club-xuanwu

5 Night Emperor



◆1
「ホストになれ――だ?」

 驚き顔というよりは呆れ返ったような表情で目の前の男を凝視した。深い夜の闇が独特の蒼さに変わる頃、真夏の空は刻一刻と白み始めた――そんな時分だ。
「そう、お前さんも忙しい身だってことは承知してるよ。だが、自分の店で働いてみるのもいい経験になると思うんだがね」
 悪びれた様子もなく、悪戯そうに瞳を緩めるこの男とは幼少の頃からの腐れ縁の仲だ。平たく言ってしまえば”親友”といえる粟津帝斗を前にして、氷川白夜は思い切り怪訝そうに眉をしかめてみせた。
「自分の店――っつってもな、経営者はお前だろうが」
「まあ、そうさ。僕は実質上の経営者ではあるが、でも名義はお前さんのものだろう?」
 鼻先に笑みをたずさえて、人の悪いような悪戯顔で面白おかしくそう語る。帝斗の真意が分からずに、氷川はますますもって険しい表情で首を傾げた。
「唐突すぎて話にならんな。ちゃんと分かるように説明してもらおうか」
「だから言ってるじゃない。現場を知ることも経営者には大事だってことさ」
 氷川はしばらく考え込んでから、
「――何か店で問題でも抱えてるのか?」
 そう訊いた。

 この帝斗は、現在新宿の一等地でホストクラブを経営するオーナーである。店の名をclub-xuanwuといい、彼自身も現役時代はナンバーワンホストを務めた経緯がある。元々は国内有数と言われる大財閥の御曹司だが、いずれ稼業を継ぐ前の社会勉強と称して、親の力を頼らずに裸一貫で何かを成し遂げたいと飛び込んだのがホスト業界だったというわけだ。
 氷川とは年齢も近く、親同士が懇意にしていたこともあって、物心ついた時から幼馴染みとして育った間柄だ。
 親元を離れてホストになり、自らの努力のみで不動のナンバーワンにまで上り詰めた、見上げた根性の持ち主である。
 現役時代には夜の帝王と謳われ、”帝《ミカド》”という異名まで取ったくらいで、星の数ほどのホストたちからも神的存在として崇められるまでになった。
 そんな帝斗が独立して店を持つ際に、一肌脱いだのが氷川なのだ。親友の独り立ちに祝いの気持ちを込めて、自らの持っていた土地と建物を提供したのだった。

 氷川は修業と共に親の稼業を支えるべく道を選んだ。が、彼は次男である為、継ぐというよりは父と兄を手伝うといったポジションである。東京を中心に、日本国内に数多《あまた》抱える企業経営が氷川の役割だった。
 その内のひとつにサービス業も入っていて、都内一等地に高級レストランやバーなどをいくつか所有していた。
 無論、すべての店舗を自ら経営するには到底行き届かないので、各々の店に雇われ店長を置いての統括が氷川の役目である。その内のひとつを親友である粟津帝斗に任せたというわけだ。
 氷川はこの飲食業の他にもホテル経営や貿易業など、多業種を束ねなければならないので、それは目の回るような多忙さであった。そんな立場を重々承知しているはずの帝斗からの突飛な依頼だ、驚きもするだろう。
「お前の言っていることは無茶苦茶だ。まあ……ハナからマトモに受け取るつもりもねえがな……。理由があるなら、勿体つけてねえでさっさと話せ」
 胸ポケットから出した煙草に火を点けながら、氷川は帝斗を見やった。
「理由……ねぇ。そうだな、敢えて言うならお前さんもそろそろ”癒やし”といえる時間を持ってもいいんじゃないかと思ってね」
 ますますもってわけが分からない。氷川は立ち上る紫煙を煙たそうにしながら、瞳をしかめた。
 長年の付き合いの中で、帝斗のことは家族同様に理解しているつもりだ。彼が何の意味もなく、こんなことを申し出てくるわけもなかろうというのは分かっているものの、彼のホストクラブで働いてくれないかというのには、さすがに首を傾げさせられる頼み事だ。
「相変わらず食えねえ野郎だな。歯にモノ挟んだような言い方をしやがる」
「いいじゃない、その方が面白みがあるだろう?」
 悪戯そうな彼の笑顔は、『僕の真意はお前が読み解けよ』とでも言わんばかりだ。つまり理由は教えない、知りたかったら自分で紐解けとでもいうわけなのだろう。氷川は呆れたように携帯灰皿を取り出すと、煙草をひねり消した。


◆2
「――ったく! 意味深なことばかり抜かしやがって。お前の戯れに付き合ってやらねえでもねえが……俺がその提案に乗ったことで何かメリットはあるのかよ」
 半ば諦め口調で氷川は訊いた。すると、帝斗は嬉しそうに即うなずいてみせた。
「もちろんだ。お前さんにとってもかけがえのない宝物を手にすることができる――かも知れないぜ?」
「かも知れない――は余計だろうが。何が”かけがえのない宝物”だか知らねえが……」
「なに、お前さんは仕事人間だからね。そろそろ自分の為の時間を持つことも必要なんじゃないかって思うだけさ」
「今でさえ時間がねえところに持ってきて、更にホストになって働くことが自分の為の時間かよ」
 呆れ顔で氷川は溜め息をついた。
「まあ、そう言いなさんな。表面上はそう見えても、何かお前さんに心温まるものがあって欲しいっていう、僕の願いなのさ」
 この帝斗がわざわざこんな謎めいたことを言ってくるのには、それ相応の理由があるのだろうと思う。単に戯れや冷やかしでこんなことを言い出す男ではないからだ。
 今はその理由が明かせないというだけで、”為”にならないようなくだらないことは絶対にしない男である。氷川は帝斗の差し出した謎かけに受けて立ってもいいかという気になった。
「仕方ねえな、ノってやるよ」
 そう言うと、帝斗はパッと表情をほころばせた。
「ありがとう。お前さんならきっと分かってくれると思っていたよ」
「――で、俺はお前の店でホスト稼業を体験すりゃいいんだな?」
「ああ、そうだ。お前さんも忙しいだろうから毎日じゃなくて構わないよ。とりあえず六本木の支店に入ってもらって、一ヶ月ほど勤めてもらいたい。その間に僕の方で裏から手を回して、お前さんにはナンバーワンを取ってもらうことにする」
「――ナンバーワンだ?」
「どうせやるなら名目だけでもトップを取らなきゃ意味ないだろう? まあ、他のホストたちにはバレないように上手く操作するから――」任せてよ、と言い掛けた時だった。
「必要ねえな」
 氷川はきっぱりと言い切った。
「――え? でもホスト業界は言うほど甘くはないんだよ? 如何にお前さんでも、未知の世界で短期でのし上がるのは至難の業だと思うがね」
「お前――俺を誰だと思ってやがる。ナンバーワンだかピンだか知らねえが、俺に不可能はねえな」
 帝斗はキョトンと瞳を丸めながら氷川を凝視し、次の瞬間、プッと思い切り噴き出して笑い転げてしまった。
「お前さんの言いそうなことだよ! そう、じゃあ任せるからがんばっておくれ」
「は――、バカにしてやがるな?」
「いや、その逆! 尊敬してるのさ。改めて感服――とでもいう感じかな」
「やっぱりバカにしてんじゃねえか」
 氷川は少々スネたように唇を尖らせると、恨めしげに帝斗を見やった。



 夏の朝が明けるのは早い――
 ついさっきまでは深い蒼を讃えていた空の色は、ほんの数分で白へと変わる。その白い空に浮かぶ雲の峰の際《きわ》が黄金色に輝き出す瞬間は間もなくだ。大都会にそびえる高楼の屋上から眺めるこの景色は、まさに絶景であった。



「ご覧よ、もうすぐ陽が昇る。何て綺麗なんだろうね」
「ああ、そうだな」
 眩しそうに瞳を細める帝斗を横目に、氷川も東の空へと視線をやった。
「ねえ白夜――」
「――何だ」
「清々しくて自由で素晴らしい夜明けだろう?」
「――ああ」
「もしも羽が生えていたら、飛んでみたくなるような空だよね。僕にはね、どうしてもこの空を見せてあげたい奴がいるんだ」
 やわらかな笑顔とは裏腹に、まるで祈るようにそう言った帝斗の言葉がさざ波のように氷川の心の琴線に触れては、波紋となって揺れ広がった。まるでこの先に待っている特別な何かを予感させるかのように胸を逸らせ吹き抜ける――。

 真夏を告げる黄金色の光が美しい朝のことだった。

-FIN-

次エピソード『Red Zone』です。



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