月妖伝

3 日狂



「よう、やっとお帰りか?」
 待ってたぜとばかりに、雨でずぶ濡れになった二人の姿にクスッと微笑みながら、男たちがそう声をかけた。白虎神の白啓と蒼龍神の剛准だ。
 ニヤッと口元をゆるめて冷やかし半分ながらも、二人共にどこか安堵の表情が垣間見える。遼玄、いやこの世界での名は遼二だったか、彼はそんな二人の様子を見るなり、申し訳なさで胸がいっぱいといったように瞳を翳らせた。
「そいつからも聞いたろ? やっと紫燕らしき男の居場所が分かったんだぜ」
 その言葉に胸が震える。
 雨で張り付いた着物の合間からドクドクと心拍数が脈打つのに、この世界へ来て、初めて生きているという感覚を実感した。
 地上界へ来て幾年月、人ひとりを捜し出すのにどれほどかかったというのだろう。一応、神という立場の彼らでさえこんなに苦労するのだから、自分一人の力では到底無理に等しいことなのだと、今更ながらに痛感させられる。
「紫燕は今、この先の街の賭場にいるようだ」
「賭場――?」
「ああ、そこで賽振りをしてるらしい。とりあえず昨夜、ヤツがいるらしいって噂の賭場に出向いて確かめたところじゃ、面構えといい、声といい、紫燕に間違いはなさそうだった」
 煙管をふかしながら、いつになく白啓が生真面目な表情でそう言ってよこす。その傍らから剛准も口を挟んだ。
「ヤツは『紫月』と名乗っていて、あの界隈じゃかなりの腕ききの賽振りらしいぜ。何でも幼い頃に両親亡くしてフラついてたところを拾ってくれたのがヤツの師匠で、その御人が賽振りだったらしい。それからは親代わりみてえにしてヤツの面倒を見てたようだが……。その師匠っていうのも半年くらい前に亡くなっちまったって話で、ヤツは今、師匠の後を継いで賽振りで生計立てながら街外れのやさ(家)でひっそり暮らしてるって話だったが、その場所まではつきとめられなかった。ちらっと聞いた話じゃ、あまり他人と付き合いもしねえ変わり者だって噂だ」
 ざっと経緯を聞いただけでも、紫燕がどのような人生を歩んできたのかが手に取るように想像できた。幸福であたたかいとは呼べないようなそれは、自らの歩んできたのとさして違いはないのだろうか。
 そんなことが思い浮かんでは、更に胸が震える気がしていた。
「早速だが街へ行って賭場へ出向いてみよう。もう一度お前自身の目で確かめてみりゃいい」
 その言葉に身体中の血脈が逆流するかのように熱くなるのを感じた。
 本当に紫燕と会えるのだろうか――
 想いが一直線に走り出す。
 逸る気持ちを抑えながらも、遼玄の熱い眼差しは感無量といったようにわずかに潤んでいた。
 そんな様子を横目に、白啓は少々表情を翳らせ気味にしながらひと言を付け足した。
「なあ遼玄よ、せっかくの気持ちに水を差すつもりは無えが……ひとつ言っておきてえことがある」

――?

「俺たちの調べたところじゃ、紫燕のヤツは今のところは独り身らしいって話に違いはねえんだが。もしかしたらよ……その、何ていうか……惚れた女、とか……そういうのがいねえとも限らねえ……」
 だからもしそのようなことを目の当たりにしても傷付いたりしないようにと思って、と、そんな意味合いなのだろう。
 普段は熱血気質の白啓が言葉を詰まらせながら視線をそらす。そんな様子は、彼が何を言わんとしているのかということを物語っていて、言いづらそうに口ごもりながらも精一杯こちらの気持ちを気にかけてくれているのがありありと伝わってくるようでもあった。遼玄はくしゃりと瞳をゆがめると、皆に向かって深々と頭を下げた。
「白啓、剛准、帝雀――済まねえ。お前らにはどんな言葉で礼を言ったって……言いきれねえ。本当に……恩にきるぜ」
 『お前らが何を言いたいのかもよく分かってるぜ』というように、遼玄は心の底から感謝の意を込めてそう言った。
 こんなにしてもらって、本当にどんな言葉を重ねても礼など言いつくせるものじゃないのはよくよく分かっている。
 本当に感謝している。
 目頭を熱くしながら頭を下げる遼玄の様子に、彼を迎えに行った帝雀がクスッと微笑んだ。
「さ、もう頭を上げておくれよ? それにな、俺の名前は帝斗だ。ここ(地上界)ではそういうことにしとかないと! 一応、国々によってふさわしい名ってのがあるらしいから。外国人だと思われちゃ厄介だろ? お前さんの名も遼玄じゃなく『遼二』ってな?」
 そう言って場を取り持つようにわざと明るくおどけて見せる。それにつられるようにして白啓も剛准も自らの名を確認し合う。
「えーと、俺は何だっけ?」
「白夜だろ? 俺は剛。覚えやすいだろ?」
 おどけ気味にガッツポーズをしてみせる様子に、しばし場がわきたち、和やかな雰囲気が皆を包み込んだ。
 そんな気遣いにも胸の奥がキュッと熱くなるようで、遼玄はあふれる思いに強く唇を噛みしめた。



◇    ◇    ◇



 夜半前であったが早々に宿を出て、四人は紫燕がいるという街へと急いだ。
 降り続いていた雨も上がり、東の空が白々としてくる頃には曇天もすっかりと晴れていた。
「見ろよ遼二! ここが御江戸の日本橋ってな? 朝市でもあるのだろうか? 随分な賑わいようだな」
 朝陽に手をかざし、帝雀がそんなことを口走る。
 どうやら彼らが辿り着いたこの場所は、江戸時代頃の日本によく似ているようだ。朝も早うから人々の往来で賑わう橋の欄干が陽の光でキラキラと眩く輝いている。袷の着物の裾をひるがえし、粋に飛び交う挨拶が活気のよい気風を感じさせる。明るいこの街の様子に自らの近い未来を投影しては、誰からともなく微笑み合った。

 この広い街の何処かに紫燕がいる――

「賭場が開くのは夜だ。それまでにそこいら界隈を探索して歩くとするか」
 先刻に下見に来ていた白啓と剛准の案内で、四人は賭場のある方面へと先回りすることにした。
 街中をざっと見て歩き、その後、軽く腹ごしらえをしようと飯屋に入った。
 席に案内され、ふと店の入り口あたりに目をやれば、午後の陽も傾き出した日差しが暖簾越しを行く人々の影を長くしている。夕刻が近くなってくるのを感じて、遼玄は逸る気持ちを抑えるようにギュッと拳を握り締めた。
 そんな折だ。
 ふと、衝立越しに隣り合わせた客の会話が気になって、誰からともなくそちらの気配に耳を傾けた。どうやら三~四人の男たちが声をひそめ気味で何かの相談をしているようだ。彼らの会話の中に時折混じる『賭場』という言葉が気にかかって、しばし息をひそめるように聞き耳を立てていた。
「けど親分の物好きにも困ったもんだよなー? 別嬪なら花街あたりを探しゃ、いくらでも手に入るってーのによ?」
「そうさね。何が悲しくって俺たちゃ、野郎なんぞを手篭めにしなきゃなんねーってんだよなー?」
「馬鹿野郎! 手篭めにすんのは親分のお楽しみだろうがっ! 俺たちゃ、ただあの優男をとっ捕まえて親分の所に連れて行くってだけの役目さね。てめえらも……間違ってもヘタな気ィ起こすんじゃねえぜ」
「へいへい、分かってますって! 今夜の賭場がハネたの見計らってあの野郎を押さえりゃいいんですよね。何、あんなナマっちろい男の一人や二人、すぐにカタがつきますって! 任しといてくださいよ」
 調子のよさそうな猫撫で声で、下っ端らしい男が兄貴分の猪口に酒を注ぎ足すような気配が分かる。その杯をズズっと飲み干しながら言われたひと言に、遼玄らはギョッとしたように瞳を見開いた。
「しかしまあ、あの賭場の紫月とかいう優男だが……見てくれに反してどうにも頑固でいけねえ。親分の意向だってんで、こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって! こうなりゃちっとばかし手荒になっても仕方ねえってな。出来る限り傷モンにしねえ程度に痛めつけても構わねえってお達しだ」
「は、そいつぁーまた無理な注文出しなさる!」
「ま、けど確かにあの男なら、ちったーソノ気にならねえでもねえってな? オトコの割には綺麗なツラしてやがる」
「だからって野郎を抱く気にゃならねーでしょうよ! 俺りゃー、しっぽりすんなら断然、美人の姐さんに限るねぇ」
「仕方ねえだろ、なんせ親分は男色だ。ンなことよりてめえら、余分なこと抜かしてねえで早く食え! 食ったらさっさと行くぞ!」
 延々と会話が重ねられるごとに、血の気が引くような心持ちにさせられていった。彼らは確かに『賭場の紫月』と言い放った。つまりは彼を標的に、何かよからぬことをしでかそうとしているのが一目瞭然だった。
 しかも会話の内容から察するに、遼玄にとっては実に胸糞の悪い、絶対に許し難い企みであるのは明白だ。
 四人は一先ずその男らの後をつけると、二手に分かれて賭場周辺の様子を見守ることにした。
 一昨日に賭場の下見を行った白啓が遼玄を連れて客を装い賽振りに参加する、そして残りの剛准と帝雀は先程の男たちの動向を窺いつつ、店の外で待機することになった。



Guys 9love

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