番格恋事情
そんなふうにして、鐘崎と氷川、紫月と冰の四人は、日一日と絆を深めつつ、楽しげな時を過ごしていた。
週が明けて、いよいよ前期の修了式を迎え――明日からは待ちに待った夏休みの到来だ。四人は、粟津帝斗と綾乃木も誘って、一緒に何処かリゾート地にでも遊びに行こうかなどという話向きになっていたのだった。
氷川と冰はそんな提案を帝斗に打ち明けようと、式後に駅前のフードコートで落ち合う約束をしていた。
「やあ、二人共、早かったね。お待たせしたかい?」
帝斗が綾乃木と共に手を振りながら現れた。
「いや、俺らもついさっき来たところだ」
四人は窓際のテーブルを確保すると、一緒にドリンク類を買いにカウンターへと向かった。
氷川と綾乃木はアイスコーヒーを注文し、冰と帝斗はかき氷を選ぶ。席に戻るとすぐに旅行誌を広げて、行く先の打ち合わせに花を咲かせ始めた。
「夏だからやっぱり南の島がいい? それともニューヨークとかの大都会って案もあるけど」
冰がパラパラと冊子をめくりながら訊けば、帝斗が、「南国リゾートならバリに別荘と、それからセイシェルにはウチの系列のホテルがあるよ」美味そうにかき氷をすくいながらそう言った。
「バリにセイシェルかぁ。さすが粟津財閥だな!」
「海でスキューバとかもオツだわな」
冰も氷川も目を輝かせる。
「バリだったらプライベートビーチ付きの別荘だから気兼ねなく遊べるよ。クルージングもできるし」
帝斗が当たり前のようにそんなことを口走ると、氷川と冰は互いの肩を突き合いながらますます話は盛り上がった。そんな時だ。
「ねえ、ちょっと見て。ほら、あそこ! 紫月と鐘崎君じゃない?」
遠目に四天学園の制服を着た一団を見つけた冰が、身を乗り出しながら言った。
「おや、ほんと。彼らも確か今日が修了式だもんね。考えることは皆同じだねぇ。これからお茶して帰るってところかな?」
帝斗もそう言い、皆でそちらを見やった。どうやら紫月らは二人きりではないらしく、側にはもう二人程が一緒のようだ。
「清水と橘だな。あいつら、四人でいつもツルんでっから」
氷川は事情をよく知っているようだ。鐘崎と紫月が二人きりならば、一緒に打ち合わせでもと思ったが、彼らにも付き合いがあるだろうし、旅行の相談はまた後日でもいいだろう。そう思い、今は遠慮することにした。
どうやら彼らは室内の席ではなく、表のテラス席の方に落ち着くようだ。鐘崎と清水、橘の三人はドリンクを買いに行くようで、紫月が一人で席取りの係らしい。そんな彼らを見つめながら、綾乃木が感心したように目を丸くしていた。
「やっぱり若者は違うなぁ。この暑いのに、進んでテラス席とは……。ああいうの見てると、俺はすっかりおじさんの気分だぜ」
大袈裟に落胆した綾乃木に、ドッと笑いが起こる。――と、その時だった。紫月が確保したテラス席の間近の車道に、目立つ真っ赤なスポーツカーが停まったのだ。
「おわ! すっげー車!」
「ほんとだ!」
氷川と冰が興味を通り越した唖然の表情で車に見とれる。帝斗も綾乃木も同様で、「何だか銀座のど真ん中辺りに似合いそうな車だね」などと言っては感心顔でいた。
ところが、もっと驚かされたことに、その車の助手席からとんでもない美人の女が降りてきて、一同はますます釘付けにさせられてしまった。
「もしかして……モデルとか?」
「さあ……」
真っ赤な車とは対照的な真っ白なワンピースの裾を風になびかせて、颯爽と歩く。十センチはありそうなピンヒールは車と同じ鮮やかな赤だ。大きなツバの帽子を被って、サングラスまで掛けている。
「やっぱモデルか女優って雰囲気? 誰だろ」
「グラサンでツラが見えねえな」
氷川らのいる場所からではだいぶ距離があるので、よくよく目を凝らさないと分からない。
「なぁ、ちょっと一之宮の席に押し掛けてみっか? あそこなら近えから、よく見えっかも!」
「はぁ!? んもう! 白夜ったらよー」
女優張りのその女に興味を示す氷川に、冰が口を尖らせる。そんな二人に帝斗と綾乃木が苦笑した時だった。
「ねえ、ちょっと……! あの女、紫月に向かって歩いてくよ!」
「ゲッ……! マジかよ!? まさか、ヤツの知り合いなのか!?」
女は紫月の腰掛けたすぐ脇に立つと、一言二言、何かを話し掛けたようだった。それとほぼ同時に、女の乗ってきた赤い車のすぐ後に四トン車くらいのトラックが停車した。助手席と運転席から男が二人降りてきて、女のところへ駆け寄る――腕には遠目からでも分かるくらいの派手な刺青が目立っている。一見したところ、外国人のようだ。
「何だ、あいつら……? ちょっと様子がおかしくない?」
冰が心配顔をした時だった。突如、男らが紫月を羽交い締めにしたと思ったら、口元にハンカチのようなものを押し付けた。おそらく何かの薬物だったのだろう、紫月はすぐに意識を失ってしまったようで、男らに抱えられ四トン車の中へと押し込まれてしまった。
その間、わずか数秒――まさに一瞬の出来事だった。
紫月を車に乗せたことで安心したわけか、女がサングラスを外して赤い車の助手席へと戻っていく。車の窓を開け、トラックの男たちに何か指示を出しているようだ。
「……まさか拉致!?」
「そんな……! 何で一之宮君が!?」
冰と帝斗が慌てる側で、氷川がスマートフォンを取り出し、カメラのズーム機能を使って様子を確認していた。
「思い出した! あの女、確か……」
「白夜、知ってるのか!?」
「ああ。多分だが、鐘崎の許嫁とかって噂されてた香港の女じゃねえのか……?」
「許嫁ッ!?」
氷川から鐘崎と紫月の仲を聞いていた冰は、めっぽう驚いたといったふうに驚愕の叫び声を上げた。
「香港の社交界でそういう噂があったってだけだから……事実かどうかは分からねえが。とにかく一之宮が危険だ! 俺はヤツを追い掛ける。冰、お前はこのことを鐘崎に知らせろ!」
氷川はそう言うと、すぐさま紫月の押し込まれたトラックを目掛けて走り出した。
「分かった! 気を付けて!」
冰も急ぎ、この場を走り去って行った。
「俺は車を回してくる!」
綾乃木も立ち上がり、帝斗はその場に残ってトラックの様子をカメラに収めんとタブレットを取り出した。ズームすると、氷川が上手く車両後部の扉を開けて、荷台に乗り込むのが確認できた。
「氷川君、頼むよ――」
帝斗は祈るような気持ちでその様子を連写し、赤い車の女やトラックの運転手をもカメラに収めたのだった。
◇ ◇ ◇
一方、荷台へと忍び込んだ氷川は、紫月の無事を確認できていた。どうやら眠らされただけのようだ。中は真っ暗闇であったが、幸いなことに運転席とは完全に隔離されている状況だから、一先ずのところ気付かれていないらしいのは救いだった。
スマートフォンのライトで照らすと、意識を失って横たわっている紫月と、周囲には段ボール箱がいくつも積まれていることが分かった。箱に印字された文字を見ると、よく知った洗剤やティッシュペーパーやらの商品名が記されている。おそらくはどこかの運送会社のトラックなのだろうかと思えた。
「台所洗剤とシャンプー、キッチンペーパーに入浴剤。それと糊にノートに消しゴム、ボールペンだと? こっちは煎餅に菓子パンまであるじゃねえか……!」
積まれている物に一貫性はなく、多種多様だ。もしかしたらスーパーか、あるいはドラッグストアなどの荷物なのかも知れない。
「……ってことは、盗難車ってことか……?」
ザッと見渡せど、監視カメラなどの類いは無さそうである。パンなどの食料品が積まれているせいもあってか、空調設備も動いている為、熱中症などの心配もとりあえずはない。車は移動を続けているようだが、目的地に着くまでは運転席の男らにバレることもないだろう。氷川は、一通り車内の様子を確かめると、すぐさま冰に宛てて現状報告の電話を入れたのだった。
「もしもし、冰か!? 鐘崎とは落ち合えたか?」
『うん! 白夜の方は!?』
「こっちも何とか無事だ。俺が乗り込んだこともまだバレてねえようだし、一之宮も気を失ってるだけで息はある」
『そっか、良かった……! 今、鐘崎君に代わるから』
氷川は鐘崎に現状を伝えると共に、GPSで追い掛けてくれるようにと頼んだ。
『氷川、すまねえ。恩に切るぜ。紫月を頼む』
「ああ、任せろ。何か動きがありそうだったらまた知らせる」
鐘崎とも無事に連絡がついたことだし、彼ならばすぐに追い付いてくれるだろう。とにかくは車が目的地に着くまでに紫月の意識を取り戻すことが先決だ。氷川は彼を抱き起しながら、ゆさゆさと肩を揺さぶり、耳元でその名を呼び続けた。
とんだ災難ではあるが、割合容易に事件は解決するだろうとタカを括ってもいた。まさかこの後とんでもない出来事が待っていようなどとは、この時は想像すらできなかったのである。
◇ ◇ ◇
移動中の車内で、氷川は段ボール箱の中を物色していた。いくら揺り起こせども、紫月が意識を取り戻す気配が一向にないからだった。時折微かなイビキまで立てながら熟睡してしまっているようで、当分の間はどうにもなりそうもない。おそらくは強めの睡眠剤のようなものを嗅がされたのだろうか、いくら真夏といえども空調も効いていることだし、このままでは風邪を引きかねない――そう思って、掛け布団の代わりになりそうなものを探していたのだ。
ドラッグストアに売っていそうな物がたんまり積んであるにしては、タオル類のようなものは見当たらない。
「……っくしょう……! タオルケットとまでは言わねえけどよ。何かそれっぽいモンがあっても良さそうなのによ――」
いくら拉致といえども、揺れる車内の地べたは土足で乗り降りのできる板の間だ。そんなところに粗雑に転がしておくだなんて、とんだ扱いもいいところである。氷川は腹立たしく思いながらも、懸命に積み荷を確認する――。
「仕方がねえ、こんなんじゃ心許ねえけど……今はこれで勘弁してくれよな」
氷川は自らのシャツを脱ぐと、横たわる紫月へと掛けた。枕代わりにはちょうど良さそうなモップの先端が入っている箱を見つけたので、新品のビニール袋を剥いて頭を持ち上げ、敷いてやる。車に乗り込んでから、かれこれ三十分が経とうとしていた。
「鐘崎のヤツ、そろそろ追い付いてくれてもいい頃だけどな――」
そう思ったちょうどその時だ。待ち人からの着信が届いた。
『氷川――遅くなってすまない。少し厄介なことになった』
鐘崎にしては珍しく、焦った様子の声音である。
「どうした? 何かあったのか?」
『落ち着いて聞いてくれ。先ず――お前らの乗ったトラックの現在地だが……羽田空港の中だ』
「羽田ッ……!?」
あまりに驚いてか、氷川は思わず大声を上げそうになり、慌てて声を潜めた。
「羽田だって? けど、車はまだ走り続けてるぜ? 一体、何処に連れてく気なんだ」
『恐らく――香港だ』
「香港ッ――!?」
『ああ。お前らをさらったのは、俺の知り合いに間違いない。粟津が撮ってくれた写真で確認したが、その女は香港にいた時の俺の幼馴染みだ』
「ってことは……やっぱり……」
『ああ――お前も知ってるんだろうが、俺の許嫁と言われていた女だ』
やはりそうだったのか。氷川は以前、鐘崎について調べていたことがあったわけだが、その時にSNSなどで女の顔写真も見たことがあったのだ。記憶は確かだったというわけだ。
では――もしかすると、その女も鐘崎の周辺に探りを入れている内に、鐘崎と紫月が格別に親しい仲にあるということを知ったのかも知れない。
「なぁ鐘崎……お前、その女とはどうなんだ? 許嫁ってのは本当なのか?」
「俺がガキの頃に親同士の間でそんな雑談をしていたことがあったというだけだ。とっくに解消になってる」
「そうだったのか。じゃあ、お前は一之宮オンリーってことでいいんだよな?」
「勿論だ。この前、その女が来日した際に、本人ともきちんと話をつけたんだがな」
「そっか。安心したぜ」
ではやはり女の方では未だ鐘崎を諦め切れていないといったところなのだろうか。紫月を拉致して、今度は二人で話をつけるとでもいうつもりなのか。
「とにかく俺は源さんと共にこれから香港行きの手配をつける。お前らの方が先に離陸しちまうだろうから、追い付くまでにはどうしても時間的なロスが生じる。すまないが、それまでの間、紫月を頼む」
鐘崎の説明によると、女の方では既に全ての手はずが整っているようで、飛行機も一般とは別のプライベートジェットだということだ。トラックごと機内に乗り込むようなので、氷川の存在も知らぬまま離陸ということになるらしい。もしかしたら高度が落ち着いた頃に彼女らがトラックの荷台を開けて確認することがあるかも知れないから、十分に気を付けて欲しいとのことだった。
「もしもお前が乗り込んでいることがバレて美友と対面することになったら、すぐに俺宛てに連絡を取ってくれ。直接俺が話すと伝えて欲しい」
美友という女は鐘崎の携帯番号すら知らないので、氷川を通して連絡がつくことが分かれば、そう無碍にもできないだろうというのだ。
「とにかく俺を餌に時間を稼いで欲しい。現状では紫月を拐った目的が何なのか分からないが、彼女は俺に心に決めた相手がいることを知っている。その相手が紫月だということを突き止めたのかも知れない。俺もお前らが香港に着くまでには何としても追い付けるようにする」
「分かった。こっちは何とか上手くやるさ。何かあったらお前の携帯にかけるぜ」
「念の為、源さんの番号も知らせておく。世話を掛けてすまないが――よろしく頼む」
鐘崎との通話を終えると、氷川は紫月の横に腰を下ろしながら、ふうと深い溜息をついたのだった。
それにしても、わざわざ香港にまで連れて行って何をしようというわけだろう。鐘崎の目の届かないところで紫月に嫌味のひとつも言うつもりなのだろうか。大袈裟にも程があるというものだが、相手の女は香港の有名ホテルの令嬢ということだったし、そのくらいのことは朝飯前というわけか。
氷川はそんなことを思い巡らせながら、もしも彼女らと対面した時の為にと、再び車内の荷物を物色することにした。もしかしたら一悶着あるかも知れない。相手は刺青をした男たちもいたことだし、戦闘体制だけは整えておいて損はないだろう。
まさかこの後に想像を遥かに超えるような突飛な出来事が待ち受けているなどとは、思いもしなかったのである。
◇ ◇ ◇