番格恋事情

43 揺るぎない愛の絆3



「何だ、雪吹か――おめえさん、今出て行ったばかりじゃねえか」
 川西が怪訝そうな顔で、忘れ物でもしたのならさっさと済ませて出て行けと言わんばかりにそう声を掛けた。叔父の方をチラ見しただけで、ろくに目も合わさずに不機嫌顔だ。これからせっかくのお楽しみを始めようというところに水を差されたくないのだろう。目の前で男たちに縛られ始めた冰の抵抗する様に興奮しながら、うっとうしげに言い捨てる。
「おめえさんにゃ興味のあるこっちゃねえだろ? 甥が気の毒な目に遭うのを見てえわけじゃあるめえ?」
「い……いや、それが……その……大変なんだ! 玄関を出ようとしたら……」
 叔父の言うには門前で若い男がタクシーを降りて、家の中の様子を窺っているので、急遽帰るのをやめて引き返して来たとのことだった。
「川西様のお知り合いの方ではないようなんです……。ナリは立派ですが、どうやらまだ高校生くらいのガキでして……」
「高校生のガキだ? 知った顔なのか?」
 さすがに川西も変に思ったのだろう、怪訝そうにしながらもひとたび陵辱行為をやめると、叔父の言葉に耳を傾けた。
「いえ……私は見たことのないヤツです。けど、学生鞄を持っていたんで、冰の友達かも知れません」
「友達だ? まさかだろう。この邸は誰も知らんはずだ」
 川西はそう吐き捨てると同時に、冰をさらってきた二人の男に、
「まさか――あんたら、付けられたのか?」少々遠慮がちながらもそう訊いた。
 男たちはヤクザの息の掛かった関係者だ。如何に川西とて、そう大きな態度では出られないのだろう。だが、彼らが冰を連れて来てから既に一時間以上は経過している。誰かが後を付けて来たのなら、少々時間的には合わないといえる。
 皆が考えあぐねていると、冰の叔父がハッとしたように川西を見やった。
「まさか……冰が一緒に暮らしているっている氷川貿易のところの倅……でしょうか?」
「氷川の倅だと? だが、どうやってここを嗅ぎ付けたというんだ」
 しびれを切らした川西が、自ら確認しに部屋を出て行こうとしたその時だった。
「冰ッ――! 冰、いるのか!? 冰、いたら返事しろ!」
 けたたましく扉を叩く音と共に、誰かが玄関先で叫んでいるのが聞こえてきた。
「誰か――! 誰か、いねえか! ここを開けろ! 冰! 冰、いねえのかッ!?」
 その声を聞くなり、冰が飛び上がる勢いで叫び返した。
「白夜……!」
「何だと――!?」
 驚いたのは川西らだ。
「クソぅ……! まさか本当に氷川の倅だってのか!? どうやって嗅ぎ付けやがった!」
「そんなことより……このガキを隠した方がいいんじゃねえですか!?」
 冰で遊ばんとしていた手下たちが、川西に言う。
「そ、そうだな……。仕方ねえ、一先ず地下室に放り込んでおけ! あそこなら防音効果もあるし、見つかることもねえだろう……。これ以上玄関先で騒がれちゃまずい」
 大声で叫び続けられては、近隣が騒ぎ出さないとも限らない。不審がられない内に、とにかくは氷川貿易の倅らしきその男を追い返すしかない。焦った川西は、手下たちに言って、とりあえずは訪問者を家に迎え入れるしかなかった。
「一応、しらを切り通すつもりだが、ダメな場合は片付けてくれ――。ちょっと痛い目に遭わせて……後は氷川の家の近くの河川敷あたりに放置すればいい……。氷川の倅ってのは不良で有名らしいから、ガキ同士の諍いってことでカタが付くだろう。どちらにしても我々に手が伸びることはない」
 そうだ。こちらは大の男が揃っているし――中には裏社会の息の掛かった筋者もいる。高校生の一人や二人、何とでもなると踏んだのだろう、川西は割合落ち着いた様子で男たちにそう告げると、さっさと事を済ませて冰で遊ぶことを続行したいふうであった。
 ところがである。飛び込んで来た氷川は、川西らの想像を裏切って意外にも腕が達つことに苦戦させられる羽目となったのだ。
「あんたが川西不動産の社長か――。冰をさらって来たのは分かってるんだ! ヤツは何処だ!?」
「――何のことだ。いきなり他人の家を訪ねて来てワケの分からんことを。第一、キミはいったい誰だね?」
 川西は苦虫を潰したような表情ながらも、極力落ち着いたふうを装いつつ、ソファにどかりと腰掛けたままでそう言い放った。
「は――! すっとぼけるのも大概にしろよ。俺は冰の友人だ!」
 そう相槌を返しながら、部屋の隅っこに隠れるようにしている一人の中年男に気が付いて、そちらへと目をやった。見れば、アタッシュケースを抱きかかえながら気まずそうにしている。
「あんたは冰の叔父ってヤツだな? こっちはあんたらのことはすっかり調査済みなんだ! シラを切ったって無駄だぜ」
 氷川は冰の叔父と川西については、ここひと月の間によくよく調べ上げていたので、彼らの顔写真もインターネットで確認済みだった。
「な……何をバカな……ガキの分際でふざけたことを……」
 冰の叔父は川西とは違って、声も震え気味だ。例え高校生の氷川が相手であっても、自分たちのしている後ろ暗いことがバレたと思ったら、気が気でない様子である。案外、気の小さい男なのかも知れない。
 そんな叔父を無視して、氷川は川西に食って掛かった。
「とにかく――とぼけたって無駄だ。冰を返してもらおうか」
 さすがに不良で名高いというだけあってか、凄み方も大したものである。一高校生にしては堂々とし過ぎているし、体格からして立派で、大人顔負けであるのは認めざるを得ないところだ。
 大の男数人を目の前にしても、怖じ気づく様子もない氷川に、川西は小さく舌打ちをしてみせた。どうやらこの氷川貿易の倅は、こちらのことを調べ上げたというその言葉通りに、いろいろと知ったふうであるのは確からしい。冰の叔父の顔まで割れているのなら、シラを切り通すのは難しいだろうか。
「――ったく、物分かりの悪い兄さんだな。キミは何か勘違いをしているようだ。キミのお友達など家には来ていないがね」
 だが、さすがに川西は冰の叔父とは違ってふてぶてしい。あくまでシラを切り通すべく、ソファの上で足を組んだまま動こうともしない。
「あまり聞き分けがないようなら、致し方ない。こちらとしても、少々手荒くせざるを得ないが――どうする?」
 おとなしく帰れとばかりに、凄みをきかせてそう言い放った。
「は――、本性を見せやがったか。そんな脅しが通用すると思ってんのか? 何だったら不法侵入で警察に訴えてくれてもいいんだぜ」
 氷川はそう言って不敵に笑ってみせた。
 さすがに通報されるのはマズいわけだろう、一瞬だが苦虫を潰したような表情でひるんだ川西の隙を見て、部屋の中を捜し回る。――と、地下室から大声で叫び続けていた冰の声と、必死にドアを叩く物音が聞こえてきて、あっという間に居所がバレてしまったのだ。
「くそぅ! 何てこった!」
 こうなってはもう隠しようがないと覚悟を決めたわけか、川西はソファから立ち上がると、
「仕方ねえ……二人共帰すわけにはいかねえ……。とりあえず……まとめて地下室へ放り込んでくれ!」
 歯軋りをしながら筋者の男らに向かってそう言った。
 そんな川西らを他所に、地下室の入り口では氷川が扉を開けんと必死にドアノブを回していた。扉一枚を挟んで、すぐ向こう側からは冰が必死に叫ぶ声が聞こえてくる。
「冰! 冰、俺だ! 助けに来たぞ!」
「白夜――!? 本当に白夜なのか……!?」
 防音が効いているのか、冰の声はくぐもってはいるものの、間違いなく本人だと分かる。
「冰! そっち側に鍵はねえのか!? おい、冰ッ!」
 氷川の側からは鍵穴があるものの、しっかりと施錠されていてビクともしない。
「くそッ……ぶち破ってやる!」
 氷川は持てる力の全てで、体当たりと蹴りを繰り返した。何度もそうする内に、取っ手にガタがきて、もう少しで蹴破れそうになる。――と、そこへ筋者の屈強な男が二人揃って追い掛けて来た。
「てめえ、このクソガキが!」
「ふざけやがって!」
 男たちは二人掛かりで氷川を羽交い締めにし、だがその瞬間、終には錠が外れて扉が開いた。冰の方からも体当たりをする内に取っ手ごと吹っ飛んだのだ。
 扉の向こうには、割合深く急な階段が広がっていて、冰はそこを駆け上がってきたのだろう。こちらを見上げるような形で、必死の形相が視界に飛び込んできた。男たちを振り解き、その脇腹目掛けて素早く重い一撃を加えると、
「冰! 良かった……無事だったか……」
「白夜――!」
 氷川は間髪入れずに冰を抱き締め、冰も無我夢中といったように愛しい男の腕の中へと飛び込んだ。
「……ッ、こんな地下室まで造ってやがったのか……」
 階段の高さからして地下二階分くらいはありそうで、深く掘られた地下の部屋。常夜灯のようなものが点いているだけで、中は薄暗かったが、ベッドやソファが置かれているのだけは目視できた。恐らくはここで冰を辱めるつもりでいたのだろう――想像するだけで虫唾が走るようだった。
 その冰は、特に怪我を負っているふうでもなかったが、制服のシャツが引き裂かれたようにボタンが飛んでしまっていた。
「お前……何かされたのか……!?」
 蒼ざめる氷川に、冰は千切れんばかりにブンブンと首を横に振ってみせた。
「大丈夫! 白夜が来てくれたから、助かった!」
 そうは言うものの、シャツを裂かれている様子からして、既にいかがわしいことをされ掛かっていたということだろう。氷川はギリギリと音がするほどに唇を噛み締めた。
「あいつら……ふざけやがって……! とにかくここを出るぞ!」
 川西らに重い灸を据えてやりたいのは山々だが、今はこの家から脱出するのが最優先だ。氷川は冰の手を取ると、床に突っ伏してもがいている男らをかいくぐって、この場を走り去ろうとした。つい今し方の蹴りと拳で、多少のダメージを負わせることができている――逃げるなら今がチャンスだ。そう思って、急ぎリビングの方へ戻ろうとした。――その時だった。
 かいくぐるどころか、男ら二人に足首を掴まれて、冰が掴まりその場に転倒させられてしまった。
「冰……ッ!」
「白夜――!」
 二人の間でスローモーションのように時が止まり、一気に焦燥感に襲われる。
「……こんの……ガキがー……!」
「舐めたマネしやがって……!」
 苦しげにしながらも、何とか起き上がった彼ら二人に同時にド突かれて、氷川は咄嗟に冰を庇い、その腕を掴んだ。――が、今度は男らに背を向ける形となった氷川が足下を蹴り飛ばされて、地下室へと続く階段から突き落とされてしまった。

「白夜ぁーーーーッ!」

 冰の狂気のような絶叫が地下室にこだました。



◇    ◇    ◇



「白夜ッ! 白夜ーーー!」
 冰もまた、転げ落ちる如く階段を駆け下りると、床に転がっている氷川の元へと駆け寄った。頭上を見上げれば、逆光の中に男らの姿がシルエットとなってこちらを見下ろしている。二階分は優にありそうなあの高さから転げ落ちたのだ、無事ではいられまい。
 冰は錯乱状態といった調子で、氷川の身体に縋り付き、狂ったように彼の名だけを叫び続けた。
「白夜! しっかりして! 白夜、白夜ーッ!」
 ふと――、僅かな呻き声と共に氷川が目を開けたのに気が付いて、更なる絶叫でその名を叫んだ。
「白夜――! 平気か!? 白夜……!」
「……ッ、あ、ああ……っう……ッ」
 とにかくは意識があることに安堵するも、同時に滝のような涙が冰の双眸からこぼれて落ちた。
「白夜……! ごめん……ごめん、俺のせいでこんな……」
「あ……ああ、平気……だ。それ……より……あいつら……を」
 氷川に意識はあったが、階段から転げ落ちた全身打撲で、さすがに朦朧状態に変わりはなかった。普通よりも運動神経が良く、普段から鍛えているのもあって、この程度で済んだのだろうが、さすがに追手に反撃するのは無理そうである。
「くそ……! このまんまじゃ……」
 そう、冰を連れて逃げるどころか、自分自身が足手まといだ。絶体絶命のような状況に輪を掛けるように、頭上から川西の下卑た皮肉笑いが轟いた。
「――ったく、騒々しいったらねえな!」
 ふてぶてしい足音で、ドスドスと階段を踏みならし、階下へと降りてくる。川西の前後には氷川を突き落とした張本人である屈強な男二人と、先程冰で遊ぼうとしていた男らまでもが一緒くたになって階下へと迫ってくる。
「いきなり土足で踏み込んできたと思いきや、階段踏み外して転落人生か? 自業自得だな、氷川の倅さんよ?」
 薄ら笑いの川西の言葉に、冰はカッとなったようにして食って掛かった。
「酷えことをベラベラと! よくもそんなことが言えたもんだな! あんたら、人じゃねえよッ!」
 涙まじりに叫ばれる、そんな冰の様子も川西にとっては屁でもないらしい。上手く邪魔者が始末できたと言わんばかりに、余裕の笑みまで携えている。
「不良同士の諍いで片付けるまでもねえ。自分で階段を踏み外したのなら、こっちも処理が楽だってことだ。夜になったら、どっかの歩道橋下にでも放り出してくるまでだ」
「……ッ! あんた……ら、どこまで腐ってんだ……! 幸い意識があるからいいものの、まかり間違えば死んでしまうかも知れないところだったんだぞ! それを……そんな酷えこと……! とにかくすぐに救急車を呼んでくれ! 俺の携帯、返せよ!」
 冰はこれ以上誰にも氷川には触れさせんとばかりに、うずくまる彼の身体を全身で庇うように両手を広げながらそう叫んだ。
――が、川西は聞く耳など持たなかった。
「救急車だ? ふざけたこと抜かしてんじゃねえ。そいつをここから運び出してやるだけだって、こっちにとっちゃ手間なんだ。ここに放っておくわけにもいかねえし、全く……! とんだ迷惑もいいところだ!」
「なっ……!」
「それより――ちょうどいい。キミはそいつとイイ仲なんだろう? だったら、彼の目の前で犯ってやるってのも一興だ。キミも彼に見られていると思えば、きっといい声で啼いてくれるだろうしな? そう考えれば、この厄介者の登場も役に立つってもんだ」
 川西の薄ら笑いに、冰はゾッと身を震わせた。こんな状況で、そんなとんでもないことを考えられるこの男が、悪魔に思えた。
 側では先程から冰で遊ばんとしていた男たちがニヘラニヘラと気味の悪い舌舐めずりをしている。
「さすが社長ですね! そいつぁ、堪んねえ。犯し甲斐も百倍ですぜ!」
「愛しの彼氏の前で泣き叫ばせてやりますぜ! ああ、やべえや! 興奮してきた……!」
 男らがそう言いながら、冰の両脇へと歩み寄り、左右から腕を掴み引き摺るようにして冰をベッドへと連れて行った。
「て……めえら……、ふざけやが……って! ンなこと、させ……っか……!」
 床を這いずるように手を伸ばし、渾身の力を込めて氷川が立ち上がらんとした。だが――、
「てめえはおとなしく見物してりゃいいんだって!」
 今度は筋者の二人が氷川へと襲い掛かり、胸倉を掴み上げて思い切り張り手を食らわせた。
「ぐはッ……ぁ!」
 氷川は吹っ飛び、だがそれだけでは済まずに、床へと伏したまま続けざまに蹴りを食らわせられた。そんな様子を横目に、ベッド上ではもう二人の男たちが冰を組み敷いて、容赦なく服を剥ぎ取っていく。
「やめろッ! よせって言ってんだ! 放しやがれ、クズ野郎共が……ッ!」
 冰も負けじと目一杯強気を装って抵抗するも、こんな遊びに慣れた男二人が相手では思うように逃げられない。
「放せって言ってんだ! 白夜にこれ以上酷えことすんな!」
 暴れ、もがき、足をバタつかせて必死の抵抗を続ける。
「はん! 可愛げのねえガキだな! 彼氏の心配よか、てめえの心配でもしとけってんだ!」
「おい、さっきの薬嗅がせちまえ! そうすりゃ直に可愛く啼き出すってよ!」
「おお、そりゃいいわ! ちょっと待ってろ。今、薬出す!」
 男の一人がビンから液体を布地へと染み込ませ、もう一人には背中から羽交い締めにされて、布地が冰の口元へと押し付けられる。
「ほら、嗅げよ! 嗅げってんだよ!」
「んー……! ん、ん……むぅ……ッ」
 冰は思いきり息を止めて、暴れながら抵抗し続ける。思うようにいかないことに焦れた男が、終には冰の頬に張り手を食らわせて、ひるんだ隙に一気に制服のズボンと下着までをも剥ぎ取った。
「や……ッ! 何すんだ! 放せッ……放して……くれ……! 俺に触るなー……!」
「うるせえ、クソガキがッ! おとなしくしやがれ!」
 ついには冰の両脚を抱え上げて組み敷き、恥辱の格好を見下ろすようにして男が息を荒げた。
「可愛がってやるって言ってんのによー! こうギャアギャア騒がれりゃ興醒めだ! このまんま犯ってやる!」
「や……ッ! 嫌だ! 放せ! 放せぇーーーッ!」
 冰は狂ったように叫び続け、ついには声も嗄れて出なくなる。代わりに滝のような涙が整った綺麗な顔立ちをぐしゃぐしゃに濡らしていった。

『や……嫌だ……! 白夜……白夜ぁーーー!』

 声にならない声で、冰は泣き叫んだ。
 そのすぐ側では、氷川が筋者の二人に髪を鷲掴みにされて、冰が辱められる様を見ろとばかりに拘束されていた。張り手と蹴りを食らい、既に息も絶え絶えだった。
「おら! しっかり見てやんなって! てめえの可愛い恋人君がせっかくいい声で啼いてくれてんだ! てめえにとっても最高の見世物だろうがー!」
 グイと両脇から抱え上げられ、立ち上がらせられた時だ。最後の力を振り絞って氷川は二人を振り切ると、もつれる足取りでベッドへと駆け寄った。
「冰……ひょ……うッ……!」
 ベッド上へとなだれ込むようによじ登り、氷川は体当たりで男らを突き飛ばすと同時に、自らの全身で冰に覆い被さるようにして、彼を腹の中へと抱え込んだ。まるで親鳥が雛を抱き、守るかのように包み込んだ。
「白夜……白……ッ」
 冰は驚きつつも、安堵の方が先立ったようにして、更に泣き崩れてしまった。氷川の胸にしがみ付き、絶対に放すものかと渾身の力を込めて抱き返す。
「そ……うだ、それで……い……。冰、俺を……放す……な」
「ん、うん、ん……白夜……白……っ」
 二人は固く抱き合い、氷川は自らの身を盾にして、誰にも冰に触れさせないと持てる力の全てで彼の上に覆い被さっていた。
「くそぅ……、ガキ共が……しゃらくせえことしやがって!」
「早く引っぺがせ!」
「ってーかよ! 七面倒くせえ! いっそ二人まとめて殺っちまうか!」
 四人の男総出で、氷川を冰から引き剥がそうとベッドへと上がり込む。その内の一人がナイフを取り出して斬り付けようとした――その時だった。
 ビシュッという鈍い音と共に、男の一人がベッド下へと転がり落ちた。
「――何だ!? おい、どうした!?」
 そう叫んだもう一人も、瞬時に顔を真っ青にして、ベッド上で硬直してしまった。
 ナイフは吹っ飛び、男は手を押さえながら「ギャアッ」と、凄まじい叫び声を上げ、のたうっている。別の男のこめかみからは僅かに白い煙が立ち――パラパラとシーツの上に何かが落ちていく様子を呆然と目で追う。と同時に、焦げた匂いが部屋中に立ち込めていく。シーツの上に落ちたのは、男の髪の毛だった。こめかみスレスレを掠めた何かが、男の髪を削ぎ落としたのだ。
「ギャッ……ギャアーッ! うおぁーッ、うおわぁーッ! ギャアーッ!」
 何が起こったのかも分からないまま立ち尽くす川西らの背後から、ゆっくりと階段を降りてくる一人の男の存在に気付いて、皆は呆然としたように視線だけでそちらを見やった。

「な……何なんだ……お前は……」

 事の次第が掴めないながらも、一人の見知らぬ男が現れたことで、この地下室の中の空気が瞬時に殺気へと変わったような気がしていた。それを本能で感じるわけか、川西がガクガクと声を震わせながら訊く。
 男は何の返事もしないままでゆっくり階段を降りると、川西の側へと歩み寄り、有無を言わさずにその胸倉を掴み上げた。
「お前が首謀者か? このままあの世へ送ってやろうか」
 地鳴りのするような低い声で、そう言いざまに川西を床へと突き飛ばした。
「ひぇーっ……! ひぁあーっ! た、助けてくれ! た、助け……」
 男の手には拳銃が握られており、それを見て全員が硬直した。ナイフを吹っ飛ばし、髪をも削ぎ落としたのが発砲によるものだと理解したのだ。

 墨色のスーツに墨色のタイ、濡羽色の髪に漆黒の鋭い瞳――若い男だというのだけは分かったものの、川西らはあまりの恐ろしさに、まともに男の顔を見ることもできずにいた。誰もが腰が抜けたようにして床に縮こまりながら、顔面蒼白で震えている。
 発砲で男らのナイフと髪を的確に削ぎ落とした腕前からも分かるように、この若い男は相当に腕が達つのだろうということも言わずもがなだ。それよりも何よりも男のオーラだ。触れた途端に鋭い刃で切り刻まれんばかりの恐怖の雰囲気を纏っている。直接攻撃を受けた筋者の二人などは、既に錯乱状態だった。
 その若い男は、先ず川西の首筋に鋭い一撃を加えると、周囲にいる手下たちにも同じようにして、目に物くれぬ速さで、あっという間にその場の全員の意識を刈り取ってしまった。全員が気絶したのを確認すると同時に、急ぎベッドへと向かい、そこで冰を腹の下に抱え込んでいる氷川へと駆け寄った。
「氷川だな? 遅くなってすまなかった」
 今の今まで纏っていた殺気が嘘のように消えてなくなった穏やかな声音で、男はそう声を掛けた。
「お……前……!? 鐘……崎? どう……して……」
「駅前で偶然、白帝学園の粟津っていうヤツに会ったんだ。ヤツから事情を聞いてお前を追い掛けて来た」
 そう、駆け付けた若い男は四天学園の鐘崎遼二だったのだ。帝斗の話から氷川一人では対応しきれないだろうと踏んで、すぐさま後を追ったのだ。その際に側近の源次郎にも応援を頼み、万が一の事態を想定して、医療具を積載した車や護身の為の道具なども持参してくれるようにと手配した。筋者の振り上げたナイフを削ぎ落とした拳銃もその内のひとつであった。
 鐘崎の実父は裏社会に身を置く実力者で、養父は香港マフィアの頭領という境遇だ。いつ何時、何があっても対処できるようにと、普段から備えだけは万全にしている。拳銃など、まさかこの日本の地では使うこともないだろうと思っていたが、念の為と持参してきたのだ。
 氷川と冰にとっても苦渋の災難ではあったが、この鐘崎の機転のお陰で、寸でのところで最悪の事態は免れたのだった。
「大丈夫か? 酷くやられたようだが――医療の心得がある者を連れて来ている。すぐに診てやれる。気をしっかり持つんだ」
 鐘崎は氷川を抱き起こしながら肩を貸し、そう言った。そして、氷川の腹の下であられもない格好のまま縮こまっていた冰を自らの上着で覆ってやり、「あんたが冰か?」そう訊いた。
『……はい』
 鐘崎は、声が出せないままビクビクと頷いた冰を今ひとたび氷川の腕の中へと戻すと、
「源さん、彼にガウンを。それから担架も回してくれ。至急頼む」
 そう言って、再び氷川の肩をポンポンと労うように撫でた。
「よく頑張ったな。もう大丈夫だから安心しろ」
 切なげながらも敬服の面持ちで微笑む。すると、氷川もつられるように笑みを返しながら、
「鐘……すまない……こいつを……頼……」
 それだけ言い残すと、安堵したように鐘崎の腕の中へと倒れ込み、がくりと意識を手放してしまった。

「白夜……!」

 声にならない掠れ声で冰が叫び、だが、鐘崎は、
「大丈夫だ。いっとき気を失っただけだ。すぐに処置をすれば命に別状はない」
 冰を安心させるように頷きながら言った。と、その時だ。忙しない勢いでバタバタと階段を駆け下りて、数人の男たちがやって来た。氷川と冰を追い掛けて来た粟津帝斗と綾乃木だった。
 彼らの後方から紫月も顔を見せた。鐘崎は紫月に気付くと、冰を彼へと託して、
「お前が側に居てやれ。俺は氷川を――」
「ああ、分かった。こっちは任せてくれ」
 そう言って、二人は頷き合ったのだった。



◇    ◇    ◇






Guys 9love

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