ウブな恋心
エピソード1
丞と仁の夏休み日記
「じゃあね、お母さんたち行って来るから。しっかり留守番頼んだわよ~! あ……丞くん、ウチの仁のことよろしくね。いろいろ面倒見てやってちょうだい、仁ったらいい歳して何にも出来ないんだから!」
「あらヤダ、それを言うならウチの丞だって一緒よ? 仁ちゃんより年が上ってだけでね、てんで頼りないんだから!」
脳天気に甲高い笑い声なんぞを出しながら、はしゃいでいる両親たちを目前に、幼馴染みの丞と仁は呆れ半分、シラけた表情で互いを窺い合っていた。
学生時代から仲の良く、オマケに学内恋愛で結婚した親たちは、こともあろうか家まで隣りに構えて、かれこれ四半世紀にも及ぶ付き合いを続けている。二組の仲良しカップルは、五十歳近くになった今も未だ学生気分が抜け切らないらしい。
そんな彼らの子供として生まれた丞と仁は、幼い頃から本物の兄弟のようにして育った間柄だ。
結婚○周年を記念して――とか何とか都合のいい理由をつけて、十日間のハワイ旅行に出掛けようなんていう計画を打ち出したのは今年の春時分のことだった。以来、双方の両親たちは浮かれ気分で毎日を過ごし、夏休みに入ったと同時に早めのお盆休みを取って、今日からその○周年旅行とやらに出掛けるのである。玄関前で中年夫婦二組を乗せたタクシーを見送りながら、丞と仁は呆然と立ちすくんでいた。
「普通親だけで行くかよ? 子供を何だと思ってやがる……」
仁がボソリと嫌味を漏らせば、
「まあまあ、いーじゃねえの。今日から俺ら二人なんだしよ? こっちはこっちで自由にやろうじゃん?」
隣りにいた丞はすかさずそう言って、一歳年下の彼をなだめた。
だが、今春に丞と同じ大学に進学してから初めての夏休みを迎える仁にとっては、やはり海外旅行は魅力らしく、たとえ親と一緒でも行かないよりはマシだろうと少々ぶすくれ気味なのである。
相反して案外うれしそうな丞を横目に、軽い溜息がとまらない。この、何ともいえずマイペースでのんびりした様子も又、仁の不機嫌を煽る要因のひとつとなっているらしかった。
「ふ……っん、てめえはいいよな、いつも脳天気っつーかさ? あいつら(親たち)が豪華にリゾートしてるってのに、こっちはこの暑さの中で十日もボ~ッとお留守番なんてよ。あー、考えただけで腹立つー」
「はは、まあそうカリカリすんなって。それに俺らだって明後日からリゾート行くじゃん! ま、こっちは伊豆だけどさぁ、でも海にゃ違いねえんだし。うるせーの(親たち)もいねえし二人っきりで楽しんで来りゃいいじゃん?」
「は、やっぱ脳天気だなオマエ。ハワイと伊豆じゃなー、やっぱ悔しいっつーか……あ~あ~……」
「ほれ、いつまで愚痴ってねえで家入ろうぜ? 俺が旨いメシ作ってやっから~! そうひがむなって。なあ仁ちゃん?」
「あー? 誰が『ちゃん』だよ、誰がー!」
未だ口をヘの字に結びながらも、意気揚々と家の中へ入って行く丞の後ろ姿を追いながら、仁はフイと頬を赤らめた。
幼い頃からいつも明るくのんびりした気質の丞のことを、たまにうっとうしいなどと思いながらも、そんな大らかさが傍にいてとても心地よかった。
どちらかといえば人見知りで口数の少ないタイプの自分とは正反対の明るい性質に、密かに憧れていたものだ。何より小さいことを気にしないのんびりとした感じが一緒にいて心地よかったのは確かだし、そんな彼を見ていると、不思議と自分も大らかになれるところが気に入っていた。
そんなわけなので、高校はもちろん、大学までも丞の後を追うように同じところを目指し、常に彼と一緒の空間にいることが当たり前のようになってもいた。
仲のいい幼馴染み。
兄弟のように過ごしてきた。
ある種微笑ましい光景だが、そんな中で自然と湧き上がった甘酸っぱい感情に胸を締め付けられるようになったのは、高校に入った頃だったろうか。『隣りのお兄ちゃん』だった丞が急に眩しく映るようになったのは、確かその頃からだったに違いない。
当然のように同じ高校を目指し進学して、学内で偶然に遭遇した丞の着慣れた制服にドキリとさせられたのを今でも鮮明に思い出す。
『こいつ、俺の弟も同然だからよ』などと言って自分の同級生らに紹介してくる丞がひどく頼もしくもあり、そしてとてつもなく大きく感じられた。たまに学食などで鉢合わせれば、昼食をおごってもらったこともある。
初めて外で意識して見る彼は、普段の『隣りのお兄ちゃん』とはえらく違って大人びて見えた。
夏に着崩した制服のシャツが、
秋には衣替えで羽織った学ランが、
何とも言えずに眩しかった。
そんなひとつひとつが新鮮に映り、図らずもドキリとさせられて、戸惑ったのを覚えている。『仲のいい隣りのお兄ちゃん』だった丞が、仁の中で違った存在になっていったのはその頃からだった。
そのせいか、異性に対しても全く興味が湧かなかったのも、この年頃の男にとっては珍しいことだったといえようか。だがそんな本人の意向とは裏腹に、仁は両親に似て彫りの深い異国的な顔立ちだったのもあって、校内でも結構人気が高かった。
バレンタインやら学際やらといったイベントの際には勿論のこと、同級生、先輩後輩を問わずかなりの数の女生徒らから誘いや告白めいたものを受けたが、当の本人は今一興味が湧かなかったのである。
元々無口なのもあって、いつでもはっきりとしない仁の態度に業を煮やした彼女らが、次第に無愛想で冷淡な男などと触れ回ることも少なくなかった。そんな悪循環も相まってか、仁の異性に対する興味は益々薄れていったといって過言ではなかった。
片や丞の方といえば、仁とは正反対の愛想のいい性質からか、男女問わずいつでも周囲に人が集っているような賑やかさだった。そんな様子を遠巻きに見る度にチクリと胸の奥が痛むのは、やはり自身の中に淡い恋心のようなものが芽生えていたのは否定できない。
それに気がついてしまって以来というもの、仁は丞に対して何となくよそよそしくなっていくのが嫌でもあったが、当の丞が大らかな性質だったので、格別にはギクシャクすることもなく幼馴染みを続けてこられたといったところだった。
会えばついつい憎まれ口のようなものを叩いてしまう。けれどもその直後に必ずといっていい程、甘い疼きが浮かび上がる。自分の嫌味めいた言葉にも逆に不適な笑みで大らかに受け止められて、そうされる度にどんどん彼に魅かれていくのが怖くもあった。
まあ異性に興味が湧かないとはいえ、だからといって同性である学友たちなどに特別な感情があるかといえばそうではなく、だから仁は自身をいわゆるゲイだというふうにも自覚してはいなかった。相手が男だから必ずしも心が逸るというわけではないのだ。
仁にとっては男とか女とかそんなものは関係なく、ただ丞を目の前にしたときにだけ甘く疼くような感覚が湧き上がるのであって、だからこそ、ここ最近は何かと始末が悪い思いをしていたのも確かだった。
大学にも無事入学してとりあえずの悩み事など何も無い。いわば余裕のある状態の中でだからこそ、丞に対する自身の気持ちが余計に厄介に思えたりする。他に考えることがないからそればかりが気になってしまうのだろうが、こればかりはどうしようもなかった。
近頃では来る日も来る日も考えるのは丞のことばかりだ。
向かいの部屋の電気が点いていれば『ああ、もう帰ってるんだ』と思うし、車庫に車がなければ何処に出掛けているんだろうと不安になったりもする。いい加減女々しいと思いながらも、気になるのはとめられないのだ。
自分は丞に惚れてしまっているのだろうか?
同性の、しかも幼馴染みの男になんて――と、溜息を漏らして自己嫌悪に陥れど気持ちの疼きはとめられない。
いい加減ヤバイ。
重苦しい気持ちが晴れないこんなときに両親同士の旅行の話である。今日から十日間もの間、丞と二人きりの生活になるのだ。
しかも夏休みの今は大学に通うこともない。バイトをしているわけでもないし、サークル活動があるわけでもない。気まずい程にベッタリ二人きりなのだ。
しかも根っから暢気な性質の丞のことだ、きっと夜はどちらかの部屋で一緒に過ごそうなどと言ってくるに違いない。今さっきだって『俺が旨いメシを作ってやるからよ』だなんて、すっかり二人で『生活』する流れになっているじゃないか。
親も学友もいないこんな中で一体何をしゃべればいいのだろう。きっと今まで以上によそよそしくなってしまうに決まってる。その上あろうことか、明後日からは二泊で伊豆へ小旅行ときている。
この先のことを思うと気が重くなる一方で、二人きりの生活に期待感が皆無というわけでは決してなく、仁は乱れる自身の心に翻弄されながらもやはり頬の紅潮するのをとめられずに、玄関へと入っていく丞の後ろ姿を追いながら深い溜息を落とした。
◆
朝飯を一緒にし、一旦は各自の家へと戻ったものの、午後になると案の定、暇を持て余したふうに丞が訪ねて来た。
『伊豆へ行く車の中で聴くCDだけどどれがいい?』などと、何枚もアルバムを抱えて意気揚々楽しげだ。
「何だっていーよ、オマエの好きなの持ってけばいいじゃん。車だってオマエのなんだし……」
又も素っ気なく、気の無い返答をしてしまってから、ちょっと愛想がなかったかなどと落ち込む仁であったが、相も変わらず大らかな受け止め方の丞の様子にドキリとさせられたりと、初日からソワソワとした感情を持て余す。
「まあそう言うなってよ。せっかくだから好きなの(音楽)聴きながら行きてえじゃん?」
「だからー……オマエの好きなの持ってけばそれでいいって言ってんじゃん」
「俺はね、お前にも滅法楽しんでもらいてえのよ! お前の好きな曲を一緒に聴く、そんでもって俺の好きなのも一緒に聴くってさ? そ~ゆ~のいいじゃん?」
「別に……何だっていいよ俺、特に好きな曲とかねえし……興味ねえから……」
ボソリとそう言って気まづそうに俯いた仁の頭をポンと撫でた。
「お前なー、何でもかんでも興味無えっていっつも同じこと言ってるけどよー、そんなんじゃ人生勿体ねえぜ? せっかくの夏休みなんだしよー、もっとこうエンジョイ~っつーの? 趣味とかデートとか遊びとかさ、いろいろあるでしょやりてえこととか。そういやお前って彼女とかもいなかったっけ? 連れて来てるのとか見たことねえよな? な、な、どうなのよ仁。好きな子とかいねえの? お前結構モテるだろ?」
「いねえな。オンナとか興味ねえし」
「あ~、又興味無えときたもんだ!」
いい加減呆れたと言わんばかりに丞はゴロリとベッドに寝転がると、再び仁の髪を撫でるように手を伸ばしながら言った。
「ならさ、何なんだろうなお前の興味あることって」
「へ……?」
「ん、だからよ……知りてえなって。お前の興味あること」
じっと見つめてくる瞳が午後の日差しに透けてそこはかとなくやさしげだった。
こんなに無愛想にしているのにそんなことは気にもとめずといった調子で、それどころかこんなふうにやさしく見つめながら『お前の興味あることを知りたい』などと訊いてくる。仁は面食らったように微動だに出来ずに、ドキドキと高鳴りだす心臓音を抑えるだけで必死だった。
「別に……俺の興味なんて……そんなの知ってどーすんの……」
しどろもどろに視線を泳がせるのがやっとだ。
「どーするって、ただ知りてえと思っただけ。つーかさ、俺が興味あるんだ、お前の『興味あること』に」
クスッと笑いながらそんなことを言われれば極め付けだ。染まる頬を隠すように仁は咄嗟に背を向けて、そしてふと考え込んでしまった。
そういえば何だろう、自分の興味あることって?
改めて訊かれると出てこない。
何だろう、格別聴きたい曲があるわけでもない、行きたい場所があるわけでもない。ましてやデートだの彼女だのなんて考えたこともないということに初めて気が付いた。
何だろう、俺の興味のあること……俺のいつも考えてること……。
それって――
「オマエのこと――」
ポロリと滑らせて、仁は慌てて口をつぐんだ。
「あのさっ、とにかく何でもいーから……曲とか……お前が好きなら俺もそれでいいし」
「ふぅん、そう? ならいいっか。俺がテキトーに選んで持ってくわ。それよか今日の晩飯どうする? 俺作ってやってもいいけどー。せっかくだからどっか食べに出るか?」
「ん……いいよ。どっか食いに行くか」
「よっしゃ、じゃあ決まりな? お前、何食いたい?」
(そんなの、お前の好きなモンでいいよ)
そう言い掛けて仁はハッと言葉をとめた。
「ん……とね、そんじゃ焼肉とか……行ってみる? 今日も暑いし夏バテ防止ってことでさ」
又しても『何でもいいよ』と返答するのがバツの悪く思えて、咄嗟にそう切り返した。
そんな様子を即座に理解せんとばかりに丞はうれしそうにニッコリと微笑むと、ひょいと身軽にベッドから起き上がって仁の頭ごと抱きかかえるように引き寄せた。
「いいな焼肉。ちょうど俺も食いたいと思ってたトコ! なんせお袋のメシって和食ばっかだしよー? ココんとこずっと大根おろしとかだったから」
悪戯そうに微笑む瞳がすぐ目の前で揺れている。頬と頬がくっ付くくらいに引き寄せられて、まるで内緒話のように耳打ちされて、仁は更に頬を紅潮させてしまった。
それじゃ後で迎えに来るよ、と手を振りながら丞が出て行くのをずっと窓越しに見下ろしていた、そんな折だ。
斜向かいの玄関に入ろうとする彼の後を追うように楽しげな女たちの呼び声を耳にして、仁は咄嗟に窓際で身を潜めた。
「丞ー! ねえ丞ったら! 久しぶり~!」
「お! どうした? めかし込んで今日は何かあるのか?」
会話の様子からどうやら高校か何かの同級生か、あるいは後輩らしいのが分かった。ちらりと覗き見た彼女らは三人くらいで、皆それぞれに浴衣姿だ。
丞の問い掛けといい、何かの祭りでもあるのだろうかと、仁はこっそりと窓枠から顔を出し、階下の道路を気に掛けた。
「ヤダ~丞ったら! 今日は花火大会だよー。それに出店もあるし~! 花火の前にゆっくりお茶しようと思ってね、早めに来たの」
「へ? そうなの? 知らなかった。つーか、それでそんなにオサレしてるわけね」
「えへへ、見違えたでしょ? ねえねえ、だからさ、丞も一緒にどうかなって思って寄ってみたの! 前はよく一緒に行ったじゃん?」
「そうそう! ちょうどそんな話になってさ~? 丞と仲良かったバスケ部のゴウ君たちも来るよ!」
「え? マジで? ゴウってあの清水剛? そういやあいつらとも会ってねえなー」
「でしょでしょ? だから行こうよー、久しぶりにさ? でもまさかホントに家にいるなんて思わなかったけど~。丞ったら大学入ってからトンと音沙汰ないんだもん、久々に家行ってみようかってそういう話になって来てみたんだけどぉ……」
「そういえば丞って今、彼女とかいるの? サークルかなんかで素敵な女性(ひと)ゲットしてたりなんかして?」
矢継ぎ早にそれぞれが問い掛ける。その視線はうっとりと潤み、頬も心なしか紅潮しているようでもあって、つまり彼女らが少なからず心躍らせて丞を訪ねて来たのだろうというのが二階の窓からでもはっきりと分かった。
(ふ……っん、うれしそーなツラしやがって……相変わらず八方美人なんだからよ――)
軽く頭なんかを掻きながら満更でもなさそうな丞の様子に、仁はこっそりとカーテンを引くと、クーラーで冷えたベッドへと気だるそうに身を預けた。
じゃあ今日は『一緒に焼肉』はナシだな――
ふん、と鼻で苦笑いをし、何だか一気にヤル気が失せてだるくなってきた。
格別腹が減っているわけでもないし、もう今日はこのまま寝ちまおうか、などとふてくされながらも、急激に寂しさのようなものが襲ってくるような気がして、そんな滅入った気分を忘れようと仁はそのまま瞳を閉じた。
それからどれくらい経ったのだろう、どうやらあのまま寝入ってしまったらしい。
夏の宵闇を告げるべく、虫の涼しげな鳴き声でうつらうつらと目を開けた。
寝起きだからなのか、特有の身体が一気に火照るような感じがして、フイと寝返りを打とうと思ったそのときだ。
背後からぴったりと包むように誰かが寄り添って寝ているではないか。仁は驚いてガバッと布団を押し退けた。
◆
「わっ……! なんだてめえっ……!? こんなとこで何してんだって……」
窓の外はすっかり陽が落ちていて、外灯の明かりがポツポツとともり始めていた。クーラーで冷え過ぎたせいか、すっぽりと布団に包まってはいるものの、隣りで眠りこけているのは間違いなく丞だった。
いつからここにいたのだろう、ずっと抱き合うようにして眠っていたというのだろうか――
呆気にとられてしばらくはポカンと丞の様子を見下ろしていたが、そんなことを想像した途端に頬が染まる気がした。
一気に眠気が覚めてしまった。
「あ……? あれ……? 仁、起きたのか……?」
眠たげな瞳を半開きにしながらモゾモゾと寝返りを打つのを、未だポカンとしながら見つめていた。
「な、何してんだよっ!? てめえ……いつからここに居んだって……」
「うん……? 今何時よ?」
「ンなことよか、何でここに居るかってーの!」
頭上でぎゃあぎゃあと騒がれて、丞はようやくと布団を肌蹴いた。
「何でって……そろそろ飯食いに行こうと思って来てみりゃお前寝てんだもんよ。起こすのもなんだと思ってたら俺もウトウトしてきちゃってよー。なんせ今朝早かったからー、お袋たちの見送りで叩き起こされたし」
よっこらしょ、というようにだるそうな身体を起こすと、突如思い出したように大声を上げた。
「そうだ仁、そういやお前……! 玄関の鍵開けっ放しだったぜ? 俺が帰った後閉めなかったろーが!」
「ああ? そうだっけ……?」
(そういえばあのまま寝ちまったんだっけ――)
ぼんやりと仁は夕刻のことを思い出していた。
「お前さー、無用心だっての! 危ねーだろ!」
真顔でそんなことを言ってくる丞が不思議に思えて、仁は首を傾げた。
「いいじゃん別に。野郎なんか襲うヤツいねーっての」
「バカッ! いくら野郎っつったってアブねーもんは危ねーっての! ヘンな奴が入って来たらどーすんだって! こんな住宅地っつったって物騒なんだからな! お前に何かあったら俺っ……それにっ、おばさんたちにだって何て言やいいんだって……」
「は、バーカ。か弱い女でもあるめーし何アツくなってんだって……。分かったよ分かった! ちゃんと鍵は閉めるようにすっからよ?」
笑い流しながらそんなことを言った仁に、丞の方は珍しく真剣な面持ちで不機嫌そうな顔をしてみせた。
「そんな怒ることねーじゃん。次から気をつけるって言ってんだからよ? それよかお前、花火どうしたんだよ? こんなとこで寝てていいわけ?」
手元の時計を見ればちょうど七時を回ろうとしているところだった。もう三十分もすれば花火が開始される頃だろう、まるで今しがたのお返しのように今度は仁の方が少々不機嫌そうに、ふてくされたようにそんな問い掛けをしてみせた。
「行くんだろ、花火? さっき女の子誘いに来てたじゃん……。だから俺りゃ~てっきり今日の『焼肉』はナシだなってそう思ってたけどー」
淡々とそんなことを言っている仁を横目に、丞の方はしばし呆気にとられたように目を丸くした。
「あ……なんだ知ってたのか?」
「窓から見えたし……」
未だふてくされ気味の仁の様子に、丞はプッと噴出しながら瞳を細めた。
「バーカ、俺がお前を置いて花火なんて行くかよ? 飯の約束だってあるのによ」
「約束なんて……俺なんかに気ィ使わなくたっていいのに……」
少しの沈黙が二人を包んだ。
互いに見つめ合ったまま、どちらからも言葉を掛け合えずに、ほんの少しの沈黙が二人を包んでいた。
「行きゃーいいじゃん……今からだって間に合うし……携帯とか知ってんだろ? 昼間のオンナの――」
やっとのことで視線を外してそう言った瞬間だった。グイと腕を掴まれて、仁はびっくりしたように振り返った。そこには珍しくも真剣な様子で見つめてくる丞の瞳が真っ直ぐに自分を捉えていて――
無表情な中に少しの怒りのようなものと、酷く切ないような感情が入り混じった複雑な表情でじっと見つめている。
掴まれた腕からは手のひらの熱さが伝わってくる。どくんどくんと脈打つ音までが触れ合った肌から伝わるようで、仁は一気に身体が火照るようにカーッとなるのを感じていた。
何をしゃべっていいかも分からずに、又は丞が何を考えているのかも分からずに、ただただ時間が過ぎていく。
ほんの短い間だったのかも知れないが、仁にはとてつもなく長く感じられて視線のやり場さえおぼつかなかった。
掴まれた腕は未だそのままだ。
こんなの……もう耐えられない……!
普段はひょうきんで明るい丞が、何を言っても多少嫌味めいたことを投げつけても笑って流してくれるはずの彼が、今は何も言葉にしない。
不機嫌な中に少しの怒りが混じったような表情で、食い入るように見つめてくるだけだ。
余程気を悪くしたのだろうか、女たちの誘いを断ってまで自分との晩御飯の約束を優先してくれた彼に不用意に文句めいたことをぶつけたから、さすがに怒ってしまったのだろうか。
グルグルとそんなことが頭を駆け巡り、この間の悪さを何とかしたくて仁はギュッと唇を噛み締めた。
「ごめん……悪かったよ……せっかくお前が……」
これ以上耐え切れずにそう言った瞬間に、掴まれていた腕が強く引き寄せられた。
「じゃ行こうか花火……お前となら行ってもいいぜ? お前と一緒なら……」
「え――?」
抱きかかえるように引き寄せられて、耳たぶギリギリで低い声がそう囁いた。
普段は聞いたことのないような低くて秘めやかな声でゾクリと背筋を撫でられて、仁は思わず身体を固くした。丞の腕の中にすっぽりと抱き包まれたままで、動くことも儘ならずに、ただ身を固くするしか出来ずにいた。
「お前となら行ってもいい。花火でもメシでも、何処へでも。お前とだったら……いいぜ俺……」
耳元を撫でている唇が僅かに意思を持ったように強く押し当てられたように感じたのは錯覚なのだろうか、仁はびっくりして丞を払い除けようとした。
「バカッ……何言ってっ……ちょっ、丞! てめえ、何の冗談!?」
真っ赤に紅潮した頬の熱を隠すように、抱き締められた腕の中でもがいた。そして再び目と目が合って、視線が外せなくなって、見つめ合って――
近過ぎる距離に身体中の血が逆流しそうだった。ふと気を許せば、このまま瞳を閉じて熱い体温の発する逞しい胸に頬を預けてしまいたくなる。
自らしがみついてしまいたくなる。
ともすれば今までの秘めた想いごとすべてを云ってしまいたくなる程に近い距離が、再び背筋に欲情の渦を這い上がらせるようだった。
「冗談だよ。お前があんまりひねくれ屋だから、からかっただけ!」
「は……!?」
「ほら、ボサッとしてねえで。メシ食いに行こうぜ? 焼肉ー! 腹減っちまったのよ俺」
もうベッドから立ち上がり、部屋のドアに手を掛けている。変わり身の早さに呆気にとられながらも、不適に微笑む口元を視線が捉えれば、又しても身体中を磁気のような熱が走るような気がした。
あの唇が今の今ままですぐ目の前にあったのだ。
あんなにも近い距離で、冗談半分にも抱き締められて、そしてそれこそ冗談なのだろうが『お前と一緒なら何処へでも行ってやる』などと意味深なことまで聞かされたのはつい今さっきだ。
冷え過ぎた部屋から一歩外へ出れば、ムッとした生ぬるい空気に昼間からの暑さを感じた。
あのとき、抱き締められ引き寄せられたとき、あの胸に寄り掛かってしまったならどうなっていたんだろう。
稀に見る程真剣な感じと少しの怒りの混じったような複雑な表情が、次々と脳裏に思い浮かんでは消えていった。
ジーンズの後ろに突っ込んだ長財布。
ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
宵風に薄茶色の髪が揺れている。少し巻き毛とレイヤーの混じったようなやわらかそうな髪が揺れている。
くゆらした煙が鼻を撫でた。
いつもの煙草の香り。あいつの吸うタバコの香りがツンと鼻を刺激して……。
何かが変わってしまいそうな気がする――
今までの秘めてきた淡い想いが急激に爆発してしまうような逸る思いが胸を掠める。
身体中にこもった微熱がドクドクと熱さを増して火照り出すのが怖くもあった。
そんな思いに前を歩く丞の後ろ姿を見つめながら、再び疼きあがった身体の熱を冷ますように両腕を広げて、仁は宵の風に吹かれ歩いた。
-FIN-
エピソード2
仁の海水浴日記(仁視点)
丞と焼肉を食いに行ったあの夜から、取り立てては何事も無く平穏な一日を過ごし、俺たちは伊豆に来ていた。
渋滞を避けて、夜が明けきらない内から出てきたものの、さすがに陽が昇れば暑い。隣りで運転する丞の額にも薄っすらと汗が滲み出ていた。
潮風の匂いが鼻をつくのが心地いい。国道沿いの白いガードレールの向こうには、既に空色に染まった海が陽の光を反射して眩しかった。
「やっぱ暑っちーな、仁、ちょっと茶ー取って。もうすぐ着くからな!」
海ヘリゾートなんて言ったって、野郎二人じゃ特にこれといった予定があるわけでもない。着いたらテキトーに泳いでメシ食って、その後はちょっとばかし豪華なホテルに泊まることが決まってる。
実のところ俺は大して乗り気でもなかった。
かといって、両親が海外旅行の留守中に家でぼーっとしているだけなのも腹が立つ。何もしないよりはマシだろうと二泊の旅行なんぞに来てみたが、案の定海水浴場に着いた途端に俺の消極的な予感は的中した。
まだ幾分早い時間帯とはいえ、夏休み真っ盛りの浜辺は大勢の人間で賑わい始めていた。
俺は気だるい思いで荷物を車から運び出し、砂浜にレンタルのパラソルを注文した。
「お~! 気持ちいーな。水もまあまあキレイだし、来てよかったじゃねえ? なあ、仁」
砂浜に来ると海のエメラルドグリーンが更に濃さを増して、確かに綺麗だ。一通り椅子やらクーラーボックスやらを配置して、どっかりとチェアに寝そべりながら丞はそんなことを言っていた。
「な、仁。これからどうする? 先ずは昼寝か? それとも早速泳いでみる?」
子供みてえにはしゃいでるコイツを見てるのは嫌じゃない。何だかんだいって気に掛かる存在のコイツと二人きりで、のんびり遊んでられるのもある意味うれしいことだし。
だけど俺はやっぱり心底からこの状況を楽しむ気にはなれないでいた。
その原因は――
「あのー、すみません。こんにちは~」
「私たちここにパラソル立てようかなって思うんですけど……隣り、お邪魔しちゃってもいいですか?」
――ほら、始まった。
丞の傍にいると体外こうだ。可愛げに着飾った女が二人、愛想のよさそうに声を掛けてくる。目的が何かなんてことは聞くまでもない。長身の野郎が二人っきりで彼女の一人も連れずにこんなトコでバカンスしてりゃ、こうなるのは妥当な展開ってことだ。
話し掛けやすい雰囲気なのか女受けするのか知らないが、とにかく丞の傍には昔からこうやって他人が集まってくるんだ。
外見は今時の流行をそのままに、顔の作りだってイケメンといって過言じゃない上に、ヤツは人当たりも最高ときてる。それに付随してる俺も背格好からして似たような印象なんだろう。ちょっと大胆に開いた胸元のビキニを強調すべく、屈みごしに女たちが早速お決まりの文句で話し掛けてきた。
「二人で来てるんですかー?」
にこやかにそう言われて、
「ああ、うん……そうだけど」
頭を掻きながら、満更でもなさそうな顔してる。黙ってる俺に気を遣ってか、間の悪いのを何とかしようと、
「あ、パラソル立てるんなら手伝おうか?」
なんて、ちゃっかりお隣り付き合いが始まってるじゃねえか。
いつものことだと半ば溜息混じりになりながらも、俺は相変わらずだんまりを通しているしかできない。
パラソルの穴掘りに汗を流してる丞を横目に、俺は淡々と浮き輪の空気入れなんてどうでもいいことに没頭していた。
隣りの女たち二人はすっかり丞の奴と馴染んでいるっぽい。
「あの、お二人は彼女とかいないんですか?」
「よかったらお昼とか一緒にどうですか?」
きっと軽く頬なんか染めながら、期待に満ちた顔をしてるんだろう、見なくても分かる。お決まりの会話がチラホラと耳を掠め始めて、俺は空気の入れ終わった浮き輪を手にチェアから立ち上がった。
「おい仁っ! お前っ……もう泳ぎに行くのかよ!?」
慌てたように振り返った丞と女たちに軽いお愛想笑いを浮かべて、俺は浜へと歩き出した。
「ゆっくりしててよ。俺、先に一泳ぎしてくっからさ……」
「はぁっ!? おいおいおい……ちょっと待てよ仁! 待てったら……」
「彼、仁さんっていうんですか? ねえ、もしかしてちょっと怒ってる?」
「え、いや別に……あいつ人見知りなんで……怒ってるとかじゃねえよ。ごめんね」
「そんな、こちらこそいきなり話し掛けちゃったから。ごめんなさい~」
背後に、少し困りながらも照れ隠しのようなやりとりを聞いて、ひたすら波打ち際へと歩を進めた。
さすがに愛想無さ過ぎかって、へこんでみたけど、こればかりはどうしようもない。
別に丞が悪いわけでもないし、声を掛けてきた女たちにも罪はない。こんな海辺なんかで若い男女が出会えばこういう展開になるのは自然なんだ。分かってるけど俺にはあれ以外どうにも振舞いようがないんだ。
いつでもそうだ。元々無口な上に丞みたいに誰とでもすぐに馴染めるような性質でもないし。
こんな自分に少しばかり嫌気が差しながら、冷たい海水に一気に身体を浸けてみる――
「冷てっ……」
心臓の縮まる思いに身震いをした肩を、いきなり背後から掴まれた。
「このバカッ! そんな一気に浸かったら危ねーっつーの!」
びっくりして振り返った先に、丞が目を吊り上げながらも笑っているのを見た瞬間に、水のそれとは別の冷たさが全身を伝うような気がした。
悪かった、ごめん、俺が大人げないせいでお前のこと困らせちまった。それが分かっているのに、一番言いたいことはそれなのに、どうしてか俺はいつも反対のことを言ってしまう。思ってもいないことなのに、嫌味めいたことが口をついて出てしまうんだ。
「なんだよ……もっとしゃべってりゃよかったじゃん……せっかくいい感じだったのに」
言ってしまってから後悔したってもう遅い。これじゃあの『焼肉』のときと一緒だ、何の進歩もない自分がほとほと嫌になった。
「ごめん……こんなこと言うつもりじゃなかった……マジで俺……」
うなだれる俺の頭をポコンと叩くと、丞は浮き輪を取り上げて、勢いよく海へと入っていった。
「ほらっ、行くぜ!」
「あっ……ちょっと待って……! お前だっていきなり入ってんじゃんかよ……」
「るせー! 俺りゃ~、いーの! お前と違って普段から鍛え抜いてるこの身体だからよー?」
自慢げに胸板を突き出して笑った。さっきまでのことなんか無かったように、あえて俺を責めようとはしない。
そんな丞が……好きだ。俺は丞が好き――
会ったばかりの女たちに嫉妬する程、ヤツが好きだ。
いっそのこと俺が女だったなら、何のためらいもなくアイツに気持ちを伝えられるのに――そう思ったらさっきの女たちが羨ましく思えたりした。
◇ ◇ ◇
一通り泳いで浜をブラブラ散歩して、遅めの昼飯を食ってからパラソルに戻ると、さっきの女たちはもういなかった。
荷物はまだ置いてあるようだからどっか泳ぎにでも出ているのだろう。ホッとした気持ちと申し訳ない気持ちとで又、押し黙ってしまった俺を気遣ってなのか、丞は悪戯そうに笑いながら、『ちょっと早いけどそろそろ引き上げるか』と言った。
「え、でも……まだ時間早えんじゃねえ?」
「ん、夕方になると波高くなってくっから。泳ぐんならまだ明日もあるしさ、一旦ホテルにチェックインしてから茶でもしに、またビーチ来りゃいいじゃん?」
「ん、そっか……」
丞が気遣ってくれてるのを重々分かっていても、俺はまたしても『ごめん』も『ありがとう』のひと言も言えずに、ただ黙ってヤツの後ろから荷物を持って歩くことしか出来ないでいる。
ふと周りを見れば、午後の熱い日差しの中で楽しそうにはしゃぐカップルやらグループやらが目に入って、益々丞への申し訳ない気持ちが募ってしまった。
普通は皆ああなんだよな。彼女とか彼氏とか、そうでなくてもダチ同士とかで冗談言い合ってはしゃいで笑って――
それに比べて俺は面白いことのひとつも言えやしない。いつも無口で、大口開けて笑うこともなくて、こんな俺と一緒にいて丞が楽しいわけねえよ。
丞は元々明るい性質だし、高校の時だって今(大学)だってそうだけど、いつも丞の周りは賑やかに人が溢れてるんだから。
俺のせいで丞に気の毒な思いをさせてる、本気でそう思ったら心臓が痛くなった。
ごめんな丞、ホントは俺、もっと努力しなきゃいけねえって分かってるんだ。ホントにごめん。
広い背中を見つめ歩きながら、心の中でそう繰り返すしかできなかった。
◆
ホテルはちょっと小高い丘に位置していて、和風な作りだが豪華な雰囲気のところだった。
俺らみたいな学生が好んで泊まるところでもないような感じだが、世の中、金回りがいいのか若い連中も意外に多い。
きょろきょろとしてる俺が面白いのか、笑いながらコツンと頭を突付かれて、そんなヤツの笑顔を見たら、また申し訳ない気持ちに陥った。
外観通りの高級感溢れる館内は、どこそこ豪華でリゾート気分満開だった。
和風の洒落た造りの部屋へ荷物を置いて、一先ずシャワーだけを浴び、俺たちが海辺へと散歩に出掛けたのは、太陽の斜光が濃い橙色を映し出す夕刻の時分だった。
――夕暮れの海辺は昼間のような賑わいこそないものの、それでもチラホラとカップルが歩いていたりして、また別の賑わいを見せている。
リゾート地だけあって洒落た造りの喫茶店やレストランも軒を連ねていて、俺たちはその中の一軒を選んで屋外デッキの席へと腰を下ろした。
国道に反射する夕陽が眩しくて、隣りの丞の頬をオレンジ色に染めている。
海風に吹かれるヤツの髪も、風呂上りで心地よさそうに揺れていた。ちょとしたこんな瞬間にもドキッとさせられるのが恥ずかしく思えて、俺は思わず俯いてしまった。
でも確かにこうして雄大な景色を見ていると、何となく解放された心持ちになるから不思議だ。お袋たちが旅行に出掛けてから、緊張しっ放しだった俺の気分も解れていくようだった。
そして、パイナップルが派手に飾られたトロピカルドリンクをすすってる丞に相反して、俺は普通にアイスコーヒーなんかを頼んでるのが可笑しくも思えた。そんなことに気がついたら思わずクスッと笑っちまったのに、丞はすかさずうれしそうに俺の顔を覗き込んで見せた。
「どした? なんか可笑しいことあったのか?」
見つめてくる瞳は悪戯そうに細められて、そこはかとなくやさしげだ。まるで機嫌を窺うように、俺の気持ちの動きのひとつひとつを細かく察知するかのようにそんなことを言われれば、無作為に心が逸り出す。
ほんのちょっとでいい、もう少しこの雰囲気が長く続いていて欲しい。互いを見つめ合うこの瞬間がとても心地いいから――
昼間からのことや、ここ二~三日のこと、俺が今一愛想のないせいで丞に気の毒な思いをさせているという気負いが少しやわらぐようなこの瞬間を、もう少しでいいから感じていたい――そう思って俺は丞を見つめ返した、その時だ。
「あの、すみません。隣り空いてますか? よろしかったらご一緒してもいいですか? 他に席が空いてなくって」
少し遠慮がちにやわらかな声がそう言って、振り返った先には俺たちと同じ位の年頃の女が二人、微笑みながら立っていた。
またか――
正直そう思ったし、滅多にない穏やかな気分を削がれるようでがっかりもした。
ちらりと横目に丞を見れば、だがヤツは少し困惑したような表情でキョロキョロと視線を泳がせている。
「どうぞ……いいよ。二人なの?」
置いていたバッグを避けてひとつ席を空けながら、ガラじゃないが俺はそう言った。
ビックリしたのは丞の方なのだろう、まさかの展開に苦虫を潰したような顔で声も発せずにストローをくわえているのを見て、俺はプッと噴出してしまった。
女たちはうれしそうに席へと腰を下ろし、丞はまだ固まったような面持ちをしていたが、これが俺に出来る償いみたいなものだから。
償い――なんていう程大袈裟なこっちゃないが、先刻からの失態を繰り返したくなくて、俺は珍しくもお愛想笑いを続けた。
「あの、お二人なんですか?」
二人なんですか――という決まり文句はイコール『彼女とかいないんですか?』だ。それくらいは俺にも分かる。
「ん、そう。俺たち今朝からここに海水浴に来ててさ……。そっちは? やっぱ二人で来たの?」
「え? ええ、はいそうです。私たちもさっき東京から着いたばかりで」
「そう、東京なんだ?」
「ええ。あのー、あなた方は?」
「俺ら? 俺らは川崎。コイツの車でね」
さっきから絶句している丞の方へと話を振った。
気さくな反応に打ち解けたように、緊張気味だった表情をやわらげて女たちがにこやかに話し出した。
「そちらの方は随分無口なんですね? 硬派って言った方がいいのかな。あ、ごめんなさい……あの、さっきからあんまりお話しないから……悪い意味じゃないんです。気を悪くしないでくださいね?」
「いいよ、気にしないで。こいつ喉渇いてるだけだからさ」
さっきからドリンクにガッついてばかりいる丞を横目にクスッと笑ってみせると、女たちは安心したように俺の方へと懐っこいような笑顔を向けた。
これじゃいつもと逆じゃねえか――
なんか不思議な気分だ。丞はいつもこんなふうに俺に気遣いながら第三者との間に挟まれてしどろもどろだったんだろうか、いや、実際それ以上だろう。今の俺は丞が本当は気さくな性質なのを知っての上での気遣いだからだ。
本気で愛想のない俺を傍らに、丞はもっとハラハラしてたに違いない。そう考えたら苦笑いがこみ上げた。
「ね、もしかして彼女のこととか気を遣ってたりしてます?」
一人の女が不意打ちのように丞に問い掛けたのに乗って、もう一人が
「あ! それでちょっと気まずい思いしてるとか? 今日は彼女一緒じゃないから、こんなとこで知らない女とお茶してたらまずいとかって」
「えー? そうなんですか~?」
きゃははと楽しそうに女たちは笑った。
彼女に気を遣ってるんですか、なんて訊くふりしながら俺らがシングルなのか聞き出そうって魂胆なのは見え見えだぜ……。
可愛い感じを装ったって、ちゃっかりしてるとこはすげえな。
やっぱり俺は女は苦手だ――ふとそんなことがよぎれば、またしても苦笑いが浮かぶ。だが丞はその直後、予想もしていないようなことを口走って、女たちはもとより俺はあまりに驚いてギョッと硬直してしまった。
「彼女なんかいねえよ俺――」
きっぱり言い切ったのもすごいが、そんな仏頂面で言うこっちゃねえだろ……。
普段からは想像もつかないような愛想の無さというか、丞にしては珍しい位の素っ気無さに俺の方がびっくりだ。女たちは尚更だろう、だが丞は淡々と先を続けた。
「彼女いねえけどさ、俺」
「えっ!? ホントですかー? じゃあ今、募集中とか?」
「うっそー、そんなに格好いいのに? 信じらんない……」
「ね、そっちの方はどうなんですか? いるんでしょ、彼女?」
「そうよ、だって二人、超カッコいいもん……いないわけないよねー」
勝手に話が盛り上がってる……。
こんなになっちゃ俺、どう切り替えしていいかなんか分かんねえよ。丞の豹変ぶりといい、女たちの猛攻撃といい、ああ、もう何とかしてくれよ!
そう思っていたときだ。
「彼女とかはいねえけど……好きな奴ならいるぜ、俺」
残り僅かのドリンクをズズーッと品無くすすりながら、丞は無表情で淡々とそんなことを言い放ちやがった。
「やだー、やっぱりじゃん」
悔しそうに盛り下がる女たちを横目に、ズケズケとした口調で丞は続けた。
「完ッ全、片想いだけどね? 超好きな奴がいる。好きで好きでたまんねえの!」
「ええー、じゃあ告白すればいいじゃないですかー! あなたなら絶対イケると思うしー」
「そうそう、断られるわけないよー。もう告白はしたんですか?」
あーあ、今度は違う方向に盛り上がってやがる……。
女ってのはどっちにしても逞しい生き物なんだな。
ヘンなとこに感心しながらも、正直驚きの方が強かった。だってそんな話聞いたことないぜ。丞に好きなオンナがいるなんて、今の今まで知らなかった。
当たり前だけど酷くショックだった。
側で盛り立ててるこの女たちがいなければ、ズッシリと衝撃を真っ向から食らってたに違いない。
いや、今だって充分衝撃だが……。
とにかく初めて聞くそんな事実に、衝撃を通り越して驚きの方が先立ったのか、或いはショックが大き過ぎてすぐにはことが把握できなかったのか、俺は微動だに出来ずに硬直しているしかなかった。
「ね、告白すればいいじゃん? 絶対うまくいくってば~!」
そそのかす黄色い声が耳鳴りのようにこだまして、もう何が何だか分からない。考えられない。
自分の身体が自分のものでないようにフワフワとしていて、俺はやっぱり冷静でなどいられるはずがなかった。
心臓だけがドキドキと加速し逸り出し、視線は泳いで現実感さえまるでない。
時が経つにつれてガクガクと膝までもが震え出すようで、いたたまれない気持ちに涙が出そうになるのをこらえるだけで必死だった。
情けない話だ。
好きな奴がいるなんて、そんな当たり前のような話を今まで想像できなかった俺もバカだが、やっぱり現実に突きつけられると、正直どんな反応をしていいかなんて分からない。
たとえ隠してたにしろ丞を責めるいわれはないし、けれどもショックを受け止める余裕なんてもっと無いしで、俺は頭の中が真っ白になってしまった。
◆
「ね、相手どんなヒト? 告白すればいいじゃん! なんなら女心とかって教えたげる~!」
「そうそう、女の子の好みとかね~。プレゼントするならどんなものがいいかとかって。私たちでよければ何でも聞いて!」
まだ話が続いてるらしい。
急激に押し黙ってしまった俺をそっちのけで、既に告白云々にまで展開していた。
「さあな、プレゼントするったって何が好きかも知らねえし。これでも一応、常日頃アピールはしてるつもりなんだけどね」
「ええー、マジィー?」
ええー、マジー? はこっちの台詞だぜ……。
常日頃アピールって――じゃあ丞の好きなオンナって俺らの大学のやつとか?
そう思って、とりあえずは学内でそれっぽい女の顔をひとりひとり思い浮かべたら、急に心拍数が加速した。
傍では心臓がぶっ壊れそうな俺を差し置いて、女たちが益々盛り上がってる。
「ならもう案外気がついてるのかもよ? 彼女、あなたの気持ち知っててわざと知らんふりしてるのかも?」
「そうー、女ってそんなもんだよね? やっぱりオトコの方からちゃんと云ってくれるの待ってるってあるよね」
「ふぅん、そんなもんかね? でもアイツ、すげえ鈍感だから。多分気がついてねえと思う。ま、それ以前にコクってダメだったときのこと考えたら気軽に云えねーっつーのが大きいんだけどさ……」
「ええー! そんなー、大丈夫だよー。あなたみたいな男の人にコクられて嫌っていう女なんかいないって!」
「そうよそうよ、案外云ってくれるの待ってんじゃない?」
「あー、そう? そりゃ有難ぇ話だけど……。でも大マジメで俺、そいつのこと大事だから簡単にはできねえのよ」
「そんなに好きなの?」
「まあね、好きっつーか……結婚してえっつーか。とにかく一生傍にいてえなって……」
「うっそー! やだもうー、そこまで言われるとなんかこっちは引いちゃうよねえ~」
あまりに見込みのない、というか自分らにとって得のひとつにもならないような話に、女たちは完全にテンションが下がってしまったのか、早々に茶だけを済ませると、そのまま引き上げて帰ってしまった。
呆然としている俺の様子を呆気にとられたように思ったのか、既に中身の無いドリンクをズズーッとすすり上げると、丞は『俺らも帰るか』と言って席を立った。
◇ ◇ ◇
「珍しいじゃん、お前が女のナンパに乗るなんてさ? さっきのあれ、『ナンパ』だったぜ?」
「え……!?」
「気がつかなかった? だって席なんか他にいくらでも空いてたじゃん。座るトコ無えなんて、あれ嘘だぜ?」
「あ……マジで? 知らなかった……」
「は、やっぱな。お前が素直に女と合い席OKするなんてヘンだと思ったけど……やっぱただの親切心ってか?」
少し皮肉っぽく丞は笑った。
「違うって……もちろんそれもあったかもだけど……。俺、ホントはお前に申し訳無えってそう思ってて……」
「俺に? 何で?」
「昼間だってそうだったじゃん? 隣りに女の二人連れいたのに、俺のせいで何か雰囲気悪くしちまったっつーかさ……。こないだの花火んときだって……お前、いっつも俺に気ィ遣って女逃がしてりゃ悪いかなって……だから俺……」
「だからわざとナンパに乗ったってか?」
「や、さっきのはナンパとは思わなかったけどー……とにかく俺はっ……」
「俺の為にって言いてえの?」
「そーゆーわけじゃねえけど……」
丞にしては珍しくクソ真面目な表情で、心なしか機嫌もよくなさそうだった。なんだか気まづい雰囲気になって、よせばいいのに俺は咄嗟に一番気に掛かっていることへと話題を振ってしまった。
「そういやお前、好きなヤツいるって……。俺、ちょっとびっくりしちまった……いきなり結婚してえだなんてさ、そんな話聞いたことなかったし……」
チラリと上目使いにヤツの様子を窺った。もしかしたらあれは女たちを追い払う為の嘘八百だったのかも――と、そんなふうにも思えたからだ。
まさかさっきの女たちがナンパしてきたとは思わなかったが、丞が最初からそれに気が付いていたんなら、人見知りの俺を気遣ってわざとあんな態度をしてくれたのかな、なんて都合のいい想像までもが湧いてしまったからだ。
丞はいつだって俺の気持ちを即座に察してくれる。何も言わないけれど、俺が困ってるようなときはいつも自然な形でかばってくれるようなことがあるから、ついそんなことが浮かんだんだ。
だがそれは大きな勘違いだった。俺の儚くも都合のいい妄想は、丞のきっぱりとしたひと言で見事に玉砕してしまった。
「もしかだけどさ、あれって嘘……だったりする……? テキトーなこと言って女をからかってたとかさ……?」
「嘘じゃねえよ」
「えっ!?」
「嘘じゃねえって言ったの。俺、マジで好きな奴いるし」
「あ……えーと……その……へえ、そうなんだ……そりゃ驚き……ふぅん……」
それきり会話が途切れてしまった。
縦一列で歩きながら、俺は無論のこと、丞も無言だ。
訊かなけりゃよかった、俺は真っ先にそう思った。気まづい雰囲気を打開しようと、つまらない冗談なんか言わなきゃよかったのに……。
酷く後悔した気分だ。
だが、そんなこと以上に酷いショックで、しばらくは何も考えられなかったというのが本当のところだった。
もう陽の暮れた薄暗い国道を、かなり重苦しい気持ちで歩いた。
細いガードレールの内側で、すぐ横を通り抜ける車の煽り風までもが痛く心に突き刺さるような気がして、涙が出そうだった。
◇ ◇ ◇
部屋に帰ると豪華な夕飯が用意されていて、仲居の姐さんとのやりとりで何とか場を保ったといったところだった。
丞はあれから言葉少なだし、俺だって何を話していいかなんて分からない。
目の前で淡々と飯を平らげる様子をちらりちらりと上目使いに窺う度に、より一層現実感が増してくる。さっき丞が言った『好きな奴がいる』という言葉が重く圧し掛かって、飯なんか喉を通らなかった。
でも俺の口数が少ないのはいつものことで、丞にはそれがある意味慣れっこでもあるのだろうか、黙っていても格別な勘ぐりをするようなことは無かった。いつもと違うのは丞の方がしゃべらないということくらいだろう。
飯が済むと、丞は部屋に備え付けの露天風呂に入らないかと俺を誘った。
昼間チェックインのときにちらっと見たきりだが、結構な広さのある、しかも海の望める露天風呂だったようなのを思い出したが、正直そんなことはどうでもよかった。
それ以前に、とてもじゃないが一緒に風呂を楽しむ余裕なんかないというのが本音だったからだ。
風呂なんかどうでもいいから強い酒が呑みたい、と俺はぼんやりとそんなことを思っていた。
酒でもなければやってられない。普段はそう強いわけでもないし、進んで飲みたい方でもない俺が、さすがに今ばかりは酒にでも頼らないっていうと居られなかった。
「先に入っていい。……俺、ちょっと飲みたい気分なんだ。ほら、景色もいいしよ? 普段あんまり飲むこともねえし……こーゆーときくらいはさ?」
精一杯明るく言ったつもりだが、やはりどこか変に見えたのだろうか。丞は先程までの無口返上といった調子で少し不思議そうに笑うと、
「珍しいな? お前が飲みてえだなんて」
そう言って、いつものように俺を覗き込みながら頭を撫でてよこした。
ぐっと近寄り、傍で見る瞳もいつも通りにやさしげだ。俺の機嫌を窺うように、まるで子供をあやすようにやさしく穏やかに覗き込んでくる。いつもの丞だった。
「そんなら風呂出たら一緒に飲もうぜ? それとも先に飲むか?」
風呂支度をしたついでに開けた窓から、ふわりと生暖かい夜風が頬を撫でるのに、何故だか急に淋しくなるような気がした。
俺は曖昧な表情でもしていたのだろうか、丞はクイクイと指で徳利を扱う仕草をして見せながら『風呂でも酒でもお前の好きな方に付き合うぜ』というように微笑んでいる。
「……いいよ、じゃ、先に風呂入ろうか」
「お! そんじゃイイこと思いついた! 酒持って入りゃいいんだ」
そう言って冷蔵庫を覗き込みながら屈んでいるアイツの背中を見ながら、やっぱり俺は涙が出そうだった。
独りで飲むのが急激に寂しく思えただけ――
丞を風呂へやって、ここで独りで酒を飲むのが怖く感じる程に寂しくなった。ここからでも風呂の様子は見える位置なのに。
何故だろう、ほんの一瞬でもコイツの傍から離れるのが嫌だったんだ。
◆
「すっげー、でけえ月ー! 雲があんなに掛かって、なんか絶景ってか圧倒されんなぁ」
空を見上げながら、丞は気持ちよさそうに湯船に浸かっていた。
石造りの露天は、家族連れでも余裕なくらいのでかさだ。二人じゃ勿体無い。
ああ、でも恋人同士ならロマンチックでちょうどいいのかな?
こんな場所に好きな女でも連れて来たなら、大抵は感嘆の声を上げるんだろうな……。
そんでもって『ありがとう』とか『大好き』とかって言ってカレシの胸に抱きついたりするんだろうか――丞が冷蔵庫から持ち出したワインを片手に、ふとそんなことを思っていた。
広い湯船の中央では、未だ夜空を見上げながら、頭にタオルを乗せている丞の姿がぽつり。僅かに湯から見え隠れしている肩先はゴツゴツとして逞しく、硬い筋肉が盛り上げっているのにドキリとさせられる。
こんなときでも俺ってそんなことに気づいたりするんだ。
バカな野郎だな。
――さっきの喫茶店での丞の言葉が頭から離れない。
あまり見慣れない無表情で淡々としゃべっていた様子も、あいつの言ったひと言ひと言も、何もかもが頭から離れてくれない。
きっと俺なんかと来るよりも、その『好きな女』と一緒に来たかったんだろう。それともいつか一緒に来る日の為に空を見上げながらシュミレーションでもしてんのか?
雲の合間から覗いた月光が丞のシルエットを照らし出し、後ろ姿だけを見ていると、そんな切ない想像が次々と浮かんでは俺の心をギュッと掴んで辛くさせた。
後ろ姿だと表情が見えないから、嫌な想像ばかりが湧くのかも知れない。
ふと、涙がこぼれそうになって、俺は手元のワインを一気に飲み干した。
――今、どんな表情をしてる?
何を考えてる? 好きなオンナのことか?
こんなことなら一度くらいは素直になっとくんだった。
お前の傍で素直に笑ったり楽しんだり会話したり、喧嘩でもいい。何でもいいから素直に向き合ってみたかった。
いつも俺は繕ってばっかりだったよな?
お前の言うことすることのひとつひとつに嫌味を言って、わざと反抗することばっかり言ってた。
恥ずかしくて、この気持ちを知られるのが怖くて、自分をごまかしてばかりいたんだ。
なのにお前はこんなひねくれ者の俺をいつも気遣ってくれて、いつも機嫌を窺うように俯いた俺の顔を覗き込んでくれた。
あの瞬間がすげえ好きで……丞が俺を見つめるあの瞬間が心地よくて、恥ずかしくて息もできないくらいのあの距離にいつも俺は心躍らせてた。
丞が俺を見つめるあの瞬間がすげえ好きだった。
俺だけを見つめるあの瞬間が好きだ。丞が……好きだ。
俺は丞が好きで好きで大好きでたまらなくてっ――!
ああ、こんなことならちゃんと素直になっとくんだった。
振られてもいい、どーせ振られるんだから。
野郎同士なんて振られて当たり前なんだから。
どーせこんなに傷つくんだったら、あいつに気持ちを伝えてからにすりゃよかった。伝えないまでも、もっと素直になって楽しいことは楽しいって、嫌なことは嫌だって、何でもいいから伝えればよかった――そうだろう?
――バカだ、俺は。
とことんバカ野郎だぜ――!
突如溢れ出た涙を隠したくて、思いっきり湯の中に顔を突っ込んだ。
髪も頭も顔も涙も、何もかも濡れてしまえばいい。
俺のチンケな片想いもみんな濡れて溶けてしまえばいい。
なのにとめるはずの涙はとまらなかった。
どんどん溢れて苦しくて、洗い流すつもりが逆効果なくらい、湯銭の中で溶けて溢れた。
「何してんだ、仁ーっ!」
俺がすっ倒れたとでも思ったのか、丞が血相変えて俺の元へと飛んで来た。
そして肩から抱きかかえられ、そして又、あの包み込むような瞳で俺の様子を覗き込む。
ああ、丞、その目が好きだったぜ……?
俺のこと心配して覗き込むお前のその顔が……大好きだったぜ?
俺、こんなにお前のこと大好きだったんだな――
「仁っ! おい、仁っ! どうした!? 具合悪ィのかっ!?」
大きな声が俺を呼んでいる。心配そうに見つめてる。
「ん、何でもねえよ……ちょっと目眩しただけ」
「のぼせちまったか?」
いつものように、俺を覗き込むその瞳が好きだ。そうやって覗き込むときのお前は俺だけのものなのに――!
勝手な思いがこみ上げれば、何だかすべてがどうでもよくなる気がした。
「ああ、そうだよ……のぼせてる……俺はずっと……ずっとっずっと前からのぼせてんだよっ!」
(ずっと前からお前にのぼせてる――)
そう叫んでしまったら、今までのすべてがガラガラと音を立てて崩れていく気がした。
丞への想いも、俺のバカなプライドも、嫉妬も羨望もすべてが崩れて壊れていく。
気持ちいいくらいに壊れていく気がした。
ふと、俺を抱きかかえてる丞の腕の筋肉が目について、その気持ちは更に強くなった。
そうだ、丞に好きな女がいようと結婚したかろうとそんなのどうでもいい、関係ない。
どうせ最初から叶わない想いなんだ。いくら好きでも野郎同士で付き合えるわけないし、ましてや結婚なんて論外なんだから。
だったらせめて今だけ、のぼせたふりしてこのままヤツの腕の中に抱かれていたい。少しでいいから触れ合っていたい。
丞の好きだというオンナよりも今は俺の方が傍にいるんだから。
ちょっとだけでいい、コイツを貸してくれよ……!
もう涙がとまらなかった。
湯に浸かって顔が濡れても滴る涙が隠せないくらい、俺はシャクり上げるように泣いてしまった。
「おい仁っ! 大丈夫かお前っ!? 具合悪いか!? しっかりしろっ」
「うっ……んんっ、畜生……っ」
「どした? 泣くほど具合悪いのか? ちょっと待ってろ、今すぐ部屋戻って布団に……」
「違う、大丈夫。身体が具合悪いわけじゃねえよ……ただちょっと……」
――そう、ちょっとだけこのままいさせてくれよ
「ちょっと……なんだ? 仁? 平気か?」
「ん、平気。具合悪いんじゃねえんだ……ただおかしいだけ……俺……ヘンなんだよ」
「ヘン……って? 何が……? 仁、何かあるんなら言えよ。俺には話せねえことなのか?」
「……話せねえことか……なんて……」
ああそうだよ。こんなこと、おいそれ話せるようなことじゃねえだろ……
お前が好きだから俺だけを見てくれなんてよ?
さっき言ってた『好きなオンナ』のことは諦めて俺にしろよなんて云えるわけない……!
ああ、でも云っちまった方がいいのかな?
そのオンナに負けたくねえよって……。
そのオンナだけじゃなくって他の誰にも……お前を渡したくねえんだよって……。
大人げなくてもいい。我が侭でもいい。厄介なバカ野郎でもお荷物でも、もう何でもいい、お前が好きなんだよ……!
そうやってお前の気持ちなんか考えずに、素直に思ってることを云えたらどんなにいいだろう?
「……仁? ……ん? 平気か?」
俺の肩をしっかり抱き締め支えたまま、深刻そうに心配そうに様子を窺ってくるのを見たら、何故だろう急に癪な感情がこみ上げた。
子供をあやすように、そうまるで……弟でもあやすかのように細められるその目がどんなにやさしかろうと、裏を返せばそれ以上の何物でも無いというのをありありと突きつけられるようで辛いんだ。
そんな目で見んなよ……そんな大真面目に心配そうなやさしい目で見んなよ……。
好きなオンナ以外の誰かにやさしくなんてすんなよっ……!
お前はいつだってそうじゃん、ビーチで初めて会った女にだってやさしくパラソル立ててやったりさ……。
ずるいんだよお前はっ!
あんなふうに親しくやさしくされりゃ誰だって勘違いすんだよっ……!
畜生っ――!
めちゃめちゃな気分だった。
急に丞のやさしさが憎くなったり、八つ当たりしたくなったり。俺ってマジ最低な野郎だな。
でもどうしようもないんだ。悔しいのとか悲しいのとか寂しいのとか、今まで素直になれないで嫌味ばっか言ってきた自分が嫌だとか、いろんな思いが頭ン中をぐるぐるして、そうかと思えば今度は急に襲ってくる孤独感みたいなモンが怖くてコイツに甘えたくなったり……。
もう自分の気持ちにコントロールがきかなかった。
確かにちょっとのぼせてるせいもあっただろう、さっき一気飲みしたワインがまわったってのもあるかも知れない。
俺は思いっ切り丞の胸に抱き付いてしまった。
◆
「俺、ヤなんだよっ……お前がそーやってやさしくすんの……! いっつも他人に気ィ遣ってさ、誰にでも愛想良くって親切にして……好きでもねえのにやさしくしてやったり……そーゆーの見てんのヤなんだって……! 頭くるんだって! そんなのはな……好きな奴にだけしてりゃいんだよっ! てめえの好きなオンナにだけよー……!」
「仁っ、ちょっと落ち着けっての! おい、こら仁っ!」
「う……るせえよっ! 何でもねえよ! 具合なんか悪くねえんだから俺っ……離せってんだよ!」
「ったくもうー……だからお前は鈍感だってんだよ……!」
うわっ――!?
痛いくらいに腕をひねり上げられたと思ったら、そのまま背中ごと拘束されるように引き寄せられて、俺は丞の厚い胸板に思い切り頭をぶつけてしまった。
酷い乱暴な扱いだ。
ひねられた腕だって皮膚がよじれるくらい強くてヒリヒリする。
それなのに耳元で丞が怒鳴ったその言葉が、波紋のように広がっていくのが不思議と心地よかったのは何故だろう。見上げた丞の眉間にはクッと皺が寄せられていて、相当本気で頭にきているらしいのがよく分かった。
なのに俺を覗き込む瞳が酷く切なげに揺れているような気もした。苦しいとも怒りともつかないように揺れているような気がした。
その瞬間に切なげなその瞳が視界に入りきらないくらいに近く迫ってきて……。
――――え!?
又も痛いくらいの力で首根っこを掴まれて、それと同時にいきなりキスで口を塞がれ、俺は目の前が真っ白になった。
押し当てられた唇も痛いくらいの乱暴なキスだ。
何の冗談だよ……!
そういえば思い出した。映画かなんかっだったかな?
恐怖だか嫉妬だか忘れたが、とにかく興奮して泣きわめいてる女を黙らせるのに、主人公のオッサンがこんなふうにキスをしてたシーンがあった。『そのうるさい唇を塞いでやる』とか何とか言って、すっげえ気障野郎だぜとかって思ったことがある。俺はそういう格好つけたようなことが苦手だから、妙に頭にくる気がして鮮明に覚えてたんだ。
まさかコイツもそんな手を使うってわけか?
しかも相手は俺、一応オトコだぜ?
ふざけんじゃねえよ、いくら丞に惚れてるからってこんな扱いは御免だ。だって余計に惨めになるじゃんか。
例えばこれが俺じゃなくてもコイツはこういう状況なら誰にでも同じことをするつもりなんだろう、そう思ったらさっきの心地よさが一転、急に悔しくてたまらなくなった。
そうさ、よく考えてみれば誰彼構わず愛想のいいコイツのこと、やり兼ねない。
例えこれが見ず知らずの女でも……こんなふうに驚かせて不意をついて黙らせるんだろう。この気障ったらし……!
癪に障ってどうしようもない気分だった。
無性に暴れたい気分にもなった。
なのに涙が溢れてきて、それってすげえみっともなく思えて丞を睨み見上げたときだ、一瞬離れたヤツの顔が心なしか薄紅色に染まって見えたのは湯船でのぼせたからなのか、切なげな瞳が真っ直ぐに俺を捉え、苦しそうに歪みを増してた。
まるで今にも泣きそうなツラしやがって、何なんだよ一体……!
丞の気持ちが分からなくて俺は益々困惑してしまった。
そして又、アイツの瞳が近寄って視界に入りきらなくなって、でも俺は動くことも出来なくて、丞に抱き締められたままで、再び重ねられた唇がさっきまでとは全く逆にやさしく甘く、そして強く押し当てられたような気がした。
「んっ……! 丞っ……ちょっ……何でっ……!?」
なんでこんなことする?
何でキス……なんか?
どういうつもりなんだよ――
「……解らねえ? ホントに解らねえかよ?」
「何……が……?」
「何でこんなことするか、がだよ。何でキス……なんかするか……ホントに解らねえ?」
丞の瞳が苦しそうに揺れている。切なそうで焦れてもいそうで、だけども何だか甘くとろけてもいるようで……。
俺は又、都合のいいように受け取ろうとしてるんだろうか?
コイツの頬が染まって見えるのは単に湯船の中だからなんだぜ?
ヘンな期待なんかしちゃいけないんだ。
でもそれなら何でキスなんか……そんな思いつめたような顔して何でキス……なんか……するんだよ?
いきなりこんなふうに扱われて、正直ちょっとうれしいのと戸惑うのとでごちゃ混ぜな気分だ。
「じょ、冗談やめろっての……お前、仮にも好きな女いるってのに……こんなことすんなよ……いくら俺が弟みてえだっつったって……していいことと悪いことが……その……女にだって悪いじゃん」
「――ったく、ホンットに鈍感な、お前? 誰が好きでもねえ奴にキスなんかするかよ? 幼馴染みだから何してもいいなんて思ってるわけねえだろ」
「……え? だってお前……さっき……好きな女いるって」
「誰がオンナなんて言ったよ? 俺は『好きなヤツがいる』って言っただけだぜ? 案の定すっげえ鈍感野郎だけどな?」
半ば呆れたフリを装いながらも、視線はキョロキョロと泳いで落ち着かない。真っ赤に熟れた頬と曖昧に噛み締められた唇、恥ずかしそうに背けながらポツリポツリと云われる言葉。それってまさか……。
「……ッントに……マジ、手が掛かるぜお前……ちゃんと言葉で云わなきゃ解んねえってかよ? 俺なんかずっと前から気がついてたってのによ……」
「……何を……?」
「だからっ、お前の気持ちを! お前が俺のことどう思ってるかってことを……だよ」
「なっ……!? 何言って……!」
俺は絶句だった。いきなり何言い出すんだこの野郎……。
さすがにどう不都合に受け取ろうにも、言われていることが解らないわけないぜ。
丞が俺の気持ちに気づいてて?
しかも、まさかだけど丞も俺のことを……?
嘘だ、そんなの。きっとからかわれてるに違いない。
俺はとにかく冷静になろうとしたが、とてもじゃないが無理だった。こんなに急に出来過ぎた展開になるって、そんなの有り得ないだろ。どう考えてもおかしいだろ……?
やっぱりのぼせてんのかな?
これって現実じゃねえのかな?
そう思った。
でも丞の言っていることは冗談でもからかいでもなさそうだった。未だ視線を泳がせながら遠くの景色を眺めるようなふりをして、それって滅法照れているようでもあって……。
半信半疑な中にも有頂天になりかけてる俺に、丞はもっと信じられないようなことを言った。
「お前、解りやすい性質っつーかさ、お前の態度見てりゃ解るって……いっつも俺に楯突いて思ってることと反対のこと言ったりしてよ? でも俺もバカだからそんな態度されっとついうれしくなっちまったりして……俺ってそんなに愛されてんだーとかさ……?」
「バッカやろ……誰が愛されてるなんてそんなっ……」
「愛してんだろ? 俺のこと、ずーっと好きだったろお前?」
「何言ってっ……!」
信じらんねえ……なんでコイツはこうなんだ。いくら明朗快活ったってそこまで言えるかよフツウ――
俺なんか例え確信があっても絶対に口には出来ないような言葉だ。
さっきまでの悶々とした思いが一気に冷めるくらい、俺は呆気にとられながら丞を凝視してしまった。
◆
「バカ……見んなよ。恥ずかしいじゃんかよ……!」
(てめえに恥ずかしいなんて感情が存在すんのかよ?)
俺はまだポカンとしながら絶句、硬直していた。
「お前さ、ホント鈍感だからあえて言っちまうけどよ……俺の方が早いんだぜ?」
「――は?」
「俺の方が早いの、お前のこと好きかもって気が付いたの小学校卒業した春休みン時だったもん。……お前はせいぜい高校上がってからだろ?」
「なっ!? 何……言って……何でそんな細かいこと覚えてんだって」
「ああ俺、そーゆーの大事にするタチ(性質)なの」
照れながらも悪戯そうな瞳で、チラっと俺を横目に見て笑った。
信じられない展開にこれは夢だと思いつつも、そんな笑い方をされたら次第に身体中を逆流するような疼きが背筋を這い上がるようで、俺はブルッと身震いが走る思いがしていた。
だって――
丞はまだ腕の中にしっかりと俺を抱き締めたままでいて、俺の頬はヤツの厚い胸板にぴったりとくっ付いていた。
しかも風呂の中でマッパのままで――
のぼせていたせいもあるだろうが、身体を這い上がる微熱がドクドクと温度を増して発熱していくのをはっきりと感じた。
月光に照らされた丞の頬は、湯銭にけむり熟れるように紅潮してる。多分、俺も同じ色をしているんだろう、そう思ったらうれしさとも安堵ともつかない何かがこみ上げて、又目頭が熱くなった。
急に安心してしまったせいか、今までの焦れや緊張が一気に解けたことで気が緩んだのか、涙腺までもが緩くなってしまったようだ。
格別に悲しいとかいった感情もないのに何でか涙が溢れてくるんだ。
男のくせにこんなことで泣いちまうなんてバカみてえだ。情けねえ。
急に恥ずかしくなって、俺は抱き締められていた丞の腕から逃れようと身を反らした。
熱い肌と肌の触れ合いが離れた瞬間に、ふわりと心地よい涼風が肩を撫でて、
『――ああ、風……こんなに涼しかったんだな』
そんなことを思いながら俺たちは湯船の淵に腰掛け並んだまま、しばらくじっと俯いていた。どちらから話し掛けるともなく、ただただ身体の熱を冷ますように黙って肩を並べていた。
「――俺にだっていろいろ悩みはあんだよ」
遠慮がちに言われた言葉に真隣りの丞を振り返れば、まだ俯いたままのヤツの頬が真っ赤に紅潮したままだった。
珍しく視線を合わせようともしないで、それって何だか酷く恥ずかしそうにも感じられる。まるで必死に照れ隠しをしているようにも思えた。
「俺、おちゃらけて見えるかも知んねえけどさ、これでもマジメに悩んでんだって。でももういい……そんなことどうでもよくなった……」
どういう意味?
ポツリとそんなことを言った丞の顔は、見たこともないくらい恥ずかしそうに紅くなって、瞳は俺を避けてしどろもどろといったように泳いでいて、言葉はちょっと震えてもいるような感じだった。
丞はその紅い頬をそっと俺に押し付けて、おでことおでこを合わせるように俺の頭ごと抱き寄せて、そしてまた、軽く唇を重ねてきた。窺うようにぎこちなく、軽く重ねては離して、恥ずかしそうに急に俯いたりを繰り返した。
丞が照れている?
いつもは明るくて何に対しても動じることも物怖じすることもないようなコイツが、こんなに消極的に俯いて照れているなんて。
丞も俺と同じ気分なんだろうか、そう思ったら身体中が熱くなって、今しがたの焦れったく繰り返されたキスのせいとで、分身までもが熱くなっちまったみたいで、あまりの恥ずかしさに俺は咄嗟にヤツに背を向けて身体を丸めた。
こんなの見られたくねえよ、超みっともねえ……。
だけど丞はすぐに俺の手を取って、
「仁――」
湯の中で導かれ、軽く触れさせられたヤツのモノも……俺と同じように硬くなってた。
「バッ……カヤロ……何すんだって……」
やっぱり大胆なところは変わらないじゃねえか、ウブなふりしたって丞は丞だ。
恥ずかしくて身体が熱くて、バラバラになりそうだった。高熱出したときだってこんなに苦しくならねえよ……。
それでも幾分の恥じらいはあるのか、互いの欲情を隠すかのように頭をガッと掴まれてもう一度激しく抱き締められて、そしてもう一度キスをされた。今度はさっきのよりも激しいキス……だ。
バカ、こんなことすりゃ又興奮しちまうってのに。
触れ合う頬と頬も真っ赤で熱くてホントにのぼせそうだった。
身体中が熱くて頭が朦朧とする。本当に湯当たりしそうだぜ……。
そして唇を離すとそのまま頬、額と移動させながら、丞は俺の顔のあちこちを軽く唇で撫でるようにしながら言った。
「俺にだって……いろいろ悩みはあんだって。お前の親に……おじさんやおばさんに何て言ったらいいかとかよ、申し訳ねえとかいろいろ考えて……でもお前のコト諦めらんねえしで……フツウを装うのも結構辛かったんだって」
「俺の親に……? 何で……? それどういう意味……?」
「バカ……! だってそうだろ? 俺がマジにお前に惚れてるなんて知られてみろよ。いくら仲いい、幼馴染みだっつったって野郎同士なんて認めてくれるわけねーだろうが。しかも二人して両思いですー、なんて言ったら引っくり返るぜ親たち……。悪い冗談って笑い飛ばされるか相手にされねえか……仮に信じてくれたってドヤされるに決まってんだろーが。そんなんなったら今後どうやって顔合わしたらいいかとかさ、家だって隣りなんだし困るだろ? 親同士の付き合いだってギクシャクするだろうし、最悪絶交なんてことになったらそれこそただじゃ済まされねえよ。そう思って我慢してきたけど……でも正直苦しかったよ。だからって突っ走って素直になってお前に告って、挙句お前を失くすようなことになったら元も子も無えしよ? これでも散々悩んだんだぜ?」
「う……そ……そんなのって……」
初めて知った丞の気持ち。そんなこと考えたこともなかったよ、俺……。
親のこととか、ましてや丞の親父さんたちに申し訳ないなんて気遣うことさえ忘れてた。気が付かなかった。
そんなにも深い気持ちで俺を見ててくれたなんて……。
感無量だった。
何も言葉が出なかった。
と同時に、自分のガキさ加減が恥ずかしくなって益々気後れ、酷い自己嫌悪に陥りそうだ。正直なところめちゃくちゃへこんでしまった。
「でももう限界……お前があんましガキだから俺もコントロールきかなくなった」
――え?
「いや、ガキなんは俺の方だな。親だの世間体だのを気にして自分抑えて偽ってばっかで……結局逃げてたのと一緒だ。もっと……真正面から向き合うべきだったよな? お前のこと好きだってちゃんと言やよかった。そりゃ『結婚』ってのは現実問題無理にしろさ、ずっと一緒にいてえなってそれはホントだったから。 これから大学卒業して社会人なってさ、そんでもお前と一緒にいてえなって。これでもマジメに将来のこととかシュミレーションとかしてたんだぜ? なのに肝心のことから逃げてたな俺。お前が好きだって……先ずはそれ言うのが先だったよな? そんでもって、後のことなんかお前と一緒に考えてきゃそれでよかったのにな」
「……んっ……丞っ……!」
押し当てられた唇の中に今度は舌が入ってきて、俺は本当にもうのぼせそうになった。
いろんなことが一気に頭を駆け巡って目の前がぼーっとなっていく。
ああ丞、俺、このままどうなってもいい気がするぜ?お前の腕の中でこのまま気を失ってもいい気分。
なんかすげえシアワセだ――
湯煙の霞越しにお前が俺を覗き込むのが見える。
いつものやさしい瞳で俺だけを見つめてる。
大好きなあの瞳に包まれて俺はそっと目を閉じた。
「仁……? おい仁っ! 仁ー!」
丞がデカイ声で俺を呼んだような気がするけど、なんだかすごく気持ちよくてこのまま眠ってしまいたい気分だ。
結局俺は湯当たりしたらしく、そのまま気を失ってしまったようだった。
翌朝、すっかりと陽が高くなってからやっと気がついた俺を、めちゃめちゃ心配そうな表情で、でもほんの少し不満げな表情で丞が見下ろしていた。
「あ……俺……? どうしたっけ……」
「……ったく、これからだってときにすっ倒れやがって……!」
「え……!? あ、ああ……そう……」
昨日あのまま風呂で気持ちよくなって、それからどうしたっけ?
昨夜のことを思い出したら急に恥ずかしくなって、俺は咄嗟に布団を被って寝返りを打った。
「この……バカタレが……」
ヤツはふてくされた顔で口を尖らせながらそう言ったが、すぐにいつもの瞳で俺を覗き込んだ。
いつもの――あの大好きな瞳で俺だけを見つめて笑ってくれた笑顔を見たら、信じられないような幸福に俺はしばらく夢心地から覚められそうになかった。
「まだ具合悪ィみてえ……。だからもうちょっと寝かして?」
必死で布団に包まりながらモゾモゾしている俺の頭に丞の指先がコツンとやさしく触れて、俺は又夢心地になった。
- FIN -
エピソード3
丞の熱情夜日記(丞視点)
残暑も終わって、とっくに後期が始まっていた。
大学近くの繁華街。安いラブホテルの一室で、言葉少なに服を脱ぎ捨てる。
灯りを落として真っ暗にして全裸になって、まだベッドに横たわるわけでもなく、俺たちは暗闇の中で見つめ合う――
二ヶ月前の夏休み――一緒に行った海水浴で、ひょんなことから幼馴染みの仁に永年の想いを打ち明けてしまって以来、俺は少しおかしかった。
仁が俺に気があることは大分前から気づいていたし、二人きりでいるふとした瞬間に頬を赤らめたりするコイツを見ているのは楽しかった。
俺の周囲に女っ気が匂ったりする度に嫉妬と戦い、でもそんな感情を素直に表せなくて、唇を噛み締めては耐えるコイツの姿を見ているだけで酷く満足だったんだ。
仁のそんな態度が知らずの内に俺に安心感をもたらしていたのだということに、今更になって気づかされたのもある意味驚愕と言えなくもない。
そう、俺は近頃酷く不安になっていた。
仁は今時ふうの外見に反して、性質は至って素直で無垢な野郎だ。いわゆるイケメンっていう類に入るのだろう、ぱっと見でヤツを気に入る女だって少なくないだろう。
だが仁はそんな自分の価値に気づいてない上に、元々愛想のいい方じゃないから人見知りでぶっきらぼうで無口だ。
それが又、クールだなどと周囲から思われているだろうことにも当然気がついていない。仁はただ素直に俺の告白に驚き、喜び、そして受け入れ、満足そうで、あれ以来精神状態も安定していた。
それまでは時折見せていた嫉妬心なんかも、すっかり憑き物が落ちたかのように皆無だ。俺を信じて疑わないのだろう、大学が始まって女友達とツルんでいるところに鉢合わせても、照れたような笑顔でペコリと会釈をするようにもなったし、何より以前のような焦れた表情をしなくなった。
それどころか仁の周りに群れる奴らがやたらと目につくようになったのは俺の気のせいなのか、ヤツがダチに囲まれて笑顔を見せている姿なんかを学内で遠目に見たときなんかは、かえって俺の方が焦らされるようになってしまった。
今まであまり見せたことのなかったヤツの明るさを目の当たりにする度に、モヤモヤとした不安のようなものがこみ上げるのに酷く嫌な気がしていた。と同時に、得体の知れない加虐心のようなものが心の隅っこの方にくすぶり始めるのが少し怖くもあった。
――めちゃめちゃにしてやりたい。
そんなふうに思うのだ。
あの告白以来、俺は何度か仁を抱いた。
想いを告げてしまったことで、それまでのセキが切れたかのようにアイツが欲しくなってたまらなくなった。
愛しくて愛しくて最初の内は滾る情熱をそのままに俺は仁を求め、仁はぎこちないながらも俺を受け入れ、俺たちはしばらくの間、熱にうなされたように幸福感を味わっていた。ちょうど両親同士の旅行中のことだったから、望むままに誰に遠慮することの無く、互いを貪り合ったんだ。
親が帰って来て元の生活に戻ってからも、何かにつけて俺たちは互いを求め合った。
さすがに親と同居の家の中じゃ思い通りにならなくて、こうして外で会うようになったのもある意味必然で、そんな機会は後期が始まるとより一層多くなった気がする。
学校帰りに待ち合わして安いホテルで身体を重ね、わざと時間をずらして帰宅する。まるで不埒なことをしているような気になるのが、より一層恋慕心を煽られるようで、俺の仁に対する執着心は焦がれんばかりに大きく熱く上昇していった。
◇ ◇ ◇
「なぁ……下着も脱いだ?」
わざと低めの、そしてほんの僅かに機嫌の悪そうな声色でそう言って、俺は仁の腰を引き寄せた。
俺より若干華奢なものの、仁とはそう大して身長も違わない。三センチくらい俺の方が勝るくらいだった。
要は同じくらいの身長だから、ヤツの胸板が俺の胸板とほぼぴったりと重なり合う。引き寄せた腰元の、身体の中心は既に半分熱を帯びたように存在感を増しているヤツの分身が俺のそれに触れて、暗闇の中できゅっと眉の細められるのを感じた。
「すげえな、もうビンビンじゃん」
又少し、声のトーンを低くして耳元ぎりぎりでそう囁いてやった。
吐息を吹きかけ、耳たぶをちらっと舌で撫でて、そうすると仁はピクリと肩に力を入れ、きゅっと瞳を瞑って甘い吐息を漏らす。
俺は仁の腰元を引き寄せたまま、分身と分身を絡め合うように擦り付けた。
「……っ、はっ……丞っ……て……」
前屈みになろうとする仁の腰元をぎゅっと押さえつけ、先走りでぬめり出した男根同士を一瞬でも離してやらない。
既にあがった吐息を熱く漏らしながら、仁は俺にキスを求めるような格好で唇を差し出した。
「な、丞……して?」
「何を?」
「……ん、キ……ス」
「キス?」
「ん……」
俺が黙っていると、仁は少し懇願したように下手(したて)に俺の表情を窺う。
「キス……してもいい?」
『キスして』から『してもいい?』に代わる。
パンパンに腫れ上がった分身は硬くてぬめって、おそらくはもう痛いくらいになっているのだろう、とろけた瞳を苦しげに歪ませてそう懇願する表情がゾクリと俺の加虐心を煽った。
「丞……なぁ、丞……」
意地悪く唇を背けても、求めるように追ってくる視線は潤んで、半開きになった唇がいやらしさをかもし出す。
「んな、物欲しそうな顔してさ? いつからそんな淫乱になったんだ? 今のお前の顔、すげえエロい。ほら、こっちも……こんなに汁垂らして。これってお前のだぜ? あ、俺のも出てるかもだけどー」
既にカチカチに勃ち上がった仁のモノをきゅっと軽く握り、蜜液の溢れている先端を指先で撫でてやる。
「……わっ! 丞っ! ちょっと待っ……」
口先では条件反射的に抵抗するものの、身体は待ってましたとばかりに、快感がこいつの全身を突き抜けていくのがありありと分かった。
俺にブツを触られたことでちょっとの緊張が解けたのか、仁は更に大胆に瞳をとろけさせ、さっきからのキスの続きをねだる。首筋に腕を回し抱き付いて、頬と頬とを合わせ、欲望に飢えて乾いた唇を持て余して俺を誘う。
そこまでしても自ら唇を重ね合わせて来ないのは一種こいつの俺に対する服従心なのだろうか、年上の俺の意向を尊重するような仕草が可愛く思えた。
こんなときは本心から仁が愛しいと思えるときだ。このまま二人きり、誰に会うことのなく自分たちだけの世界に閉じこもれるのなら、俺はきっと必要以上にこいつを大切に出来るのだと――そう思う。
嫉妬も不安も必要のない二人きりの時間がこのままずっと続いて欲しいとさえ思う。そうすれば俺は仁を甘やかして愛しんで、めちゃめちゃやさしく大切にこいつのすべてを愛してやりたい。
だが現実はそうはいかない。誰も居ない二人だけの世界なんて有り得るわけもないし、実際そんなのは空想の非現実だとよく解ってもいるからタチが悪いんだ。
こんなときだ、不安が全身を駆け巡るのは――
こんな気持ちになってしまうのがとことんバカらしくて怖くもある。
何をガキみてえにロマンに浸ってるんだろうかと自己嫌悪に陥ったりもする。
思うようにならない現実とそれを求める自分、僅かな夢幻の時間の中でジレンマと戦った挙句、結局俺にできるのは、わざと強がり意地の悪い言葉で仁を追い込むことだけだ。
グリグリと勃ち上がった分身を押し付けて絡め合わせ、ぬめった先端で腹を突付いて腰を固定して、欲望のギリギリ――果てまで追い詰めてやるんだ。
全身が欲情した性器のようになって淫らに悶えるこいつを見たいが為に、俺は何度も同じ意地悪を繰り返す。
自分じゃどうすることもできないくらいの快楽に溺れさせて求めさせて、そして酷い言葉で突き崩す。
――淫乱過ぎ、
エロい顔すんな、
ヘンタイ野郎、
最低だな、
俺は何時こんな言葉を覚えたんだろう。
こんな酷い言葉。
これ以上蔑みようのない汚ない言葉を一等愛してる奴に平気な顔して吐き捨てるだなんて――
◆
最低なのは俺だ――
仁は酷く恥ずかしそうに俯き、傷ついた表情を隠そうと俺の胸に顔を埋める。
それでもおさまらない自身の欲望を恨めしそうにして唇を噛み締める。
悔しそうに、そしてとびきり恥ずかしそうに、頬を真っ赤に染めて今にも泣きそうなツラをして俺に縋り付く。
俺は余裕のあるふりを装って、せがまれていたキスを乾いた唇に落としてやれば、ホッと少しの安堵の色を浮かべて切なそうに瞳を瞑り、そしてそのまま落とされたキスを受け入れて――
反抗のかけらも見せずに受け入れて――
それどころか、こんな意地の悪いことをする俺を逃がさないとばかりに、抱き付きしがみついてくる。
まるで何処にもいかないでくれと云うように縋り付く。
そんな様を見やりながら、頭がカッとなって、身体中の血が逆流するように熱くなった。
ベッドへ押し倒し、少し乱暴に組み敷いて噛み付くように深いキスを繰り返した。
息も出来ないくらい長くてしつこいキスを、苦しそうに顔をずらしながらも受け入れるのを見下ろしながら、俺の中の加虐心がドクドクと音を立てて増長した。
仁が俺を見上げる切ないとも淫らともつかない恥ずかしげで曖昧な表情は、この上なく欲情を煽った。
俺はひと言も発さないまま、首筋にキスを移し、鎖骨を舐め、薄くてゴツい胸板を通り越して蜜液がぬめる先端へと舌を這わせた。
「っ……い……!」
ビクリと浮いた腰の向こう側に快楽に歪んだ表情が垣間見えた。とっぷりと濃い蜜液を絡めとりながら上目使いにその表情をチラ見する。
思わず溢れ出た嬌声を恥ずかしそうに手で抑えながらも、下半身には無意識に力が入ってやまないらしい。もうビクビクと両の内股を震わせる程、感じまくっているこいつの両脚をグイと掴み、開き、恥ずかしいところを剥き出しにしてやった。
「くはっ、よせ丞っ! そ……んなの、ヤだ」
羞恥心を隠そうったって、感じ過ぎている両脚で俺の力をはね退けることなんぞ出来ねえだろうが。
トプトプと溢れ出てとまらない蜜液を唾液でもっとトロトロにし、唇でついばんではチュウっと音の立つくらいに吸い込んだ。
「ダ……っ、よせってば! 丞っ、そんな……したら、出ちまうっ……!」
切羽詰った声で慌てたように腰をよじっても、掴んだ両脚を離してなんかやらねえよ。俺は極力落ち着きを装いながら低めの声で、
「出せば?」
と、冷淡に言い放った。
「ダメだって――俺だけなん……て、ヤだ」
「構わねえよ、先イケよ。飲んでやるぜ?」
「……っ、そんなの」
「イケってば。お前のやーらしい液、飲んでやるっての!」
クスっと鼻先で笑う余裕をわざとらしく見せつけながら、到達寸前の根元をきゅっと摘んで、鈴口からくびれまでを舌先でクリクリと突付いてやった。
「……っ、ダ……メだってのにっ……!」
お前の意思がどうであれ身体は滅法素直で逆らえねえらしいぜ?
そういわんとばかりに不適に微笑みながら、俺は仁の吐き出した欲望の白濁に喉を鳴らしてすべてを飲み干して見せた。
「すげ、たっぷり。しかも濃くねえ? お前、自分で抜いたりしねえの?」
先に到達してしまって頬を赤らめているヤツをもっと追い込むように、ニヤけ混じりでそう言った。
仁は更にカッと顔を赤らめて、それって羞恥の極地のようでもあって、今にも熟れて落ちんとばかりに頬を紅潮させながら恥ずかしそうに唇を噛み締めていた。
その仕草がたまらねえんだよ。悔しげで切なげで焦れて困ったお前の表情を見ると俺は安心できるんだ。
ちょっと前まではしょっ中、見せてくれたその仕草と表情をいつも傍で感じていないと不安だなんて、俺、本当にヤバイ――
お前に告っちまってからどうにも分が悪くて仕方ねえんだ。
お前が見せる嫉妬心とか焦れた顔とかを見る度に『ああ俺、愛されてんだ』って満足してた。お前はいつでも俺を想って俺だけを見てるって安堵できた。なのに告白して立場が対等になったら急激に不安になるってどうよ?
こんなふうになって自分が如何に小心者だったのかって気付かされる。
いつかお前が俺に執着してくれなくなる日が来たらどうしようって、そんなことばっかり考えては怖くて仕方ねえんだよ。
いてもたってもいられない程に怖くなる。
だからそれを打ち消そうと俺はお前を汚い言葉で詰って蔑んで、意地悪くして――又、前のように優位に立とうとしてる。とことんチンケな野郎だな?
こんな自分がとてつもなく嫌でしょうがねえよ。でも他にどうすりゃいいかなんか解らねえし、思いつかない。
我が侭で勝手なこんな俺の本心を知ったらお前はどうするんだろうな?
――本当は云ってしまいたいと思う。
今の不安な気持ちも、お前をどれだけ愛しく想っているかも、全部を包み隠さず話すことができたらいい。
お前に対する想いの深さが怖くてついつい苛めちまうんだってことも、それ程お前を好きなんだってことも云ってしまいたい。
お前がダチと楽しそうにしてるのを見るだけで心臓が締め付けられるように苦しくなるだなんて自分でも驚きだ、そうやって素直に云えたらどんなに楽になるのかな。
笑いながら全部話して、そして又二人で笑い飛ばして――
きっとお前は照れながらもうれしそうに『バカだな』なんて頬染めてくれるのだろう、それが分かっているけどプライドが邪魔して素直になれない。
そんな本心を全部さらけ出しちまったらもっと俺の立場が弱くなりそうで……怖いんだ。
本当は立場なんてどうでもいいはずなのに。
どちらが優位だなんて無いはずなのに、俺は一体何を頑なにこだわっているんだろうって、自分でも自分が解らなくなるよ。
きっと俺がお前を想う気持ちと、お前が俺を想ってくれる気持ちとがぴったり同じ量じゃなきゃ嫌なんだ、俺。
そして出来るならお前が俺を想ってくれる量がほんの僅かに多ければ尚いい、そう思ってる。
自問自答を繰り返していたらそんな答えに辿り着いた。
俺って何て女々しい野郎だろう。情けなくなって言葉も詰まってうなだれた。
「丞? 大丈夫? もしか具合悪くなっちまった……? その、俺のなんか飲んだから――」
ふわりと傍に温かい存在を感じてハッと我に返れば、そこには仁が大真面目な表情をして俺を覗き込んでた。
「平気か? あの、ごめん、俺――」
自身の精液を飲み込んだせいで俺が具合悪くなったとでも思ったのだろうか、仁は心底心配そうに、そして申し訳無さそうに瞳を歪めて、でも本当に真剣な顔をして俺の様子を気遣っていた。
「バカ……そんなんじゃねえって! 具合なんか悪くなるわけ無えじゃん。ちょっとね、考え事してたの!」
あまりの感激に俺は言葉をもつれさせながらも明るくそう言って笑い、照れ隠しに仁の肩をぎゅっと抱き寄せた。
本当はこんな表情が見たかったくせに……。
こんなふうに俺のことだけを考えて心配して気に掛けてくれるのを望んでたくせに、いざそうされると感動して言葉に詰まっちまうなんて、何て矛盾だよ――
とことん天邪鬼な自分に苦笑いがこみ上げた。
そんな気持ちを気付かれたくなくて仁を抱き寄せ、胸元に抱えてごまかして、
「美味かったぜお前の。濃くてやらしくって」
わざと冗談っぽくそう言って抱えたヤツの髪にキスをした。
甘く、とびきりやわらかくキスをした。
「……ンな、濃いとか言うなって! 俺だって独りで抜くくらいは……するってーの……!」
え――?
あまりにも突飛だったせいか、俺は仁の顔を見つめ、キョトンと凝視でもしていたのだろう、ヤツは恥ずかしそうにしながらも同じ言い訳を繰り返した。
◆
「だから俺だって、その……ああー、もう何度も同じコト言わせんなってば……!」
「あ、いやごめん。悪りィ。あのなあ、別にわざとじゃねえって! ほら、俺もするし、同じこと! 独りで処理っての? つーか、普通ヤるだろ育ち盛りの俺らみてーのは特に……さ?」
「だよな?」
暗闇の中で互いを見合わせながら、俺たちは同時に噴き出してしまった。
肩を寄せ合いながらゲラゲラ笑って、時折仁の髪が胸元をくすぐる――
何だか急に愛しくなって、きゅっと胸が摘まれるように熱いものがこみ上げて、俺は思わず仁を抱き締めた。
「な、仁さ?」
「ん? 何?」
「何、考えながらすんの?」
「何……って?」
「だから、お前が独りでするとき。何想像しながらすんのかなって」
「バッ……! バカッ、何言って……っ!」
仁は大慌てでそう怒鳴っては、すぐに頬を染めた。
こんな姿はたまらない、超愛しくて握り潰してしまいたくなるくらい――って、どっちにしろヤバイな、俺。
仁のこととなると、何でこんなに執着させられるっていうか、感情がワーッって溢れ出そうになるのか解らない。
良くも悪くも、どちらにせよ感情の起伏が激しくなるのは本当に不思議だ。
今はヤツを愛しみたくて堪らないっていう激情が俺の身体中を駆け巡ってる。
さっきまでの不安からくる加虐心とは正反対の感情だが、血が逆流するように激しい感じなのは変わらないんだ。
そんなふうにこみ上げる熱情のままに俺は訊いた。
「だって知りてえもん、お前の。俺はさ、当然だけどお前のコト考えながらすんだよな」
照れ隠しに気障っぽくそう言って、横目にヤツの様子を窺った。
「そ……んなのっ、俺だってそうだって! 同じ。お前のコト……考えながらに決まってんだろ」
仁の照れ隠しはふてくされたように唇を尖らせて真っ赤に染まった頬をプイと横へ向ける仕草、その様子があまりにも可愛いというか、可笑しくなって、俺は又プッと噴き出してしまった。
「ちっ! バカにしてやがる……。てめえで訊いてきたくせにっ!」
ぶすくれている頬も、何もかもが愛しい。
お前のすべてを包んで何処かへ隠しちまいてえくらいだよ。
そんな気持ちのままにそっとやさしく肩を抱き直しながら、仁の耳たぶに軽いキスを押し当てた。
「俺の――どんなこと考えながらする? こうやってビッタシ傍にいるときとか? それともフェラしてるとき? それとも本番、っつーか突っ込んでる最中とか?」
凝りもせず、俺は仁をからかい追い詰める。もっともっと困ったような可愛い表情が見たくなってしつこくしてみる。
案の定、
「しつけーよっ……! そんなんどーでもいいじゃん! ンな細けーこと覚えてねえーっつか……」
アタフタと頬染めながらも半分恨めしそうに益々口を尖らせるこいつが大好き――
仁、本当に好きで好きでたまらねえんだよ俺。
こんな気持ちになるなんて思わなかった。
だが仁は次の瞬間に、もっと俺の気持ちを煽るようなことを平気で口にしやがった。
照れてふてくされ、そっぽを向きながらも頬を染めてうつむいて、
「キス、してるときとか……かな?」
ボソリとそう言った。
「え――!?」
「だからっ、キスしてるときのこととか考えてるって言ったの! お前が初めてしてくれた……一緒に海行ったときの……風呂場でのこととか、考えながらすること多い」
僅かに言葉を震わせながらモソモソと髪を揺らして、俺の胸元に顔をうずめながらそんなことを言われたら正気でなんかいられねえよ――!
ただでさえ握り潰して食っちまいたいくらいだってのに。
俺はもう理性なんかじゃどうにもならないくらいに上気して、興奮してしまった。
気付けばデカイ枕の上へと仁を押し倒し、全身で覆いかぶさって、そして夢中でこいつの唇を奪っていた。
「……ちょっ、丞ーっ!」
いきなりの攻撃に慌ててる仕草もたまらねえ――
「好き。好きだぜ仁、お前のこと――どーしょーもねえくれー好き! 大好き……愛してる……」
愛してるぜ仁――
俺は夢中になって仁を抱き締めた。
さっきよりも、もっともっとしつこいキスをして、そうする内に又勃ち上がったアレを仁の腹に擦り付けて両手で髪をぐちゃぐちゃに掻き乱して――
「な、挿れてーよ、仁。もー俺、我慢限界……」
組み敷いた片方の脚をグイと持ち上げて無防備なところを探れば、ソコは既にしっとりと湿り気を帯びてもいて、気が急きながら指で弄ったらヒクヒクと震えてた。
確かカバンの中にローション持って来てたはずだと、そんな思いがぼんやりと脳裏をよぎったが、わざわざそれを引っ張り出してる余裕なんて無かった。
少し乱暴だが脚を持ち上げて仁の湿り始めたソコをベロベロと舐め回した。唾液でたっぷりと濡らして、こいつが辛くないように解して高めて――
そんなことを考えながらも頭は既に朦朧としてた。
早く突っ込みたくてたまらねえ――。早くこいつを俺のもんにしたくてどうしようもない。セックスするのが初めてってわけでもないのに、無性に興奮して収集がつかないくらい。
吐息が荒くなり、額には汗が滲み出て全身が熱くなって――
少し乱暴にされて、おそらくは既に漏れ出しているだろう仁の嬌声も聞こえないくらい、俺は取り憑かれたように欲情していた。
「仁、言って。俺のコレ、欲しいって言って? 俺のこと、好きって言って……! 挿れてくれって……言ってよ」
聞きたかった。
仁が俺を欲しがる言葉が聞きたい。
俺を求める言葉を――欲情にまみれた余裕のない掠れた声で言ってくれ!
お互いの瞳がとろけて全身が熱にうなされているようなのが分かった。
眼下には、汗で首筋に張り付いた仁の髪が色っぽくてどうにかなりそうだ。
「仁、まんま挿れていい? ゴム着ける余裕無えよ、俺……」
「……っ、バカ……そんなん訊くな……。お前がいーならそれで……って、うわっ……!」
「ごめん、限界。ちょっと痛てえかもだけど我慢な?」
「んっ、平……気ッ」
ああ、もうどうしょうもない。例えようがないくらいこいつが好きで、欲しくて堪らない。
俺はこみ上げる欲情と感情のままにのめり込み、滴る汗がポタポタと仁の髪の上に落ちるのだけを朦朧と見つめていた。
このままお前の内部(なか)でイっていい?
そんなことしたら辛いのはお前なんだけど、本当はもっと大切に、とびきり丁寧に扱ってやりたいんだけどもうとめられそうもない。
思いっきり汚してお前の全身に俺を刻み付けてしまいたい。
誰が見てもお前は俺のもんだって分かる程に――!
ああ、俺やっぱヘンだ。
こんなこと考えるなんてアブナイ野郎だよな?
でも本当なんだ。自分じゃどうしようもないくらいお前が好きで堪らない。気が狂いそうなくらい――仁、お前が好き。大好き――!
仁――!
◆
「ごめん、暴走した」
遮光カーテンから漏れていた夕陽が完全に翳ってしまったのか、真っ暗になったベッドで仁を抱えながらそう言った。
仁はクスっとやわらかく微笑んだだけで、俺の肩に顔を預けたままだ。
「そろそろ時間ヤバくね?」
手元の時計を見ながらそんなことを言っているのを見て、さっきまでの熱情が嘘のように現実感が戻ってしまうのが恨めしくも思えた。
「ん、じゃそろそろ支度すっか。シャワー、お前先浴びる? それとも一緒に行く?」
「バッカ……」
薄めに笑い合う自分たちの声が心なしか寂しげに感じられて、俺はもう一度強く仁を腕の中へと引き寄せた。
「あのさ、仁」
「ん、何?」
「俺、バイトでもすっかなーって」
「バイト?」
俺の腕の力を窮屈そうにじゃれながら、仁は不思議そうに俺を見上げた。
「ん、前から考えてたんだけどよ、何か毎回親の小遣いでこんなとこ来んのも何かなーって思っててさ。サークルも頻繁ってわけじゃねえし、来年になったらそろそろ就職考えなきゃだし。それにたまにはお前にプレゼントとかもしてえしさ? メシだって自分の稼いだ金で奢ってみてえとかさ、いろいろ」
「あ……うん、そっか。実はね、俺も同じコト考えてた」
「マジ?」
「うん、駅前の本屋あるじゃん? あそこ、こないだっからバイト募集の張り紙出ててさ。俺、人見知りだけど本屋とかなら何とかなりそうかなーとか思って。お前に相談してみっかなって思ってたとこ」
「へえー」
駅前の本屋ってあそこのことか。まあ、あの店なら明るい感じだし、店員も感じよさそうなおばさんとバイトも真面目っぽい奴が多かったような――
ま、あそこだったら安心かな。ふとそんなことがよぎって、俺は又、苦笑いがこみ上げた。
安心かな――だなんて、これじゃ俺保護者みてえじゃねえか。
仁のバイト先にまで安全性を求めるなんて、やっぱり相当イカれてる。しかもその安全性っていう意味がめちゃめちゃ邪だっていうことが解っているから、尚タチが悪いんだ。
真面目そうな学生アルバイトに、やさしそうなパートと経営者。そんなところだったら仁にヘンな悪さする奴もいないだろうし、何よりこいつに余分なちょっかいを掛けてくるっていう方向の心配もしなくて済みそうだから。
「ん、いいんじゃね? あそこ、よく俺も買いに行くし」
「マジ? なら行ってみっかな面接」
「何なら付き添ってやろっか」
「バカッ、いいよそんなん! ガキじゃねーんだからっ……」
ふてくされたツラが可愛くて俺は又もプッと噴出してしまい、それは仁も同じようで、二人で声を上げて笑い合った。
◇ ◇ ◇
俺がバイトをしたいと思い始めたのは、後期が始まってすぐの頃のことだった。
夏休み中も漠然とそんなことを考えてはいたが、仁との熱に浮かれていてそれどころではなかった。情けない話だ。
一年のときに短期でバイトをしたこともあったけれど、所詮短期だったし、何よりも有難いことに親からの小遣いに不自由していなかったのもあってか、真面目にそういったことを考えたことが無かった。
仁に想いを告げていろいろと不安定に心が騒ぎ出すのがとめられなくなって、俺はそろそろ本気で何かを始めないっていうとヤバイ気がして焦り出したんだ。
こうしてホテルに通い出すようになってからというもの、その思いは益々強くなった。
親の小遣いでこんなとこに来るのは気が引ける。それ以前にこんなことの為だからこそ、てめえで何とかしたいって強くそう思うようになった。
今はまだ仁とのことを親たちに告げてはいないし秘密だが、将来のことを考えると自立のことを何よりも先に考えなくてはならないのは必然だ。
いずれ親にも本当のことを話さなければならない日が来るだろう。
確かに今はお互いに対する想いに火が点いた状態で、何事も冷静に考えられなくなっているのは自覚していたが、俺が仁とずっと一緒にいたいと思うのは嘘じゃないし、簡単な気持ちというわけじゃない。
遠い将来に、いや、案外近い未来なのかも知れないが、打ち明けなければならない時が来るのだろう。その為にも俺は何か新しいことを始めたかった。働くことで社会と接し、何かを得たいと、漠然とだがそんなふうに思っていた。
裏を返せばやはり自信が足りないのだろう、まだ親のスネをかじっている非力な子供の俺には自立なんて夢のまた夢だ。
何も解っちゃいない、だからこそ何かを始めなければならないと、痛切にそう感じてならなかった。
俺がもっと経験を積んで大人になれば、仁に対する独占心や焦れる気持ちもきっとやわらぐに違いない。親にも社会にも自信を持って向き合えるようになりたい。こんなふうにコソコソとじゃなく、堂々とこいつと共に歩いていけるようになりたい。そんな日を一日でも早く迎えられるようにと、俺は密かに決意のようなものを固めていた。
少し無口なままで呆然とそんなことを思い描きながら深い一服を吸い込んでいると、傍で仁も腕枕片手に煙草を銜えていた。
「で、お前はどーすんの? バイト、どっか目ぼしいトコとか決まってんのか? 何なら一緒に本屋に面接行く?」
照れたように仁が訊く。
「バカタレ、結局一緒に『面接』じゃしょーがねえだろが!」
「や、そーゆー意味じゃねえってば! 俺は単にバイト先の案を出しただけでー」
「はは、分かってるって。サンキュな? でも俺、もう行こうと思ってるとこあるから」
「――そうなの?」
先々週あたりからずっと気になっていたネットのアルバイト情報欄。案内によると、かなり待遇のいい話なのに未だに人材が確定していないのか、延々と募集が続いているひとつの職が俺の頭から離れなかった。
ひょっとしてアブナイ職業なのかなと思って一度下見に行ったけれど、外見からするには全くといっていい程、怪しげには見えない。しかも実は有名な会社だったりするから余計に不思議だったんだ。
「なあ何処? どんなとこでバイトすんのお前?」
「ん、まだ面接にも行ってねえし、連絡もしてねえから確実じゃねえんだけどー。ちょっとね、有名処。きっとお前も知ってるぜ?」
「はあ? 有名処って?」
「よくテレビとかにも出てるし」
「ま、まさかっ……まさかホストとか!? なあ丞、お前っ、自分イケメンだからって稼げるとか思ってんだろっ!?」
慌てて煙草をひねり消し、ちょっと蒼白といった感じで俺を覗き込んだこいつの瞳が不安にゆらゆらと揺れて可愛く思えた。
ああ、いつもこんな目で俺を見るこいつの気配がたまらなく心地よかったんだな、俺。
両想いになったって変わらずにこんな視線を向けてくれることに俺は又感動しちまって、キュッと胸の奥が熱く疼くのを感じた。
「はは、違うよ。ホストじゃねーって! 第一俺にゃ無理だ、勤まんねーよ。女大好きってわけじゃねーし。ましてや初対面のお客の女相手に上手く立ち回れる自信なんかねーし。ま、それ以前にお前にしかやさしく出来ねーしー俺?」
「は、嘘ばっか! ホントは女好きなくせに……。何かいいようにごまかされてる気がするんですけど」
「あはは、ごまかしちゃねーってば。俺、女よかお前の方が超好きだし、大切だし?」
「どうだか! ガッコ始まったと思ったら即行オンナと仲良く一緒に群れてんじゃんか! こないだも……今日の昼だって綺麗っぽい姉ちゃんとツルんでメシ食ってたくせに……」
その言葉に俺はハッとさせられた。
仁は変わってなんかいないんだ。俺が想いを告げたからってそれまでの焦れてた気持ちとか嫉妬とかが無くなったわけじゃない。安心したわけでもなく、ただ俺の気持ちを聞いたことで俺を信じて自分を抑えてただけなのか?
俺はポカンと仁を見つめて、しばらくは言葉さえ発せないままで固まってしまった。
「何……怒った? だっていいじゃん、たまにはそんくらい言ってもよ……。俺だって心配だもんよ」
又も口を尖らせて、仁は少し拗ねたように俺の肩から寄り掛かっていた頭を離したが、すぐにそれを引き戻して、髪を撫で回さずにはいられなかった。
「バッカやろ、怒るわけねーじゃん。ちょっと感動してただけ! 俺、すっげうれしいー」
「はあ? うれしいって何……」
「ん、お前が妬いてくれんのが!」
「うわっ……! バカ丞ーっ」
堪らずに俺は又、仁を枕へと押し倒し覆い被さった。
◆
「仁、ごめんっ! ごめんな……」
「っわ! 何だよ急に! おいバカ、丞ー! お前、重いっつーの!」
「だってよ、まさかお前がそんなん思ってくれてるなんて……気が付かなかったつーっか……」
「そんなんって何よ!」
仁が以前と変わらずに俺に対して嫉妬してくれていることが、事の他うれしくてたまらなかった。
それなのに独りで焦れて、『愛されてる』って実感が欲しいばかりに乱暴に扱ったりして本当にごめん、悪かった。自分のガキさ加減がみっともなくて、情けなくて、だけども仁の気持ちはうれしくて、もう何が何だかまとまらねえよ――
さっきまでの独りよがりの仕打ちを懺悔するように、俺は仁を抱き締めた。やさしく甘く、けれども激しい感情もとめられなくて、結局は乱暴になっちまうんだけれど。それでもできる限り大切に、仁が好きだという気持ちを込めてキスを繰り返し抱き締めた。
「丞っ、ヤバイって! 時間もう無いぜ! 早くしねえと……」
「いい。延長すりゃいいよ」
「ンなこと言ったって、お前……」
「だってほら、コレ。こんなんじゃすぐに外出れねえし?」
又、熱を帯び始めた分身を仁の腹に擦り付けて、俺は自ら仁の胸元に甘えるように顔を埋めた。そうするとヤツは頬を真っ赤にしながら『バカ……』とだけ小さな声で呟いた。そして再び昂ぶったものを仁の秘部へと押し当てて、俺たちは又しばし夢の中で互いを貪り合った。
◇ ◇ ◇
滞在を延長したが、それでも時間が足りなくなっていた。
少し慌て気味にモソモソと着替えをしている仁を横目に見ながら、俺も又、ゆっくりと服を手に取った。
「な、仁。さっきのバイトの話だけどさ? 俺さー、実は秘書のバイトしよーかなって思ってんだよね」
「えっ……!?」
「会社の名前はお前もきっと知ってると思うけど。音楽プロダクションの専務の秘書っつーか、要は荷物持ちみてーなもんだと思うんだけど。そこがずっと募集しててさ」
「プロダクションだ!? 俺も知ってると思うって……それ何処よ!? 有名レーベルとか? つーか、お前ってそんなに音楽とか好きだったっけ?」
仁は驚いたようにすっとんきょうな声を上げた。
「んー、別に音楽がどーのじゃなくって。他の職種でも全然構わねーんだけど、何となくその募集が気になるっていうか、ずっと頭に引っ掛かっててさ」
仁はあまりに意外だったのか、しばらくキョトンとしながら軽い硬直状態といった調子で俺を見つめていた。
とにかく時間がギリギリだったので、俺たちはひとまずホテルを出て、だが何となくすぐには電車に乗る気にもなれなくて、少し歩こうかと俺は仁を誘った。さっきの話の続きをしたかったからだ。
「確かにちょっと変わった仕事だけどよ、何となく惹かれるっていうか興味あるんだ。そのプロダクションってさ、何でも大学の同級生同士が意気投合して二人で立ち上げたって話なんだよね。で、今じゃ業界最大手とかって言われてるぐらい有名にのし上ったってんだけど」
「え!? それってまさかアレじゃね? TSプロのこと!?」
「そ! やっぱ知ってるだろ? 超有名だしよ?」
「超有名って、お前なー! なんか現実離れしてねーかっつの! つか、何処でそんな募集探して来たわけよ!?」
「はは、何処でって。ネットに載っててさ」
仁は益々呆れ顔で、ポカンと俺を凝視した。
「ま、有名とかそんなんは正直どーでもいいんだけど……。要はそこの社長と専務ってのが同級生で学生時代から超仲が良かったらしくって、ずっとツルんでたんだと。で、二人っきりで商売立ち上げて、今じゃすげえ成功してさ。そんな人の人生を傍で見てみてーっていうか。なんかの足し――いや、勉強になるかなと思ってさ」
「ベンキョって……」
「うん、何となく憧れるっつーか、自分らの夢に向かってがんばって、そんでもって実現してさ? すげえなとか。そんな人の付き人やりゃ何か俺にも得るトコあるかなって。確か三十歳くらいだと思うけどその専務らって」
「そんな若いんだ」
「ん、そうみてえ。三十歳っつたら俺らよか十コくらい上なだけじゃん? そんなに歳違わないから余計に興味あるっつーか……。何となく手が届きそうな感じがするんだよね。望んだ人生を実現してるいい見本っていうか、どうやりゃそんなふうになれるのかなとかさ。つーか俺、ホントは自信無えんだ。今のままじゃ世間のことも何も分からねえ只のガキだしよ。何となく神頼みっていうか、とにかく自分を変えたい。自信をつけたい。お前とずっと一緒に歩いて行きてえから」
「丞……」
「こないだ海行った時にも言ったけど、やっぱ親の説得とか世間の目とかさ、俺らにはこの先結構ハードな道(人生)が待ってると思うんだよね? でも険しいからってお前とのことだけはぜってー諦めたくねえし! それには自信が必要なんだ」
「丞、お前……」
「自信、っつーか経験とでも言った方がいいのかな? とにかく何かしねえといらねえっつーか。自立する為の社会勉強っての? 何でもいいから学びたい。若くても夢を形に出来るそんな人たちの傍でなら、きっと何か掴めるもんがあるかなって。何となく気が騒ぐっつーかさ、気になってしょーがねんだよ。ま、それ以前に面接落ちるかもな方が可能性大なんだけどな。かれこれもう二週間も募集出っ放しだから」
「そんなイイ仕事なのに? まだ誰も応募来ねえってこと?」
「いや、多分面接で落とされてるんじゃねえかとか思ったり。だって普通そうだろ? そんなイイ仕事ってお前も思うだろ?」
「ああ、まあ……そうね、確かに。けど案外皆そう思って応募しないだけだったり? ほら、倍率高けぇし――とかって」
瞳を大きく見開いて、俺を励ますような、それでいてすがるような何ともいえない表情をするコイツが愛しかった。
いつも一生懸命に俺の話を聞いてくれるこの瞳をずっと放したくはない。
ずっと――例えどんなに険しい道でもこいつと一緒に歩いていきたい。
「そうだよな。当たって砕けろだよな?」
「うん、そうだよ。がんばって行ってみろって! 俺も応援してっから」
「おー、ほんじゃ早速明日にも電話してみっかな?」
「だな?」
にっこりと微笑んでガッツポーズをして見せたりするコイツが、マジで大切で大切で仕方ねえよ。俺は何だか心が温まるような気がして、キュッと胸が熱くなった。
◆
実のところ、仁に話しながら俺は自分自身に言い聞かせていたというのもあった。誰かに話すことで意識が固まるというか、何となく先々の不安が薄らぐようで、どうしても聞いて欲しかったんだ。そういうことってあるだろう――?
その後も仁は黙って俺の独り言のような話を聞いていたが、ふと人通りの途切れた公園の入り口で足をとめ、懐から煙草を取り出して、
「ん――」
お前もいるか? というように少し皺になった箱を差し出した。
「サンキュ」
俺たちは無言のまま深く煙を吸い、木陰の向こうで揺れている街の灯をぼんやりと眺めていた。
「いいんじゃね?」
ポツリと仁が言った。
「お前らしいっつーか。やっぱ適わねーな、お前には」
「ああ? 何が適わねえって?」
「ん、別に……何つーか、とにかくすげえよ。俺なんてそんなしっかりした展望なんかねえしさ。とにかく今だけで精一杯だし、それってお前におんぶに抱っこなんだよな。正直情けねえし、悪いなとも思うけど。でもうれしいよ、お前がその……そんなにちゃんと考えてくれてるなんて……」
ひねり消した煙草を携帯灰皿に仕舞う仁の頬が僅かに染まっていた。
少し俯き加減で染まっていた。
「な、俺もがんばるよバイト。俺、お前よか考え甘いし全然出来てねーし、とにかくガキだけど、やれることからやるしかねーし。それに……」
「それに――?」
「ん、それに……お前がそんなふうに考えてくれてるんだったら、何だかヤル気出てきたっつーか、とにかくがんばる気になれたし」
懸命な感じで俺を振り返り見つめる仁の瞳に、街の灯がキラキラと映っていた。
少し染まっていた頬が更に上気して紅が濃くなる。
俺は又、胸の奥がぎゅっとつままれたようになって、短くなった煙草をひねり消し、ヤツの髪ごと抱き寄せて額と額をコツンと合わせた。
キスをしたかったが、今はそれよりこうしていたかった。額と額を合わせて、近過ぎるこの距離を確認していたい――そんな気分だった。
◇ ◇ ◇
帰宅ラッシュで満員の電車に揺られ、いつもの改札をくぐり、もうシャッターの閉まった商店街を二人で歩いた。
今日くらいは一緒に帰ってもいいよな?
いつもホテルに行った時には、その後ろめたさから時間をずらして帰っていたけれど、今日は共に歩きたい。非力なガキの俺たちにはデカ過ぎる夢だけど、それに向かって一歩、何かが進んだような気がするから。
だからこのまま、もう少しこのままお前と一緒に歩きたいんだ。
だってこれはこの先の長い道のりに繋がっているような気がするんだよ。
きっと気の遠くなるような長くて険しい道のりだろうけど。
でもどんな道であれ、自分たちの望むものなんだから。
何よりも大切にしたいものなんだから。
遠い未来に、延々と続くこの道の先に辿り着き、ふと後ろを振り返った時に懐かしいと思えればいい。そしてその時は必ずお前と一緒に振り返っていたいと思う。
今のように隣りに並んで歩きながら、振り返って微笑い合えたらいい。
この道はそれに続く第一歩でもあるんだから――そんな気分だった。
特別には話すこともなく、俺たちはただ並んで歩いた。時折、ふと横目に様子を窺いながら、そして目が合うとクスっと照れたように微笑い合って、また目をそらす。
遠くに見えてきた自宅の門柱の灯りがちょっと恨めしくもあったけれど、再び横目に仁を見れば、ヤツも全く同じような表情をしていて、俺は何だか無性に心が和むのを感じていた。
「そんじゃ、また――な?」
「ああ、バイトの面接行ったら報告しろよ!」
「ん、お前も――」
すぐ向かいの仁の家の玄関がやたらに遠く感じられて、名残惜しい気持ちがワーッと高まった。
そんな自分が可笑しくも思えて苦笑いがこみ上げる。たった今さっき、いろいろと決意を固めたばかりだというのに、すぐ目の前の現実に一喜一憂、振り回されてる自分が情けない。
でも明らかに昨日までとは何かが違う気がしていたのは確かだ。そう、いつまでもグダグダ悩んでたってしょーがねえな?
俺は大きく息を吸い込んで、
「よっしゃ! そんじゃーな! 面接がんばれよ!」
「おうよ!」
互いに意を決してそれぞれの玄関へ入ろうとした時だった。
「あらー、仁お帰りー! 丞君も一緒だったの? ちょうど良かったわよ、あんたたち!」
浮かれ調子で、仁の母ちゃんが玄関の扉を勢いよく開けて飛び出して来た。
今、正に玄関に入らんとしていた仁は、母親に引きずられるようにして再び俺の方へと連れて来られ――俺たちは何が何だか分からずに、唖然と仁の母ちゃんを見つめてしまった。
「あのね、実は同窓会が決まってね! お母さんたち来週の金曜から二泊三日で京都に行くことになったのー!」
「はあ!? 京都だー!?」
「そそそ! 今年は卒業からちょうど節目の年だからってね、それに幹事が京都の人なのよー。せっかくだから泊まりでお寺巡りでもしようっていうことになってね。丞君のご両親も勿論一緒よ! で、今から丞君のお家でツアーどれにしようか相談することになってー! ほらもう日が迫ってるから急がないといけないでしょ?」
仁の母ちゃんは上機嫌で、『ちょっと時間が遅いけど』などと言いながらも、ワクワクとした調子だ。
「ささ、行きましょ行きましょ! 丞君のお母さんたちも待ってるから~!」
小躍りしながら俺の家へと駆け込んでいくおばさんを見つめながら、俺と仁はしばしポカンと立ち尽くしてしまった。
「何だアレ……?」
呆気に取られてそう問い掛ける仁の瞳はまん丸で、とにかく俺はヤツを伴って自宅へと入った。
「あら丞、お帰り。仁君もいらっしゃいー! ちょうどそこで会ったんですってね~!」
リビングには既に旅行のチラシやパンフレットらしきものがごっそりと散らばっていて、俺たちは部屋の入り口で、またも呆然と立ち尽くしてしまった。
「仁ちゃんのお母さんから話は聞いたでしょ? そんなわけだから又二人でお留守番よろしくねー!」
上機嫌の最高潮といった様子で母親たちに微笑まれて、俺は硬直した。
来週末、二泊三日のお留守番――まるでさっきからの決意が一気に揺るぎそうになる。何だか気が抜けてしまったというのが本当のところか。
「ああいいぜ……。た、楽しんで来てよ……その、久し振りの同窓会だっけ?」
しどろもどろで舌を噛みそうになりながら、やっとの思いで俺はそう言って、お愛想笑いをして見せた。
強張った顔のその裏側で、だがしかし仁と二人きりの三日間に浮き足立つ気持ちが正直抑え切れなくて、俺はただただ愛想笑いを繰り返すしか出来ないでいた。
――願ってもいない偶然な幸運を目の前に、少しの後ろめたさがよぎって心臓の奥がチクリと痛む。
チラリと仁を横目に見ればヤツも又、全く同じような曖昧な表情で俺を窺っていた。
何も知らない親たちに申し訳ない、でも正直ものすごくうれしい――
そんな思いが頭の中でグルグル回っていた。
心がワクワクし、そしてズキズキとしていた。
俺も仁も互いを見つめ合いながら、少しの苦い思いで微笑み合った秋の夜だった。
- FIN -