Wild Passion



「とにかく冗談よせって……! どういうつもりか知らねえが、第一……てめえノンケだろうが……!」
「――ノンケ?」
「……っ、つかそれ以前に俺、タチだし……! だからてめえとはそーゆーの無理っ……ッ」
 もうおどけて誤魔化せる雰囲気ではないことを悟ってか、或いは完全に余裕を失ったわけか、冰はいきなり核心に突っ込むようなことを口走ってしまった。
「それ、専門用語よせって。タチって何だよ、分かるように言えって」
 まるで落ち着いたふうに低い声がそう問う。
 逃がさないとばかりに外してもらえない視線に見つめられながら、急激に背筋を這い上がってくるゾクりとした感覚に驚いて、冰は更に早口でまくし立てた。
「だから、つまりそのっ……俺、ゲイっつったって誰でもいいってワケじゃなくって……」
「俺が趣味じゃねえってことか?」
「……や、あの……そーじゃなくってよ! つまり……挿れるの専門っての? だからお前とは無理っ……! てか、何でいきなりこんなことになんだよ……! とにかく……俺りゃー、てめえに突っ込まれるなんてご免だし、かといって突っ込む気もねえってことで……」
 自分はこんなにも余裕がない男だっただろうか。今まで付き合ってきた恋人に対しても、はたまた一夜限りの火遊びの相手にも、こんな気持ちにさせられた覚えがない。
 そう、いつも余裕綽々で、組み敷く相手が恥じらい戸惑う様を眺めては、気障な台詞の一つや二つ――まるでゲームの勝者のように常に上位に立つのが当たり前だったはずなのだ。それなのに、今はまるで逆だ。アタフタと頬を染めて焦らされているのが自分の方だなんて――複雑な思いに冰はますます挙動不審に陥ってしまいそうになった。
 それとは逆に、氷川の方は酷く冷静にこちらを見下ろしてくる。
「なら、挿れなきゃいいんだろ?」
「……って、おい……! 氷川、てめ……ヒトの話聞いてんのかって……っ!」
 ソファの上に押し倒されて、今度は有無を言わさずといった調子で唇を奪い取られて、ゾワゾワとした独特の感覚に身震いまでもが湧き起こる。
「ちょ……ッ、よせ氷川ッ……!」
 身を捩り、顔を背けてキスから逃れようにもしっかりと両の掌で頬を包み込まれて、その腕の中へと捉えられてしまう。しっとりとした厚みのある唇で押し包まれるようなキスに掴まって、身動きさえままならない。
「……よせって……言……ってん……んっ」
「顔を真っ赤にして言われてもな」
 信憑性がないとばかりに、より一層真顔で迫ってくる。
「あ、はぁッ!? 誰が真っ赤……なんて……」
「触ってるだけでも分かる。頬っぺた、ものすげえ熱いぜ」
「……っそ」
「嘘じゃねえさ」
 遠慮がちだったキスはここまでか、その言葉と同時に完全に押し倒されて肩から背中までを強く抱き締められながら激しく唇を奪われた。口中を掻き回され、歯列を割って舌を絡め取られ、呼吸さえも取り上げられそうだ。思考は蕩け、このまま流されてしまいたいと思う情欲が顔を出し始めて冰は焦った。

 身体中が灼熱を帯びたように熱くなり、唇だけでは到底飽き足らずに、目の前の男にすべてを奪われたくて堪らなくなってくる。
 僅かにでも気を緩めれば、強引に組み敷かれて、めちゃくちゃに乱されてみたいなどと、淫猥極まりない妄想までもが脳裏を侵すようなのだ。
 野生の獣のような強くて大きいこの男になら抱かれてみるのも悪くないだろうか、形のいいその手の中で握り潰されてしまいたい。彼の凶暴な雄で、昇天させられるくらいに掻き回されてみたい。ほんの見せかけだけの抵抗を封じ込められ、求められたい、犯されたい。
 激しく欲情した彼に組み敷かれて悦ぶ自身の姿が脳裏を過《よ》ぎったと同時に、冰はそれらを振り払うように本気の蹴りを彼の脇腹目掛けて繰り出していた。

「……ッざけてんじゃねえぞ、てめえ!」
「――痛《て》っ、本気で蹴るヤツがあるか」
「て、てめえが急におかしなことすっからだろが! これ以上ナメたことしやがったら……マジでぶちのめすかんな……!」
 そう怒鳴り上げ、まくし立てた。が、氷川は左程焦った様子もなく、未だ真顔で視線を外してはくれない。
「――何、焦ってんだ」
「は!? 誰が焦ってなんか……!」
「言ってることとやってることが逆だっつってんだ」
「はあ!?」
「まあいい。じゃあ正直に言う。お前に触れたい――」
「……! 何、急……に……」
「分かんねえよ、俺にも。ただ――お前を見てたら訳もなく興奮して抑えがきかなくなっただけだ。キスしてみたい、脱がしてみたい、お前と――してみたいってな」
 また再び、大きな掌が包み込むように頬を撫で――
「ちょ……待ッ……!」
「お前は嫌か?」
「……へ?」
「俺が嫌いかと訊いたんだ。俺とどうこうなるのは……本気で嫌か?」
 ここで『はい、その通りです、嫌です』と頷けば、止めてくれるとでもいうのだろうか。見つめてくる瞳が僅かながら切なげに細められているようにも思えて、冰はチクりと心臓の真ん中が痛むような気がしていた。
「べ……つに、嫌とか……嫌じゃねえとか、そーゆーんじゃなくてだな……」
「じゃあ、いいんだな?」
「や、その……」
 いいとは言っていない。
 だが、確かに『嫌だ』と口にしてしまうのも躊躇われて、そんな心の揺れが伝わったとでもいうのだろうか――クイと顎先を掴まれ、再びおずおずと探るように唇を重ねられて、瞬時に熱を持った頬を悟られんと冰は視線を泳がせた。
 触れるだけのキスの合間、顔を左右に交互させながら視界に入りきらないくらいの位置ででも、じっと見つめられているのを感じる。その視線は熱く蕩けてもいるようで、と同時に激しい欲を秘めてもいるようだった。次第に深く押し包まれるように唇全体をなぞられ、舌を押し込まれて奪われるように口付けられる。
「……あ、ふ……」

(くそ――ッ、こ……んなの……)

 ああ、ダメだ。抗えない――
 力が抜け落ちたように、肩も首筋も、胸元も腕も何もかもがダラりとだらしなく欲情に侵食されていく。我慢できなくなった嬌声を隠すこともできなくなってゆく。否、隠す気もない――が正解か。
 ローブの襟元を剥がれ、露になった肩先にキスを落とされ、そして胸元の突起を指で弾かれれば、もう腹を見せたも同然だった。
 そんな様を感じ取ったというわけか、スルリと下方に伸ばされた指先が太腿を撫で、まさぐり、ローブの紐を解き、下腹の辺りをユルユルと弄られる感覚にビクリと腰が浮く。このまま流されてしまってもいいと思う反面、だがやはり踏み切れないのも否めない。頭の片隅に僅かに残っている理性を手繰り寄せるかのように、冰は懸命に瞳を見開いた。
「や……べえって……! は……ぁ、氷……よせっつってん……だ」
 これがいわゆるソレ目的で近付いた相手のような、お互いに一夜の遊びと割り切っている仲であればこのまま流されるのも悪くはないが、いくら何でもこの男が相手では状況が違う。
 冰は自身を呑み込もうとする欲望の波を押し退けるように、腰元をまさぐっているその腕を探り当てると、ガッと強く掴み上げた。
「マジでよせって、氷川……! てめ、こんなことして後でぜってー後悔すんに決まってる……っ、だから……っ」
 ノンケのお前が興味本位でこんなことに足を突っ込んでも後悔するだけだ。だからこれ以上は本当にやめておけというように制止の言葉を口にした。
「後悔なんぞしねえよ。俺が気になってるのは、今お前がどう思ってるかってことだけだ」
「……は?」
「俺とこんなことをするのは勘弁だと思ってるか? 本当に嫌なのかどうかって、それが知りてえだけ」
「や、勘弁っつーか……俺、仮にも失恋したばっか……」
「けど……もう勃ってんぜ?」
 いつの間にかローブの合間を割り込んできた指先に熱を持ってしまった雄を撫でられて、ビクリと背筋が疼いた。
「下着――まだ着けてなかったのか?」
「……っ、……バッ、てめ……氷川っ!」
「そんで腹見せて引っくり返ってりゃ何されたって文句言えた義理じゃねえな? 雪吹、お前警戒心無さすぎだ。”ノンケ”の俺相手ならまさかこーゆー雰囲気にはならねえだろうってタカ括ってたってか? てめえでゲイだって告った時点で本来警戒しなきゃマズイだろうが」
「っ、くっ……はっ、氷川っ……よせって……のに!」
「今日は俺だからいいが――。他のヤツの前では絶対に気を許すんじゃねえぞ?」
「は……あ? な、に言って……ッあ……!」
 片方の手で硬くなった雄を弄りながら、もう片方の手で不器用そうに自身のベルトを解いてファスナーを下ろす。そんな仕草に戸惑いよりも期待感で大きく心臓が躍り出す。

(ああ、俺、今からこいつに犯《や》らちまうのか――?)

 彼が脱いでいく仕草がとてつもなくいやらしく、それを見ているだけで今から起こることへの期待で身体中が打ち震えていくのが分かる。もはや意思がどうこうではなく、目の前の男と淫らな波に呑まれたいと身体が餓えて渇望しているのをはっきりと感じる。万感入り乱れるといったふうに冰はクッと瞳をしかめた。

(――いくらなんでも節操なくねえか、俺?)

 仮にも失恋したばかりの上に、しかも相手は昔の曰くつき――確かに見てくれは文句なしの男前だが、それにしても今まで付き合ってきた相手とは明らかにカテゴリ違いだ。
 趣味じゃない――とまでは言わないが、どちらかといえばもっと優男系で可愛いめの従順そうなタイプが好みだったはずだ。
 そんなふうにどうでもいいようなことが頭の中でグルグルしていた。
 と、突如ヘソの辺りに硬く勃起した独特の感覚を押し当てられて、冰はビクリと腰を浮かせた。ぼうっとしている内に氷川も既に衣服を脱ぎ捨てたということか。
 どうだといわんばかりにしつこく雄と雄とを擦り合わされて、それはまるで『俺が今どのくらい興奮しているか教えてやる』といったふうでもあり、何よりも酷く淫らでいやらしい。
「挿れられんのは嫌なんだろ? だったら――」
 いきなり体勢をひっくり返されたと思ったら、流麗な仕草で背中から包み込むように抱き締められた。と同時に尻の直下、太腿の間に逸った雄をねじり込まれて、
「……く……はッ」
 思わず小さな嬌声が漏れた。
「な……に、してんだ、てめ……」
「冰――、素股で抜く。いいな?」
「……ッ!? へ……あ? 素……って、氷……ッ」
 名字ではなく、いきなり名前の方で呼び捨てられて心臓が跳ね上がる。このままではドクンドクンと止め処なく、放っておいたら胸を突き破って心臓から内臓から何から、すべてが飛び出してしまいそうだ。そんなこちらの戸惑いを他所に、氷川はもっと驚くようなことを言ってのけた。
「冰――。こんなこと、急に言っても信じらんねえだろうが……」
 少し余裕を失ったような低い声が耳元を撫でる。
「お前に惚れた――多分、俺は」
「――!?」
「欲しくて堪んねえ。こんなの――初めてだ」
「な……に、急に」
「俺も驚いてる。今までどんな女にだってこんな気持ちになったことはなかった」
「こんな……って、何……」
「誰にも渡したくねえし、離したくねえ。お前を逃がしたくねえってことだ。本当にあるんだな、一目惚れってやつは」
「は? な、に言って……」

 惚れた――

「今日、お前がどこぞの男に振られてくれて良かった。今夜、十年ぶりに偶然出会えて良かった。大真面目にそう思うぜ」
「バ……、戯けたこと抜か……」
「戯けてなんかねえさ。本当にそう思ってる」
「つか、出会ったばっか……で、ンなの……信じられっかよ……!」
「出会ったばっかりじゃねえだろ。俺らは十年前から旧知の仲だ」
「や、そうだけ……ど」
「今すぐ俺を好きになれとは言わねえさ。だが――きっとお前を振り向かせてみせる」
 この男、こんなに饒舌だったのか。本気なのか冗談なのか、それとも単なる火遊びの為の堕とし文句に過ぎないのか――そう思ったら、何故だろう。心の奥の方でズキンと胸が痛むような気にさせられたことに驚きを隠せない。

 お前に一目惚れをした――

 耳元を撫でる低く擦れた吐息のような声に、頬が熟れて落ちる程に熱を持つ。
 氷川の発する一字一句、一挙一動が心を震わせる。敏感な琴線を揺さぶり、鷲掴みにし、甘い痛みが疼き出す。もしもこの告白が、その言葉通りに本当に氷川の本心だったらいい。一時の堕とし文句などではなく、本当に一目惚れをしてくれたのだとしたら、素直に嬉しいと感じてしまう自分も信じられなかった。
「もう少し……、力入れろ……」
 太腿をギュッと掴まれながら、もっと両脚に力を入れて”ここ”を締め付けろと、そう促される。余裕を失ったような掠れた声は彼の欲情の度合いを物語ってもいて、その色香を湛えた低い囁きに耳元をも嬲られそうだ。
「お前のも……ほら、もう……濡れてるぜ?」
「……は、あぁ……つ、氷川ッ」
 先走りで滴り流れる蜜を長い指に絡めては、ゆるりゆるりとやさしく甘く、時に激しく強く濃密な情欲の沼へと導く。そのあまりの快感にゾクゾクと背筋が疼き、狂わされていく。いやらしくてエロティックで、このまま興奮のルツボに滑り落ちたくなっていく。この快楽に流され塗れてみたくなる。
 もっともっと興奮したくてたまらなくなってくる。
「……調子いいこと言って……単にヤりてえだけ……なんじゃね……の?」
「そんなわけあるか。俺はそんなセケえ嘘なんぞつかねえさ」
「……ッ」

(俺もヤキが回ったかな――。こんな、恋する乙女みてえなこと言っちまうだなんて)

 本気で惚れたというなら抱かれてもいい。けれど一夜限りの遊びのつもりならば身体を許すのは嫌だ――そんなふうに言ってしまったようで、情けなくなる。
 もういい。この際、欲情のままに絡み合い、抱かれて乱れてとことん堕ちてしまってから考えればいいじゃないか。そう思う気持ちさえ、単に言い訳なのだということに気付いている。冰は覚悟を決めたように目の前の逞しい胸板に顔を埋めた。

「氷川……ッ、ベッド……行くぜ」
「――?」
「あっち行けば……ローション……とか、あるから……」
「冰?」
「挿……れてえん……だろ?」
「急に――何だ。無理しなくていいんだぜ?」
「無理なんかしてねえ……よ。俺もちょっと……興味湧いちまっただけ」
「――いいのか?」
「ああ……いいから言ってる……」
 急な申し出に躊躇うように視線を泳がせる彼の手を取り、思い切りエアコンの効いたベッドルームへと誘う。
 暗い室内に灯りは点けない。
 冷蔵庫の中のような冷たい空間も、互いの熱と熱とがほとばしり合って、すぐにも暑い空間へと変わりそうだ。逸ったようにローブを毟り取られ、スプリングへと押し倒されて、もう互いが欲しいという感情以外見当たらないといったふうに激しく求め合い――
「……氷川……ッ、俺、言っとくけど……初めてだか……んな」
「ああ、分かってる。任せろ」
 激しさとは裏腹の、とびきり丁寧な愛撫にとてつもないやさしさが垣間見えるようで堪らない。下世話な表現をすれば『上手い愛撫』と言えるそれ――慣れた仕草に、過去にこの男が抱いたろう女との情事を思い浮かべてチクリとした胸が痛むのは、紛れもない嫉妬なのだろう。身も心も瞬時に堕とされ、嵌まり込んでしまいそうだ。
 冰は観念したといったように、淫らな愛撫を受け入れた。



◇    ◇    ◇



 うだるような真夏の日に、自身を直撃した手痛い恋の終わりと引き換えに、十年の月日を経て再会した男との激情に溺れた。
 心の奥底から新たな微熱が沸々とくすぶり出すのを感じながらも、少しの不安と期待の入り混じった思いで目の前の熱に呑み込まれることを選んでとった。

 照りつける太陽の熱が冷めやらぬ、灼熱のような一夜の出来事だった。

- FIN -



Guys 9love

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