club-xuanwu
◆1
「ハロウィンのイベントだ?」
「そうなんスよ。そういえば龍さんは初めてですよね? ウチの店じゃバレンタインとか、下手すりゃバースデーイベントより派手っていうか……毎年すげえ気合入ってて。特に恒例の野球拳イベってのが超難題で、めちゃめちゃハードなんスよ!」
それを思い出したら気が滅入る――とばかりに、溜息まじりになる後輩ホストを横目に、龍《りゅう》は首を傾げた。
六本木店のナンバーワンとして活躍していたこの龍が、新宿店に移動してから早二ヶ月、秋も深まった十月末のことだ。当初、仏頂面で愛想がないと評判の悪かった彼も、それなりに店に馴染み始めた今日この頃――此処、新宿本店では恒例のハロウィンイベントに向けて、ホストたちが賑わいに湧いていた。
◇ ◇ ◇
ホストクラブxuanwuには、年に何度かのイベントがある。
各々ホストのバースデーやバレンタイン、クリスマスパーティーといった類のものは、他所《よそ》の店とさして変わりはないが、それらのイベントとは少々発想を変えて行っているのが今回のハロウィンイベントだった。
競争激しいこの世界で店独自のカラーを強調すべしと、オーナー自らが発案したもので、開店当初からの看板企画だ。
どんな内容なのかというと――先ず、客の女性たちには終日無料で飲み放題食べ放題のバイキングが楽しめるという大盤振る舞いだ。それだけではなく、参加者全員にオーナーからキュートなデザインの”魔女”の衣装と、ホウキを象った純金製のチャーム、そして海外の某有名処の極上チョコレートがプレゼントされるという。この日ばかりは皆が同じ衣装を身につけてハロウィン気分を楽しもうというコンセプトなのだ。
また、ホストの側も女性たちの魔女に対して皆が揃いの”ヴァンパイア”の衣装を纏い、接待するというものである。そして極め付けは、そのコスプレのままでホストたちによる野球拳ゲームが披露されるというのが目玉であった。
野球拳企画
其の壱:
ホスト全員、強制参加でじゃんけんを繰り返し、誰かが全裸になるまで脱ぎまくれ!
(ただし、パンツの代わりにトレーで大事なトコロを隠すのだけは許してね!)
其の弐:
贔屓のホスト君が下着一丁のところまで負けた場合、救いの手段としてボトルを贈ってくれることでリセットが可能。ボトル一本につき、一枚づつ服を着直すことが許され、元のヴァンパイア姿に戻ることができる!
という、何ともユニークなイベント――と、こう言えば聞こえはいいが、実際はかなり熾烈ともいえる。ある種、ギャンブル的な高揚感を味わえる催しなのだ。
普段の指名制も取っ払い、誰の係という概念もなくして、皆で盛り上がろうというわけなのだが、客にとっては自分の贔屓にしているホストが負け越せば、バースデーイベントばりに注《つ》ぎ込まなければならないわけで、ちょっとしたハラハラ感を強いられる。
対するホストたちにとっては、酸いも甘いも現実を突きつけられる瞬間となるわけだ。野球拳に負けた段階で救済用のボトルを入れてもらえなければ、全裸晒しという悲惨な罰ゲームが待っている。如何に客に楽しんでもらう為のイベントとはいえ、さすがにそこは回避したいところである。
故にホストたちは万が一の時の為、自分を贔屓にしてくれる客たちに、事前に手を回しておくことが必要になってくるというわけだった。
そしてもうひとつ、やはり賑やかで楽しいイベントというからには、単にボトルの本数を競わせるだけではない。お目当てのホストに何でも希望を叶えてもらえるという特典付きなのである。
例えば、
1.口移しで酒を飲ませてもらう――とか、
2.トレー一丁、全裸状態の彼を三分間好きにできる。
3.一回分の同伴及びアフターの完全独占権と全額無料券を進呈。
4.皆の目前でお目当ての彼とディープキス、などが過去の実例だ。
運が良ければ無料《タダ》で野球拳を楽しみつつ目の保養――になるかどうかは別として――まあそれなりに得して楽しいひと時が過ごせますよというのが売りなのだった。
そんなわけで、此処club-xuanwuのハロウィンイベントは、バレンタインやクリスマスをしのぐほどの人気催事となっていた。
その日が近付くにつれてホストたちの気もそぞろになってくる。イベントを一週間後に控えたロッカールームで、男たちはどれだけの太客を呼べるかなどと、探り合いに闘志を燃やしていたのだった。
◆2
「んで、お前らの塩梅《あんばい》はどうよ?」
「はぁ……俺、去年は野球拳でビリ取っちゃってさ。ボトルバトルになったんだけど、誰も救済してくんなくて。結局、裸踊りまでさせられたぜ……。思い出すも無残っつーか、もう散々だったからなぁ。とりあえずはボトル入れてくれそうな子を確保しとくっての? んで、アポ取りまくってるんだけどー、今んとこ確約ナシ!」
溜め息まじりに中堅ホストの辰也《タツヤ》がそう呟けば、それを横目に入店間もない新人圭吾《ケイゴ》は初イベントに興味津々だ。その背後からもう一人の中堅組、純也《ジュンヤ》が企み有りきとばかりに話の輪に割って入った。
「俺《お》りゃ~、今年も太客の獲得は無理そうだからー。この際、野球拳に勝つことに賭けようかと思ってんのよ」
「つかさ、何でハロウィンに野球拳が出てくんだって話だよな。マジ、とんでもねえ企画だわ」
「そうそ! そのとんでもねえ企画を”更にトンデモねーもん”にして盛り上げてやろうかと思ってよ」
「更にとんでもねえもん――だ?」
「題して”野球拳で頭領《ドン》を脱がそう企画”ってどうよ!」
「頭領って、六本木から来たあの龍さんのことか?」
「ビンゴ! あのスカした面《ツラ》の化けの皮を剥がす! あいつったら態度デケぇ上に、着るモンはこれ見よがしな高級スーツばっかだし!」
「ああ、あれ絶対オーダーメイドっすよね?」
「そ! 客がそれに合わせてネクタイ選ぶらしくてな。あの人ん家《ち》には一回結んだら使い捨てできるくらい本数あるらしいって聞いたぜ! はっきし言ってイケすかねえんだよねー。今時ホストがネクタイにスーツなんて着るかよ? ビジネスマンじゃあるめえし。実際、彫り物でも隠してんじゃねえのかって疑っちまうくらい!」
「うひゃー、マジっすかー! もしか、背中にでっかい龍が舞ってたりして!」
「そんで”龍”ってか?」
「いや分からん! 案外胸元のこの辺りからズズズィーっと手首スレスレまで入ってたりして! なぁ?」
「えー! だから毎度ばっちりスーツ着込んで隠してるってことっスかッ?」
「いやぁーん、ヤッダー! 渋いー! その立派な龍の腕に抱き締められたぁーい! ってか?」
まるで乙女の花園よろしく、黄色い喚声でロッカールームは大騒ぎだ。
「だからこの際、野球拳であの人を脱がせちゃおうって話よ! どうだ、お前ら、乗るか?」
意気揚々とそんなことを言った純也の提案に、その場は一瞬シーンと静寂に包まれた。だが次の瞬間、
「乗る!」
「乗った!」
「乗ります、その話!」
と、一気に大はしゃぎとなった。
「言われてみればそうっスよねー、龍さんって胸元の開《はだ》けたシャツとか着てんの見たことないし……ダークスーツで社長気取りってんですか? アクセとかも全然してないでしょ? プレゼントしたって一度もつけてくんないって、こないだ女の子たちがこぼしてんの聞きましたもん」
「かー! 羨ましいっつーか、腹立たしいっつーか! 俺なんか滅多に貢ぎモンなんかこねえってのによー」
「けどそこがまたシブイってんでしょ? ホストらしからぬ魅力とか何とかって言われてませんでしたっけ?」
「ほんっと、らしからぬ――だよ! 未だにあの人がお客さんに気ィ使ってんの見たことねえし。ホント不思議っつか、何であんなのが……」
――六本木でナンバーワンを張っていられたか皆目不思議!
「だよなー」
ほぅっと深い溜め息の後、再びの沈黙にどんより気味だ。そんなジメジメした雰囲気を吹き飛ばそうと、今度は新人の圭吾が場を取り持つように先刻の続きへと話を振った。
「ですからー、あの人はホストじゃないんですって! 頭領でしょ、頭領! そのスカした頭領様を剥いで脱がして本性暴いちゃおうって話っすよね?」
「まあ、後が怖そうだけど……でもおもしろそうだわな!」
「だろだろ? そんじゃ、一丁作戦でも練りますかね?」
ギャハハハ、と声高々な笑い声と共に、再び大盛り上がりになったそんな時だった。
「ところで――そのバカくせえ企画。ハロウィンなんたらっての? それ、最初に考えたのは誰なんだ?」
ヒョイと後方からそう訊かれて、着替え中のホストの一人が半ば呆れ気味に、「え? オーナーだけど?」と答えた瞬間だ。そんな分かりきったようなことを訊くのは何処の素人だといった調子で、怪訝そうに振り返った先に、噂の”頭領”当人がいつもの無表情で立っているのを発見して、彼は腰が抜けんばかりに驚いた声を上げた。
「おわー! 頭領……! ……じゃなかった……龍さん……ッ! いつからそこにいらっしゃりました……んで……ござります……ッスか……!?」
◆3
舌をもつれさせながら、しどろもどろに口をパクパクとさせている。まさか今の話を聞かれていたんじゃ――と思ったら、本当に腰が抜けそうになったらしい。
皆、一様に視線を泳がせ、硬直のまま言葉を詰まらせる。お愛想笑いをする者、固まったまま動けないでいる者、噂の頭領当人の登場に、冷や水を浴びせられたようにロッカールーム内は一瞬で固まってしまった。
しばしの沈黙の後は一触即発、ここは一発ドヤされるか胸倉でも掴み上げられるかといったような覚悟で、皆がそれぞれに肩をすくめた。今にも「ごめんなさいー!」と全員で土下座せんとばかりに緊張感が高まったそんな時だった。
「は――! まったく……帝斗の野郎ったら……相変わらずロクなこと考えやしねえな。野球拳で裸踊りだ? イイ年こいて、何考えてやがるんだか」
チィ、と軽い舌打ちをしながら呆れ気味にそう言って、龍は自身のロッカーへと歩を進めた。
――櫛《クシ》を取り出して髪を撫で付ける。
小さな鏡を覗き込みながら、ネクタイの位置を確認している。
次は何をするのだろう――?
それ以前に今の話を聞かれていたとしたら、いつ雷が落ちるのだろうとビクついていたことすら忘れさせられるくらいの呆気らかんとした調子だ。淡々とした龍の様子を、別の意味で硬直しながら窺っていた。
ロッカールームはシーンと静まり返り、誰一人その場から身動きもできずといった調子で、全員が彼を遠巻きに凝視状態だ。さすがに変に思ったのか、当の龍が不思議そうに皆を振り返った。
「何だ……? 俺、どこかヘンか?」
顔に何か付いてるのか――とばかりにしかめっ面でそんなことを聞かれて、皆はますます硬直――。
ヘンじゃありません。何も付いていません。おかしなところなんか微塵もございません――とばかりに、一様にブンブンと首を横に振る。口をパクパクさせながら凍り付いているといった皆の様子に不思議顔ながらも、次の瞬間クスッと軽く笑って、
「そんじゃ、お先!」
まるで何事もなかったように、ロッカールームを後にした。
残された一同は一気に解けた緊張から、脱力したのは言うまでもない。
「ぐわー! ビックリしたー! 心臓飛び出るかと思ったぜ!」
「けど……何も言わないで出て行っちゃいましたね? さっきの話、聞こえてなかったんなら良かったっスね!」
新人・圭吾がホッと胸を撫で下ろしている傍らで、中堅の辰也は苦虫を潰したような表情だ。
「けどよ、あの人……さっきオーナーのこと『帝斗の野郎』って言わなかったか? 『帝斗の野郎ったらロクなこと考えやしねえ』とか何とか……」
よくよく思い出せば確かに不可解だ。
「つか、帝斗って……誰っスか?」
すかさず新人の圭吾が問う。
「バカタレ! オーナーの本名だよ! そういや呼び捨てだったよな……」
――って、それヤバくねえ!?
この店のオーナーというのは、元はここいら界隈でその名を知らない者はいないというくらいの大物ホストだった男だ。本名を粟津帝斗という。
長年ナンバーワンを独走し――だが、おごらず威張らず常に紳士的でいて上品な物腰しは優美そのものだ。誰に対しても分け隔てなく朗らかだが、ここぞという時の度胸も据わっているとも言われていた。例えば同業者同士の縄張り争いや裏社会の強面が絡むような事態に出くわした時にも、おののくことなく、紳士的且つ迅速に場を収めるような器の持ち主だったらしい。故に、”帝《ミカド》”という異名を取ったことでも知られていた。
夜の帝王の意からそう呼ばれ始めたとも言われているが、元はといえば彼の本名が”帝斗”だったということもあり、それで定着したという説もある。ちなみにホスト時代の源氏名は”隼斗《ハヤト》”といった。
今でも彼を『ミカドさん』とか『隼斗さん』と呼ぶホストもいるが、それは割合ベテランの類であって、たいがいの者はオーナー、あるいは代表と呼ぶのが普通だ。
それらを全部すっ飛ばして龍は『帝斗の野郎』と、呼び捨てどころか更に輪をかけたような言い方をしたのだから、皆が驚くのも無理はなかった。
「龍さんってオーナーと親しいんスかね? やっぱ、ただのナンバーワンってだけじゃなさそう?」
「何だよ何だよー、ますます興味深くなってきましたよーってか!? 化けの皮を剥がすってよりは正体暴くっていった方が妥当だったりして!」
「で、暴いた挙句、ホントにマフィアの頭領だったー、なんてことになったらどーすんですかッ!」
「どーするってそりゃ、お前よぉ……」
――どうする?
誰からともなく互いを見合わせる。
ハロウィンイベントを一週間後に控えた秋の夜、club-xuanwuのロッカールームはそんな話題で持ちきりになっていた。
六本木から移転してきた”仏頂面のナンバーワン”の存在は、良くも悪くも皆の興味を掻き立ててやまないらしい。”帝”ならぬ”頭領”が新たに加わって、今年のイベントは更にヒートアップしそうな気配がみなぎっていた。
◆4
「けどさ、野球拳、イカサマばれたらどーなんの?」
「や……ダイジョブ、ダイジョブ! 心配ねえって! その為に俺ら全員でツルもうって話なんだしー」
――本当に大丈夫かよ?
半信半疑でそれぞれ互いを窺い合う。確かに全員でグルになってインチキをしたなんてことが解った日には、オーナー”ミカド様”の怒りを買うこと間違いなしだ。けれどもあの”仏頂面のドン様”を脱がせてみたいのも譲れない。
「そんならさ、こうしねえ? イカサマはなし。けど対戦相手に龍さんが当たった時にゃ、ぜってー勝つって念じんの!」
――はぁっ!?
あまりにも稚拙というか、対策のひとつにもならないような発案に、皆揃って呆れ顔だ。
「だってオーナーの機嫌損ねんのヤじゃん? だったら正攻法っきゃねえだろが?」
「正攻法って……お前なぁ」
「大丈夫! あの龍が目の前に来たら、頭ン中カラにして『脱げ脱げ脱げー!』ってひたすら念じんのよ!」
――そんなんでホントに勝てんのかよ?
ほとほと呆れ気味で気分も消沈、結局は振り出しに逆戻りだ。
「あーあ、くだらねえこと言ってねえで、やっぱ常連ちゃんたちに確約取り付ける方が賢明って気がしてきた……」
「だな? 結局は地道! それが正解」
ボヤきながらロッカールームを出て行こうとする連中に、新人ホストの圭吾が気をきかせんと洒落を飛ばす。
「まあそう気を落とさないでくださいよー。皆さんの念じが吉と出るか、凶と出るかはこのジャックのみぞ知る! なーんつったら……やっぱ引きますかね?」
当日のお飾り用のドデカいかぼちゃを撫でながら照れ笑いをする圭吾に、皆の視線は唖然硬直――これぞまさにハロウィン提灯のくり抜きかぼちゃのような表情を互いに見合いながら、秋の夜は更けていったのだった。
- FIN -
次エピソード『Allure』です。