皇帝寝所
◆20
それから数日が過ぎたが、ルナは冰が帰ってくると進んで一緒にテーブルを囲むようになった。毎日特にすることもなく退屈なのか、次第に冰の帰りを待ちわびるような様子も見受けられるようになっていった。
冰もルナにはよく懐いて、近頃では学園から帰ると同時に『ルナお兄さんは? お部屋?』などと焔に尋ねるようになっていた。少し前までは、帰ると『白龍のお兄さん、白龍のお兄さん!』とまとわりついて来た子供が、すっかり成長して手から離れていくようで、焔にしてみれば一抹の寂しさをも感じる始末だ。ルナに宿題を見てもらう夕食前のこのひと時が楽しいといったような表情をする。ルナもまた、冰のみならず家令の真田や邸の使用人らとも日に日に馴染んでいき、先行きの明るさを祈るような気持ちで見つめる焔と遼二であった。
「さて――ルナ。今日からは寝所も俺と共にしてもらおうと思うが」
ある晩のこと――遼二がそう誘ったところ、ルナはわずか驚いたようにして瞳を見開いた。
「先生……じゃなかった、遼と一緒に寝んの?」
「そうだ。お前さんもそろそろここでの暮らしに慣れてきたろうからな」
嫌か? そう訊くとルナは薄く笑みを浮かべながらも少し寂しげな表情をみせた。
「嫌ってわけじゃねえけどさ……。ってことは、俺もいよいよデビューの時が近づいてきたってことだよね?」
ルナにとって教育係と寝所を共にするということは、イコール男娼としてのデビューの日が迫っていると理解したのだろう。
当初、このルナに会ったばかりの頃は男娼だろうが何だろうがすべてのことに対する自我というものが見受けられなかった。まるで感情を持たない人形のようだった彼が、今は寂しげに諦めの表情を見せるまでになった。遼二はその変化に驚きつつも、決して彼を手放したくはないという強い思いに駆られていくのを自覚していた。
そっと――怯えさせないように少しの距離を取りながら彼の陶器のような頬に手を添える。
「勘違いするな。ただ一緒の床で眠るだけだ」
「眠るだけって……じゃあ、男娼になる為の実践じゃねえの?」
「実践?」
「ああ、うん……。だって遊廓の兄様たちの話じゃ、デビューする前に教育係の先生からお客の相手をする為の手解きがあるって聞いてたからさ」
男同士でのセックスのやり方を教わるんだろ? と言ってルナは微苦笑を浮かべる。
その笑顔がこと更に寂しそうに思えて、遼二は逸り出す胸を抑えながらルナを見つめた。
「ああ――確かにそういう教えもせにゃならん時が来ようが。だが今はまだその時ではない。お前さんには政治経済のことや茶の湯など、教えにゃならんことが山ほどあるんだ。もう一、二年はとてもじゃないがデビューなどさせられんからな」
そう言ってやると、ルナはどこかホッとしたように表情をゆるめながらも、
「一、二年って……。そんなに先なら、俺がデビューする頃には年食っちまって売り物にならねえんじゃね?」
笑いつつもホウっと深く肩を落とす。遼二にはその様子がルナの安堵の感情に思えてならなかった。
この邸で暮らし始めてから|三月《みつき》が過ぎようとしている今、ルナの中で感情というものが芽生えつつあるのは確かなようだ。やはりあの冰という子供や、それに家令の真田など、あたたかな人々の中での暮らしが少しずつ彼の気持ちを穏やかにしているのかも知れない。
「さあ、それじゃ休むとするか。床は一緒だが二人で大の字になっても余裕なくらいに広いベッドだ。心配せずに眠るといい」
「うん……分かった」
うなずいた瞬間、彼の陶器のごとく美しい肌がわずか朱に染まったように感じられたのは幻か――遼二とルナにとって新たな日々が幕を開けようとしていた。
◆21
正直なところ、ルナと寝所を共にする中で、実践という大義名分を掲げて抱いてしまうことは可能であった。だが、遼二にとってどうしてか情を交わすという一線が越えられずにいたのも、また事実であった。
深夜、すっかり深い眠りについたルナを眺めながらその頬に手を添えて軽く撫でる。ゆるりと髪を梳き、半身を起こした拍子にギシリとベッドが音を立ててもルナは起きる気配がない。
今ならば――軽く口づけるくらいでは目を覚ますこともないだろう。そう思い、更に身を乗り出して顔を寄せれど、何故だか心がチクリと痛んで唇を重ねることができなかった。
彼は紫月であって紫月ではない。だが、身体はまさしく紫月に違いない。
古傷の形もホクロの位置も、そして体つきも――。
それこそ自分と彼と、おそらくは彼の親くらいしか目にしたことがないであろう男の象徴も、寸分違わない紫月のものだ。
紫月とは想いを告げ合ってから幾度身体を重ねたことだろう。
かつて夢中になってこの身体を腕に抱いた。
だが、どうしてか唇を重ねることすら憚られるこの思いはいったい何だというのだろう。暗闇の中、遼二はそっとルナに添えていた掌を離すと、何もかもを忘れるようにただただ睡魔が襲ってくるのをじっと待ったのだった。
そんな遼二の心の揺れを親友である焔が気付かぬはずもなく――ある日の午後、邸内が見渡せる中庭に出て茶に誘う。いつもように学校から帰って来た冰の勉強を見てやるルナの姿を遠目から眺めながら、焔が訊いた。
「どうした。このところ、やけに辛気臭えツラしやがって」
ルナはあの通り冰とも馴染んで、時折は笑顔も見せるようになってきた。記憶だけは相変わらず戻らないままだが、兆候としては悪くないだろうと焔はそう思うのだ。
「確かに――な。ルナも当初から比べれば大分穏やかで明るくもなった。――なったには違いねえが、近頃思うんだ」
「思うって――何を?」
「俺は――いったい誰を想っているんだろうとな」
「誰って……あのルナは一之宮で間違いないんだろうが。記憶がないとはいえ、紛れもなく一之宮だ」
「……確かに」
「お前、このところあいつと寝所を共にしているんだろ? まさか――まだ抱いちゃいねえってのか?」
遼二がどことなく落ち込んでいるように思えるのはそれが原因かと焔が訊く。
「何なら男娼になる為の実践とでも言って、抱いちまえばいいものを」
紫月が姿を消してから数えれば、かれこれ四ヶ月になる。その間、そういった欲望も当然あるだろうと、焔は焔で友を思っての言葉なのだ。
「案外抱いちまえばあいつの記憶も戻るかも知れんぞ」
「ああ……そうかも知れん。だがな、焔――。俺は何故だかそれができねえんだ」
遼二は視線をルナにやったままで微苦笑を浮かべてみせた。
◆22
「あいつは紫月であって紫月じゃねえ。身体はまさしく紫月だが、心はルナ――だ」
「……ふむ。つまり、てめえは一之宮の身体に一之宮の心が戻るまではあいつを愛せねえというわけか? それともルナという性質がタイプじゃねえとか――?」
「そうじゃねえ。俺が苦しいのは――ルナのことも可愛いと思えるからだ」
焔は驚いたように遼二を見つめた。
「……要は、てめえはあのルナに惚れたということか?」
「……ッ、そうかも知れん。いや、そうだろう。ルナが……あいつが毎日少しずつでも明るさを取り戻していく様子を見ていると……うれしくなる。ああして一生懸命に冰の勉強を見てやっている姿も、正直言って愛しいと思える。だが、俺が愛しているのは紫月だ……! 今の俺は……紫月を忘れてあのルナという別の人格に心惹かれ始めている。それが怖くて堪らねえんだ……」
両の手で額を抱え込んでは吐き出すように言う。まるで心の叫びの如くかすれた声を苦しげに潰す勢いでそう言う。
「――浮気」
「……え?」
「浮気をしている気分なのか? 一之宮を忘れてルナに惹かれ始めている自分は浮気者だと、そんなことはあっちゃならねえと、てめえはてめえで自分を戒めてる。違うか?」
「……ッ、そうかも知れん。俺は今でも紫月を愛している。なのにあのルナのことも気に掛かって仕方ねえ。このまま紫月が戻らずにあのルナと過ごせば――いずれは二人の人間を同じくらい大切に想ってしまう時が来るだろう。もしかしたら紫月に対する想いよりもルナを大事と想う気持ちが勝っちまう時が来るかも知れねえ……ッ。そう思うと怖いんだ」
「――落ち着け、カネ。おめえは二人の人間と言うが、ルナと一之宮は同じ身体を持つ一人の人間だ。別人とは違う」
「なあ、焔。俺はガキの頃からずっと脳裏に描いてた夢がある。それは――鐘崎組を継いで、親父や組員たちと共に生きていくという夢だ。俺の隣には当然紫月がいて……ヤツの親父さんの道場がすぐ近所にあって、いつでも行き来して――。皆んなの笑顔の中で紫月と共に生きていくっていう夢だ。それが今は……別の人間に心を寄せて……紫月のことも、ずっと思い描いてきた夢のことも……まるで別次元のように感じ始めている。そんな自分が恐ろしくて仕方ねえ……! 確かに身体は一人の人間で、ルナと紫月は同一人物だ。頭では分かっちゃいるし、ルナを抱く自体は簡単かも知れねえ。抱けばまた違う気持ちになれるのかも知れねえ。だが……もしもあいつをこの手に抱いちまったら、もう二度と戻れない。そんな気がするんだ。親父のことも組のことも、紫月のことも忘れて――」
俺は自分自身さえ失くしてしまうような気がするんだ――!
それが怖くて仕方ない。恐ろしくて仕方ない。掌で顔を覆い、涙を見せまいとするも焔には友が号泣しているのが痛いほど分かっていた。
◆23
しばしの後、ふうと深呼吸と共に焔は言った。
「つまりはなんだ――こういうことか。おめえは理想とする環境の中で一之宮紫月という男を愛したいというわけか?」
その問いに、遼二は覆っていた掌を離すと涙に濡れた顔でハタと焔を見やった。
「理想の環境……?」
「そうじゃねえのか? 鐘崎組に一之宮道場、側にはおめえの親父さんや組の若い衆らがいて、ちょっと歩けば一之宮の家があって――。そんな環境の中で一之宮が側にいてくれたら満足で安心できる。裏を返せば一之宮という一人の男を愛しているというよりは、そういった心地の好い環境の中でしか愛せない――俺にはそんなふうに聞こえるがな」
思いもよらなかった言葉に絶句――しばしの間、遼二は返答の言葉すら返せないまま焔からも視線を外せずにいた。
あれだけ流した涙も瞬時に乾いてしまうくらいの衝撃が襲いくる。
「そ……んなことはねえ……。俺は……ヤツが、紫月が戻ってさえくれれば……環境など関係なく」
「ヤツを愛せるってか?」
「あ……たり前だ。俺は生まれてこのかた……紫月以外を想ったことはねえ。もちろん組も家族も大事には違いねえが、仮にどちらかを選ばねばならないとすれば――」
「一之宮を取るか? 組や家族を捨ててもヤツさえいれば生きていけると言えるか?」
「もちろんだ……ッ! 俺は……紫月が、この世であいつ以上に大事なものなんざ一つもねえ……! 紫月さえいれば俺は……」
「だったら迷うこたぁねえだろが。ヤツは――お前の愛する一之宮紫月はここにいる。例え今は記憶を失っていようと、あのルナは紛れもなくお前の愛する一之宮紫月だ。何を迷うことがある?」
「焔……」
「それともいっそのことあのルナを連れて親父さんの元へ帰ってみるか? 鐘崎組の中で、一之宮道場の側で、ルナと共に暮らしてみりゃお前のその悩みも解決できるかも知れねえ」
「……ッ、そんなことはできん! あいつは、ルナは……やっとここでの生活に慣れ始めたばかりなんだ。少しずつだが笑顔だって見せるようになってくれて……そんなあいつを全く別の環境に連れて行けば、せっかく取り戻せそうなあいつの笑顔を潰しちまうだろう。そんな惨いことはできねえ……ッ」
既にもうルナの虜か――そう思えるようなセリフだ。遼二に自覚はないのだろうが、彼があのルナを愛し始めているのは確かなのだろう。焔はまたひとつ小さな溜め息と共に遠目にいるルナと冰を見つめながら言った。
「カネ、一度その――ルナとか一之宮とかいう壁を取っ払ってみたらどうだ?」
「壁を……取っ払う?」
「お前の思うまま、感じるまま、どちらも大事ならどちらも愛してしまえと言ってるんだ。ルナの人格も一之宮の人格も、可愛いと思う気持ちのままに欲しいと思う気持ちのままに素直になって溺れちまえと言っている。とことん溺れて、例えそれがおめえの抱く理想の未来とは違ったとて、溺れた先に別の未来が描けるようになるかも知れんぞ」
なんといってもルナと紫月は同一人物なのだから迷うことはない、焔はそう言いたいのだ。
◆24
「おめえが何をこだわってるのか知れねえが、ルナであろうが一之宮であろうが、おめえは何度出逢ってもあいつそのものに惹かれるようにできてんだ。悩むくれえならルナも一之宮も――二つの人格ごとひっくるめてとことん愛せばいい。簡単なことじゃねえのか?」
「ルナも紫月もひっくるめて……」
「そうだ。第一、ルナというあの名前だって女衒が適当につけたのかも知れんが、元を正せば月――だ。一之宮紫月の月――だ。女衒はヤツの本当の名を、紫月という名を知っていてルナとしたのかも知れん。それに――ここ最近のヤツを見ていると、ちょっとした言葉の節々に一之宮の性質が見え隠れしていることにお前も気付いているはずだ。だから余計にルナも愛しいと感じるんだろう」
「……焔」
「ヤツは紛れもなく一之宮であって、それ以外の何者でもねえ。悩んでる暇があったら二つの人格ごと受け入れて、とことんてめえに素直になる勇気を持つことだ」
そうすれば自ずと未来が見えてくる時が訪れる。焔の言葉に遼二はグイと涙を拭いながら、遠目にいるルナと冰を見つめた。
すると、ちょうど宿題が済んだのか、二人がノートを畳んでこちらに気付いたようだった。冰はうれしそうに手を振りながら『白龍のお兄さーん!』と言って満面の笑みを見せている。ノートを抱え、こちらへと駆け出す。
その姿を見つめるルナの瞳は穏やかで、時折クスッと笑むような仕草が見て取れる。
「おい、あんま急いで転ぶなよ」
「う、うん! ルナお兄さんに教えてもらったとこ、白龍のお兄さんにも見せてあげたいの!」
冰はルナを振り返りながら、『ルナお兄さんも早くー!』といった調子で駆けてくる。
「ふん、しゃーねえヤツだな」
催促されるままに早足になったルナの笑顔にドキリと胸が高鳴り、まるで鷲掴みにされるように苦しくなる。
ただ苦しいのではない。甘く痛むような苦しさだ。
隣に座っていた焔が立ち上がり、仔犬のように駆け寄って来た冰を両の手で受け止めた。それにつられるようにして遼二もまた椅子から立ち上がる。
焔が冰を受け止めたように、もしもこの手でルナを抱き締めたならどんな気持ちになるのだろう。そんな想像にぼうっとしていた時だった。
「あれ……? 遼センセ、今日はなんか元気ねえのな?」
ハタと我に返れば、ルナが白魚のような手を差し出しながら頬に残った涙の痕を見つけて首を傾げていた。
「……もしかして泣いてた? 目ェ真っ赤だけど……」
心配そうに覗き込んでくる。遼二は慌ててしまった。
「おい、皇帝様! アンタ、まさか俺ン遼センセを泣かしたんじゃあるめえな?」
怪訝そうに焔に視線をくれてルナが凄んでみせる。
「バ、馬鹿ぬかせ! 何だって俺がこいつを泣かさにゃならんのだ。……ッと、虫だ! そう、虫! 割合でっけえ虫がこいつの目に直撃してな……。そんでもって……」
タジタジながらも咄嗟にそう繕った焔に、ルナの方は『本当だろうな?』と片眉を上げる。
「いくら皇帝様だって遼に手ェ出したら、この俺が黙っちゃいねえぜ」
半ば冗談のように不適な笑みを見せたルナのその仕草、少し斜に構えてニヤッと笑うその表情、それはいつだったか遠い昔に見た紫月の高校時代を彷彿とさせるようなものだった。まるで黒い学ランを纏った彼がすぐそこにいるような感覚に襲われる。
今まで目の前を覆っていた深く濃い霧がみるみると晴れてゆき、辺りの景色が鮮明になっていくような幻影が浮かぶ。遼二は大きく瞳を見開いたまま、しばし呆然としたようにルナから視線を外せずにいた。
◆25
その夜、遼二はルナに本当のことを打ち明けることを決めた。
このルナにこれまでの経緯を話して聞かせ、紫月のこともルナのことも同じように愛している今の気持ちを包み隠さず伝えたい、そう思っていた。
いつものように同じ寝所に上がり、いざ打ち明けんとしたちょうどその時だった。
「なあ、センセ……あのさ、訊いてもい?」
珍しくも思い詰めたような顔つきで、微苦笑を浮かべながらルナの方から話し掛けてきたのだ。
薄暗い常夜灯の下、今にも泣き出しそうな顔を不適な笑みでごまかすようにルナがじっと見つめてくる。
「――どうした。何でも言ってくれ?」
遼二はクイと前屈みになってルナを覗き込むようにそう言った。
「ん、あのさ……。センセ……遼はその……好きな女、つか恋人とかいる?」
「こ……いびと?」
遼二は驚いた。
「――何故そんなことを訊く……」
「ん、別に……意味はねえけど。ただ……どうなのかなって思っただけ」
ルナはまたわざと取り繕ったような笑顔を見せながらも先を続けた。
「遊郭のさ、兄様たちが言ってたんだよね。俺たち男娼は……本気で誰かを好きになっちゃいけねえんだって。例えばだけどさ、通ってくれる常連さんとか、男娼仲間とかでもそうだし、それから……教育係のセンセとかさ。誰かを好きになったら苦しいだけなんだって。客に抱かれんのも辛くなるし、自分も惨めになるっつって……だから俺にも、例え男娼になっても恋だけはしちゃならねえよって兄様が教えてくれたんだ。すっげ寂しそうなツラしてさ……」
「ルナ……お前……」
「だから訊いてみたかったの。センセにはそういう相手……つか、大事に想ってる人がいんのかなって」
うつむいて今にも泣き出しそうな表情ながら、ヘラヘラと笑う仕草が痛々しくて堪らない。遼二はそっとルナの肩に手を伸ばすと、そのまま自分の胸の中へと引き寄せた。
「いる――。俺にはこの世で唯一人、心の底から惚れたヤツがいる」
腕の中のルナがビクりと震えたような気がしたが、更に強く抱き包みながら続けた。
「紫月というんだ。俺とは四つ違いでな、幼馴染だった。ガキの頃から弟のように思ってた」
「お……とうと? ってことは……相手、男なん……だ?」
「ああ、男同士だ。でも愛し合ってた。誰よりも何よりも――てめえの命よりも大事だと思える唯一の相手だ」
「……ふぅん……そう……なんだ? じゃあ、そいつのこと抱いた?」
「ああ」
「そっか……。だからか。センセが……遼が俺にいつまで経っても床技の実践しねえ理由」
「ルナ――?」
「だって兄様たちの話じゃ、教育係が付くとすぐに床技を教わるってことだったからさ。なのにセンセも皇帝様も……何考えてんだか知らねっけど、いつまで経っても俺にそういうこと教えねえ。茶道だの政治だのって知識も必要なのは分かるけどさ、男娼っつったら先ずは床技だべ? こんなんじゃ俺、マジで男娼になれるか分かんねえじゃん」
あまりにも寂しげな言葉に、遼二は堪らずにルナの髪へと口付けてしまった。
◆26
「ルナ――ッ、俺がおめえに床技の実践をしねえのは……」
「好きなヤツに申し訳ねえって思うから――だろ?」
「違う――ッ、そうじゃなくてだな……」
「違わねえべ? なのにそんなさ、こんなふうに……やさしくされたらさ……。俺……辛くなるべ。誰かを好きになっちゃいけねえ男娼なのに……こんな……ッ」
ポロリ、ルナの瞳から大粒の涙が出てこぼれて落ちた。
「ルナ――! 違うんだ! 聞いてくれ! こっちを――俺を見て、聞いてくれ」
抱擁を解いてルナの両肩をがっしりと掴みながら遼二は言った。
「今夜、俺は――お前にこのことを打ち明けようと思っていたんだ。俺が愛している男の腕にはガキの頃に刀の先で切った傷痕が残っている。太腿には大きなホクロ……」
遼二はルナの腕を掴んで寝巻きを捲り上げると、彼の左腕にある古い傷痕を見せた。
「お前が初めてここに来た日に俺はお前の身体を確かめただろう? お前の太腿にも同じホクロがあった。紫月と瓜二つ、寸分違わない位置に同じ形のホクロだ」
「……どういう……ことだ?」
「紫月は四ヶ月前のある日、突然姿を消したんだ。俺は必死に方々を捜し回った。そんな中、友の周焔からこの城壁内で紫月を見掛けたと連絡があった。駆け付けてみれば紫月にそっくりなお前がいたのだ」
「……じゃあ、俺……俺はいったい……」
「俺たちはお前が紫月だと確信した。おそらくはお前をここに連れて来た行商人の男に拐われて、その直後に記憶を奪われたのではないかと想像したんだ」
「記憶って……それじゃ俺は……」
「俺は焔と共にお前を手元に置いて……とにかくは男娼にさせぬ為に皇帝の邸へと連れて来たんだ」
あまりの驚きでか、ルナは呆然としたように瞳を見開いたまま、瞬きさえもままならずにいる。
「当初――俺はお前の記憶が戻ることを祈って……共に過ごすことを決めた。行方不明になっていたお前が見つかっただけで安堵の思いだった。だがな、ルナ――。俺はお前と過ごす内にお前のことが、ルナというお前のことが愛しくて堪らなくなってしまった。紫月への想いを忘れたわけじゃねえが、お前のことが頭から離れなくなって……悩んだ。紫月を裏切って、別のルナという人間に惹かれ始めている自分が怖くて堪らなかった。床技の実践と称してお前を抱いてしまおう、何度そう思ったか知れねえ。だができなかった……んだ」
「センセ……」
ルナはどこか安堵したような面持ちで遼二を見つめた。
「けど……けどさ、じゃあ俺はその紫月っていう人と同一人物ってことになるんだろ? ってことはセンセの好きだった人と同じ……つか、俺がセンセの恋人だったってことになる……んだよね?」
心なしか嬉しそうに頬を染めてモジモジと腕の中でうつむく。そんな様からは彼の方にも同じように好意が芽生えていることが手に取るようだった。初めて会った日とはまるで別人のように感情の起伏を見せるようになった彼の肩を抱きながら、遼二はハタとあることが頭を過って瞳を見開いた。
「――! そうだ、ルナ! お前さん、例の行商人の男について何か覚えていることはねえか? 例えば一緒に暮らしていた時に何か薬物のようなものを与えられたとか……」
「薬物?」
「そうだ。お前はこの容姿といい身体的特徴といい間違いなく紫月だ……。とすれば、その行商人によって何らかの薬かなにかを盛られて記憶を奪われた可能性が高いんだ」
どんな些細なことでもいい、覚えていることはないかと訊く遼二に、ルナもまた思い出したように瞳を見開いた。
「……薬か。そういえば……」
「何か心当たりがあるのか!?」
思わずルナの腕を取って身を乗り出す。