月妖伝
「とにかく帰ろう遼二。【白啓】と【剛准】もお前さんを待ってる」
着物の裾をパタパタとはたきながらそう微笑むのは、長いこと連れ添ってきた仲間の一人である【帝雀】という男だ。彼にうながされるままに逸る気持ちを抑えて立ち上がり、その後をついて歩き出す。前を行く彼の後ろ姿を見つめながら、遼二と呼ばれた男は自らの過去を思い起こしていた。
◇ ◇ ◇
遼玄の回想
そう、あれはいつのことだったろう、俺たちの運命を一瞬で変えてしまった衝撃の出来事。
――頃は今からさかのぼること幾年月になるだろうか、あまりにも永い苦悩の時間の中に於いては、曖昧にしか覚えてはいない。
その頃、俺たちの住むこの星は五階層から成る平和な世界だった。神界を頂点とし、天上界―地上界―地底界、そして邪悪の吹き溜まりとされる魔界までもが保たれ調和の取れたひとつの惑星。神界を治める守護神である五人の神、【黄龍、黒龍、赤龍、蒼龍、白龍】と呼ばれる【五龍】の絶大な力によって平和を保っていたこの星に、巨大隕石が衝突をするという事変が起こったあの時から、俺たちの運命は目まぐるしく動き始めたんだ。
予期もしていなかった天変地異によって、魔界に永眠していた四つの獣が目覚めてしまったのが万事の発端だった。それらは【四凶】と呼ばれ、この惑星に於いて最も邪悪とされた獣だった。
隕石衝突時のエネルギーによって凶暴化した獣たちは、彼らの眠っていた魔界を食い破り、地底界を突き抜けて、人間の住む地上界までをあっという間に食らい尽くした。
事態を重く見た守護神五龍らは、ひとまず生存が確認される地上界の人間たちすべてを亜空間へと移動させると、猛獣を討伐する為の組織を結成した。
それら討伐軍が天上界に住む俺たちの中から選ばれるという決定が伝えられたのはそれから間もなくしてのことだった。
魔界より蘇りし【四凶の獣】、それらを討伐する為に選ばれた者たちには神としての立場が与えられる上、神界にて不老不死となることが約束されるという噂に、天上界はしばしざわめきに包まれたのを鮮明に覚えている。
自らが神になれるかも知れないということに色めき立つ者、相反してそんな危険な任務は絶対にご免だと身を隠す者等様々で、天上人にとっては一時心の休まる暇もなかったというのが実のところだった。
神になるとかならぬとか、そんな話には無縁の他人事だと思っていた俺たちに白羽の矢が立ったのはその直後――しかも幼い頃から曰くつきだった幼馴染が十把絡げて召集されるとあって、ひどく驚かされたのは言うまでもない。何故なら俺たちは『大罪人』を親にもつ危険分子として、保護観察の下に育てられた子供たちだったからだ。幼馴染の俺たち五人は、全員が男子で年の頃も近く、物心ついた時には既に同じ施設で大人たちの監視下に暮らしていた。
それぞれの父親に当たる人物は全員が既に亡くなったとされていて、だから俺たちは親の顔を知らないで育てられた。そして不思議なことに、母親の所在については一切知らされることがなかった。生きているのか、どこに住んでいるのかさえも分からずに、監視の大人たちにそれを尋ねる自体が厳禁とされていた。
そんな中にあって、心を許せるのは幼馴染の仲間である互いだけだということを自然と悟っていった。故に互いを思い合う気持ちは他の天上人たちよりも強かったと言えるだろうか。
まさかそれが神界の五龍に見染められるなどとは夢にも想像し得なかったが、理由や経緯はどうあれ、俺たちは程なくして天上界を離れ、神界へと召喚された。
大罪人の子らであるとされていた俺たちが神に選ばれたというこの事実に対して、天上人らがどう思ったかは大体のところ察しがつく。
『何故あんな下賤の輩に』と思う者が大半だったろうが、それとは逆に、四凶獣の討伐という危険な任務だからこそ、どうなっても構わない立場の俺たちが選ばれたのだろうと噂する者がいたのも薄々は知っていた。
つまりは討伐の為の捨て駒にはちょうどいい存在というところだろうか。理由はどうあれ守護神五龍に召喚されては有無を言えた義理ではない。
だが実のところを言えば、俺たちにとっては監視地獄のような今の暮らしから脱皮できるこの機会が、逆に有難かったのは正直な気持ちだった。このまま天上界にいたとしても厄介者扱いの上、皆に白い目で見られる行く末なのは知れている。仲間である五人全員が一緒に召喚されるのならば、むしろ望ましいとさえ思えた程だった。
そうして神界に呼ばれた俺たちは、早速に四凶討伐の準備に忙しない日々を余儀なくされた。
まず俺は五龍の内の【黒龍】というじいさんの下に付き、天の北方を治める『玄武』という名称を与えられた。
共に召喚された幼馴染たちも同様で、南方を司る『朱雀』には帝雀という男が任命された。この男は俺たち仲間の中でも一番大人びた気質の穏やかな奴で、どんな時にも取り乱したりすることのない、いわば紳士という印象の持ち主だった。やさしくおおらかな性質は皆に好かれ頼られて、仲間内でも一番の信頼株だった男だ。
同じく聡明で物静かでいながらして、いざという時には頼りになる剛准という奴には東方を守る『蒼龍』が任され、それとは正反対の熱血気質だが男気の強い白啓という男は西方を守る『白虎』とされた。
そして残る中央を任せられたのが俺の一番の腐れ縁でもあった紫燕という男で、ヤツには『黄麟』という名が与えられた。
その後すぐに地上界へと転送され、四凶の討伐に当たった俺たちは、五龍から賜わった神剣の力もあってか、不慣れながらも何とか獣たちに打ち勝つことができた。
幼い頃から強い結束で結ばれていた俺たちは想像以上にいい具合の調和を生み出し、こうなってみて初めて、何故俺たち五人が一緒くたに集められたのかが分かったような気がした。
そして神界に戻った俺たちは五龍をはじめ、それまで俺たちをうとんでいたはずの天上人たちからも称賛を受け、それは少々奇妙な心持ちではあったにせよ、何はともあれ無事に平穏を取り戻せたことに関しては心からよかったと思えたし、こんな俺らでも確かに役に立てたのなら素直に喜ばしいことと安堵感が心地よかった。
そうしてひとまずは沈静化できたものの、五龍の言うところによれば、四凶の獣たちはこれより後も千年が経つ毎に魔界の禁固を破って蘇ることが予想されるらしく、それらを封印し続ける役目が俺たちに課せられることとなった。
そうは言えど実際のところ、俺たちにはこれ以外には特記する任務も無いというのが現状だった為、傍目から見れば実にお気楽気ままな生涯に映ったとしても致し方なかっただろう。
たまたま持ち合わせていた若くて強靭な体力と少しの勇気に腕力、他にあえて付け足すならば『惜しむ者のない命』とでもいおうか、ともあれそんなもので神になれるのなら誰しも苦労はしない。自分たちでさえそう思ったほどだから、他の誰かが同じように感じたとしても不思議はなかっただろう。
しかも俺たちの上にはそれぞれ師となる五龍が存在し、世の常事を手取り足取りで伝授してもらえるという、うらやましい限りの環境。天上界にいた時とはそれこそ天と地程の差のある扱いだ。
だが、『大罪人の子』という刻印のあることに変わりはなく、例えば俺たちが如何にこの世界を救うのに貢献したとしても、時が経てばそんな記憶や名声などは次第に薄らいでいくものだ。
そんな俺たちを”うとむ”者が出てくるのは当然だったろうか。特に召喚されることを願ってやまなかった者たちが不満を抱えていたのは明らかで、そんな彼らが天上界にて謀反を起こしたのは、あるいは必然だったのかも知れない。
天上人より討伐軍が選抜されるとざわめいていたあの頃、是が非でもそれに選ばれることを望んでいた【駿鬼】という男がいた。
彼は確かに武道にも秀でていたらしく、年の頃は俺たちと同じくらいだったと聞いている。天上界の中にあっても身分の高いところの家柄で、故に幼少の頃からの上層教育の賜物とあってか、文句の付けようのない程の実力の持ち主だったのは確かだったようだ。
施設に隔離された俺たちとはかけ離れた別次元で生きているようなそいつは、一部の隙もない程に完璧で、だから当然彼のような者が神に召喚されるだろうことは誰もが信じて疑わなかったのだろう。本人も当然その心づもりだったのは想像するに容易い。
だが、どういうわけか選ばれたのは俺たちだった。彼のような完璧な者をさしおいて、何故に俺たちにという疑問は当然あったが、四凶が暴走するあの事態にあって一分一秒を争うように忙しなかった状況下では、そんなことを深く考える余裕もなかったというのが実のところだった。
その後、すぐに討伐に出てしまった俺たちは、神界に帰還してからも彼の存在をとうに忘れて過ごした。
天上界にいた頃とは打って変わって穏やかな日々。何不自由のない恵まれた環境の上に神としての不老不死の立場にある俺たちのことが許せなかったのだろう、奴を中心にした反乱分子が神界乗っ取りを図り、密かに計画を連ねていたのを知ったのは、それからわずか後のことだった。
駿奇はまず魔界に降り立つと、封印されたばかりの四凶の獣を呼び覚まして、自らの魂と引き換えに強大な力を手に入れた。そして天上界へと舞い戻ると、討伐直後の俺たちを褒め称えたとされる者すべてを謀反人扱いとして抹殺、その住処までをも含めて破壊しつくした。
その戦闘によって更に凶暴化したヤツは、そのまま神界に乗り込み俺たちの目の前で守護神五龍を拘束、彼らを人質に捕ると最終目的である俺たちへと戦いを挑んできたのだ。
ヤツの怨念を含んだ魂を食らったことで、以前とは比べ物にならないくらいに力を増した四凶獣を相手に、俺たちは苦戦を強いられた。駿奇と四凶獣が互いに共鳴し、各々の力を増大させてしまったのだ。
如何に不老不死の四神とはいえど、守護神五龍の力を封じられてしまった今、対極にある四凶相手ではその攻撃をかわすだけが精一杯の現状、このままでは自分たちはおろか、五龍までもが抹殺されてしまう危機に、手だてなど思いつくはずもなかった。
だがこのままでは世界のすべてが滅んでしまう。そんな状況の中で奴らを討伐すべく具体案を持ち出したのは、俺の最も近しい馴染みである紫燕だった。
神界の四方を守る『玄武、朱雀、蒼龍、白虎』である俺たち四神に結界を張らせることで四凶獣の動きを封じ、その隙をついて紫燕自らが四凶に飲み込まれた駿奇の魂を打ち砕くというその作戦に、俺たちは正直戸惑いを隠せなかった。
ともすれば紫燕の魂を引き換えにせざるを得ないような危険な賭け――
だが迷っている暇はなかったというのも実のところで、俺たちは紫燕の意に従い、その案を実行することを決した。
結果、討伐には成功することができたが、その時に放った絶大なエネルギーのせいで、紫燕は四凶の返り血ともいうべき呪いを浴びて、意識を封じ込められてしまうこととなった。
駿奇の魂共々、四凶獣を再度魔界に封印した俺たちは、五龍を解放し、一先ずは世界が救われた形となった。その一方で、紫燕は深い眠りについたまま意識を取り戻すことはなかった。元々不老不死の神であるが故に身体は程なくして回復すれども、一向に意識の戻らない紫燕の傍らで、俺たちはそれこそ片時も離れずに看病を続けた。
だが、その思いが報われることはなかった。
傍にあるべき者を失ってみて初めて気づいた己の心、紫燕に対しての自分の想い――
互いを尊重し合う気持ちだとか、仲間意識だとかを遥かに通り越した深い想いに気付かされのはこの時だった。いや、実際のところはもっと以前からだったと思うが、傍にいられるだけで至極満足だった時には、改めてこれ以上の関係を望む必然性もなかったというのが正しかったかも知れない。
紫燕のいない恐怖に苛まれた俺は、耐え切れずに神界の掟を破って、眠ったままのヤツを相手に契りを交わすという罪を犯してしまった。
同性であるという以前に、神々たちの間で契りを交わすことは許されざる絶対的な掟とされていた。それを知らなかったわけじゃない。召喚され、『玄武神』の立場を与えられたあの時に五龍たちから諭されたその掟のことが脳裏に無かったわけじゃない。
だがどうしても我慢できなかった。後先のことなど考えられず、正直にいえばどうなろうが構わなかった。それよりも紫燕を失うことが怖くてたまらなかった。俺は我を失い、紫燕の身体だけでも『生きている』ことを確かめたいがゆえに先走り、ヤツをこの手に抱いてしまった。
だが、四凶の呪いに封じ込められた紫燕と通じたことからその呪いの魔力が暴走し、神界以下、この世界の全てが闇に覆われてしまうことになったことに気づいた時にはすべてが遅かった。
木々は枯れ、大地は乾き、大気圏にはどす黒い暗雲が取り巻いて太陽を遮断、生命の根源は次々と断たれ屍と化していった。
この事態を重く見た五龍たちが、俺に罰を下すことで一時的に闇の世界を取り払い、とりあえずの清浄化を図ることを取り決めたのはそれからすぐのことだった。
次に四凶の野獣が蘇るまでの向こう千年の間、地上界へと追放されて、そこで転生を繰り返すというのが俺に与えられた戒めであった。
千年の永き輪廻転生を生き抜き、蘇った四凶獣の内に閉じ込められた駿奇の魂を切り離すことができれば、紫燕の呪いも解放されるという。
神界とは時間の流れが根本的に違うとはいえども、地上で人間として過ごす千年という月日が尋常ではない永遠であることに違いはなかった。
そんな気の遠くなるような戒めの中で唯ひとつ、五龍が俺に与えた慈悲の計らい、それは千年の転生の間を紫燕と共に過ごせるということだった。それを聞いた時は信じられない程に感極まった。だがすぐに、それが大して喜ばしい計らいではないということを知った。
意識が無いとはいえ、俺と契りを交わした紫燕にも同じ罰が与えられるというのが本当のところらしく、しかもあろうことか俺はすべての記憶を伴ったままこの後千年をさまよわなければならないのに対して、紫燕の記憶は生まれ変わる度に真っ更に戻されるというのだ。
当然のごとく、紫燕の中にはすべての記憶が存在しない。天上界で俺たちと幼馴染だったことも、神界で共に戦ったことも、そして俺が誰であるかということすらもヤツの脳裏には存在しないということだ。ただ同じ地上界にて生を与えられるだけというらしい。つまりは『紫燕の生まれ変わりであるその誰か』に出会えるかどうかの保証はなく、例え出会えたとしてもヤツは俺のことを覚えてはいない。
だが出会えさえすれば、紫燕と知り合いになることは可能で、それは地上の人間たちの一生となんら変わりはないという。そこから先、ヤツとどんな付き合い方をしていくのも俺次第ということだ。
俺は程なくして地上界へと追放され、紫燕と巡り合えることだけを拠りどころにして生きた。
追放の際に言われた五龍の言葉が今でも頭に残っている。
千年の内でお前と紫燕が出会える可能性は万に一つ、或いは一度たりとも出会うことは叶わないかも知れない――それでも俺は有難かった。この地上のどこかにヤツもまた、必ず存在しているのだということが何よりの励みだった。
きっと捜し出してみせる。
強い思いを胸に地上に降り立ってからどのくらいの月日が経っただろうか。そして俺は今、いったい何度めの転生を迎えたのだろうか。あまりにも永い時間の中にあっては、もうすべてが絵空事のように感じられる。
時折、自分が誰なのかも分からなくなりそうな時がある。何の為に此処にいて、何の為に生かされているのかも、すべてが理解できなくなる時がある。これが自分の犯した罪の戒めなのだということも忘れてしまいそうになる。それとは逆に、俺の中で紫燕の記憶だけが強烈な印象となって胸を締め付けてくる。
あいつのことだけは忘れられずに――
日を追うごとにはっきりと鮮やかに生まれ出ずるような感覚が正直辛い。
あいつの顔立ち、あいつの声音、あいつの仕草、口癖、そして匂いまでもが鮮明に俺を包んでやまない。
怒った顔、悲しそうな顔、指の形、鎖骨のくぼみ――これまで気にとめたこともないようなことまでもがどんどん浮かんでは、新たな記憶となって俺の脳裏に蓄積されていく。
何処にいるんだ紫燕……!
何度そう叫べどその声があいつに届くことはないのだろうか。俺はやはり、一度たりともあいつに会えないまま、この永遠をさまよい続けなければならないのだろうか。
これが罰なのだろうか――
すべてがもうどうでもよく思えてくる。
だからといって、仮に自らこの命を絶ったとしても、延々と繰り返される輪廻転生の摂理は変わらない。今回の世界で紫燕に出会える見込みが薄いだろうからと自ら転生しても、次で会える保証もない。
ほとほと嫌になってしまうんだ。考えることも望むことも、何もかも意味がない。俺にはただ戒めの期間が過ぎるのを待ち続けるしかできないのが現状だ。
そんな俺を見かねてか、神界にいるはずの残り三人の仲間である帝雀、剛准、白啓が、様子を見に顔を出すようになったのはいつの頃からだっただろうか。
気がつけば、奴らはこの地上界に降りて来て、俺の周りで寝起きを共にしていた。まるで何事もなかったかのように、当たり前のように傍にいた。今ではもう地上に居付いて、これでは殆ど一緒に罰を受けているような状態だ。
バカな奴らだ。
お前らには関係のないことなのに。
無気力な俺に代わって紫燕を捜し、生活の為に仕事を見つけては働き、本来ならする必要のないことをわざと買って出やがる。
住処を探し、寝食を共にして、俺の命が尽きればまた次の転生に先回りして同じことを繰り返す。
戒めの生を与えられている俺にとっては、生まれ変わっても両親すら存在しない。いつでも孤児として生まれ、物心つく頃には今までのすべての記憶が蘇り、自分が誰であるかを悟る。
だが見かけが子供では働くことも儘ならず、当然の如く非常に困難な日々が待ち受けている。その日その日をやり過ごすだけがやっとの繰り返し、金は稼げず住処もない。
そんな中で盗みを覚え、大人たちの目をごまかしては、身を隠しながら廃墟を探して雨風をしのいだ。厳しい日々を生き抜けずに、幼いまま絶えてしまったこともある。万が一、幼少期をかいくぐることができたとして、例え大人になったとしても生活していくことだけで精一杯、紫燕を捜すどころの余裕もないままに、気づけば辛辣な人生に腑抜け同然になっている。
どちらにしても過酷なことに違いはなかった。
そんな俺を見ていられなかったのだろう、どうやって神界を抜け出して来たのか、奴らは地上へと降りて来ては、俺と生活を共にするようになっていた。
神という立場の奴らは歳をとることもなく、人間界でいえば二十二~二十三歳位の青年のままだ。俺が赤子の時分から奴らの年齢を通り越し老いて死ぬまでずっと傍にいやがる。
女と知り合うこともなく、誰かを愛することもなく、いい思いなど皆無だろうに。
慣れない男手だけで乳児から老人までの生涯に連れ添い、次の世でも延々と同じことをしてのける。楽しみのひとつもないだろうにずっと傍を離れない。それどころかいつでも笑顔を絶やさずに明朗快活だ。
俺が幼少の内は皆で賑やかしく転がしては遊び、老けていく姿を見れば珍しそうに笑いやがる。そこにとてつもない愛情がなければこんな笑顔はできないだろうということをひしひしと感じるのが辛くてたまらないんだ。
俺には何も返せない。
ただ世話になるばかりで、ただ迷惑をかけるだけで、何ひとつ――お前らにしてやれることなんてない。
第一、神という立場を放り出してこんなところにいれば、お前らにだって罰則が課せられるのではないか?
五龍のじいさん共はどういうつもりでいるんだ。こいつらが俺のもとに来ているのを知らないはずなどなかろうに――
いい加減迷惑なんだ。
辛いんだ。
何の関係もないお前らを巻き込んで、けれどそんな厚意に対して俺にできることなど何もないということを思い知らされる度に胸が焼け焦げるようだ。
放っておいてくれた方が楽なんだ。
自暴自棄になって焦れて、挙句はお前らに八つ当たりすることぐらいしかできないこんな俺など、見捨ててくれた方がマシなんだよ。
涙がこぼれそうになって天を仰げば、荒天の雲間から降り注ぐ雨粒が次第に量を増してきやがる。そんな俺の手を取って、急ぎ足で住処へと急ぐこいつの笑顔がたまらなくて、俺は抑えきれなくなった涙を雨にさらした。
いつか――
いつか千年が経ち、この戒めが解けて、その時に蘇った四凶の獣を打ち砕くことができた時――俺はお前らに何かを返せるだろうか。
おそらくは何もないだろう。
想像を絶するような友情に対して返せるものなど何もないのは重々承知だ。
それでも、もしも紫燕の呪いが解放されて、ふたたび皆で笑い合える日が来るのなら――その時はすべてをかけて伝えたい。
お前らと共にいられる一瞬一瞬が俺の至極なのだと、心からの『ありがとう』をきちんと言葉で伝えたい。
帝雀、剛准、白啓、かけがえのない俺の仲間たち。
そして紫燕――唯一人の愛する人に、すべてをかけてこの気持ちをぶつけたい。
俺の願いは神界に戻ることなんかじゃない。不老不死の永遠なんかじゃなく、四神としての立場なんかじゃなく、ただ一度の生をお前らと共に過ごせるのなら他には何も望まない。共に笑って喧嘩して、いつの時でも離れずに傍にいられたらそれでいい。これ以上の至極はないのだと、心からそう伝えたい。
そんなことぐらいしか思いつかないけれど。
ありがとうのひと言を、ありったけの気持ちを込めて言うから。
大声でそう云うから――
今は、済まない。お前らの厚意に甘んじるしかできないでいるこんな俺を、どうか許して欲しい――
◇ ◇ ◇
ポツリポツリと滴る雨の感覚が強くなる。
ふと、隣りを見やれば、足取りも止まりそうな様子でうつむく遼玄の姿に気がついて、帝雀はしばし歩をとめた。
「何をぼんやりしてるんだ遼二! さあ、急がないと雨足が強まってきそうだ。行くぞ!」
急に腕を引っ張られ、遼玄はハッと目の前の帝雀を見つめた。
雨粒が頬を打って涙の跡を流していく。
連れられるままに彼の後をついて小走りにさせられながら、荒天の下を仲間たちが待つ住処へと急いだ。