番格恋事情

38 孤高の番格5



 そして週明け――冰は粟津家の運転手である佐竹の車で楼蘭学園へと登校し、氷川もまた桃陵学園へと向かった。
 氷川にとっては少々憂鬱な日々の始まりである。停学が開けて以来、例の不良連中たちとの目立った争い事は無かったものの、学園での四面楚歌状態は相変わらずで、重苦しい雰囲気の中で孤独感が続いていたのも事実だったからだ。
 まあ、これまでにも教室内でクラスメートたちとはしゃぎ合ったりというわけではなかったものの、誰もが遠巻きに自分を見るだけで『おはよう』のひと言さえないというのは、苦しくないといえば嘘になる。それでも氷川は特に落ち込むでもなく、表面上は淡々と過ぎゆく時に身を任せるしかなかった。弁当を食べるのも独りきり、休み時間になっても誰とも話さずに一日が終わる――先週一週間はずっとそんな日々が続いていたのだ。
 週末に冰が引っ越して来て、しかも彼と想いを打ち明け合えた。個人的には幸せな状況であるものの、学園に顔を出せば、今週もまたあの重い雰囲気の中で過ごさねばならないのかと思うと、やはり覇気が出ないのは否めなかった。
 そんな中で午前中の授業が終わり、昼休みが始まりを告げる。と、その時だった。停学開け早々に絡んできた対立グループの不良連中が、氷川のクラスへと顔を出したのだ。
 四、五人でツルみ、ズケズケとした態度で室内へと入ってくる。
 氷川の席は入り口から一番遠い窓側の最後尾だから、彼らとの距離はあるものの、また何か面倒な因縁でも付けられるのかと眉根を寄せる思いでいた――その時だった。彼らが向かったのは氷川の元ではなく、廊下側の一番前の席に座っていた一人のおとなしそうな男の所だった。
 あの朝、氷川に向かって『桃陵の頭は俺が取る』と宣言した男を中心にして、おとなしそうな男子生徒を全員で取り囲むように肩を鳴らしている。どうにも不穏な様子に氷川は眉をひそめた。
「よう、後藤! 今日はてめえの番だ。早く行って弁当買って来いや!」
「飲み物も忘れるなよ!」
「買って来たら屋上に届けろよー。つか、モタモタしてねえで、さっさと行けっての!」
「勿論、銭はてめえ持ちだかんな?」
 まるで手下扱いである。後藤と呼ばれた男子生徒は、肩を丸めるように小さくなって震えている。
「あの……弁当を買って来るのはいいんだけど……俺、もう金が……そんなに無いんだ……。だから全員の分は足りるかどうか……」
 聞き取れるか取れないくらいの、か細い声で懸命に訴えている。
 周囲では助け船を出すわけでもなく、皆困ったような顔で――だが、誰一人として関わろうとはしない。
 氷川は無言のまま立ち上がると、足早な大股で、取り囲まれている後藤の席へと向かった。

「おい――てめえら、何してやがる」
 後方から声を掛けられた不良連中が、そのひと言に全員が一斉に氷川を振り返った。
「他人のクラスに来て使いっ走りみてえなマネしてんじゃねえよ。てめえのメシくらい、てめえで買いに行きゃいいだろうが」
 眉間に皺を寄せながらそう言った氷川に、不良連中は苦虫を噛み潰したかのような表情で一瞬言葉を失った。――が、すぐに意気込むと、
「なんだ、腰抜けの氷川じゃねえか! グダグダうるせえわ! すっこんでやがれ!」
「いつまで”頭”気取りしてんじゃねえっつの!」
「そうそ! 今の”頭”はこの早瀬だ。てめえに指図される謂われはねんだって!」
 新しく桃陵の頭を名乗った”早瀬”という男を中心にして、脇から彼の仲間たちが次から次へと罵倒を繰り出してくる。だが、氷川は動じることなく、かといって格別には怒るでもなく、淡々とした調子で返した。
「頭がどうのなんて関係ねえだろが。何でこいつがてめえらのメシを買いに行かされなきゃならねんだって言ってんだ」
 一団に囲まれて小さくなっていたクラスメイトの後藤を見やりながら静かに言う。
「ンなこたぁ、てめえにゃ関係ねえだろうが!」
「つかよ、ヘンな因縁付けてんじゃねえよ!」
「それとも俺らとやり合おうってんなら、いつでも受けて立つけどー?」
 どうなんだよとばかりに顎を突き出して威嚇し、皆で氷川に詰め寄る。

 一触即発、殴り合いにでも突入するかという雰囲気に教室中が静まり返る――。

 不気味な沈黙を破ったのは、輪の中央で小さくなっていた後藤だった。まるで氷川の背に庇われるようにして縮こまっていた身体を奮い立たせるように叫ぶ。
「ひ、氷川君……! い、いいんだ! 俺、買いに行ってくるから……!」
 後藤は必死といった表情でそう言い残すと、逃げるようにして教室を飛び出して行った。
「おい、後藤……!」
 氷川が咄嗟に呼び止めたが、後藤は一目散といった調子で階段を駆け下りて、走り去ってしまった。
 後に残された不良連中は、それで満足とばかりに顎をしゃくってその後ろ姿を眺めている。氷川にもまるで唾を吐きかけん勢いで舌打ちし、二言三言嫌味を残すと、早々にこの場を引き上げていった。
「……ったく、どうなっていやがるんだ」
 独りごちた氷川の後方で、相槌を返すかのように数人が呟いた。
「あいつら……今日で三度目だよな……」
「ん……。昨日は隣のクラスの矢田ってヤツが買いに行かされてたの見たし……」
「おとなしそうなヤツばっかり狙って、順繰り順繰りタカってるって感じ……」
 ぼそぼそとそんなことを口走る。ここ数日は氷川に対して声一つ掛けてこなかったクラスメイトたちが、次々と氷川の周囲へと集まって来たのだ。
「順繰りって――つか、お前らも何で黙って見てんだよ。後藤は三度目ってのは本当なのか?」
 氷川も、まるで当たり前のように相槌を返す。四面楚歌にされていたことなどまるで責めずに普通そのものだ。すると、彼らは安堵したような表情で、氷川の問い掛けに応じ始めた。
「そりゃ、俺らだって助けてやりてえとは思うけどよ……」
「あいつら、ちょっと普通じゃねえっつか……」
「後で何されっか……分かんねえし」
 誰からともなしにボソボソと口走る。まるで氷川に助けて欲しい、何とかして欲しいと訴えるような調子でいる。気付けば、ほぼクラスの全員が氷川の周囲に集まった状態になっていた。
「普通じゃねえってどういうことだ」
 氷川の問いに、停学前は比較的仲の良かった数人が次々と近況をしゃべり出した。
「……何つーか、あいつら……やることが常軌を逸してるっつか……」
「後藤と同じようにパシリにされてるヤツがさ……もう金無えから勘弁してくれって言ったらしいんだわ。そしたら……放課後に呼び出されてフクロにされ掛かったらしいんだけど……」
「そのやり方が……な。木刀かなんかで殴られたとかで……正直怖えっつか……」
 彼らの言うには、比較的おとなしそうな者や金回りが良さそうな者たちをターゲットにして、カツアゲやら憂さ晴らしやら、好き放題らしい。
 だが、氷川の知る限り、今まで桃陵内でそういったことが横行していた記憶はない。先程の不良連中は、これまでも確かにあまり感じのいいグループではなかったし、廊下などですれ違えばガンを付けられたりした者もあったようだが、実質的な被害を受けたなどとは聞いたことがない。では何故急に頭角を現わし始めたというわけなのか――氷川はその理由に首を傾げさせられる思いでいた。
「あいつらが悪さを始めたってのはいつからなんだ?」
 氷川は二週間の間、停学を食らっていたので詳しい事の成り行きが分からない。すると、皆は口を揃えてこう言った。
「お前が停学ンなって割とすぐの頃からだったよ」
「今まではお前がいたから抑えが効いてたんだと思うよ。けど……お前が来なくなった途端に、手枷足枷が外れたって調子でデケエ面し始まったんだよ」
「氷川はさ、うちの頭だって言われて恐れられてもいたけどさ……パシリにしたりカツアゲしたり、そういう汚えことはしなかったじゃん。けど、あいつらは違う……」
「情けねえけど、正直なこと言っちまうとさ……明日は我が身になるのが怖えっつか……」
 つまり、後藤のように絡まれている者を助けてやりたくても、その後の報復が怖くて見て見ぬふりをせざるを得なかったのだという。
「正直、あいつらと昇降口とかで鉢合わせんのも億劫でさ……時間ずらして帰ったり……マジで情けねえ話なんだけどよ……」
 そう訴えてくる者の中には、今までは割合中心的存在で、桃陵の中でも持ち上げられていたような連中もいる。
「そんなに酷えのかよ?」氷川は訊いた。
「ん……。ホントか嘘か知らねえけど、あいつら……族と繋がってるって噂も聞くしよ」
「族――?」
「うん。頭気取りしてる早瀬ってヤツの兄貴が入ってるとか入ってねえとか……」
 しょぼくれたようにしてうなだれるクラスメイトたちを前に、氷川は何ともいい難いような表情で溜め息の出る思いでいた。
「けど、やっぱ氷川はすげえよ……な。後藤が絡まれてんの見て、即行飛んでってくれたじゃん」
「俺らもホントは止めたかったんだぜ……? 止めてえけど……そこまで勇気がねえっつか……」
 皆一様に言葉少なでうつむき加減――、重苦しい雰囲気が教室中を包み込む。
――と、そこへ弁当を買いに行かされた後藤が戻ってきた。
「後藤!」
「大丈夫だったか!?」
「あいつらはどうしたんだ? 弁当は届けたのか?」
 皆が一斉に声を掛けたのに、当の後藤は酷く驚きつつも、気に掛けてもらえたことが嬉しかったのだろう。今にも泣きそうな顔の中にも安堵の色が見て取れる。
「皆……ありがとう……。弁当は……何とか買えたから良かったんだけど……」
「銭は足りたのかよ?」
「ん……今日はギリギリ足りた……けど、次はもう……。俺、このところ母さんの財布から金盗んでて……。けど、もうこれ以上はムリっていうか……そういうの、もうしたくなくて……」
 ブルブルと震えながら涙まじりに言う後藤に、皆も他人事とは思えない表情で苦しげだった。今は、たまたまおとなしい後藤に目を付けられているというだけで、いつ自分たちの身に降り掛かってきてもおかしくない災難なのは事実だ。
 悔しいながらも楯突く勇気もないことが歯痒くて仕方ない。誰もが唇を噛み締める思いでいるのは明らかだった。
 そんな中、後藤が蚊の泣くような声で言った。
「あの……氷川君……。さっきは……ありがとう。俺、嬉しかった……本当に……」

 その言葉にクラス中が水を打ったように静まり返る――

 悔しさとも切なさとも、言い表しようのない気持ちが波紋のように広がってゆく。
 一人、また一人と同調していくかのようだ。
 誰もが自分の勇気の無さを恥じ、ここ数日、氷川や後藤に対して自分たちが取ってきた態度を悔やむように拳を握り締め――
 誰一人、言葉にこそ出せずにいたが、皆の心に小さな灯りが点り始めたのを、一様に感じ合った瞬間だった。



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