番格恋事情

24 不可思議な誘い1



 鐘崎遼二が永い間の夢を叶えて四天学園に転入し、運命の相手といえる一之宮紫月との会遇を果たして以来、紆余曲折、幸せなことばかりではなかったが、二人は互いに惚れ合って、絆を深めることが叶った。

 一方、鐘崎と紫月が甘い幸せに浸っている同じ頃――桃陵学園の氷川の方は、二週間の停学を食らって自宅謹慎中であった。
 紫月を拉致し、茂木や川田のことも拘束して軽い暴力を振るったにも係わらず、二週間という停学の期間が妥当であるかは少々首を傾げさせられるところである。が、今回の沙汰は、氷川が茂木と川田を呼び出して拘束したという行為に対してのみ下されたもので、紫月を車で自宅へと連れ帰り、いかがわしい行為に及ばんとしたことまでは含まれていなかったのである。何故なら、裏から手を回してそうさせたのは、他ならぬ鐘崎だったからだ。
 よくよく考えてみればそれこそ首を傾げさせられるような不可思議な話である。二度も紫月にとんでもないことをしでかした氷川に対して、鐘崎が一番腹に据えかねているのは事実であろうし、当然恨みにも思っているはずである。ならば、もっと重い沙汰を下したいのは山々なところであろうが、鐘崎にしてみれば今ここで氷川に重い罰を科せるよりも、紫月が陵辱まがいのことをされたという噂話が出回るのを防ぐことの方が重要だった。
 苦水をすする思いを呑み込んでまで、紫月が好奇の目に晒されることは避けたかったというのが鐘崎の気持ちであった。
 実に、少し前に起きたパブの跡地での暴行事件の時も、同じようにして裏から手を回し、氷川に何の咎めもいかないように計らったのは、他ならぬこの鐘崎であった。
 今回は未遂で済んだが、あの時は実際に氷川から陵辱行為を受けた紫月を、どんな手を使ってでも守り抜くことが先決である――というのが鐘崎の考えだった。
 氷川を警察に突き出すことや、停学もしくは退学に追い込むことも無論可能だったが、そうすれば紫月が陵辱されたという事実も否応なく明るみに出てしまう。被害者でありながら紫月が好奇の対象にされることだけは何としても避けたかった鐘崎は、苦渋の決断で氷川を野放しにする方を選んだというわけだった。
 まあ、香港の裏社会にどっぷりと身を置きながら育った鐘崎にしてみれば、焦って氷川を罪に問わずとも、その気になればいつでもどんな仕打ちでも可能である。氷川が終業後、社会に出てから灸を据えることも出来るわけだから、今ここで騒ぎを大きくする必要はない――と考えた故のことだったのだろうか。と同時に、紫月の負った心の傷は、自身の深い愛情で必ず癒してみせるという鐘崎の自信の表れでもあったかも知れない。

 そんな氷川の方はといえば、鐘崎にあれだけの仕打ちを食らったことでさすがに気が萎えたわけか、一先ずはおとなしくしておくしか術はない。ついには停学まで食らって、仲間内への面子は丸潰れといった状況だ。
 既に停学から一週間が経とうとしているが、その間、誰一人様子見に来るわけでもなければ、電話すら掛かってこない。心底心配そうにして、甲斐甲斐しく気遣ってくれるのは、自身の家に勤める執事の男と使用人たちくらいである。すっかり覇気も失くしてしまい、氷川は自室にこもったまま、呆然とした日々を送っていた。
 そんな或る日のことだった。
 ご学友がお見えですという執事からの報告を得て、氷川は半ば困惑気味に表情をしかめていた。
「俺を訪ねて来たヤツがいるってのか?」
 半ば苦笑気味でそう問えば、
「坊ちゃまにお目に掛かりたいとのことで、今は階下の応接室にお通ししておりますが……如何致しましょう」
 執事の男が少し逸ったようにそう説明する。彼もまた、停学になって以来、友の一人も訪ねて来ないことが気になっていたのだろう、とにかくは氷川の身を案じて出向いてくれた者がいるということに、安堵の思いが垣間見えるかのようだった。
 そんな様子に苦笑を隠せないながらも、氷川とて心のどこかではホッとするものがあったのだろう、ふうと軽い溜め息まじりに訪問者に興味を示してみせた。
「で、誰が来てるって?」
 時刻はまだ朝といっていいだろう、午前の十時を回ったばかりだ。桃陵のクラスメイトであるならば、大方朝から授業をサボって来たのだろうが、そんなふうに自身を気に掛けてくれる仲間がまだいたのかと思えども、すぐには思い当たらない。
「はい、それが……白帝学園の粟津帝斗様とおっしゃる御方です」
 執事の返事に、氷川は驚いたように瞳を見開いた。
「白帝の粟津……だと?」
「ええ。あの、坊ちゃま……。ご学友はおそらく粟津財閥のご嫡男様かと存じます。私もお年始の祝賀会などで幾度かお見掛けしたことがありますので、間違いないかと」
 想像もしていなかった人物の名を聞いて、氷川はますます驚いたといったふうに、一瞬立ち尽くしてしまった程だった。
 とりあえずは自室に通してくれと伝えて、またひとたび気持ちを整理するかのように大きな溜め息ともつかない深呼吸で身体を解す。程なくして、執事の男が帝斗を連れて氷川の元へとやって来た。
「すぐにお茶をご用意致します。どうぞごゆっくり――」
 執事の男は丁寧に頭を下げると、一旦下がっていった。

「やあ、突然押し掛けてしまって済まない」
 粟津帝斗は部屋へと通されるなりそう言うと、まるで物怖じする様子もなく、にこやかに微笑んでみせた。
「随分と広いんだな。天井も高いし、暖炉まで設えてあるなんて珍しいねえ。僕の部屋にも欲しいなぁ」
 興味津々といったように部屋を見渡しては、すっかりと寛いでいるその様子に、氷川は若干呆れ気味ながら片眉をひそめさせられてしまった。
 さすがに大財閥のお坊ちゃんというだけあってか、不良というレッテルで名高い桃陵学園で頭を張っているとされている自分を前にしても、臆するふうなど皆無といった悠長さには、呆れを通り越して感心の念が湧きそうだ。そんな彼に、氷川は溜め息まじりにソファを勧めると、自らもその対面にドサりと腰を落ち着けた。
「で、俺に何の用だよ。てめえ一人で来たってわけか?」
 この帝斗とは新学期の番格対決の時に顔を合わせているので、今更自己紹介も必要無いだろう。とはいえ、彼と一対一で面と向かって話すなど初めてなわけだから、当然親しい話題など見つかるはずもない。では、だからといって来たなり追い返すには、折角訪ねてくれた彼に失礼であろう。氷川の気難しげな表情からその複雑な心境を読み取ったとでもいうわけか、帝斗という男は親しげな調子でクスっと微笑んでみせた。
「ああ、ごめんよ。本当は電話の一本も入れてからにしようと思ったのだけれどね。訪ねてしまった方が早いかと思ってさ」
「よく俺の家が分かったな」
「そりゃあキミ、氷川貿易といえば有名だもの。父に聞いたら、ここのご自宅をすぐに教えてくれたよ。しかも聞くところによるとキミは今、自宅謹慎中だっていうじゃない? それなら訪ねてしまえばすぐに会えると思ったまでさ」
「――は、さすが財閥のお坊ちゃまってか? 停学を食らったことまで知ってやがるわけか」
「うん、まあね。何せ、我が白帝学園とキミの桃陵学園は目と鼻の先だしね。噂が風に乗って流れてくるのも早いというものだよ」
 停学という事実にも全く動じずに、ともすれば大したことのないような調子で話す帝斗に、氷川は呆れたように肩を竦めてみせた。
「しっかし――、キミも大層物好きだねぇ。今回停学になった理由っていうのも聞いたよ。またあの四天学園にちょっかいを掛けたそうじゃない?」
「――ンなことまで知ってやがるのかよ……」
「そういえば新学期の番長対決だっけ? あの時キミとやり合っていた、四天の……何ていったっけ、すごく綺麗な顔をした彼……」
「――ああ、一之宮な」
「そうそう、一之宮君だったっけ。キミ、彼にも随分と破廉恥な要望を突き付けていたものねぇ」
「破廉恥って……お前なぁ」
 どうにも調子が狂ってしまう。この帝斗の言うこと成すこと、ともすれば勘に障っても良さそうな内容だが、どうしてかあまり頭にこないから不思議である。当人に悪気がないせいなのか、それとも持って生まれた天性のものか――とにかく氷川は普段自分の周囲にはいないタイプの彼に、ヘンな感心ともつかない居心地の良さを感じてしまうのが不思議な心持ちでいた。
 と、そこへ執事がお茶を持ってやって来た。
「どうぞ」と言って帝斗の側から品のいいティーカップに入った紅茶と菓子を並べていく。
「ああ、すみません。とてもいい香りのお紅茶ですね」
「ありがとうございます。こちらは当家の主が気に入りの茶葉でして。坊ちゃまのお口に合えばよろしいのですが」
「ええ、とても美味しそうだ。お心遣い感謝致します」
「とんでもありません。ではごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
 普段から社交界などで大人慣れしているのか、執事のような年配者に対しても臆するところがまるでない。かといって威張るとか高飛車ということでは決してなく、終始笑顔を絶やさず物腰はやわらかで、そつがない。そんな帝斗の様子に氷川は若干唖然としながらも、やはり悪い気はしないから不思議だった。
「――で、俺に何の用だよ。てかよ、お前、授業はどうしたんだ? まさかサボって来たってか?」
「ああ、まあそんなところさ」
 美味そうに紅茶を口に含みながら笑顔を見せる。まるで悪気のなくサボったと平気で言うこの男に、氷川はほとほと押され気味だ。
「ふぅん、お前みてえなお坊ちゃまでもサボることもあるんだ」
 嫌味まじりで言うも、
「そんなに不思議かい? まあたまにはいいじゃないか」
 平然と笑顔で返される。
 こう出られては、さすがの氷川も上手い切り返しが思い付かない。何とも不思議な持ち味の男は、更に悪気のなく突飛なことを訊いてよこした。
「ところでキミ、氷川君さ。ひとつ訊きたいんだけれど、キミは四天学園の一之宮君っていう彼のことが好きなのかい?」
「……ぶッ……はぁ!?」
 思わず飲みかけた紅茶を噴き出しそうな内容だ。氷川は思いきりむせさせられてしまった。
「てめ――何だ、急に」
「ああ、悪い悪い。いや、だってこの前の番長対決の時に、キミはあの一之宮君のケツを掘りたいとか何とか言っていたじゃない。つまりは彼とセックスがしたいってことだったんだろう? だから彼に特別な好意を寄せているのかと思ったまでさ」
「……セッ……って、お前なぁ」
 お坊ちゃまの怖い物知らずもここまでくると唖然である。悪気がないのも結構だが、それにしてもほどほどにして欲しいと思いつつ、何だかんだと氷川は素直に帝斗の問いに答えてみせた。
「別に……好きとか嫌いとか、そんなんじゃねえよ」
「じゃあ、どういうの?」
「どうって……てめえらお坊ちゃまには分からねえかも知れねえがな……沽券の問題っつーか、あの時は四天側がぜってえ呑まねえだろうってな条件突き付けて、桃陵(こっち)側に有利に運ぶようにと思ったまでだ。別に他意はねえよ」
「ふぅん、そうだったの。じゃあ、今現在、キミには特に惚れている相手とかはいないってことでいいのかい? それとも他に付き合っている人がいるとか、そういうのはあるの?」
 何でそんなことを訊かれるのか、よく意味が分からない氷川は、これみよがしに眉をひそめ気味で帝斗をジロリと見やる。
「そんなおっかない顔して睨まないでおくれよ。実はね、キミに少々頼みたいことがあって出向いて来たのさ」
「頼み――だと?」
「ああ。例の番長対決の時に僕が友人を連れて行ったのを覚えてるかい?」
 その言葉に、氷川のティーカップを持つ手がピクリと震えた。
「……てめえの友人って……楼蘭のあのボンボンのことかよ」
「そう。雪吹冰っていうんだけど、やっぱり覚えていてくれたか!」
 帝斗は嬉しそうである。
「覚えていてくれたって……まあな。あの野郎、楼蘭みてえなお坊ちゃん校にいるってわりには根性のありそうなヤツだったしな」
「キミも何だかんだと彼には結構興味を示していたものねぇ」
――まったく、痛いところをズケズケと突いてくる男である。
 氷川は苦虫を潰したような表情ながらも、ふん――と、スネたようにソッポを向いただけで、特には否定らしきもしなかった。そんな様子に、これ以上からかうのも気の毒と思ったわけか、ようやくと帝斗は本題を話し始めた。
「実はね、彼がどうしてもキミに頼みたいことがあるって言い出してね。どうやってキミにコンタクトを取っていいか分からないからって、僕に相談を持ち掛けられたというわけさ」
「頼みてえこと――?」
「うん。新学期の例の対決の時にキミと会ってから、一度ゆっくりと話をしてみたいと思っていたそうなんだ」
 氷川は驚いた。確かにあの時は見掛けない顔の彼に興味を惹かれ、その後もどうしてか気に掛かってならなかったのは本当だったからだ。
 遠目から一目見ただけで何となく気もそぞろとなり、傍に寄ってよくよく見れば、随分と整った顔立ちの綺麗な男だと思ったのを覚えている。
 その後は、四天の一之宮紫月へのお礼参りのことで頭がいっぱいになって、忙しなかったので忘れていたが、そんな中でもいつも頭の隅の方に彼のことが引っ掛かっていたのもまた事実であった。
 そんな彼が自分に頼み事があるという。それを聞いただけで、何故だかソワソワと心が逸るようだ。身体中がムズムズとするような、或いはワクワクとするような奇妙な感覚に襲われて、ガラじゃないがドキドキと脈打つ心拍数も早くなっていく。
 一体どんな相談があるというのだろうか――しばしイキがることも格好付けることも忘れて、その先の話を聞きたくて堪らない。氷川は酷く興味をそそられてならなかった。
 そんな様子を横目に、帝斗の方は満足そうに瞳を緩めていた。
「うーん、これはなかなか……いい兆候じゃないか」
 何とも意味ありげに独りごちて上機嫌だ。出された紅茶を飲み終えると、すっくと立ち上がって爽やかに微笑んでみせた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「行くって……何処へだよ」
「僕の家が経営しているホテルがベイサイドにあってね、そこに冰を待たせてあるんだ。キミは本来、自宅謹慎中だから外出はダメなんだろうけど、僕の家の車で送り迎えするし、少しくらいなら平気だろう?」
「ホテルね……」
 大財閥のお坊ちゃまの考えそうなことだ。
 粟津財閥といえば、国内だけでなく海外にも名を馳せるほどの家柄である。ベイサイドにあるホテルというのも、おそらくは誰でも知っている、”超”が付く程有名な高級ホテルなのだろうということは、聞かずとも想像が付いた。
 どうせ家に居ても暇を持て余しているだけである。しかも興味をそそられる話をぶら下げられたこの状況で、ノーという理由はないだろう。氷川は素直に頷いてみせた。



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