番格恋事情
つまり、鐘崎の父親と自分の父親は昔からの知り合いで、二人は互いに愛し合っているということなのか――。すぐには信じられずに、呆然と言葉さえも儘ならない。そんな様子を気遣うように、鐘崎が僅か切なげに紫月を見つめた。
「驚かせちまって悪い――」
まるで『済まない、申し訳ない』と言わんばかりの鐘崎に、フルフルと首を左右に振って否定するのが精一杯だ。
「や、そんな……お前が謝ることなんか……ねえって……。ただ……ちょっと、つか、だいぶ? 驚いたけども……」
「そうか――」
「あの、えっとさ……つまりその、俺の親父が昔……お前の親父さんを助けて、そんでもって愛……えっと、愛し合ってるってことで――合ってるんだよな?」
「――ああ」
「じゃ、じゃあさ……親父たちは今も――」そこまで言い掛けて、ふとあることに気が付いた。
「……ってことは……お前の初恋の相手ってのは……!」
「そう、お前のことだ。紫月――」
「え……俺……?」
またしても何も言葉にならず、人形のように硬直してしまう程に紫月は驚いた。
「俺……? 俺が……まさか……お前の、その……」
「初恋の相手だ」
「……ほ……んと……に?」
「ああ――。俺は……紫月、お前に会いに来たんだよ」
真剣に見つめてくる鐘崎の黒曜石のような瞳がキラキラと立体映像の香港の夜景を映している。
「写真の中で成長していくお前に、俺は年々興味が湧いちまってな。いつしか興味を通り越してどんどん惹かれていった。お互い男同士だが、親父と飛燕さんの仲を聞いてたからか、それがおかしなことだなんて微塵も思わなかったし、悩むこともなかった。俺の興味はお前でいっぱいになっていって……。いつか本物に会ってみたい、それが俺の夢になった。だから会いに来た。四天学園でお前と同じクラスに編入したのも偶然なんかじゃねんだ」
「……偶然じゃねえって……まさかお前……が?」
「ああ、学園に直に頼み込んだ」
またしても紫月は大きな瞳を更に大きく見開いたまま、硬直状態といったくらいに驚いてしまった。
まさか鐘崎がそんなに前から想いを寄せてくれていただなんて、すぐには信じられないくらいである。と同時に、全身から力が抜けてしまうくらい嬉しいのも本当だった。
「なぁ、紫月――」
「え……、あ、うん……何?」
「親父たちのこと――」
認めてくれるか――? そう訊きたかったが、鐘崎はそのひと言をなかなか言い出せずにいた。だが紫月の方は彼の言いたいことが聞かずとも理解できたようで、思わず表情をほころばせながら、色白の頬を紅に染めてみせた。
「うん……。正直すっげびっくりしたけどさ……嬉しいよ」
「紫月――」
鐘崎は感極まったかのような、少し言葉に詰まるような調子で瞳を細めて紫月を覗き込んだ。
「お前の親父さんと俺の親父も……その、お互いに好き合ってたなんて、”すげえ”を通り越して奇跡みてえ……だよ」
だが、よくよく考えれば数々と思い当たる節が脳裏に浮かんでくる。紫月は、興奮したようにそれらを鐘崎に話して聞かせた。
「そういえばさ、俺も何かヘンだとは思ってたんだー。お前が初めてウチに来た時もさ、親父のヤツったらボケーっとしちまってさ。お前が帰ってからも何か意味ありげだったし! そう……それにあの時もそうだ」
「あの時?」
「ん、お前に点心の夜食を貰った日! 食いながら親父ったら泣いてやがってさ」
「泣いてた?」
「てか、親父は辛子醤油が沁みたとかって誤魔化してたけど、ありゃ多分、お前の親父さんのことでも思い出してたんじゃねえかなって、今になって納得だぜ。もしかしたらお前の親父さんと一緒にあの点心を食ったことがあったのかも……」
だとすれば、鐘崎が初めて道場に訪れた時は、さぞかし驚いたことだろう。あの時の父親の何とも言い難いおかしな様子は、これが原因だったのかと思うと、酷く合点がいくというものだ。
「なあ鐘崎、俺ン親父は……知ってたのか? お前が日本に来てるってこと」
「さあな。親父が知らせてたかも知れねえが、俺は飛燕さんに会うのは初めてだったし、驚かれたことに違いはねえだろうな。それに、俺はめちゃめちゃ親父似だから、驚きもひとしおだっただろうと思う」
「そっかぁ……。お前って親父さんに似てんのか……。じゃあ、お前をシブくしたって感じなのか? へぇ、ふぅん……」
まるで『会ってみてえな』とでもいうように、紫月は改めて興味深げだ。少しワクワクとしたふうに頬を染めながら恥ずかしそうにするその仕草に、鐘崎はクイと片眉をしかめてしまった。
「おい――。もしかしてお前、俺の親父に興味津々ってか?」
何だか苦虫を潰したような感じで鐘崎がそう訊いたのに、紫月は一瞬ポカンとし、だが次の瞬間にプッと噴き出して笑ってしまった。
「ンだよ、まさかお前……今、ちょっと妬いた? ……なんてな」
「ああ、妬いた! お前がまかり間違って親父の方がシブくていい男だとか言い出したらどうしようって」
鐘崎の、少しふてくされたようなその言い草を聞いて、紫月はまたも大笑いをしてしまった。
「ぷ……ははは! お前がそんなカオするなんてさ。何だかおっかしい……!」
クスクスと堪えるように笑う。鐘崎はチィと小さな舌打ちと共に、ガバッと懐に抱え込む勢いで紫月を抱き締めた。
「……ッのやろ! ンなに笑うことねっだろ!」
「あははは、だって……なぁ。お前、普段はめっちゃクールって感じなのによ? ちっとスネたりして、そゆとこ堪んねえなって思ってさ」
「何だー? 新たな魅力発見したってか? そんでもって益々俺に惚れた?」
未だふてくされながらもその声音はとびきりに甘い。
「紫月――言えよ、惚れたって。……云って」
「……鐘……崎」
「それも違う――」
「……? 違うって……何が?」
「いい加減――”鐘崎”はよせって。剛や京だってそんなふうには呼ばねえぜ?」
「あー、そう……だよな」
いつまでも名字呼びではなくて、下の名前の方で呼んでくれという意味なのだろう。だが、最初から”鐘崎”で慣れていることだし、何だか気恥ずかしくて、すぐにはそう呼べそうもない。紫月は頬を赤らめるだけで、モジモジと愛しい腕の中でうつむいてしまった。
「――遼二だ。――ん?」
「……え、あーっと……うん……」
「紫月、ほら――」
催促と共に鐘崎の形のいい唇が頬を撫でる。それは次第に首筋へと寄せられ、そのまま耳たぶを甘噛みされる。
「ん……ッ、分かっ……遼……ッ!」
「仕方ねえ、まあ合格――ってことにしといてやるか」
そのまま濃厚なキスが思考をとろけさせ――、二人はもつれ合うようにベッドへと転がり込んだ。
「さっき……したばっかりなのにな。またお前が欲しい――」
覆い被さりながら鐘崎は瞳を欲情の焔で揺らめかせ――
それを見上げながら紫月もまたとろけるほどに頬を染めた。
「な、鐘……じゃなくて……遼……二……」
「ん――?」
相槌を打ちながらも、既に首筋から鎖骨から方々を唇で撫でられて、紫月は益々身体を熱くした。
「俺、俺も……してえ……よ……。お前に……」
「抱かれたい?」
「……ッあ……!」
低く妖艶な声音が胸元を撫でたと同時に、飾りの突起を吸われて、思わず仰け反る。つい一刻前まではあんなに切なかった気持ちが遠い日の幻のようだ。紫月は今目の前にある至福を噛み締めていた。
それと共に、ふと或る思いが脳裏を過ぎる。そう――それは自分たちの父親のことだった。
「遼二……あのさ」
「なんだ……?」
「俺、その……親父たちにも……幸せになって欲しいなって……思う」
その言葉に、甘い愛撫に漂っていた鐘崎の瞳が驚いたように揺れた。
「――紫月、お前……」
「ん、俺は今……すっげ幸せ……。お前とこうしてられて、傍に居られて、その……好きだ……とかも言ってもらえて。けど、親父たちは好き合ってるのに一緒に暮らせなかったんだよな? しかもそれ、俺を育てなきゃなんねえからってのが理由なんだし。だったら――俺はもうガキじゃねんだし、親父にも幸せになって欲しいって思うんだ。今でもお前の親父さんのことを想ってんなら、もう俺に遠慮しねえで一緒になって欲しいって思う」
真剣な顔付きでそんなことを口走った紫月に、鐘崎は感激ひとしおといったように瞳を細めてみせた。
「紫月、ありがとな――。正直、そんなふうに言ってもらえるとは思ってなかった。親父たちのことを話したら、お前は反対こそしないまでも、驚いて戸惑うだろうって思ってたからよ」
「そりゃまあ驚いたには違いねえけど……さ。でも、親父たちがこの十数年、どんな気持ちで遠く離れて暮らしてきたのかって思ったら……すげえ辛かっただろうなって。俺だったら……耐えられねえ……。お前と離ればなれになるだなんて……」
「紫月――」
紫月の、あまりにも愛しい言葉を聞いて、鐘崎はそれこそがもう耐えられないといったふうに思い切り腕の中へと彼を抱き包んだ。
「ありがとうな……紫月。本当にありがとう――」
「んな……お前が礼を言うなんてさ」
「嬉しいんだ。お前が俺の気持ちを受け入れてくれて――その、俺の素性を知っても変わらずに俺を好いてくれること。それだけじゃねえ、親父たちのことまで理解して受け入れてくれることが――すげえ嬉しいんだ」
「鐘……遼二……」
「俺はさ、紫月――。情けねえ話だが……幼心に親父たちの選択を理解できねえって思ってたこともあったんだ。好き合ってるのにどうして離れていられるんだって。そんなのはホントの愛じゃねんじゃねえかとまで思ったこともあって、ヘンな話だが反抗心を抱いたこともあった」
「……遼……二?」
「俺だったら好きになったヤツとは離れたりしねえ。住む場所なんか何処だっていいじゃねえかって。香港に呼ぶだの川崎に残るだの、こいつら、本気でお互いのことが好きじゃねえのかよって……焦れたこともあったんだ。俺は親父たちのようにはなりたくねえ。本気で好いたヤツの手は何に代えても放したりしねえって……意固地になってたこともあった。けど……今のお前の言葉を聞いて……お前のそのあったけえ気持ちに触れて……イキがってた自分が情けねえって思った。自分がどんだけガキなのか――思い知らされた気分だぜ」
「……遼二」
ああ、だからなのか。この鐘崎から、ことある毎に飛び出した言葉が脳裏を巡る。
俺はお前と一緒に居られるなら形なんてどうだっていい。香港だろうが川崎だろうが、嫁に行くだの婿に取るだの、神界だろうが魔界だろうが、そんなことはどうでもいいんだ――!
お前と離れるなんてことはしねえ。絶対にしねえ――
普段は冷静な鐘崎が、そのことになると確かにいつもよりも熱くなっていたような気がする。
紫月はそんな鐘崎が愛しくてどうしようもなかった。
自分より身長も高く筋肉質で、腕っ節だって当然彼の方が上だろう。幼い頃から合気道に打ち込んできた自分が、例え本気で体当たりしたとて、この鐘崎には歯も立たないだろうことは容易に想像できる。学園でも常に落ち着いていて、クラスメイトの誰よりもクールで大人な雰囲気を纏ったこの鐘崎が、何だか無邪気で懸命なやんちゃ坊主のようにも思えてしまう。
自分が正しいと思ったことを貫き通そうとする意地も、とてつもなく可愛らしく思えてしまう。彼にこんな少年のような一面があったことに、言葉などでは言い表せない程の愛しさを感じて、紫月はこの上ない温かな気持ちになっていく幸せを噛み締めていた。
まるで今の今までとは真逆の、いつもならこの逞しい腕に抱き包まれるのは自分の方であるのに、鐘崎が甘えるような仕草で胸元へとしがみ付いてくるのが、どうにも愛しくて堪らない。そんな思いのままに、紫月は鐘崎の髪を指先で梳きながら言った。
「な、遼二さ。親父たち、早く会わせてやりてえな」
「ん――? ああ、そうだな」
「明日、家帰ったら早速親父に話したい。鐘……じゃなかった、遼二……一緒に来てくれる?」
「ああ、勿論だ。二人でお前の親父さんに話そう。親父たちのことも、それに――俺たちのことも――な?」
「……ん、うん」
紫月はまたひとたび鐘崎の腕の中で幸せにまどろみ、鐘崎は高揚する胸の鼓動をそのままに、愛しい者を更に更に強い力で抱き包んだ。
「少し――眠るか?」
そんな言葉とは裏腹に、利き手で顎先を撫で始めた鐘崎の表情は、色香にとろけて雄の情欲に充ち満ちている。
「……お前は……眠みィのかよ……」
紫月も恥ずかしそうに頬を染めながら、眠るよりもしたいことがあると視線で訴える。
「バレちまったな。眠るのは後だ。その前にお前が欲しい……すげえ……今、堪んねえ気分だ」
分かるか? といったように押し付け絡み合わされる下肢は熱く燃え滾っていて、既にガチガチというくらいに硬くて強い。それとは裏腹に誘う瞳も台詞もトロトロに甘い。
そんな鐘崎の表情仕草を目の当たりにして、紫月も真っ逆さまにその渦の中へと引き込まれていくのを感じていた。
「紫月……欲しい。お前が食いたい――」
「……ッ! 食う……って、俺は……」食い物かよ、という言葉は言わせてもらえなかった。真っ赤に熟れた頬も、彼の欲を待ち焦がれる唇も――鐘崎のしっとりとした形のいいそれで塞がれ、取り上げられて――二人はそのまま、互いの欲するままに求め合ったのだった。
ひとつひとつ丁寧に、相手のすべてが今この場にあるということを確認し合うかのように深く深く抱き合う。そう、それこそ空が白々とするまで、眠るのも惜しいといったように、求めて求められて互いを溶かし尽くしたのだった。
運命によって引き寄せられた恋は、永い時をかけて少年の胸であたためられ、巡り会い、伝えられ、受け入れられて花開き――それはまるで日一刻と成長を遂げる力強い青葉若葉のようでもあり――
鐘崎遼二と一之宮紫月を巡り合わせた春風が、今まさに若芽となって”互い”という眩しい陽光を求めんと欲し合う。
花の季節が萌ゆる青葉へと移り変わる、そんな初夏のことだった。
※第1ステージ(鐘崎編)完結。次回から第2ステージ(氷川編)です。