番格恋事情
「呆れるだろ? 俺はお前にゃふさわしくねえ。好き勝手に暴れることしか脳がねえ。下もだらしねえ最低野郎だ……! それでも――こんな俺にでも何か役に立てることがあるんなら――悪いことばっかりしてきたからこそ、お前を狙ってる奴らに対して少しでも盾になれるかも知れねえ。そうやって自分を正当化したつもりでいたけど……よくよく考えりゃ、これだって言い訳なんだよな……」
そう告げる氷川の声音が苦しげだった。今にも泣き出しそうなくらい、か細く切ない声音が耳に痛い。まるで悔恨と痛恨の入り混じったような告白だった。
「お前を守りてえから――そうやって理由をつけてお前をここへ呼んだ。確かにそれもまるっきりの嘘ってわけじゃねえよ。叔父貴たちにお前をさらわれたりしたら堪んねえ、それは本当だ。けど、こんな状況下だってのに、心のどっかでお前と暮らせることを喜んでる自分がいる――。今だってお前の気持ちを聞いて……めちゃめちゃ舞い上がってる自分がいる。資格がねえだの抜かしながら、俺は……俺はさ……」
氷川もまた、自らの心の内をすべてさらけ出すかのように、冰を抱き締めたままで取り留めのない告白を続けた。
「怖えんだよ……俺もすっげ苦しいんだよ……! 今だって……ちょっとでも気を許せば、何しちまうか分かんねえ……。どうせクズなんだから……いっそ、とことんクズに成り下がって――力づくで踏みにじってでもお前を自分のモンにしちまえばいいって、そんな気持ちを抑えるのに必死なんだ……」
「白……っ……」
「……ッ、他のことでも考えてなきゃ……わざと平気なふりでもしてなきゃ……お前をめちゃくちゃにしちまいそうで――怖えんだよ」
まるで魂の叫びのような訴えに、冰はもう涙をとめることができなかった。
「いいよ、俺……。アンタにだったら何されても……いい! ていうより……して欲しい……! その代わり……」
冰は氷川の腕の中でモゾモゾと忙しなく動き、互いを見つめ合うように向き直ると、熟れる程に頬を紅潮させながら、潤んだ瞳で訴えた。
その代わり――
「もう好きでもない女の子と付き合ったり……そういうの……するなよ。ずっと俺だけと……その……そういうことは……俺とだけだって……」
約束してくれ――!
しどろもどろになりながらも懸命に訴える。そんな冰の愛し過ぎる言葉に、氷川は心臓を鷲掴みにされたかのように全身を震わせた。
――まるで身震いのような震えがとまらなかった。
「……いい……のか? 俺なんかで……本当に……」
そう訊く声も震えたままだ。
「”なんか”……なんて言うな……。アンタは自分でワルだって言うけど、俺は自分の目で見て自分の心で感じたアンタを信じるよ。アンタは優しい。アンタはあったかい人だ。白夜……俺はアンタのことが……」
好きなんだ――!
そう、そうなのだ。こんなにも苦しくて、こんなにも切ない。だが求めずにはいられない。これが恋の感情なのだということを本能で感じていた。
「アンタと一緒に暮らせて嬉しい……アンタとこうして一緒にいられてすげえ嬉しい……。俺、頭ん中ぐちゃぐちゃで……すっげドキドキしてて上手く言えねえけど……本当に俺――」
その言葉を最後まで聞き終わらない内に氷川は冰を抱き締めた。堪らずに抱き締めた。
抱き締めながらその額に唇を押し当てる――
どこもかしこも愛しいという気持ちを抑え切れずに方々に口付ける。しばしの抱擁の後、どちらからともなく互いを見つめ合い――まるで引き寄せられるように唇と唇を重ね合った。
ほんの僅かに軽く触れるだけのキスだった。
「冰――あんま俺を甘やかすな……。じゃねえと俺……」
いい気になっちまう――
自分の犯した罪も反省も後悔も、そして自分に課した戒めも――すべて分かっているのに幸せを望みたくなってしまう。目の前にある愛しさに全力で向き合いたくなってしまう。
額と額をピッタリとくっつけ合ったまま、氷川は言った。
「冰――、俺、努力するよ。お前の傍にいても恥ずかしくないような……お前にふさわしい奴になれるよう努力する。これからはもうくだらねえ喧嘩はしねえようにする。一之宮にしたような……人の尊厳を踏みにじるようなこともぜってえしねえ……!」
「……白夜」
「お前だけだって……誓うよ。俺はお前が……」
好きだ――
その言葉に代えて、氷川は冰に口付けた。今度は軽く触れ合うだけの飯事のような口付けではなく――唇を押し開いて舌先で歯列を撫で、唇全体で包み込み吸い上げるような濃く深いキスだ。
冰はぎこちないながらも必死になってそれを受け止めようと頬を染める。氷川は貪る如くその初々しい動きを追い、求め、包み込み――愛しい気持ちを洗いざらいさらけ出すように激しく激しく口付けた。
夢中で求め合う互いの心臓はこれ以上ない程に早く激しく脈を打ち、抱き合った胸板と胸板を通してはちきれんばかりの互いの高揚を伝え合い――
「冰……、俺こんなん初めてだ……何か、余裕……全然ねえし……」
(すっげドキドキしてカッコ悪りィけど……。めちゃめちゃ感じてる……。背筋も、胸も……身体中がゾクゾクして……どうにかなっちまいそうだ……!)
それは氷川にとって初めて体験する感覚だった。今まで遊びで付き合った女たちとの行為でも、感じたことのなかったこの感覚――
これが心を伴わない身体だけの繋がりなどではなく、心底愛し求める相手とだけ得られる幸せの感覚なのだということを、身をもって痛感した瞬間だった。
言葉などでは到底表し切れない、身体中が燃えるような高揚感と身震いするような幸福感――これが愛するということなのだろうか。
愛しくて愛しくて、どうしようもない。今、この手の中にあるものを絶対に手放したくはない。氷川も冰も、本能の求めるまま互いを求め合った。
手順がどうとか、上手いとか下手とか、クールだとか経験豊富だとか、そんなことはどうでもいい。ただ目の前にある愛しさに触れたくて感じたくて仕方がない。組んず解れつといったように貪り合い、長い長いキスを繰り返す。互いの熱でしっとりと汗ばみ、掛け布団が湿るくらいにもつれ合う中で冰が言った。
「ねえ、白夜……俺、俺さ……」
冰は氷川の手を取ると、布団の中へと突っ込み、熱でうなされた自身の雄を押し当てた。
「すっげ……ヘンだろ……? 何か……ジクジクして……どうにかなっちまいそ……なんだ」
はにかみながらも頬を染めて、大真面目にそんなことを言い出した様子に、氷川は瞳をパチクリとさせてしまった。
「冰――お前……」
「アンタの手が……その、コレに触れてると思うと……そんだけでもっと……おかしくなりそ」
「えっと、冰よ――お前、その……なんだ。この前キスも初めてとか言ってたのは知ってっけど……その、こんくらいはヤったこと……ねえわきゃねえよな?」
「……何……を?」
「や、何ってその……マスベとか……するだろ?」
「マスベ……?」
とろけた瞳で見上げながら訊いてくる。その表情がとてつもない色香を放っていて、氷川はガラにもなく顔から火を噴きそうなくらい真っ赤に頬を染めてしまった。
「や、だから……自分でするだろ? こうやって……よ?」
冰に掴まれたままの掌で彼の熱を握り締めて、クイクイと上下に擦り上げる。すると、
「……っあ……ぁ!」
ギュっと瞳を瞑って、堪え切れないといったふうな嬌声が漏れ出した。それだけでも氷川にとっては心臓のド真ん中を何かでブチ抜かれたような衝撃だったが、
「ああ、うん……マスターベーションのことか? ん、するよ。俺だって……その、一応健全な高校男子なわけだし……。回数はそんなにしょっちゅうってわけじゃねえけど……する時はいつも……アンタのこと考えながら……するんだ」
冰の口から飛び出したとんでもない告白に、氷川は心臓が飛び出るんじゃないかというくらい驚かされてしまった。
正直なところ、この冰よりは自分の方が経験値だけでいうなら格段に上だと思っていたのだが、とんでもないことだ。かえって、何も知らない純真無垢が故の大胆過ぎる彼に目眩がしそうだった。
「お……前って……それ、わざと……なわきゃねえよな……」
冰がわざと気を引く為にこんなことを言うはずもない。彼の表情を見れば至って真面目だ。無論、恥ずかしそうにはしているものの、これが素直な彼の本心なのだ思うと、ますます堪らない気持ちにさせられてしまった。
「……ッ! 冰、お前って……ヤツは……」
悪魔だぜ――!
何も知らない純真無垢な小悪魔――
氷川は本当に目眩がしそうなくらい沸騰状態に陥ってしまった。
「……ったく! 俺、すげえ心配になってきたぜ……」
「心配……? 俺、やっぱどっかおかしい……のか?」
「や、そうじゃなくてよ……。つか、も、いい――」
氷川は既にそそり勃っている自らの雄を、冰のそれと抱き合わせるように絡め合わせると、腕の中の彼を思い切り引き寄せた。
「俺も同じ――マスベ……する時、お前のこと考えた」彼の髪に唇を押し当てながら言う。
「……白夜、なあ……触ってい? アンタの……」
冰がおずおずと布団の中で手探りをしている。
「……すっげ、でっけ……俺の倍くらいありそう……!」
「――――! や、……倍はねえだろ……。つか、お前……」
(マジで直球――!)
氷川はタジタジだ。
本来、リードするはずが、どんどん冰の意表をついたペースに巻き込まれていっている気がする。だが、それもまた新鮮で、欲情と好奇が入り混じったような、どうにも堪らない幸福感に身悶えるようだった。
そんな氷川の気持ちを更に煽るようなことを冰が呟く。
「な、白夜……。こんなでっけーの、俺ン中にちゃんと入るのかな……? 俺も何だか心配ンなってきた」
「は……!?」
(そりゃ、お前、”心配”の意味が違うってのよ――)
「俺さ、ネットで結構調べたんだ。セックスのやり方……っていうの? けど、正直よく分かんなくて……。俺の方も準備しなきゃなんねえこととか……その、色々あるんだろ?」
「…………」
冰のあまりの率直さに、氷川の方はタジタジを通り越して唖然状態だ。すぐには相槌も返せずに、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で目の前の愛しい男を見つめる。
――が、冰の方は存外大真面目なようだ。頬は染めつつも、心底真剣に言っているというのが分かる。
そんな様子を見ている内に、氷川はハタとあることに気が付いた。もしかしたら冰は、愛人にさせられるかも知れないと聞かされた時から、たった一人で手探りながらも情報を集めていたのかも知れないと思ったのだ。
男が男に抱かれるということを、彼なりに知っておきたかったのだろう。あまりにも純朴で、懸命な彼が不憫にも思えると共に、言いようのない愛しさがこみ上げる。氷川は本当にもう堪らない気持ちにさせられてしまった。
再び彼を腕の中に包み込み、持てる気持ちの全てを捧げるように愛しい男を抱き締めた。強く強く抱き締めた。
「冰、何も心配するな。セックスのやり方なんてもんは……お前はなんも考えなくていい。全部俺に任せればいい。俺はお前に辛え思いや痛え思いなんてのは……」
ぜってえさせねえから――!
そんな想いが伝わったのだろうか、氷川の腕の中で冰はコクコクと頷いた。その瞳にはうっすらと涙が滲んでもいるようで、時折部屋の灯りが反射して濡れて光る。
「冰――好きだぜ」
「……白……夜、うん。俺も……好き……」
「――放さねえ。誰にも、何処にもやらねえ……。お前に辛え思いなんて――ぜってえさせねえ……!」
どちらからともなく再び唇を重ね合い、指と指とを絡め合い、肌と肌とを触れ合わせ――
二人は、何ものにも代え難いこの愛しい絆が、今、互いの目の前にしっかりとあることを確かめ合うように固く固く抱き合って眠ったのだった。
◇ ◇ ◇