番格恋事情

9 報復戦3



「今更何? ひょっとしてビビッてんの、お前?」
 ニヤけた唇からこぼれてくるのは微かな煙草の匂いだ。
 そういやこの野郎、さっき煙草をふかしていやがったっけ――それこそどうでもいいようなことばかりが脳裏をよぎる。と同時に髪を掴まれ唇を重ねられそうになって、紫月は焦って顔を背けた。
「往生際悪りィぜ? いい加減観念しろって。つっても俺の方はお前と違って野郎とヤるなんざ初めてなわけだから……正直どんなモンか感じがつかめねえってのが実のトコだけどー。つか、お前、香水なんかつけてんの?」
 首筋辺りをクンクンと嗅がれる仕草に、ゾワッとした欲情が背筋を走る。
「いい匂いじゃねえの。そこいらのオンナなんかよりよっぽどソソられんぜ……! これでいっつも野郎をたぶらかしてやがんのか?」
 今度は耳たぶを撫でられるように囁かれるその声が、ますます背筋を伝う欲情をあおる。否が応でもそれを受け入れたがる自らの反応が恨めしい。
 これも薬の作用だと思えども、実際にはもうそれだけのせいなのか疑わしいくらいに欲情させられているのをはっきりと感じた。
「……っ勝手なこと抜かしてんじゃねえ……っ! 誰が……っ、たぶらかしてんだって…っ……」
 威嚇の言葉でも口にしていないと、本当にもう流されてしまいそうだ。
「たぶらかしまくってんだろうが。それを証拠にお前、そんだけ男前のくせして浮いた噂のひとつも聞かねえってじゃん? お前がオンナ連れてるとこを見たことねえって、俺らの間じゃ有名な話だぜ?」
「……はっ、くだ……らねえっ! そーゆーてめえはどうなんだッ……ての!」
「俺? 俺はいるぜ、オンナ。こっちから頼んだわけでもねえのに取っ換えひっかえ、ゴロゴロ寄ってくるし。ヤるのに苦労したこともねえしなー」
「……っの、最低野郎が……!」
「最低結構! そーゆーてめえはオトコにゃ苦労したことねえってか?」
 ニヤけまじりにダラダラと罵倒のし合いを繰り返し、だがその直後に再び唇を重ねられたと思ったら、今度は容赦なく、ねっとりとした舌先を口中にねじ込まれて、おまけにむんずと髪を引っ張れたまま逃げられずに、紫月は苦しげに瞳を歪ませた。
 さすがに女に不自由していないと自負するだけあってか、しつこいくらいの濃厚なキスに意識が揺さぶられそうになる。加えて素肌を撫でる指先が固く突起した胸飾りを焦らすようにまさぐる感覚は絶品で、思わず嬌声がこぼれておちた。
「……っん、……っあ…っはっ……!」
 もう我慢できそうもない。
 堪えていた嬌声を面白がるように、氷川は指の腹でしつこくそこだけを弄ると、濃厚なキスを解除して、もう片方の胸飾りをついばむように舐め上げた。そして彼の半ば勃ち上がりかけた雄をグリグリと擦り付けるように腰元をくねらせては、まるでどうだと言わんばかりにニヤけまじりの吐息を荒くする。
「……んっ……あ……ふっ……っ! っ……」
 堪え切れずに声が漏れ出してしまうのを抑えられなかった。下着の中で自身の蜜液が濡れそぼっていくのをはっきりと感じ、と同時に氷川の硬さがどんどん増していくのもしかり――

 俺はどうしてこうなんだろう――
 相手が誰でもこんなになって。
 無理強いされているのにしっかりその気になって反応して、飢えて、求めて、溺れていく。
 何てバカな野郎なんだろう。
 どうして俺は――
 本当はこんなことしたいんじゃない。
 心から望んでなどいない。
 なのにどうして――!

 情けなくて泣きたくなる思いを堪えるように唇を噛みしめた。
 そうしていないと次々と漏れ出す嬌声をとめられそうにないからだ。
(こんなヤツを相手に冗談じゃないってのに……!)
 そんな思いとは裏腹に、ふと視界に飛び込んできた氷川の黒髪の乱れに気が付けば、またしても一人の男の顔が思い浮かんだ。

 ああそうだ、あいつもこれと似たような濡羽色のストレート。
 もしもコイツが――今、目の前で自分に興奮しているこの男が『ヤツ』だったとしたら……!

 淡い幻想が叶わない甘夢とむごい現実の両方を同時に突き付けてくるようだ。
 どうせなら甘い夢に思いをはせたとて何が悪い。自らの首筋で揺れるこの黒髪がヤツのものだと思うくらい許されるだろうよ。
 そう、これがあの男の……鐘崎の髪だとしたら、いったいどんな心地になるのだろう。

 そんな思いがグルグルと頭の中で交叉する。紫月は無意識に、目の前で揺れている黒髪に手を伸ばしていた。



◇    ◇    ◇



 急に素直になってしまった紫月の様子に、氷川の方も満更じゃないのか今までの経緯なんかどうでもいいといった感じで、二人共に欲情の渦に流されていく。男は初めてだと言いながら、所詮ヤることは一緒だとでもいうように、まるで慣れた仕草の愛撫がどんどん淫らに激しさを増してゆく。
「はっ、邪魔くせえったら!」
 紫月の太股あたりで絡まっているズボンのせいで思うようにならない動きに、氷川は焦れったそうにそれを掴み上げると、下着ごと一気に引きずり下ろして床へと放り投げた。

 全裸に剥かれた肌にダウンライトが容赦なく降り注ぐ。

 両脚をグイと開き持ち上げて、
「はは、すっげーカッコ!」
 氷川はギラギラとした目つきでいやらしく口元をひん曲げた。
 逸った息使いのまま、あられもなくさらされている箇所に指を這わせながら、
「信じらんね、もう湿らせてやがる」
 そう言ってクリクリと面白そうにその箇所を弄った。
「……っは……っ……!」
「何? ココがお前のイイとこ――ってか? こんなとこ弄られて反応(かん)じるんだ?」

 嘲笑も罵倒も最早どうでもいい。
 漏れ出す嬌声がとまらない――

「……っそーゆーてめえだって……ヒトのこと……言えたギリかっ! ぶっとい傘おっ勃てやがって……みっともねー……!」
 焦らしてないで犯るんなら早くしやがれとばかりに悪態をついてはみたものの、正直なところ焼け石に水の状況は変わらない。
 男として組み敷かれる敗北感も、淫らに反応する自分自身の身体も、何もかもが征服される感覚が自らを苛んでいく。
「指でこんなになってちゃ、コイツ挿れたらどうなっちまうんだ……ってなー?」
 氷川はグイと紫月の身体をソファの上で引っくり返すと、腹這いにさせて後方からぴったりと彼を包み込むように抱き直した。
「……っ……るせーっ! てめえなんかっ……! 野郎相手にゃ童貞の……くせしやがって……!」
「は、バッカじゃね? そーゆーてめえは『処女』じゃねえってことかよ? 自分で暴露してりゃ世話ねえなー? やっぱお前ってすっげ可愛いヤツってか? マヌケ、ともいう?」
 ニヤケまじりの言葉が耳に痛い。ついぞこぼれてしまった台詞を悔いたところで覆水盆に返らず――だ。
 それ以前にどうしょうもないこの格好。素っ裸にさせられて、いいように弄ばれて、反撃すら叶わない情けなさが辛辣な思いを突き付けてくる。
 乱暴に片脚を持ち上げられ、逸った雄が押し当てられた感覚に、紫月はキュッと唇を噛みしめた。
 野郎とは初めてというだけあってか少々戸惑いがちに、だが氷川の方も欲情には逆らえないのか、次第に余裕がなくなっていくような吐息の荒さが耳元を揺さぶる。
「……っそ! すっげ、キツっ……! ここまできて拒否ってんじゃねえよ……! てめえだって、も……欲しくてたまんね……っだろが!」
「……ッ、誰……が……」
「力、抜けって……んだよっ! 強情張ってねえ……で、言うこと……聞きやがれ……ッ!」
 脅し文句も欲情が先立って、凄みよりも甘さの方が勝るような声音に耳元さえも犯されていく。耳たぶを甘噛みされて舐められて、そのまま首筋を吸われながら抱き締められる密着感がたまらない。
 背中から抱き竦められ、胸飾りを指の腹で撫で回されるごとに、抑えきれない嬌声がソファの布に吸い込まれていく。
 知らずの内に完全に自身を貫いたらしい氷川の雄の感覚に、身も心もそれを貪りたがるように締め付ける。
 意志とは裏腹に、今自身を抱き包んでいるこの男とより一層淫らに絡み合いたいと疼き出してしまうことが驚愕だった。
 脳裏にあるのは淡い想いを抱く一人の男の顔だというのに――
 『彼』の顔がおぼろげに浮かんでは消え、また浮かんでは歪み、を繰り返す。

 ああ鐘崎――
 もしもこれがお前だったら、なんてな……。

 隣の席で袖が触れ合っただけでドキドキと頬が紅潮するような甘い想いが、氷川によってもたらされた欲情をきっかけに激しい想いへと変わっていく。
 どんなふうに思われたっていい。気色悪がられても、引かれても嫌われても構わない。俺がこんなことをしたいと思うのはお前だけ。


 そう、お前とだけなのに――


「……っん……っ……はっ……鐘っ……か……っ!」
 すがるように掴み取ったソファの布地が目の前で霞んでゆく。
 別の男に貫かれながら、無意識の内にあふれ出す唯一人の名前を、紫月はもう抑えることができなかった。

「おい、それやめろ」
 突然の氷川の不機嫌な声音で紫月はうっすらと瞳を見開いた。
「……何……?」
「一応は俺とヤってる最中だってのによ、他の男の名前なんか呼んでんじゃねえよ。マジ萎えるっての!」
 他の男の名前だ――? 氷川の言いたいことがよく分からない。
「俺はムードってもんを大事にしたい主義なの。つか、金田って誰よ! てめえの男の名前か?」
「……?」
「お前のオトコなんだろ? さっきから金田、金田って呼び続けてんぜ?」
「――ッ!?」
 朦朧とする意識の中で、それでもギョッとしたように、紫月は背後の氷川に視線だけを向けた。
「何だよ、まさか自覚ねえとか? それとも無意識にそいつに助けを求めてるってか?」
「……違ッ……!」
「案外情けねえのな、お前って。そんで四天のトップってさ。聞いて呆れるっつーか、名折れもいいとこだよな、一之宮? ま、こんな状況じゃ無理もねえか?」
 ニヤけまじりの声音が耳元を撫で、だがそれとは裏腹の乱暴な勢いで、いきなり腰元を鷲掴みされたと思ったら、そのままグン――と突き上げられた。
「……う……ッあ…ああっ……ッ!」
 これ以上ないくらいまで深く突き抜かれて、身体が裂けそうに思えた。腹の中どころか、内臓のすべてをえぐり出されるかと思うくらいに激しく乱暴なピストンが容赦ない。と同時に、薬によってもたらされた非情な快感に意識をもっていかれそうになった。
「や……めろッ……放ッ……うっ、あぁあッ……」
 ソファの布地をきつく掴み上げ、腰を浮かせて背筋をのけ反らせ、声にならないような悲痛な叫びが狭い部屋にこだまする。ついぞ射精感に耐え切れずに白濁があふれて、薄汚れたソファを濡らした。
 その瞬間にこみ上げた言いようのない感情が、涙という形になってボロボロと紫月の頬を伝って落ちた。
 番格だのトップだのともてはやされ、イキがって格好をつけてきたくせに何てザマだろう。情けなくて、みっともなくて、悔しくて仕方ない。だがそれ以上に、今は理由もなく泣いてしまいたい気分に駆られていた。
 対番といわれる氷川に全面的に屈服させられ、最も悲惨な形で身も心も踏みにじられてしまった。その事実も無論だが、それより何より堪らないほどの不安感が全身を揺さぶるようなのだ。
 それは切なくて悲しくて、恐怖ですらあって、何故そんな気持ちになるのか自分でも不思議なくらいだった。例えて言うならば二度と手中に戻らない大切な何かを失くしてしまったような、ひどい喪失感が全身にまとわりついて離れない。それらがあふれてやまない涙という形となって、紫月を苛んだ。
 そんな様子に氷川の方は、自らも絶頂が近いのを我慢しながら、意外だというように口元をニヤつかせていた。
「……ッ、たまんねー……ッ! まさかてめえの泣きっ面が拝めるなんて思ってもなかったよ。つーか、意外過ぎてヤべえっての? ……んな、可愛いくされっとさ、まかり間違って惚れちまいそうー、なんてな?」
 途切れ途切れの言葉の合間に、荒い吐息が混じって耳元を浸食していく。
 ズン――と、重みを伴った鈍い動きと、激しく勢いのあるピストンが交互交互に繰り返されて、氷川の到達の近いことを覚えさせる。それとほぼ同時に飛び込んできたのは非情な台詞、
「……ッ、くッ……なぁ、断わるまでもねーけどぉ、中に出しちまうぜ……?」
 首筋にぴったりと這わされた唇が濃厚な愛撫を繰り返しながらそうつぶやく。
 観念せざるを得ない自らの状況に、紫月は唇を噛みしめた。



◇    ◇    ◇



 男同士の――こんな行為が初めてというわけじゃない。
 遠慮も配慮もなく、自らの中で相手が達するのが初めてというわけでも――ない。
 すべて体験済みのことだ。誰かと身体を重ねることに左程の罪悪感も持たぬまま、適当な快楽に身を委ね、自堕落に遊んできたのは他ならぬ自分自身だ。たまたま相手が因縁付きの氷川だというだけで、行為そのものだけでいうならば格別に憂うほどのことでもなかろうと、頭の中では重々分かっているはずなのに、この脱力感はいったい何だろう。呆然とそんなことを考えながら、無気力なままで紫月はただただ放心していた。
「思ったより早くイッちまったな? 俺もお前も……。ひょっとして俺らってカラダの相性はいい方なのかもな。この際、今までンことは水に流して、イイお付き合いってのもアリじゃねえ? もちろんヤるだけのカンケイってことだけどー」
 ベラベラと耳元に入ってくるうっとうしい台詞にも反応のひとつすら儘ならない。未だ抱きすくめられたままで、腹のあたりには自らの放った欲情の痕がベットリとして気持ちが悪い。背中にのしかかっている男の重みにも倦怠感でいっぱいだ。
 だが振り払う気力など、とうにない。ただ黙ってこの男が自分を解放してくれるのを待つしかできずに、紫月は呆然と視線を泳がせていた。
 そんな折だ。
 突如、カーテンの向こうで騒々しい物音がしたと思ったら、次の瞬間、間髪入れずに氷川の仲間らしき男が飛び込んできた。どうやら酷く焦っている様子だ。
「氷川さんッ……! ひっ……かッ……うわっ、ぐあー……ッ!」
 仕切りにしてあった分厚いカーテンを引きちぎるようにしながら、その男がこちらへと倒れ込んできた。さすがにギョッとなり、無意識の内に全裸の身をかばうように肩を丸めた。驚いたのは氷川も一緒だったろう、
「いきなり何だってんだっ……!」
 彼がそう怒鳴った時には、既に仲間の男が目の前で意識を失い、倒れて床に転がっていた。そんな様子に、氷川はもとより紫月も同時に息を呑む――。その氷川とて、ズボンが半分脱げかかったままの半裸状態だ。しかも情事の直後とあっては、咄嗟には思考が回らないのだろう。いったい何事だというように、眩しいくらいのダウンライトの下に転がっている男を凝視した。
 これには紫月よりも氷川の方が焦ったような面持ちで、素早く立ち上がると、とりあえずはズボンのファスナーだけを引きずり上げて、上半身は裸のまま身構えるような体制で扉口に目をやった。そこへもう一人の仲間らしき男が、別の誰かに引きずられるようにして現れた。
「なッ……!? どうなってやがるんだ、いったい……」
 驚きながらも氷川は本能的に受け身反撃の繰り出せるような姿勢をとっていた。
 そんな気配を横目に感じながら、それでも紫月の方は思うように動けないのか、ぐったりとソファに横たわったままだ。
「誰だ、てめえッ……!?」
 氷川の怒号が薄ら狭い部屋に響き渡り、その声が引き金となって急に頭がガンガンと痛み出した。徐々に意識がはっきりとしてくるごとに、頭痛のみならず全身に受けた打撲があちらこちらでジクジクと鈍く痛み出す。暴行のショックと薬の作用がぐちゃぐちゃに入りまじって、身体が溶けてしまうんじゃないかというくらいに熱く感じられ、ダルくてどうしょうもなかった。
 もはや裸体を隠す余裕もなく、紫月はソファにうなだれ掛かったまま、事の次第すら追えずに朦朧としていた。
 かすむ目の前には氷川の脚元がぼんやりと窺えるのみだ。
 おぼろげな意識の中で、どうやら見張りをしていた桃稜の連中が全滅してしまったかのような気配だけを感じた。外で待っている間に仲間割れの小競り合いでもおっ始めたのか、それとも通行人かなにかと一悶着あったのか。とにかく何故そんな事態になっているのかということも、はっきりとは分からなかった。
 望み薄な期待だが、まさか誰かが助けに来てくれたとでもいうのだろうか。それとも大騒ぎをしているのがバレて、警察にでも通報されたのか――
 新学期早々に警察沙汰だなんて、とんでもない災難だ。ひょっとしたら停学なんていう流れも有りかも知れない。これ以上の面倒事はご免だと思えども、この状況では逃げるのは到底無理だろう。
 漠然とそんなことを考えていた紫月の意識を揺さぶったのは、思いも掛けないような台詞だった。

「桃稜の氷川ってのはお前か――?」

(――!?)

 聞き覚えのある感じの声が、機嫌の悪そうに低い声音でそう言った。
 この声、まさか……!
 紫月はギョッとしたようにそちらへと目をやった。
 だがダウンライトの光が直撃してきて、ひどい逆光に目眩がしそうだ。相手の顔も確認できずに、けれどもその男の手から桃稜の学ランをまとった男の身体が、ぐったりと床に放り出されるのだけがはっきりと見て取れた。
 どうやら警察ではないようだ。
 警察でないどころか、この声の主はまさか――
 まさか、あの転入生の鐘崎遼二ではないのか?
 どうしてヤツがこんなところに居るんだ。
 いや、待て。さっきからヤツのことばかりを思い浮かべているからそんなふうに聞こえるだけなのか。もしも今、ここにヤツが助けにきてくれたら――などと思う気持ちが幻を見せているだけなのかも知れない。
 次から次へと浮かんでは消える夢見がちな妄想に、紫月は思わず苦笑いのこみ上げる思いがしていた。

 まったく!
 俺はなんてお気楽野郎なんだ。こんなひでぇ状況でもそんなことを考える余裕があるなんて……我ながら完全にイカれてやがる……!

 そう思うと、情けなさにますます苦笑がとまらない。自らを嘲笑するかのように、紫月は涙まじりの笑みをこらえていた。だが、次の瞬間から交わされ始めた会話に、夢と現実が交叉するような感覚を覚えて、ぼんやりとそちらを見上げた。
 氷川が――やはり低めのドスのきいた声で、男の問い掛けに相槌を返す。
「てめえこそ誰だ? 随分とまた派手にやってくれたようだが……表の連中を一人で片付けてきたってか? ……にしても、見ねえツラだな? 俺に何の用だ」
「そいつを放せ――」
「はぁッ――?」
「そいつを、紫月を放せって言ってるんだ」
 その言葉に、氷川は何かに思い当たったとでもいうようにニヤッと口元をゆるめると、大袈裟なくらいの侮蔑まじりで啖呵を切ってみせた。
「はーん? ……もしか、てめえが金田って野郎かよ? わざわざ助けに来たってか?」
 よくぞこんなマニアックな場所が分かったものだと感心しながらも、呆れ半分で冷やかすようにそんなことを口走る。だが、当の男の方は何のことだとばかりに沈黙したまま、首を傾げているふうだ。そんな様子に氷川も面食らい顔で、ますます嘲笑、おどけてみせる。侮蔑丸出しで中指まで突き立てながら、
「まさか人違いだった? てめえ、コイツのコレじゃねえの?」
 今度はその中指を小指に変えて『想い人』を表し挑発してみせる。
 恋人でないのなら何しに来たんだとばかりにクイと顎まで突き出しては、睨みをきかせながら男を見据えた。

(金田だと――?)

 男はわずかに眉をひそめ、
「――何のことか知らねえが、それよりてめえ、そいつに何しやがった」
 相も変わらずの低い声でそう言った。
 だが、そんなことはいちいち訊かずとも一目瞭然な感じの、凶暴かつ淫猥な空気が狭い部屋の中に混沌としている。全裸で転がされている白肌には、ところどころに青黒い痣が浮かび上がってもいる。
 唇の端は切れ、視点の定まらない虚ろな瞳ひとつをとってみても、何があったのかなど聞かずとも理解できる状況だった。加えて、目の前で啖呵を切っている輩も半裸だ。
 男はギラつく視線で氷川を見据えると、不機嫌極まりないといった感じで、眉間に立ち上る深い皺をビクビクと引きつらせた。

 長身の男が二人、薄ら狭い空間で睨み合う――

 氷川にしてみても、ざっと見渡したところ、この男がたった一人で見張りの連中を片付けてきたのは間違いなさそうだということが分かっていたから、内心穏やかではなかった。しかもかなり余裕の窺える様子からして、相当腕の達つだろうことも容易に想像がつく。
 それ以前に、この男から発される雰囲気がそこいらの不良連中とは明らかに違っているというのを本能で感じるのだ。氷川は、不本意ながらも若干気後れしそうな心持ちでいた。
 一之宮紫月の恋人でないのなら、いったい何処の誰だというのだ。近隣界隈では見掛けない顔の上、不良で名をはせているというにはそぐわないような出で立ちも腑に落ちない。学ラン姿ひとつをとってみても、優等生を絵に描いたような生真面目そのものだ。
 だが、発するオーラは優等生のそれとはまるで違う。
 一之宮紫月の知り合いなのか。それ以前に、どこの学園の生徒だというのだ。
 降って湧いたように出てきやがって目障りな――!
 瞬時に様々な想像が脳裏を巡る。
 すべてが気に入らないというように、氷川は男を睨み付けた。
「悪りィが、今はコイツとお楽しみの最中なんでね。出てってくんねー? それともここでコイツの取り合いでもするってか?」
 身構えながら後ずさり、氷川は男に正面を向けたままで、背後に転がっている紫月の髪を手探りで掴み上げて、乱暴に引き寄せた。
「野郎を犯るなんざ、気色悪りィと思うかも知んねえけどー。こいつは別格だぜ? なんたってオンナ顔負けの綺麗なツラに似合わねえ”ド淫乱”だからよー? アレの具合も良過ぎて、正直、病みつきンなりそうってな?」
 自らの脇下に抱え込んだ紫月の顎を持ち上げて撫で回し、目の前にいる男に当て付けるかのように、その口中に指まで突っ込んでみせた。
「試しにアンタも一発ヌかしてもらったらどうだ?」
 挑発的な台詞に、場の空気が一気に殺気立つ。
 その瞬間、紫月の視界に、氷川の背の影になっていた男の姿がはっきりと飛び込んできた。

――ッ!?

 まぎれもなく、それは転入生の鐘崎遼二だった。



Guys 9love

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