番格恋事情

33 募る想いと後悔の狭間で4



 帝斗の話によれば、冰の一家は氷川らが住む隣の市に住んでいて、父親が経営する会社は都内の一等地にあるとのことだった。学園は、氷川も知っての通り楼蘭学園で、帝斗らの白帝学園と同様に良家の子息が通うとして有名な男子校である。
 家族構成は現在入院中の父親と、そして母親。冰に兄弟はなく、独りっ子らしい。
「冰のお爺様とお婆様は、冰の家から歩いて五分くらいのところに住んでいらしてね。だから同居の家族構成はご両親と冰の三人ということになる。ただ、家令の方を含めてお邸にはご家族の他にも四、五人住み込みの方がいらっしゃったはずだよ」
 ということは、氷川の家とおおよそ似たような環境である。
「そうか。じゃあ、学園の方へはどうなんだ? 送り迎えの車とかで行っているわけか?」
「いや。冰は確か歩きで通っていたはずだよ。運転手さんはお父上専用だし、彼の家の近所は山坂が多いところでね。自転車を使うより歩きの方が楽なんだとかって」
 それを聞いて氷川は若干眉をひそめた。
「じゃあ、通学時には一人ってわけか――。親父さんは入院してるわけだし……お袋さんの方はどうだ? 冰の言うには会社関係のことにはあまり携わってねえとかって話だったが」
「ああ、お袋さんは普段は家にいることが多いようだよ。ただ、今は入院中の親父さんに付き添って都内の病院に泊まり込みらしいからね、ご自宅に戻られるのは週末に着替えを取りに来る時くらいだそうだ」
 ということは、冰は家に一人ということか。無論、使用人はいるわけだから、まるっきりの一人というわけではないにせよ、氷川からすればいささか不安に思える環境だ。
「じゃあ、叔父ってのはどんな感じの人なんだ? できれば性質とか、冰には昔から馴染みがあったのかとかも知っときてえんだ」
「僕も冰の叔父様に会うのは年始の賀詞交換会で見掛ける程度だからね。親しく話したことはないんだけど、ちょっと取っつきにくい感じの方ではあるかなっていう印象だね。人見知りっていうのかな。パーティーでもご自身のブレーンを常に二人くらい連れていらっしゃるんだけど、周囲の人たちとは積極的に話されるタイプではない感じだね」
つまりは単独で社交の場に出る勇気は無いような人物とも受け取れる。帝斗の表情からは、言わずともそんな様が想像できるようだった。
「人見知りね。そんなんでよく川西って奴とツルめたもんだな?」
「川西の社長は叔父様とは正反対で、表面上の愛想だけはとびきり良い人だからね。特に目をつけた相手に取り入るのはお手のモンってところじゃないか? 口八丁で持ち上げるのが上手なのさ」
 ということは、川西の意向如何で冰の叔父はどうにでも従ってしまうような感じなのだろうか。氷川は一等気に掛かっていることを打ち明けた。
「粟津財閥が冰の家を吸収するのは時間の問題として、そうなると冰の叔父貴はすぐにも川西に冰を引き渡したいところなんだろうが、冰がそれを断ることはできそうなのか?」
 つまり、冰が叔父の意に逆らった場合、叔父がどういった行動に出るかを知っておきたいわけだ。川西はヤクザとの繋がりもあるらしいし、力尽くでさらわれたりする可能性があるのか――、叔父というのはそこまでするような人物なのかを知っておきたい。
 帝斗にも氷川の意が伝わったようで、少々生真面目な調子で答えが返ってきた。
「断るのは難しいだろうね。例え冰がもう愛人になる必要はないのだからと言ったところで、ガキのくせに生意気言うんじゃない――くらいのことは言われるだろう」
 やはりか――。では冰を両親が不在の家に置いておくのは、好ましくないということだ。
「なあ粟津――。もしも俺が川西と冰の叔父貴の立場だったらよ、登下校時を狙って拉致する――くらいのことは考えると思うぜ」
「氷川君……? それはどういう……」
「俺は……自分が散々汚ねえ手を使ってきただけに、奴らが考えそうなことが分かるんだ。俺が川西なら、冰が欲しけりゃ力尽くでさらいに行くことを考える。十中八九間違えねえ」
 氷川の視線が今までとは打って変わったように、みるみると鋭さを増してゆく。まるで瞳の中にユラユラと業火の焔が点っていくかのようだ。帝斗は少々驚きつつも、
「……じゃ、じゃあ、当分の間はうちの佐竹さんに言って、学園への送り迎えをしてもらった方が安全かな? うちには運転手さんは佐竹さんの他にも数人いるし、冰も佐竹さんなら何度も会っているし、気兼ねないだろうしね」
「ああ、できるならそうしてもらえれば有り難い。だが、それだけじゃまだ足りねえ。あいつが拉致されるのは登下校時だけとは限らねえんだ――」
 氷川は一旦そこで言葉を止めると、意を決したようにして帝斗を直視した。
「粟津――」
「ん、何だい?」
「もし良ければ、冰を――あいつを、俺の家で預りてえと思うんだが」

――――!

 氷川の言葉に、帝斗と――そして帝斗の隣に腰掛けていた綾乃木も驚いたようにして瞳を見開いた。
「幸い、俺の家には客間も空き部屋もある。親父もお袋も殆ど香港支社に行ってて不在だし、冰のヤツもそんなに気を遣わなくて済むだろうしな。ここからだと楼蘭学園に通うには遠くなるが、登下校を佐竹さんの世話になれるんだったら安心だ」
「氷川君、キミ……。それは勿論、すごく有り難いことだけど……本当にいいのかい?」
「俺はあいつを一人にしておきたくない。一人にすれば必ず隙を突かれる。悪人のやり口が手に取るように想像できちまうのが情けねえけどな……」
 氷川に先程までの迷いの感情は感じられない。

 冰を愛することはできないけれど、命に代えても守り抜くと約束するぜ――

 そう言った自らの言葉を体現するかのような鋭くも意思の強い視線がギラギラと戦いの炎を讃えている。
 その様はまるで野生の中で生死を賭ける孤高の獣のようであった。

「そう、では早速冰に伝えよう。氷川君、本当にありがとう」
「いや……それより肝心なことを忘れてたが……。冰がうちに来てくれるかどうかってのは……」
 氷川はまたしてもやってしまったというように、苦虫を噛み締める勢いでに急遽表情をしかめてしまった。
 そういえば、つい昨日もそうだった。冰に事情を聞かされて、『俺たちが付き合っちまえば、お前は正真正銘俺のモンってことになる。恋人になろうぜ――』などと、勢いに任せて口走ってしまったことを思い出したのだ。
 つくづく自らの学習能力の無さに落ち込みそうになったが、とにかく今は冰を守ることが何より先決である。要は自分の想いを伝える資格がないというだけであって、それと冰を守ることは切り離して考えるべきだ――氷川はそう自分に言い聞かせては、より一層意思を固くしたのだった。

 冰の母親へは帝斗が事情を伝えてくれるという。
「やはり、冰本人にはキミから言った方がいいだろう。ねえ氷川君? 早速電話してあげておくれよ」
 帝斗の表情には、来た時と同じような朗らか且つ少々悪戯っぽい笑みが戻ってきている。
「電話っつってもよ……俺、あいつの番号知らねんだ」
「おや! それは不便この上ないねえ。じゃあほら、これが冰の番号――」
 帝斗は自らのモバイル画面を氷川へと差し出しながら、
「それよりも今から冰に会いに行ってしまった方が話が早いんじゃないかい?」そう言って笑った。
 だが、冰はつい先程ここから帰って行ったばかりだ。それを帝斗に伝えると、呆れたようにして、またもや悪戯そうな顔で笑ってみせた。
「冰は一体何をしに来たんだい?」
「や、何って……まあ特には……なぁ」
「ふうん? 案外キミの顔が見たかっただけなのかも知れないね」
 クスクスと人の悪い笑みを浮かべつつ、上目遣いだ。氷川は、それこそ苦虫を潰したような何とも言い難い表情で片眉を吊り上げさせられてしまった。
「まあ、いいさ。僕と天音さんも一緒に行くから、氷川君から直接彼に伝えてやっておくれよね」
 恐らく冰は、この話を断ることはないだろう。そう確信のある帝斗は、善は急げとばかりに早速引っ越しの算段を巡らせていたりもするのだった。

 そうして冰のいるベイサイドのホテルへと向かった三人は、彼に事情を話した。すると、冰は驚きつつも、氷川の家で暮らすことに前向きな意を示した。
 もうこの際だからと、帝斗も腹を割って粟津家の意向を伝え、傘下の件も含めて思っていることを洗いざらい冰に打ち明けることにする。気付けば既に日付を跨ぐまでの長時間の話し合いとなったが、それぞれの意見を吟味しながら充分に話し合うことができた。
 冰は、親友である帝斗に迷惑を掛けて申し訳ないとしつつも、とにかくは粟津家の厚意に甘えることで大筋一致したのだった。

「じゃあ、明日は冰と僕とで冰のお袋さんに伝えに行こう。今週末までには氷川君のお宅へ引っ越しができるように、冰も荷物をまとめておいておくれよね」
 冰の母親へは帝斗が責任を持って納得してもらえるように説明するというので、氷川の方も冰を迎え入れる準備を進めることにする。
「俺も一応、香港にいる親父とお袋に伝えておく。冰の住む部屋の準備もしておくから」
「白夜……それから帝斗も綾乃木さんも……皆、本当にありがとう」
 冰が瞳を潤ませながら皆に向かって頭を下げる。
 こうして、氷川と冰の一つ屋根の下での同居生活が始まることになったのだった。



◇    ◇    ◇



 その帰り道のことだった。氷川を自宅へと送り届けた後、帝斗は綾乃木の運転する車の助手席で揺られながら、不思議顔でいた。
「ねえ、天音さんはどう思う? あの二人、すごくいい雰囲気だと思うんだけどさ」
「氷川君と冰君のことか?」
「うん。まあ、とにかくは万事オーライってところだけどさ。それにしても、何で氷川君は冰を愛することはできないなんて言ったんだろ? 資格がないってどういうことだと思う?」
「氷川君には何か他人に言いたくない理由があるんだろ」
「言いたくない理由って何さ?」
「さあな――そこまでは俺には分からんな」
 氷川らの前では丁寧語だった綾乃木だが、帝斗と二人きりになれば話し方がガラリと変わる。この二人にとっては、これが通常なのである。
 帝斗はリラックスしながらも、その理由とやらが気になって仕方ないといったふうに綾乃木に食いついていた。少々唇を尖らせながら、上目遣いで運転席の彼を見つめる。その様はまるで甘えん坊の子供のように無邪気でもある。
 こうして二人きりになれば、帝斗も外で見せるしっかり者という雰囲気がすっかり薄らぐわけなのだ。互いに互いの前でだけさらけ出せる『素』なのだろう、綾乃木と帝斗の絆の深さが感じられる一幕だった。
「でもやっぱり気になるなぁ。冰の方は氷川君にゾッコンだよね。さっきだって、氷川君の家で暮らさないかって言われた途端に顔を真っ赤にしちゃってさ。恥ずかしがりながらも嬉しくて仕方ないってのが顔に出てたよ」
「冰君は純朴なんだな」
「そう! 冰ってあんなにイケメン顔なのに、今まで恋人ができたこともないんだよ。誰かを好きになった――なんて話も聞いたことないしさ。すごい淡泊なのかと思いきや、番長対決に連れてって以来、氷川君の話しかしないんだもの」
「なら、一目惚れってやつだったのかもな」
「だよねー。氷川君の方だって、あれは絶対冰のことが好きだよ。あんなに心配しちゃってさ、自分の家に住まわせてまで冰を守りたいって言い出すんだもの。愛以外の何ものでもないじゃない」
 それ程想い合っているのなら、とっとと付き合ってしまえばいいものを――と、他人事ながら帝斗は焦れったくて堪らないといったふうに溜め息顔だ。綾乃木はそんな様子を横目にしながら、やれやれといったふうに笑みを浮かべてみせた。
「そんなことより明日は冰君のお袋さんに会いに行くんだろ? 引っ越しの算段もしなきゃならねえし」
「うん、そうなんだけどさ」
「お前がそうやって気を揉んだところで、他人様の色恋だ。なるようにしかならんさ」
「ふん……だ。天音さんはオトナだよねー」
「まあ、一緒に暮らす内に二人の気持ちも落ち着くところに落ち着くんじゃねえか? 心配には及ばんさ」
「ま、そっか。じゃあ、とりあえずは目先の準備を万端にしなきゃだよね。天音さんにもいろいろご足労掛けちゃうと思うけど、よろしく頼むね」
 冰の母親の承諾が得られれば、なるべく早めに氷川邸への引っ越しを済ませたいところだ。川西という男が海外出張から帰って来るまであと半月足らず――それまでには色々と万全にしておきたい。冰と氷川は勿論のこと、帝斗や粟津家にとっても何かと慌ただしい期間となるだろう。
「冰には幸せになってもらいたいものね。僕も頑張らなきゃ!」
 飛んでいく窓の景色を見つめながら、助手席で帝斗が意気込んでいる。そんな様子を横目に、綾乃木は瞳を細めていた。
 親友である冰のことを我が事のようにして親身になっている若き恋人の姿を微笑ましげに見つめながらも、彼の為にも精一杯のサポートに務めようと心に誓った綾乃木だった。



◇    ◇    ◇



 一方、氷川の方も、家に戻るとすぐに執事の真田にこれからのことを伝えた。もうすっかりと夜半を過ぎていたが、真田は未だにきちんとスーツを着こなしたままの姿で氷川の帰りを待っていてくれたのだ。
 氷川邸は二階建てだが、大きな屋敷だ。部屋数も一見にして何部屋と数えられないくらいの規模である。氷川の自室は二階の中央付近にあるが、その右側は留守がちな両親の書斎と寝室、娯楽室や図書室などとなっている。そして左側には氷川が将来使うことになるであろう書斎と、これまた将来迎えるであろう嫁用として作られた部屋があり、そのまた隣から続けて三部屋ほどが客室というような配置になっていた。各部屋にバスルームと洗面所が設えてあり、まるで高級ホテルのような造りである。
 そして一階には応接室の他にダイニングと調理場があり、真田の執務室とプライベートな自室もある。真田以外の使用人らは、裏庭に建てられた別棟に住み込みで生活しているといったふうであった。
「冰の部屋は俺の書斎の隣でいいだろう」
「書斎のお隣といいますと……将来の奥方様のお部屋でございますか?」
「……ッ、 奥方なんて迎えねえからいいんだよ」
「坊ちゃま! そのようなことをおっしゃられてはなりませんぞ! いずれは坊ちゃまが氷川貿易を継がれるわけですから、それはそれは素敵な奥方様をお迎えになりませんと!」
 胸前で両の掌を擦り合わせ、首を斜めに傾げながらそんなことを言う。まるで一昔前の少女漫画に出てくる執事さながら、瞳の中にはキラキラと輝くエフェクトのようなものが浮かんでいそうなくらいの表情で見つめられて、氷川は呆れ顔だ。
「お前なぁ……何、時代遅れなこと抜かしてんだって……。と、とにかく俺の大事なダチだ。なるべく住み心地のいい部屋を用意してやりてえんだよ」
「はぁ、それは勿論承知致しておりますが……やはり私と致しましては、坊ちゃまのご結婚式の晴れ姿を拝見するのが楽しみなんでございますよ」
「ああ、分かった分かった。そういう縁があった時はお前に一番に見せるからよ!」
「左様でございますか!」
「ああ、左様だ。約束する」
「ありがとうございます! では未来の奥方様のお部屋にお住まいいただけるよう、リネンなど手落ちのないように整えておきましょうな」
 珍しくも鼻歌まじりで、真田もどことなく楽しげな様子である。普段は若き主人の氷川が一人だけという物静かな生活が一気に活気付くようで、張り切っている感があるのだろう。そんな彼を頼もしげに見つめながら、氷川もまた近々始まる冰との生活を思えば、無意識に心躍らせるのだった。
 例え自身の想いは伝えられずと分かってはいても、とにかくはあの冰と共に一つ屋根の下で暮らせるわけだ。川西らのことを思えば緊張も無論のことだが、目先の同居生活が嬉しくないわけがなかった。
 今後待ち受けている様々な怒涛の日々を知らぬまま――氷川はひと時、胸の中で点り始めた小さな幸せの炎を、大事に両の掌で温めるような心持ちでいたのだった。



Guys 9love

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