極道恋事情

19 三千世界に極道の華1



◆1
「周大人、この度は無理を言ってすまなかったな。お陰で助かった」
「――いえ、そのような呼ばれ方はさすがに恐縮です。周と気軽に呼んでくださったら幸いだ。それに、大口のご注文をいただいてこちらの方が礼を申し上げねば」
「そうか。ではお言葉に甘えて今後は”周”とフランクに呼ばせてもらうぞ」
「ええ、そうしてください」
「お前さんも気を遣わんでくれ。丹羽――と、それこそ気軽に呼んでくれたら嬉しい」
「恐縮です。――ではお言葉に甘えさせてもらいます」
 ここは日比谷にある高級ホテルのレストランの一室である。広大な公園を見渡せる最上階のプライベートな空間でランチを共にしながら話しているのは周焔と丹羽修治という男である。丹羽は若くして警視庁捜査一課で課長を務める精鋭で、先の宝飾店の事件の際にも顔を合わせた男である。
「周、今回は急な要望だったにもかかわらず機材の輸入に都合をつけてもらえて本当に助かった。感謝する」
「お役に立てて何よりです」
 他人行儀とも親しげともつかないそんな会話をしている二人を交互に見やりながら、鐘崎遼二は満足そうな笑みと共にランチのステーキに舌鼓を打っていた。
 周と丹羽とは例の宝飾店の事件の際に初めて出会ったわけなのでいささか他人行儀だが、鐘崎は丹羽が捜査一課長に就任するずっと以前からの知り合いである。年齢的には丹羽の方が十ばかり上だが、二人は父親同士が懇意にしていたこともあり、子供の頃からの付き合いである。また、互いの実力を認め合っている仲でもあるので、年齢を超えて遠慮のない間柄なのだ。そんな丹羽から、とある機材の調達の目処がつかずに困っているとの相談を受けて、それならばと鐘崎が周の商社を紹介したわけだ。丹羽はたいへん助かったと喜び、今日は礼かたがたホテルでのランチの誘いを受けた――と、まあそんなわけである。
「本当だったらキミらの奥方たちともご一緒できればと思っていたんだが――」
 そうなのだ。丹羽からは紫月と冰も是非にと誘われたのだが、あいにく都合がつかずに、周と鐘崎の二人だけが呼ばれることになったのである。
「実は今、香港から友人が遊びに来ていてな。お前さんも名前くらいは知っているかも知れんが――ファッションモデルをしているレイ・ヒイラギという御仁だ。彼のヘアメイクを担当している息子の倫周と二人で一ヶ月のロングバカンスだそうで、今日はうちの嫁らが銀座を案内しているよ」
 鐘崎がそんな説明をする。
「レイ・ヒイラギ――ああ、知っているとも。有名なモデルだな。銀座というと……買い物目当てか?」
「ああ、そうらしい。レイはうちの親父たちとほぼ同世代だが、実年齢よりもかなり若く見えるからな。実際、気も若い。紫月や冰とも何度か顔を合わせているんで、最近ではすっかりいい友達付き合いだ」
「ではこの後はお前らとも合流するって算段だな? 時間は大丈夫か?」
「心配には及ばねえ。付き添いでうちの源さんと若いのが一緒だし、たまには亭主抜きで羽を伸ばすのも悪くなかろう」
 とはいえ、鐘崎と周が嫁たちを護衛もつけずに出歩かせるはずもなく、今回は周が運転手と車を出し、鐘崎は組から源次郎と春日野を付き添いとして同行させたというわけだ。
「そうか。ご令室方にはまたいずれゆっくりご挨拶させてもらうとしよう。よろしく伝えてくれ」
「ああ」
 食後のコーヒーを楽しみながら三人でうなずき合う。
「それとはまた別の話だが――鐘崎、それに周。お前さんら二人には近い内にまた助力を願うかも知れん」
 丹羽が少々生真面目な表情でそんなことを口にしたので、鐘崎はニッと企みめいた視線で彼をみやった。
「何だ、またややこしいヤマでも抱えてんのか? 今はまだ言えねえ案件か」
「ああ――今のところはな。だが必ずお前らの力が必要になる」
 丹羽もまた、不敵な笑みでそう返したのだった。



◆2
 この丹羽からはこれまでも度々助力の要請を受けることがあったが、そのどれもが一筋縄ではいかない事案である。鐘崎のみならず組の長である父親の僚一自らが乗り出すことも多い、いわば巨大組織などを相手取る大事件といえた。
「いずれ時が来たら頼らせてもらう。もう少し下準備が必要でな」
「ほう? お前さんにしちゃ、やけに慎重だな」
「これまでにないデカい山になるだろうからな。ひょっとすれば俺の一世一代となると言っても過言じゃねえくらいのな」
「またえらく気構えたもんだ。まあ、お声が掛かるのを待つとするさ」
「頼りにしているぞ」
 謎めいた丹羽からの依頼話を半ば気楽に聞き流していた鐘崎であったが、皮肉にも正式な依頼を待たずしてその渦中に乗り込んでいくハメになろうとは、この時は想像すらできなかったのである。奇しくも事態は丹羽と別れたその直後に勃発、鐘崎と周にとっても一大事といえる暗雲となって彼らを呑み込むことになるのだった。



◇    ◇    ◇



 その頃、紫月と冰の方は香港から来日しているレイ・ヒイラギと息子の倫周を案内する為、銀座に繰り出していた。亭主たちは警視庁の丹羽と会食に出たので、その間買い物やお茶を楽しみながら街を案内して歩いていたわけだ。警護役として源次郎と春日野がお供してくれているのでたいへん心強い。レイはここ数年は香港を拠点にしていて、住まいもそちらなので、久しぶりの日本を大いに楽しんでいるといったところだった。
「レイちゃん、まだ買うのー? もうー、軽く所帯でも持てそうなくらいじゃない!」
 倫周が呆れ顔で小言を繰り出している。服に靴、鞄――と、散々買い込んで、倫周はもちろんのこと、お付きの春日野や源次郎が荷物持ちで手伝ってくれてはいても相当な量だ。
「もう! 源次郎さんや春日野さん、それに紫月君や冰君にまで買ったものを持っていただいてさぁ。申し訳ないじゃないー!」
「ああ、悪いな皆! この礼は今夜のディナーでさせてもらうから、もう少しだけ付き合ってくれ。なんせ、久しぶりの日本だしな。ちょっと見ねえ内に新しい店が続々できてて目移りしちまってるんだ」
 さすがは一流モデルである。買いっぷりもさることながら、王様気質も板についたものだ。しかも嫌味なく、周囲が進んで手を差し伸べたくなってしまうオーラは天からの授かり物といったところだろうか。そんなレイを窘めながらさりげなくフォローする倫周もまた、よくできた息子といえた。
「まあまあ、倫周さん。いいじゃねえの! 遼たちと合流するまでまだたっぷり時間はあるしさ! 俺も冰君もちょっと見たいものがあるんだ」
「そうなんですよ。バレンタインが近いですから、白龍たちへのプレゼントを決めたいと思ってまして」
 紫月と冰にまでそんなふうにフォローしてもらえて、倫周は『すみませんねぇ』と恐縮してみせた。



◆3
 そうしてもう数軒を見て回った後、それぞれが買った荷物を車に積み込んで、ティータイムをするべく紫月ご贔屓の――例のケーキが美味しいホテルラウンジへと向かうことになった。そのまま車で移動してもよかったのだが、距離的にも近いことだし夕暮れの銀座を歩くのもオツだということで、一同は地下の駐車場から徒歩で移動することに決めた。
 事態が一変したのはその直後だった。
 地上へと出る為のエレベーターに他の客はいなかったが、紫月ら全員が乗り込んだすぐ後から杖をついた老人を支えるようにして中年の男がやって来たので、親切心から彼らの為にと扉を開けたまま待っていた。二人はたいそう喜び、深々と頭を下げて礼を口にした。そこまでは良かった。
 が、扉が閉まると同時に全員が意識を失う一大事となってしまう。見るからに人の好さそうな老人と中年の二人連れが強力な催眠剤を放ったからだった。
「……っそ! 紫月さん、冰さ……ッ」
 如何な百戦錬磨の源次郎であっても、突如大量のスプレーのような物を撒かれて、さすがに防ぎ切れなかったというところか。それでも意識を失う直前には春日野と共に紫月と冰を庇うように懐に抱え込む形でその場に崩れ落ちたのだった。

 一方、周と鐘崎の方では待ち合わせの時刻になっても一向に姿を現さない嫁たちに気を揉んでいた。
「……ったく、何処をほっつき歩っているんだか。しようのねえ奴らだな」
「おおかたレイさんの買い物に振り回されているといったところだろう。えらく楽しみにしていたようだしな」
「まあお前のところの源次郎氏と春日野がついてくれているからな、心配には及ばねえだろうが――」
 二人は喫煙スペースで煙草をふかしながら、もう少し待つことにした。悠長に構えていたことを後悔することになろうとは、さすがの彼らにも予測できなかったというわけだ。
「それにしてもいい加減遅くねえか?」
「ああ、もう四十分は過ぎている。いくらなんでも源さんから連絡が入っても良さそうなものだが……」
 いつもならば遅れそうだと分かった時点で即刻連絡がきそうなものだが、今回はレイと倫周というゲストが一緒である。仮に彼らの買い物が長引いていたとすれば、急かすようなことになってはいけないとの配慮からか、源次郎も連絡を入れることを躊躇しているのかも知れない。
「仕方ねえ。紫月の方にかけてみるか」
 鐘崎はスマートフォンを取り出すと、紫月へとコールを入れた。

 だが繋がらない。

「おかしい……。出ねえな」
「一之宮の携帯か?」
「ああ。留守番電話にも繋がらねえ」
 それならばと今度は周が冰あてにかけたが、やはり繋がらないようだ。
「何かあったのか……」
 鐘崎が源次郎と春日野にもかけてみたが、どれもこれもコール音はすれども繋がらない。さすがにおかしいと思った時には既に彼らは敵の手中であった。



◆4
 その後、ようやくと足取りらしきものが分かったのは運転手に連絡がついた時だった。彼は地下の駐車場で荷物を預かると、紫月らがお茶をしに向かったホテルへと先回りしていたらしい。
「皆様は老板たちとのお待ち合わせのお時間までいつものホテルのラウンジにいらっしゃるとのことでしたので、私はホテルの駐車場で待機させていただいておりました。皆様からは一緒にお茶をとお誘いいただいておったのですが……こんなことならお言葉に甘えるべきでした!」
 運転手は遠慮してラウンジに行かなかったことを後悔していると言った。
「今ラウンジに来てみましたが皆様のお姿は見当たりません! どうやらこちらにもいらしていないようです!」
 紫月も冰もここでは常連である。黒服たちもよくよく二人の顔は見知っていたが、今日は彼らは来ていないという。
「ということは……その途中で何かあったということか」
 紫月らは歩いてホテルへ向かったということだったから、途中で気が変わってまたどこかの店にでも寄って買い物をしているのかも知れない。
「申し訳ございません! 私がきちんと車でお送りしていれば……」
 運転手は蒼白となっていたが、彼に責任はないだろう。
「案ずるな。お前のせいじゃねえ」
 周は彼を宥めると、すぐさま汐留にいる側近の李へと連絡を入れた。
「李か! 俺は今、冰たちと待ち合わせているホテルなんだが。すまねえがすぐに合流してくれねえか?」
「は、どうかなされたので?」
 主人の声音に焦りの色を感じ取ったわけか、李はすぐさま機敏にそう訊き返した。
「まだどうと決まったわけじゃねえんだが、ヤツら全員と連絡が取れねえんだ」
「かしこまりました。ではGPSで現在地を調べます」
「ああ、頼む」
 少々お待ちくださいと言われ、通話は繋げたままで一分ほど待つ。だが、今度は李の方が焦った声で応答を返してきた。
「老板、GPSが繋がりません。スマートフォンはもちろんですが、冰さんの腕時計と紫月さんのピアスの方も反応がありません!」
 その報告に、周と鐘崎は険しく眉根を寄せて互いを見合った。
「やはり何かあったということか」
「クソ……ッ! なんてこった! 頼みの源さんは当該者だ」
 いつもならばこういった緊急時には周の側近である李と劉、それに鐘崎組からは源次郎といった精鋭が頼りになる存在なわけだが、その源次郎自身が今回は向こう側ということになる。
「だがまだ李と劉がいる! とにかく冰たちの足取りを追おう。運転手の話では買い物を積み込んだ地下駐車場までは無事だったということだから、問題はそこから先だ。例のラウンジに歩きで向かう途中に何か起こったと考えて、奴らが通りそうな道の防犯カメラを片っ端から当たるしかねえ!」
「それじゃ清水に言って組の若い者らを至急回してもらう!」
 こういうときは人海戦術でいくしかない。

 時刻は夕方の六時を回ろうとしている。

 街は勤め帰りの人々で賑わいを増す時間帯だ。同僚たちと楽しげに仕事後の打ち上げに行く者、幸せそうな恋人たち、行き交う人々の笑顔とは裏腹に、周と鐘崎の頭上に暗雲が立ち込めようとしていた。



◆5
 それから一時間が経つ頃には周と鐘崎の側近たちが続々と集結、姿を消してしまった紫月らの捜索が開始されたが、意外にも手掛かりはすぐに見つかることとなる。
 運転手と別れた地下駐車場から地上へと上がるエレベーターの防犯カメラがもぎ取られていたことから、ここで何かが起こり、全員が拉致されてしまったと見て間違いないようだった。
 だが肝心のカメラは壊されていて使えない。そこから先は車で連れ去られたのだろうことが想像できたが、犯人も行き先も不明であった。というのも、駐車場の出入り口のカメラまでもが壊されていたからだ。
「敵は素人じゃねえってことか……」
 かなり手際がいいことから見ても想像がつく。
「問題はその目的だ。源さんと春日野がついていて防げなかったということは、相手はほぼ間違いなくプロだろう。考えられるとすれば目的はレイ・ヒイラギか……」
 レイは有名モデルである。お忍びとはいえ、彼が来日するスケジュールを知っていた何者かが、前々から計画していたのかも知れない。
 むろん、周ファミリーや鐘崎組をターゲットにした人質誘拐の線も考えられなくはないが、今は特に敵対している組織や案件は思い付かない。とすると、やはりレイ・ヒイラギが目当ての拉致と考えるのが妥当だろうか。目的は金か、それともレイ本人か。
「仮に金が目的であるならば、ここ日本で誘拐したのもある意味うなずける話だな。レイは普段、香港在住だ。現地にある彼の事務所がすぐには動けない渡航時を狙ってくるのは妥当と言えば妥当だが――」
「とすると、犯人は日本に地の利がある連中ということになる。連れ去って潜伏している場所も見当がつかんが、案外デカい組織かも知れんぞ。おかしいのはレイ本人だけじゃなく冰や一之宮といったいった他の連中も一緒に拐っていったことだ。源次郎氏や春日野、それに一之宮は体術に長けているし、そんなヤツらをどうやって一気に拐うことができたかだ。如何に地下の駐車場とはいえ応戦して騒ぎになれば誰かしらに気付かれるだろうが、そういった様子もねえ」
「確かにそうだ。誰も抵抗できなかったとすれば、薬でも盛られたか……。スタンガンのような代物では応戦される危険性があるし、全員を一気に倒すには不都合だろう。即効性の催眠剤のようなモンで不意打ちを食らった可能性も考えられる。とするとエレベーター内で薬を撒き、そのまま連れ去ったと考えるのが妥当だが、そうであれば今日一日しばらくの間は尾行されていたということになる。源さんが尾行に気付かなかったとすれば、敵はやはりかなりの上手だ」
「だろうな。仮に顔を見られたからという理由で全員を拉致っていった――とすれば、敵にとってレイ・ヒイラギ以外は単なる足枷に過ぎんだろう。途中の何処かで放り出すか、あるいは――始末するか」



◆6
「始末といっても大の男を四人――息子の倫周を入れれば五人だ。そう簡単に始末はできまい。何処かに監禁して放置するにしてもこの寒さだ。眠らされた状態でいるなら一刻も早く捜し出さなきゃ命が危ねえ」
「ああ……。だが、手掛かりが足りねえ……。スマフォのGPSは潰せたとしても、この短時間に冰と一之宮の腕時計やピアスにまで気がつくだろうか」
 もしも気がついてそれらも取り上げたとなれば、相手には相当な備えがあり、尚且つそういった犯罪に非常に慣れていると考えられる。
 事は一刻を争うのは間違いないが、現時点で動きが取れないのもまた事実であった。
「海外に行ってる親父に知恵を借りるしかねえか……」
 鐘崎の父親の僚一は例によってまた海外での仕事を請け負っていて留守である。精鋭の彼がいればどれほど心強いかというところだが、呼び戻すにしても半日は掛かるだろう。まさに八方塞がりの危機といえた。



◇    ◇    ◇



 その頃、紫月らの方では突拍子もない事態に陥っていた。犯人たちはやはりエレベーターに乗ってきた老人と中年男の二人であるに間違いはなかったものの、周と鐘崎が思い描いていたレイ・ヒイラギの誘拐などという単純なものではなかったのである。
 皆が意識を取り戻した時には信じられないような場所に連れて来られていた。
「おい……皆んな無事か? つか、ここいったい何処なんだよ」
 一等最初に気がついたらしい紫月が側に転がされている皆を揺り起こす。
「紫月さん……!? ああ……皆さんもお揃いですな!」
 源次郎が身を起こし、その声で次々に全員が意識を取り戻していった。
「皆んな無事のようだな……」
 ひとまずは誰一人欠けることなく元気な様子に安堵するも、周りを見渡せばえらく広くて立派といえる純和風の部屋である。まるで時代劇にでも出てきそうな殿様御殿といった雰囲気だ。しかも奇妙といえる事柄が二つ。まずは強引に拉致されたにもかかわらず、毛足の長い温かなカーペットの上に全員まとめて寝かされていて、ご丁寧に掛け布団のようなものが一人一人に与えられていたということであった。もうひとつはどこからか聞こえてくる雅な琴の音のような音楽だ。
「何だぁ、ここ? いったいどーなってんだよ……」
 紫月が立ち上がって窓辺へと寄り、そっと障子を開く。外の景色を目にした途端、呆気にとられたように大口を開いたまま固まってしまった。
「わ……ッ! 何だ、こりゃ……」
 眼下に広がっていたのは艶めく街並み――この高さからすると、ここは建物の五階あたりだろうか。一本の大通りを挟んで両脇には雅な和の建物が建ち並んでいる。通り沿いには純和風といった灯籠が煌びやかに点っていて、道行く人々は皆着物姿だ。まさに時代劇の世界にでも迷い込んでしまったような感覚に襲われた。



◆7
「おいおい、マジでどーなってんだよ……。映画のセット……? つか、冗談抜きでここ何処だよ?」
「うわぁ……ホントだ……。ここって日本……ですよね?」
 後から続いて来た冰も驚きに目を剥いている。二人の様子に首を傾げながら、レイと倫周、そして源次郎に春日野と、全員が窓辺から見下ろす光景を目にするなり唖然状態に陥ってしまった。
 それもそのはずだ。眼前には今さっきまでいた銀座の街並みからは想像もつかない異世界のような風景が広がっていたからだ。
「すっごい……何ここ!? もしかして僕らタイムスリップでもしちゃったのかな?」
 窓から身を乗り出す勢いで倫周がつぶやく傍らで、
「バカやろ……! ンな非現実的な超常現象なんざあるわきゃねえだろうが! だが……確かに変わった世界だ。こいつぁ……まるで江戸吉原じゃねえか」
 レイが思い切り眉をしかめながら呆気にとられていた。
 まさに彼の言う通りである。そこは誰でも一度くらいは映画などで目にしたような古の時代の遊郭街といった雰囲気に他ならなかったからだ。
「見たところ、ここが一番高い建物のようだな……。対面に同じ高さの邸があるが、それ以外はほぼ三階建てといったところか」
 倫周の後ろからレイが外を覗き込むように障子から顔を出す。
 そうなのだ。今、皆がいる部屋は街並みの中でも一等立派な造りの建物内にあると思えた。真正面には似たような造りの五階建ての邸があって、やはりこちら側と同様に、その左右には少し低い建物がずらりと並んでいる。街全体の広さも相当なもので、一番端までは霞んで見えないほどである。
 ここがいったいどういった場所なのか、誰もがすぐには見当もつかないといったところであった。
「おい、見ろ……! ありゃ花魁道中じゃねえか?」
 レイが驚いた声を上げる。
「花魁道中ッ!?」
「ほれ、階下だ」
 クイと顎をしゃくるレイを押し退けるようにして皆が一斉に窓の下を見やる。すると夢か幻か、大通りを雅な着物姿の女性が男衆や幼い少女たちを引き連れて優雅に闊歩している行列が確認できた。まさに映画で観る花魁道中そのものだ。
「あの子供らは禿か? いったいどうなっていやがる……。神隠しにでも遭った気分だぜ」
「神隠しってレイちゃん! さっき自分で超常現象なんてないって言い張ったくせにー」
 柊親子が肘で互いを突き合いながらそんな言い合いをしている。
「ですが確かに花魁道中そのものですよね。ここが何処かというのは別として、私共は先程エレベーターの中で気を失って、そのまま誰かに連れて来られたということでしょうか」
 春日野はここに至るまでの経緯を巡らせている。全員が唖然とする傍らで、源次郎には何やら思い当たる節があるようであった。



◆8
「もしかしたら……ここは裏の三千世界と言われる場所かも知れません」
「裏の三千世界? 源さん、何か知ってんのか?」
 紫月が訊く。
「ええ。以前……そう、今から二十年以上前になりますかな。僚一さんからチラッと聞いたことがあります。我々の住む世界とは完全に隔離された極秘の遊興施設がどこかの山奥に建設される計画があるとかで、当時はまだその実態は明らかにされておらず、海のものとも山のものともつかなかったようです」
 計画では江戸吉原の再来のような巨大遊郭街を中心に、賭場や明治鹿鳴館時代のダンスホールなども予定されていたという。加えて、この世界から一歩も出ずとも生活ができるようにライフラインに必要不可欠な商業施設、そして関わるすべての人間が生活できる住居なども建設される計画だったらしい。
「いわば現実世界とは隔離された独自の国家といっても過言ではないような計画だったとか。その後どうなったのかは分からずじまいで、私もすっかりその話は忘れておりましたが、まさか本当に建設されていたとは」
「は! 巨大遊興施設だか何だか知らねえが、現実離れもいいところだな。だがこれだけの街を秘密裏に造ったとなると、相当デカい組織が動いているということだろうな。案外――国そのものが絡んでいたりしてな?」
 レイが『フ……ッ』と鼻で笑ったが、あながち冗談ではないかも知れない。
「ここが江戸吉原の遊郭街だとすると、明治鹿鳴館とやらの街並みはまた別にあるのかも知れんな。下手すりゃ巨大カジノなんかもありそうだ。顧客も選んでいそうだな。現代で言うならば、おおかた会員制の高級クラブといったところか」
 さすがに年かさがいっているだけあって、レイの理解力と想像力は大したものだ。今の源次郎の話だけで、この世界がどういった目的で作られ、またどういった人物に利用されるのかなどを即座に思い巡らせている。
「だが、大金持ちの酔狂というには度が過ぎているな。それより何より問題はここが何処かってことだ。源次郎さんの話では人里離れた山奥ということだが、明らかに地上じゃねえな」
 レイは空を見上げながら皆にも見てみろと顎をしゃくってみせた。
「空がねえだろ? 今夜はいい月が出ていたはずなのに見当たらねえ。雲もなけりゃ風もねえ」
「わ! ホントだ……。ってことは、ここは地下ってことですかね?」
 紫月が感心顔でレイを見つめる。
「そうかもな。そもそもこんなでけえ街並みを地上に作りゃ、如何に山奥だろうと人目につく。マスコミのみならず、今の時代にゃすぐにネット上で話題になるだろうよ」
「確かに。けど実際は誰も知らない……。俺も聞いたことねえし、多分遼や氷川も知らねえんじゃねえか? 今の今までこんな施設があったなんてまるっきり知らなかった……」
「つまりここは明らかに”やべえ”場所だってことだ」



◆9
「ヤバい場所……」
「この国に住むほとんどの人間が知らねえってのにこんなバカでかい遊興施設が実在しているってのがな。さっきの花魁道中といい、道を歩ってる着物姿のヤツらといい、実際にここを知っている者が確かに存在している。全国民からすりゃ大した数じゃねえかも知れんが、この街に生きる人間は相当数いるという事実だ」
 そんなものをいったい誰が造ったというのだろう。謎はますます深まるばかりだ。
「あとは……何故俺たちがこんなところへ連れて来られたのかってことだ。さっきエレベーターに乗って来た二人組の仕業だろうが、お前さんらも面識はねえんだろ?」
「ないっす。杖ついたじいちゃんと、もう一人の方も人の好さそうなおっちゃんだったけど……」
「あれは仮の姿だろうぜ。その直後に急に眠くなって意識を失った。気が付いたら全員が見たこともねえおかしな世界に連れて来られてたってわけだが――。拉致にしては扱いが丁寧過ぎるってのも妙だな」
 確かにそうだ。横暴な拐い方の割にはきちんと布団も掛けられていたし、監禁するにしては部屋も豪華過ぎる。
「考えられることは――おそらく次の三つだ」
 レイは皆に向かって三本の指を立ててみせた。
「三つ……っすか?」
「ああ。まずひとつ目はお前らの亭主を誘き出す目的で人質として拐われたということだ。であれば、既に敵から焔と遼二に連絡がいっている可能性が高い。このまま待っていれば何らかの動きがあるはずだ。ふたつ目はこの遊興施設の客にする目的で連れて来られたという可能性だ」
「客……ですか? 俺たちを?」
「その場合、今日一日の内のどこかで買い物をしている俺たちを偶然見掛けて、その買いっぷりからある程度富裕層の人間だと思われたってことだ。言っちゃなんだが結構買い込んだからな」
 確かにレイは久しぶりの日本での買い物を堪能していたし、源次郎や春日野らの両手に余るほどの袋を持ってもらったりしていたのは事実だ。しかもそのすべてがいわゆる高級品といえるブランド店での買い物だった。
「もしかしたらヤツらは度々そうした顧客獲得の為にブランド店の建ち並ぶ界隈でターゲットを探していたのかも知れねえ。そして三つ目だが……これが当たっているとすれば少々タチが悪いと思える想像だ」
 苦笑まじりのレイの表情に皆はゴクリと息を呑んで説明を待つ。
「三つ目は――俺たちをここで働かせる為に拉致ってきたということだ」
「働かせる為って……」
 皆、一様に驚いたように瞳を丸くする。
「考えてもみろ。ここは遊郭街だぜ? さっきの花魁道中からも分かるように江戸吉原の再来を目論んで作られた施設なら、客を相手にする遊女も当然必要になる。つまり働き手だ。てめえで言うのもナンだが、俺たちは正直なところ容姿という点では粒揃いだ。例えば花魁道中の際に肩を貸す先導役の下男なんかをやらせるにはもってこいなんじゃねえか? そういった意味でスカウトの為に連れて来られたとすればこの丁寧な扱いにも納得がいくってもんだ」
 驚きつつもレイの推測には確かに合点がいくところである。



◆10
「まあ、この三つのどれかが理由なら断りようもあるってもんだが。一番最悪なのは通常の吉原の他に男色の遊郭があったとして、俺たちを男娼的な目的で拐ってきた場合だ。男の花魁に据えるには容姿風貌どれをとっても百点満点揃いだろうが」
 さすがにこの見解には驚きを通り越して誰もが唖然とさせられてしまった。
「ちょっと待ってよレイちゃん! 男の花魁って……まさか僕らが? さすがに想像が飛び過ぎじゃないの?」
 息子の倫周が目を剥いている。
「だが有り得ねえ話じゃねえだろ? この俺様の美貌はもちろんのこと言うまでもねえが、紫月も冰もめちゃくちゃ美男だ。春日野も男前だが、男を抱きたい客からすりゃ好まれるタイプとは言えねえ。どちらかと言えば抱いて欲しい客に人気が出そうな容貌だわな」
 淡々と意見を述べてはいるが、その内容は淡々とは程遠い。ともすれば度肝を抜かれるような驚愕な内容といえる。
「ちょっとレイちゃん! どうしたらそういう突拍子もない想像が浮かんでくるのか理解に苦しむけどね。それよりも何で”イイ男”の中に僕が入っていないのさ! こう言っちゃナンだけど、僕だってそれなりに美男子のつもりなんだけどね」
 倫周は口を尖らせているが、他の者たちからすればこんな時にこんなコミカルな言い合いをしていられる柊親子に唖然状態である。
「確かに突飛っちゃ突飛だけどさ……けどレイさんの考えも満更冗談じゃねえかも知れねえよね。男色専門の遊郭があるとすれば、働き手は確かに必要だろうし、見てくれの点で俺らが気に入られたってのも……まあ納得がいかねえ話じゃねえかも」
 正直なところ、紫月はこれまでにも幾度か同性から色目で見られたことがあり、ただその度に鐘崎が眼光鋭く威嚇して追い払ってきたわけだ。男娼的な意味で望まれたというのも有り得ない話ではないと思うのだろう。
「けど今まで何の兆候もなかったってことは、前々から俺らに目をつけてたってよりは、たまたま今日偶然街で見掛けて、とりあえず拐っちまえ……みたいな感じだったのか」
 そんな兆候があれば、当然鐘崎が黙って見過ごすわけもないからだ。
「そうかも知れん。ヤツらはそういったスカウトの為に度々地上に出ているのかもな。問題はこれからどうするかってことだ。一応は拉致同然でかっさらってきたわけだ。俺たちをいつまでこのまま放置しておくはずもねえだろうからな。遅かれ早かれヤツらがここへやって来るだろう。まあ、今俺らが想像したのとは全く別の目的という可能性もあるが、どう転んだとしてもある程度対処を考えておく必要がある」
 さすがに年長者だけあってレイは頼りになる。もしもここに周や鐘崎がいれば同じように状況判断と今後の動きを考えるのだろうが、今はとにかくここにいる者たちだけで頭を捻るしかない。幸い源次郎というもう一人頼れる強者もいることだし、皆は瞬時に団結してこの奇妙な状況を突破することを思い巡らせるのだった。
「今頃は焔と遼二の方でも俺たちがいなくなったことに気付いているだろうからな。できる限りの足取りを追ってくれているはずだ」
「だったら案外すぐに俺らの居場所を突き止められるかも! さっきっからスマフォが見当たらねえからそっちは取り上げられたみてえけど……ほら、これ!」
 紫月は自分のピアスと冰の腕時計を指してみせた。GPS付きのこれさえあれば鬼に金棒だというのだ。
 つまり先刻、周と鐘崎が危惧していたスマートフォン以外のGPSが潰されたのではという想像は外れていたということになる。敵もさすがにそこまでは気付かなかったわけだ。電波が届かなかったのも、ここが地下であり、特殊な世界ということと関係していると思われる。



◆11
「ほう? さすがに焔と遼二のやることだ。頼りになるな」
 レイも期待に瞳を輝かせたが、ひとつ心配があるとすればそれはやはりここが地下だということだ。
「電波が届いてくれりゃいいがな。どうもここは秘密裏に作られた施設のようだし、外界から入り込むにはセキュリティも厳しそうだ。仮に突き止められたとして、ここへの出入り口だが……簡単には見つけられねえ仕掛けがありそうな気がする」
 第一ここが日本国内のどの辺りに位置しているのかも分からずじまいだ。
「時間的に考えて海外ではなさそうだが、それも眠らされていた期間がどのくらいだったかにもよるな」
 レイは自らの腕時計を確認しながら『十時を指している』と言った。
 拉致された時刻は夕方の四時少し手前だったから、普通に考えればそれから六時間余りといったところか。
「俺の時計は日付けが入っているタイプではないんでな。ここが地下だということと薬の効き目から考えても……ひょっとしたら次の日の午前十時という可能性もある」
 ところがそれは源次郎がしていた腕時計によってすぐに解決した。
「私のは日付けが入っているタイプです。敵が操作を加えていなければですが、まだ本日中の午後十時ということになりますな」
 まさに痒いところに手が届く、お手柄な源次郎である。
「マジ? さすがは源さんだ! ってことは、俺たちが寝ちまってたのは六時間くらいってことか――。海外の可能性は低いな」
 紫月が明るい声を出す。国内であるならば周と鐘崎に連絡もつきやすいだろうからだ。ひとまずは安心といえる。
「あとはどうやって外との連絡を取るかだが……。ここが吉原をモデルにしてるってんなら、案外出入り口は一箇所の可能性もあるか」
 レイが難しい顔で考え込む傍らで、倫周が『どうして?』と首を傾げた。
「当時の吉原ってのはな、大門ってのがあってそこを潜らなきゃ出入りできなかったんだ。むろん、出入りは門番によって厳しくチェックされる。客はともかく遊女の足抜きはご法度だったからな。特に女の出入りには厳しかったそうだ。大門以外は周囲を濠に囲まれてたって話も残ってるようだぜ」
「へえ、そうなの。レイちゃん、随分と物知りだねぇ。さすがは五十代!」
「五十代は余計だ! 俺はなぁ、永遠の二十歳を自負してんだぞ。それに確かまだ五十までには一、二年あったはずだ!」
「ええー、そうだっけ? 僕の年齢からしても、とっくに超えてるはずだけどねぇ?」
「……ッ! うるせえガキだなぁ。おめえを仕込んだ時にゃ俺はまだ学生だったんだ。逆算したって五十はいってねえだろが!」
「学生って、まさか高校生? レイちゃんってもしかしてツッパリだったの?」
「バカタレ! 大学生だ。てか、おめえこそいつの時代のガキだよ! ”ツッパリ”なんざ今時死語だろうが」
「ええー、死語とかさぁ。それそのものが”死語”じゃない?」
 またもやくだらない柊親子の言い合いが始まって、皆があんぐり顔になった時だった。部屋の外から何やら物音がしたと思ったら続いて扉が開けられて、三人連れの男が姿を現したのだ。その内の二人は先程エレベーター内で出会った男たちに間違いなかった。その彼らが気を遣いながら腰を低くしているところをみると、もう一人は彼らのボスといったところか。かなり恰幅のいい初老の男だが堂々としていて威厳を振りまいている。
「いよいよ敵さんのお出ましか」
 レイが不敵な笑みと共に眼光鋭く身構える姿勢をみせた。



◆12
「おや、既に皆さんお目覚めでしたか。しかしまあ、なるほど群を抜くほどの男前揃いですな! いや、素晴らしい!」
 ボスらしき男が笑みを見せながら軽口を叩いてよこす。対応を買って出たのはレイだった。
「あんたがここの責任者か? いったいどういう了見か、是非とも納得のいく説明をうかがいたいもんだな」
 他の者を庇うように一歩前に出て啖呵を切る。レイの表情は余裕すら窺える笑顔ではあるが、返答如何によっては容赦しないぞという凄みも感じられる堂々ぶりであった。
「これは失礼。先程は部下たちが少々手荒なことをして申し訳なかった。お詫び致そう」
「――結構。それで、俺たちをここへ連れて来た目的をお教え願おうか」
「まあまあそう急かさんでくれたまえ。それよりも……皆さんの中ではあなたがリーダーであられるわけですかな?」
 突然拉致されて来たにしてはレイの態度があまりにも落ち着き払っている為か、敵も意外に思ったようである。
「は――! 誰がリーダーってわけでもねえが、見ての通り俺以外はまだほんのガキ連中と爺様だからな。交渉役は俺しかいねえだろうが」
 ”ガキ連中と爺様”とはさすがに口が悪いが、これもレイの交渉手段であるのだろう。皆はひとまずこの場をレイに任せるべくおとなしく装って敵の出方を待つことにした。
「なるほど、道理ですな」
「先ず――ここはいったい何処なんだ。見たところ随分と変わった趣向の場所のようだが?」
「外をご覧になられたのかな?」
「ああ。えらく雅な街並みだ。花魁道中のようなもんも見たが、映画の撮影所か何かか?」
 わざと素人っぽい勘ぐりを口にしてみせる。こちらの手の内を見せない為だ。
「ほほ、映画とは! まあそう思われるのが普通でしょうな」
 男の方もまるでトウシロウのようなレイの言葉に内心ホッとしたのだろう。少々得意げな口調でニヤニヤと笑いながら説明を始めた。
「ここは特殊な場所でしてな。一般の方々はまず誰も知らない施設と言えるでしょう。あなた方が見たという花魁道中は映画でもドラマでもなく、現実なのですよ」
「――現実だ?」
「そう。ここは江戸吉原を再来せんという目的で作られた街なのでね」
 やはりか――源次郎がその昔、長の僚一から聞き及んだという計画は実現していたということになる。だが、今はこちらがその計画を知っていたということを気取られてはならない。レイはわざと空っとぼけたふりを装いながら先を続けた。
「吉原の再来だ? 何の冗談だ」
「冗談などではないのですよ。あなた方が見た花魁は本物の遊女で、ここでは頂点に立つ極上の女です。他にもたくさんの茶屋があり遊女も大勢います。自己紹介が遅れたが、私は茶屋のひとつを仕切る主人でしてな。この遊郭街の中でも一目置かれる大きな茶屋を担っておる者です。先程花魁道中でお客様をお迎えに上がったのも我が茶屋自慢の遊女です。ここには遊郭だけではなく賭場なども存在し、街並みも道行く人々もすべて昔の江戸そのものというわけですよ」



◆13
「江戸そのもの――ね。花魁を抱えてるってことは、つまりあんたは数ある茶屋の中でも大手の主人ってわけか」
「おっしゃる通り。飲み込みが早くて助かりますな」
「何だってまたそんな大それた施設をこしらえたわけだ? 見たところ相当デカい企業が絡んでいるようだが――」
「まあ企業というのとは少々意味合いが違いますがね。組織――といった方が近いでしょうかな。私共とて数十年かけてようやくと実現に漕ぎ着けた一大プロジェクトでしたからな。まさに”夢”なのですよ」
「夢――ね? おたくらが企業だろうが組織だろうが興味はねえし、どんな夢を描こうが実現させようが、それ自体をどうこう言うつもりはねえがね。それよりも何故俺たちがここへ連れて来られたってことだ。しかもいきなり見ず知らずの連中に眠らされて、気が付いたらここに居たってのがな。俺たちには理由を説明してもらう権利くらいはあると思うがな」
「おっしゃる通りですな。失礼をしたことはお詫びする。ではご説明しよう。皆さんをここへお招きした理由ですが――是非ともここで働いていただきたいと思いましてな」
 言葉じりは丁寧だが、ニヤっと品のない企みめいた笑みは善人のものでは決してない。男はいよいよ本性を現わそうとしていた。
「言っておきますが、ここは外界とは隔離された特別な場所です。一度ここに入ったからにはもう二度と外へは出られませんぞ。皆さんには一生ここで働いていただくことになります」
 さも当然といったように下卑た笑いをみせる男を前に、皆は思いきり眉根を寄せさせられてしまった。
「おいおい、ふざけんのも大概にして欲しいね。強制的に連れて来られた上に二度と外へは出られねえだと? それじゃ拉致監禁じゃねえか。明らかに犯罪だな」
 レイが強気の啖呵を切るも、男の方は余裕の態度のまま鼻でせせら笑うだけだった。
「言ったでしょう、ここは外界とは完全に隔離された場所だと。皆さんが知っている外の常識は通用しないのですよ。つまり――犯罪もクソもないというわけだ」
 心なしか、だんだんと話し方も荒くなってくる。男が一語発するごとにじりじりと本性を剥き出していく様子に舌打ちしたい気分にさせられた。
「は――、まるで独裁者の言うこったな。時代錯誤もいいところだ。俺たちがおとなしく『はい、そうですか』と言いなりになると思っていやがるのか?」
「あなた方がどう思おうと、それこそ私の知ったことではない。ご承諾いただけないとおっしゃるのならば――」
 男がチラリと視線を動かすと、サッと部屋の扉が開いて、数人の屈強な男たちが木刀やら短刀らしきものを手に姿を現わした。その全員がすべて着物姿の浪人風情である。こんなところにまで江戸情緒を徹底したのは感心だが、やっていることは暴君そのものだ。
「言うことを聞かなきゃ暴力かよ――えらく勝手な話だな」
「どうとでも。だが、命は惜しいでしょう? ここで楯突いて痛い目を見るよりも、素直に従った方が身の為ですぞ? それに――働きに見合うだけの充分な報酬と何不自由ない贅沢な生活をお約束する。悪い話では決してないと思いますぞ」
 男は部下たちに下がるように目配せをすると、勝ち誇ったような不敵な笑みと共にそう言った。



◆14
 悪どいやり方だが、ある意味納得させられる点も無くはない。これだけの大掛かりな街並みに立ち並ぶ茶屋の数からして、遊女もそれ相当な数が必要なはずである。先程見た花魁の女や他の遊女たちも似たような脅迫まがいのやり方で集められたということなのだろう。
 レイはひとまず皆の安全を第一に考えて、相手の条件に耳を貸すことにしたのだった。
「ふん――俺たちに選択肢はねえってわけだな? じゃあ仕方がねえ」
「おや、ご快諾いただけるわけですな?」
「それっきゃねえだろ? 刃向かや、さっきの強面の兄さん方に痛い目に遭わされるってんだろ? 拷問が待ってるか……あるいは始末されちまうってことも十分有り得そうじゃねえか。だったら素直に従うしかねえだろうが」
「物分かりのいいお方だ」
 レイが承諾の言葉を口にしたと同時に男はえらく機嫌の良さそうに態度を一転させ、これまでの凄みのオーラを見事に消し去っては人の好い善人の笑みを浮かべてみせた。まさに根っからの悪党そのものである。睨まれるよりも笑顔の方が実は恐ろしいという代名詞のようなものだ。
「――それで? 俺たちはいったいここで何をすりゃいいんだ。働くったって、どんなことをすりゃいいのかくらいは教えてもらわねえとな」
 居直ったようにレイが畳に座り込むと、男も少し間を開けてその対面に正座してみせた。
「よろしい。ではあなた方の仕事を説明しましょう。まず――そこのあなた!」
 男は角帯に挟んでいた扇子を取り出すと、レイの後方に座っていた紫月を指してみせた。
「最高にいい男だ。正直、この世のものとは思えないと言っても過言ではない。顔の造りといいスタイルといい群を抜いているが、それに加えて色気も充分だ。あなたには花魁になっていただきましょう」
 ニコニコとしながら、さも当然と言い放つ。
「花魁だ!? ――つか、俺、オトコだけど?」
 紫月が片眉を吊り上げると、男は『ほほほ』と楽しげに笑った。
「うちはね、遊女たちがいる通常の遊郭ももちろんだが、男色の遊郭もあるのだよ。目の前の大通りを挟んで、今我々がいる建物が男色専用の遊郭だ。対面はすべて遊女たちのいる遊郭というわけですよ」
 なるほど。それで左右対称のような街並みになっていたというわけか。
「正直なところ、遊女を集めるのにはそう苦労はしないのだがね。男色専門となるとこれが思いのほか難儀でね。我々はずっと、雅なこの世界に見合うような見目良い抜群の男花魁を欲していたわけだが――外界に出てスカウトしようにも、なかなかお眼鏡に叶う人材とは巡り会えなくてね。それが今日たまたま部下たちが街で君らを見掛けたというわけだ。この機会を逃してはならないと、少々荒っぽいやり方ではあったが、君らをここへお連れしたという経緯なのだよ」
 ということは、ここに連れて来られたのは本当に偶然で、前々から目をつけられていたというわけではなさそうである。つまり、敵はこちらの素性を知らないと見ていいだろう。紫月が裏の世界でも一目置かれる鐘崎組の姐であることも、冰が香港マフィアの周ファミリーであるという事実も――だ。



◆15
 敵に正体を知られていないのならば、それはそれでやり易い部分もある。過分な警戒をされずに、この施設のことをもっと深く探ることが可能だからだ。そういえば有名モデルであるレイを見てもそれと気付かなかったようだし、単に容姿が気に入られただけで連れて来られたということなのだろう。
 確かにモデルのレイは街中では歩いているだけで人々が振り返る華やかさであるし、紫月や冰が美麗な顔立ちなのも言わずと知れている。倫周も父親譲りで美しいと言えるし、春日野は周や鐘崎を彷彿とさせるような男前である。初老の源次郎は別としても、この一団が固まって一緒にいれば目を引かないわけがないのだ。男色専用の遊郭に据え置くにはこれ以上ない適任と思われたのだろう。
 先程レイが挙げた三つの理由の内の一番厄介な想像が当たってしまったことは災難であるが、とにかくこうなってしまった以上ジタバタしても仕方がない。言う通りにしてさえいれば危害を加えるつもりはなさそうだし、嘘か誠か報酬も極上の生活も保証するとまで言っている。ひとまずは言うなりになる素振りを装いながら、脱出の機会を待つしかない。それまでは身の安全を考慮しておとなしく従うが賢明と心得る一同であった。
「俺が花魁――ね。それこそ映画でしか観たことねえけど、ある意味大抜擢と喜ぶしかねえってか?」
 紫月が不敵な苦笑いをみせると、男の方も機嫌の良さそうにうなずいた。
「ほほ、さすがに度胸も据わっておられる。花魁としての格も備わっておいでだ。いや、実に素晴らしい!」
「で? 他のやつらは何をやらされるんだ? まさかここにいる全員を男花魁にしようってか?」
 紫月が訊くと男は少々考え込むように腕組みをしながら、一同を舐めるように見渡して品定めのようなことを言い始めた。
「そうですな。あなたの隣にいる彼も容姿の点では申し分ないが、いささか雰囲気が幼いですな。顔は可愛いが色気が足りん」
 男が指したのは冰である。
「そうさね、彼には禿として花魁の側付きになってもらいましょうかね」
「か、禿……!?」
 冰が驚きに目を剥いている。
「そう、禿! まあ禿というには歳をとり過ぎているが構わんだろう。美しい花魁に可愛い禿とくれば、お客様も目の保養になる。人気が出ればいずれは花魁への格上げも夢じゃない」
 まさに有無を言わさぬ勝手そのものであるが、それを皮切りに男は次々と一同を品定めしていった。冰の次は倫周である。
「キミも可愛いらしい顔付きをしているが、禿にするには年齢の点で無理がありそうだな。普通の遊女として……あ、いや失礼。男だから遊女とは言わんな。新造としてお客様のお相手をしてもらおうか」
「新造?」
「分かりやすく言うと花魁の妹分――いや、弟分のようなものだ。花魁道中にも同行できるし花形といえるぞ」
 要は花魁よりも格下の男娼という意味である。それを聞いた倫周は一気に頬を膨らませた。
「僕が単なる男娼だって? ちょっとおじさん! どこに目を付けてるのよ! こんないい男を捕まえて普通の男娼だなんて! 侮辱もいいところだよ」
 プイとそっぽを向いてお冠である。これにはさすがの悪党も驚かされてタジタジとさせられてしまったようであった。



◆16
「いや、これは失敬。まさかそう出られるとは……」
「新造だか何だか知らないけど、ちょっと酷くない? 可愛い禿にするには歳をとり過ぎてるとかさ、いちいち棘を感じるんだよねぇー! 失礼にもほどがあるっていうものだよ! いろいろと納得いかないんだけど」
 多くは男娼だなんて冗談じゃないと怒るのが普通だが、倫周のツボはどうにもズレているようだ。それが天然なのか彼なりの策略なのかは別としても、主人の方ではそんな意外な面も気に入ったようだった。
「なかなかに道に入っているようだ。ではキミは何がお望みかな? むろん男花魁がご希望ならそれでも構わんが」
 すると倫周は機嫌を直したようにしながらも、ますます堂々たる態度をしてみせた。
「ふぅん? 僕に仕事の内容を決めさせてくれるっていうの? おじさん、案外話が分かるじゃない!」
 そう言いながらも男に気付かれないようにチラリとレイを見やり目配せをする。上手く話を繋げという暗黙の合図である。やはり天然ではなく、彼なりの考えがあってそうしているのだろう。
「キミは随分と度胸がお有りのようだからね。大したもんだ、気に入ったよ。希望があれば聞く耳は持つつもりだが、私をおじさんと呼ぶのはどうにもね」
「じゃあ何て呼べばいいのよ」
「ここは茶屋だ。お父さんと呼んでもらえると有難いね」
「お父さん?」
 図らずも実の父親の目の前で赤の他人を『お父さん』と呼べとは思わず噴いてしまいそうになったが、ここで素性をさらけ出すほど倫周も馬鹿ではない。
「お父さんね。分かったよ。じゃあお父さん! 僕の仕事は僕のやりたいポストに就けてくれるってことでいいわけね?」
「ああ構わんよ。それでキミは何がお望みかな?」
 それに対して返事をしたのは実の父親のレイであった。
「そうかい。だったらこいつには髪結をやらせてやっちゃくれねえか? こいつはな、美容師の資格を持っているんだ。表の世界でもそういった仕事を生業にしているやつだからな。和服の着付けももちろんできるしメイクもお手のもんさ。そんじょそこいらの着付師なんぞより腕は抜群だぜ?」
「ほう? 美容師さんなのかい。そいつは有り難いね。なにせ今時、和服の着付けができる人材は少なくてね」
「じゃあ決まりだな」
 レイが満足そうにうなずく。彼にヘアメイクを担当させれば、化粧道具が自由に使えるだろう。いざという時に変装を施すことも可能だからだ。遊女の足抜きではないが、全員が別人に化けてここから出て行く機会を窺うのも夢ではない。倫周本人もそれならと満足気に笑顔を見せた。先程から目配せで意思を伝え合っていた柊親子の思い通りに事が運んだというわけだ。
「よろしいでしょう。では彼には髪結をやってもらうとして、もう一人そちらのキミだが」
 今度は春日野の番である。
「キミはガタイもいいし男前だ。花魁道中に付き添う下男をやらせたら絵的にも最高なんだが、如何かね? もちろん仕事は道中だけではないが、普段は花魁の身の回りの世話をしたり、用心棒的なお役目に就いてもらえたらと思うんだがね」
 春日野にしては願ってもない役回りである。普段から姐さん側付きのお役目を与っていたことだし、何より紫月の護衛という点で堂々と側にいられることは、まさに願ったり叶ったりである。
「いいでしょう。お引き受けします」
 春日野は二つ返事で快諾の意を表した。



◆17
 残りは源次郎とレイである。
「そちらのご年配の御仁にはやはり今の彼と同様、下男のお役目をお願いできるかね? まあ、主には部屋でのお世話で花魁道中などには若い方の彼に出てもらうことになるが」
「分かりました」
 源次郎も快諾である。
「あとはリーダーのあなただが。あなたにも下男として庶務雑用をしてもらうと共に、皆さんの監督も兼ねてもらうというのでは如何かな?」
 するとレイは先程の倫周同様に思い切り口をへの字に曲げながら膨れてみせた。
「おい! この俺様が下男だと? そりゃまた随分な扱いじゃねえか! ホント、どこに目ぇ付けていやがる」
 まさしくお冠である。
「おやおや、ご不満だったかな? 確かにあなたも男前であられるが、花魁や新造としてお客様のお相手をしてもらうには幾分大人というか……いろいろな意味で長け過ぎておられると思うのだが……」
 男の方もレイの気質に押され気味である。皆がここでの生活を素直に受け入れたからというのもあるが、最初の頃から比べると随分と譲歩した態度に変わってきつつあるようだ。それよりも何よりも、さすがに世界でトップクラスを張る一流モデルだけあってか、相手が例え誰であれ俺様気質で呑み込んでしまうレイのオーラは大したものである。
「はん! あんたな、品良くオトナだなんだとごまかしちゃいるが、要はこの俺を中年オヤジ扱いしてやがるな? 失礼にもほどがあるってもんだ」
「いやはや、そんなつもりは毛頭ありませんがね。ではあなたも男花魁をご希望ですかな? まあ変わった趣向のお客様もおられるかも知れませんし、ご希望とあればそれでも構いませんよ?」
「は、ホントに失礼な物言いだな。分ーったよ! 分ーった! 下男兼監督をやりゃいいんだろ? それで構わねえ」
「おや、よろしいので?」
「仕方ねえだろ? 確かに統率役は必要だ。その代わり報酬の方はガッチリいただくから、そこんとこよろしく頼むぜ?」
「ええ、それはもちろん。ご安心ください。それではお役目も決まったことですし、この後は皆さんが生活していただくスペースをご案内するとしましょうな。ここは遊郭ですから造りは和室ですが、普段使う風呂やトイレは洋式で用意されていますし、不自由はないと思いますよ」
 そうして一同は男に連れられて館内を案内されることとなった。
「まずは今皆さんがいるこの広間ですが、ここは花魁専用のお部屋となります。ここでお客様の宴や酒のお相手をしていただくわけですが、襖を隔てて廊下を挟んだ対面にプライベートな寝室や風呂、厠といった設備が整えてあります。普段はそちらで過ごしていただき、仕事の時はこちらの広間を使っていただきます。皆さんが集まって寛いでいただけるリビングスペースもありますので快適と存じますよ」
 どうでしょう、素晴らしい環境でしょうがと、男は自慢顔だ。まあ、言うだけあってどこをとっても確かに快適で豪華な造りの部屋である。
「お食事は三食こちらでご用意します。毎日決まった時間にリビングに運ばせていただきますので、皆さんご一緒にごゆっくり寛ぎながら食事していただけますぞ」
 聞けば聞くほど、そして見れば見るほど都合の良過ぎる待遇といえる。一通りの案内が済むと、レイは男に向かって胡散臭そうに肩をすくめてみせた。



◆18
「確かに納得の条件だが、どうにも腑に落ちねえ。ここが遊郭だってのと俺たちの容姿を買ったってのは分かったが、それにしても待遇が良過ぎやしねえか? 俺らがそれに見合うだけの働きをするかどうかも分からねえってのよ」
「なに――、心配はしておりませんよ。あなた方ならきっと私の期待に応える充分なお働きをしてくださることでしょう」
 主人はニコニコと瞳を細めたまま平然と言い放つ。思わず『狸親父めが!』と、舌打ちのひとつでもしたい気分である。
「期待に応える働き――ね。こちとら遊郭なんぞ映画かドラマでしか観たことねえ素人集団だってのにな。第一あんた、さっきっから俺たちの素性どころか名前すら訊かねえ。どんな人間なのかも分からねえってのにいきなりトップの花魁に据えるってのも胡散臭え話だぜ。豪華な住まいに三食昼寝付きってくらいの条件を突きつきられても、さすがに話が美味過ぎると疑いたくもなるってもんだろうが」
 レイの言い分も尤もである。通常、花魁といえばそれなりの経験を積んでからなるものだろうし、客からの人気も必要だろう。単に容姿が抜群だというだけでいきなり花魁に据えるなど、何かよほどの裏があるのではと勘ぐりたくもなるというものだ。だが、男は『そんなことか』と鼻で笑うだけだった。
「皆さんがそう思われるのもご尤もですな。だがここでは皆さんが外の世界で何をしていようが、どんな立場にあったお人だろうがまったく問題ではないのですよ。当然名前など訊く必要もない。例えあなた方が外界で大臣だろうと社長だろうとここでは通用しない。これからは過去と決別した新しい人生を送っていただくことになるのですからな」
「過去と決別だと? 随分とまた勝手な話だな。じゃあ俺たちが外の世界に残してきた家族や友人はどうなる。理由もなく失踪すれば、当然捜索願いが出されるだろうし警察だって動き出すだろうよ?」
「残念ながらご家族やご友人とはもう会えないと思っていただきたい。それに警察が動くこともありませんな。ここは外の世界の常識が通用しない隔離された世界です。もっと言えば、我々は外の世界でも非常に大きな力を持った組織と秘密裏の連携がありましてな。ここへ入った人間が表の警察に捜索されるようなことはないシステムになっているのですよ」
 つまり、この世界を作った組織は警察も手が出せないほどの力を持っているというわけだろうか。
「その代わり皆さんにはここに来て良かったと思えるような贅沢で何不自由ない生活をお約束します。なに、桃源郷にでも来たと思っていただければ良いかと。それでご納得いただけない場合は……」
「――さっきの強面の兄さんたちに始末されるって寸法か」
「ご理解が早くて助かりますな」
 男はニコニコと人の好さそうに笑ってはいるが、腹の中は正反対に真っ黒とみえる。少しでも意にそぐわなければ、笑顔のまま真剣でバッサリ切り掛かってきそうな危うさを感じさせる。やはりここは楯突くよりも従うふりを通した方が良さそうだ。レイは諦めたように肩をすくめると、せいぜい励むとするよと言って苦笑してみせた。



◆19
「余計なことは考えずにここでの生活に馴染んでいただければ、皆さんには決して悪いようには致しませんよ。お働き如何によっては更なる高報酬も惜しみませんぞ」
「高報酬……ね。つまり俺たちはこの男花魁がより良い上客を掴んで大金を引き出せるようサポートすりゃいいってわけだな?」
「その通りです。正直なところこの男遊郭には男娼はおりますが、遊女の数から比べればまだまだ少なく、数える程度です。この街にある茶屋全体で男花魁を据える自体が初めてでしてな。我々としても安売りする気はありませんし、花魁で人を呼んで、それなりの金を落とせるお客を吟味するつもりです。つまりあなた方には男遊郭の未来がかかっていると言っても過言ではないのですよ」
「要は人寄せパンダってな役回りか」
「まあ、そう言ってしまえば粋に欠けますがな。実際はその通りです。見目麗しい男花魁がいると噂になれば、お客はもちろんのこと、男娼のなり手も増えることでしょう。我々としても早くこの男遊郭を遊女たちの遊郭に負けない稼ぎ処に育て上げねばなりません。そういった意味で皆さんのような美男子揃いには大いに期待したいわけです」
 男の話向から察するに、どうやら男色専門の方はまだまだ軌道に乗る手前であるのだろう。その起爆材として自分たちが拉致されてきたという理由もある程度見えてきたことだし、しばらくはここでの生活に甘んじるしか手はなさそうだ。
 むろんのこと、このまま一生を終えるつもりなど毛頭ないし、周や鐘崎も当然動き出すはずだから、彼らとの連絡手段は追々知恵を巡らせるしかなかろう。レイは最後にもうひとつ気になっていることを男に問うてみることにした。
「まあだいたいは理解したつもりだが、あとひとついいか? ここに来る客、つまりは俺たちが相手にする客ってのはこの世界の住人なのか? それとも外の世界の人間を会員制のような形で連れて来るって寸法なのか……」
 普通に考えれば外から連れて来るのが妥当だろうか。いわば外貨を稼ぐという理論からすれば当然そうなるはずである。
「おっしゃる通りですな。ここへ来るお客人は完全なる会員制で、厳しい審査を通って吟味された外の世界の方々です。遊郭で遊ぶだけの金銭的余裕があり、尚且つ粋も心得たお客人ばかりです。ここの存在を秘密にできないような方はそもそも会員にはなれませんし、新たに会員になるには既存のお客人のしっかりとした紹介が必要です。誰でも彼でも自由に出入りできる外の世界のバーやクラブとは違うのです。それに、万が一にも口外するような浅はかな客人が出た場合、速やかに制裁が待っていることはお客様方も重々ご承知でいらっしゃいます」
「は、なるほど。空恐ろしい話だな」
 レイが苦笑すると男は相変わらず腹の中のどす黒さが透けて見えるようなニコニコと繕った笑顔で応えてみせた。
「そういうことです。他に質問がなければ今夜はごゆっくりお休みください。まあお腹もお空きでしょう。すぐに夕膳をご用意させますゆえ、リビングの方でお待ちください。明日は皆さんの源氏名を決めたりお衣装合わせなどを行います。実際にお客様を接待する所作などの研修も致しましょうな。他に入り用の物や私に御用の際はリビングの通話機でお知らせくだされば、できる限りのご要望にはお応えするつもりです」
 男はそれだけ言い残すと、期待しておりますぞと笑いながら部屋を後にした。



◆20
 その後、男の言った通りに夕膳が運ばれてきたが、なかなかに豪勢で驚かされた。
「いったいどうなっていやがる――。おかしな世界に来ちまったもんだな」
 レイが呆れ顔で溜め息まじりだったが、他の皆もほぼ同様である。
「とにかくジタバタしたって始まらねえってことですよね? とりあえずのところはおとなしく言うことを聞くっきゃねっか……」
 紫月が懐から煙草を取り出して火を点けると、レイも一本くれと言って一服タイムが始まった。その間、源次郎と春日野は部屋の中をウロウロと動き回っていたが、何も闇雲にそうしていたわけではない。
「ふう……。どうやら盗聴器の類いは見当たりませんな。監視カメラのような物もとりあえずのところ無いようですし、真新しい木材の匂いといい……察するにここはまだ本当にできたばかりの建物なのかも知れませんな」
 さすがは源次郎である。セキュリティとプライバシー関連をいち早く探索して歩くところは抜かりがない。
「わ! もうそんなトコまで調査したってか? さすがは源さんだぜ!」
「さっきスマートフォンは取り上げられたって話だったが、源次郎氏は普段からそういった機器を身に付けていらっしゃるわけか?」
 紫月とレイが感心顔でいる。
「ええ、まあ。持ち歩けるタイプなので機能は限られていますが、性能はある程度信頼がおけますぞ」
「ほう? さすが大したものだ」
 一服を終えたレイが立ち上がって部屋の障子を開けると、紫月もそれに続いた。外は相変わらずに雅やかな世界が広がっている。方々から聞こえてくる琴や三味線の音もそうだが、何となく街全体から粉白粉の淡い香りが五階のここまで漂ってくるようなのだ。
「今頃は遼と氷川の方でも心配してっだろうなぁ……」
 外をぼんやりと見やりながら無意識といったふうにつぶやく。
「だろうな。奴らのことだ、既に動き始めているに違いねえが、さすがのあいつらでもここを突き止めるには時間が掛かるだろうよ」
「外との通信手段は――客を通してするしかねえってか。まあ、そんな都合のいい客と巡り会えればの話ですけどね」
 レイと紫月が雑談する傍らで、それまではおとなしく皆の話を窺っていた冰が口を開いた。
「それよりも男花魁にさせられた紫月さんのことが心配です。花魁の仕事って、お客さんのお酒の相手をするだけじゃない……ですよね?」
 確かに遊郭のイメージといえば、”床”の相手をするのは切っても切れないといったところである。冰としてはそれが何より気掛かりなのだ。
「まかり間違っても紫月さんにいかがわしいことをさせるわけにはいきません! それだけは何としても阻止しなきゃ……!」
 紫月本人はもちろんのことだが、鐘崎の為にも紫月が客と寝るようなことは絶対に避けなければと思っているわけだ。



Guys 9love

INDEX    NEXT