番格恋事情
「なぁ、紫月――もう一つお前に話しておきたい大事な話があるんだ」
「大事な……話?」
「ああ――少し長くなるが聞いて欲しい」
普段よりも若干低めの、抑え気味にした声のトーンでそう告げると、鐘崎は静かに話し出した。
「前に話したと思うが――、俺がまだガキの頃に、お袋が男を作って家を出て行っちまったって言ったろ? それから一年後くらいだったか、お袋の父親――つまりは俺のじいさんに当たるわけだが――そのじいさんが亡くなってな」
「ああ……川崎に住んでたっていうお袋さんの実家の……?」
「そうだ。だが、お袋は男と一緒にアメリカに行っちまってて、何とか連絡は付いたらしいんだが葬儀には顔を出さなかったんだそうだ」
「…………そう、なんだ」
「親の葬式にも来ねえ親不孝な娘だっつって、ばあさんがえらく嘆いたらしい」
鐘崎の話では、それが心労になってか、祖母も祖父の後を追うようにそれから半年も経たない内に亡くなってしまったとのことだった。
ちょうどその頃、鐘崎の実父は香港で割合大きめのシンジゲート絡みの依頼を片付けた直後だったという。離縁した前妻の両親といえども、その前妻自身が葬儀にも顔を出さないことを気に病んでか、父親は一人でも霊前に手を合わせに来日したのだそうだ。
だが、そこへ先の仕事で潰したはずの組織の残党が恨みに思い、鐘崎の実父を追い掛けて来日してきたらしい。その時は全くのプライベートだった為、特には抗戦用や護身用といった、いわば武器の類を身に着けないで葬儀に出席、その帰り道で彼らに襲われてしまったということだった。
「親父は肩に銃弾を食らって――幸い、弾は腕をえぐっただけで貫通はしていなかったが、出血が酷い上に追手に見つかるまいとして、その場から動けなかったそうだ」
「……そんな……」
まさに絶句するような内容だ。映画やドラマでなら有りがちな話でも、現実に銃撃を受けるなど、想像が付かない。
「路地に身を隠したが、しばらくはじっとしているしかなかったらしい。病院に駆け込むことも考えたそうだが、それでは後々が面倒なことになる」
確かにそうかも知れない。街中で銃弾を食らったなどといえば、すぐさま大ニュースになり、大騒ぎは免れないだろう。
「それで……親父さんはどうなったんだ……?」
鐘崎の話では、今現在は元気にしているようだし、ヘンな例えだが生きて無事に香港で暮らしているのだろうから、その時に命を落としたというようなわけではないのだろう。不安げな面持ちながらも、紫月は話の続きを待った。
「ん――、正直困り果てていたところに偶然通り掛かった御仁がいてな。その人が自分の家に匿ってくれて手当てをしてくれたんだそうだ。お陰で親父は命拾いをしたわけだ」
「そっか……。良かった……!」
あからさまにホッと表情を緩めた紫月の肩を抱き寄せて、鐘崎は続けた。
「その御仁は少し医療の心得があったみてえでな」
「医者だったってこと?」
「いや――。医師の免許を持っているとか、そういうわけじゃなかったらしいが、少し知識があったらしくてな。何も訊かずに手当てをしてくれたんだそうだ。傷は思ったよりも深くて、出血も酷かった。だが、さすがにその御仁も輸血なんかの治療までは無理だった。器具が揃っていたわけではなかったからな。親父は高熱が出て、しばらくは起き上がることもできなかったそうだ」
鐘崎の父親を助けたというその人物は、その後も付ききりで手厚く看病を続けてくれたという。その甲斐あってか、医師に診せるよりは治りが遅かったものの、それから一週間も経つ頃には大分痛みも引き、布団の上で起き上がれるまでに快復したのだそうだ。まさに命の恩人である。
「親父はすっかりその人の家でご厄介になってな。結局、傷が完治するまで三月(みつき)ほども世話になって過ごしたんだ」
「その人、今はどうしてるんだ? お袋さんの実家の葬儀に出た帰りで銃撃されたんだったら……助けてくれた人ってのもこの辺りに住んでたってことだろ?」
「ああ。まさにここ、川崎だ」
「じゃあ、今もその人とは行き来してんのか?」
紫月の問いに、鐘崎は一瞬言葉をとめて、僅かに苦笑を漏らした。
「なぁ紫月――」
「ん?」
「親父はその御仁に世話になる内に、その人と愛し合うようになった」
「……え!?」
「三ヶ月だ。傷が完治するまでの間の三ヶ月、一緒に暮らす内に二人は魅かれ合ったんだそうだ」
「……え、じゃあ今も……てか、今はその人と……えっと、再婚した……とか?」
「いや――。結婚はしていない。親父も、おそらくはその人も――今も気持ちは変わっていないと思うが、二人は男同士なんだ」
――――!
あまりに驚いてか、紫月はこれ以上ないくらいに大きく瞳を見開いたまま鐘崎を凝視してしまった。
「お……とこ同士って……じゃあ、お前の親父さんも……」――俺たちと同じように同性同士で愛し合っているというわけかと言おうとして、一瞬言葉をためらう。何だかとんでもない秘密を聞いてしまったようで、その先に続ける言葉が出てこなかったからだ。
鐘崎はそんな紫月の様子に微苦笑ながらも、僅か切なげに瞳を緩めてみせた。
「すっかりと傷も完治して香港に戻る時、親父は彼に一緒に暮らさないかと言ったそうだ。だが、彼は断った」
「……そんな……! 何で……?」
「彼には幼子がいてな。子供を放って異国の地で暮らすことはできないと言ったそうだ」
「子供!? ……てことは……その人は結婚してたってことか?」
「ああ。だが、夫人を病で亡くしていてな。だから彼は男手一つでその幼子を育てていた。親父は彼に自分の稼業のことも話していて――無論、俺っていうガキがいることも、お袋とは離縁してしまったってことも含めてだ。互いに男やもめだし同じ年くらいの子供がいるから、子供同士で遊ばせることもできると、親父はそう思ったらしい。俺を預かってくれている――つまりは今の俺の養父だが――その養父から俺を引き取って、親父とその人と俺たち子供の四人で家族にならないかと提案したそうだ」
「……そんなにまで……」
それほど具体的に考えるくらい、鐘崎の父親はその恩人を愛したということなのだろうか――。では、それを断ったという恩人の方の内心はどうだったのだろうか。紫月は何もかもに驚きを隠せないといった面持ちでいた。
もしかしたらその恩人という男も、本心では鐘崎の父親に付いて香港に行きたかったのかも知れない。だが幼子のことを考えれば諦めざるを得なかったということなのか。何とも胸の痛くなるような話である。考えあぐねる紫月の傍で、鐘崎の話は続いた。
「だが、親父のそんな提案は叶わなくて良かったのかも知れない。香港に戻れば、親父には常に危険を伴う裏社会での稼業が待っている。幼子を抱えて言葉も通じない異国の地で彼に不安な生活を強いることになる」
「そんな……」
「実際――、親父自身も現実のことを考えれば、そんな生活は夢物語だと思っていたのも本当のところだったようでな。二人は別々の人生を歩くことを選んだんだ」
聞けば聞くほど切ない話である。紫月は、もしもその恩人の男が自分だったら――と置き換えて考えると、居たたまれない気持ちに陥ってしまった。
自分には子供もいないし、もしも今後、鐘崎から一緒に香港で暮らさないかと言われれば付いて行きたいと思うだろう。だが、その裏で全く不安が無いとも言い切れないのも確かだった。
言葉も通じない、周囲には知っている人もいない。剛や京のような仲間もいない。頼れるのは鐘崎だけで、だからといって鐘崎以外の人物と全く係わらないで過ごすなど不可能だろう。もしかしたら鐘崎が連れ帰った自分のことを疎む者がいないとも限らない。例えば鐘崎の許嫁だったという幼馴染みの女性や、その家族が自分をどう思うかなどは考えずとも分かりそうなものだ。まあ、鐘崎の実父とはそれなりに付き合っていけそうな気もするが、養父だという香港マフィアの頭領一族とも一生涯会わずに暮らすなどできないだろう。
確かに現実を見れば不安なことだらけである。ましてや幼子などを抱えていたのであれば、より一層慎重にならざるを得ない。
紫月には、何となくその恩人の男が別れを選んだ気持ちも理解できるような気がしていた。
「難しいよな……」
ポツリとうつむき加減にそんな言葉を漏らした紫月を、鐘崎は切なげに見つめていた。
「――そう思うか?」
「ん……。何つーか……愛と現実の狭間っつうか……その恩人って人の気持ち、分からねえでもねえかなって。でも……だから別れられるかっつったら……それも辛えよな」
まるで自分のことのように切なげに瞳を歪める紫月を横目に、鐘崎も少し辛そうにして瞳を細めた。
「なぁ紫月――お前だったらどうだ? 俺が一緒に香港に付いて来てくれって言ったら――」
「……俺……? ん、どうだろな……。俺は……」
目の前の鐘崎を見つめれば、愛しさがあふれ出すようだ。
「俺、俺は……無理……多分」
「――紫月?」
「俺は……確かに向こうに行ったら不安なことの方が多いと思うけど……。旅行で行くってのとはワケが違うだろうし……。けど……、けど無理――。お前と離れるなんて……できねえ、俺……俺は……!」
「紫月――!」
鐘崎は紫月を抱き締めた。まるで思いの丈の全てで――といったふうに、全身全霊を込める勢いで抱き締めた。強く強く、抱き締めた。
「――紫月、好きだ。俺も同じだ……俺も。お前が香港に帰るなって言えば帰らねえ。ずっとずっと、お前の傍にいる――!」
「鐘……崎……」
「言ったろう? 俺はお前を離さねえ。お前の傍を離れる気もねえって。あれは嘘じゃねえ。お前と一緒に居られるんなら、香港だろうが川崎だろうがどうでもいいんだ。俺はお前を……お前だけが大事なんだ。好き……なんて言葉じゃ全然足りねえ……! 愛……している……!」
鐘崎は紫月を抱き締めたまま、まるで涙するかのようなくぐもった声でそう繰り返した。何度も何度も「愛している」と繰り返し――紫月もそれに応えるように鐘崎の広い背中に両腕を回して抱き締め返す。二人は互いを離すものかといったふうに抱き合っていた。
しばしの抱擁の後、静かに鐘崎が言った。
「親父たちは結局離れて暮らすことを選んだが、二人はその後も連絡は取り合っていたんだ。親父を襲撃した香港からの追手も、まさか一般人が親父を匿っているとは思いもしなかったんだろう。日本の裏社会といわれる場所はしらみ潰しに当たったようだが、民間人までは手を回さずに香港に戻ったようだった。そのお陰で親父も奴らに見つかることなく養生できたし、親父を助けてくれた恩人の存在も表に出ずに済んだわけだ」
傷の完治と共に鐘崎の父親は香港に戻ったが、万が一にでもその恩人に難儀が降り掛かることを懸念して、二人は表だって連絡を取り合うことをしないという約束を交わしたのだそうだ。メールや電話といった、ハッキングに繋がりやすい交流は以ての外である。二人が選んだのは、鐘崎の父親の知人を通して手紙でやり取りをするという方法だった。
「そうして親父たちは互いの近況を手紙で知らせ合った。恩人の彼から送られてくる手紙には彼の写真も同封されていて、親父は俺にもそれを見せてくれたんだ。彼自身の写真は勿論、彼の家の様子や庭で育てた花なんかもあったな。俺が中学に上がる頃には、男同士ではあるがその恩人と愛し合っているということも打ち明けてくれた」
鐘崎はその事実を聞いても、特には驚きはなかったと言った。それよりも、父親が心底魅かれているというその男性に対して、興味とも親近感ともつかぬものの方が大きく、好奇心の方が強かったらしい。いつか会ってみたいとも思ったそうだ。
そして、紫月にとっては少々驚くようなことを付け加えた。
「親父に送られてくる写真の中に、彼の子供の写真も年々増えていってな。俺はいつしかそいつに興味を抱くようになっていった。写真の中で成長していくそいつが妙に気になって仕方なくなってな――思えばあれが俺の初恋だった」
――――!
「……初……恋」
紫月にしてみれば思わずドキリとさせられる言葉である。
別段、鐘崎に初恋の相手がいようが、それは子供の時分のことだ。かくいう紫月自身にだって初恋くらいは覚えがあることだし、そんなのは誰しも同じだろう。だが、やはり面と向かって『初恋』などという言葉を目の当たりにすると、嫉妬とまではいかないにしろ、何となくドキドキとさせられてしまうのも事実であった。
「そっか……。お前の初恋かぁ……」
どんな相手だったんだというように、紫月はわざとおどけ気味で明るさを装うように笑顔を傾げて鐘崎を見やる。――と、そこで或る思いが脳裏を過ぎった。
「なぁ、鐘崎……。あのさ……」
「ん?」
「もしかしてだけど……今も親父さんのところにはその恩人って人から手紙が来てたりするのか?」
「ああ、多分な。まだ二人の想いは変わってねえと思う」
そうであれば尚更のこと、或る疑念が紫月の胸を締め付ける。”恩人”というのは、この川崎に住んでいるはずだからだ。
「な、お前、日本に来てから……その恩人って人に会いに行ったりした? そんでもって……その初恋の女ってのにも……」会いたいと思わなかったのか――? そう訊こうとする言葉を鐘崎に取り上げられた。
彼の形のいい指が唇に押し当てられて、まるで『しー、静かに。そこから先は何も訊いてくれるな』といわんばかりだ。と、その直後に、鐘崎はまるで話をはぐらかすかのような全く別の話題を振ってよこした。
「紫月――、俺が初めてお前の家に行った時に、親父さんが宝刀を見せてくれたのを覚えてるか」
「へ……!? あ、ああ……あの刀? もち、覚えてっけど……」
何で突如そんな話になるのか理解できずに、紫月は面食らった。百八十度違う話題を振って――そうまでして初恋の相手のことに触れて欲しくはないというわけなのか。何だか阻害されているようで、紫月は急激に気持ちが落ち込んでしまうのを抑えられなかった。
「お前の親父さんが居合抜きの実技まで披露してくれたんだったよな。あれは嬉しかった」
「え……あ、ああ……そう?」
もやもやとした気持ちは加速するばかりだ。
「え……っとさ、鐘崎――その、何で急にそんな話……?」
何だか耐えられずに、思っていることがそのまま口をついて出てしまった。――が、
「あの宝刀、”残月”という名の夫婦刀――傍に居たくとも叶わない想いに代えて、互いをいつでも感じていられるようにとの願いが込められた刀だ」
そういえば確かに鐘崎はそんなことを言っていたっけ。刀の由来などにやけに詳しいものだと、それを聞いた時は不思議に思ったものだ。
「な、紫月――。実はな、あれをお前の親父さんに贈ったのは俺の親父なんだ」
「……え?」
鐘崎から打ち明けられたそれを聞いた瞬間、まるで雷に打たれでもしたように紫月は一瞬で固まってしまった。
「か、刀を……贈ったのがお前の親父さんって……それ、どういう……! じゃ、じゃあ……まさか……」
「そうだ。怪我をしていた俺の親父を助けてくれた恩人ってのは、お前の親父さん――一之宮飛燕氏だったんだ」
――――――!
紫月はしばしの間、何も返答できなかった。
ただただ、まるで唖然としたように口をポカンと開けたままで鐘崎を凝視する。瞬きさえも忘れてしまうかのような衝撃だった。