番格恋事情

40 孤高の番格7



 夕刻少し手前――午後の逆光の眩しさの中に浮かび上がった長身の影。
 その男を見た瞬間に、誰もが驚いたように顔色を失くす――。
 そこには一学年下の春日野という男が、険しい表情で睨みを据えながら立っていた。
「て、てめえ……二年の春日野……ッ!?」
「な……何しに来やがった……」
 焦って後退る勢いの一同を横目に、春日野は床に転がされている氷川の姿を一瞥すると、有無を言わさず早瀬に向かって重いストレートの拳を放った。
「ぐわッ……!」
 仲間たちの上に将棋倒しになるようにして早瀬が吹っ飛んだ。
「な……ッ、何しやがる……!」
 誰かがそう叫んだが、春日野は氷川を庇うように彼の前へと歩み出ると、鋭い視線で一同を睨み付けた。
「まだやりますか? こっから先は俺が相手になりますけど――」
 まるで地鳴りのするような低く重い声音が、狭い部室の中に落とされる。
 と、その直後、春日野の後を追うようにして、氷川と後藤のクラスメイトたちが大人数で駆け付けて来た。
「氷川ッ……!」
「後藤! 大丈夫か!?」
 狭い部室の中が男たちで溢れかえる。皆で氷川を抱き上げながら、怒りに満ちた視線が早瀬らに向けられる。春日野に重い一撃を食らった早瀬当人は、既に何が起こったのかさえ分からないといった状態で、呆然としながら頭の中は真っ白っといったように硬直状態だ。
「い、行くぞ……」
「あ、ああ……」
 勝機はないと踏んだのか、早瀬の両腕を皆で抱え上げると、逃げるようにその場を去って行った。

「氷川ッ……! 大丈夫か!?」
「おい……起きられるか? 酷え怪我じゃねえか……」
 氷川の頬には赤黒い痣が浮かび上がり、唇の端からは血が滲んで、額も切れているのか血だらけだ。五、六人で抱えるようにして氷川を起こすも、ぐったりとして力が入らないといった状態だった。
 そんな氷川の元に、床を這いずるようにして後藤が泣きながら近寄ってきた。
「ひ……っ、氷川君……! ごめ……ッ、ごめんなさ……ごめ……ッ」
 言葉にならないのか、後藤は氷川の前で土下座をするようにして泣き崩れてしまった。
 それを見ているクラスメイトたちも苦しげだ。後藤を庇った氷川のことも、泣き崩れる後藤自身のことも、どちらの気持ちも手に取るように分かる。
 切なさと歯がゆさと悔しさと――ありとあらゆる感情に誰もが苦渋の思いでいた。
――と、氷川を抱きかかえている一人が、絞り出すような声で言った。
「……んで……? 何でお前がこんな……ッ、あんなやつら、お前がちっと本気出しゃ、屁でもねえだろうに……!」
 見たところ、早瀬らは誰も怪我一つ負っていないふうだった。ということは、氷川は反撃すらしなかったということだ。
 クラスメイトのひと言は、何故こんなになるまでやられっ放しでいたのかと、悔しげな思いを吐き出すようだった。
「……買い……かぶりだ……。俺は……ンなに強えわけ……でもねえ……」
 クラスメイトたちに支えられながら、ようやくと氷川が口を開いた。その声は途切れ途切れで、如何にも苦しげだ。
 だが、氷川の表情には僅かながらも笑みが浮かべられている。まさに苦笑というそれだった。
「そんな……ッ! おめえは強えじゃねえか!」
「そうだよ! 俺らは……いっつもおめえの背に隠れて……イキがってるだけだってのは認めるけど……おめえは違う! あんな奴らにやられるわけねえだろ……!」
 クラスメイトたちは心底悔しげに、ともすれば泣きそうになりながらも次々とそう言った。

「違うでしょ、氷川さん――」

 ふと、それまで黙ってそこに立っているだけだった春日野が口を開いた。自らのハンカチを取り出し、皆に抱きかかえられている氷川の前へとしゃがみ込み、額を覆う血痕を拭いながら真っ直ぐに氷川を見つめる。
「先輩方の言うように、あんな奴ら、あなたにかかれば容易く沈められたでしょう? けど――もしあなたがヤツらをヤっちまったら、また同じようなことが起きる。今度は他の誰かが拉致られてボコられる。あいつらはそういう奴らですよ」
 春日野の言葉に、一同は驚いたような表情で静まり返ってしまった。
「だからあなたはわざとヤツらに手を出さなかった。あなたをボコれば、あいつらも一応は気が済むだろうと踏んだ。あなたが犠牲になることで、更なる被害者を出さない為に――そうでしょう?」
 流血を拭いながら春日野はそう言った。
「……は、俺は……ンないいヤツじゃね……って。六対一じゃ……さすがに勝ち目はねえかって……思っただけ……だ」
 氷川は苦笑と共にそう言ったが、クラスメイトたちは『そんなことはない』といったふうに、皆が揃ってブンブンと首を横に振った。
 そして――ひと言、誰かが切り出した切実な思いが狭い部室にこだまする。

「取り返してくれよ……。桃陵の頭は……お前にしかできねえ……。あんなヤツらを頭だなんて認められるわけもねえ……! なあ氷川……! お前しかいねえだろ!」

 絞り出すような声でそう言った一人に続いて、他の誰もが口々に同じことを叫び出した。
「そうだよ……! 氷川は……誰かが絡まれてたりすれば、それが例え知らねえヤツでも助けに入ってくれた……」
「街でカツアゲとか、そういうの見れば……すぐに飛んでってやめさせてくれた……」
「イキがってるヤツにも……氷川は自分から手出したり、汚えことはしなかった……!」
「それによ、ちょっと情けねえヤツのことだって……バカにしたりしねえし、そいつらが絡まれてりゃ、進んで『やめろ』って仲裁に入ってくれたじゃん……!」
「頭ってのは……そういうもんだろ……。本当の頭っていえるのは……お前みてえなヤツだろうが!」
 誰もが涙まじりになりながら、氷川を囲んで口々にそう言った。
 そんな彼らの気持ちを代弁するかのように、春日野が静かに付け加えた。
「頭なんてのは、こうやって周囲が決めるもんだ。あの早瀬さんのように、てめえでこじつけるもんじゃねえよ」
 春日野は皆に支えられている氷川を真正面から抱き上げるように両腕を差し伸べると、
「立てますか? 俺ん家、わりと近くなんで車でお送りします。少しの間、歩けますか?」
 他に重傷となる箇所はないかと確かめながらそう言った。
「あ、ああ……すまねえ……な。世話を掛け……る」
 氷川は苦しげに顔を歪ませながらも、素直に春日野が差し伸べた腕に身体を預けた。
「て……めえらは、後藤を……頼む。家が近え奴は……送ってやって……くれ」
 こんな大怪我を負いながらも後藤を気に掛けた氷川に、皆は本当に涙するくらいの気持ちで頷いた。当の後藤は言うまでもない。
「氷川君……ごめ……なさい……本当にごめ……っ」
 既にヒックヒックと嗚咽しながら、皆に支えられて氷川を見送ったのだった。

 その後、氷川と後藤を送る為、一同は二手に分かれてその場を後にした。
 特に怪我を負っている氷川の方には、教師らに見つからないようにと皆で彼を隠すように取り囲みながら、裏門から出ることにする。そうして春日野の自宅まで送り届けたところで、クラスメイトたちは帰って行った。

「どうぞ――とりあえずここに掛けてください」
「……ここ……は?」
 誰もおらずひっそりと静まり返ってはいるが、医療具が並べられており、まるで保健室か医院のような造りの部屋だ。氷川は苦しげにしながらも、驚いたようにして部屋中を見渡してしまった。
「俺の両親がやってる医院です。町医者ですが――。今日はちょうど休診日で良かった。今、両親が来ますんで、怪我の処置をしましょう」
 そういえば、この春日野の家は医者だったというのを思い出した。氷川の家には父親の交友関係で掛かり付けの医者がいるので、診てもらったことはないが、春日野医院といえばこの町では有名である。
「それから――制服も着替えた方がいいっすね。血が染みているし、酷え汚れだ。俺の服で申し訳ないですが、体格は似てるんで着られると思います。ちょっと取って来ますんで、辛ければ横になっててください」
 そう言って春日野が部屋を出て行こうとした、ちょうどその時だ。入れ違いにするようにして、彼の両親がやって来た。
「おやまあ! ほんと、派手にやられたもんだわね」
 中年だが顔立ちはとびきり美人といった感じの女性がサバサバとした調子でそう言った。
「すみません、氷川さん。俺の母です。遠慮がねえ性格なもんで、口は悪いし――失礼があったら申し訳ないす」
 春日野は恐縮気味に頭を下げたが、母親の方はまるで堪えていないふうで、朗らかな笑顔を見せている。
「あなたが有名な氷川君ね? とにかく横になろうか。私は外科専門で、こちらは私の夫。内科医なのよ」
 そう紹介されたのが父親なのだろう。母親の方とはまた違って、穏やかで落ち着いた雰囲気だ。ロマンスグレーが混じってはいるが、男前の顔立ちは春日野によく似ている。
 見れば、両親共に白衣姿であることから察するに、ここへ来るまでの間に春日野が既に連絡をしてくれていたということだろうか、氷川は申し訳なさそうに頭を下げた。
「世話お掛けして……すみません」
「いいのよ。何ていったって菫の尊敬する先輩ですもんね」
「……菫……?」
「ええ、そう。春日野菫、あの子の名前よ」
 春日野は菫という名なのか。今までは一学年下の後輩というだけで、特には口をきいたこともなかったので知らなかったが、どうやら春日野の方は家でよく氷川のことを話題にしていたらしい。
「あの子ね、本当は四天学園を受けるつもりでいたのよ。桃陵は家から近過ぎるからって言ってね。それが――受験直前になって、やっぱり桃陵にするって言い出して」
 手際のよく処置を施しながら母親が言う。
「理由を訊いたら、何でも桃陵に尊敬できる先輩ができたとかで、そっちに行きたいってね。それがあなただったようよ?」
 氷川は驚いた。
 春日野とは確かに家も近いといえばそうだが、中学も街区は別だったし、桃陵に入る前まで面識はなかったはずだ。
――と、そこへ替えの衣服を持って春日野自身が戻ってきた。
「お袋――また余計なことしゃべりやがって」
 少々眉根を吊り上げながらも、春日野は照れ臭そうに弁明を始めた。
「でもお袋の言ったこと、本当なんです。俺が中学三年の冬のことでした。ダチと一緒に駅前のアーケード街に行った時、高校生が数人でカツアゲしてる現場に出くわしたんです」
 どこの高校の生徒かは分からなかったが、絡んでいる側の数人は、見るからに素行不良といった感じで、制服はブレザーだった。絡まれていたのは彼らとは正反対の雰囲気の生真面目そうな生徒で、学ラン姿だった。
 当時、春日野らは中学生だ。高校生の揉め事に首を突っ込んでいいものやら、迷っていたその時――一人の高校生が彼らの輪の中に突っ込んでいったのを見掛けたのだという。
「それが氷川さんだったんです。あなたはたった一人でしたが、通りすがりに彼らを見つけるやいなや、迷いもせずに飛んでいって、やめろと言った。ブレザー姿の連中は見るからにワルって感じで、当然あなたに食って掛かってましたけど、あなたは眼力だけで彼らを追いやってしまった。俺はその姿に感動して――あなたが桃陵生だと知り、受験を決めたんです」
 そうだったのか――。
 氷川はその時のことを覚えておらず、春日野の言葉を聞いて、酷く驚いたといったところだった。実のところ、カツアゲ等は横行しているし、放課後やなんかにそういった現場に出くわすことも割合多い。ヘンな話だが、対等にやり合っているなら口出しはしないが、いかにも弱そうな者を取り囲んで脅しているような時には、胸糞が悪いので仲裁に入ることも多かった。
 そんな氷川にしてみれば、助けた案件をすべて把握していられるわけもなく、もはや彼にとっては日常茶飯事の一部なので、いちいち覚えていないというだけなのだ。だが、助けてもらった側にすれば、それは感動に等しいものであるに違いない。氷川が自然と『桃陵の頭』として崇められていったのも、そんな経緯からというのもあったのだろう。

「さて――と! 傷口の処置は終わったわ。どうやら骨の方も異常はないみたいだし、あとはお父さんの方で内傷がないか診てもらってね」
 外科医だという春日野の母の治療が済むと、あれほどジクジクと疼いていた身体中の痛みが、少しはマシになったように感じるから不思議だった。
「それにしても、あなた、すごい立派な筋肉ねぇ。これのお陰で骨が折れたりしなくて済んだってところね。何か鍛えているのかしら?」
 春日野の母が頼もしげな調子で言う。
「あ、ええ……。家で少しトレーニングを……」
「まあ! ご自宅で? てっきりジムにでも通っているのかと思ったわ」
 そんな二人の会話に割り込むようにして春日野が口を挟んだ。
「この人の家はあの氷川貿易だぜ? 家にマシーンくらいあっても不思議はねえよ」
「ああ、そうだったわね! 氷川貿易の御曹司君だったわね、キミ!」
「母さん! またそうやって失礼な物言い――やめろって!」
 処置台で横たわる氷川に向かって「すみません」と頭を下げながら、気恥ずかしそうにしている春日野は、普段の精悍なイメージからは想像がつかない。だが、こんなふうに親子でポンポンと物を言い合える仲が微笑ましくも思えて、氷川も何故だか温かい気持ちになっていくのを感じていた。
 母子の遠慮無しの会話の傍らでは、内科の方の検診も済み、痛み止めの注射なども打ってもらって、大分身体が楽になった。
 その後、休養を兼ねて茶をご馳走になり、衣服も春日野のものを借りて着替えると、彼らの厚意に甘え、氷川は車で自宅まで送ってもらうことになったのだった。

 そうして、春日野の父親が車を出す為に地下の車庫へと向かっている間、玄関口で待っていた時だった。
「菫……!」
 突如、後方から声を掛けられて、氷川と春日野はそちらを振り返った。見れば、学ラン姿の男が一人、驚いたような表情でこちらを見つめている。男は慌てたようにして駆け寄ってきた。
「菫……何か……あったのか……?」
 どうやら氷川の怪我の様子に驚いたようで、酷く心配そうな表情には焦燥感が見て取れる。おそらくはこの春日野の知り合いなのだろう、『菫』と呼ぶ様子からしてもよくよくの仲なのだと分かる。そんな彼に、春日野が心配はいらないといったふうにして声を掛けた。
「竜胆か。今、帰りか?」
「あ、ああ……うん。それより……その人……」
「この人は桃陵の――俺の先輩だ」
「先輩……?」
 竜胆と呼ばれた男は氷川に向かってペコりと頭を下げながらも、未だ焦燥感でいっぱいといった様子だ。
「お前は……大丈夫なのか……? その……」
 氷川の様子から、乱闘にでも巻き込まれたと思ったのだろう、男がそう訊いた。
「ああ、俺は何ともねえから心配すんな。今からこの人を送ってくる。帰ったらお前ン部屋に寄るから、心配しねえで待っとけ」
「あ、うん。分かった……。気を付けて」
 男はそう言うと、再び氷川に向かって頭を下げ、隣の家へと入っていった。ちらりと表札を見れば、『徳永』とある。
 春日野は彼の後ろ姿を見送りながら、
「あいつ、隣に住んでる幼馴染みなんです」
 そう言う視線がそこはかとなくやさしげだ。
「そうなのか――」
「ええ。学年も一緒なんスけど、ヤツは四天学園なんですよ。……ったく、昔っから心配性なヤツでね」
 困ったもんです――そう言いたげにしながら、照れたように苦笑してみせるも、その頬には僅か紅が射している。そんな春日野の様子に、不思議と心温まるような気持ちにさせられる――。
 もしかしたら彼らは、自分と冰のように、互いを大事に想っている間柄なのかも知れない――氷川は本能でそう感じていた。
「きっと俺の怪我を見て心配に思ったんだろう。すまなかったと伝えてくれ――」
「ありがとうございます。伝えますよ」
 ちょうどそこへ父親が車庫から出てきたので、乗り込むとする。

「――大事にしてやれな」

 聞こえるか聞こえないかのような小さな声でそう呟いた氷川に、車のドアを開けていた春日野が不思議そうに振り返ったのだった。



◇    ◇    ◇



 邸に帰ると、執事の真田が慌てたようにして氷川を出迎えた。
「坊ちゃま! まあまあ……何たること!」
 真田は瞳をグリグリとさせながら、オロオロ大騒ぎである。見送りに付いてきた春日野から先に電話で事情を聞かされていたので、事の経緯は分かっていたのだが、実際に怪我の状態を目の当たりにして、酷く動揺した様子であった。
「氷川先輩はご立派でした。クラスメイトの方は先輩のお陰で無傷です。その方は喧嘩などに慣れていないおとなしい感じの方だったので、氷川先輩に助けられてどれ程救われたか分かりません」
 春日野が真田を落ち着けようとして、そう付け足した。
「まあ……! まあ、そうでございましたか……。春日野様にもたいへんなご迷惑をお掛けしてしまったようで……本当にすみませんです」
「いえ――。どうかごゆっくり休ませて差し上げてください。それと、これは痛み止め等の飲み薬です」
 春日野から薬を受け取った真田は恐縮しきりである。この御礼は後程改めて――としながら、丁寧に春日野親子を見送ったのだった。

 その後、春日野らが帰ると同時に、入れ違いのようにして冰も帰宅したので、またもやの大騒ぎとなった。
「白夜……!? どうしたんだ、その怪我……」
 冰は、一目氷川を見るなり、自身の叔父がここを嗅ぎ付けてやって来たのかと思ってしまったようだった。
 もしかして叔父が暴力をふるったのだろうかと、瞬時に蒼白となって血の気が失せたように硬直している。
「まさか……俺の叔父が……?」
 驚愕の様子でうろたえる冰に、
「いえ、そうではございません! 実は坊ちゃまは――」真田が事の次第を説明する。
 真田の方も、まるで何か話してでもいないといられないといった調子で、大わらわである。先程帰った春日野からの説明で経緯は理解したものの、とにかく酷い怪我の様子に真田が嘆く嘆く――で、氷川もタジタジとさせられてしまった。
「まったく……! 坊ちゃまはわたくしを殺す気ですか! こんなお姿で帰っていらして……心臓がいくつあっても足りやしませんよ!」
 小言を言いながらも、せっせと身の回りの世話を焼き、一先ずは部屋まで連れ添っていく。
「お夕食は消化の良いものをご用意しましょうね。ダイニングに降りていらっしゃるのはお辛いでしょうし、お部屋に運ばせましょう。雪吹のお坊ちゃまも今夜はお部屋でご一緒にお夕食を摂っていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ、勿論です!」
 一通り世話を焼き終えた真田が下がっていくと、冰は逸ったように氷川の傍へと駆け寄った。
「白夜……具合はどうだ? 痛いとか、気持ちが悪いとか……何かあったら何でも遠慮せずに言ってくれな?」
「あ、ああ……。迷惑掛けてすまねえ。正直、身体中打撲だとかで、ちょっとだるいが……メシは食えそうだし心配いらねえよ」
「そう……。なら良かったよ……」
 冰はほうっと深い溜め息をつき、そんな様子からは安堵したというのがあからさまだ。
 氷川は彼の頭を抱き寄せると、
「心配掛けてすまない――」
 そう言って、額へと口付けた。
「ん……本当に……無事で良かったよ……。アンタに何かあったら……俺……」
 ギュッと暑苦しいくらいの勢いで抱き付いて離れようとしない冰の肩先が、僅かに震えている。そんな姿に心を鷲掴みにされると共に、堪らない愛しさがあふれ出すようでもあった。
「大丈夫だ。お前を一人にしたりなんかしねえから――」
「ん……うん……、約束してくれよ」
 ヒシとしがみついてくる冰を、氷川は痛みを押しながらも目一杯の力で抱き締めたのだった。



◇    ◇    ◇



 ほんの少し前までは、こんなふうに誰かを愛しく想う気持ちなど知らなかった。
 気の向くままに粋がって、周囲の者の気持ちなど、深くは考えることもなく、我が物顔で好き勝手に生きてきた。
 失うものもなく、失ったら困るものがあるということにすら気が付かないままで、自由奔放だった。
 そんな自分を悔やむと共に、深く反省の思いで胸が締め付けられる。氷川は冰という、自身にとってかけがえのない存在を得たことで、真田や邸の者、学園で共に学ぶ仲間たちといった大事なものに気付くことができた思いでいた。
 自分はまだまだ未熟で、それら大切なものに対して全てが完璧に向き合えるとは思っていない。だが、これからのひとときひとときを軽々しく思わず、大切に歩んでいきたい――氷川はそう心に誓うのだった。
 そして、先ずはこれから先、そう遠くない未来に目の前に迫り来るだろう苦難――今、この腕の中にある愛しい冰に降り掛かろうとしている災難に立ち向かわねばならない。
 もうあと数日を待たずして、粟津が雪吹財閥を傘下に入れる日がやって来る。冰に危険が及ぶかも知れないのも時間の問題である。

 大丈夫――絶対に……何があっても守り抜く。大切なこいつに指一本触れさせやしねえ――!

 決意を新たにする氷川の瞳の中には、愛しい者を想う熱い炎と同時に、確固たる信念の焔がユラユラと渦巻いているかのようであった。


※第2ステージ(氷川編)完結。次回から第3ステージ(雪吹編)です。



Guys 9love

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