悪い夢

全5話完結済



01

「お前、遼二に気があるだろ?」

 唐突に突きつけられた言葉に、紫月は硬直した。
 ニヤニヤと含み笑いのようなものを漏らしながら自分を取り囲む仲間――彼らは同じバンドのメンバーたちだ。
 紫月は現在ブレイク中のロックユニットでボーカルをしていたが、今しがたの仲間たちの発言通りに、ベース担当の遼二に密かな想いを抱いていた。
 一緒にいるだけで心が躍るというか、安心出来るといった感覚で、確かにそれは淡い恋心のようなものでもあったには違いない。だが、だからといって激しく燃え上がるような焦燥感にまでは至ってはいないのも事実だった。
 けれどもやはり居心地がいいのか、仲間たちの中にいるときは視線が勝手に遼二を追ってしまうのだろう、大して意識はしていなかったつもりだが他のメンバーたちは薄々とそんな思いに気づいていたとでもいうのだろうか――
 自分でも自覚しきれていないような指摘を突きつけられて、しかも突然のことだったのでさすがに驚きは隠せなかった。
 少しの焦りを表情を映し出し、不本意にも染まった頬の熱を隠そうと紫月は声をうわずらせた。
「バッ……カ、何言ってんだって……お前ら急にヘンなこと……」
 瞳を泳がせながら苦笑いを漏らしたそんな様子に、仲間たちは互いを見合いながらニヤリと口元を緩めた。
「は……ん、隠したってダメだぜ? お前がいっつも遼二に見とれてんの知ってんだ」
「そうー、お前ってさ案外クールそうに見えんのに意外とウブなんだなーって。な、紫月ちゃんよー?」
 ジリジリと壁面へと追い詰められながら、まるで脅かされでもするように取り囲まれて紫月は色白の顔に蒼い影を落とした。
「なっ……何だよその『ちゃん』って言い方……っ! 何ワケ解んねえこと言ってんだって……」
 精一杯強がって間を取り戻そうとしたが、背後に隙間もないくらいににじり寄って来るメンバーの様子に次第に蒼白となっていった。
「ふふ……焦っちゃって! 可愛い~」
「そー、見てくれはこんなに男前なのになぁ? お前がホントはゲイだったなんて知ったらファンが泣くぜ? つーか、興醒めって言った方が正解? 紫月キモーとか言われて人気もガタ落ちだよなあ?」
「そうそう、そしたら俺らもとばっちり受けてもうバンドなんかやってらんねえかもよ?」
 交互交互に言いたい放題の彼らを前に、硬直していた肩が震え出した。
「何バカなこと抜かしやがるっ!? 誰がゲイだってっ……」
 頭に血がのぼったようになり、さすがに紫月は声を荒げると、目の前に群がる彼らを押し退けようと思わず拳を振り上げた。
「おっと、危ねえ……! 油断も隙もあったもんじゃねえ」
 振り下ろされた拳が仲間の一人に当たったが、隙をつかれて脇を取られそのまま床へと突き飛ばされてしまった。さすがに三人相手では適わないといったところだ。
 リードギター担当で体格は自分よりも一回り大きい白夜と、同じくギターの剛、更にその二人に指図をするような流し目で、少し後方から距離を置いて眺めているのは、ドラムス担当でバンドリーダーでもある帝斗の視線が妖しげだ。ニヤケ混じりでいながらして、その奥底にぞっとする程冷淡な光を伴っているのに、思わず背筋に寒気のようなものが走った。
 自分を取り囲んでいた二人にいきなり両サイドから腕を捕られたのは、その直後だった。
「何しやがるてめえらっ……ッ!?」
 僅かに身の危険まで感じて、紫月は怒鳴った。
 だが、白夜と剛に両脇をがっしりと押さえ込まれてしまい、身動きは儘ならない。そんな様子を満足げに見つめるリーダー帝斗の視線はやはり妖しく、緩んだ口角には侮蔑のようなものがはっきりと見て取れた。
 帝斗は胸ポケットに突っ込んであった煙草に火を点けると、咥え煙草でゆっくりと紫月の真正面まで歩み寄った。
 そして深く煙を吸い込むと、まるでくちづけをせんという位近くに頬を寄せ、あろうことか顔面めがけて煙を吐き出したのだった。
「なっ……!?」
 顔をよじり、むせながらも信じ難い思いと驚愕で、紫月は咄嗟には反抗の言葉も返せずに、硬直してしまった。
 今の今まで意気投合していた仲間たちだ。十何年来の馴染みなどという程深い付き合いではないにしろ、バンドを組んでから比較的仲のよく、温和な関係だったと自覚もある。歳の頃も近く性質も取り立てて気性の荒い者などいない、いわば快適によい関係が保たれていると思ってもいた。
 その彼らが突然に豹変したようにこんなことをするのだから、咄嗟には何がどうなっているのかなど考える余地は皆無で当然だろう。
 紫月は依然、驚愕の表情のままで目の前で煙草をくゆらす帝斗を見つめていた。
 呆然と言葉さえも忘れたように立ちすくむのみの彼に更なる信じ難い出来事が襲ったのは、くゆらしていた煙草を捻り消した帝斗の指先が、無防備な胸元に添えられたときだった。
 色白の、割合綺麗な帝斗の指先は撫でるようにシャツの上をゆるりゆるりと移動し、開襟している襟元を割り込んでは首筋へと這い上がる。
 首でも絞められるのではないかという恐怖感までが瞬時に湧き上がったが、撫でていた動きがピタリと止まったと思ったら、激しくシャツごと引き裂かれて紫月はビクリと肩を丸めた。
 静から動への動きがより激しさを感じさせる。千切れたボタンが床を転がるのを不思議なくらい冷静に目が追ってしまったのは、あまりにも現実離れしたような出来事が理解出来得なかったからだろうか、とにかく呆然としたまま、紫月は魂の抜けたような表情で帝斗と対峙していた。


02

「どうした? そんな顔して?」
 再び浮かんだ薄ら笑いがゾクリと寒気を誘う。リーダーというだけあって、メンバーの中でも比較的大人の落ち着いた印象のあった彼が別人にも思えた。
「それとも……噂の遼二くんでも呼んで助けに来て欲しいってとこかな?」
 皮肉っぽい口調でそう言いながら、首筋からやや乱暴に直線降下で腹までを撫でられて、紫月は飛び上がるように身をよじった。
「何だよ、もう感じちゃったのか? まさかホントにそういうヤツ? お前って」
 今度は少しの侮蔑混じりに、早口でそんな言葉を付き付ける。それと同時にジーンズのジッパーをこじ開けられたのには、さすがに怒りが込み上げて、紫月は条件反射のように帝斗の膝を蹴り上げていた。
「ふざけてんじゃねえよっ……! いったい何だってんだよ、てめえらはっ……! さっきから聞いてりゃ調子コキやがってよ!? おい、この手放せよっ! 放せったらっ……!」
 勢いに乗るように紫月はもがき、だが両脇で拘束する剛と白夜も必死に暴れるのを押さえようと力が増すから逆効果だった。
 抵抗も虚しく、再びがっしりと両腕を捕られてしまえば、今度こそ簡単には身動きさえとれなくさせられてしまった。その様子を余裕たっぷりでうれしそうに眺める帝斗に、白夜らは『早くしろ』と催促する。
「そう焦るなって。お楽しみはこれからなんだから。なあ紫月よ、マジで遼二のヤロウに気があんだろ? あいつ鈍感だからちゃんと口で言わねえってーと解んないぜ?」
「何なら代わりに言ってやってもいいけど?」
「バッ……カ野郎ッ……! いい加減にしねえかっ!」
「へぇ、ムキになっちまって案外可愛いトコあんだなお前って。っていうかモロ肯定してるだけだって気づかねえところが又純粋ってか? ま、いいさ。遼二に焦がれてモンモンとしてるみてえだからちょっとイイことしてやんよ」
 そう言うや否や、帝斗はポケットから薬瓶のような物を取り出すと、その中の錠剤を無理やり紫月の口へと突っ込んだ。そして呼吸を取り上げるように強い力でその口元を塞ぎ、錠剤を完全に飲み込ませるまでつねるように押さえ続けた。
「何……すんだよっ、今の何だよッ!? ヘンなことしてんじゃねえぞ……!」
「おーおー、威勢だけは充分だなぁ? ま、その方が楽しみ甲斐もあるってもんだ」
 帝斗はクスクスと笑いながら、先程手に掛けたジッパーを一気に引き摺り下ろすと、下着の上からいきなり紫月の男根を掴み上げ、揺するように手のひらで弄び始めた。
 そしてもう片方の手ではシャツを裂いて肌蹴た胸元の突起を転がすように撫で上げ、そこまでされてようやくと彼らの真意に気がついたかのように、紫月は驚愕の表情を更に真っ青にさせた。
 あまりにも検討違いで予想だにしない突然の仕打ちに、反抗どころか言葉のひとつも思い浮かばない。
 両脇からの拘束を振り解く気力も湧かずに、しばらくは呆然とされるがままになっているだけであった。
「お前はさ、俺らバンドの大事な顔なんだからな? ボーカルが恋にうつつを抜かしてボーっとされてたんじゃバンドとしても困るんだよ。しかも相手は俺らの仲間内でも一等鈍感な遼二ときたもんだ……。当のお前はコクる勇気もねえみてえだし、それじゃ悶々としちまうだろうが? だから代わりに俺らがお前のモヤモヤを解放してやろうってんだからね。ちっとは感謝しろよ~?」
 ベラベラとしゃべり続ける内容も到底信じ難いものだったが、仲間にこんなことをされていることの方が驚愕で、頭の中は真っ白だった。
「どうだ? 気持ちいいか? 自分でヤルのとは違ってもっとセクシャルな気分になるだろうが?」
「ふ……ざけんなっ……! 帝斗っ、てめえっ……いい加減にしろよっ! お前らも調子コイてねえで放せったら……! クソッ……!」
 バタバタと紫月は身をよじり、だが怒りと嫌悪感の中にチラリチラリと欲情の湧き上がる感覚に、更なる嫌悪感が込み上げた。
「やめろってんだよ! このクズ野郎どもがっ……!」
 唯一自由になる足で目の前の帝斗を蹴り上げれども、身軽にかわされ、その度に薄ら笑いが耳元を掠める。
 抵抗出来ず、次第に背筋を這い上がる快感が大きくなっていくのが、先程無理やりに飲み込まされた錠剤の翻弄によるものだということに、薄々感付いた頃には身体の方がいうことをきかなくなっていた。
 そんな様子に満足そうに帝斗の悪戯は容赦なく、どんどん過激に攻め立てる。
 不本意にも吐息が漏れ出すのをとめられず、弄られた男根もみるみると膨張し硬く勃ちあがって紫月は唇を噛み締めた。
「ふふ……効いてきたか? これからもっともっと気持ちよくなれるぜ? 立ったままじゃ何だから、ほら、こっち連れて来いよ」
 白夜と剛に顎先でそう指図すると、帝斗は側にあった長椅子の上へと促し、高まり始めた紫月の身体を組み敷いた。
 腹の上から馬乗りにされ、拘束されていた腕は少しの痺れを伴ってもいて、自由にならないまま今度は側にあったコードで縛り上げられてしまった。
 そんな様を舐めるような視線で見下ろしながら、帝斗がゆっくりと自身のシャツを脱いだのに、紫月は驚いて瞳を見開いた。
「おい、いい加減にしねえかよっ……! お前ら、頭おかしんじゃねえ!? よせってんだよっ、放せってのが聞こえねえのか!」
「うるさいなあ。ちっとはおとなしくしろって。どうせなら『遼二くん助けてー』とか、可愛いセリフくらい吐いてみる?」
「何言ってんだっ……! 俺がいつ遼二なんて言ったよ!? 勝手な想像してんじゃねえよっ! あんま、ふざけてっとただじゃ置かねえからなっ!」
「あーあー、もう威勢がよすぎるのも問題だよなぁ? でもホント、お前ってそんなとこがソソルってーか、そういうのが余計に火を点けちまうって思わねえ? 何ならいいぜ。遼二、呼んで来てやろっか? あいつまだスタジオにいるんじゃねえの~? さっきリハ終わってからラウンジで飯食うとかって言ってたからさ、案外まだこのビルの中かもよ? それとも忘れ物とかってココに戻って来たりしてな?」

「なっ――!?」

「いいぜ、遼二の目の前で犯ってやろっか? その方が俺らもソソル。意外にアイツも興味示して仲間に入れて~とかなるかもよ? そうすりゃお前も本望だろうが? ヤツとエロ~なこと出来るかも知んねえぜ?」
 そのシーンが脳裏をよぎれば、意志とは裏腹に頬がカッと熱を持ったような気がして、不本意な思いに紫月は唇を噛み締めた。


03

 あられもないこんな姿をもしも遼二に見られたとしたら――
 紫月にとって驚愕だったのは、恥ずかしいとか悔しいとかいう以前に、満更でもないという感情が頭の隅をよぎったことだった。
 そうだ、もしも遼二がこんなところを目撃したら、どんな気持ちになるだろう。生真面目でやさしいアイツのことだ、当然怒るのが先で、その正義感から、こんな状態の自分を助けようとしてくれるだろう。
 だがその後はどうだろう。少なからず欲情の兆しなどを見せてくれるだろうか?
 そう、今目の前で、自分に興奮しているこいつらのように、正義感の強い意志に逆らって、身体だけでも素直に反応を見せてくれたりするのだろうか。そして、そうなった遼二に対して、実のところ悦んでいる自分がいる――
 そんなことを考えれば、ますます頬の熱が上がった。
「バッ……カ言ってんじゃねえっ! てめえら、マジで殺してやるっ……」
 無意識に浮かんだ自らの淫らな妄想を振り払うかのように、紫月は怒鳴った。
「そう怒るなって。まあ、そんなふうに抵抗されんのも萌えるけどさ」
 だが帝斗の方はヘラヘラと笑いながら、言葉の駆け引きを楽しんでさえいる。
 そんな様子にしびれを切らした剛と白夜は、互いに股間を膨張させながら、焦れったそうに帝斗を促した。
「ああー、もうー! グダグダ言ってねえで早く犯っちまおうぜ! 俺、もう限界よ?」
「俺も! っつーか、紫月ソソリ過ぎ! 意外な一面見ちゃったって感じ? 結構可愛いじゃん!」
「そうそう、最初帝斗が犯っちまおうかとか言ったときにゃ野郎なんかヤったって面白くもなんともねえって思ってたけどよ、案外いいんじゃん? それを証拠にホレ! 俺のコイツもこんなにビンビン、準備満タンってか?」
「バーカ、ヘンタイ野郎! そーゆー俺もこの通りだけどー」
 頭の上で剛と白夜がそんなふうに逸っては、興奮した吐息のかかるのに、紫月はますます怒りで頬を染め上げた。
「ふ……っざけんなっ! ヤるって何だよっ!? てめえらツルんでそんなこと考えてたのかよっ!」
「うっわ、まだ力んでんの? 紫月ちゃん男らしいー!」
「ホーント! でも全然立場解ってないってトコが又いいよな? これから犯られちゃうのに精一杯抵抗なんかしちゃって。ムダなとこが又ソソル」
「ふふ、ふふふ……お前らも好きだな? ならそろそろ紫月ちゃんにも気持ちよくさしたげよっか?」
 帝斗はそう言うと、組み敷いていた紫月のブリーフをぐいと引き摺り下ろして、剥き出しになった男根を舐め上げた。
「わっ……! ……うぁっ……っ!」
 突然の刺激に紫月はビクリと腰を浮かせ、それを合図のように上からは白夜と剛に胸の突起を悪戯されて、思わず瞳を瞑った。
「よせ……ってんだろ……てめ……ら、マジで……」

――くそ……っ……はっ……!

 抵抗の言葉とは裏腹に、漏れ出す嬌声がとめられない。身体中に回り始めた薬の力には、どうやっても逆らうことなど不可能のようだった。
「嫌だなんて言いながらしっかりコッチは反応じてんじゃねえ? どんどんお前の汁が噴き出してくるぜ? 口ン中お前の味だらけ!」
「うっそ! 紫月ちゃんガマン汁出しちゃってんの? どう、旨い? なあ帝斗ー」
「そりゃ、もう!」
「ふーん、なら俺のも舐めてくれよ。なぁ?」
 カチャカチャとベルトを外し、逸るように白夜は自身のペニスを引き出すと、紫月の口元へとそれを突っ込もうとした。
「っ……! ざけん……なっ……! うぁっ……」
 だが、正直なところ、もう限界だった。
 帝斗の慣れた舌先の動きは、勃起した男根をゾクゾクと煽ってくる。がっつくように胸元を舐めて弄っている剛の荒い吐息も、無理やり突っ込まれた白夜の一物の硬さでさえ、湧き上がる欲情を増長させてしまう。
 意思とは全く逆に身体中がうずくのに、逆らうどころか流されてしまいたくもなっている自分が信じられなかった。
 朦朧とした意識で見上げる先にはゴツい男の身体と汗の臭い、胸元で揺れるアクセサリーがふと遼二を連想させもするようで、紫月は瞬時に頬の染まる思いがしていた。

 もしもこれが遼二のだったら――?
 もしも今目の前で揺れている胸元が奴のものだったとしたなら?
 似たようなアクセのチェーンが現実と妄想を交叉させていく。

 荒い吐息、
 逸った動きの指先、
 特有の男性用コロンの香りが欲情を煽り立てていく。
 無論、遼二とこんなことをするなど想像したことなどなかったが、逆にそんな欲望に目覚めさせられてしまったようでもあり、薬の力も相まってか、紫月は淫らな誘いに堕ちていくのをとめられずにいた。
 身体を這う快楽に流され、悔しくも悦びを感じざるを得ずに、しばらくの悪戯の後、紫月はついに到達してしまう。
 朦朧とした意識の中でそこまでは快楽といえないこともなかったが、それから先は苦痛が待ち受けてもいた。
 当然の如く経験のない、身体の内部に侵入されるという特異な感覚は、紫月を激痛の苦しみへと突き落とした。
 さすがに抵抗し、叫び声も上げたのだろう、気がつけば喉はかれてヒリヒリと痛み出し、耐え切れずに生理的な涙で頬はぐっしょりと濡れていた。
 腰元はしびれたような鈍い痛みと引き裂かれるような鋭い痛みが交互する。途中、『最初は俺だからな』などという言葉が耳元を掠めたような気がしたが、今では誰が自分をどうしているのかも解らない始末だった。
 何処にいるのかも解らない、目線の先にぼんやりと浮かぶのは楽器、コード、マイクスタンド、板目の壁――
 すべてがぼんやりとして現実か夢なのかも解らない。考えたくもなかったし、考える気力など最早残ってはいなかった。後方から抱きすくめられ、ぴったりと重なり合う体温で暑いくらいの背中は、ぬめる汗の感覚が気持ち悪くもあった。
 誰かが髪を掴んでいるようだ――
 又、逸った硬いものが口中に押し込まれる――
 激しい波に呑み込まれるように、何が何だか意識が追えない中で、だが次の瞬間耳元に落ちてきた意外な言葉を聞いて、紫月はハッと我に返った。
「遼二だと思えよ……」

 え――?

「今、お前の内部に突っ込まれてるコイツが……遼二のモンだって想像してみろ。そしたら少しは楽ンなるぜ?」
 そう言った彼も又、欲情の限界に近づいているような興奮した息使いで、だが酷く穏やかにそう囁かれたのを聞いて、何故か奇妙なあたたかさが意識を遠退かせていった。
 そして目の前を掠めた床の板目の茶色を最後に、紫月は意識を手放してしまった。



◇    ◇    ◇



「は、気ィ失っちまった……」
「はぁ? マジで?」
「ん……お前らちょっと手貸せ。紫月をここに寝かせっから」
 帝斗はがっくりと力の入らない身体を膝の上に抱き上げると、意識のない彼の頬を伝う汗と涙を拭うように軽く指先を這わせた。そして僅かに切なげにくしゃりと瞳をゆがめると、しばらくそのままで眠る紫月の顔を見つめていた。
「白夜、お前ら先帰れ。俺はもうちょっとコイツの様子見てく」
「あ……そっ! いいぜ、んじゃ先行ってるわ」
「はあー!? マジで? だって俺、まだ……」
「いいから! 行くぜ剛!」
 少し真剣な帝斗の様子に、白夜はヒョイと肩をすくめたゼスチャーで、面食らっている剛の首根っこを掴むと、まるで邪魔はせんとばかりに早々に部屋を出て行ってしまった。
 残された帝斗は未だ紫月の頭を膝枕に抱えたまま、何故か切なげにその表情のひとつひとつを見つめていた。
 そして僅かに震える指先で、或いは戸惑うとでもいうように時折髪を撫でてみる。
 まるで大切なものでも扱うような感じで、帝斗はしばらくそうして紫月の髪を撫でていた。


04

――あれは誰だったのだろう?
 緩やかに髪の撫でられる感覚が、遠い意識の中で揺れている。
 ひどく心地よくもあり、それは懐かしいようでもあって、不思議な程深い眠りに落ちていったような気がする――

「……っ痛ッ……!」
 遮光カーテンから漏れる褐色の光に、今が夕方なのだろうということをぼんやりと感じた。
 次の瞬間、ハッと我に返り反射的に飛び起きた紫月は、咄嗟に辺りを見回した。
 ぼんやりとしていた意識の先に見慣れた光景が映り込み、しばらくしてそこが自分の部屋なのだということに気がついた。紫月はきょろきょろと部屋の中を見回し、だが人の気配などは無いようだ。
 いつもと変わらぬ自分の部屋に違いない。
 けれどもベッドから立ち上がろうとした瞬間に、腰元に走った鈍い痛みが嫌な記憶をフラッシュバックさせた。

「――ッ!」

 みるみると蘇る先刻からの記憶に、思わず吐き気が催し、だがそれでは何故自分はこの部屋にいて、ちゃんとベッドで眠っていたというのだろうという疑問が浮かび上がった。
 誰かがここまで運んでくれたというわけか?
 ぐちゃぐちゃな記憶と身体中を走る痛みの中で、絡まる糸を解くように紫月は懸命に記憶を辿ろうとしていた。
 仲間からの突然の仕打ちを思い返せば、再び吐き気が込み上げては、真っ蒼になった額に冷たい汗がまとわりつく。信じ難いような屈辱を受けて、挙句は何をされたのかは言わずとも身体の痛みが物語っているのだ。
 ではその後は?
 どうやって自分の部屋まで戻って来たのかが、まるで思い出せなかった。



◇    ◇    ◇



 その後、紫月は不可解な思いと心痛に苛まれながら、それでも次のリハーサルには顔を出した。
 驚愕の日からは三日が過ぎていたものの、依然身体の内部に鈍い痛みが残っているような気がしていたのは事実だ。重い表情ながらも、それでも仲間のいるスタジオの扉を開ければ、気丈にも平静を装おうとした。
 そんな様子に白夜や剛は少々バツの悪そうに無口なふうであったが、唯一何も知らない遼二の姿を目にすれば、瞬時に泣きたいような気持ちに駆られてしまった。
 張り詰めていた神経の糸が切れてしまったように、急激にガタガタと音を立てて何もかもが崩れてしまうような気持ちになって、その場に立っていることさえ辛くなる。
 脚が震え出し、嫌な記憶が断片的に脳裏を掠め、チューニングをしている後ろ姿に縋りついてしまいたくなる気持ちに駆られる。

――遼二は何も知らない。

 ほんの三日前までは頬の染まるような弾む思いで普通に会話し、普通に楽しかったというのに――
 今は何もかもが変わってしまったようで、酷い孤独感さえ覚えた。それ以上彼の背中を見ているのが耐えられずに、紫月はぎゅっと唇を噛み締めると、込み上げた涙を隠すように思わずその場を後にした。
 逃げるように給湯室へと走り込み、狭い洗面台の淵に全体重をかけるように身を預けると、ひとしきり涙にくれた。
 あふれ出す涙はまるで土砂降りの雨のよう――
 どうせなら身も心もずぶ濡れになって今この場から流されてしまえるものならばどんなにか……!
 そんな思いがより惨めさを増長させもした。
 もう戻れない。
 何の不安もなく普通に笑っていられた日々が極端に遠くも感じられる。だが少し冷静になって考えてみれば、大したことではないように思えなくもない。
 俺は男なのだから。
 か弱いなんてガラでもない。
 あんなこと――ただのお遊びがエスカレートしたってくらいで何てことないんだ、必死にそう思おうとする気持ちと絶望にまみれた気持ちとで、心はズタズタの泥溜まりのようだ。
 ステンレスの洗面台の淵には涙がボタボタとこぼれた跡が霞んでは、次第に意識の遠退く思いもしていた。
 そんな折だった。
 背後に他人の気配を感じ、飛び跳ねる程驚いて、紫月は咄嗟に涙にくれた顔を隠そうと身を丸めた。一瞬それが遼二だと思えたのだ。朝一番の挨拶も交わさずにスタジオを飛び出してしまった自分を追って来たのだろうかと、そう思ってしまったからだ。
 彼は確かに皆の言うように鈍感なところがなくもなかったが、こんなときには妙に繊細だったりもする。以前にも思ったように歌えなくて落ち込んでいた時に、誰よりも先に気づいて励ましてくれたことがあった。上手い言葉などは無かったが、ただ黙って傍にいてくれたのだ。そんな些細な触れ合いがどんな言葉よりも大きく温かく感じられて、だからこそ心地よさが淡い想いに変わってもいったのだから。
 その遼二にだけはこんな顔を見られたくはなかった。何が何でも今回のことを知られたりしたくはなかった。けれどもこんなにぐちゃぐちゃな涙の痕をどうしたら弁解出来るというのだろう?
 何もかもが混乱で、だがしかし、どうやっても取り繕えないだろうことを自覚してか、しばらくの後、諦めたように紫月は背後を振り返った。
「何でもねえよ、ちょっと具合が悪くって……」
 そんな言葉が咄嗟について出たが、絶望をよそに、そこに立っていたのは意外にも遼二その人ではなかった。


05

 なっ――!?

 切なそうに瞳を翳らせながら、複雑な表情で立ちすくんでいたのは、バンドリーダーの帝斗であった。
 紫月は驚き、流した涙も一瞬で乾いてしまうような感じでしばし呆然となってしまい、立ち尽くす帝斗から視線を外せなかった。
 驚きの言葉が掠めたのはその直後、
「具合はどうだ……」
 瞳を翳らせたままで帝斗はそう言った。何故か少しの辛そうな感情さえ見て取れるようでもあり、紫月は益々驚きで軽い放心状態に陥ったが、
「悪かった。あんなことでしか伝えられなかったんだ――」
 僅かに肩を震わせながらそう言われた言葉に、更なる驚きで硬直してしまった。まるで絶望だった今の気持ちそのものさえ忘れてしまう程のちょっとした衝撃でもある。
 呆然と立ち尽くす紫月に、帝斗はガックリと頭を垂らしながら、更に切なそうに表情をゆがめた。
 それはまるで酷く辛そうでもあるようで――
 そんな彼の仕草も理解し難い紫月の頬を目掛けて、フイと無意識に伸ばされた指先が髪に触れた。
「どうしても……渡したくなかった。あいつに、遼二にだけはどうしても……お前を盗られたくなかったんだ」
 驚愕とも思える台詞に反して、まるで感情のないような淡々とした様子が異常とも感じられる。あまりの驚きに、返答もおぼつかない紫月を他所に、帝斗は先を続けた。
「あいつだけじゃない、他の誰でも同じだ。どんなことをしても……例え嫌われてでもお前を盗られたくなかった。誰かに盗られてしまうくらいなら、いっそ他の誰よりもお前に憎まれてみたいとさえ思った。一等ひどいことをして、お前の中に俺を刻み付けたかった。二度と忘れられないくらい憎まれたならそれでいい、お前の一等嫌いな奴が俺ならそれで本望だ。どんな形ででもいい、お前の意識の中に俺を刻み付けることが出来るならと……そう思ったんだ」
 覇気のない声が、まるで棒読みの感情のないような調子で耳元を掠めていく。
 言われている意味は解れども、放心する程の驚きの中ではそれが本心なのか、ただの言い訳なのかということは、到底理解出来得るものではなかった。
 呆然と言葉のひとつさえ、或いは瞬きのひとつさえも出来ないでいた。
 逃げることも動くことも忘れてしまったような紫月の意識がふらりと動いたのは、伸ばされた指先が髪に触れ、ゆっくりと撫で下ろされた瞬間だった。

 この感覚――!

 あの驚愕の日に遠い意識の中で感じた感覚にたがわない。ずっと誰かがやさしく髪を撫でるのが心地よくて、深い眠りに落ちてしまったことが思い出されて、紫月はより呆然となっていった。
「俺はずっとお前を見てた。ずっとずっと……初めて逢った日からずっとお前だけを追い掛けてきたんだよ」
 そんな言葉が聞こえたような気がしたが、最早紫月の意識には届かなかった。ただただ呆然と立ち尽くすのみの、撫でられていた髪に僅かに力が込められた瞬間に、まるで無抵抗の人形のように帝斗の胸元へと引き寄せられた。
 目の前には少し肌蹴た胸元に先日の驚愕の最中と同じ香りを感じて、全身から力が抜けていくような気がしていた。

「好きなんだ紫月。俺を憎むなら憎んでくれていい――でも好きなんだよお前が……!」

 あまりの驚愕に、すべての感情を削ぎ落とされたような紫月の瞳に、まるで刹那といったように自身を見つめる暗褐色の瞳がぼんやりと映り込んで揺れていた。切なそうに、辛そうに、複雑な思いを色濃く映し出しながら揺れていた。

 悪い夢だったと思えばいい。
 昨日からの出来事が絵空事のように脳裏を駆け巡っては、心をぐちゃぐちゃにしていく今この時に、すべては悪戯な夢だったのだと、そう思えたならどんなにか楽だろうか。
 これが悪い夢ならば次に見るのはきっと良い夢なのだと、そう思うより他にこの苦しみから逃れる方法があるだろうか?
 それとも――


――好きなんだ紫月。俺を憎むなら憎んでくれていい、でも好きなんだよお前が!


 頭の中でこだまする、そんな台詞が一筋の救いとなる時が来るのだろうか。自らを抱き締めるその手が僅かに震えているのを感じながら、紫月は再び夢の中へと引き寄せられるかのように意識を手放した。



 これが悪い夢ならば、次に見るのはきっと良い夢――

- FIN -



Guys 9love

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