心に残る不安に翻弄されて、そんな思いが涙という形になってはしばらく帝斗の頬を流れ続けていた。
そんな不安を包み込むように紫月は激しく強く抱き締め、湧き上がる想いそのままを素直に帝斗へとぶつけて見せた。
「リーダー、も一回したい……今度はちゃんと……ちゃんと好き合ってあんたを抱きたい……あんたは俺だけのもんだって、ちゃんと思いながら抱きたいよ。ねえリーダー……大好きだよあんたのこと……マジで……」
大好き――――!
「バ……ッカ……紫月、後悔したって知らねえよ……後で、やっぱ野郎同士なんかやめときゃよかったって後悔したって遅いぜ? 俺お前よか八歳も上なんだし、すぐジジイになっちまうし……」
うれしさが込み上げながらも、不安を捨て切れない帝斗の震える問い掛けは僅かに冗談めいてもいて、そんな様子が愛しさを煽ってくる。と同時に焦れるような怒りも込み上げて、紫月はプっと繭を吊り上げた。
「まだそんなこと言ってる……歳がどうとか、ジジイとか、そんなことどうでもいいよ。ここで無理矢理気持ち押し込んで我慢して、あんた失くす方がよっぽど後悔だね! 言っとくけどリーダー、俺そんなにデキた奴じゃねえからな? あんまし頑固だとめちゃめちゃにしちまうかもよ?」
「は……?」
「だからー! そんなに俺が信じらんねえならスネちまうって言ったの! スネて怒ってアンタのことめちゃめちゃしちまうかもって……」
「わっ、紫月! バカ……バカバカバカッ……何急にっ……!?」
紫月はいきなりベッドから起き上がると、ヒョイと身軽に帝斗の身体を抱き上げてそのままリビングへと歩いていった。
「何すんだってお前っ、いったい何処行くつもり……」
「何処って、リビング」
「リ、リビングって……バカ、駄目だってば! カーテン閉めてねんだからっ! この時間なら外から丸見え……! ヤバイってー!」
ジタバタと本気で蒼白となっている帝斗を腕の中で抱え直しながら、紫月はくすりと笑みを漏らすと、
「いいじゃん、見せてやろうぜ! 皆に、世の中の奴ら全員に! 俺とリーダーが愛し合ってるんだってこと、皆に見せてやりてえ……!」
「何言ってんだバカッ……! 俺たちはまがりなりにも芸能人なんだからっ、うわっ!」
先程までの切なさは何処へやら、二人して全裸のままでカーテンの閉まっていないリビングでぴったりと身体を寄せ合って……。
慌てふためく帝斗を幸せな瞳で見つめながらクスクスと紫月は笑った。
「あんたってやっぱリーダーなのな? 律儀っつーかオトナっつーか……ま、悪く言えば頭カタイつーか?」
「紫……紫月ーっ、何余裕ぶっこいてんだ……! 早くカーテン閉めなきゃ……閉めなきゃ見えちまうってのに! スクープとかされたらどうすんだってよ! 週刊誌の記者、この部屋知ってんだぜ? ああー、もうーっ!」
何でもいい――先ずは羽織るものは無いかといった調子で慌てている様子でさえ幸せそうに横目で追いながら、スッポンポンの身体を隠そうともせずに紫月は未だに微笑い続けていた。
「おい紫月っ! いい加減お前も何か着るモン探せよっ! マジでヤバイってー!」
「芸能人とかスクープとかそんなのどうでもいいよ。俺があんたのこと好きだってことのが大事だぜ。スクープされたって全然構わねえよ俺…むしろスクープされてえくらい……」
「え――!?」
「ん、スクープされて皆に知れたらいい。俺とリーダーが愛し合ってるって、思い知らせてやりてえくらいだって――そう言ったの」
穏やかに、でも少し照れながら頬を染めて瞳を反らした様子に、帝斗の方も瞬時に頬の染まる思いがした。見つめてくる瞳の穏やかな感じは年の差など全く感じさせずに、むしろ見守られているような気分にさえなってくる。帝斗は慌てて取り上げたソファのクッションを抱きかかえながら、初めて味わう心地よさを痛感する気がしていた。
それは言葉では言い表しようのないような安堵感ともいえるもの。
大切な人の傍で素直でいられる至福感のようなものでもあった。
確かに彼の言う通りだ。誰に知れたって構わない、何と言われようが知ったことではない。本当に辛いのは今自分を見つめているこのやさしい瞳から離れてしまうことなのだと強く実感させられる。
離れたくはない、
一緒にいたい、
ずっとそのままのやさしい視線を感じていたい、
彼の声を聞きたい、いつも聴いていたい、
そして、できるならその肌の温かさをもずっと感じていられるなら――
ジタバタと焦っていたのが急に可笑しくも感じられて、帝斗はフっとやわらかな笑みで紫月を振り返った。もう一度触れ合いたい、そんな気持ちで瞳を細め彼を見つめれば、紫月の方も何も言わずともそれが伝わったかのように静かに両腕を広げて見せた。
まるで『この胸の中へおいで』と導くように両腕を広げている年下の彼の頼もしい様子に、もう何もためらうものなど何もない。そんな気持ちで飛び込んだ色白の肩先を強く抱き締めた。
「リーダー……もっかい……しよう?」
もう一回、あんたを抱きたいよ――
「ん……うん……いいぜ、もう一回……二回でも……うんん、何度でも……」
お前に抱かれたいよ――
首筋で甘えるように瞳を閉じる年上の彼を包み込むように見つめ、微笑んで――紫月も又、今まで感じたことのない幸福感を胸に、抱き締める腕に力を込めた。
「好きだよリーダ……」
そう言い掛けて言葉をとめ、少し照れたように視線を反らせながら、紫月は初めての大切な言葉を口にした。
「愛してるぜ……帝斗……」
え――?
初めて耳にする聞きなれない呼ばれ方、名前で呼び捨てる年下の彼の頬は恥ずかしそうに染まっていて、思わず込み上げた甘い疼きに全身がゾクリと震えた。
まるでぎこちなく、探るように唇を合わせて抱き合えば、重なり合った互いの身体の中心に同じような弾力を感じて二人は同時に頬を染めた。
好きな相手といるだけでこんなにすぐに欲情出来る幸福感に半ば呆れたように微笑み合い、次の瞬間にはどちらからともなく激しく互いの唇を奪い合った。
弾力が硬さを増し、みるみると勃ち上がり、逸る気持ちをそのままに蜜液が互いを濡らし合い……。
「ね、帝斗、やっぱベッド行こ……ベッド行って……」
思いっきりアンタに翻弄されてえよ――!
僅かに腰元をかがめながら熱い視線を送ってくる若い彼にクスっと微笑んで、帝斗はそっと部屋の灯りを消した。
- FIN -