官能モデル

7 蜘蛛からの挑戦状



「ねえ、麗ちゃん。ホントに行くの?」
「当たりめえだろ。今更何だ」
 窓の外を飛んでいく景色を眺めながら、不機嫌そうに眉根を寄せる。後部座席に深く背を預けるその男の手には二冊の写真集が握られていた。
「氷川フォトスタジオだっけ? あとニ十分くらいで着いちゃうけどさ……。やっぱりアポなしでいきなり訪ねるってのはマズいんじゃない? 電話の一本くらい入れてから行った方がいいと思うんだけどなぁ」
 運転手をする若い男の嗜めを聞き流しながら更に不機嫌をあらわにすると、後部座席の男は「チッ……」と小さく舌打ちをしてみせた。
「アポなんか必要ねえよ。それじゃ抜き打ちにならねえだろ」
「抜き打ちって……。遼二君はまだ氷川氏のところに勤めてから日も浅いんだよ? 仕事中にいきなり押し掛けて、彼の立場が悪くなったらどうするのさ」
「……ふん! そんなもん、知ったことかよ。それに――これは遼二の為を思ってのことだしな」
「遼二君の為って……ねえ。僕には単に麗ちゃんのヤキモチにしか思えないけど」
「うるせー。ごちゃごちゃ言ってねえで、ちゃんと前見て運転しろってのー!」
 麗ちゃんと呼ばれた男は、更にふてくされたように頬を膨らませてみせた。
 薄い褐色のサングラスから覗く瞳はキツめの眼光を放ってはいるが、大きくて形のいい二重だけをとってもかなりの男前だ。それに似合いの色白の頬は、高級な陶器のようにキメが細かく美しい。鼻梁の高く通った鼻筋にぷっくりとしたやわらかそうな唇、髪はふわふわとした天然癖毛ふうのミディアムショートが顔周りを覆っている。車の後部座席に埋もれるように高飛車な態度で背を預け、組んだ長い脚を窮屈そうに投げ出している。良くも悪くも一目で他人の視線を釘付けにしそうなこの彼は、一見したところ一之宮紫月とよく似た印象の男だった。ただ、紫月よりはかなり年齢的に上という感じである。そして、この男が今から訪ねようとしている行き先は遼二の勤め先である氷川の事務所というわけだ。そう、何を隠そう――彼は遼二がフォトフォルダに”麗”と名付けて保存している被写体の男だったのである。
「ところで麗ちゃん、遼二君のモデルをやってあげたとかって聞いたけど、本当なの? 彼、今はゲイ雑誌の撮影を担当してるんだっけか?」
「ああ――。遼二の野郎、早くゲイアダルトの雰囲気に慣れてえっていうから、モデルになってやった」
「へえー。ってことは麗ちゃん、遼二君の前で脱いだんだ?」
「まあな。けど、ヤツにとっちゃ俺のハダカなんぞガキの頃から見慣れてんだから。慣れるもなにもねえんだが、あんまり一生懸命なんでせいぜいエロい雰囲気撮らせてやろうと思ってよ。ヤツの目の前でマスターベーションしてやった」
「ええー、マジで!? 麗ちゃんってば、相変わらず大胆だねー。それじゃ遼二君も焦っちゃったんじゃないの?」
「ふん、大胆もクソもあるかよ! この俺がそんだけサービスしてやったってのに、あいつときたら……! 焦るどころか顔色ひとつ変えずに次のポーズはこうしろとかああしろとか、一丁前に指図しやがる。挙げ句は『イくところまではやらなくていいからな』なんて言いやがって……! ったく、俺を何だと思ってんだって……」
 ムスーッと口を尖らせてそう言い放った彼に、運転手の男は堪らずに爆笑させられてしまった。
「あははははっ! おっかしいー! それは麗ちゃん、災難だったねえ」
「……ッ、笑うんじゃねえよ。俺は少なからずあいつの態度に傷付いたんだからよー」
「ははは、ごめんごめん! だって……その時の様子を想像したら可笑しくてさ!」
 運転手の男は未だ腹を抱えながら笑いを堪えている。ともすれば涙目になる勢いの大爆笑だ。そんな彼をキキッと睨み付けながら、麗と呼ばれた男は運転席の背に手を掛けて身を乗り出すと、
「おい、こら倫周! てめ、いい加減に笑い止まねえとシバくぞ!」
 そう言って拳を振り上げるフリをした。
 運転手の男の名は倫周というらしい。麗よりはだいぶ年下のようで、遼二と同じくらいか、少し上といったところか。そんな麗と倫周だが、互いに思ったことをポンポンと言い合える仲なのは確かなようだ。ふてくされた麗を宥めるべく、未だ車内での会話は続いた。
「ところで麗ちゃん、遼二君に恋人ができたっていうのは本当なの?」
 ようやくと笑い止んだ倫周が訊いた。
「――それを今から確かめに行こうってんじゃねえか」
 麗は手元の写真集らしき本をめくりながら、再び眉根を寄せた。
「遼二の野郎ったら……嘘か本当か知らねえが、好きな娘ができたなんて抜かしやがるから――」
 興味を捨てきれなかった麗は、事実を確かめるべく遼二の自宅を訪ねたのだが、そこで彼が仲睦まじそうにしながら男と一緒に帰宅するところを目撃してしまったというわけだ。しかも、一見しただけで彼らが単に友人というだけではないことが分かってしまうくらいの妖しげな雰囲気だったのだ。
 好きな娘というからに、相手が女性だと思って疑わなかった麗は、少なからず驚かされるハメとなった。まさか遼二の好いた相手というのは一緒にいたあの男のことなのだろうか。ますます興味に火が点いてしまい調べると、その男はゲイアダルト誌のモデルらしいということが分かった。名を一之宮紫月といい、その世界では人気絶頂のモデルだ。その上、どうやらその紫月という男とは、現在遼二が担当している撮影で知り合ったという経緯のようだった。
 紫月がどういう人物なのか、これまでどういった仕事をしてきたのかということを知りたくなった麗は、すぐさま彼の載っている雑誌等を探し、入手した。今、麗が手にしているのがまさにそれで、過去に二冊出されたという紫月の写真集だった。
 確かに見た目は綺麗な男だ。雑誌や写真集から見てとれる彼の演技力もなかなかのもので、人気絶頂というのもうなずける。外見だけでいうならば、若い頃の麗自身と面差しが似通っているような感もあり、親近感が持てなくもない――というのが麗の紫月に対する印象だった。
 そんな紫月に対して特に思うところもないわけだが、彼が遼二の恋人となれば話は別だ。何故なら、麗にとって遼二は最も大切というべき間柄の一人だったからである。
「それで麗ちゃんは直接その紫月っていうモデルさんに会ってみたくなったっていうわけ?」
 麗の調べたところによれば、今日は紫月が次の撮影の打ち合わせで氷川の事務所を訪れるはずなのだという。そこで公私共に親しい倫周を伴って、直に乗り込もう――と、まあそんなわけだった。
「噂じゃ紫月ってやつは次の撮影を最後にゲイアダルト界を引退するんだとか。まさか遼二と本格的に付き合うつもりでいるのかどうか知らねえが、人気絶頂の立場を捨ててでも遼二のやつを選ぶってのか……そこのところを会って確かめたくてな」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、その紫月君って彼は遼二君とのことを本気で考えてるっていうこと?」
「さあな。それを確かめる為に乗り込むんだ。無駄口叩いてねえで――、あとどれくらいで着くんだよ」
「うーん、もうすぐ。でもやっぱりいきなり行ったら遼二君驚くんじゃないのー?」
「構うこたぁねえ。これでも俺はヤツの保護者も同然なんだ。ヤツが選んだ相手を見極めるのも義務ってもんだろうが」
「見極めるって……そんな品定めみたいな言い方してー」
「実際、それに違いねえわけだからな。男同士で付き合うってことをどうこう言うつもりはねえが、遼二が弄ばれんのだけは許せねえからよ」
「弄ぶって……また口の悪いこと言って! その紫月君だってゲイモデルを辞めるくらいなんだから、本気なんじゃないの?」
「さあ、どうだかな。ヤツの写真集を見たが、かなりのスレ者に見えなくもねえ。私生活でも男を侍らせていそうな雰囲気満々って気もするし。そんな手だれに遼二が食われたり捨てられたりしてみろ。放っておけるわけねえだろが! だから今の内にこの俺が見定めてやろうって寸法なんだからよ」
 ともすれば鼻息を荒くせん勢いで麗が意気込むのを見つめながら、倫周はやれやれと肩をすくめたのだった。
「まあ……麗ちゃんの親心も分からないじゃないけどさ。ハナから疑ってかかるのは気の毒じゃないの? 紫月君だって、本当はすごくいい人なのかも知れないよ-」
「いいヤツか悪いヤツかは会って確かめるって! つーか、親心とか言うなっての……! 俺にとっては遼二のヤツは……」
「――? 何なの?」
「――ッ! 何でもねえよ」
 フン――とそっぽを向いた麗の頬が心なしか紅潮しているのをバックミラー越しに見ながら、倫周は密かにクスッと笑んだのだった。



◇    ◇    ◇



「ここか――。氷川フォトスタジオ」
 ビルを見上げながら麗がつぶやく。ふと目をやれば、ビルの入り口のプレートにも”氷川ビルディング”と名称があった。
 氷川の事務所というのは自社ビルのようだ。規模は小さいが、この都心に自前のビルまで持っているところからすると、氷川というのはそれなりにやり手の写真家なのだろうことが窺える。
「ふぅん? 遼二の師匠ってのは案外たいしたもんなんだな」
 麗は半ば感心の面持ちでビルの中へと踏み入れた。スタジオは二階のようである。エレベーターも一応設えてあったが、すぐ上の階なので階段で行くことにする。
「こんにちはー……お邪魔致します」
 まずは卒なく倫周がそう声を掛ける。ドアに鍵は掛かっていなかったものの、事務所の中には誰もいない。――が、奥の方の部屋から数人の話し声らしきが聞こえてきたので、倫周を先頭にして二人はそちらへと歩を向けた。おそらく談話室か応接室のような部屋なのだろう、事務所との間に扉はあるが開けっ放しのようで、中の話し声は筒抜けだった。
「あ、よかった。人がいるみたいだよ! すみませ……」
 倫周が声を掛けようとした瞬間、麗がギュッと彼の腕を掴んで制止した。
「ちょっと待て」
「何? どうしてさ?」
「しばらくここで奴らの話を聞いてみようと思ってな」
「はぁ!? まさか盗み聞きでもしようっていうの、麗ちゃん!?」
 倫周が呆れたように小声で言う。
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねえ。この方が偵察には都合がいいと思うだけだ」
「偵察って……! またそんなこと言って!」
「とにかく黙って言う通りにしてろ」
 麗は壁際に置いてあった鉢植えの陰に身を潜めると、倫周にも早く隠れろと目配せをする。
「……たく、もう! どうなったって知らないからね、僕は!」
 舌打ちをする倫周を放っておいて、麗はしばし中の様子に聞き耳を立て始めた。
 麗の調べた通り、今日は紫月の引退記事の撮影について話し合われているようだ。声の感じからして面子は氷川ともう一人は中年の男、つまり中津川だ。その対面に座っているのは、チラリと垣間見える後ろ姿が華やかな雰囲気の男――彼が紫月に違いないと麗は思った。隣にいるもう一人は彼の付き添い人だろうか、皆が『社長』と呼んでいるようなので、おそらくは紫月の所属事務所の代表が来ているのだろう。時折、遼二の声も聞こえていた。ということは、五人で打ち合わせ中といったところか。麗と倫周はしばしおとなしく様子を窺うことにした。



◇    ◇    ◇



「今回は紫月の引退特集ってことだからな。撮影は俺と中津川と遼二の三人で行おうと思う。紫月の卒業にふさわしい、いいものが撮れるよう精一杯やらせてもらうつもりだ」
 そう言ったのは氷川だ。
「突然のことで皆さんにはご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ないス」
 真摯な態度で頭を下げたのは紫月だ。麗は案外きちんとしているヤツじゃないかとばかりに薄く口角を上げながら話の続きを待った。
「で、シチュエーションはどうしますか? 社長の方で何か案があるようでしたら……」
 氷川の問いに社長らしき人物が少々困ったように口を開いた。
「実はちょっと問題が出ちまってな……。今回、紫月の三冊目の写真集で撮ってもらった”組織を裏切った幹部”っていう例の設定の延長でいこうと思っていたんだが……」
 社長の話では、裏組織のメンバーたちに捕まって仕打ちを受けた後、ボス自らが登場して紫月を凌辱し仕置きを与えるという台本であったらしい。だが、肝心のボス役を演じるモデルの都合がつかなくなってしまったというのだ。
「紫月の相手を演る予定だったモデルは、タチ役の中でも人気のあるベテランなんだが……そいつがここ最近よく組むようになったネコ役のモデルがヤキモチ焼きでな。自分以外の奴とは組んで欲しくないってダダこねやがるのさ。ネコの方も割合人気が出てきてる旬のモデルでな。ヤツに機嫌を損ねられると周りのスタッフもやり難いらしい。正直どうしたもんかと思ってな」
 もしもこの先、紫月がこれまで通りモデルを続けていくのならそんな我が侭には耳も貸さないところなのだが、これを最後に引退してしまうからには、社長にとってこの先も主力となりそうなそのネコ役のモデルの気持ちを尊重したいというところなのだろう。
「まあ、ボスの役は他のモデルに演らせてもいいにはいいんだが……。紫月の引退特集だ、できれば華のあるトップモデルと組んで、いい作品にしてやりてえじゃねえか」
 なるほど、確かに悩ましい現実だ。他所の事務所から売れっ子のタチ役を引っ張ってくることも考えたが、面識のない相手では紫月もやりにくかろうと、その辺もまた頭を悩ます難儀な点だ。しかも今の紫月はスランプ状態で、特集企画を降板したばかりの身だ。新規の相方と組んだところでいい演技が期待できるとは思えない。社長にとってはまさに頭の痛いところなのだ。
「俺は……相方なしの単独ショットでもと思っているんですが」
 紫月が申し訳なさそうに言う。氷川も中津川も「さて、どうしたものか」というふうに頭を抱え込んだ。――と、その時だ。
「だったらそのボスの役、俺が引き受けてやろうか?」
 突如として話に割って入ってきたその声に、皆は一斉に後方を振り返った。そこにはニヤっと口角を上げた麗が得意満面の様子で佇んでいた。
「あんた、いったい……」
 誰だ――? というように、社長が眉根を寄せながらも驚き顔だ。氷川らも同様だった。唯一、遼二だけが焦ったようにして言葉を詰まらせる。
「……ッ!? 麗さん!?」
「え? 何だ、遼二の知り合いか?」
 氷川がそう訊く。一方、遼二が『麗さん』と呼んだことで、紫月はハタと瞳を見開いた。サングラス越しで顔はよく分からないが、相当な美形だと思われるのは確かだ。間違いない――彼はいつかのホテルの地下駐車場で遼二に抱き付いていた男。そして、遼二が”麗”と名付けたフォトフォルダに保存している官能ショットのモデルをしていた男だと確信した。
「――失礼。突然に申し訳ない。盗み聞きするつもりではなかったのですが、声を掛ける前に皆さんの話が聞こえてきてしまったので――」
 しれっとそんなことを言ってのけた麗を横目に、
(嘘ばっかり! しっかり盗み聞きしてたくせに――)
 倫周が呆れ顔で苦笑いに顔を引きつらせていた。――が、そんなことをいっている場合でもないので、表情だけはとびきり明るく丁寧な印象を装いながら、
「お邪魔致します」
 倫周も麗の後に続いてペコリと頭を下げる。
「いえ、こちらこそ――来客に気付かずに申し訳ありません。会議中だったもので」
 何かご用ですか――と、氷川が立ち上がる。
「いや――いきなり押し掛けた我々がいけないんで。ちょっと近くに来たものですから立ち寄らせていただいた次第です」
「――はあ、そうでしたか。もしかして……遼二の知り合い……なのか?」
 氷川が麗と遼二を交互に見やりながら瞳をパチパチとさせていた。
「ええ、はい……その人は、その……」
 驚きが先立ってか、上手く言葉にならない遼二を置いておいて、麗が悪気のなく流暢に話し出す。
「申し遅れました。私は柊麗といいます。おっしゃる通り、遼二の知り合いなのですが。それより……実は私もモデルをやっておりまして――」
 そして連れの倫周の腕を引っ張りながら、
「これは私の――息子で、倫周といいます。彼は私のヘアメイクを担当しています」
 麗らの自己紹介を聞いて、紫月の所属事務所の社長が驚き顔で首を傾げる。
「はぁ……。あなたもモデルさんですか――」
 そう言われれば納得の美形というか、威風堂々とした独特の雰囲気がモデルらしいといえばそうだ。どことなく紫月に相通じるような印象でもある。だが、社長にしてみれば長らく身を置いているゲイモデル界でも見掛けたことがないのが気になるわけか、未だに首を傾げながら麗のことをポカンと見つめていた。
「すみません、私もこの業界は長いんですが、お目に掛かるのは初めてですかな?」
 ともかくはこちらも自己紹介を――と、社長が胸ポケットから名刺入れを取り出したその時だった。
「――! 柊って……もしかして……あのレイ・ヒイラギか!?」
 突如、中津川がすっとんきょうな声を上げた。
「レイ・ヒイラギ? ……って、まさかあのファッションモデルのか!?」
 氷川も続いて驚きに目を見張る。
 そんな二人の様子に苦笑気味ながらも、麗がサングラスを外し、ペコリと軽く会釈をしてみせた。すると、
「うわ! やっぱり……! レイ・ヒイラギ、本物かよ……ッ!?」
 中津川の驚きように、紫月と紫月の所属事務所の社長は唖然状態だ。
「中津川さん、この方をご存じで?」
 社長が訊くと、
「や、ご存じってか……会ったことはないッスよ、勿論! けど、レイ・ヒイラギといえば……俺ら世代のバイブルってか、アジア一の男前と言われた超絶美形モデル……」
 中津川が興奮のままに腰掛けていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「つか……今、”息子”って言わなかった? レイ・ヒイラギって結婚してたんかよ!」
 中津川が麗の後ろにいる倫周をマジマジと見つめながらあんぐり顔だ。そんな様子に麗は苦笑気味ながらも、しれっと肩をすくめてみせた。
「まあね。若気の至りってか、こいつが産まれた直後に嫁は男作って逃げたけどな。それ以来、俺は女がダメになっちまってさぁ。ま、そのお陰で俺は今……」
 悪気なく暴露する麗の注釈に、
「ちょっ……麗さん……!」
 遼二が慌てたようにして話の続きを制止した。何とも曰くありげな二人の様子に皆は不思議顔だ。
「それよか遼二の知り合いってマジなのか!? ……って、どんな知り合いなの……?」
 中津川が気を利かせてそう訊くも、遼二本人も突然の麗の押し掛けにワケが分からずといった調子で、苦虫を嚙み潰したような表情で固まってしまっていた。――が、そうも言っていられない。
「すみません皆さん、お騒がせして。あの……この人は自分の……」
 なんとか気を取り直して遼二が口を挟めば、
「家族――みてえなもんだよな?」
 麗がニヤッと不敵な笑みを浮かべながら遼二と紫月を交互に見やった。
「あんたが一之宮紫月か? なるほど――写真も色気があったが、実物はまた期待を裏切らない色男のようだな」
 そのまま――紫月から視線を外さないままで――麗はまだ勧められもしない椅子にドカリと腰を落ち着けた。
「なあ、紫月。お前さんの相手、俺が演るんじゃ不満か?」
 意味ありげに口角を上げて上目遣いでそう訊く。すると、紫月よりも先に遼二の方が話に割って入った。
「麗さん! あんた……ちょっと待ってくださいよ。いきなり何なんスか!」
「まあ、そう怒るな。何も取って食おうってわけじゃねえよ。それよりお前ら、ボス役がいなくて困ってんだろ? 俺だったら年齢的にもちょうどいい配役だと思うんだけどなぁ」
 いけしゃあしゃあと麗は笑った。すると、その申し出に飛び付いたのは紫月のところの社長だった。
「あの……! 本当にやっていただけるんでしたら、私としては有り難い話です。確かに……ヒイラギさんがおっしゃるようにボス役としての年齢もちょうどいいですし、何より貴方のようなイケメンさんなら読者受けも最高だと思うんですよね」
 この上ない話だと、社長はすっかり乗り気の様子だ。当の紫月に対しても、『お前さんもそれでいいだろう?』とばかりにワクワクと目配せをしている。
「はぁ……あの……」
 紫月は紫月で、麗と遼二を交互に見やりながら即答できずに困惑顔だ。まあ、突然の話だし、それで当然だろうとばかりに麗が再び口を開いた。
「じゃあ、例えばこんなのはどうです? 先程聞きかじった台本だと、組織を裏切った紫月をボスが仕置きがてら陵辱するとかおっしゃっていましたが、それだけじゃありきたりだ。この際、ボス――つまりは俺と紫月で一人の男を取り合うってのは?」
 意味深に笑いながら麗は言った。
「取り合う……とは?」
 社長は麗の話に興味を示したようだ。
「先ず、紫月が組織を裏切ることになった原因からですが、好いちゃならない男を好いてしまう。相手の男は……そうだな、マトリ――つまりは麻薬の取締捜査官とかがいいかな」
 面白そうに、そして少々得意げにしながら、麗はその場の皆にストーリー展開を説明し始めた。
 話を要約するとこうだ。
 裏組織の幹部だった紫月は、ある事件で麻薬取締捜査官の男と知り合いになった。密売組織との取引中に相手側から裏切られ、窮地に追い込まれて怪我を負ってしまった紫月を助けたのがそのマトリの男だった。立場的には相容れない間柄の二人だったが、紫月は密かにその男に惹かれていく。
 だが、その事件をきっかけに、紫月のボスである男もマトリに一目惚れしてしまう。
 紫月の気持ちを知らないボスは、マトリの彼を罠に嵌めて、捜査官という立場から引きずり下ろす策略を巡らせていた。彼から職を奪い、自分の側に置くためだ。
 そのことに気付いた紫月は組織を裏切る決心をし、マトリのもとへと向かう。その途中でボスの手下に捕まって暴行を受けるという流れだ。
 その後、ボスは予定通りまんまとマトリを罠にかけ、彼を手中に入れるが、その心までは奪いきれずにいた。何故なら、マトリの彼もまた紫月を密かに好いていたからだった。
 それを知り、業を煮やしたボスは彼に催淫剤を盛り、紫月の目の前で彼を物理的に我がものにしようとする。
 欲に逆らえなくなった彼が自らを抱くところを紫月に見せつけようとするわけだった。
「さあ紫月、どうする? お前だったらこの状況でどうやって愛する男を助けるんだ?」
 クスッと意地悪げに笑いながら、麗は紫月を見やった。
「お前さんもプロだろう? ここから先はアドリブで惚れた男を俺から奪い取ってみせろ」
 余裕綽々の上から目線でそう言う麗に、紫月はクッと眉根を寄せて押し黙る。だが、社長は麗の提案に興味津々で身を乗り出した。
「素晴らしい! 素晴らしいですよ、ヒイラギさん!」
 これなら読者も次の展開に心躍らせてくれそうだと大乗り気だ。と同時に、麗の差し出した挑戦に紫月ならば受けて立てるだろうと瞳を輝かせている。だが、そうなると新たな問題がまたひとつ――。
「けどよ、だったらそのマトリの役ってのは誰が演るんだ?」
 ふと中津川がそう呟いたのに、皆は一斉にハタと互いを見やった。
「だよな。ストーリー展開は確かに魅力的だが、マトリ役を新たに探さなきゃならねえんじゃ、振り出しに逆戻りだ」
 氷川も溜め息まじりだ。――と、麗が再び面白そうにとんでもないことを口走った。
「そうだな……。生真面目で気立てのイイ男。密かに紫月に想いを寄せながらも、まんまとボスの手中に堕とされる男。遼二、お前さんが演ったらいんじゃねえか?」

「ええ――ッ!?」

 度肝を抜くような麗の提案に、その場の皆が揃って驚きの声を上げた。
「何もそんな驚くこっちゃねえだろ? こいつ――遼二はガキの頃から俺の撮影を見て育ったんだ。モデルの何たるかは嫌と言うほど理解できてるだろうし、それにこいつ自身も子役モデルとしての経験もある。もってこいの配役だと思うがな」
 麗の言葉に一同は目を丸くして驚き、一斉に遼二へと視線が集まる。
「マジでか? お前、モデルやってたことあるのかよ!」
 中津川が瞳をパチパチとさせながらそう訊いた。
「いえ……確かにそういう経験もあるにはありますけど、そんなの本当にガキの頃のことですし……」
 戸惑う遼二だったが、紫月のところの社長はまたもや大乗り気の様子だった。
「それは素晴らしい案ですよ! 実はドンの役をどうしようかって時に、彼のことも頭にあったんですよ。氷川さんにご相談してご許可がもらえれば、彼……遼二君に紫月の相手役を頼めたらと思って……」
 だが、急にそんなことをお願いするのも図々しかろうと躊躇していたというのだ。
「遼二君は抜群のルックスですし、紫月が引退ということにならなければ相手役としてスカウトしたいと思ってたくらいなんです」
 まあ、正直なところ新米カメラマンの彼にそんな打診をしていいものかどうか遠慮はあったのだが、社長としては遼二を一目見た時から非常に気になっていたらしい。
「実際、本格的なゲイモデルとしてスカウトするのは氷川さんの事務所に対しても悪いかと思って諦めていたんですが、今回一回きりということでなら……如何でしょうか? 遼二君を貸していただけたらたいへん有り難いのですが……」
 あれよあれよという間に話がどんどん具体化している。当の遼二は無論のこと、紫月も呆気にとられたように立ち尽くすのみだった。
「そうですね……。俺個人としては遼二がいいなら異存はねえが……」
 間の悪いのを打ち破るように氷川がポツリとそう言うと、
「なら決まりだな。きっといい作品ができるんじゃねえか?」
 麗がすっかり場を取り仕切る。
「や、あの……ちょっと待ってください……! 俺は……」
「嫌だなんて言わねえだろ? それともなにか? お前、マトリの役を他の誰かに譲っても構わねえってか?」
 麗がダメ押しするように畳み掛ければ、
「それは……」
 遼二もつい口籠もらされる。
「お前だって今までの話の流れを聞いてたろ? どこの誰とも知らねえ新規のモデルが紫月の相方を演ったとしても、すぐには上手く馴染めるとは限らねえ。幸い社長さんも氷川さんも同意してくださっていることだし、ここはお前が一肌脱ぐのが日頃世話になってる恩返しってもんだろうが。紫月だってこの遼二が相手なら演りやすいだろう?」
 今度は紫月に向かって意味ありげに笑う。
「……俺は、その……」
 無論、紫月としても話自体に異論はなさそうなものの、ゲイアダルトの世界に遼二を巻き込んでもいいものかどうかと、戸惑う様子が見て取れた。
「それとも何だ、アダルトのノウハウが掴めなくて自信がねえってんなら、俺が一からレクチャーしてやるぞ? 懇切丁寧に手取り足取り、実践交えて指導してやってもいいぜ?」
 紫月の方にチラリと視線をやりながら、麗が挑戦的且つ高飛車な態度で遼二をそそのかす。
「催淫剤を盛られて欲情マックスの表情のつけ方から、反応じてイくまでの妖艶な仕草とかさぁ?」
 上目遣いで遼二と紫月を交互に見やりながら麗は笑った。すると、
「いえ、結構です。レクチャーなら俺がします。遼二が……本当に演ってもいいって言ってくれるなら、演技の指導は俺が……というよりも、二人で話し合ってどんな作品にするか考えたいと思います」
 きっぱりと言い切った紫月の瞳には意思の強さが見て取れる。スランプに陥る前の自信たっぷりの彼が蘇ったかのようだった。
 そんな紫月の様子に麗は不敵に微笑むと、
「ほぅ? 」
 満足そうにうなずいてみせた。
「で、お前はどうなんだ遼二」
 紫月が承諾したのを受けて、当の遼二へも挑戦的な笑みを投げ付ける。――と、彼もまた快諾したのだった。
「紫月さんが――、皆さんが俺でいいとおっしゃってくださるのなら、精一杯演らせていただきます」
 そう言って真摯に頭を下げた。
「じゃ、決まりな! ストーリー的な流れはさっき話した感じでいいと思うが、詳しい内容は後でメールしておく。それから当日のヘアメイクは息子の倫周に担当させたいと思うんですが、よろしいでしょうか?」
 一応、紫月のところの社長に向かってそう訊くと、彼も勿論と言って快諾した。
 結局、麗が取り仕切る形で、あれよという間に紫月の引退特集をまとめてしまったのだった。



◇    ◇    ◇



「けど、さすが麗ちゃんだね! ちょっと皆の話向きを聞いただけで撮影のストーリーから配役まで決めちゃうんだからさ。快進撃って言ってもいいくらいだったじゃない?」
 帰りの車の中で倫周が感心顔でいた。チラりとバックミラー越しに視線をやれば、
「ふん――」
 麗が言葉少なながらも満更でもなさそうな表情でいる。
「でもちょっと意外だったなぁ。だって麗ちゃんたら進んで遼二君を紫月君の相手役にするんだもの。僕はてっきり麗ちゃんがあの二人に横恋慕っていうかさ、ちょっと意地悪なことでも考えてんのかなーって思ったりしてたからさ」
「横恋慕って――それじゃ俺が悪者みてえじゃねえか」
「ふふ。麗ちゃんって、口じゃ何だかんだとドギツイこと言うけど、ホントのところはやさしいっていうかさ。これも愛情の裏返しっていうか、麗ちゃん特有の照れ隠しなんだよねー」
「バカ言え。俺はそんなひねくれモンじゃねえぞ」
 ツンと唇を尖らせながらも頬を朱に染めた後部座席の彼を、倫周は可愛らしいなどと思って微笑むのだった。
「息子の俺が言うのもナンだけど、麗ちゃんっていつまでたっても可愛いんだよねー」
「可愛いって……お前」
 それ、父親に向かって言うことかと若干頬を膨らます。そんなところが可愛いのだと言いたげに倫周は笑った。
 先程、麗自身も氷川の事務所でチラっと漏らしていたが、倫周が生まれると間もなく母親の方は他所に男を作って蒸発してしまった。麗は若気の至りだと言っていたが、その後、男手一つで赤子の倫周を大切に慈しみながら育ててくれたのだ。倫周本人としては物心ついた頃から親といえば麗一人だったので、特には寂しいという思いもしたことがなかったのだが、それもひとえに麗の大いなる愛情のお陰だということに成長してから気付いた。故に倫周にとって麗は父親である以上に特別な信頼のおける相手なのだった。肉親ではあるが、外見も性質もいつまでも若々しい麗は、倫周にとって良き親友のようでもある。まさにかけがえのない唯一無二の存在だった。
「――にしても、紫月君ってホントに綺麗な人だったよねぇ。ちょっと麗ちゃんに顔立ちが似てるかも」
「……そうか? 俺の方が男前だと思うけどな」
「顔立ちもだけど、雰囲気もあるし、パッと見てすぐに彼には目を奪われるっていうかさ。華やかで、まるで蝶のようなイメージっていったらいいかな」
「蝶って……お前、そりゃ褒めすぎだろうが」
「紫月君が蝶なら、麗ちゃんは――さしずめ蜘蛛ってところかなぁ」
「はぁ!?」
「だってそうじゃない。紫月君のみならず、彼の事務所の社長さんや氷川さん、それに遼二君にだって『うん』と言わせちゃうんだから。蝶を絡め取る蜘蛛! なーんちゃって」
「――言い方!」
 ケラケラと明るく笑う倫周を一括しながらも、麗は呆れたように片眉を上げてみせた。
「はいはい! でも紫月君、あんなに綺麗でカッコいいのに、鼻に掛けたようなとこもなくてさ。あれなら遼二君のお相手として麗ちゃんだって安心したんじゃない?」
「……まあな」
 倫周はのほほんと率直な感想を口にしているようだが、うなずけないわけでもない。麗なりに少々意地の悪い言い方を交えつつも紫月がどういう反応を見せるかなどを観察していたわけだが、麗としてもほぼ倫周の見解と一緒だった。
「確かに――。俺が遼二にマトリの役を振った時に紫月がどう出るかと思ってはいたんだが……。ヤツは最初躊躇してたろ? 遼二をゲイアダルトに引っ張り込んでもいいもんか迷ってるってな態度だった」
 あの場で『是非そうしてくれないか』などと猫撫で声を出すような男なら、遼二に対する想いよりも自分の立場の方が大事なのだろうと思えるが、紫月は本心から戸惑っている様子だった。そんな態度を見る限り、彼の想いもそう軽々しいものではないのだろう。この撮影を最後にゲイアダルト界を引退するということからしても、遼二との仲を真剣に考えているからなのだと思えた。
「――ま、俺にとっちゃ遼二が辛え思いをしなきゃそれでいい。紫月に取られるのはある意味癪でもあるが……二人が想い合ってんなら仕方ねえしな」
 要は真剣な想いで二人が共にいたいと思うのならば、麗としても多いに認めたいということなのだろう。窓の外に視線をやりながら、どこか安堵し、それでいて少し寂しそうな顔付きも隠せない。そんな麗をバックミラー越しに眺めながら、倫周はふっとやわらかに微笑んだのだった。

- FIN -

次ラストエピソード、「お前だけのモデル」です。



Guys 9love

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