番格恋事情
紫月が屋上で毒舌をかましてから後も、特には変わったことのないままに二日が過ぎた。
鐘崎という男もすっかり紫月らの仲間内に溶け込み、それをきっかけにクラスの連中らともぼちぼちと馴染むようになっていった。
皆、ほぼ思うところは等しいというわけか、今まで遠目に鐘崎を窺っていた者たちも、一度きっかけができてしまえばこの男を好意的に取り巻く様が一目瞭然だ。傍目から見てもやはりこの鐘崎にはある種の風貌があるということなのだろう。特に京とは折り合いが合うのか、この短期間に互いを名前で呼び捨てるまでになっていた。まあどちらかといったら京の方が積極的な感があったが、とにかく彼の人懐こい性質のせいもあってか、鐘崎当人もそれにつられるようにして違和感のなく馴染んでいるその様子に、紫月だけは未だ気の重いながらも静観しているといったふうだった。
元々口数の少なく硬派なイメージの紫月のこと、仲間内で彼だけが鐘崎と大して親しげにしていなくても、特には気にとめる者もいなかったとういうのが幸いか。とにかく紫月はノリのいい剛と京の後ろに付いていくというような感じで、他力本願的な日々を過ごしていたのだった。
だがまあ、そうはいえども教室に入れば否が応でも席は隣同士、どんなに接触を避けようとしてもやはりひと言の会話もしないというわけにはいかない。加えて未だに教科書の揃っていない彼に、机をつっく付けて見せてやらなければならない状況にも変わりはなく、意に反して案外疲労させられる毎日だったというのも実のところだ。
こっちの気も知らねえでお気楽なもんだよなーと、横目にチラ見する彼の視線は相変わらずで、生真面目そうに黒板を見つめていることが多い。先日、あれだけの毒舌を放ったにも関わらずまったく気にしていないのか、こちらを警戒する素振りも皆無のようだ。
まあ、直接『男とセックスをしてきた』と言ったわけじゃなし、あの程度の言い方でははっきりとした意味が理解出来なかったのか。あるいは意味は通じていてもほんの冗談と受け取られたのかは知らないが、とにかく相当イキがって毒舌をぶちまけたつもりのはずが全くの効果なしといった様子に、癪な気持ちと安堵の気持ちが交叉する。
彼の変わらない態度に心のどこかでホッとしていたりするのに気がつけば、そちらの方が気重だというようにして、紫月は溜息の絶えない調子でいた。
そんな思惑をよそに今日もまた授業が始まる――
お決まりのように机をくっ付けて本を間に置いて、これまたお決まり、緊張の一時限の始まりだ。
あーあ、といったように彼に背を向けるような形で右の片肘をついてボゥーっと窓の外に視線をやったその時だ。
「なあ一之宮、今度あんたの家に遊びに行ってもいいか?」
その言葉に紫月はギョッとしたように鐘崎を振り返った。
「あんたの家、道場やってるんだろ?」
「――は?」
「や、京たちからそう聞いたもんだから……。もしよかったら見学っていうか、日本の武道とか見せてもらいてえなって思ってさ」
にこやかに、爽やかに微笑まれて紫月は面喰ったような顔をした。
(あンの野郎共ー、余計なこと抜かしやがって……!)
眉間をヒクつかせながらも、だが内心はやはりうれしい感が否めないのか、紫月は『負けた』というように、
「別にいいぜ。来たきゃ来れば――?」
と、ぶっきらぼうにそう言ってのけた。
◇ ◇ ◇
善は急げといわんばかり、その日の放課後になると早速に鐘崎は道場へとやって来た。
どういうわけか剛や京も一緒で、いつも通りにギャアギャアと大乗り気で盛り上がりながら商店街の帰路を歩いているこの状況――
どうせ京らがお節介にも聞き出したか、あるいは鐘崎本人が漏らしたのかは知らないが、
『道場を案内してもらえることになった』
『そいつはよかったな~』
などと盛り上がったに違いない。
まあ鐘崎と二人っきりで下校することを思えば遥かにマシなわけで、半ば呆れつつも紫月は悪友たちを伴って帰路を歩いた。
紫月の家に着くと、まずはその外観からして珍しいというように鐘崎が感嘆のため息を漏らしていた。
街中にしては豪勢な程の広々とした敷地は、ぐるりとその周囲を竹製の柵で囲まれていて、純和風のその造りを非常に興味深そうに眺めては、しばし感慨深げに立ちすくむ。そんな鐘崎の横顔には、春の夕陽が反射していて眩しそうに手をかざす。ほんのちょっとしたそんな仕草にも胸がざわめいてしまうのに、紫月は苦笑いを抑えられなかった。
門をくぐって中に入ると、どうやら今日は小学生の稽古が開催されているようで、道場からは賑やかな声があふれてきていた。
「たーだいまーっ」
紫月がちらりと顔を出せば、それに気付いた子供たちがうれしそうに駆け寄ってきたのに、剛たちはクスッと頼もしげに微笑んだ。
「あいつ、ガキには人気あるんだよなー?」
「道場で育っただけあって強えからな、あいつ! ガキ共にとっちゃ憧れなんだろうよ?」
剛と京が口々にそう言うのを聞きながら、鐘崎もまた、ふいと瞳をゆるめた。
子供たちにもみくちゃにされた紫月の後方から和服をまとった一人の男性が顔を出し、おそらくはそれが紫月の父親なのだろう、凛とした背筋のその姿を見て鐘崎らはペコリと頭を下げた。
「あ~……っとその、今日はダチ連れて来たんで……」
紫月はポリポリと頭をかくような仕草をしながら父親へと彼らを紹介した。
剛と京は小さい頃からの馴染みだったが、見慣れない鐘崎の存在を目にすると、紫月の父親はハッとしたように彼を見やった。
初対面というのも無論だろうが、鐘崎の見てくれがどうにも清々しい印象に思えたのか、しばしポカンとしたように彼を見つめたまま立ち尽くす。そんな様子に紫月はチィと舌打ちをすると、
「は……んっ、どーせ俺らのダチにはそぐわねえ雰囲気だって言いてーんだろ? こいつはね、転入生なのー! 香港から越して来たばっかでさ、日本の文化に触れてえとか何とか抜かすからよ……」
不良を地でいく自分たちには似合わない優等生を連れて来たのに驚いているふうな父親に対して、紫月は嫌みまじりにそう説明した。
「鐘崎遼二といいます。一之宮君たちとは同じクラスで世話になってます」
鐘崎が律儀に頭を下げている様子に、どーせ俺たちとはデキが違いますよと言いたげにして紫月は呆れ半分、剛と京も照れ笑いをしながら頭を掻いている。
「あ、そう……そうだったのか……これは失礼。どうぞゆっくりしていってください」
紫月の父親も鐘崎の紳士的な感じに、しばし茫然としたように彼を見つめていたが、彼が香港から越して来たばかりでわざわざ日本の武道に興味を示してここを訪れてくれたのをうれしく思ったようだ。
「そうだ、ではいいものをお目に掛けようか」
父親は一旦母屋へ向かうと、一振りの日本刀を携えて戻って来た。
「おわっ……! すっげー! これってカタナ!? 本物ッスか!?」
相変わらずの懐っこさで京がその側へと駆け寄って、ワクワクとした様子で瞳を輝かせれば、
「すっげー、真剣ってヤツっすね? 俺、初めて見たよこんなの」
剛も鐘崎の腕を取り、彼を引き連れるようにしながら珍しそうにマジマジと刀を眺める。
「居合の試し斬りを君たちに見せてあげようと思ってね」
紫月の父親は彼らを裏庭へと案内すると、携えていた刀を一度鞘から取り出して中を改め、すぐにまた鞘へと戻すと、静かに瞳を閉じた。
――静寂の中にビリリとした緊張感が張り詰める。
静から動への仕草と共に、見事に巻藁が切られて空を飛ぶ。少し離れた縁側で、皆は目を皿のようにしてその様子を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「いやー、すごかったっすねー!」
「ホント! すっげーもん見してもらっちゃった……なんか俺、超感動……!」
生で試し斬りを見学できた感激からか、剛も京も鐘崎も、それを見慣れている紫月以外は全員が興奮のるつぼといったいった調子で頬を紅潮させていた。
「この刀は私の宝物でね。鞘を抜いて実際に試し斬りを試みたのは今日で二度目なんだよ」
感慨深げに紫月の父親はそう言った。
そんな貴重なものを自分たちの為に見せてくれたというわけか――
如何に海外からの転入生の為とはいえど、ほんの学生の身である自分たちの為にこんなにまでしてもらえるなんて、というようにして剛らは感激冷めやらぬといったふうだった。
そんな様子が可愛く思えたのか、紫月の父親は「ハハハ」と声をあげてうれしそうに笑うと、
「詳しい時代は分からないが、かなりの名刀といわれるものらしい。本当は対になるもう一口と合わせてこその代物なんだが……」
と、その刀の由来に触れた。
「へえ! それじゃコレ、夫婦刀ってやつッスか? そいつぁーすっげー! 超貴重品っつーか、めちゃめちゃ価値あるんじゃないっすか!?」
またもや京が話の横入りをするように身を乗り出しては、鼻息を荒げながら興奮しているといった様子に、父親の方は微笑ましげにそれを見つめていた。
「まあ確かにな、そういった意味での価値があるといえばそうかも知れないが……どのみち、もう一口の方が揃わないことには何ともね? まあ私にとっては自分の分身といってもおかしくないくらいなのは確かだよ。私の持っているこれは男刀の方で、名前は――」
「残月――」
ふと、それまで京らの後ろでおとなしく見ていた鐘崎が静かにそう口走ったのに、その場にいた全員が驚いたように彼を振り返った。
「その刀の名前は残月。遥か昔に忍びが使ったとされる名刀で、対の女刀の名前は宵月。二つ揃って『朔』と呼ばれる代物だ。夫婦刀には違いないが、その由来は忍びの使いし刀といわれるだけあって、その名の如く――。東の空に現れる『宵月』と西の明朝に姿を消す『残月』が対極にあるように、決して相容れることを許されなかったとされている。まるで新月の夜に忍び逢うことを待ち望むかのような『朔』という名称が悲恋を表しているのだと……。確かそんな言い伝えがあると聞いたことがあります」
生真面目そうな表情で、だが普段の優等生のそれとはまったく雰囲気の違う鋭く澄んだ瞳を伏し目がちにしてそういう彼を、皆は茫然と見つめていた。
こいつは誰だ――?
一瞬、そう思いたくなる程に雰囲気が違う。そんな鐘崎の様子に、驚きを通り越してポカンとしながら、ただただ見つめるしかできないでいた。
しばらくは誰もがひと言も発せずに、硬直というよりは唖然としたような表情で立ち尽くす。中でも滅法驚いたという表情でいる紫月の父親は、鞘を持つ自らの手を少し震わせてもいるようだった。
「――いや、キミ……大したものだ。よく御存じだね? 確かにそんな言い伝えがあると聞いたことがあるが……」
やっとのことでそう相槌ちを返したのは、それからしばらくしてのことだった。そして、半ば謙遜まじりに笑いながら、
「だがしかし……これが言い伝えにある本物の『残月』であるかどうかは分からないがね。何にせそんな大層な由来のものだから、それにまつわってつくられた刀も数あるだろうしね?」
そう言って額の汗を拭いながらも、その焦りを隠そうというわけなのか、わざと照れ臭そうにしてみせた。
だが、もっと驚くような返答が鐘崎の口からこぼれたのはその直後だった。
「本物の残月には柄の目貫《めぬき》部分に月を象《かたど》った黒曜石が埋め込まれているはずです。それが『朔』を表すのだとか……。対となる女刀の鞘《さや》の鵐目《しとどめ》部分には同じ形の夜蝶貝がほどこされていて、こちらは『望』を意味するのだと。望とはつまり新月の逆である満月――。『黒曜石』と『夜蝶貝』を向き合わせにすることで互いを映し出し、淡い満月が浮かびあがるように見えるのだそうです。報われない愛の苦悩をそんなささやかな形でまっとうしようとした想いが込められてつくられた刀なのだと――」
「キ、キミ……それを……どこで……」
随分と稀少な話をよく御存じだという感心からなのか、とにかく紫月の父親はこの上なく驚いたといった表情で、しばらくは瞬きひとつままならずに硬直状態を崩せない。震える手に携えられた刀の柄には確かに黒く光る石がはめ込まれている。それが黒曜石であるかどうかは定かでないにしろ、だが鐘崎の意味ありげな視線と、妙に自信に満ちた口調は、まるで『あなたが持つそれが本物の残月でしょう』といわんばかりにも受け取れる。
驚き立ち尽くす父親をはじめ、剛や京も同様、紫月に至ってはそれこそ『珍しいものでも見るような目つき』で鐘崎を凝視していた。
だが次の瞬間、ふっとその緊張の間合いを解くとでもいうようなやわらかな笑顔で、
「実は俺の父も日本刀が大好きでして。子供の頃からよく話を聞かされていたものですから」
今までの雰囲気から一八〇度転換したように、あっけらかんと微笑まれた鐘崎の表情に、皆の硬直が一気に崩れた。
「あ――、そうなの」
眉間の冷や汗を拭いながら紫月の父親がそう言えば、
「なーんだ! すっげーなー! ならやっぱお前の家って超金持ちってことじゃね? だってそうだろ? 趣味が日本刀ってさ、もしかしてコレクションとかもしてるってことかよ?」
「マジッ!? やっぱ香港の大富豪ってか?」
剛と京が興奮ぶり返すといった調子でそんなふうにはやし立てた。
◇ ◇ ◇
悪友たちが帰って行った後、見事な程の宵月が東の空に顔を出した縁側で、紫月は父親の背を見上げながら一服をしていた。
「おいこら、紫月! 煙草はよせって言ってんだろーが! お前、まさか他所でも吸ってんじゃあるめえな?」
「はあ? 何、今更……」
「……っ、まあいい。それよりさっきの友達――」
そこまで言い掛けて、ふと言葉をとめた。
紫月は不思議そうに父親を見やると、悪気のなく堂々と煙を吐き出しながら、
「鐘崎って野郎のことかよ? そういやアイツ、妙に刀なんかに詳しかったよな? 道場見たいって言い出したのもヤツの方からなんだけどさ、そーゆーのに興味あったってわけか。……つか、何かヤバかった?」
連れて来たことで何か気まずかったか――とでも訊きたげに紫月が首を傾げた様子に、父親の方はフイと微笑むと、
「いや、何でもない。また良かったらいつでも遊びに来るように言ってくれ」
そう言って宵空を見上げた。そんな父の様子を紫月は不思議そうにしながらも、格別にはこれ以上話すこともないので自室へと引き上げることにした。
それにしても、鐘崎の言っていたのは何だったというのだろう。
「夫婦刀の由来がどうとか抜かしてやがったよな?」
まるで父の持つあの男刀には悲恋の相手である女刀が存在する――とでもいうように聞こえるではないか。
忍びの恋を指し示すが如く『忍びの刀』だと?
何ともむずがゆいような言い伝えは、おおよそ刀には似つかわしくない甘夢幻想に思えて仕方ない。しかもそれを説明する際の自信満々なあの言い草は何だ。
「てめえは鑑定士かっつーの!」
まったくもってワケが分からない上に、ちょっと考えただけで頭がこんがらがりそうだ。
それにしても、自分の家にそんな曰くありげな貴重品があるなどとは知らなかった。
転入生の鐘崎の為にそんな代物を見せてくれた父親には感謝すれども、今の今まで聞いたことも見たこともないような家宝の存在に、紫月はどうにも不可思議な感がしていた。しばしは、鐘崎に対する一目惚れの悩みを忘れてしまうくらいの心持ちで床についたのだった。