番格恋事情
鐘崎の愛撫は、普段の彼からは想像し難いくらい熱くて、そして強引でもあった。まるで欲しくてたまらないといったふうにも感じられるのは、やはり都合のいい思い込みなのか――頭の隅でそんなことを巡らせながらも、紫月の身体は悦びで震えていた。仮にし今一時だけの夢でも構わない。鐘崎のこの欲情が、単なる気の迷いでも構わない。紫月は身体全身で『彼』のもたらしてくれる記憶を刻み込もうとしていた。
「……紫月……」
聞こえるか聞こえないかのような低い声が、愛撫の隙間を縫って何度も繰り返される。袷を剥がれるついでに右側の胸の突起を指の腹で撫でられて、紫月は大きな枕の上でビクリと肩を揺らした。セフレの相手にされるのとは若干勝手が違う愛撫の手順に、未知の欲情が顔を出す。
そういえば彼は確か左利きだった。いつも右隣の席にいる彼が黒板を写し取るのは左手だ。そんなことを思い出せば、より一層胸が疼いてならない。
そうしている間にも首筋から鎖骨へと続けられる愛撫は絶え間なくて、それは次第にもう片方の左側の突起を絡め取る。唇全体でしっとりと包み込むように軽い口づけが幾度も幾度も繰り返される。次の瞬間には尖らせた舌先で乳輪をなぞるように弄ばれて、紫月は柔らかな茶髪をおしげなく枕に擦り付けてのけ反った。
そうしてしばらくは舌の動きだけで胸飾りを攻められ続けて、なるべくならば我慢しようと抑えていたはずの嬌声があふれ出す。胸元を唇で愛撫すると同時に、彼の利き手の方がそろそろと腹をまさぐり、まるで抱き包むように腰元に回されるのを感じた。
既に濡れそぼっているのが分かる自身の雄は、これ以上ないくらいに天を仰ぎ、覆いかぶさっている鐘崎の脇腹辺りに時折触れる感覚が分かる。こんなに欲情しきってしまって恥ずかしいと思う反面、早く触れて欲しくて堪らないのも事実で、紫月は悶えた。
いっそこの際、自分で慰めてしまいたい。そんな思いのままに無意識に泳がせた手がふいに掴まれ取り上げられて、何ともいえないタイミングにもっともっと欲情を煽られた。
「自分でするなっつったろ?」
上目使いの彼の表情が例えようもなく色香を滲ませていて、見つめられるだけで達してしまいそうなくらいだ。指の腹でそそり勃った雄の裏筋を撫で上げられれば、思わず「ああっ……!」と大きな嬌声が漏れ出してしまった。きっとみっともない程に滴っている蜜液ごと弄られて、激しく首を左右する。紫月はまたもや枕の上で薄茶色の髪を乱した。
「鐘崎……っ、待っ……! 俺、氷川に……あんなことされたばっかで汚ねえ……からッ……!」
ここまできて今更な気がするが、例えば抑制力となるような何かを口にしないと怖いくらいの欲情の感覚が居たたまれなくて、無意識の内にそう訴えた。
「それに……俺ッ、他にも……その……んあっ……!」
他にも遊んでいるから、と言い掛けたその言葉を遮るかのように、いきなり蜜液の滴る先端を舌先で強く吸い上げられて、再びのけ反らさせられる。途方もなく押し寄せてくる波に流されつつも、紫月は思い付くままの感情を言葉にした。
「……ンなとこ、口でなんかすんなっ……! 俺、お前に……こンなことしてもらえるような資格ねえし……いろんな奴と遊んでて汚ねえんだ……し」
「…………」
「だからそれ、もう……やめ………っ」
「――だったらもうそんな遊びはやめろ」
「……え……?」
「二度と他の野郎なんか相手にすんじゃねえ――!」
「え、あの……やっ……うぁ……鐘……っ! 鐘崎……ぁああッ……!」
もう目の前までやってきた射精感に唇を噛み締める。まるで夢じゃないかと思わせる程に、信じ難いような鐘崎の台詞にもゾクゾクとさせられた。
◇ ◇ ◇
そのまま射精し、荒い吐息を整える余裕もなく視線をやれば、そこには少し眉根をしかめ気味にした鐘崎の整った顔立ちがこちらを見据えていた。
深い彫りが印象的な、くっきりとした黒い瞳にじっと見つめられ、もうそれだけで頬が紅潮するのをとめられないのがはっきりと自覚できる程だ。いつまでたっても視線を反らせてもらえないことで、心拍数もおさまらない。ただじっと見つめるだけで格別には何も言葉を発そうとしない、そんな扱いにも戸惑わされるばかりだ。
紫月はどうしていいか分からないまま、急に込み上げてきた羞恥心に堪えられずに、顔を背けようと視線を泳がせた。すると、それを許さないといったように横を向きかけた頬を両の掌で包み込まれて、と同時に更に信じ難い台詞が耳元をくすぐった。
「大して好きでもねえ相手とセックスなんて、こんりんざいするんじゃねえ。二度とそんな遊びしたら……」
「……したら……なに?」
真剣そのもので、怖いくらいに食い入るように見つめられながらそんなことを言われて、ますます困惑の渦中に突き落とされる。まるで時がとまってしまったかのように、ほんの僅かのこの時間が永遠にも感じられた。
「二度とそんなことしたら、俺はもう……正気じゃいられねえ」
「……え?」
どういう意味だと訊く余裕もなく、次の瞬間には頬から滑るように移された大きな掌に乱れた髪を掻き上げられながら唇を塞がれた。そして先刻以上に淫らで濃い口づけに捉えられれば、もう何をも考えるどころではなく、頭の中が真っ白になっていった。
冷静に考えれば、鐘崎が何を思い、何を伝えたいのかが漠然とだが理解できるような気もする。いや、考えるまでもなくそれは『好意』以外のなにものでもない気がするのだが、それこそそんな都合のいい展開など有り得るわけもなかろうと、もう一人の自分が否定する。しかも催淫剤に翻弄されたこんな状態も手伝って、まるっきり夢の中だ。それも異次元だ。ふと、そんなことで呆然となっていた思考を引き戻したのは、自らの脇腹を伝った欲情の痕の感覚だった。
放った白濁がタラタラとシーツの上へと流れ落ちるのを感じて、紫月はハッと我に返った。
「ごめ……っ、俺、シーツが……汚しちまうから……!」
焦って身をよじったのは本能で、決して悪気があったわけじゃない。恥ずかしさをごまかす為の反射的な言葉で、決して彼のことをはぐらかしたわけでもない。だが鐘崎にはそうは伝わらなかったのか、あるいは逆に拒まれたふうに受け取れてしまったわけか、不意に傷付いたように瞳をしかめたように感じられたのは錯覚だろうか。髪に深く絡んでいた指先が一瞬硬直したように止まり、濃厚に合わせられていた唇までもが冷たく血の気が引いていくように感じられて、紫月はますます焦ってしまった。
「や……っ、違ッ……そうじゃなくって……俺、別にお前が嫌とかそんなんじゃ全然なくって……」
「…………」
「や、えっと……何言ってんだ俺……? とにかくお前にこんなことさして申し訳ねえっつーか……とにかく今のナシ! 全然意味違えし……」
まるで意味不明な言葉が上手くまとまらない。第一、何故こんな言い訳をしているのだろう。それさえも分からなくてしどろもどろだ。
「何が違う?」
「や、別に……俺は……」
「まだ治まんねえんだろ……?」
そう訊かれて視線をやれば、未だに勢いの衰えていない自身の分身が、鐘崎の腹の辺りに触れているのに気が付いて、ギョッとしたように頬を染めた。
ああ、なんだ。そういうことなのか――
単にこちらのことを気遣って、この男はわざとこんな行為をしてくれているだけだったというわけか。つまりは悲惨な目に遭ったことに対するせめてもの慰めにというやさしさなのか、彼もこんな行為に『ノってくれているだけ』という可能性が瞬時に脳裏を過ぎる。そう考えたら恥ずかしさに拍車が掛かった。と同時にどうしようもない憐情が込み上げる――。自らに対する蔑みをも伴った憐れみだ。
何、期待してたんだ俺――
そうだ。何を舞い上がっていたのだろう。こんな都合のいい話などあるわけもないというのは分かり切っていたはずなのに、彼の厚意に甘んじて思わず勘違いをするところだった。そう思ったら急に胸がえぐられるようで、紫月は思わず込み上げた苦笑いに唇を噛み締めた。
もういい。この際、とことん下郎に成り下がってしまうのも悪くはない。それ以前に下郎そのものなのだから。
そんな思いが浮かんで、今度は腹が据わる。コロコロと浮き沈む自らの感情のままに、紫月は目の前の胸元に縋り付くように腕を伸ばした。
「鐘崎、ごめん……俺、やっぱまだ全然治まんねえ……みてえ」
だから――
「だからさ……もし嫌じゃなかったら……もうちょい付き合って……くんねえ?」
荒い吐息を抑えながらわざと淫らな口ぶりで誘うようにそう言った。
そうだ、いつもセフレの男にしているように、何の感情もなく溺れてしまえばいい。こんな機会だから、少し大胆にしても今なら薬のせいでごまかせるんだ。実際、そうすることでこの男に拒まれたとしても、互いの間に大して深刻な傷跡を残さずに済むのも確かだろう。今更ながら『氷川のバカには感謝しねえとな』などと、そんなことまでもが浮かんで、孤独な苦笑いがとまらなくなる。
「な、それだけじゃ足んねえんだ……こっちも……」
思い切って彼の利き手を取り、自らの脚を広げ、腰を浮かせて秘所へと一気に導いた。
放った白濁で湿った蕾に彼の長い指先を押し付け弄らせるように押さえ付ける。どうせ驚いて、さすがにそこまで付き合う義理はないと、焦って硬直するに決まっている。想像しなくてもそんな絵図が脳裏を過ぎった。
「氷川に突っ込まれたばっかで申し訳ねえけどー、野郎と寝んの嫌じゃなかったら抱いてくんねえ?」
自嘲たっぷりにそう言い放ち、これで仕舞いだと腹をくくる。
さあ、早く『そんなことできるわけねえだろ』って、お決まりの台詞を浴びせられたい。もともと叶わない想いを断ち切るにはいい機会だとさえいえる今この時に、どうせならば思いっ切り深く傷付けて振って欲しい。
瞳を閉じ、口元に諦めの笑みをたずさえながら大きく息を吸い込んで、手酷いその瞬間を待っていた紫月の耳元に、意外な気配が飛び込んできたのはその直後だった。
僅かの沈黙の後、カシャリという金属音に怪訝そうに薄目を開ければ、そこには自らの腹上でベルトをゆるめている彼の手元が映し出され――
ジッパーを下ろしながらこちらを見つめてくる大きな瞳は、若干の不機嫌を伴いながらも、そこには動揺のかけらも感じられない。逆にこちらが焦ってしまい、無意識に腰を引けば、ガッシリとその腰元を掴まれて、紫月は目を白黒とさせてしまった。
――そしてまた、信じ難いような台詞がシーツの海に落とされる。
「約束しろ紫月。二度と他の野郎なんかと寝るんじゃねえ。そんなことしたらぜってー許さねえ」
「――え、あの……鐘崎……ッ!?」
いきなり枕の上に頭を押し付けらるように抱き包まれたと思ったら、下半身に猛った感覚を覚えて、思わず息が止まりそうになった。
「……うそ…………」
「なにがウソだ」
「や……あの、だって……お前……それ」
「抱いてくれって言っただろう。さっきのは嘘だったってのか?」
「違ッ……! 嘘なんか……言ってねえ……けどッ、まさか――」
そう――まさか本当に抱いてもらえるなどとは思ってもいなかった。
「お前が……俺なんかにそんなん……なってるって、信じらんねえ……だけだってば……!」
何もかもが予想外の成り行きに、紫月は忙しなく表情を変え、言葉も上手くは出て来ない。精一杯強がって、淫らに誘うフリまでしたことが恥ずかしくて堪らない。相反して鐘崎の方は、そんな様子を横目に何故か満足気に瞳をゆるめては、穏やかな気配をまとっていくようだった。
「冗談や酔狂なら今ここでやめてやる。お前が本気で嫌がることはしねえつもりだ。けど……」
「……けど、何……?」
「本音なら――」
このまま抱く。
言葉にこそしなかったが彼の真っ直ぐな瞳がそう言ったのが分かって、思わず息を呑み込んだ。
諦めよう、抑えようとしていた素直な感情を丸ごとぶつけてしまってもいいのだとさえ思わせてくれる彼のやさしげな視線に、不思議な安堵感が顔を出す。
「本音だよ。嘘なんか言ってねえ。だって俺は、お前が……」
好きなんだから――
それこそ言葉に出しては云えなかったが、鐘崎にははっきりとその意思が伝わったのだろう。一層穏やかにゆるめられた瞳が甘さをも伴って、今まで以上にやさしく髪を弄ぶ。唇が触れ合うか合わないかのギリギリの近さで囁くように発せられる言葉も至福を含んだ欲情まじりだと思えるのは、それこそ都合のいい錯覚だろうか。
「なんで俺――?」
「そんなん、分かんねえ……お前こそ、こんなん、ヤじゃねえのかよ……? 俺なんか……と」
その問い掛けは最後まで言わせてもらえなかった。言葉を呑み込むように重ね合わされた唇が、すべてを奪うとでもいわんばかりに激しく絡み付いてくる。
「――紫月、お前は知らねえんだ」
「……な……にを?」
「いや、いいんだ。今はまだ――」
口づけの合間からこぼれるそんな会話は夢なのか現実なのか、それさえも分からなくなる程に濃厚な愛撫で身体中のどこかしこを絶え間なく奪われて、紫月は己の赴くままに愛する男の胸中で溺れ尽くした。