番格恋事情

3 秘密



 のっけからの一騒動で始まった新学期ではあったが、一夜明けてみれば、四天学園の紫月らも、そして桃稜の氷川白夜や白帝の粟津帝斗らにも、それぞれにとって通常の学園生活が幕を開けていた。
 伝統勝負を難なくかわして一息というところの紫月には新たな受難、何となく目障りな転入生の登場で内心穏やかではない。
 いつまでも新学期気分というわけにはいかず、授業が始まるだけでも面倒臭いというのに、隣の席にその男がいるというだけで、ワケもなく勘に障る気がしてならない。ソワソワと落ち着かず、隙を見てはチラチラと隣の様子を気に掛ける自分自身にも、胸くその悪い思いがしてならなかった。
 ふと見れば、真っ直ぐに黒板を見つめる彼の横顔がひどく印象的で、苦虫を潰したような気分にさせられる。
 高くて形のいい鼻梁に、彫りの深くて涼しげな目元、まるで濡れた羽のように艶のある黒髪、そのすべてが何とも気障ったらしく思えてならない。どこから見ても隙のなく、完璧でケチの付けようがない程に整い過ぎた出で立ち容姿はさることながら、身にまとった雰囲気がどことなくオリエンタルな魅力をも持ち合わせているようで、とにかく腹立たしいわけなのだ。
「……はっ、髪はカラスの濡羽色ってか? 気障野郎が……」
 チッ、と舌打ちまじりについそんな台詞が口をついて出てしまった。
「――?」
 その瞬間に、ふとこちらを振り返った彼と視線が合ってしまって、思わずドキリとさせられた。

(――ヤベ……ッ、聞こえちまったってか?)

 慌てて横を向いたものの、よくよく考えてみると、それ程に彼のことで頭がいっぱいになっていることを自覚させられたようで、バツが悪い。
 自分でも気がつかない内に彼の印象について口走ってしまうだなんて、とんでもなく不愉快だ。そんな様子を隣の彼の方は不思議そうに見つめている。
 まったくやりにくいったらこの上ない。彼のことが気に掛かるということ自体に苛立つ思いがして、紫月は半ば戸惑ってもいた。
 例えばそれが桃稜の氷川らに対して抱く感情のように、男としての価値や強さや縄張りを競うといった意味での対抗意識ならばまだしも、単にそれだけではない感情がくすぶっていることに気づいているから、尚始末が悪かった。
 彼に気を取られる本当の原因――会って間もないこの男が気にかかって仕方ないのは何故なのか。
 認めてしまえば単純なことだ。
 気を許せば自然と頬が赤らむようなそれは、恋の感情に他ならない。
 と、こういえば『野郎に惚れちまったわけ?』などとからかわれるかも知れないが、実は紫月にとってはこれがごく自然の感情だった。
 同性に対してしか恋愛感情の持てないことをはっきりと自覚したのは、割合近年のことだった。だからこの転入生の男に対して一目惚れのような感情を抱いたとしても、それ自体はあり得ないことではなかった。だが、これ程までに気を取られるということは初めてのことだ。しかも何故だか素直に認めたくはないと反発する感情が自身の中で渦巻いているのもこれまた確かなようで、だから余計に気持ちが掻き乱されては戸惑い揺れる。
 混沌とした感情がうっとうしくて苛立ちを誘う。
 嫌な野郎と同級になっちまったもんだ――と、深いため息をつかずにはいられない。これから毎日のようにこんな奇妙な緊張感を味わわなければならないのかと思うと、それだけで気が重かった。



◇   ◇   ◇



 そんなウサを晴らす為というわけじゃないが、紫月はその晩、通い慣れた『と或る場所』へと向かっていた。
 隣り街まで電車で足を伸ばし、繁華街を抜けてすぐのところにあるビルの小さな入り口――一見何の変哲もない雑居ビルの地階へと続く階段を、小走りに駆け降りる。割合重厚そうな木製の扉を開けると、カランカランと目立つ音でベルが鳴る。それを合図に、室内の視線が一斉にこちらを振り返った。
「よー! 久々ー!」
 まるで待ってましたとばかりに近寄ってきたのは、紫月とほぼ同じくらいの背格好をした大学生ふうの若い男だ。
 薄茶色の短髪をワックスで遊ばせて、片方の耳には輪っかのピアス、Tシャツの上に羽織った黒革のベストの胸ポケットからは珍しい橙色の石がはめられたアクセサリーが顔を覗かせている。
 見るからに懐っこくて愛想の良さそうな、それでいてどことはなしに周囲が一目置くような間合いを身につけているこの男は、間近に寄ってよくよく見ても、パッと見を裏切らない結構な男前だ。
 そんな彼が少々逸ったようにワクワクとしながら出迎えるような仕草で扉口へと近付いて、
「どうしてた? 随分久々じゃんかよー! お前、トンと顔見せねえから焦らされてたんだぜー!」
 と、そんなふうに話し掛けるものだから、それらを横目にした他の者たちは、暗黙の了解とでもいうように視線を外しては自分たちの会話に戻る。まるで紫月のことをこの男に譲るのが当然とでもいうような態度だ。
 よく見ればこの店にいる客の全員が男――そう、ここはいわゆるゲイバーという所だ。
 表向きは店という構えではないから、ここがそういった場所だと知っている者しか入店しないといったところだが、彼らの間では知れた場所だった。



◇    ◇    ◇



 紫月がこの店に出入りするようになったのは、かれこれ二年程前からだったか。実家の道場に通ってきていた年上の門下生から紹介されて連れ立ったのがきっかけだった。
 紫月の家は曽祖父の代から続く道場を経営していて、現在は父親が看板を継いでいる。合気道を主に、小学生から大人まで幅広い年齢層を指導しているその教室で、自らもまた幼少より学び育ってきたというわけだ。
 だからか、その気質の大きさと腕っ節の強さから学園の番格だなどと持ち上げられもしたのだろうが、とにかくそこに通って来ていた一人の門下生の存在が彼にとってひどく大きかったことは事実だ。
 当時、紫月は高校に上がったばかりの時分、何となく奇妙に感じていた自身の中の特殊な感情を持て余しては、気の晴れない日々を送っていた。
 そんな様子を道場の門下生だったその男に悟られて、相談に乗ってもらったのが始まりだった。
 何故か異性に興味の持てない自分。それとは逆に、ある特定のクラスメートや部活動に勤しむ上級生の男などを前にした時などに急激に高まる心拍数――その原因を考え始めると、徐々に不安がよぎるようになっていった。
 門下生の男は当時、紫月より六歳も年上の大学生。彼の直観が確かだったということなのか、自分でもよく分からない悩みの感情を見抜かれた時は、正直なところ驚きを通り越して感激に至ったくらいだった。
 以来、紫月は彼を慕い、何かと付き従うことが多くなっていった。かといってこの彼に対しては格別な恋慕の感情があるというわけではなかったが、それよりも厚い信頼を伴った依頼心のようなものが強かったかも知れない。
 そうこうして行動を共にする中で、この店へも連れてきてもらうようになった。
 自らがゲイであると紫月が確信したのはこれから間もなくしてのこと、門下生の彼以外にも気を許せる誰かが居るこの場所が、自身にとって安らげる空間であることは確かだった。故に自然と一人でも足を運ぶことが多くなっていった。
 思えば小中学生の時分から、同級生らがクラスの女子連中の話題に花を咲かせる中、あるいはその女子らからバレンタインだ何だとカコつけて贈り物をもらったりする中で、それらを格別に嬉しいとも感じない自分に戸惑いを覚えていた。クラスメートの男子らと比べて晩熟なのか、あるいは案外感情の希薄なタイプなのかと思ってもいた。それどころか、頬を染めて告白めいたことをしてくる女子や、それを周囲で囃し立て、応援するなどと盛り上がっている女子グループの様子には嫌悪感すら感じられることも少なくはなかった。だからこそ、高校は男子校であるこの四天学園を選んだくらいなのだ。
 けれども入学してみれば、やはり周囲の男友達らは他校に付き合ってる女がいるだの、毎朝駅ですれ違う近隣校の制服を着た女生徒に一目惚れをしただの、要は彼女が欲しいと、話題は大概そんな方向に花が咲く。この年頃の男ならば当たり前だろう興味に、正直付いていけない自分の感情に焦りを感じていたその当時――紫月にとっては同じような仲間がいるこの場所がひどく救いに思えたことは確かだった。
 自らをここに連れてきてくれた門下生の男はもとより、彼らの輪の中にいることでこの上ない安堵感を得られたし、それが相まって少々背伸びをしたカンケイに興味を煽られたことも否めない。
 以来、ヤリ友と称して『ソレ』だけの関係に身を任せたことも多少はあったが、同性同士でこんな間柄になるという以前に、まだ高校に入って間もない年頃である自分の若さゆえに、どうにも無理をしているように思えることも少なからずで、ひどく背徳的な罪悪感に苛まれた時期もあった。
 だが、それ以上に自分がゲイであるのでは――という悩みが思春期の彼の背には重かったということか。淫らなその行為がある種救いと思えるほどに、この頃の紫月にとっては慰安をもたらしてくれるものだった。

「な、これからちょっと出ねえか? 二人っきりンなれるトコ。この前行ったラブホ、あそこなんかどうだ? それともお前が抵抗あるってんなら俺ん家でもイイけどー」
 実際、ここいら近辺はホテル街ともいえる程に様々な施設が軒を連ねている繁華街だ。その気になれば不自由はしない好立地ではあるが、男の方は少々紫月の機嫌を窺うような調子でそんなふうに耳打ちをする。
「お前、相変わらずお高い雰囲気モロ出しってーかさ……」
「はあ……?」
「や、お高いってよりはお堅いって言った方が近いってーか……」
 要はホイホイ気軽にヤらせてくれない雰囲気満々なんだもんなぁ、と言葉にこそ出さずに呑み込んだが、そういった類のことを言いたげなのをはっきりと視線が物語っている。
 この男とは過去に二度ほど寝たことがあったが、確かにいつも大乗り気の彼に反して、自分の方は冷めた感覚で付き合っていたことが思い起こされる。
 まあ彼の方にしてみれば、確かに嫌みや愚痴のひとつもこぼしたくなるのが当然だろうか。紫月はクッと苦笑いを漏らすと、
「悪りィ、今日はそんな気分じゃねえから」
 と言って、少々よれた煙草を取り出し、無造作半開きの唇に銜え込んだ。
「はーん、相変わらずつれねえのなー! たまーに顔出したと思や『そんな気分じゃねえ』って、お前そりゃ酷な話だぜ。ならいったい何しに来たのーってな?」
「何しにって……俺は別に……」
「だいたい! 未だ携番だって教えてくんねーし、お前の名前だって本モノかどうか怪しいモンだぜ? 振り回されてんのは俺だけってか? ちったー気の毒って思わねえ?」
 恨めしげに眉をしかめる男を横目に、紫月はまたも苦笑しながら、フゥーっと大袈裟な感じで煙を吐き出してみせる。それくらいしか反応のしようがないところに持ってきて、男の方はますます恨み調子で軽く睨みつけてよこした。
「つかさ、お前ホントのとこはどーなのよ?」
 自らも煙草に火を点けながらそんなことを口走る。
「ホントのとこだ?」
「そ! 実は本命いるんじゃねーの? つか、できたとか? しばらくココに来ねえ間に本命の男ができちまったとか! だから愛想ないんだろ?」
 カランカランと強めのワンショットが入ったグラスを片手に、やはり嫌みまじりだ。
「……ンなもんいねーよ」
「は、どうだか! つーかさ、一度訊いてみてえって思ってたんだけどよ。お前の好みってどーゆーの?」
「好み――だ?」
「俺だってさー、案外悪かないと思うんだけどねー? 実際、お前と会う前だって結構な割合でお目当てゲットできてたし。なのにお前と会ってからはめっきり自信失くしちまったってーかさ、お前いっつも素っ気ないし。だから訊いてみたかったのよ、お前のド・ストライクをさー」
「ストライクって……別にねえよ、そんなもん……。つか、そんなん考えたこともな……」
 そう言い掛け――ふと、脳裏に一人の存在がよぎって、紫月はビクリと煙草を持つ手を震わせた。

――濡羽色の艶髪の男がゆっくりとこちらを振り返るシーンが、切り取ったコマのように頭の中で鮮明に繰り返される。
 スローモーションで何度でも、しつこくしつこく脳裏を巡る。紛れもなく転入生の鐘崎という男の顔だった。

 なぜこんな時に彼の顔が思い浮かんだというわけだ。
 その理由を考えるのも癪だというように、紫月はチッと舌打ちを鳴らした。
(ストライクゾーンがどんなタイプか――なんて、こんな話向きの時に何でヤツの顔が思い浮かばなきゃならねえんだ……!)
 紫月は滅法気分の悪いといった調子で、ガシガシと髪を掻き上げると、隣の席でふてくされ気味の男に大胆なほど顔を近付け、耳打ちをしてみせた。
「やっぱ出よっか、ココ」
「は……?」
 急にどういう風の吹き回しだというように男がこちらを凝視する。思いっきり口に頬張ったつまみのポテトチップスをモグモグとしながら、ポカンと硬直状態だ。
「だから……ヤりに行こうかって言ってんだ。近くのラブホ、どこでもいいよ」
 すっくと立ち上がると、早々にカウンターを後にする――そんな紫月の後ろ姿を慌てた視線で追い掛けながら、男はアタフタと会計を済ませて店を出た。



Guys 9love

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