番格恋事情

25 不可思議な誘い2



 ホテルに着くと、帝斗はフロントも介さずに最上階へと向かった。
「ペントハウスは事務所を兼ねた我が家の専用フロアになっていてね。その一画に僕の個室もあるんだ」
「……専用の個室――ね」
 氷川の家とて国内外に支社を持つ名のある貿易会社を経営している家柄だから、お坊ちゃんの感覚というのも分からないではない。が、それにしてもいささか桁違いである。
 ここまで乗ってきた車も磨き抜かれた黒塗りの高級車だったし、運転手もまるで古き佳き映画の中に出てくるようなクラシックな出で立ちと、洗練された仕草が現実離れしていた――という印象である。氷川は前を行く帝斗に付いて歩きながらも、半ば唖然としたような心持ちでいた。
 そんな気分が吹っ飛んだのは、部屋に着いてすぐのことだった。
 自分たちを出迎えた男――この帝斗の友人だという雪吹冰を一目見た瞬間、言いようのない高鳴りが鼓動を速くする。
「帝斗――早かったな」
 扉を開けながらそう言って、帝斗の後方にいたこちらの姿に気付いた彼が、ペコリと軽く会釈をしてよこす。

 一度聞いたら忘れられないような美声に、ドクンと胸が大きな鼓動で揺れる。
 急激に高鳴り出しそうな心拍数、釘付けにさせられたまま外せない視線。

 新学期の番格対決の時に興味をそそられた男は、初対面の時の印象をそのままに、再び氷川の心を一瞬で鷲掴みにした。

「それじゃ、僕はこのまま退散するとしよう。後はゆっくり二人だけで話すといいよ」
 一旦は部屋に入ったものの、ザッと室内を一瞥だけしてそんなことを口走った帝斗に、氷川は少々慌てたように瞳を見開いた。
「退散って……てめ、もう帰るってわけか?」
「済まないね。今日は午後から全校集会があってね。僕は一応会長の任を負っているから外せないんだよ。ああ、この冰の学園は今日は創立記念日で休校だから安心してくれていいよ。それに明日は土曜日だし、冰は三連休だそうだから気兼ねなくお相手になってやっておくれ」
「……気兼ねなくって、お前なぁ」
「ああ、それから――僕が学園に戻ったら、ここまで乗ってきた車を待機させておくから。氷川君、お帰りになる時はそれを使っておくれ。運転手には伝えておくからさ」
 ヒラヒラと手を振りながら笑顔でそう言う帝斗に、雪吹冰が「悪いな」と声を掛ける。
「帝斗、いろいろ済まなかったな。後で電話するから――」
「ああ、待っているよ。それじゃ氷川君、冰のことをよろしく頼んだよ」
 にこやかにそう言うと、粟津帝斗はさっさと部屋を後にして行った。



◇    ◇    ◇



 急に二人きりにさせられて、それこそ何を話していいか分からない。妙にソワソワとしてしまい、落ち着かない。普段は威風堂々とし過ぎているくらいの氷川が、珍しくも肩身の狭そうに視線を泳がせていた。

(くそ――! 粟津の野郎ったら、とっとと引き上げちまいやがって……。どうせなら最後までしっかり世話焼いていけってんだよ。見たところ、この冰って野郎は粟津のヤツと違って雄弁てわけでもなさそうだし、どっちかっつったら人見知りっぽい雰囲気丸出しじゃねえかよ……。いきなり二人っきりで何を話しゃいいってんだ!)

 そんな氷川の戸惑いを裏切るかのように、
「突然呼び立てるようなことをして済まない。今、飲み物を持ってくるから、適当に掛けててくれ」
 雪吹冰の方から話し掛けて来られて、少々驚くと共にホッと肩の力が抜ける。――が、この直後に予想だにしないとんでもないことを聞かされるハメになるなどとは、この時の氷川には知る由もなかった。

「冷たいものでいいか? アイスコーヒーとアイスティくらいだけど」
 冷蔵庫を開けながら、冰がそう訊く。
「あ、ああ……別に何でもいい。お前と一緒のでいいぜ」
「そう。じゃあアイスティでいい?」
「ああ――」
 冰はクォーターサイズのドリンクを二本抱えながら、氷川の座ったソファの対面へと腰を下ろした。
「帝斗から聞いたかも知れないが……アンタにちょっと頼みたいことがあってさ……。特に親しいってわけでもねえのに……呼び出したりして済まないな」
 申し訳なさそうに小首を傾げながらそんなことを言う。
 この冰という男と会うのも新学期の番格対決の時以来だが、こうして間近で見ると、よくよく綺麗な顔立ちをした男だ。初対面の時も同じような印象を抱いたものだが、一対一で面と向かうと尚更そんな思いに拍車が掛かるようだった。
 四天学園の一之宮紫月とどことなく顔立ちが似ているようにも思えるが、決定的に違うのは髪の色だろうか。紫月は天然の癖毛ふうのミディアムショート、しかも割合明るめの茶髪である。この男も髪型自体は紫月と似通っているが、染め粉などで弄っていないだろう艶やかな黒髪が何ともシックな印象を抱かせる。
 身長は紫月よりもほんの僅かに低かったような気もするが、それでも一八〇センチ近くはあるだろうか。スレンダーで程よく筋肉もありそうな長身といい、確かに格好いい。楼蘭学園というのも男子校だそうだが、例えば共学だったら確実にモテそうな男前といったところだ。
 それに――何と言っても特筆すべきは彼の声である。一度聞いたら忘れないような独特の美声とでもいおうか、ちょっと訓練すればすぐにも人気声優になれるだろうと思えるような特徴のある声質は、ただ聞いているだけでも心地好い。
 そんな男の対面で至近距離の二人きり――氷川は何だか酷く落ち着かずに、ともすればドキドキと心拍数が上がってしまいそうになるのを抑えるかのように、クイと眉をしかめてしまった。
 そんな様子に、冰の方は今一度申し訳なさそうに苦笑する。
「ほんと、悪いな」
「……いや、別に。どうせ停学中で暇持て余してたしよ……。構わねえって」
 照れ隠しの常套手段か、氷川はフンといった調子で視線をそらしてみせたが、その頬には薄らと紅が射している。冰はそんな様子を横目に、若干切なそうな笑みを浮かべると、気を取り直したようにペットボトルの紅茶をすすりながら言った。
「アンタに頼みたいことがあるんだ。もしも嫌だったら遠慮無く断ってくれて構わない――」
「ああ……粟津のヤツもそんなことを言ってたな。――で、何なんだ、頼みって」
 身体は未だ半分そっぽを向きながらも、視線だけをチラリとやってそう問う。
「ん――。あのさ……俺と――寝てくれないか?」

――――!?

 驚きを通り越して一瞬ポカンと口を開けたままで対面を見やる。
「寝る……だと?」
「ああ……。俺を……抱いて欲しいんだ」
 氷川はますます驚いて、苦虫を潰したように思い切り眉を吊り上げた。
「抱いて欲しいって……お前、その意味分かってて言ってんのか?」
「勿論……分かってる……。アンタさ、この前の番格勝負の時に相手側の学園のヤツに抱かせろって条件出してたじゃねえか。だから……つまりその、男相手でもそういうの平気なのかって思って……」
 それにしてもいささか突飛過ぎる話向きだ。氷川は呆れたように瞳をパチパチとさせてしまった。
「……いきなり抱けって……ワケ分かんねえよ……」
「……ごめん」
「つかよ……、ンなことあるわきゃねえと思うけど……仮にてめえが俺に惚れた――とかなら、先ずは付き合わねえかとか、他に言いようがあんだろうが……。率直……を通り越して、おちょくられてんのかと思うぜ」
 よくよく考えれば確かに突飛過ぎる話だ。外見は綺麗な男だし、一目で興味をそそられたのも本当だが、あまりにも唐突すぎて、逆にからかわれているのかと思うのが普通だろう。だが、冰は至極真面目な顔付きで、
「――時間がないんだ」
 ポツリとそう言っては、苦しげに表情を曇らせた。
「時間がねえって……どういうことだよ……。てめ、何かワケ有りなのか?」
 だったらその理由を聞かなければ承諾も拒否もしようがない――氷川の表情からそんな内心を読み取ったわけか、冰という男は更に申し訳なさそうに苦笑してみせた。
「驚かせて済まない。実は俺……、もうすぐある企業の社長の愛人になるんだ……」
「……愛……人だと?」
「ああ……。俺の親父がやってる企業が倒産寸前に追い込まれてな……その関係で……」
「倒産?」
 確かこの冰の家というのも、粟津帝斗のところと同じで財閥である。番格対決の際に出会って以来、冰に興味を持った氷川は、帰ってから少し彼について調べたので知っていたのだ。
 雪吹財閥は、帝斗のところの粟津財閥よりは規模は小さいものの、ちょっと検索しただけですぐに情報が分かるくらいの家柄だった。実際、氷川の父親も彼の父親のことは知っていたくらいだ。父親が支社から戻った際に直接尋ねたから確かである。
「お前の家も粟津ん家と一緒で財閥だろうが。それがいきなり倒産って、何か事情があるってわけか?」氷川は真面目な調子でそう訊いた。
「……実は去年の暮れに親父が倒れて……今まだ入院中なんだ」
「……そんなに悪いのか?」
「ああ……。過労からくる原因不明の病だとかで……一時は集中治療室を出られなかったくらい……。今は快復に向かってはいるが、まだ安静にしてなきゃならなくてな。仕事に復帰できる見通しは立ってないんだ」
 額を両の掌で押さえるようにしてうつむく姿が酷く切なげで、氷川もつられるように眉をひそめた。
「つまり、親父さんが倒れたから経営が傾いちまったってことかよ?」
「ああ……。親父が倒れた直後、一時的に代理になったのが親父の従兄弟っていう人だったんだが……。俺の親父は兄弟がいねえし、お袋は会社のことは何も分からねえ。かといって、まだ学生の身分の俺が継ぐわけにもいかねえし……」
「何も親族が代理をしなくても、親父さんのブレーンだっているだろうが」
「ああ、そうなんだけど。親父の従兄弟ってのが、代理は雪吹の血筋を引く自分がやるってきかなくてよ……株主たちを言葉巧みに丸め込みやがった。そういうところは長けてる人なんだ」
「つまりは体のいい乗っ取りじゃねえか……」
 胸糞の悪いことだと顔を歪めたくなるような話だ。他人事ながら、氷川は酷く不機嫌になってしまいそうだった。そんな気持ちのままに、
「で、結局その従兄弟って野郎に変わった途端、経営が傾き出したってわけかよ?」
 もう少し詳しく知りたくなってそう訊いた。
「ああ。その従兄弟――俺はその人のことを叔父さんって呼んでるんだが……その叔父にもブレーンっつうか、取り巻きがいてな。その取り巻き共の口車に乗せられて……挙げ句は騙されて株をごっそりやられちまったらしい。俺も詳しいことは分かんねえけど、親父のブレーンだった人がチラっとそんなことを言ってたんだ」
 このままでは倒産は目に見えていると困り果てていた時だった。そんな叔父の窮地に手を差し伸べると名乗り出た人物があったそうだ。冰の父親とはこれまでに面識がなかったらしいが、叔父の個人的な知り合いだということで、企業の規模としてはそこそこらしい。資金を援助してくれる代わりに、冰を愛人として差し出せという交換条件を突き付けてきたということだった。
「その企業の社長ってのは男色らしくてな。新年の賀詞交換会で俺を見掛けたとかで……俺を所望すると言ってきたそうだ」
「お前、賀詞交換会なんかに出てんのかよ……」
 氷川は片眉を吊り上げながら驚いてそう訊いた。
「ああ、毎年出てるってわけじゃねんだけど……今年は親父も入院中で顔を出せないし、せめても『雪吹』の正当な跡継ぎってことを知らしめたいからって、親父のブレーンたちに頼まれて顔を出した。それに……帝斗は毎年出てるっていうから、ヤツと一緒ならと思ってな」
 なるほど、そこで目を付けられたというわけか。氷川はますます胸糞が悪いといったふうに、大きな溜め息を漏らさずにいられなかった。
 まあ、如何に気に入ったとしても、まだ高校生である冰を愛人にしたいなどと聞いて呆れる話だが、それを承諾した叔父というのも常識知らずというものだ。逆にいうならば、そんな連中だからこそツルんでいるというところなのだろう。
 それにしても、未成年を借金の形に取るなど、ちょっと考えれば犯罪に直結するということすら分からない馬鹿な連中なわけだ。そんな輩の言いなりになる必要はない――氷川はすっかり腹を立てていた。
「そんな奴らの言うことをマトモに受けるこたぁねえだろうが! 企業を立て直すなら、親父さんのブレーンや株主たちともよく話し合って、他に方法いくらでもあるじゃねえかよ」
 まるで我が事のように腹立たしさを隠すこともせず、怒りをあらわにする氷川に、冰はクイと瞳を細めた。
「アンタって……やっぱり……」
「ああ?」
 思わず声を荒げてしまう。
「ん――、羨ましいよ、そういうとこ。あの日、番格対決ってのを見学に行った時にも思ったけど……向こうっ気が強くて、何にでも立ち向かっていく勇気があって……。不良だなんだって言われてようが、喧嘩することにもまるで臆することもなく……俺にもそんな勇気があったらって、何度思ったか知れねえ」
「……お前」
「だからアンタに頼みたい、そう思ったんだ……。どこの誰とも知らねえ、汚えクソ親父に好きにされる前に……せめて初めての相手くらい……てめえでいいなって思ったヤツと……できたらいいって」
 肩を震わせ、ともすれば涙が浮かんでいるんじゃないかと思えるような、くぐもった声でそんなことを告げてくる冰を目の前にして、氷川は驚くと共に胸を締め付けられる思いに陥ってしまった。
 つまりは愛人にされて穢される前に、ほんの少しでいいから胸の温まるような思い出を作りたい――そういうことなのだろうか。しかも今の冰の話では、それが彼の初体験になるということだ。
 氷川は冰の切ない思いに同情すると共に、彼の初めての相手に自分が選ばれたということに何とも言いようのない複雑な心境を隠せなかった。




Guys 9love

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