番格恋事情

47 事件勃発2



 それから程なくして飛行機は離陸したようだった。鐘崎の言った通り、トラックごと機内へと持ち込まれたようで、荷台の中は確認されることなく飛び立ったのだろうと思えた。
「クソッ……本当に飛びやがった……。しかし……積荷の検査もしねえで離陸させちまうってどういうことだよ」
 一応、空港ではX線による検査などが行われるはずである。荷の中に人が乗っていれば分かりそうなものだが、既に飛び立ったということはそれらをクリアしたというわけだろう。何かカラクリがあるのだろうが、今はとにかく今後の対応を考えることが先である。香港までの飛行時間はおおよそ四、五時間といったところか――それまでには紫月の目を覚まさせる必要がある。菓子パンやペットボトル入りのドリンクなども積まれているのが不幸中の幸いだった。
「しっかし……寒みィな……」
 プライベートジェットということだし、一応は人質の紫月も乗せているので、エアコントロールはされているようだが、さすがにタンクトップ一枚の姿では寒い。かといって、紫月に掛けてやったシャツを剥げば、今度は彼の体温が奪われてしまうだろう。
「……つぅ、マジ寒くなってきやがった……」
 着陸後に備えて、今は少しでも体力を温存しておきたいところだ。
「仕方ねえ……。一之宮、ちょっと勘弁しろよ」
 氷川は段ボールと段ボールで自分たちを囲むように壁を作ると、紫月を抱き起こして自らの腕の中へと抱え込んだ。二人ぴったりと身体を重ねて座り込み、互いの体温で温め合うように密着して抱き合う。
「……んー、これはあくまで生命維持だかんな。鐘崎、それに冰……誤解すんなよ? 緊急事態なんだから、今だけ勘弁してくれ! つか、それ以前に一之宮が目を覚ましたら……一発殴られそうだな。ははは……」
 氷川は苦笑いをしながら、そんな想像を巡らせて自らを奮い立たせていた。正直なところ、この先のことを考えると緊張感は拭えない。すぐに鐘崎が追い付いてくれればいいが、そう上手くはいかない場合も有り得るわけだ。その時に紫月と二人きりでどう切り抜けるか――頭の中でシュミレーションを繰り返しながら、奮起するしかない。氷川はそう自分に言い聞かせていた。

 そのままウトウトとし、眠り込んでしまったのだろうか――氷川が目を覚ましたのは、間もなく香港に到着しようかという頃合いだった。ユサユサと肩を揺さぶられ、寝ぼけ眼を開けば、そこには紫月が心配顔でこちらを見下ろしていた。
「おわッ……一之宮……!」
 氷川はガバッと身を起こし、キョロキョロと辺りを見渡した。
「氷川! 気が付いたか!」
「あ、ああ……。俺、寝ちまったんか……」
 あれほど寒かったはずが、今は全く快適だ。――と、そこでハタと先刻からの記憶が蘇った。
「……つか、その……俺! ナンもしてねえかんな! これはその……身体を温っめる為っつか……邪なことなんぞ何も……考えてねえっつか!」
 しどろもどろの氷川に、紫月がクスクスと笑いを堪えていた。
「分かってるって!」
 紫月が目覚めた時、氷川のものだろうシャツでしっかり包まれながら抱かれていた。そのお陰で体温が奪われずに済んだのだ。
「それよか、お前が一緒だってこと自体に驚いたけどよ……。俺ら、一体どうなったんだ……?」
 紫月にはここが何処であるかも分からないのだろう。氷川は順を追って説明を始めた。
「お前らがいたフードコートに俺らも居合わせたんだよ。声掛けようかとも思ったんだが、清水や橘も一緒だったし、まあまた今度でいっかっつーことになって。けど、その後すぐに赤い車の女が現れて、お前が拉致られたんで俺も即行この車に乗り込んだってわけだ」
 氷川は、鐘崎にも既に連絡が付いていて、自分たちの後を追ってくれていることや、今現在はトラックごと飛行機に乗せられて香港に向かっているらしいことなど、知り得る限りの情報を話して聞かせた。
「お前、あの赤い車の女に何か話し掛けられてたろ? どういう用件だったんだ?」
 氷川が尋ねると、紫月は難しげに眉をしかめながら頷いた。
「ああ……あの女――な。いきなり『あなたが一之宮紫月?』とかって訊いてきてさ。知らねえ女だったんで、とりあえずそうだって答えたら……自分は鐘崎遼二の婚約者だって名乗ったんだ」
 やはりそうか。この紫月が何の反撃もできずに、簡単に拉致されてしまうだなんて、余程ショッキングなことでも言われたのかと思ったが、当たっていたようだ。
「遼二のことで話があるって言われて……。そしたら急に危ねえ感じの奴らが出てきてヘンな薬嗅がされて……その後は全く記憶にねえしで……。気が付いたらお前が居て……そういや俺、どうしたんだろってさ。もしかお前も俺と同じように拉致られたのかなって……」
「なるほどな」
 やはり彼女は紫月が鐘崎の大事な相手だということを知ったのだろう。
「まあ、とにかく心配すんな。あの女が何を考えてるか知らねえが、今はちょうど俺の両親も香港支社にいる。向こうに着いて、ネットに繋がりさえすりゃ連絡は取れる。おそらくこのトラックごとどこかへ連れてかれるんだろうから、道中でフリーのワイファイでも拾えるかも知んねえ」
「あ、そっか! そういやお前の携帯って手があったか! 俺ンは掴まった時に取り上げられちまったようでよ……さっきっから探してんだけど見つからねんだ」
「なら、もしかして女が持ってんじゃねえのか? さっき鐘崎が言ってたんだが、女の方では鐘崎の携番も知らねえみてえだぜ?」
 ということは、紫月の携帯を取り上げて、アドレス帳を漁るつもりだったのかも知れない。
「それにしてもよ、お前を拉致って香港まで連れてくってさ。あの女、かなりヤベえわな。もしか、お前に直接嫌味でも言うつもりなんだろうか」
「まさか……。いくら何でもそんなことの為に香港までって……」
「いや、分からんぞ。”遼二”はアタシのものよ! アンタなんかにあげないんだから――! とでも言い出すんじゃねえの?」
 女っぽい口ぶりをマネながら、上半身までくねらせてそう言う氷川に、紫月は思わず噴き出しそうになってしまった。こんな時にブラックジョークなんて――と思えなくもないが、氷川なりに元気付けてくれているのだろうことが分かる。紫月はそんな心遣いが素直に嬉しかった。ところが――だ。
「その通りよ! 遼二はずっと昔からアタシの婚約者なんだから! 余所者は消えて欲しいの!」
 突如扉が開けられて、当の女が姿を見せた。
「……っと! 噂をすれば、ご当人の登場かよ」
 氷川はすかさず紫月を庇うように彼を自らの背で隠すと、女との対面を買って出た。
「……あなた一体誰!? 何でここに乗り込んでいるのよ!」
 美友という女は、氷川の存在に酷く驚いたようで、眉間に青筋を立てながら睨み付けてきた。
「ほぉ? 随分と日本語が堪能じゃねえか。感心と言えなくもねえが――」
「当然よ! これから夫になる彼の母国語だもの。どちらの言語でも話せて当たり前よ」
「ふぅん? 心意気は立派だが……それにしても、こんな酷え方法でいきなり拉致るとか、あんた、綺麗な顔してやることはえげつねえのな?」
「えげつないですって? それはあなたの方でしょ? 一体何者よ!」
「俺はこいつと鐘崎の友人だ」
「友人ですって?」
「ああ。ちょうどあの場に居合わせたもんでね。こいつが拉致られるのを目撃したんで、加勢かたがた付いて来たってわけだ」
「まあ、ご立派な友情ですこと!」
 彼女の後方から拉致の実行犯であろう男たちも顔を見せた。
[あなたたち、どういうこと!? こんな余分な男まで連れて来て!]
 今度は広東語だろうか、言っている意味は分からないが、氷川まで連れて来てしまったことを詰っている様子が、彼女の口ぶりで分かる。
「……っまったく! 招かれざる客であるけれど、来てしまったものは仕方ないわね。今更降ろすわけにもいかないし。こうなったら、あなたにもとことん付き合ってもらうまでだわ」
「随分とまた物分かりがいいじゃねえか」
「さあ、それはどうかしら? そんなことより……一之宮紫月! あなた、広東語は話せて? 遼二をたぶらかしてくれたようだけど、まさか彼の生まれ育った国の言葉も喋れないなんて言わないわよね?」
 美友は皮肉たっぷりといった調子で、侮蔑するかのように紫月を見やった。
 遼二の母国語が話せるということ――それが彼女の誇りなのだろう。と同時に、自分にはできて紫月にはできないことを例に挙げて、自尊心を誇示したいのだろうと思えた。
「あのよ、あんたがバイリンガルなのはすげえことかも知んねえけどよ。今はそんなことより……」
 氷川が紫月を庇うように口を挟んだ、その時だった。
「――しゃべれねえよ」当の紫月が割合落ち着いた面持ちでそう答えた。
「聞くのも話すのも全くダメだけど――それが何?」
 正直に認めた紫月に、美友の方は満足だったのだろう。より一層侮蔑するかのようにこう吐き捨てた。
「あら、開き直る気なのかしら?」
「……そんなんじゃねえよ」
「あなた、それでよく遼二の恋人面ができたものね? 彼には香港に帰れば立場ってものがあるのよ? 各界の要人との付き合いも多いわ。社交界に顔を出すことだって。そんな中で広東語すらしゃべれないで、どうやって彼をサポートしてあげられるのかしら?」
 つまり、遼二の隣に立つ資格があるのは自分だと言いたいのだろう。
「しかも……男同士で付き合っているだなんて……破廉恥もいいところじゃない! そんなことが知れたら彼の立場はどうなると思って? あなた、遼二の人生をめちゃくちゃにする気っ!?」
「…………」
 さすがに紫月も上手くは返答儘ならない。
「あ……ンなぁ! ンなのは……当人同士の自由だろうが! 男同士で付き合おうが、鐘崎とコイツが好き合ってるんなら、他人がどうこう言うことじゃねんじゃねえの?」
 さすがに氷川も口を出さずにいられない。だが美友は、
「部外者は黙ってて! これは一之宮紫月とアタシの間の話よ!」
 刺のある表情で、ピシャリと氷川を切り捨てた。
「まあ、いいわ……。とにかく、遼二はアタシのものよ。あなたにはあなたにふさわしい人生を用意してあげる!」
 不敵に言い捨てると、実行犯の男たちを伴って踵を返し、
「とりあえず降りてちょうだい。お手洗い休憩くらいさせてあげる。軽食も用意したわ。分かったら、サッサとこっちに来てちょうだい!」
 そう言って荷台を降りていった。
 確かに長時間のフライトで、寒さの中にずっといたわけだ。とんだ高飛車な女の言い分だが、今の紫月と氷川にとっては、トイレに行かせてもらえるのは有り難かった。
「……ったくよー……なんちゅー女だ!」
 しかめっ面で氷川は舌打ち――、紫月は黙ったままで眉根を寄せる。ともあれ二人は美友に従うしかなかった。
 そうして化粧室は使わせてもらったものの、紫月も氷川も出された食事に手を付ける気にはなれずに躊躇していた。先程のトラックに戻れば菓子パンと飲料水なら確保できるし、ここで得体の知れない食事を摂るよりは安全だ。
「毒なんか入っていないわ。もうすぐ着陸なんだから、サッサと食べてちょうだい! それとも――いらないっていうなら今すぐトラックに戻って!」
 美友にも二人の考えていることが分かってしまったのか、そう言い捨てる彼女は不機嫌顔だ。側では腕に派手な刺青姿の男が見張っている。結局、食事は遠慮することにして、二人は例のトラックの荷台へと戻った。
[おら、早く乗れ! おとなしくしてろよ!]
 刺青の男に急っつかれながら荷台へと押し込められる。またもや真っ暗闇の中に逆戻りだ。
「すまねえな、氷川――」
 紫月は申し訳なさそうにして、頭を下げた。
「構わねえって! お前と鐘崎には散々迷惑掛けたんだし、それに――お前らは冰と俺を助けてくれた。俺らの命の恩人だ。恩返し……には全然足りねえけど、少しでも役に立ちてえって俺の気持ちだ」
 氷川は、気にするなと言って笑った。
 扉の外では着陸後の予定を打ち合わせているのか、美友と男たちがボソボソと何かを話している様子が窺える。
「もうすぐ香港に到着か……。この後、どうなっちまうんだろな……」
 紫月が不安そうに外を気に掛ける傍らで、氷川は美友らの様子に聞き耳を立てていた。

 しばらくすると、機体が不安定に揺れ出し、いよいよ着陸態勢に入ったようだ。紫月は膝を抱えて座り込んだまま、気重な表情で言葉少なだ。一方、氷川は懸命にスマートフォンに文字を打ち込んでいた。
「そういやお前のスマホ、取り上げられなくて良かったよな」
「ああ、それだけは助かった。正直、いつスマホを差し出せって言われるかと、内心ビクビクだったけどよ」
 氷川は文字を打ち終えると、生真面目な表情で紫月を見つめた。
「一之宮――落ち着いて聞けよ?」
「ん? ああ、何――?」
「あの女の考えてることが分かった。奴ら、香港に着いたらお前を或る組織に売っ払うつもりらしい――」
「――え!?」
「詳しいことまでは聞き取れなかったが、闇の売春組織にお前を引き渡すとか言っていた。刺青の奴らは美友って女が金で雇ったチンピラのようだ」
 紫月は驚いた。話の内容も無論だが、何故氷川には彼らの言葉が理解できたのかということも不思議でならない。
「……まさか……お前、広東語が分かるのか……?」
「ああ、多少な」
「マジかよ……」
「うちは主に香港と台湾に支社がある。いずれ必要になるからって、ガキん頃から広東語を覚えさせられた。まあ、すげえ流暢ってわけにゃいかねえけどよ」
 苦笑する氷川を横目に、紫月はめっぽう驚いたといった表情で、大きな瞳をグリグリと見開いてしまった。
「マジ……? すげえ……尊敬する」
 鳩が豆鉄砲を食らったように唖然とする紫月の傍らで、氷川はポケットからハンカチを取り出すと、積荷の中から拝借してきた油性ペンで何かを書き始めた。
「それ、何――?」
 紫月が氷川からスマホを受け取り、手元を照らす。
「ん――。市街地に出て、どっかでフリーのワイファイが拾えれば、鐘崎たちにさっき聞いたことを送信しようと思ってる。けど、もしもネットに繋がらなかった時の為に第二の手段を残しておく」
 氷川は、できるだけ簡潔にそれらを書き記すと、トラックの扉の隅っこにハンカチを結び付けた。
「このトラックごと移動してくれるのは有り難え。鐘崎が追って来るのに目安になるだろ?」
 もしも途中でトラックを乗り捨てて、別の車などに移動させられたとしても、ここに何らかの手掛かりを残しておけば、後々役に立つかもしれないということなのだろう。こんな状況の中で、黙々と事態を打破しようとする氷川に驚くばかりだ。紫月は敬服の眼差しで氷川の一挙手一投足を見つめていたのだった。



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