番格恋事情
雪吹冰が氷川の邸で暮らすようになってから一週間が経とうとしていた。
その間、いろいろとあったものの、氷川と想いを通わせ合うことができ、冰は生まれて初めて知る甘やかな気持ちを大切に育みながら日々を送っていた。
倒産寸前の雪吹財閥が経営する社の問題も、親友の粟津帝斗の助力によって、無事に粟津財閥の傘下に入る準備が進められていた。国内はおろか、海外でも名を馳せる程の粟津家の力は強大で、すべてがつつがなく進行していく。
まだ学生の身分の冰には、様々及ばないことだらけであったが、吸収される雪吹の株主や社員たちにも苦難が降り掛からぬようにと、細かな心配りで対応してくれる粟津家には感謝をしてもしきれない思いであった。
そんな中、一番の気掛かりであったのは、冰の父親が倒れてからすぐに後継を名乗り出た叔父という男の存在であった。
そもそも雪吹財閥が傾いてしまった原因は、この叔父にあるわけだから、粟津が雪吹を吸収すると同時に、当然の如く彼は代表取締役の座を追われることが明白だった。
故に現在、叔父にとってはたいへんな苦境であるわけだし、プライドもズタズタのはずであろう。何より金銭面でも苦労しているのは目に見えている。
当初、この叔父という男は、粟津ではなく自らの知り合いである川西不動産という会社の社長に援助を願い出ていた。その代償として甥の冰を川西の愛人に差し出すという、とんでもない約束をしていたのだ。冰自身も社を救う為なら仕方がないと覚悟を決めていたものの、親友である粟津帝斗をはじめ、自らが想いを寄せる氷川の助力によって窮地を逃れたといったところだった。
表向きは倒産も免れたことだし、もう冰が愛人になる必要はなくなったわけだが、冰の叔父にとっては全てが思い通りにいかなくなったことも事実である。個人的に川西不動産の社長に冰を売ってしまえば、大金が手に入る――叔父がそう考えるのは必須だった。
無論のこと、粟津家の帝斗も、そして氷川もそれを警戒していて、冰を守る為に出来得る限りの対策を練ってもいた。冰が氷川邸で暮らすことになったのも、学園への送迎を粟津家の運転手である佐竹が行うことになったのもその為である。
また、冰の通う楼蘭学園にも、ある程度の事情を話すことにした。万が一叔父が学園を訪ねることがあっても、冰には会わせずに、すぐに粟津財閥に知らせて欲しいと頼んでおいた。
こうして、万全の体制で皆で冰を守らんと頑張っていたのだった。
その甲斐あってか、財閥吸収後、しばらくの間は平穏無事に過ぎていった。氷川らが危惧していたような、叔父が冰を取り戻しに訪ねて来ることもなかったし、電話連絡すら一度も来ないままで、ひと月が過ぎようとしていた。
そんな中、事態が急変を迎えたのは梅雨半ば――夏の気配が見え始めた時期であった。
冰の氷川邸での生活もすっかりと慣れ親しんだ日常となり、危惧していた叔父からの連絡もない中で、氷川も、そして粟津家の帝斗も安堵の気持ちを色濃くし始めていた頃だった。
授業が終わった放課後、駅前の繁華街に差し掛かった氷川を待ち受けていたのは、逸った表情の粟津帝斗だった。
「氷川君! 良かった。今、キミを迎えに桃陵学園に向かおうと思っていたところだ」
側付きである綾乃木の運転する車から飛び降りた帝斗が、氷川の元へと駆け寄ってきた。その尋常ならぬ様子から、氷川も瞬時に焦燥感に襲われる――
「粟津! どうした、何かあったのか!?」
「ああ――。今さっき、うちの佐竹さんから電話があって……冰と連絡が取れなくなってしまったそうなんだ」
佐竹からの連絡では、楼蘭学園の校門前でいつものように冰を待っていたのだが、時間になっても彼が出て来ない。携帯に電話をするも通じないのを不安に思い、校門付近にいる学生や職員にも訊いてみたのだが、誰も冰を見ていないという。仕方がないので校内放送を頼み、手分けして皆にも捜してもらったのだが、結局会えずじまいのままだということで、帝斗の所へ連絡を入れたというのだ。
「今も佐竹さんには楼蘭学園に残ってもらって、冰を捜してもらってる。冰の友人も先生方も総出で手伝ってもらっているんだが、まだ何とも……。念の為、氷川君のお宅の真田さんにも連絡を入れさせてもらったんだけど、お邸にも帰っていないし、連絡もないとのことだった」
つまりは冰が行方不明になってしまったということだ。
「まさか……あいつの叔父貴の仕業か……!?」
氷川は蒼白となった。
「まだそうと決めつけることはできないけれど……可能性はないとも言い切れない」
だが、もしも叔父が冰をさらったというのであれば、一体どうやって冰とコンタクトを取ったというのだろう。送迎時を狙われたわけでもないし、氷川邸に押し掛けられたわけでもない。冰の通う楼蘭学園はセキュリティも厳しく管理された進学校である。富豪の子息が通うとしても有名な故に、部外者が簡単に出入りすることはできないはずである。
氷川と帝斗が迷いあぐねていると、運転手の佐竹から帝斗の携帯へと電話が入った。
『大変です、坊ちゃま! 雪吹の坊ちゃまが不審な男たちと一緒にいるのを見たというご学友がいらっしゃいました!』
それは昼休みが終わり、午後の授業の予鈴が鳴った頃のことだったという。冰とは直接の面識はなかったらしいが、下級生の数人が冰の顔を覚えていて、彼が強面の男二人と話しているのを見掛けたらしい。あまりガラの良くない風貌の二人だったが、どうみても学生ではないので、何だろうと皆で噂していたとのことだった。
「クソ……ッ! やられた――」
瞬時に険しく表情を歪めた氷川は、そう吐き捨てると同時に蒼白となった。
「冰のGPSが反応しねえ! ヤツら、携帯を切りやがったんだ」
「居場所が掴めないってことか?」
「ああ……、だが行き先恐らくあそこだ……。川西ってヤツは自宅から十キロの所に別邸を持っているんだ。ヤツが海外出張から帰国してからこの一ヶ月の間に、何度か行き来している」
「別邸だって!? つまり……それは……」
どういうことだい――といったふうに帝斗が眉根を寄せながら尋ねる。
「その別邸で冰を囲うつもりなんだろう。自宅じゃさすがにまずいってことだ」
「氷川君、キミ……何でそんなことまで」
川西についてやけに詳しく事情を知っていそうな氷川に、帝斗が逸った表情で食いつく。
「俺はこの一ヶ月、川西についての情報を集めてきたんだ。ヤツが通じてるっていう裏社会の連中が動いているらしいことも耳にしている。おそらく川西はその連中を使って冰を拉致したに違いねえ……」
セキュリティの厳しい楼蘭学園に潜入できるとしたら、そういった方法しかないだろう。氷川は早口でそれだけ説明すると、一目散といった調子でその場から駆け出した。
「ちょっ……氷川君! 何処へ行くんだっ!?」
帝斗が大声で叫ぶと、氷川は走りながら振り返った。
「俺は川西の別邸へ向かう! 念の為だ、お前はあいつの叔父貴の方から当たってくれ!」
氷川はそう言い残すと、すぐさまタクシーを拾って走り去ってしまった。
と、そこへ、車を駐車スペースに入れ終えた綾乃木がやって来た。
「天音さん! 大変だ。氷川君がたった一人で川西の所へ向かってしまった!」
「何だって!?」
「冰が連れ込まれるとしたら川西の別邸じゃないかと言っていた! 僕らには冰の叔父様の方を当たってくれって言って、たった今タクシーに……」
「何てこった!」
綾乃木も、咄嗟にどちらへ行くべきかと眉をしかめる。
「氷川君はこの一ヶ月で川西の動向を探っていたらしい。ヤクザを使って冰を誘拐されたと確信しているようだ」
帝斗は綾乃木に説明しながら、冰の叔父の携帯電話の位置を突き止めようと、手元のタブレットを操作する。
「ダメだ……! 叔父様も電源を切っている」
現在、冰の叔父は社長代理の座を追われているので、職に就いてはいない状況だ。この叔父という男の動向については、帝斗らも気を付けて探りを入れていたのだが、就職もせず、起業するでもなしで、ブラブラとしているだけのようだった。
「叔父様に連絡が付かない以上、氷川君の後を追った方が良いだろうね。天音さん、悪いんだけど車を回してくれる? 僕はその間に父にこのことを伝えて応援を頼むよ」
「分かった!」
そうして綾乃木が車を取りに走り去った直後であった。
「おい、あんた――白帝の粟津だろ?」
突如、後方から声を掛けられて振り返ると、そこには見覚えのある男が、彼の仲間らしき数人の男たちと共に怪訝そうな顔付きで立っていた。
「……キミ……確か……」
男たちは全部で四人――、彼らを見た瞬間に帝斗は驚いたようにして瞳を見開いた。
「つかさ、あんた、こんなトコで何してんだ? 今さっき、あんたと一緒にいたヤツ。あれ、桃陵の氷川じゃねえのか?」
最初に声を掛けてきた男の後ろから、ひょっこりと顔を出しながらそう訊いた人物にもおぼろげながら見覚えがあるような気がする。
しばしポカンとしたように硬直状態の帝斗に焦れたわけか、その男の脇に立っていたもう一人も同じようなことを口にした。
「血相変えてオートン拾ってったヤツだよ。ありゃ氷川だろ?」
「……オートン?」
聞き慣れない言葉に帝斗が首を傾げると、最初に声を掛けてきた男が注釈するように付け足した。
「タクシーのことだよ。つか、何かあったのか? 別に盗み聞きするつもりじゃなかったけどよ。えらく物騒な話が聞こえちまったもんで」
そう――彼の顔はハッキリと覚えていた。
「キミ、四天の……」
「一之宮紫月。あんたには新学期早々の番格勝負ン時に会ってんだけどな」
覚えてねえか? といったように苦笑しながら名乗った彼に、帝斗はほとほとびっくりしたといったように大声を上げてしまった。
「一之宮君……! ああ、やっぱりそうか……! もちろん覚えてるとも!」
この整い過ぎた綺麗な顔立ちと独特の雰囲気は忘れるはずもない。彼らはまさにあの伝統行事の時に顔を合わせた四天学園の一之宮紫月とその仲間たちだった。
普段、帝斗は自宅と学園までの間を運転手付きの送迎車で通っているので、こんな駅周辺の繁華街をブラつくことは非常に稀である。紫月たちにしてみれば、そんな帝斗と出くわしたことが珍しかったのだろう。誰もが少々意外だというふうな顔付きをしている。
「それより何があった。ヤクザがどうの、拉致がどうのと言ってたみてえだが――」
またしても別の男が口を開いてそう訊いた。
今までは黙って他の三人のやり取りを窺っているだけだった男だ。彼ら四人の中では唯一見覚えのない男の問いに、帝斗は瞳をパチパチとさせながらも、紫月らに向かって『彼は誰だい?』といったふうに首を傾げてみせた。
「あー、こいつも俺らのダチよ」
「この春から俺らのクラスに転入してきたんだ。そういや番格対決ン時にはいなかったわな」
紫月の両脇にいた男二人が口を揃えてそう説明する。
濡羽色というくらい見事な黒髪に、珍しい濃灰色の瞳。彼ら四人の中でも一番長身と思われるその男は、妙に落ち着いた雰囲気で、ともすれば近寄り難いようなオーラをまとっている。一目で女たちが放っておかないだろうと思わせる男前ぶりだが、紫月のような”綺麗な男”といった印象ではない。もっと男らしいというのだろうか、何となく氷川に似た感がなくもないが、彼の方がもっと大人びているように感じられた。
その黒髪の男が無駄のない話し方で再び同じことを問う。
「――で、氷川は慌てて何処へ行った」
「あ、ああ。うん……実は……その――」
紫月らはともかくとして、初対面のこの男も氷川とは顔見知りなのだろうか――。
正直なところ、彼らにこの現状を話していいものかと迷わないでもなかったが、この黒髪の男に訊かれれば、素直に答えざるを得ないといった気分にさせられるから不思議だ。
彼らは氷川の通う桃陵学園とは因縁関係の間柄だと聞いてはいるものの、誰一人をとっても心底性質の悪さといったものが感じられないというのも事実である。
しばし考え込んだ末、帝斗は自ら感じた彼らへの印象を信じて、思い切って事情を打ち明けてみることにしたのだった。
「実は――僕の友人が厄介な事に遭っていてね。氷川君は彼を助けに向かったんだ」
「厄介な事?」
「って、何だよそれ」
人の好さそうな二人がそう訊く。清水剛と橘京である。帝斗は二人の名前こそ知らなかったが、顔だけは番格対決の時に確かに見た記憶があるので、何となく親近感を覚えていたのだ。
「キミらも知っているだろう? 例の番長勝負の時に僕が連れて行った友人さ。あの時、部外者の彼を見て、氷川君が怪訝そうにしてたヤツ」
「ああ! 思い出した! 確か楼蘭学園のヤツだっけ?」
「俺も覚えてるわ! あのイケメン兄ちゃんか!」
剛と京がパチンと指を鳴らしながら盛り上がっている。その脇で、未だ落ち着いた声音で、黒髪の男が続けた。
「厄介な事ってのは何だ」
「あ、ああ。説明するとちょっと長くなるんだけれどね――」
「簡潔に教えて欲しい」
「あ、はい――」
帝斗にしては珍しく、主導権を握られてしまうような会話だ。ほんの二言三言話しただけでこんな雰囲気に陥ったのは初めてのことである。
大財閥の御曹司で、白帝学園の生徒会長を務める帝斗にとって、これまではどんなシチュエーションの時であっても自らが先導していくのが当たり前だった。それをいとも簡単に覆されたような展開に、しばし唖然とさせられてしまい、言葉が見つからない。だが、帝斗にとっては初めて体験する物珍しい雰囲気に、心が躍り出すような気持ちにさせられたのも事実であった。
『キミ、すごいね。この僕をこんな気持ちにさせるなんて――』そう言いたいのを一先ず置いておき、帝斗は素直に男の問いに答えてみせた。
「友人の名は雪吹冰、雪吹財閥の御曹司だ。冰の父親が病に倒れた後、社長代理を継いだのが冰の叔父に当たる男なんだけれど、これが無能でね。株でしくじって倒産の危機に追い込んだ挙句、社を立て直そうと知人の不動産会社社長に援助を頼んだ。だが、その社長ってのが両刀の色情狂だった。見返りとして冰を愛人に差し出せと言ってきたんで、我が粟津財閥が雪吹を吸収して難を逃れた。社は救われ、愛人の件もサラになるはずだった。だが、今日になって突然、冰が行方不明になってしまったんだ。氷川君は叔父様たちによって冰が誘拐されたのではないかと思い、助けに向かった。かなり大まかだけれど、こんなところさ」
散々な言い様だが、簡潔には違いない。帝斗の話を聞き終えた黒髪の男は、納得したように頷いた。
「なるほど、分かりやすい説明だ。それで――社が救われたなら、何故まだあんたの友人が狙われる?」
「冰の叔父様は財閥吸収と同時に社長代理の座を追われたからね。今は一文無しも同然で困窮している。あの色情狂の社長に、直接冰を売っ払って現金をせしめるつもりなんだろう」
帝斗が答えると、剛と京が「うへぇ」と苦そうな表情で眉をしかめた。
「あの兄ちゃん、売り飛ばされちまうのかよ」
「けど、何で? そりゃイケメンにゃ違いねえけどさ、野郎を愛人にするってどうよ」
「バカッ! 今、粟津が両刀の色情狂だっつってたじゃん!」
「あ、ああ……そうか」
世の中、様々なヤツがいるもんだとばかりに、二人はタジタジとした調子で肩を竦めている。
と、黒髪の男が再び口を開いた。
「それで――あんたの友人の冰ってヤツは、氷川のダチでもあるってわけか?」
先程、氷川は血相を変えて――といった調子でタクシーに乗り込んで行った。あの様子から察するに、余程の親友か何かなのだろうかと思ったわけだ。
「氷川君は確かに冰の友人でもある……。だけど……」
「――それだけじゃねえってことか?」
黒髪の男の問いに、帝斗はじっと彼を見つめた。目と目をしっかりと合わせて、それはまるでこの男の本質を見極めたいというふうでもあり、真剣そのものだ。
しばしの後、帝斗は男の腕を引っ張ると、彼にだけ囁くかのように小声で耳打ちをした。
「氷川君にとって、冰は大切な相手だ。おそらくこの世で一番――」
それを聞くと、男は僅か驚いたように瞳を見開き、帝斗を見つめた。
「キミに嘘は通用しない。そんな気がしたから本当のことを打ち明けた」
口元に薄い笑みを浮かべて帝斗がそう言うと、男の方もそれに答えるように軽く頷いてみせた。そして、ポケットから携帯電話を取り出すと、その場にいた皆が驚くようなことを口にした。
「源さん、俺だ。これから知り合いの庭園の除草作業をすることになった。庭を掘らなきゃならねえかも知れないんで、悪いが掘削機に除草剤――栄養剤も必要だな。それから人夫を少々回してくれ。ああ、俺は今、駅前だ。よろしく頼む」
男はトンチンカンなことをしゃべくると、そのまま電話を切り、帝斗に向かって酷く真面目な顔でこう言った。
「あんたは家にでも帰って待っていろ。念の為、その冰ってヤツとあんたの連絡先を教えてくれ」
「え……ああ、えっと……その……」
さすがの帝斗もワケが分からずといった調子で戸惑いを隠せない。そんな様子を他所に、男は紫月に向かって、
「紫月、お前も剛たちと一緒に先に帰ってろ」そう言った。
戸惑い、驚いたのは帝斗だけではない。紫月も剛も京も、唖然としたように瞳をパチクリとさせている。
「や、ちょい待ちって! 遼二、お前……今から草刈りって……」
「……何? どゆこと?」
剛と京が不思議顔でそう尋ねると、遼二と呼ばれた黒髪の男は薄く口角を上げながら苦笑した。
「氷川一人じゃ刈り切れねえだろうからな――」
ポツリとそれだけ言うと、タイミングの良過ぎるくらいに現れた一台の車に乗り込んで、この場を去って行ってしまった。
「ちょ……何?」
「遼二のヤツ、ワケの分かんねえこと抜かしやがって……」
「つか、あいつ、何処行ったわけ?」
「それ以前にあの車は何よ!? 源さんって誰?」
剛と京が大わらわで興奮状態に陥っている。互いに突っ付き合ったりしながら、ギャアギャアと大騒ぎ状態だ。その横で、紫月だけが若干焦燥感に見舞われたような表情で、小さな舌打ちをしたのだった。
「……ッ、遼のヤツったら……」
「あの……一之宮君……? 彼、遼二君っていうのかい?」
「え? あ、ああ――鐘崎遼二ってんだ。ヤツは俺の……」
「キミの……?」
「いや、俺らのダチだ」
「鐘崎君か――。彼は一体……」
「……多分、氷川の応援に向かったんだろ?」
「応援!? 何で……彼が?」
それは恐らく――先程の会話からヤクザ絡みだと知った故、氷川一人で冰を取り戻すのは無理だと踏んだからであろう。鐘崎はそんなことをひと言だって口にしたわけではないが、紫月にはその真意が分かっていた。先程鐘崎が言っていた除草作業というのも、いわば造語なのだろう。人の多い街中で、あまり物騒なことを口にできない時に、彼ら同士で使う通信手段なのであろうことも紫月には理解できていた。
余談だが、剛と京には未だ鐘崎の素性を明かしてはいない。彼が香港マフィアの頭領の養子だということも、彼の実父が裏社会で凄腕の始末屋として活動していることも――無論だ。
紫月は鐘崎の恋人である。二人の関係も未だ剛らには内密にしている。だから紫月だけが、鐘崎が氷川の助力に向かったのだろうことを確信していたのだった。
――と、ちょうどそこへ車を取りに行っていた綾乃木が戻って来た。
「あ、それじゃ僕はこれで――! キミたち、色々とすまなかったね」
帝斗はそう言って綾乃木の車に乗り込む――。
「ちょい待ち! 待ってくれ!」
咄嗟に引き留めたのは紫月だった。
「粟津……悪いんだが、俺も一緒に乗せてってくんねえ?」
車に掛け寄り、窓を叩いて開けさせると、紫月は真剣な表情でそう言った。
「え――!? 一之宮君……キミまで……」
「あいつが……心配なんだ」
「……あ……いつ?」
「ああ――頼む」
紫月の真剣な様子に思うところがあったのか、帝斗はコクリと頷くと、「天音さん、後ろ開けてあげて」そう言いながら意味ありげに口角を上げた。
紫月が後部座席に乗り込むと同時に、剛と京が慌てたようにして車まで駆け寄った。
「おいおいおいおい! 紫月まで何処行くんだって!」
「つか、展開めちゃくちゃじゃね!? 俺ら、どうすりゃいんだって!」
そんな彼らに向かい、既に走り出した車の窓から顔を出すと、「悪りィ! 後でちゃんと報告すっから! おめえらは先帰っててくれ!」紫月の叫び声と共に、三人を乗せた車は走り去っていったのだった。
◇ ◇ ◇