番格恋事情

2 謎の転入生



「しっかし昨日の勝負ー! 今思い出しても腹よじれるっつーか! 紫月に蹴り上げられた時の氷川のツラったら!」
「ホント、マジすごかったよな? さすが紫月! けど最初はビビッたよな。マジで氷川にホらせちまうのかってヒヤヒヤしたんだぜ、俺ら!」
 朝の教室の片隅でギャアギャアと大盛り上がりをしているのは、昨日の勝負に参加していた紫月の仲間たちだ。当の紫月を真ん中に囲んで、清水剛しみず ごうと橘京たちばな きょうらが彼を讃えるようにはやし立てていた。
「俺がそう簡単にケツなんかくれてやるわきゃねーだろ! 氷川の野郎があんましふざけたこと抜かすからよ、ちょっとおちょくってやろうと思ってさ?」
 クククッと、いかにも可笑しそうに紫月は笑った。椅子の背にもたれてギィギィと斜めにしたり戻したりしながら、褒められて気分がいいのか得意満面だ。
「けどあの野郎、マジでイカれてんよな? お前らも見たろ、楼蘭学園から見物に来たとかいう野郎のこと」
「ああ……白帝の粟津とダチだとかいうヤツ? 結構な男前だったじゃん」
「そうだっけ? 俺りゃー、ツラなんかよく見なかったけどよ。氷川の野郎ったらあの場でナンパ始めたとかって聞いたけど、マジか?」
 剛と京が揃ってそんなことを言う。紫月は可笑しそうに笑った。
「さあな、どこまで本気か分かったもんじゃねえが……。勝負放っぽって、やけにあの野郎に執着してやがったのは確かだわ」
「何? 氷川ってそっちの趣味かよ?」
「けど氷川っつったら、しょっちゅう違う女連れてるって有名じゃん。俺もガッコの帰りに駅前とかで何度か見掛けたことあるけどよ。いっつもわりかしイイ女と一緒にいるぜ?」
 剛と京はさすがによく知っているものだ。確かに氷川は外見だけ見れば、女が一緒に歩きたがるのも分かるような風貌は認めざるを得ないところだ。何せズバ抜けた長身の上に、顔の作りだけをとっても嫌味なくらいに整っているのも否めない。加えて桃陵の不良連中からも一目置かれる番格とくれば、女たちが放っておかないのも頷けるところではある。
 まあ紫月とて容姿の点でいえば氷川に負けず劣らずのいい勝負だから、そんな点でもライバル意識がくすぶるのか、何かと気に掛かるのは確かだ。
「つか、何? あいつって女だけじゃなく野郎の趣味もあるってことかよ」
 京が興味本位でそう言えば、
「無きにしも非ずじゃね? じゃなきゃ、紫月をホりてえとかふざけた発想出てこねえだろ?」
「うへぇ、マジかよ! 要はヤれりゃ、何でもいいってこと? グローバル過ぎて付いてけねえわ」
 京が呆れたように肩を竦めている。二人の会話を聞きながら、紫月はまたしても冷笑してみせた。
「両刀でどっちでもイけるとか、イキがってるだけじゃねえの? けどまあ、ヤれりゃ何でもいいってのは当たってっかもな。それを証拠によ、ちょっと色目使ってやったらその気ンなっちまってよ。からかいついでにしゃぶってやろうかって言ったらホントに勃たせてやがんの!」
「マジッ!?」
「マジ! ホントはタマでも握り潰してやろうと思ってアレ触ったらしっかり半勃ちになってっから、思いっきし蹴りくれてやったわけ!」
「うっわ、そりゃ最悪ー! ならしばらく動けなかったんじゃね?」
「だろーなー」
 ぎゃははは、と大笑いが巻き起こり教室内はますます大騒ぎだ。
 ふと、一番の仲間でもある剛が「だったら近い内に報復戦にやって来るんじゃねえか?」と口走ったのに、
「そん時きゃまた返り討ちにしてやるまでよ!」
 紫月は意気揚々と笑ってみせた。そんな折だ。
 始業の合図と共に担任教師が少々得意げな顔つきで教室の扉を開けた。いよいよ授業の始まりだ。
 『あーあ』と、うっとうしそうにそれぞれの席に戻った紫月らは、担任の後方に連れられて入って来た一人の男の存在に気付いて、ハッとそちらを振り返った。
 見れば一八〇センチは有に超える長身の、ガタイのいい男が物静かな感じでたたずんでいる。
「――何だあいつ?」
 またザワザワとし始めた一同を静めるように、担任教師が大きく腕を振ってそれらを鎮めた。
「静かに! 静かにしなさい。紹介しよう。今日からこのクラスに転入することになった鐘崎遼二かねさき りょうじ君だ。彼はご両親の仕事の関係で香港で生まれ育ったそうだ。だから語学も中国語、英語、日本語が堪能な上に、学業成績は我が校始まって以来のトップ。とにかく優秀で真面目な素晴らしい生徒でね。席はーっと……一之宮紫月、お前の隣が空いてたな? 素行も勉強も文句なしの鐘崎君を見習うにはちょうどいい。よく面倒を見てもらいなさい」
 やはり得意げに、ともすれば嫌味たっぷりにニヤけまじりでそう言われたのに対して、紫月はキッと眉を吊り上げた。

 担任にうながされて、『鐘崎』と紹介されたその男がゆっくりと席に近付いて来る。

 今しがた担任が言った通りに、きちんと着こなされた制服は違反の『イ』の字も見当たらないような生真面目さだ。その上もってカラーリングなどで弄っていないだろう黒髪は、少々長めではあるが、とにかくどこそこマジメを絵に描いたようでもある。
 一八一センチの自分よりも若干長身の出で立ちは、黙っていても存在感を見せ付ける。おおよそこの学園の校風にはそぐわないような身なりに反して目つきだけは鋭く感じられ、しかも側に寄ってよくよく見れば、これまた嫌味なくらいの整った顔立ちをしている。
 物静かな仕草が威圧感までをも感じさせるようで、紫月をはじめ、皆はしばし唖然としたように彼に釘付けにさせられてしまった。
「よろしく」
 丁寧に頭を下げつつも端的にひと言だけそう言って、やはり物静かな所作で椅子を引き席へと着く。なんだか不気味な威圧感を感じさせるその男に、紫月は苦虫を潰したように眉を吊り上げた。



◇   ◇   ◇



「けっ、何だってんだよあの野郎ー。なーんかイケすかねえ感じ!」
「だな? パッと見はクソ真面目なくせして妙な威圧感持ってるっつーかさ、おまけにあの面構え! 嫌味なくれえの男前っての? 共学だったら確実にモテモテのイケメンタイプってのが気に入らねー!」
 昼休みの屋上で購買の菓子パン片手に、剛と京らがそんな話題に舌打ちまじりだ。隣の席にさせられた紫月に「お前はどう思う?」などと訊きながら、
「ま、けど面構えの良さで言えば紫月といい勝負じゃね? 担任の野郎、ヤツの親父は中国人だとか言ってなかったっけか?」
「つか、中国語もしゃべれるってだけだろ? 香港から越して来たっつーけど、家は何やってんだ?」
「そーいや桃稜の氷川ン家も香港で貿易商かなんかやってんだけ? 何だよ何だよ、皆して金持ちの放蕩息子ってかー? けど同じ香港なら案外知り合いだったりして」
 何だかんだと言いながらも興味はあるのか、さっきからそんな話ばかりが延々繰り返されている。紫月は面倒臭そうにノビをしながら胸ポケットの煙草を取り出し銜えると、そのまま地べたへと寝転んで空を見上げた。
「おいおい……ンなとこで吸うなよ……センコーに見つかったら大目玉食らうぜ?」
 剛が呆れたように水を差し、だが当の紫月はお構いなしといった調子で京に火をねだる。
「はん! センコーが何だ! 担任の野郎、調子コキやがってよー。なーにが『我が校始まって以来の優秀な成績でー』だよ! おまけに『面倒見てもらいなさいー』ときたもんだ! ……ったく、どいつもこいつも気に入らねえ! つか、ムカつく!」
 担任の口ぶりをマネしながら大きく一服を吸い込んで、だらしなく身体を投げ出し天を仰ぐ。
 春の日差しが眩しくて、そんなことにも腹が立たされる。『よろしく』と言われた時の鐘崎の顔が脳裏に浮かべば、ますますもって癪な気分にさせられた。
 特筆するほど頭にくる理由もないが、何となく気に掛かって仕方がない。鐘崎という男のどこがどう気に入らないのかと訊かれても上手く説明がつかないくせに、何となく腹立たしいというか、とにかく良くも悪くも気に掛かるということ自体が無性にうっとうしい。
 つかみようのないワケの分からない気持ちの乱れに、紫月は先が思いやられるといったように大きな溜息をついた。
「あーあ、新学期早々面倒臭えことばっか!」
 滅法憂鬱だというようにふてくされて煙草をひねり消した。そんな気分に相反して、うら暖かい春風だけが心地よい春の午後だった。



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