番格恋事情
その日以後も鐘崎とはすっかり仲間内の意識が定着してか、放課後も含めて四六時中行動を共にすることが多くなっていった。
川崎を――もとい日本を案内してやるぜとばかりに、自分たちが行きつけのゲームセンターやらショップやらを連れ回し、剛も京も、そして鐘崎当人も本当に楽しげだ。そんな彼らを見ていると、最初の内ウジウジとためらっていたことがバカらしく思えるようにもなってきて、何とかうまく付き合っていけそうな気もするのだった。
そして今日も例に漏れず一緒に下校。お決まりのコースをぶらぶらと徘徊した後に誰かが小腹がすいたと言い出して、行きつけの喫茶店でピザトーストを頬張っていた。
「なあ遼二ー、お前ってすっげ日本語うまくね? つか、流暢だよなー。あっち(香港)じゃ中国語だったんだろ?」
ずっと不思議に思ってたんだけど――といった調子で京が切り出せば、剛もまたしかりと頷いた。そんな問い掛けに鐘崎は少々照れ臭そうに微笑むと、
「ああ、広東語な。俺んとこは親父が中国人だけどお袋はこっち(日本人)なんだ。川崎生まれでさ、四天学園に入ったのもお袋の実家が近いからってことで」
自らの経緯をそう説明してみせた。
「へえ、そーなんだ」
「けどウチは両親ともに家を空けることが多かったっていうか……出入りが激しくてせわしなかったんだ。で、そんな両親の代わりにガキの頃から俺の面倒を見てくれてたのが親父のダチっていうか、親友みたいな人でね。その人が向島生まれの向島育ちだったってわけ。まあお袋と話すときは日本語って時も多かったから」
その『よく面倒を見てもらった』という向島育ちの人が結構な祭り好きで、だから毎年五月になると地元の祭りで神輿をかつぐ為に必ず帰国をすることや、転入にあたって現在も一緒に日本に来ていること、例のデカイ弁当も毎日彼が用意してくれていることなど、次々と鐘崎のことを知る内に、紫月は何ともいえない不安感に襲われるような気がしていた。
やっぱりダメだ、前言撤回。
ついさっきまでは案外うまくやっていけそうだなどと思っていたが、やはり自信がない。
鐘崎のことを知れば知る程、そして側にいて彼の表情仕草のひとつひとつを見聞き感じる程に、どんどん自分の中の想いが膨らんでしまうようなのだ。
あふれ出る泉のようにとめどなく、そしてとどまるところを知らない激情を最早コントロールできそうもない。こんな気持ちになったことは今までなかった。
ちょっといいなと感じた同級生に対しても、憧れた部の先輩に対しても、はたまたゲイバーで知り合った誰かにも、こんなに気持ちを揺さぶられたことはない。
初めての想いに紫月はほとほと戸惑いを感じながらも、表面上は涼しい顔を繕うことに必死になっていた。
せっかく盛り上がっている剛や京の気分を害するのは気が引けるというのも無論だが、何より周りの誰にもこんな思いを気付かれたくないという方が強かったかも知れない。
そんな紫月の胸の内をよそに、剛と京は鐘崎を囲んでどんどん別の話題に花を咲かせていた。
ふと、京が「そういえば桃稜の氷川の家も香港で貿易会社かなんかをやっているんだっけ」などと口走ったのをきっかけに、そいつのことを知っているかという方向に話が向いていった。
「その氷川って野郎も俺らと同じ年なんだけどさー、それがまたとんでもイケすかねえ野郎でさー! 貿易会社やってるって話だけど遼二知ってっか?」
「さあ、俺は企業のことは詳しくねえから……。親父なら知ってるかもしれねえが」
そんなやり取りにも格別には口を挟まずに、視線だけを彼らへと向けながら、紫月は未だ黙って聞いているだけだった。
「そーいやさ、桃稜の奴ら! あれからトンと音沙汰無しだけどよー、どーなってんだ? 氷川があのまま黙ってるわきゃねーべ!」
「だよな? あン時の勢いじゃ速攻で果たし合いにやってくるって踏んでたんだけど……そういやすっかり忘れたわ、ソレ!」
お前も何かしゃべれよといった調子で、剛らが紫月に話を振る。
「どーしたよー? おっ前、さっきっからトンと黙んまりじゃねえ? ピザだってロクに食ってねえし、なんか悩みでもあんのかー?」
ガシッと紫月の肩を抱き込みながら剛がおどけたように耳元でそう囁いた。
まるで子供をあやすかのように髪を撫で、ツンツンと肘で頬を突き、わざとベタベタと引っ付きながら機嫌を窺う。悪ふざけを装うふりをしてそれとなくこちらを気に掛けてくれる、こんなやり方は彼ならではの特有の気遣いだ。
場の雰囲気を壊さないようにごくごく自然になされる繊細な気遣い――
紫月はそれに気付くと、『申し訳ない、敵わねえな』といったようにくしゃりと瞳を細めながら、抱き寄せられるままに剛の肩へと頬を預けた。
「別に……何でもねえよ」
皆にも聞こえる声でそう返し、そしてもうひと言、剛にだけ聞こえるくらいの小声で「サンキュ」と耳元に落とした。
「こっら! てめえら、何ホモってんだって!」
剛と紫月のこんなことはさして珍しくもないのか、それとも茶飯事なのか、バカウケとばかりに京が大笑いをしながら冷やかし半分で身を乗り出しては、双方の頭をパコンパコンと叩いた。
和やかで心地の良い空気に一瞬の安堵が身体を包み込む――
チラリと横目に、控えめな視線で鐘崎がこの様子を見つめていたことに、紫月をはじめ誰も気付かなかった。
◇ ◇ ◇
てめえらが食わねえんなら俺がもらっちまうぜとばかりに京が皿半分に残っていたピザに手を出して、モゴモゴとかっ込みながら談笑する。その背後から、トレーいっぱいにコーヒーを運んできたマスターの男がひょっこりと顔を覗かせた。
「なんだー、てめえら。まだ桃稜の奴らといがみ合ってんのかー? 相変わらず進歩のねえヤツらだなー」
ニィ、っと冷やかすようにそう言ってはおもしろそうに笑ってみせる。
ここのマスターというのは紫月らと同じ四天学園のOBで、彼らよりも一回りも年上の大先輩だ。しかも在学当時はやはり紫月らと同じく学園の番格的存在だった故に、よき理解者でもあるというわけだった。
そんなマスターが見慣れない鐘崎の存在に気付いて、「お! こりゃまた、えれー男前じゃねえか!」と声を掛けたのを受けて、京が自慢げに紹介をしてみせた。
「こいつはね、俺らのクラスの転入生なんスよ! 香港から越して来たばっかでさー」
「へえ、香港からねえ? しっかし見れば見るほどイイ男ってーか、あんた相当モテるだろ?」
「おいおいマスター! 俺らを差し置いてそりゃねーっしょ! 俺だって十分イイ男でしょーがッ!」
京のノリのよさは相変わらずだ。
だが、そういえば鐘崎のそういったことはまだ聞いていないというのを思い出したようにして、京が興味津々で身を乗り出した。
そういったこと――とはつまり鐘崎の女性関係のことなどだ。
「そういや遼二! お前ってオンナとかいんの?」
「オンナ――?」
「そ、オンナ! つか、彼女とかさ、恋人とか付き合ってるヤツとか好きな娘とかそうゆうの!」
「京、それ全部意味同じだ!」
テンポよく繰り広げられる剛と京のボケとツッコミに、しばしマスターも交えて場が盛り上がる。
そんな雰囲気をよそに、紫月だけは内心ドキドキとさせられながら皆の話の成り行きを静かに窺っていた。
嫌な話題を振りやがる――
そう思いながらも、鐘崎のそっち関係が気に掛かるのは確かだ。
マスターに言われるまでは気が付かなかったが、よくよく考えてみれば彼にオンナがいたとしても格別不思議ではない。だとすればその相手は香港にいるということだろうか、ふと脳裏に『遠距離恋愛』という単語が浮かぶ。
あるいは共に来日していたりとか……。
まさかな、いくらなんでもこの歳で婚約者がいるというわけじゃなかろうし。
――知りたい
彼にそういった相手がいるのかいないのか。
だがその答えを聞いてしまうことに焦燥感が湧き上がるのも否めない。
というよりは聞きたくもない――のが正解か。
ああ、もう……!
なんだってんだ。頭の中はぐちゃぐちゃ、ワケが分からねえ――!
紫月は次第にバクバクと音を立てて逸る心拍数を抑えながらも、表面は無表情を装うのに必死になっていた。
「別にいねえよ。恋人とか彼女とか、そういうのはいねえ」
「マジでかッ!?」
どわっ、と盛り上がった京たちの合間から、ちらりと覗き見た鐘崎の視線が一瞬こちらを振り向き、とらえた。
――意識するよりも早くにホッとする内心。
――まだバクバクと鳴りやまない心臓音。
それらすべてをポーカーフェイスの内側に抑え込みながら、視線だけを鐘崎へと向けたその瞬間――同じようにこちらを窺うような視線と視線とが触れ合った。
あまりしゃべらずにおとなしく皆の会話に耳を傾けているだけだった紫月のことが少々気に掛かっていたというわけではなかろうが、何故だろう、同時に互いをとらえるように二人の視線が重なり合って――
大はしゃぎしている京たちの隙間から互いを垣間見るかのようにして、紫月と鐘崎はしばし無言のまま見つめ合い、どちらからともその視線を外せずにいた。