club-xuanwu

6 Red Zone



◆1
 唇を重ね合わせた瞬間から嬌声まがいの吐息ががこぼれ出してしまうのを抑えられない、とめられない。
 顔を交互にするのもまどろっこしくて、キスだけじゃ到底足りなくて、次へ次へと欲しがることをやめられない。
 こんなくちづけをしたのはいつ以来だろう、もしかしたら初めてなのかも知れない。
 時に少し強引で、だがとびきり素直で甘やかで、何気ない仕草の端々に雄の色香を漂わせているような男。同僚ホストであり、今ではナンバーを競い合う龍の腕に抱かれながら、波濤は大胆なほど欲に身を任せていた。

 同僚ホストの龍と深い仲になってから、彼の住むこの部屋を訪ねるのはもう何度目になるだろうか、初めの内は何かに託《かこつ》けながら通っていたこの部屋。ナンバーワン同士、もう少し懇意になっておいた方がいいんじゃないかと半ば強引に誘われたのが始まりだった。
 その次は酔ったから家まで送ってくれないか――その次は何だったか、いつの間にか押し切られるような形でここへ来ることを、心の片隅で待ち焦がれるようになってしまった。
 会うのにいちいち理由などいるのだろうか、そんな疑問すら湧かなくなるほどに今では彼にハマってしまっている。
 最近は格別な用事がなくとも、時間が空けばいつの間にか二人でこうしていることが多くなった。会って食事をして買い物をして、そしてこの部屋に寄ってから帰宅する。いや、近頃では帰宅するのさえ面倒になって、そのまま泊まってしまうことも多い。言葉に出して認めないだけで、既に熱愛カップルも同然だ。しかも気持ちの比重がどんどん重くなり、今では自分の方が彼を欲しているのは紛れもない事実のような気がしていた。

 龍とのデートは、まるで本能に任せた獣のように激しく互いを求めて抱き合うこともあれば、単にテレビや雑誌を見ながら寄り添って過ごすだけの時もある。極端だと思うほどに濃厚な時と淡白な時が交互する。しかも抱かれない時に限って、普段よりもベタベタと甘え、甘やかし――といった濃いスキンシップで扱われたりするから、たいそう始末が悪かった。
 今にも唇が触れ合いそうな距離感で観るテレビの内容など頭に入るはずもない。
 胸元で甘えるように、ずっしりと体重を預けられ寄り掛かられたり、だからといってそれ以上は何をするでもなく、借りてきたDVDに観入っている様子などを横目にすれば、何ともモヤモヤとした欲情まがいの気分が苦しくてたまらない。そんなふうに焦らされた日の帰宅後は、次にプライベートで会う時までの間が結構な苦痛になったりするから、尚厄介だった。
 かといって出勤後の店内で遠目にその姿を追えば、接客中の様子に少しの焼きもちでチクリと心が痛み出す。たまに廊下などですれ違えば、瞬時にときめき、心拍数が加速する。では店がハネて帰宅をし、独りになればなったで、今度は悶々とした妄想が次から次へと湧き上がってきてやまない。抱き合っている最中の、少し余裕のない彼の表情などを思い起こせば、ゾワゾワと背筋が疼《うず》き出すのを抑えられなかった。
「……っそ……こんな……ん、ヤベえって……のに!」
 龍と深い仲になって以来、客との枕営業もすっかり絶ってしまった。彼以外の誰かと身体を重ねる気になれなくなったからだ。
 それだけではない。
 自慰の仕方も以前とはまるで変わった。
 今までは単に欲を解放すればそれで終わりだったはずの、いわば儀礼的な処理では物足りなくなっている。
 ベッドにもぐって全裸になれば、まるで本当に抱かれているような錯覚に陥り、気付けば荒くなった吐息をかいくぐって嬌声までもがこぼれ出し、独りで何をやっているんだと呆れつつも最早止められない。脳裏を巡る映像の赴くままに従うしかなかった。
「……っは……龍……龍、そう……もっと、そこ……じゃねえ……もっと奥……まで」

 そう、めちゃくちゃにしていいよ。ブッ壊れるまで犯《や》られてえ――お前になら何されてもいい!
 龍――!

 躊躇《ためら》いも恥じらいもなく、大きな嬌声と共に欲を吐き出す瞬間は堪らない。まるで幽体離脱でもしたかのように、頭の中が真っ白になって昇天寸前になる。
 しばらくそのまま放心し、呼吸が落ち着いてくるまでの数分間は夢見心地だ。
 寝乱れた枕に伝う自身のやわらかい髪が頬にまとわり付いただけで、新たな欲情がチラホラと喉元あたりを熱くする。

 アイツの髪は俺のそれとは違って濡羽色《ぬればいろ》のストレート――

 自身の猫っ毛が白いシーツの上で泳ぐ感覚だけで、正反対の彼の髪質を思い出しては、甘く疼《うず》く胸の痛みが苦しかった。


◆2
 一度イッたままでだらしなく投げ出された脚先、腹には白濁の蜜が乱れ飛び、淫らにとろけた瞳は視点さえもおぼつかない。
 あられもないこんな格好の自分をもしも龍が見ていたら――などと想像すれば、すぐにも次の欲情が全身をビリビリと這いずるようだ。
 そう、今ここに龍がいればどうするだろう。『自分でやったのか? 俺に抱かれんのを想像したら我慢できなくなっちまったんだろう』などと意地悪く笑うだろうか。

『見ててやるからここでやってみろ』

 そんなふうに強要されたらどうだろう。
 意地悪なあの男のことだ。こんなことがバレたとしたら、有り得ない話じゃないかも知れない。そんな妄想がよぎれば、ますます膨れ上がった欲情にのた打ち回りたくなる。
「……んっ、龍ッ……りゅっ、ぁっ……」
 我慢せずに嬌声を上げれば、自らのいやらしい声色にすら欲情を煽られる。すぐにもあの龍に抱かれたくてたまらなくなってくる。
 今ここにアイツがいれば、どんなふうに扱ってくれるだろう。
 波濤はまたも我慢できずに、白濁まみれの指先を自身の蕾に突っ込んでは掻き回した。
 もう雄をしごいただけでは満足できなくなっている。龍によって教えられた――後孔の――ある箇所でのみ叶えられる快感が忘れられないのだ。
 そこを弄ると必ずといっていいほど大胆になる。部屋にはたった独り、誰に聞かせるわけでもないのにとびきりいやらしい嬌声を放ってみたくもなる――。
「龍……やりてえ……お前に犯《や》られてえ……もっと、ん……もっとそこ……弄って……」

――そう、めちゃくちゃにしてくれ!

「マジ、やべえって……これじゃ俺、はっきし言ってヘンタイ……」
 次に龍の部屋を訪れるまでの中つなぎの日々、こんな虚しい自慰行為にふけっていること自体が信じ難くもある。無論、当の本人に内緒なのは言うまでもない。彼の前では極力クールを装い、余裕のあるふりを演じるのも正直くたびれる代物だった。



◇    ◇    ◇



 だから今日は少し暴走気味だ。
 久しぶりに取った休日――今やナンバーワンを譲ったり譲られたりのお互いが同時に休みを取れる機会など、そうそう巡っては来ない。それでも無理を承知で合わせた休日のせいか、今日は龍の方も同様の心持ちなのだろう、部屋に着くなりどちらからともなく互いを求め合った。
 相変わらずの濃厚なくちづけは、待ち焦がれた波濤の欲を満たし、更なる火を点けるに余りあった。キスの合間に、逸る気持ちのままに互いの服を剥ぎ、脱がし合う。
「……それ、……よせって、龍……っあ、……りゅっ」
 背筋に指先で線を引かれてビクビクと身体が震え、目の前の胸板にしがみ付きたい衝動に駆られる。背筋《そこ》が案外敏感な箇所と知っていて、わざと何度も線を引くこの男が憎らしくもあり、だが身体は快楽にまみれきって叫び出したいような感覚に襲われている。知らずの内にしがみ付き、自らの胸飾りの先端を彼の胸板に撫で付けていたことに気が付いて、波濤はカッと頬を赤らめた。
「今日は随分積極的なんだな? そういやお前、ここ好きだもんな? いつもココを弄るとたまんねえって表情《かお》する」
 クスッと軽い笑みと共に、ニヤリとひん曲げられた唇が視界をよぎれば、下腹辺りが掬すくわれるようだった。
 ドクドクという血の流れまでもがわかるくらいに羞恥心がこみあげる。夢中になり掛けていたのを一気に現実に引き戻されたようで、顔から火が出るほどに恥ずかしくなって、波濤はそれらを隠さんとキッと龍を睨み付けた。
「……てめえだって……充分エロいツラしてんじゃね……か……! ヒトのこと言えね……だろ」
 自分だけが乗り気満々に思われたのが恥ずかしくて、半ば乱暴に彼をベッドへと仰向けに押し倒し、波濤は龍の腹の上で馬乗りになった。

 そうされて僅かに面食らったような様子は意外だ。龍の焦った顔などそうそう見られるものではないからだ。
 図らずも自らは不思議と冷静になっていくようで、それと共に少しの意地悪心がこみ上げた。
 店でも家でも常にクール気取りで、自分だけは余裕たっぷりのその態度が癪にも思えて、悪戯心に火が点いてしまったのだ。
 こんなふうに組み敷いてやるのもたまにはいいじゃないか。そうされてもっと焦る顔を見てみたい。波濤は先程からの仕返しのように唇をゆるめてみせた。
「たまにはいいだろ? こーゆーのも新鮮じゃねえ?」
 立場逆転とばかりに鼻高々に頬を撫で、唇をなぞりこじ開けて、軽く指先を突っ込んで歯列を割ってみる。いつもされていることをそのままに返してやったらどんな表情をするだろうと思うと、別の意味で気持ちが昂ぶった。
 なんだか征服感が心地よくて、波濤は上機嫌のままに、しばし龍の腹上で彼のあちこちを撫でたりしながら悪戯を楽しんでいたが、
「確かに悪くねえかな? お前主導で騎乗位ってのも」
 ニヤリと不適にそう返されて、瞬時に立場返上――再び恥ずかしさに紅潮させられてしまった。


◆3
 波濤はふてくされたように龍の首筋へと顔を埋めると、
「……んだよッ、ヒトがせっかくサービス根性出してやりゃあ、その言い草……!」
「サービスしてくれるのか? お前が?」
「悪《わり》ィかよ……いっつもてめえにいいようにされてんじゃ癪っつーか……面目ねえし」
 黙って言う通りにさせろといわんばかりに、波濤は再び龍を組み敷くと、首筋から鎖骨へと愛撫の続きを始めた。
 胸板を唇でなぞり、筋肉の盛り上がった肩を掴みながら、意外なほどに固いその感覚にドキッと頬が赤らむ。この腕にいつも抱き包まれているのだと思ったら、熟れて落ちるほどに赤面させられてしまいそうだ。
 が、ここで引いてはそれこそ癪だ――。気を取り直し、その先を続ける。広い胸板に口づけながら脇腹を撫で下ろし、女のものとは違う色素の濃い胸の突起がチラリと視界に入って、更に頬が熱を持った。
「くすぐってえよ波濤」
 まるで女子供をあやすかのような大らかな微笑みを向けられて、羞恥心が破裂しそうになった。
「そうやって一生懸命になってるお前も可愛くてしかたねえ。そんなウブな愛撫されたら別の意味でたまんねえな」
 リラックスしきった様子で腕枕をし、余裕たっぷりの笑みで見下ろされて、波濤はアタフタと視線を泳がせた。まるで反応《かん》じるどころか、自身の拙い愛撫を微笑ましげに見守っているようにさえ窺える。初体験自慢の年頃じゃなし、これじゃ面目丸潰れもいいところだ。
「か……可愛いって言い草ねえだろッ! ホント、てめえ……マジで口悪ィ!」
 ヘタクソで悪かったなというようにそう言って、ベルトを解いてやれば、下着の中でくっきりと大きさを増しているのを確認して、呆れ半分に唇を尖らせた。
「ふ……ん、何だかんだ言ってしっかりソノ気になってんじゃねえの」
 半ば勃ちあがり始めている雄を意地悪く突付きながら、お返しとばかりに不適に微笑んでやった。

 ココに触れるのは初めてだ。

 龍とは既に数回身体を重ねたが、いつもはたいがい一方的に弄られ高められるだけで、自ら彼のモノに触れたことはそういえばない。気をゆるめれば、すぐにもまた染まりそうな頬の熱をわざと無視しながら、波濤はその行為にだけ没頭しようと意識を集中させた。
 鈴口のくびれを舌先で突付き、しつこく丁寧に舐め上げて、時折チュウーっと吸うように先端を咥え込んでやる。
 今更だがオトコのココにこんなことをするのは不慣れというわけじゃない。それどころか嫌というほど経験済みだ。少なくとも経験値からいえば、この龍よりも勝るのだろうと思う。そんなことは自慢のひとつにもならないが、今はともかく別だ。
 それを証拠に頭上からは想像以上にハマっているのか、あまり聞いたことのないような余裕のない吐息が、少しの嬌声をも伴って漏れ始めているのに驚かされた。
 太腿の隙間からチラリとその様子を見上げれば、わずかにしかめられた表情が確かに快感を物語っていて、荒くなり出した吐息が肩をも上下させている。
 波濤は何だか誇らしげになって、
「気持ちいい……か?」
 竿を舐め上げながらそう訊いた。
「ああ、悪くねえ……な」
 答える声もとぎれとぎれで余裕がない。達《イ》きたいのを我慢しているのか、ふくらはぎまでが時折ビクリと突っ張るように筋立つのを目にすれば、更に気持ちはほころんだ。

「だろ? 俺、チンコしゃぶんのは得意だから」

 悪気があったわけじゃない。
 自慢したかったわけでも――ない。
 龍が反応《かん》じてくれているのが単純にうれしくて、ついこぼれてしまった台詞だった。



◇    ◇    ◇



 急にピタリと止んでしまった欲情の気配に気付いた時には既に遅かった。覆水盆に返らず――だ。
 それまではやさしく撫でられていた髪が痛いくらいに鷲掴みにされて、急激にグイとそのまま顎までをも掴まれて、ようやくと何で彼が怒っているのかを悟ったところでもう遅い。
 まるで乱暴に、癪に障ったように腕を掴まれ、引きずり寄せられ、体位をひっくり返され――気付いた時には組み敷かれていて、波濤は蒼白となった。
「悪ィ……ついその……冗談だって……。言葉のアヤっての……?」
 おどけてなだめようと試みたが、そんなものは通用しない。当然か――。
 彼の視線は苛立ちをあらわにしていて、不機嫌そのものだ。急に押し黙り、眉間には深く皺が刻まれて、鋭く睨み付けてくる瞳は狂暴さをも伴って、ギラギラと怒りを讃えていた。


◆4
「得意……だと?」
 冷めた視線からは、明らかに侮蔑の意図が滲み出ている。わざと平坦に、低く抑えた声音がより一層彼の心情を物語ってもいた。
「や、違ッ……そ……んなんじゃ……ねえって……!」
「だからってそんなこと平然と言うか? 仮にもこういう雰囲気ン時によ?」
「……っからっ……悪かったって……! ……んな、つもりで言ったんじゃねえし……」
「じゃ、どんなつもりだ。詳しく訊きてえもんだな」
「どんなって……だから言葉のアヤっつったろ! 意味なんかねえしっ……いちいちしつけんだよッ!」
 確かに気分を削ぐようなことを口にしたのは認めるし、悪かった。だから素直に謝ったんじゃないか。それを逐一掘り返して責め立てられたところで、どうにもしようがないだろう。第一そういうことを知っていて今現在こういう関係になっているんだろう、隠していたわけじゃない。今更だ。
 逆にそんなことで拗ねるなんて、大人げないにもほどがある。さらっとジョークで受け流すくらいの余裕はないのかと、苛立ちまでもが湧き上がる。
 成りは立派過ぎるくらいのくせにして、まるで子供の癇癪だといわんばかりに、波濤も反抗心を剥き出しといった調子で、ソッポを向いてみせた。
 だが、龍の方もおいそれとは怒りも引っ込みがつかないわけか、波濤の反抗的な態度がそれらを煽り、一触即発といわんばかりに二人は互いを睨み合った。
「ふ……ん、なら二度と他のオトコとヤろうなんて気が起きねえようにしてやるよ……!」
「……痛えっ……て! 放せバカ……!」
「男だけじゃなくて女もか? お前、両刀だもんなあ? そーゆーオイタは不謹慎だろ? だったら二度と……誰ともデキねえようにしてやろうかって言ってんだ!」
「ちょ……っ! 龍ッ……!?」
 龍は波濤を腹這いにして組み敷くと、逃げられないように馬乗りに覆い被さって、彼の首筋に吸いついた。
「痛ッ……てーよバカッ! ……んなとこにキスマークなんかっ……つけんじゃねえッ……!」
「……うるせえ、少し黙ってろ!」
「よせバカッ! マジでっ……ンなことしたらアフターん時困るっつの!」

「アフターだ?」

 より一層低く冷たい切り返しのひと言に、またもや失言したと気付いたところでもう遅い。
「へぇ……この期に及んでまだそんな口叩けんのか? しかもアフターだ? キスマークがついてたらやばいアフターってのはどういうのか……それこそ詳しく説明して欲しいもんだな」
「…………ッ」
「俺なんか飯《メシ》食ったりドライブしたり、いろいろあるぜパターン。てめえのアフターってのは客と寝ることしか……ねえのかよッ!?」
 売り言葉に買い言葉のようなやり取りで、互いを侮蔑し合うのは望んだことじゃないにしろ、最早どちらからとも止められない。癇癪のままに、思ってもいないことまでが口をついて飛び出してしまう。
 龍は怒り頂点といった調子で、波濤の両腕をガッシリと掴み取ると、脱ぎ捨ててあったシャツで乱暴に縛り上げた。
「なら……二度とアフターなんか行けねえようにしてやんよ! こんりんざい人前で脱ごうなんて気ィ、起こせなくしてやる――!」
 まるで全身のすべてを吸い尽くしてやるとばかりに、首筋から肩先、背中、腕、そして脇腹と、次々に噛み付く程の愛撫を施しながら、色白の肌を紅い痕で侵していく。隙間なく全身を吸い尽くすと、今度は表裏を引っくり返して、胸元から腹までありとあらゆるところに”誰かと交わったという証”を撒き散らした。
「やめ……ろ……バカ……! 痛ッ、痛えよっ……いッ……龍ーっ!」
 これだけしつこく全身に痣を付けられれば、ただでさえ熱が出そうなくらい疼《うず》いて痛い。ただ吸われるだけでも熱を持つのに、ところどころを怒り任せに噛られたり引っ掛かれたりしながら、波濤にはもう抵抗の余力など微塵も残ってはいなかった。

 それからは互いを詰り合う言葉の止んだ代わりに、ゼィゼィと荒い吐息だけが閉め切った部屋にこだました。合間に時折混じるのは苦痛にうめくような、それでいて快楽に堪えるような、どっちつかずの嬌声のような声だけだ。それは龍のものなのか、あるいは波濤の声なのか、当人たちにさえも解らないくらいに、憎しみと嫉妬の入り交じった慟哭の時間はしばらく続いた。


◆5
 気力も体力も果てた頃には、既にどっぷりと陽も暮れていた。
 カーテンの隙間からは灯り始めた街の気配が僅かに覗いている――日の短いこの時期、外はもう夜だ。龍も波濤も無言のまま、何を話す気力もなしといった感じで、ベッドに身を投げ出していた。
 喉が乾いた。トイレにもいきたい。だが少しでも寝返りをしようものなら、身体中が腫れて熱を持っているせいか、シーツに擦れた肌がビリビリと痛んで、波濤は思わず顔をしかめた。
「……っう……」

 モゾモゾと苦しげに動く気配とうめき声、そんなものにウトウトとしかかっていた意識を揺り起こされ、ふと触れた隣の肌がひどく熱くて、龍は暗闇の中で驚いたように身を起こした。

 波濤――――!?

 すぐ隣でダラリと放心しているような気配に蒼白となったところで今更遅い。
 またしても暴走して、取り返しのつかないような抱き方をしてしまったと気付いても、後の祭りだ。毎度のことだが、自らの学習能力のなさを目の当たりにして、龍はガックリとうなだれた。
 だがもう謝る気力もない。正直なところ謝るつもりもなかった、というのが正しいのかも知れない。例え辛い目に遭わせてでも自分だけのものにしたかった――それだけだ。
 龍は無言のまま波涛の肩先に頬を寄せ、瞳を閉じてじっとしていた。波涛もそんな男の態度を拒む気力は更々ないといった調子で、ただじっと仰向けのまま彼のしたいようにさせておく。肩先に触れる龍の髪をどけるわけでもなく、うっとうしがるわけでもなく、ただただ無心といった調子で空《くう》を見つめていた。



◇    ◇    ◇



 そのまま眠ってしまい、次の日、波涛が店に出る前に一旦自宅へと戻って行くのを、龍は格別の感情もないままに見送った。激しい昨夜の出来事が未だに続いているような、あるいは夢幻のような、そんな呆然とした気怠い昼だった。

 二人が再び顔を会わせたのは仕事先であるホストクラブxuanwuの店内だった。龍が入店した時には、既に波涛はいつものようにテーブルについていて、相変わらず後輩や客らと盛り上がっているふうだ。
 その楽しげな様子を遠巻きに見つめながら、心持ちホッと胸を撫で下ろす。少し時間を置いてみれば、いささか暴走し過ぎた感がひしひしと身に沁みてくるようでもあって、やはり不安だったからだ。
 今日は店がハネたらきちんと謝ろう、言葉で伝えなければいけない時もある。確かに昨夜は行き過ぎた。嫉妬にとち狂ったことが悪いとは思わないが、それでも彼を乱暴に扱ってしまったのは事実だ。如何に気持ちの裏返しだとはいえ、やはりきちんと向き合って謝るべきだろう、そんなことを考えながら龍は自身のテーブルで呆然としていた。

 左程広くもない店内に時折響く笑い声、波涛の席ではヘルプの後輩や客たちが楽しげに盛り上がっているのが分かる。いつものことだ。
 だが今日は、やはりいつも以上に彼の席が気に掛かってならなかった。
 身体は大丈夫なのか、全身につけた痣の数々やキスマーク、それらがうずいて熱を持ったりしていやしないか。激しく抱いたせいで辛いことになってはいないか、ハラハラとそんなことばかりが気に掛かる。気付けば、幾度も幾度も彼のテーブルを視線が追ってしまっていた。
「龍? どうかした?」
 客の女が隣から心配そうに覗き込んでくるのにハッとして我に返り、その度にガラじゃないと苦笑いが漏れて出る。
――遠目に見る波涛の肩先にも、同じようにして客の女性が寄り添っている。
 まるで甘えるように、そして、先程から時折拗ねるような彼女の機嫌をやさしく窺っている素振りを目にすれば、それこそガラじゃないがチクリと胸の奥が痛んだ。
 読唇術――というわけではないが、無意識に彼らの唇の動きを追ってしまうのも信じ難い。

「どうして!? 今日はアフター付き合ってくれるって約束したじゃん! 私のことなんてどうでもいいんだ……」
「そんなんじゃねえよ。違うんだ……ごめんな。俺、今日はホントに調子悪くってさ。ちょっとね、熱が出ちまったみたいで」
「え、そうなの? あ、ホントに熱い! 大丈夫?」
「ん、ヘーキヘーキ! バカは風邪引かねえってのにおかしいなぁ」
「やだぁ、波涛ったらー。でもマジで平気? 辛いの?」

 彼の額を触り、熱を計るような仕草をし、そして心配だと繰り返しながらうな垂れかかる。
 無論、はっきりと会話が聞こえる位置ではない上に、唇の動きからだいたいそんなふうなやり取りをしているのだろうと勘ぐっただけだが、それでも龍は心穏やかではいられなかった。

 店の中でまでこんな気持ちになったのは、初めてだったかも知れない――。


◆6
 今までは当たり前のように見流せてきたことだ。
 ホストという仕事柄、大して気にならなかった客とのやり取りが、こうも目につくようになるなどとは思ってもみなかった。
 というよりは、実際こんな気持ちにさせられるとは思わなかったというのが近いだろうか。とにかく客と接する彼はやはり”男”なのであって、その肩に甘えて寄り掛かる女の存在などを目の当たりにすれば、ごく当然のことが不思議にさえ思えてくる。何とも言い難い気分だった。
 何も知らない彼女ら――つまりは波濤と自分の現在の関係を知る由もない客たちにしてみれば、少なからず好意を持って彼を指名し、その胸に甘えるのだろう。例えば昨夜のように自身の腕の中でめちゃくちゃにし、我が物顔で抱いたとしても、それは変わらない事実なのだ。
 解ってはいるが、何だかそんな現実が憂鬱に感じられてならなかった。
 波濤という男が自分だけのもののようでもあり、全く別の、何の関係もない他人のような気もする。

 酷く切ない気がしていた。

 手に取れるようでいて取れないような、欲しくて仕方ないのにいらないような、そんな奇妙な気分だった。嫉妬――と、ひと言で括《くく》ってしまうには何かが違うようで足りないようで、何とも曖昧な気分だった。

 そんな気重のままに呆然と時間を過ごした閉店間近、自身の客を送り終えた店頭に立ち、このまま店に戻るのも気が進まずに、龍は裏階段へと足を向けた。頭を冷やす為というわけじゃないが、一服でもしていこう――そう思って胸ポケットの煙草に手を伸ばした、その時だった。
「ごめんなさいね、こんなところに呼び出して……でもちょっとだけ……二人っきりになりたかったの……」
「いいよ、俺もアユミさんと二人っきりになりたかった。ちゃんと礼を言いたくって……」
 聞き慣れたその声に、龍はハッと身を潜めた。波涛の声だ。
 傍には常連の女だろうか、フロアーを抜けてこんな裏階段なんかで何をしているのだろう、などとは訊かずとも大方の想像はつく。悪いとは思ったが、おいそれと動くわけにもいかずに、龍はその場にじっと伏せながら無意識に聞き耳を立ててしまった。

「やめて……それ以上言わないで……」
「アユミさん?」
「だってお礼だなんて……どうせさっきのこと……なんでしょう? ボトル入れてくれてありがとう、なんて言われたら悲しいわ」
「違うよ、そのことだけじゃない。今日は俺、調子悪くってヘタかましっ放しだったのに、アユミさん何も訊かねえで一緒に笑っててくれたじゃん? せっかく来てくれてるのにノリ悪くって申し訳ねえってずっと気になってた。でもそんな俺のこと、責めもしねえで楽しいって顔で笑ってくれた。それがすっげえうれしくって……だからちゃんと礼を言いたかったんだ。本当にありがとう、アユミさん」
「ヤダ、波濤ったら……」

 今、二人がどんな表情で、どんな思いでいるのか、おおよそ検討がついた。生真面目な波濤の真剣そうな言葉は本物なのだろう、対する客の彼女もそれに似合いの性質の良さが滲み出ているようで、龍は何とも居たたまれない気持ちに陥ってしまった。

「実はね、私と入れ違いに帰った女の子があなたにアフター断られちゃったって言っているのが聞こえてしまったの。お友達にでも電話していたのかしら? 予定が潰れたから今夜泊めて欲しいって携帯片手にそう言っていたわ。あの子、いつもあなたを指名してるから顔を覚えていて……あなたが約束をキャンセルするなんてよっぽどの理由があるんじゃないかって思ったのよ? もしかしたら具合でも悪いんじゃないかって……そうしたら案の定、元気なさそうな顔してるんだもん。心配したのよ?」
「そっか、それでアユミさん……ホントにごめんね。今日は皆に迷惑かけ通しだな、俺……」
「いいのよ。でも大丈夫? 具合悪いって……風邪でも引いちゃった?」
「ん、大したことねえんだ。ちょっと熱っぽいだけで」
「そう、じゃあ大事にしなきゃだめね?」
 甘い囁きと後ろ髪を引かれるような、か細い声が交差する。仄かに香ってくる香水の匂いは波濤のものなのか、彼女のものか、それらが混ざり合ったようなものが風に乗ってここまで届いた。


◆7
 それほど近い位置で身を潜め続けるのは正直辛い。女がやさしくやわらかく気遣う仕草までもが伝わってくるようだ。
 それに対して申し訳なさそうな顔をして、波濤はきっと切なげに彼女を見つめてでもいるのだろうか。彼らが今、どんな距離感でいるのかなど、見なくても重々理解できた。
「アユミさん……風邪、移しちまうよ……」
「知ってる? 誰かに移すと治るのよ、風邪って……」
 すぐそこの曲がり角の向こう側、階段の陰で身を寄せ合う二人の様子が生々しく脳裏をよぎる。他の誰かがそうしていたなら気にも留めないだろうことが、こんなにも胸を焦がすなどとは思わなかった。
 偶然とはいえ、盗み聞きしている形になっているからドキドキしているというだけじゃない。原因は百も承知だが、実際に目の当たりにしてみれば、自身ではどうにもコントロールがきかないくらいに逸《はや》り出す心臓音を鎮めるのに一苦労だった。
 そんな思いを露知らずの当人たちは、まさか誰かに会話を聞かれているなどとは思いもしないのだろう、店内にも客足が引けたこの時間、別れを惜しむように女の声が切なげに裏階段の隙間を縫って響いた。

「一緒に帰って……もっと完全に……移されたいって言ったら……困る……?」

――僅かの沈黙が千日のようだ。彼はどう返事をするのだろう。
 女の意に応えるのだろうか、それとも……。
 いや、そんなことできるわけがない。
 基《もとい》、そんなことができないようにと、昨夜彼をめちゃくちゃにしたのは自分だからだ。
 だが実際、この状況をどう切り抜けるつもりなのだろうか――もしも自分ならばどうするだろうか。悶々とそんなことを考えながら身体は硬直したように微動だにできず、心拍数だけがうるさいくらいに加速していた。
 それでもこの場から出て行けないのは、ある意味当たり前なのだが、とにかく龍は体験したこともないような逸る気持ちを抑えるのだけで精一杯だった。元々長身の身を潜め続けているだけでも酷い疲労感の上に――だ。

「波濤……? ダメかしら? これってやっぱり我が侭よね? あなたを困らせてる……」
「ん、アユミさんの前で恥かきたくねえよ、俺……」

 短いやりとりに、こんなにもドキリとさせられたことはなかった。



◇    ◇    ◇



 彼女を送り終えた波濤が店内に戻って来るだろう道すがらで独り、龍は壁にもたれてうつむいていた。

 『風邪のせいで勃たねえ、なんてことになって貴女の前で恥かきたくねえよ、俺』――そんな意味合いだったのだろうか、彼の返答は見事だった。同僚としては感服、完敗だ。
 しかも酷く艶かしかった。今日はダメだが次を期待させるに充分なほどの、色気のまじった台詞と言い回しだった。
 あんなものを見せ付けられれば、もはや収集がつかないほどに酷い嫉妬で胸が焼けただれそうになる。店頭から帰ってくる彼を捕まえて、すぐにでもめちゃくちゃにしてしまいたいくらいだ。
 昨夜のことを謝ろうだなどという気持ちは吹き飛んで、更に彼を我がものにして逃がしたくない衝動に駆られた。
 アフターを阻止しただけじゃ気が済まない。いや、阻止したというのは結果だが、昨夜あんなことがなければ、彼は客の意に応えかねない状況だったのだから――。
 それを思うと嫉妬心で制御がきかなくなりそうだった。
 何かに八つ当たりしたくなるような、
 或いは泣き出してしまいたいような、
 人目も憚らずに叫び出したいような、そんな気分だった。

「龍じゃねえか、どうしたこんなところで? なに、お前も上がり?」
 視線が合った瞬間に、少し驚いたように瞳を見開きながらも、まるで普通に『お前もお客を見送り終わったところか』といった調子で声を掛けられた。覗かれていたことも、今どんな気持ちでいるのかも、そんなことを何も知らない彼は、ごく自然な感じでそう声を掛けてくる。
 わずかにやつれてみえるのは、やはり体調のせいなのか。それとも、今しがたのように客に嘘をついて、誘いを難なくかわした後の疲労感なのだろうか――堪らずに龍は言葉を詰まらせた。
「……波濤……その……大丈夫か……? つまりその……」
 昨日の今日だ、どういう意味で訊かれているのかは即理解できたのだろう。波濤は僅かに苦笑いのようなものを漏らすと、
「ダイジョブじゃねーよ。お陰で身体中腫れちまって、熱まで出ちまったじゃねえか」
 嫌味まじりに、だがやわらかに微笑いながら少しおどけ気味で肩を突付き、目の前を通り過ぎようとする。
 そんな仕草は堪らない。
 いつも他の同僚らに対してそうであるように、相変わらず他人への気遣いに卒がなさ過ぎる。どんな時でも明るさを装おうとする、どんなことをされても相手を責めようとしない、常に良好な関係を築こうと精一杯の笑顔を作る。そんな彼を見ていると、ますます心が痛むようだった。


◆8
 本来ならば、身体はキツイ上にアフターまで断らざるを得ないハメになって、商売妨害だと詰られても当然だ。いっそのこと『てめえのせいだ』と怒鳴ってくれた方が数倍マシだった。
 龍は耐え切れずに大声でその後ろ姿を引きとめた。
「おい、待ってくれ波濤っ……! その……済まねえ……俺、昨日は本当に悪かった。解ってんのに行き過ぎて……あんなこと……」
 波濤はピタリと足を留めると、そのまま振り返らずに――だが話には耳を傾けるといった意味なのか、その場にじっと立ち止まっている。
 やはり本心では少しの怒りを持ち合わせているのか、こちらを振り返ろうとはしないその背中がひどく遠いものに感じられて、切なさと申し訳なさがこみ上げる。
「悪かった……自分でも何やってんだって……思うけど……ホントにマジで済まねえ……っ」
 それ以上は言葉にならずに、けれども波濤の後ろ姿を見続けていることもできずに、龍はただただうつむいて唇を噛み締めるしかできなかった。

 波濤からの返答はまだ、ない――

 けれども立ち去ろうとする気配もない。
 龍は必死に気持ちのままを吐き出さんとして言葉を選べずに、言うつもりでなかったことまでが口をついて飛び出してしまった。
「悪かった。だが……どーしょーもねんだ……お前のことになるとワケが解らなくなって、さっきだって……あんなの見せられたら……」
「……? あんなの……? って何だよ、それ……」

 そうだ、あんな――!

 頭では理解できている。あの状況ならどんなホストだって波濤と似たようなことをしただろう、かくいう自分だってそうに違いない。
 言葉の上手い下手は別としても、女をなだめすかすのに甘い言葉は当たり前。何ならキスのひとつやふたつ、抱擁のひとつやふたつなど当たり前の手段だ。
 それが仕事だから、そんなことは嫌というほど承知の上なのに、何故これほどまでに心が痛むのだろう。
 何故こんなにも掻き乱されて、叫び出したくなるほどに――どうしようもない何かが身体中をえぐるようだ。

――こんなことは初めてだ。

 自慢じゃないが、クールさが売りだと思っていた。客に対しても熱くならずに、のめり込まずに、常に冷静沈着が自身の持ち味だったはずだ。それはホスト業をする以前からも変わらない。では今のこの気持ちは一体何だというのだろう。
 ガラじゃない、そうだこんなのは俺のガラじゃない。何度そう思っても、言い聞かせてもどうにもならない。身体中を掻き毟られるような感覚がまとわり付いて離れない。

(お前を想えば瞬時に苦しくなって、呼吸もままならなくなって、気持ちだけが逸り先走る。抑えきれない何かが爆発しそうになるんだ……!)

 噛み締めた唇が切れそうなくらい、
 握り締めた拳が潰れそうなくらい、震えていた。
 長身の背中を震わせて、
 行き処のない気持ちと戦いながら、龍は震えた。
「……っ、マジで済まねえ……っ、けど俺……俺は……」

(お前のことが――)

 静まり返った廊下に長身のシルエットが二つ――それぞれの秘めた熱い想いとは対極に、静かにたたずんでいた。



◇    ◇    ◇



「……ったく、お前でも一応やべえことしたとか思うことあんだ?」

 え――――?

「心配してくれてんのかって訊いてんだ」
 未だ背を向けたままでポツリとつぶやかれた言葉がそう聞こえたのは、廊下に反射したせいじゃない、波濤は確かにそう言った。龍は瞳を見開き、何かに縋り付くように目の前の背中を見つめた。
「……波……濤?」
「なら……そんならちゃんと面倒見ろよな。責任取って腫れた傷の手当てして、添い寝してカラダ温っめて……」
「俺が……していいのか?」
「てめえで付けた傷だろが……? だったらてめえで介抱しろって……そー言ってんの!」
 クルリと振り返った彼の視線はやわらかにゆるみ、悪戯そうに微笑んでいた。
 驚きで何も言葉にならない龍の大きな瞳を、真っ直ぐに捉えて微笑んでいた。
「俺ン家は狭えし、ベッドも小っせーから……お前ン家《ち》な?」
「……波濤、それって……」
「車代はお前持ちな? 飯も作れよ!」
 分かったら帰るぞ、とばかりに手招きする腕ごとを掴んで抱き締めた。
 背後から堪らずに、気付けばギュッと抱き包んでいた。


◆9
「波濤……! ごめっ、済まねえ……俺……」
「も、いいって。お前がしょーもねえ奴だってのはよく解った。見境いねえし、限度知らねえし……その上すっげ、ヤキモチ焼きだし?」
「悪ィ……マジで反省してる……けど俺は、ホントにお前のことが……!」

 今だって本当は嫉妬でおかしくなりそうなんだ。
 一緒に帰って部屋で二人きりになったりしたら何をしちまうか分からない。
 昨夜よりももっと酷いことをしてしまうかもしれないというのに――。
 それでもお前はまだそんな言葉を向けてくれるというのか? 俺を許して求めてくれようというのか?

「波濤……! 好きなんだお前が……! どうしょうもねんだ……」
「バカたれ……ンなの……解っ……」

――そう、解ってるよ。
 それに本当は俺だって同じ気持ちなんだから。
 どんなことをされても、例え熱が出るくらい乱暴にされても、うれしいなんて思えちまうくらい、どっぷりお前にイカれちまってるのは同じだ。

 そんな言葉を心に秘めて、呑み込みながら波濤は微笑った。
「……まだカラダ痛ぇんだからよ……んなギュウギュウ締め付けんなっての! しかもココ、店! 誰かに見られたらどーすんだって! 早く帰んぞ!」
「見られたっていい……構わねえ!」
「……っの……バカやろ……が」
 仕方ねえなといった調子でそう言って、だが横目からチラリと覗いた波濤の頬が恥ずかしそうに染まっているのを目にすれば、龍にはとてもじゃないが平静で居られないほどに、たまらない気持ちでいっぱいにさせられてしまった。

「波濤……ちょっと――」
「……あ? ちょッ……龍! どこ行くんだって、お前……」
 いきなり腕を取り、足早に廊下を駆け、龍が波濤を連れ込んだ先は普段は使わない予備の椅子やらテーブルなどが積まれている倉庫代わりの部屋だった。
 家具類の隙間、その向こうに窓が見える。灯りは――ない。唯一はその窓から差し込む街の喧騒を映すネオンの揺らめきだけだった。
「何だよ、いきなし……! こんなトコ来てどうしようって……んだ」
 語尾を取り上げるように、龍は波濤を抱き締めてその唇を奪った。そうせずにはいられずといった調子で、無我夢中でキスを仕掛けた。

「……おい……龍……ッ!」
「悪い――我慢できなかった」

 ようやくと解放された抱擁と同時に、額と額をコツリと合わせられ、波濤の方はしどろもどろに視線を泳がせる。
 突然の強引なキスで赤くなった頬を悟られたくなかったというのもある。と同時に、もう少しこの先を望みたいような、もっともっと強引に奪われてしまいたいような欲望がチラリと自身の背筋を伝ったのに気が付いて、更に挙動不審になり掛けた。

 そうだ。この雑多な倉庫に無理矢理連れ込まれて、昨夜のように激しく全てを奪われてみたい――

 今、この場で毟《むし》り取るように服を剥がれ、乱暴にされ、この熱い唇で身体中の方々を求められたい。こんな場所で何をするんだと諫める自分を押し倒し、拘束して、我が物顔で掻き乱されて、犯されたい。そんな想像が瞬時に脳裏を過ぎっては消えていく――
(何……考えてんだ、俺は――)
 次から次へと湧いて出る淫らな妄想を振り切ろうと、波濤はフルフルと頭を振った。そして、わざと明るくおどけた調子で目の前の胸元に軽いジャブを見舞う。
「バカやろ……戯けたこと……してねえで早く帰って飯作れ。添い寝しろ。傷も手当てしろって……な?」
「ああ、する。何でもするぜ。全部、何でもお前の言うがまま……添い寝だけってのはすっげ辛えけど……」
「自業自得だな?」
「……ああ、そうだ……」
「ふぅん? 珍しいな、お前が言い返さないなんて。いつもだったら、多少非があろうが俺様丸出しでやり込めてくるってのに?」
「――それだけ反省してるんだ」
「へえ……? お前が反省ねぇ?」

「波濤――」

 急に真顔になったかと思いきや、じっと食い入るように見つめられ、

「好きだ――」

 吐息に擦れた音が乗っただけの、ひどく淫らな声音がそう囁いた。

「……え?」

 顎を持ち上げられ、顔を傾けさせられて、今しがたのよりも甘く乱れたキスを仕掛けられれば、すぐにも心拍数が加速した。
「……ッ」
 またもや淫らな妄想に支配されそうになり、慌ててみぞおち辺りを目掛けてもう一発、軽いジャブを繰り出す。
「……ッ! いつまでこんなクッソ狭え所にいねえで……! か、帰んぞ!」
「ああ、分かった」
 チュッ、と耳たぶに触れた口づけに、波濤は『懲りない野郎だ』 といったふうに今夜三発目のジャブを見舞い――だがすぐにフッと瞳をゆるめると、あふれる幸福感を噛み締めるような表情で愛しい男を睨み付け、そして微笑った。

 通用口の扉を開ければ、真冬の夜の北風がビューと音を立ててやわらかな髪を吹き上げる。

「三発か――まさにノックアウトってやつだな」

 ニヒルに口角を上げて龍が嬉しそうに呟いた言葉も、風に乗って凍てつく夜空へと吸い込まれていった。

- FIN -

次エピソード『Double Blizzard』です。



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