極道恋事情
◆1
「鐘崎様……! お待ち申し上げておりました!」
クリスマスも間近という師走の初め、それは――とある週末のことだった。
有名宝飾店の新店舗が丸の内の一等地に開店するとの招待状が届き、鐘崎組若頭の鐘崎遼二が伴侶の紫月と共に出向いた会場でのことである。
支配人の男が少々慌てた素振りで出迎えに飛んで来たのに驚かされたのも束の間、オープニングセレモニーという華やかな日には相応しくない相談を受けることになろうとは、さすがに想像できずにいた。
「おいおい、えれえ歓迎ぶりだな。正直言ってウチはそんな大層な上客ってわけでもねえのによぉ」
紫月が暢気な口ぶりで、隣に立つ亭主の鐘崎に囁いている。今日は開店前日ということで、普段から付き合いの厚い上客のみが招待されての内覧会なのだ。
鐘崎の組ではそうしょっちゅう宝飾品を購入しているわけではないのだが、以前に警護の依頼を受けたこともあり、また顧客という点でもそれなりの付き合いはあるので、こうして招待を受けたというわけだ。また、汐留の周焔の元にも同じように招待状が届いたとのことで、いつものように四人で待ち合わせてセレモニーに出席することとなっていた。
「鐘崎様、実は至急ご相談したいことがございまして……」
支配人は別店舗時代からの顔見知りの男で、今回の新店舗開店に当たってこの店へとやって来たそうだから、二人にとっては馴染みである。その彼がひどく慌てた様子でそんなことを言うものだから、何事かと首を傾げさせられてしまった。
「どうかなさったんですか? 随分とお慌てのようですが」
「ここではちょっと……。事務所の方でお話申し上げたいのですが」
支配人が困惑顔で言うので、鐘崎は紫月をこの場に残して話を聞くことにした。というのも、店のロビーで周らと待ち合わせていたからだ。
「んじゃ、俺はあいつらと落ち合ってから直接会場の方で待ってっから」
「分かった。じゃあ後でな」
事務所に着くと支配人はスタッフたちにさえ極秘といった調子で、鐘崎を自分専用の個室へと案内した。
「それで、相談というのは――」
鐘崎が訊くと、支配人の男はすがるようにして懐から一枚の紙を取り出した。
「実は……つい先程このようなものがファックスで送られて参りまして……」
扉越しにさえ聞かれまいとしているのか、小声で注意を払いながらそれを鐘崎へと手渡した。
「――!? これは」
文面はごく短いものだが、そこには一目で脅迫と受け取れる内容が記されてあった。
開店おめでとう
今日の内覧会を血で染め上げて祝ってやるから楽しみにしていろ
今時わざわざファックスで送ってよこしたということは、送信者などの情報を突き止めにくくする為だろうか。案の定、発信元は近くのコンビニエンスストアとなっていた。
◆2
「これを送ってきた相手に心当たりがお有りですか?」
「ええ、まあ……」
「――!? あるんですか?」
ということは敵を突き止める手間は省けるか――。
「おそらくですが……今回の新店舗開店に向けて鉱石を仕入れる先の候補に上がっていた企業ではないかと。先様は是非我が社と手を組みたいとおっしゃってくださったんです。価格的には他社と比べものにならないくらいの好条件を提示されていて、最終段階まで迷ったんですが……。品質の面で納得がいかず結局はお断りすることになってしまいました」
「それを恨んでの犯行だと?」
「お断りする際にひどく憤慨なされまして……。上層部から聞いた話では取り引きを断ったことを後悔させてやると言われたそうです。そんなこともあって、ウチも警戒してはいたのですが……まさか開店直前の今日になってこのような脅迫状がくるとは……」
「届いた内容はこれだけでしょうか? 警察には届けられたのですか?」
「いえ、ファックスが来たのが本当につい先程でして。とりあえず社長には報告して、役員たちが今こちらに向かっています。警察にはその後でとのことでしたので。それで……今日は鐘崎様がお見えになると知っていたので、ご到着をお待ちしようとロビーに向かったところでお目に掛かれたというわけです」
なるほど、それであの慌てようだったということか。
まず――取引を断られた時点で既に報復を目論んでいたのなら、相手はそれ相応に準備も体制も整えていると思っていいだろう。気になるのは文面にある”血で染めて祝ってやる”という箇所だ。経済的に打撃を与えるというよりも対人間で血生臭い報復に出るつもりなのかも知れない。内覧会で人質をとられたり怪我人が出たりすれば、この宝飾店の評判は地に落ちるだろう。思ったよりも大事になる可能性が高い。鐘崎はテロ的な事態も視野に入れて迅速且つ慎重に対処する必要があると心得た。
「ご事情は分かりました。本来であれば社長さんの到着を待つべきでしょうが、あまり猶予はないように思えます。とにかくできるだけの情報が欲しい。念の為、内覧会の会場を調べさせてください」
万が一にもテロリストのような連中が入り込んでいないとも限らないし、悪くすれば爆発物のような物が仕掛けられている可能性も高い。鐘崎は会場へと向かいながら、組で留守番をしている源次郎へと応援の要請を入れた。
◇ ◇ ◇
◆3
その頃、何も知らない紫月の方は、ちょうどロビーで周焔と落ち合ったところだった。
「おーい、氷川! こっちこっち!」
開店前の内覧会とあってクラシカルなダークスーツに身を包んだ周が一人でこちらに向かいながら軽く手を上げている。
「あれ? お前一人か? 冰君は?」
「ああ、駐車場の入り口で偶然クラブ・フォレストの里恵子に会ってな。森崎っていう旦那の方も一緒だったが、あいつらも招待されてるってんで、冰と三人で先に会場に行かせたんだ。お前こそカネの奴はどうした」
ここの駐車場は近隣の商業施設などと共用らしいので、週末ということもあって少々混んでいたらしい。紫月らを待たせてはいけないと思い、周が残って冰を先に行かせたわけだ。
「何だ、まさかお前が運転してきたってわけ?」
いつもならば移動は専任の運転手付き高級車のはずなので、紫月が首を傾げている。
「ああ。たまの休日だ。場所も近えし、内覧会が終わる時間も読めんからな。運転手を煩わせることもねえ。それに冰を俺の助手席に乗せるのもオツだと思ってな」
「ふぅん、そうだったんか」
「で、そっちは? カネの奴は厠へでも行ってんのか?」
「いや、さっきここへ来るなり支配人に捕まっちまってさ。なんでも急な相談がどうとか言ってたけど」
「急な相談だ? 仕事絡みなのか?」
「さあ、そこまではなんとも。あいつとは会場で待ち合わせてっから、俺らもそろそろ行こうぜ」
そんな話をしていると、クラブ・フォレストのママである里恵子が颯爽としたスタイルで手を振りながら近付いてきた。
「わ……! 里恵子ママか!? 今日はまためちゃくちゃ粋じゃん! 誰かと思った」
紫月が驚きに目を剥いている。それもそのはずだ。クラブではシックな和服姿の彼女が、今日はなんと上下ピッタリとした革のパンツスーツに身を包んで、まるでライダーのような出立ちだったからである。
「うふふ、驚いた? 実は瑛二もアタシもツーリングが趣味なのよ。この後、軽く走りに行こうかっていうことでこの格好で来たの。今日はお天気もいいし、近場だけど横浜あたりまでね」
「うっは、マジで? すげえ似合ってる!」
「ほんと? ありがとう紫月ちゃん!」
「それはそうと、あんたの旦那と冰はどうした。一緒じゃなかったのか?」
駐車場から三人で会場へ向かわせたはずなのに、彼女一人だけなので周がそう訊いたのだ。
「ええ、アタシはちょっと化粧室に寄ったんで、冰ちゃんと瑛二には先に行ってもらったの」
「そうか……。あいつ、招待状を持ってねえがちゃんと入れたのか?」
周が自分と冰の分の招待状を懐から取り出しながらブツブツと呟いている。
◆4
「平気よ。入り口で冰ちゃんに気が付いたスタッフの方がようこそって言っていらしたから。さすが周家ね! 顔パスってわけ」
まあ、ここの店とは他店舗の時分から結構な付き合いがある。冰と暮らすようになってからも何度か彼を連れて訪れていたし、自分用でなくとも贈答品などでも購入歴が多い為、店にとっては周も上客の部類なのだ。
「よし、じゃあ俺らも行くか」
三人で連れ立って歩き始めた時だった。突如、大きな揺れと共に地下の方から轟音が響いて、建物内は瞬時に騒然となった。
「おい、何事だ!?」
「地震……じゃねえよな? 爆発音みてえだったけど……」
揺れがおさまると同時に館内の照明が次々と落ちていく。
「電気系統か……。事故か、あるいはテロか」
周が紫月の肩を抱き寄せて辺りを警戒する。
「テロって……まさか……。この店新築だし、設備の不具合かなんかじゃねえのか?」
紫月も里恵子の手を取りながら三人で固まって周囲の様子に気を配る。ロビーはおろか、会場内からも人々の悲鳴で溢れ返り、館内は蜂の巣を突いたように大混乱と化していった。
「非常灯が点かねえな。しかもさっきの爆発音だ。やはりトラブルじゃなく故意の可能性が高い」
周がスマートフォンの灯りで照らすと、既に会場入り口の扉は閉められていることに気がついた。
「――分断されたか。こちら側に取り立てて異変がねえってことは……犯人は中か」
「犯人って……おい、氷川ッ」
「来場客たちを人質にとるつもりなのかも知れねえ」
周は言うが早いか会場入り口の扉へと向かうと、思った通りガッシリと施錠がなされていてビクともしない。開閉は最新のシステムが投入されているようなので錠もコンピューターによる管理だろう。物理的に破るとしても素手では困難と思われる。
扉に耳を当てれば、中からは多数の悲鳴と共に大声で誰かが何かを指示するような様子が窺えた。
周はすぐに踵を返して店の入り口にあるインフォメーションデスクへ向かい、館内全体の案内が載ったパンフレットを手にして素早く紫月らの元へと戻った。灯りはまだ点かず、真っ暗なままだ。
「それ、何? 館内案内か?」
「ああ。内覧会の会場は……っと。ここか」
スマートフォンで照らしながら建物内の図面を指で追う。すると、会場内から直接地下の駐車場へと降りられるエレベーターと階段を見つけた。
「どうせこっちの入り口も塞がれているだろうが、ロビー側からよりはアプローチしやすいかも知れん」
周はロビー内で客たちを落ち着かせようと声を張り上げているスタッフを捕まえると、分断された会場内の様子を尋ねた。
「おい、あんた! 今現在、中にいるおおよその人数は分かるか?」
◆5
呼び止められたスタッフは他の客とは違って冷静な感じの周に安堵を感じたのか、すぐさま手にしていたリストを広げて確認してくれた。
「既に会場へご案内したお客様は三十名様ほどと思われます。あとは持ち場についていた当店のスタッフが十名くらいと……お客様に飲食を提供するケータリングのサーバーさんも十名はいたはずですので、多くても四、五十名かと……」
「分かった。電気室は地下か?」
「はい、そうです……! あの……あなたは……警察関係の方でいらっしゃいますか?」
動揺するよりも先に現状を把握する様子に、ただの客ではない特別な雰囲気を感じたのだろうか。スタッフはまだ入りたての新人といった若い男で、常連の周の顔さえ覚えがないといった調子だったが、すがるような目つきで見上げてよこした。
「そうじゃねえが、とにかく何が起きているのか把握せにゃならん。あんた、館内の詳しい地図はあるか? 設計図のようなものなら尚有り難えが」
「あ、はい! 地震やなんかの時の避難誘導図でしたらございます!」
「それでいい、見せてくれ」
「はい!」
スタッフの男は慌てた素振りでガサガサと持っていた資料から誘導図を探して周へと差し出した。
「よし、あんたはとにかく今ここのロビーに残っている客たちを速やかに建物の外へ誘導してくれ。幸い店の入り口はまだ無事なようだからな」
「か、かしこまりました!」
ロビーの客を外へ逃がせるだけ逃し、まずはこの場の安全を確保する。残るは封鎖された会場内の連中を救出する手立てである。
「他にもまだ爆発物が仕掛けられていねえとも限らねえ。一之宮、とりあえずここを出るぞ」
「出るって……けど、中には冰君がいるんだろ? 遼の奴は事務所で相談がどうのって言われてたから、落ち合えるかも知れねえが……」
紫月が連絡を取ろうとスマートフォンを取り出したところ、周は即座にそれをとめた。
「今はかけるな」
「何……、どして?」
「カネの奴もおそらく中だ」
周は自身のスマートフォンを紫月の目の前に差し出すと、
「MG55――カネからのメッセージだ」
意思を持った不敵な笑みと共に片眉をあげてみせた。
「とにかく行くぞ! 里恵子も来い!」
周は紫月と里恵子をうながすと、即座にこの場を後にした。
「な、氷川! 何処行くんだって……! それにMG55ってのは何なんだ」
小走りになりながら紫月が訊く。
「まずは気付かれねえように会場の真下にある駐車場の様子を窺う。すぐに李と、それからおそらくはお前らンところの源次郎さんとも落ち合えるはずだ」
◆6
「源さんと? けど、源さんは今日は組で留守番してるはずだけど……」
「もうとっくに家を出てこっちへ向かってるはずだ。地理的には李の方が近いから、落ち合えるのは李が先だろう」
「ちょ……待っ……! 何で李さんや源さんまで……」
まるでワケが分からずといった具合の紫月の手を引きながら、周はピタリと足をとめた。
「見ろ、思った通りだ。会場直下の出口に大型バスが停まっていやがる。周囲にいるのは犯人の一味だろう」
見れば、確かに数人の男たちがエンジンのかかったバスの周りで辺りを警戒するような素振りが窺える。他にも駐車スペースから外れてすぐにも発車できそうな普通乗用車やワゴン車が数台見て取れた。
「あいつらはいったい……」
「おそらく会場内にいた客たちをあのバスに乗せて移動するつもりだろう」
「移動って何処へ……」
「さあ、そこまでは俺にも読めん。だが、客たちを人質にして何かをやらかそうとしているのは間違いねえ」
「人質? 何でそんなことが分かるんだよ」
「カネからのメッセージだ。MGのMはミッションという意味だ。Gはターゲットが決められていない不特定多数の人命を伴う重度の危険があることを意味する。つまり無差別的なテロなどの可能性が高いということだ。55は敵味方合わせたおおよその人数を表す。このM、つまりはミッションで始まるメッセージは、俺とカネ――それに李や源次郎さんといった組織中枢のすべてに一斉送信されることになってる。これを受け取った時点で李も源次郎さんも装備を整えてできる限り迅速にこちらへ向かうはずだ」
紫月は驚いた。
「それって……お前らの間での決め事ってわけか……? 俺、ンなことが決まってたなんてちっとも知らなかった……」
「それは冰も一緒だ。お前らは俺やカネにとっては守って当然の家族だからな。血生臭いことには極力巻き込みたくねえっていうカネの愛情と思って、責めてくれるな」
「……そうだったのか……。そんなことが……」
確かに周や鐘崎の生きている世界とは本来そういうこととは切り離せないものだ。平穏なことの方が圧倒的に多いから忘れ掛けていたが、鐘崎の父親などは特に命の危険とは隣り合わせの任務に就くことが多い。
そうこうしている内に、周が言った通りに李と劉がやって来た。
「老板、ご無事でしたか!」
「ご苦労。装備は整えてあるな?」
「はい、一通り。後続部隊が機器などを揃えてこちらへ合流予定です」
◆7
李はひとまず持参してきた銃器類をアタッシュケースから取り出すと、装備用の防弾ベストとホルダーを周へと差し出した。
「状況はどのようです?」
「地下からの爆発音の後、館内の照明がすべて落ちた。非常灯も点かねえことから電気室を爆破したと思われる。冰と、おそらくはカネも会場内にいて、他の招待客と共に人質になっている可能性が高い」
李へと経緯を説明しながらスーツの上着を脱ぎ、防弾ベストを装着。拳銃をホルダーへと収めてから再び上着を羽織る。それらを機敏に補助しながら、紫月の方にも劉が防弾ベストを差し出した。
「こちらも源次郎さんから詳細が届いています。鐘崎の若さんから爆発音の少し前に応援の要請があったそうで、どうやら犯人はこの宝飾店に鉱石を卸す取引相手に選ばれなかった業者の仕業ではないかと。送られてきたのはファックスでの脅迫文が一通のみ。内容から、経済的に締め付けるというよりは人命を危険に晒す可能性が高いテロ行為を計画していると思われるそうです」
李と劉の説明で大まかな動きが見えてきた。
「なるほど。あそこに大型バスが待機しているところをみると、やはり人質を詰め込んで移動する算段のようだな。この場で立て篭るのは分が悪いと踏んでのことだろう。その後の行動はまだ読めんか」
周が独りごちる。
すると、やはり睨んだ通りか出口からゾロゾロと招待客と思われる一団が姿を現した。彼らを取り囲みながら目出し帽で顔を覆った男たちが威嚇するように皆をバスへとうながしている。男たちの手には銃が握られており、その慣れた仕草から訓練を積んだ武装集団という印象が窺えた。
「やはり人質を連れてここを離れるようだな。追跡の手配はできているな?」
周が問うと李は即座にうなずいた。
「はい、この周辺の路上にすぐに動けるよう五台を待機させています。バスが駐車場出口から左右どちらへ向かっても即座に追跡可能です」
「よし。では俺たちも分散して乗り込むとしよう」
「それと、周辺の道路事情ですが、一般道は取り立てて渋滞はないものの空いているとはいえない状況です。北へ向かう高速道路に一箇所工事渋滞が見られますが、他は概ねスムーズに流れていると言って良いでしょう」
「分かった。ヤツらもバスを取り囲むように分乗して移動するだろうから、気付かれんようにこちらも五台を分散させて走らせてくれ」
◆8
そんな話をしていると、人質の中に混じって鐘崎と冰の姿が確認できた。里恵子の恋人である森崎瑛二も一緒である。何故か鐘崎は見慣れない眼鏡をかけていることに紫月が驚いて目を見張る。
「やっぱ遼も会場内にいたんだな。けど……眼鏡ってよ……どっから持ってきたんだ……?」
「おそらく展示物の中から失敬してきたってところだろう。カネのヤツは同業者からすれば雰囲気だけで一般人じゃねえと目を付けられそうだからな。裏の世界の者だと知れないように、外見だけでも生真面目を装ったってところか」
「なるほど……! あれなら青年実業家ってな感じに見えるな」
紫月が納得している。
「カネがついているし森崎もいる。冰のことはとりあえず安泰だ。俺たちは源次郎さんと合流して救出の為の作戦を練ろう。それから里恵子、お前さんはどうする。このまま俺たちといても危険に巻き込まれるのは必須だ。家で待つのが一番いいと思うが」
周が訊くと、里恵子は一緒に連れて行って欲しいと言った。
「アタシがいたんじゃあなたたちの足手まといなのは承知してるわ。でもとてもじゃないけど一人で待ってる気にはなれない! それにアタシだってゆくゆくは極道の妻になる女よ。極力邪魔にならないようにするから一緒に行かせて!」
「そうか。では里恵子は劉の車に乗ってくれ。尾行に気付かれたとしても若い男女ならただの恋人同士に見えるし怪しまれんで済む」
「分かったわ。それと、さっきの話だと渋滞にハマる可能性もあるのよね? だったら周さん、アタシたちが乗って来たバイクを使って。鍵ならアタシが持ってるわ」
「バイクか。それも手だな。バスの行き先さえ検討がつけば渋滞をくぐり抜けて先回りすることも可能だ」
すると路上の車で待機していた側近の一人から李の元へと通信が入った。
『では車に積んでいる防寒ジャケット等を至急お届けします。一分程お待ちください』
側近たちがこういった緊急時に使用する車には、様々な状況下を想定したアイテムが常備されている。防弾ベストなどの他に防風、防水といった服装などもその内の一つで、各車に一着ずつが必ず積まれていた。また、今は互いの状況が分かるように全員が通信機で結ばれているので、周の言葉を受けて一番近くに待機していた側近が即座に動いたのだ。
このあたりの連携はさすがに良く訓練されている。言葉通り一分を切る俊敏さで二人分のジャケットとボトムが届けられた。
◆9
周は紫月にも着替えるように言うと、自らも迅速に態勢を整えた。
「よし、じゃあ里恵子、すまねえがバイクを借りていくぞ。一之宮は俺の後ろに乗ってくれ」
だが、紫月からは意外な返事が寄せられた。
「いや、俺が転がすからお前はケツに乗ってくれ。万が一俺らの尾行がバレて、やむを得ずの銃撃戦なんかになった場合、俺よりはお前の方が腕がいい。なんせ俺は実戦で撃ったことがねえからな。例えば追跡車のタイヤを撃ち抜くなんて芸当は夢のまた夢だ」
確かに一理あるが、周にしてみれば自分よりも華奢な紫月に運転させるのもそれはそれで不安が残るところだ。そんな思いが顔に出ていたのか、
「ンなツラすんなって! 大丈夫だ、俺はこう見えても若い頃から遼を乗せて走ってる。体格的には遼もお前も大して変わらねえ。運を天に任せろとは言わねえが――お前の命、俺に預けてくれねえか」
意思のある瞳でそう言った。長年の付き合いがある周でさえも、ほとんどお目に掛かったことがないキリリとした精悍な表情だ。周はフイと笑むと、進んで後ろの座席にまたがった。
「分かった。じゃあ頼んだぜ!」
コクリと紫月がうなずく。普段は軽いノリが持ち前の彼のこんなにも研ぎ澄まされた表情を初めて拝んだ気がしていた。
「老板、たった今源次郎さんから最新の情報が届きました。鐘崎の若さんからの伝言です。本日未明、宝飾品用の原石を積んだ船便からの荷物が臨海地区にある倉庫へと大量に納められたとのことで、犯人たちの狙いはその原石を横取りすることのようです。現行でも時価十億は固いそうで、加工を施して製品にすれば価値は計り知れないかと。内覧会に来ていた客を人質にとったのも倉庫の警備を脆弱にし、犯行をしやすくする為と思われます」
「なるほど、目的はそれか。とすると、荷を動かす算段もできているはずだ。奪ったブツをそのまま倉庫に置いとくわけはねえだろうからな」
「積荷の移動手段については源次郎さんが既に調査に乗り出してくれているとのことです。臨海倉庫の場所は鐘崎組からの方が近いので、原石の略奪阻止は組の皆さんが動いてくださるそうです。私共は源次郎さんと合流して鐘崎の若さんたちを含めた人質の救出に当たって欲しいとのことです。それから、以後しばらくは鐘崎の若さんからも通信が途絶えるとのことですので、おそらくは犯人が人質たちの携帯電話を取り上げたものと思われます」
「分かった。だが、さすがカネだな。携帯を没収される前に必要な情報をすべて伝えてよこした」
◆10
この緊急時に迅速且つ的確な判断で動いている友に敬意を表すると共に、今では懐かしき子供時代からの訓練を脳裏に思い浮かべ、自らも気を引き締める周であった。
「鐘崎の若さんの推測ですと、人質を乗せたバスを追跡させることで警察の目を釘付けにし、手薄になった倉庫からブツを奪った後に何処かで人質ごとバスを乗り捨てるのではないかと。事前にこちらでバスの行き先が分かればいいのですが――」
「さすがにそこまでは見当がつかんな。とにかく撒かれねえようにしっかり追跡することに集中しよう」
「はい。人質の安全を最優先ということで、倉庫に向かった鐘崎組の皆さんも一旦は犯人一味に原石を奪わせるとのことです。略奪が成功したと思わせ、バスを乗り捨てたところで倉庫の方の犯人を確保。我々はバス内の人質の救出と共に同乗している犯人たちを押さえられればミッションクリアです」
「分かった。バスの方の犯人確保は警察も動くだろうから、まずは人質救出を第一とする」
手順の最終確認をしている中、遠くの方からパトカーと消防のサイレンの音が近付いてくるのが分かった。
「警察も動き出したようだな」
「老板、バスが出ます」
「よし、各自追跡準備につけ」
『了解』
五台各車の無線からキリリとした返答がなされ、一同は鐘崎と冰らを乗せたバスの追跡に当たることとなった。
◇ ◇ ◇
一方、その少し前のことだ。
支配人から相談を受けた鐘崎は、すぐに事務所を出て内覧会の催される会場へと向かった。犯人一味が紛れ込んでいないかの確認と共に爆発物などの細工が仕掛けられていないかを確かめる為だ。
場内を見渡せる照明コントロール室へと案内してもらい、ザッと確認したところ、客たちにウェルカムドリンクや軽食を提供するウェイターらしき一団が目についた。
「飲食物はケータリングを依頼されたのでしょうか」
支配人に尋ねると、その通りだとうなずいた。
「イベントの際にはいつもお願いしているホテルに頼みました」
「サーバーの男性が十人ほど見受けられますが、少々人数が多いように感じます。彼らの中に知った顔ぶれはありますか?」
「いえ、そういえば今日のような規模の内覧会にしては多いですね。開店ということで気を遣ってくださったのかと思っておりましたが……。それに、ウェイターの方々は毎回同じメンバーというわけではないので、特に見知った顔の方はいらっしゃらなかったと記憶しております。朝に一度皆さんと挨拶はしましたが、受注時に相談に乗ってくださるのは営業部の方ですので……。いつもでしたら担当の営業マンがついて来られるのに、今日はいらっしゃらないなぁと思っておりました」
「なるほど」
◆11
鐘崎はウェイターたちの身のこなしや視線の配り方に違和感を覚えたので、支配人の話を聞いて疑いを強めたといったところだった。彼らは十中八九、裏の世界を知っている同業者と思える雰囲気だったからだ。ウェイターを乗っ取ってこれだけの人数を投入したということは、この場所で何らかの行動を起こす可能性が高い。
「ヤツらがああウロチョロしてたんじゃ不審物の確認は難しいか……」
隙のない身のこなしからどうやら相手も素人ではなさそうである。しかもかなりの人数だ。脅迫状の文面といい、想像以上に大きなことをやらかすつもりなのかも知れない。
鐘崎は自分で言うのもなんだが、同業者から見ればすぐにそれと分かってしまうような風貌をしている。こちらから見てウェイター集団がガセであると睨んだように、会場内を偵察して歩けば彼らに不審がられることは必須だ。ここはひとまず己の存在を知られずに外濠から埋めていく方が賢明と判断した。
まずは源次郎にできる限り詳細な情報を伝えると共に、緊急事態が起きた際の一斉連絡を送信する。周や李らも受け取ることになるMG55のメッセージである。幸い周とは元々この会場で会うことになっていたし、思いの外早急に体制は整えられそうだ。肝心なのは犯人たちの目的である。
「支配人、ヤツらの目的に心当たりがありますか? どんなことでもいい、情報が欲しいのですが」
鐘崎が訊くと、支配人の男も思い当たることをすべて羅列してくれた。
「一番の目的は我が社に対する恨みだと思うので、我が社が潰れればいいと思っているのでは……と。脅迫状にあるようにお客様を人質に取られたり怪我でも負わされたりすれば社の評判にかかわります。信頼のおけない店ということで業績が落ちれば倒産などということにもなりかねません」
「倒産か……。では直近で大きな取引きが行われる、もしくは加工前の原石などが大量に置かれている保管庫などがあれば教えてください」
「そうですね……取引き自体は既に契約も済んでいますし……」
そう言い掛けて、支配人は『あッ!』と声を上げて青ざめた。
「原石で思い出しました! 契約した海外の鉱山からの荷物が届くのが……確か今日だったと思います! 今日の内覧会でも予約を取りますが、バレンタインや来春の新入学、就職祝いなどをターゲットに通販でも大掛かりな企画物として販売する予定でおりました。予定では今朝早くに港に着いた船から原石の積まれたコンテナを降ろして、一旦は臨海地区にある倉庫へと収めたはずです。それらをより安全な保管庫へと移す作業が今日の午後一から行われることになっていたかと……」
「原石か。時価でどのくらいの規模でしょうか」
「おそらくは……十億ほどかと」
「目的は略奪か――」
◆12
だが、それならば直接倉庫へ向かえばいいものを、わざわざこの会場に脅迫状まで送ってよこしたところをみると、人質をとって原石を奪う手段に使うつもりなのだろうか。内覧会という上客の集まる日でもあるし、招待客は世間一般的に見ても身分も知名度も高い人物といえる。人質事件などが起これば大ニュースとしてマスコミも騒ぎ出すだろう。店の評判を落とすのにも一役買えるし、彼らにとっては一石二鳥というわけだ。
「ということは倉庫の方も既に敵の包囲網が完成されていると思っていいな。支配人、倉庫の場所と規模を教えてください。見取り図などがあれば尚助かるのですが」
「見取り図でしたら事務所にございます。すぐにお持ちします!」
「お願いします」
そんな会話をしていると、階下の会場内に見知った顔ぶれを見つけて鐘崎はハタと眉をしかめた。
店のスタッフに案内されながらにこやかな笑顔を見せているのは冰である。隣には里恵子の恋人の森崎瑛二の姿もあった。
「冰……何故ヤツが一人で? 氷川はどうした」
だが、森崎が一緒のところをみると、おおかたロビーあたりで偶然出会って、冰だけが先に会場内へ入ったのかも知れない。
「氷川のヤツは厠へでも行ってんのか……」
それとも自分たちと待ち合わせていたロビーの方に残っているのかも知れない。
とにかく冰を一人にさせておくわけにはいかない。彼は裏社会の人間という雰囲気は微塵も感じられないものの、ウェイターに扮した敵集団がいる場内に周と離れ離れにしておくのは非常に危険である。
「支配人、私は普通の招待客として先に会場へ潜入します。ウチの組員に伝えておきますので、倉庫の見取り図を至急鐘崎組へ送ってください!」
鐘崎はそう言い残すと冰のいる会場内へと急いだ。
そうして場内に入った鐘崎は、まずは遠目から森崎へと目配せで合図を試みることにした。彼も極道の世界に育った者だ。通常時とは違う異変が起こっていることを視線だけで感じ取ることができるかも知れないと賭けてみたのだ。
都合がいいことに冰の方はスタッフと話し込みながら展示物に目を向けていて、こちらには気付いていない。何も知らない彼は、顔を合わせれば柔和な調子で手を振ったりしてくるだろう。知り合い同士だとバレて不味いことはないが、慎重には慎重を期すに越したことはない。
どうやら森崎の方もこちらの思惑を察してくれたようで、側にいる冰に何やら耳打ちしてくれている。鐘崎の思いが届いたようであった。
そのままさりげなさを装いながら二人に近付くと、鐘崎は企業戦士的な物腰を装いながら挨拶の言葉を口にしてみせた。
◆13
「どうも、ご無沙汰しております。日頃はうちの社員たちがお世話に与りまして」
軽く会釈と共ににこやかな表情で話し掛ける。すると、森崎の方もそれに合わせるかのように、『こちらこそお世話になっております』と頭を下げ、側にいた冰もそれに倣うようにペコリとお辞儀をしてみせた。側から見れば企業人同士の挨拶にしか映らないだろう。
しばしたわいのない世間話を交えた後、ウェイターたちに背を向けるよう展示物に興味を示すふりをしながら、鐘崎は小声で二人に真相を告げた。
「手短に言う。今日この会場でテロ的なことが起こる確率が高いことが分かった。料理のサーバーをしているウェイター集団がおそらく犯人一味と思われる。何が起こっても慌てずに俺の側から離れるな」
森崎も冰も驚いたように瞳を見開きながらも、表面上は朗らかな態度を装ってくれている。さすがにこの世界に生きる者同士である。
「俺たちが裏の世界の人間だとバレるのはまずい。要らぬ抗争に発展するのは避けたい。あくまでも普通の招待客を装ってくれ。それから、何か事が起これば携帯は没収されるだろうから、今の内に知られて困る情報は削除してくれ」
「承知しました」
「今ならばトイレへ行くふりをしてここを出られる。入り口まで付き添うから、冰はロビーに出て氷川と落ち合え」
「分かりました。でも……鐘崎さんは……?」
「俺は万が一を考えてここへ残る。既にこの会場内には三十人を超える客が入っている。現段階で怪しまれずに全員を場外へうながすのは無理だ」
鐘崎がそう言うと、森崎も一緒に残って役に立ちたいと申し出てくれた。
「よし、じゃあ冰。トイレに行きたいと――」
言え――そう言い掛けたと同時に爆音が響き、建物内が大きく揺れて一気に照明が落ちた。
場内の至るところで悲鳴が上がり、瞬く間に上へ下への大混乱と化す――。
「……ッ! 遅かったか! 冰、俺の側を離れるな!」
「は、はい……」
森崎と共に冰を囲むようにして身を寄せる。
「爆発音は地下からのようだな。とすると電気室か……」
先程事務所で見た館内の見取り図を思い浮かべて鐘崎が現状を思い巡らせる。すると、やはりかウェイターの一団が大声を張り上げて客たちを制し始めたのが分かった。それと同時に入口の扉が閉められる音も確認できる。
「人質をとって立て篭もるつもりでしょうか?」
森崎が周囲に気を配りながら小声で訊く。
◆14
目的は臨海地区の倉庫にある原石の略奪だとして、それがスムーズに行えるよう人質をとったということか。だが、ここは都内の一等地だ。今の爆発音を聞いて通行人らからすぐに通報がいくだろうし、そうなれば警察と消防が介入してくるのは目に見えている。仮に倉庫での略奪が成功したとして、いつまでもここに立て篭もるのは逃げる時には不利となろう。
「もしかしたらここにいる客たちを引き連れて移動する算段かも知れん。例えば警察が来る前にここから立ち去ることができれば、ヤツらにとっては万々歳だろう。仮に間に合わなかったとして、人質を乗せたバスなどで逃げ回れば、警察の目をそちらに釘付けできる。倉庫の方はガラ空きになるから奪取も容易い。警察との追撃戦を繰り返した後に適当な場所で人質ごと車を乗り捨てて、犯人どもはトンヅラするという筋書きかも知れんな」
問題はその場所である。どんなルートを走り、何処でバスを乗り捨てるつもりなのかが分かれば源次郎らに伝えて先回りしてもらうことも可能だからだ。
「倉庫内に仮置きしてあるコンテナをトラックに移すだけならさして時間はかからねえか。倉庫で略奪犯を押さえる役割と、人質救助の方にも手が欲しい。源さんに言って二手に分かれて動いてもらう必要があるな」
鐘崎はそれらの推測を手早くメールに打ち込むと、すぐさま源次郎へと送信した。むろん、その直後に履歴を削除するのも忘れない。
会場内は非常灯も点かないまま誰もが床に身を縮めるようにして静まり返っている。すると、犯人らしき男の声で指示が語られ出した。
「スマートフォンを回収する! 死にたくなければ言う通りにしろ。全員ここの出口から出て駐車場へと向かえ。そこにバスが待っているからそれに乗るんだ。モタモタするな! まかり間違って通報なんていうヘタな考えを起こすヤツがいれば容赦なくこれをぶっ放すぞ!」
手にした銃を掲げながら威嚇する。
「思った通りか。この場の全員を引き連れてバスで移動するようだな」
鐘崎は暗闇の中で身を潜めながらも展示物の中から眼鏡を失敬すると、それを装着した。
見たところ森崎の格好はライダーズスーツといった出立ちなので、少々洒落っけのあるIT企業系の青年実業家という感じに見えなくもない。裏社会に生きる極道だとは思われにくいだろう。冰は言うまでもなく品のいいボンボンに思えるし、森崎とは歳頃も近い鐘崎は眼鏡をかければ青年実業家の仲間同士で通るだろうと踏んでのことだ。
万が一にも敵にこちらの正体を怪しまれれば、犯人の気を逆撫でして人質を危険に巻き込むことにもなり兼ねない。そんな鐘崎の咄嗟の判断であった。
◆15
そうして人質となった客たちは次々とスマートフォンを没収され、拳銃を持った犯人たちに見張られながら恐る恐るバスへと向かった。
(氷川、頼んだぜ――)
乗り込む際にバイクにまたがった紫月と周の姿を柱の陰にチラリと見てとった鐘崎は、心の中でそう呟くと共に、冰のことは周に代わって自分が命を賭して守り抜くと固く胸に誓ったのだった。
◇ ◇ ◇
バスが駐車場を出ると、周の側近たちが追跡に気付かれぬよう注意を払いながら五台を分散させて走り出した。サイレンは聞こえるものの警察と消防は未だ目視できる様子はない。バスで逃げたことすら把握していないだろうから、犯人側にしてみれば作戦は成功しているといったところだろう。
警察が到着しても、とりあえずは爆発音がした店舗の現場検証が先だろうから人質やバスの存在に気付くまでにはまだ時間が掛かると思われる。
犯人たちによって人質は順番に後部座席へと詰め込むように追いやられたので、鐘崎はあまり目立たぬ二人掛けの席を確保すると、冰を窓際へと座らせて自分たちの後ろの席には森崎についてもらうことにした。
「なるべく身を丸めて頭を上げるな。犯人と視線を合わせねえように気をつけておとなしくしているんだ」
冰の手を握りながらそう勇気付ける。他の人質たちも怯えたように身を震わせながら黙り込んでいる。宝飾店の上客というだけあってか、高齢の夫婦なども見受けられることから、万が一犯人側に隙ができたとしても俊敏に逃げるなどということは望めないだろうと思っていた。
バスはしばらく一般道を走り、ほどなくすると高速道路へと入っていった。方向的には西へと向かうようだ。
途中、臨海地区の倉庫街が見えたが、そこへは寄らずに通り過ぎるようである。やはり略奪の方は別同部隊が動いているということだ。
倉庫の方には源次郎の指示によって組幹部の清水らが包囲を固めてくれていることだろう――。周と紫月の姿は駐車場で見掛けたので、彼らも李ら側近たちと共にこのバスの後を追ってくれていると思われる。
問題はバスの行き先と犯人たちの逃走手段だ。
(西へ向かっているということは――人目に付かない山奥の樹海辺りへ潜り込むつもりなのか――? そこでヤツらは車を乗り換えてトンヅラという計画か――)
現在まで警察の追尾は確認できていない。ということは車での逃走も可能だろうが、これだけの人数を起用して手際良く拉致をやってのけるような犯人たちが、Nシステムなどで足取りを辿られることを想定していないとは思えない。
◆16
現段階で既に警察が追跡していたと仮定して、車での逃走は賢いとは言えない。
(――とすると、考えられるのはヘリか……あるいはセスナか――)
バスに乗っている犯人だけでも五人、周囲に見張りや誘導の車がいるはずだから十人は堅い。一般的なヘリでその人数に乗るのは無理がある。とすればセスナか小型機、テロ集団ならば軍用機のような大型ヘリということも考えられる。
(西へ向かっているということは――こっち方面には確か今は閉鎖された民間機の離着陸場があったな)
犯人たちは空路を使うつもりなのかも知れないと鐘崎は思っていた。これを周や源次郎らに伝えたいと思えども、今は通信手段がない状態だ。しばらくは様子を見るしかない――歯がゆいながらもここはひとまず耐えるしかない。次に何か動きがあった時の為にと常に周囲の客たちの様子などに神経を光らせる鐘崎であった。
◇ ◇ ◇
一方、周らの方でも無線での連携を取り合いながらバスを追跡していた。途中、源次郎からの通信が届き、彼はヘリで上空からの追跡を行うとのことで、より強固な体制を敷けそうだ。また、周の側近たちによる後続部隊も続々と追い付いてきていた。
紫月が運転を買って出てくれたので、周は各車に連携を取ることに集中できていたし、目視での道路状況も細かなところまで把握することが可能となり、結果としては大正解といえた。
高速道路は順調に流れていて目立った渋滞もない。
丸の内の駐車場を出てから一時間ほど走ったと思われる頃になって、ようやくと遠くの方からパトカーのサイレンが追い掛けてくる音に気が付いた。
『警察が動き出したか。最後尾、パトカーとの距離は?』
『三キロほどと思われます』
『よし! 全車、パトカーが追い付く前にバスを追い越して前へ出ろ。李はバスのすぐ脇へ付け。警察車両が追い付いて来たらバスの前へ割り込むようにして道を譲るふりをしろ! 警察に停められないようにするんだ』
周の号令で各車が移動に入る。配置が完了後、けたたましいサイレンと共に拡声器からの警告が発せられた。
「前のバス、停まりなさい!」
李がバスの直前へと車線変更をして警察車両に道を譲ると、数台の覆面パトカーがバスを取り囲むようにしてぴったりと張り付いた。
――と、その時だった。
バスの窓が開けられたと思ったら、間髪入れずに覆面パトカーに向けて一発の銃弾が発射された。
窓ガラスに着弾し、急ブレーキによってあわや玉突き衝突寸前となる。なんとか回避したものの、その直後、バスのすぐ脇を走行中の覆面刑事が目にした光景は驚くべきものだった。
目出し帽を被った犯人が老人男性一人を羽交い締めにしながら銃を突き付けていたのだ。その隣ではもう一人の犯人が『下がれ!』と警察車両を威嚇する。やむを得ずパトカーの一団はスピードをゆるめるしかなかった。
◆17
それを受けてバスの前方を走らせていた側近たちに周からの指示がなされる。
『全車、速度を落としてバスに追い抜かせろ。そのまま距離を取りつつ見失わないよう追跡を続行する』
そうしてバス、周ら、警察車両という並びを保ったまましばらく走り続けた。
バスが高速を降りたのはその十分後のことだ。
その頃、鐘崎たちの方でもちょっとした騒ぎが起こっていた。犯人に拘束された老人も実にその騒ぎが発端となってのことで、バスの車内は戦々恐々とした空気に包まれていたのだ。
事の起こりはパトカーのサイレンが聞こえてくる少し前へとさかのぼる。
老人は孫と思われる小学校に上がったくらいの年頃の少年と一緒に内覧会に来ていたらしく、目当ては少年の母親にクリスマスプレゼントを選ぶということだったらしい。ところが会場に着いた途端に騒ぎに巻き込まれ、挙句はバスに押し込められて移動中である。幼い少年には事の重大さが理解できなかったようで、早くプレゼントを選びに店に戻りたいとぐずり出したのだ。
老人は必死になだめたが少年は口を尖らせて膨れる一方である。終いには『じいちゃんはママのことが嫌いなの?』と騒ぎ出して犯人たちを刺激してしまう事態となった。
『ガキを黙らせろ!』と怒号を飛ばされて少年の頭まで軽く小突かれる始末に、しばし車内は騒然となった。
鐘崎らのいた席からはかなり離れていた為、容易には手が出せずに見守るしかなかったのだが、冰にとっては老人と幼い少年が過ぎし日の黄老人と自分の姿にダブって映ったようであった。ソワソワとしながら気が気でない様子に鐘崎と森崎にも緊張が走る。大声で威嚇されて泣き出してしまった少年に腹を立ててか、犯人の一人が老人の胸倉を掴んで銃を突き付けたのだ。運悪くちょうどその時に追い付いてきた警察車両に囲まれてしまい、憤った犯人が窓を開けて発砲。老人はその後すぐに座席に突き飛ばされるようにして解放されたが、婦人方は悲鳴を上げて騒ぎ出すしで一触即発の事態に陥っていった。
未だ泣き止まぬ少年を放っておけずに冰が立ち上がりかけたのを制して、鐘崎が少年の側へと向かい、身を丸めて震えながら犯人たちに懇願した。
「こ、この子供は私共大人が預かって静かにさせますんで……どうか勘弁してやってください!」
なるべく顔を見せないように極力小心者を装って頭を下げ続けたことで、ようやくと納得してもらうことができ、犯人たちは老人と少年を鐘崎に押し付けて舌打ちするに留まった。むろんのこと鐘崎のそれは演技であるが、今は地を出して正体を悟られては余計にややこしいことになるのは必至である。とにかくは子供の安全だけでも確保しなければと思っての判断であった。
◆18
犯人たちにとって、あとは逃走するだけである。倉庫の仲間からは既に原石が無事に奪えたという知らせを受け取っていたようだし、ここで必要以上に厄介事を増やしたくはないのだろう。つまりは逃走の為の目的地が近いということだ。
鐘崎にとってもみすみす彼らを逃がすのは痛いところだが、今は三十人を超える大勢の人質の安全が最優先である。ここはおとなしく耐えるしかない。
そうこうしている内にバスは目的地へと到着した。
鐘崎が睨んだ通り、そこはだいぶ前に閉鎖された民間機の離着陸場跡であった。逃走用に用意されていたのは小型機どころか、かなり立派な中型機であることに驚かされたが、空路で脱出という読みは当たっていたようだ。
(あのデカさだと行き先は海外か――)
飛び立ってしまえば追跡は困難を期す。人質を保護し、尚且つ離陸を阻むには相応の設備と人手が必要である。丸腰の鐘崎にできることは限られているものの、周や源次郎と連携できるタイミングさえ巡ってくればそこが勝負どころといえる。その為には一瞬の判断が雌雄を分けると、神経を研ぎ澄ます鐘崎であった。
その後、警察の追尾を阻止する為か、到着と同時に犯人たちは敷地の門を施錠して大掛かりな工具を使わなければ外せないような鎖でぐるぐる巻きにし、頑丈な南京錠をかけてしまった。その上に警察に宛てて書かれたメッセージが括り付けられる。内容は『施錠を破って侵入しようとすれば人質ごとバスを爆破する』というものだった。
金網で囲まれた門前には続々と警察車両が集まって来たものの、これでは容易に手は出せない。しばしはその場での様子見を余儀なくされた。
一方、バスは人質を乗せたまま整備用の倉庫へと入り巨大なシャッターが下ろされた。
「いいか、てめえら! このままおとなしくしていればいずれサツが助けにやって来る。念の為、俺たちが無事に離陸できるまでの間、この婆さんを連れて行く。ヘタな気を起こせば即座にこのバスごと爆破するからな!」
そう言い残すと犯人たちは一等側にいた老婦人に銃を突き付けて、次々にバスを降り始めた。
「鐘崎さん……」
森崎が小声で何とか助けねばと目配せをする。
「ああ」
むろんのこと、このまま老婦人が拐われるのを黙って見ている鐘崎ではないが、ひとまずは彼ら全員がバスを離れるのを待つしかない。
「森崎、身体を低くして窓の外から気付かれんように俺について来い。それから冰は目立たないように気を付けながらこの倉庫内に犯人の仲間が残っていないか見張ってくれ。誰かが近付いて来たらすぐに知らせるんだ」
「分かりました!」
鐘崎は身を低くしながら森崎と共にバス前方の昇降口へと向かった。
◆19
犯人たちが倉庫を後にしたのを確認すると、鐘崎はバスを降りて周囲を確認して歩いた。すると、数ヵ所に爆発物と思われる物を発見――いずれもタイマーが仕掛けられていて、残り時間は二十分ほどと表示されていた。
「クソッ! ヤツらこの倉庫ごと吹っ飛ばす気か……!」
つまりは最初からそのつもりだったのだろう。二十分という時間は離陸までの猶予ということか。外では警察が交渉人らを手配している頃だろうが、そんなに悠長にしている時間はとうにない。モタモタしていれば全員がお陀仏だ。
幸い、周囲には犯人たちが分乗して来たワゴン車などが乗り捨てられている。これを使えば老婦人の救出も可能かも知れない。
「森崎、お前はこのままバスを運転して警察が待機している飛行場の入り口まで行け! とにかく少しでもこの倉庫から離れるんだ。バスを盾にするように停めて、警察と協力して人質たちを降ろせ!」
後は警察が保護してくれるだろう。
「それからここに爆発物が仕掛けられていることを伝えて、間に合うようなら処理班を投入するように言え。ただし爆発までは二十分を切っている。無理なら出来るだけ遠くへ離れるよう伝えろ!」
「分かりました! ですが、鐘崎さんは……」
「俺はこいつに乗って拐われた婦人を救出に向かう。時間がねえ! 急げ!」
鐘崎がワゴン車に乗り込もうとすると、冰がバスから駆け降りて来た。
「鐘崎さん、俺も一緒に行きます!」
「バカ言うな! お前は森崎と一緒にバスで避難するんだ!」
だが冰は聞かなかった。
「二人の方が動きやすいはずです! 微力ですが、それでも何かの役には立てるかも知れません。連れて行ってください!」
「しかし……お前は氷川の……。いいや、絶対にダメだ! 森崎と一緒にバスで避難するんだ!」
そうだ。命に代えても親友の伴侶を危険に晒すわけにはいかない。周がこの場にいない以上、冰を守るのは自分の役割だからだ。
「俺は鐘崎さんたちのように精鋭じゃありませんが、きっと役に立てることがあります。時間がありません! 行きましょう!」
冰は意思のある表情でそう言うと、鐘崎が躊躇している間に助手席に乗り込んでしまった。
「……おい! ――ッ、仕方ねえ、くれぐれも無茶はするなよ! 身を低くしてしっかり捕まってろ!」
「はい!」
鐘崎は倉庫のシャッターを開けると、バスを送り出し、自らもワゴン車で滑走路へと向かった。
犯人たちの多くは既に機内に乗り込んでいるようだったが、拐った老婦人を連れた男の一団が三人ほどで滑走路を小走りしている様子が窺えた。
「間に合うか……。冰、全速力で突っ込むからしっかり捕まってろ!」
「はい!」
◆20
「お前、車の運転は?」
走りながら鐘崎が訊く。
「できます! じいちゃんの通院の送り迎えをしていましたし」
「香港の街中を走ってたのか……。だったら腕は確かだな。犯人たちから少し離れた位置に車を停める。運転を交代できるか?」
「はい!」
「よし、だったら俺が降りてヤツらからご婦人を奪還する。そうしたらお前は彼女を乗せて警察のいる入り口まで突っ走るんだ。途中銃弾が飛んでくるかも知れん。なるべくジグザグに走ってタイヤを狙わせるな。万が一撃ち抜かれても構わずに走らせろ! いいな!」
「はい! でも鐘崎さんは?」
「さっき倉庫を出る時、上空にヘリを確認した。おそらくは源さんだ。こっちの状況が見えるだろうから上から援護が来るはずだ。俺は源さんと協力してヤツらの離陸を阻む」
「銃撃戦も予想されますか?」
「おそらくはな」
「分かりました。じゃあ俺はご婦人を降ろしたらすぐに戻って来ます!」
「バカ言え! 向こうに着けば氷川や李さんたちがいるはずだ! ヤツらと交代してもらって、お前は警察と共に待機してろ! いいなッ!?」
「分かりました」
冰はとりあえずうなずいたものの、車を降りて事情を説明する間があったら、即座にユーターンして鐘崎の救出に向かうべきと心に決めていた。
「よし、冰! 後部座席の扉を開けっ放しにしておく。車を停めたらご婦人を乗せて逃げろ! 頼んだぞ!」
「分かりました!」
猛スピードで飛ばし、犯人たちを散らすようにグルグルと円を描くように走らせる。
対戦しようと彼らが婦人を手放したのを見てとった瞬間に鐘崎は車を停めた。
「冰! 運転を代われ! ヤツらは俺が引き受ける。お前はご婦人を乗せて警察のいるところまで走るんだ!」
間髪入れずに車を降りて、向かって来る三人と戦闘態勢に入る。冰は言われた通りワゴン車の後部座席を開いたまま婦人の側まで行き、飛び乗るようにと叫んだ。
「ご婦人! 乗ってください!」
鐘崎はさすがの身のこなしで三人相手でも引けをとってはいない。だが、相手は銃を所持しているはずだ。飛行機からはまだ距離があれども、先に乗った犯人の仲間が気付いて応援に駆け付けないとも限らない。
「ご婦人! 少し飛ばしますが、危ないことはありませんので心配しないでください! すぐに警察のいる所まで辿り着きます。座席の上に伏せて頭を低くしてください! 運転が荒くなりますので何かにしっかりつかまっててください!」
冰は老婦人に声を掛けて落ち着かせながらもフルスピードで飛行場の入り口まで行き、婦人を降ろすと同時にバスで先に来ていた森崎が待っていて乗り込んできた。