極道恋事情

19 三千世界に極道の華2



◆21
「その点は策を講ずるしかありませんな。客を酔い潰して床に行き着くまでには眠らせてしまうか、あるいは不意打ちで意識を刈り取るか――。何か方法を考えます」
 源次郎が意を固くする。
「そっか……。お客さんを眠らせてしまうのも確かに手ですよね……。それとも――ねえ、皆さん! ここには賭場もあるってさっきの男の人が言ってましたよね?」
「ああ、そういえばそんなことを言ってたな」
「でしたら――花魁と床を共にできるかどうかを賭けて、お客さんに賭博で勝負してもらうっていうのはどうでしょう」
「賭博だ? どういうことだ」
 レイが片眉を吊り上げながらも興味津々で身を乗り出す。
「俺、じいちゃんからディーラーの技を仕込まれた時に日本の壺振りのやり方も一緒に教わったんです。賽子を振る丁半っていうやつです」
「――お前さん、壺振りまでできるってのか?」
「ええ、まあ……。俺は日本人だし、故国古来の技も知っておいて損はないって、じいちゃんが教えてくれたんです。だから丁半と花札は一応できます。それに……あまりいいこととは思いませんけど、イカサマで賽子の目を思い通りにする方法も知っています」
 皆は驚いた。この冰のディーラーとしての腕前は言うまでもないが、まさか壺振りに花札、しかもイカサマまで身に付けているとはさすがに驚くところだ。
「それで……その、花魁との床を賭けてお客さんには俺と丁半で勝負してもらうんです。ヘンな話ですが、ここを経営している人たちにとっては、どんな形であれお金が稼げればいいわけでしょう? だったら賭場で稼ごうが床で稼ごうが同じことだと思うんですけど……」
 なるほど、一理ある。
「うむ。案外いい考えかも知れねえな。お前さん、本当にイカサマで狙った目を出すことができるってのか?」
「ええ、大丈夫です。ルーレットの修行と一緒にうんざりするくらい練習しましたから。実際に壺を振らせてもらえれば勘はすぐに取り戻せると思います」
「そうか……。だったらそれこそ倫周にメイクさせて冰を粋な賭博師に仕立て上げれば、店の評判が上がるかも知れねえ。花魁に会うには賭場を通らなきゃならねえってんで、より高嶺の花として評判になるだろうし、面白い趣向といえる。店の方にしても二重で稼げれば文句はねえだろう。まあ、たまには客に勝たせなきゃ疑われるだろうが、その場合はそれこそ酔い潰して寝かすか、峰打ちでもして気絶させちまえばいい」
 都合がいいことには、全員が花魁付きの髪結や下男として共にいられるという現実である。上納金さえ文句なしに稼ぎ出せば、店側とて願ったり叶ったりであろう。文句など出ないはずである。
「よし! じゃあ早速明日、あのじいさんに提案してみよう。しばらくはそれで様子見するとして、焔と遼二との連絡はその内何とかなるだろう」
 今のところは、客として訪れて来る中に信頼できそうな人物がいれば、伝言を頼むしか通信手段はない。問題はその人物の見極めだが、それは現場で直に客を見定めて考えるしかないだろう。
「それじゃ、今夜は休むとするか。明日から忙しくなりそうだ」
 一同はこれからのことに備えて、一先ずは体力の万全に努めることにしたのだった。



◆22
 次の日からはいよいよ勤めに向けての準備が整えられていった。昨夜、主人の男が言っていた通りに衣装合わせから始まり、花魁道中の所作や披露目の手順などが忙しなく打ち合わせされていく。そんな中、賭場の件を打ち明けると、主人の男は面白い案だと言って非常に興味を示してよこした。
「それで、壺振りをやるのはどなたかね?」
 男としては当然統括係のレイがやると思ったようで、真っ先に彼を見つめた。ところが名乗り出たのは禿役の冰である。
「キミが……かね?」
 こんなに若い、ともすればまだ少年といっても過言ではないような男に壺振りなどが務まるのかといった疑心暗鬼の視線を向ける。
「こう見えてコイツはなかなかに腕がいいんだぜ。まあ騙されたと思って任せちゃくれねえか?」
 レイが太鼓判を押すも男は未だに信じられないといった顔付きでいる。そこで冰お得意の演技の出番である。おとなしく可愛い素振りからガラリと一転した態度で、主人へと食って掛かった。
「分からねえ親父っさんだなぁ。俺はね、面構えがガキに見えるせいでいっつもこうやって苦労してんだ! 俺は孤児だったんだけどさ、育ててくれた親父が博打撃ちだったんだ。貧乏暮らしだったけど食う為に博打の腕を仕込まれて育った。そんじょそこいらの家具師なんかにゃ負けねえ腕は持ってるつもりだぜ?」
 ニヤっと不敵な笑みと共に斜に構えて主人を威嚇する。
「お、おや……そうかい……。だったら任せてみるかね」
「そうこなくっちゃ! まあ、ちゃんと禿の仕事もするからさ! 心配しないでよ! 親父っさんが度肝抜くくらいに稼いでやらぁ!」
「ほ……ほほ、これは頼もしい。その大口は嘘じゃなかったと思わせてくれるのを期待しているよ」
「ああ。任せときなって!」
 冰が腕まくりをしながらガッツポーズをしてみせる。すると、更にそれを後押しするように、
「中盆役として私もサポートさせていただきますのでお任せください」
 一番の長老である源次郎までがそう言うので、主人も納得したようであった。中盆とは壺振りと客の間を取り持つ仲介役のことで、賭け金の受け渡しなども行う者のことだが、それ以外にも万が一の揉め事や野次などが起こった際にもいち早く冰の側で彼を守ることができるので、源次郎は打ってつけである。
「そうですか。あなたがお側についてくださるのであれば安心ですな。しかし皆さん、いろいろと芸達者であられる。知識も豊富でいらっしゃるし、私の方が驚かされておりますぞ! これはやはり……あなた方をスカウトできて我が茶屋としても棚から牡丹餅だったわけですな! いや、有難い限りです」
 主人は上機嫌の様子だ。



◆23
 そんなこんなで花魁との床を賭けた賭場の件は無事承諾されることとなった。ひとまずは予定通りである。
 そこで今度は倫周から主人へと必需品の希望が伝えられた。
「ところでお父さん! 彼を壺振りにするにあたって用意してもらいたいものがあるんだけど、いい?」
「ああ、できる限りご要望には応えるつもりだよ。何でも言っておくれ」
「さすがはお父さん! まず、壺振りといえばサラシでしょ? 粋な流しふうの着物も必要だよね。それから刺青っぽいタトゥのシールとかも欲しいな。用意してもらえるかな」
 すると主人はもちろんだと言って快諾した。
「なかなかに本格的じゃあないか。これは私が思っていた以上に客の評判になるかも知れんな。もしかしたら遊女たちの方の遊郭を抜く売り上げが期待できるかも知れん」
 キミたちを雇って本当に良かったよと機嫌も上々である。そうして用意されたサラシや刺青を使って、早速に冰の壺振り師としてのビジュアルが整えられていった。
「さて――、皆さんの体裁も整ったところで肝心の源氏名を決めましょうかな」
 主人は皆を集めると、この世界で使うそれぞれの名前の希望はあるかと訊いてきた。
「特に花魁と禿のお二方には雅な源氏名が必要だね。下男や髪結の方々は何でも好きな名にしていただいて構わないよ」
 何なら外の世界での呼び名をそのままでもいいと言う。
「源氏名――ね。それじゃ俺は紅椿でどうだ?」
 花魁に抜擢された紫月が少し考え込んでから不敵に笑った。我ながら良い名を思い付いたと得意顔なのだ。
「紅椿か! なかなか良いではないか。風情があるし、花魁にふさわしい」
 ”紅椿”というのは鐘崎の肩に入っている刺青の紋様である。もしもここで男花魁の噂が広がり、万が一にでも外の世界の鐘崎の耳に届くことがあった場合に、彼ならばその意を嗅ぎつけてくれるかも知れない――そんな願いを込めた紫月の選択であった。
 すると禿兼賭場師役の冰も紫月の思いを即座に汲み取ったわけか、自分も周に繋がる名にしようと思ったようである。
「じゃあ俺は――そうだな。紅龍でどうかな。禿には似合わないかも知れないけど、博打打ちとしては合ってると思うんだけど」
 周の字は白龍である。それそのままでもいいのだが、わざわざ本当の字を暴露する必要もない。名は焔だから、色的には赤である。そこからの連想で紅龍としたわけだ。
 周のイメージは”漆黒の人”だから黒龍でもいいのだが、それだと兄の風黒龍と同じになってしまうので、ここは”焔の赤”と字の白龍を合わせた方が無難であろう。
「うむ……。確かに賭場師の名としてはいいが、どちらかというと雅というよりは粋な印象かね。まあ、男娼として本格的にデビューする際に考え直すとして、今はそれでよしとしますかな」



◆24
 主人はまだ冰の博打の腕前を知らないので、いずれは紫月同様に男娼として使うことを目論んでいる様子だ。今はまだ色気が足りないが元々の容姿は文句なしなので、ここで過ごす内に男娼として十分な稼ぎ手となるだろうと期待しているわけだ。
 そうして紫月と冰の源氏名が決まったところで、他の皆は普段通りの名で呼び合うことに決まった。まあ、源次郎は源さん、レイや倫周はレイちゃん、倫ちゃんなどといったあだ名呼びであれば、素性がバレることもないだろう。
「あの――、ひとつよろしいですか? 自分は花魁付きの下男の役割ですが、お客様の前などでは花魁のことを何とお呼びすればよろしいでしょう」
 そう訊いたのは春日野である。確かに確認必要事項といえる。
「そうだね、お客様の前では太夫と呼んでもらえばいいかね。男花魁だが遊女たちと同じで構わんだろう」
「承知しました。では座敷では太夫と呼ばせていただきます」
「ああ、頼むよ。まあね、座敷を離れれば堅苦しくする必要もないのでね。姉さん――ああ、男花魁だから兄さんか。そんな感じで構わんよ」
 主人がそんなことを言うので、春日野は、
「こちらは遊郭ですし、雅と粋を考慮して”姐さん”では如何でしょう」
 と訊いた。
「姐さんか。なかなかに粋ではないか。それで構わんよ」
 主人は呼び方ひとつにも気遣いとやる気が感じられると言って、たいそう喜んだ。
「では普段は姐さんと呼ばせていただきます」
 些細なことと思えるだろうが、春日野にしてみれば呼び名ひとつが案外重要なのだ。咄嗟の時に普段の癖で『姐さん!』と出てしまうことも鑑みての事前の対処というところであった。
「それじゃ皆! 明日からよろしく頼みますぞ」
 いよいよ男遊郭に花魁が誕生した初披露目の幕が上がろうとしていた。



◇    ◇    ◇



 その頃、周と鐘崎の方では血眼になって消えた皆の行方を追っていた。
 拉致現場と思われる場所の防犯カメラが使えないので、駐車場出入り口が写っていそうな周辺施設を片っ端から当たると共に、運転手に預けられた買い物袋から皆が立ち寄ったと思われるショップのすべてを回って聞き込みを続けた。
 その結果、紫月らのことを覚えていた店員は多数見つかったが、彼らが来店していた同じ時刻に怪しい客がいなかったかどうかを尋ねても、そう簡単には見つからなかった。
「そのお客様たちでしたらよく覚えています。すごく気前良くご購入くださって、それ以前に皆さんめちゃくちゃカッコ良かったので何をやってる人なんだろうねって店内でもちょっとした噂になっていたんです。ただその方たちは買い物中もずっと目立っていたので、他のお客様もその人たちのことをチラチラ見ている方も多くてですね……」



◆25
 彼らを尾行しているか、もしくは様子を窺っているような怪しい人物がいたかと訊かれても、ある意味全員が怪しい括りに入ってしまうと言って店員は苦笑している。店内にいたほぼすべての客が買い物そっちのけで紫月らの一団に気を取られていたようで、特に記憶に残る人物に心当たりはないとのことだった。
 仮に今回の拉致が周ファミリーか鐘崎組に対する怨恨または身代金などが目的で、誘き出す人質として皆が拐われたのであれば、とっくに何らかのコンタクトがあってもいいはずだ。だが、今のところそういった動きはまったくない。
「敵の目的は俺たちじゃねえってことか。とすると、やはりレイ・ヒイラギが目当ての線しか考えられねえが……」
 念の為、香港のレイの所属事務所にも連絡してみたが、特に変わったことはないという。身代金の要求はおろか、怪しいコンタクトなども来ていないそうだ。
「クソ……ッ! 目的はいったい何だってんだ」
 確かに敵の目的が分からなければ動きようがない。焦る周と鐘崎の元に海外に行っている父親の僚一から連絡が入ったのは、拉致から八時間余り後の次の日に日付けが変わろうとしていた時だった。僚一の背負っている任務は命の危険を伴うことも多く、いつもハードである。これでも早い方といえた。
『そっちの調べはどうだ。手は尽くしているんだな?』
「ああ……。紫月らが立ち寄った店や周辺に聞き込みをかけたが今のところ有力な手掛かりは上がってこねえ。情けねえが八方塞がりだ」
『俺の方でも少し調べてみたが、組に恨みを抱いていそうな連中の仕業ではなさそうだ。可能性のある組織や人物の動向をザッと当たってみたが、それらしい動きは見当たらなかった』
「親父の方でも手掛かりなしかよ……。正直どうしていいか見当もつかねえ」
 珍しくも弱音を吐く息子に僚一としても事の重大さが身に染みる様子である。
『まあそう焦るな。お前らが苛立って焦れていたんじゃ見つかるもんも見つからねえ。今回の拉致に関係しているかどうかの可能性としては薄いかも知れんが、ひとつ気になる噂がある。以前クラブ・ジュエラの君江に聞いた話だが、ここ数年でホステスが突然辞める事案が相次いでいるというものだ』
「ホステスが辞める……?」
『それもこぞって人気のホステスで、ナンバーワンを張っていたような女たちだそうだ。銀座のみならず六本木や赤坂、上野あたりでまで同様のことが起こっているらしい』
「……どういうことだ?」
『辞めていった女たちに共通しているのは、何の前触れもなくある日突然店を辞めたいと言って、引退イベントはおろか顧客への挨拶回りもなしで姿を消しちまうということだ。普通なら考えられねえ引退の仕方といえる。君江の店でもそうやって辞めていったホステスがいたそうだが、都内だけでも同様のことが数多く起きているというのが気になる。その後の女たちの行方はまったく掴めず、自分の店を持つでもなけりゃ他店に移るでもなく、この業界では見かけなくなっちまうという奇妙な話だ。そこから考えられるのは……』
 僚一は二十年以上前に持ち上がった巨大遊興施設の話を二人に話して聞かせた。源次郎にのみ伝えていた例の秘密裏の計画である。当時はまだ子供だったゆえ、息子といえどもその件については特に話題にしないままだったのだ。



◆26
『それは裏の三千世界と言われていてな。当時はまだ海のものとも山のものともつかねえ話だった。その後、施設が建設され始めたような噂も出回ったが、実際のところは誰にも分からなかった。俺のところにさえ情報が上がってこねえんだ。計画は立ち消えしたと思っていたんだが、最近になって公安や警視庁が極秘に動いているらしいことを耳にしてな。お前も知っている丹羽のところの修司坊あたりも噛んでいると聞いている』
「丹羽が……か? ヤツとは今日の昼間に会ったばかりだ。そういや近々デカい山がどうとか言ってたな……。だが、その遊興施設と紫月らが消えたことと何か関係があるってのか?」
『関係があるかどうかは分からん。ただ、その施設の主たるは花街という話だった。江戸吉原を蘇らせるとかで、賭場なども計画されていたとか。つまりいなくなったホステスたちはその施設に引っ張られた可能性もある。今回も突如姿を消しちまうという点が女たちがいなくなった状況と似通っている気がする。仮に男色専門の遊郭のようなものがあるとすれば、紫月らはそこで働かされる為に連れ去られた……かも知れないということだ。あくまで想像の域ではあるがな』
 それを聞いて周と鐘崎は一気に眉根を寄せた。
「冗談じゃねえ! 遊郭で働かされるだと?」
 受話器越しにも本気で憤っているのが分かりすぎるほど分かる。
『落ち着け、遼二! まだそうと決まったわけじゃねえ。単なる可能性に過ぎん。だが他に思い当たる節がねえとなると、調査する価値があるだろうということだ』
 僚一に宥められながらも鐘崎はすっかり頭に血が昇ってしまっていた。
「ふざけやがって……」
 まるで『紫月に指一本触れやがったらただじゃおかねえ!』という台詞が聞こえてきそうな勢いだ。
『頭を冷やせ! おい、遼二! 聞こえてるか!?』
「あ、ああ……すまねえ。分かった。すぐにその線で調べに掛かるが……その施設ってのはいったい何処にあるってんだ?」
『それについては俺の方でももう少し時間が必要だ。どんな組織が絡んでいるのかも調べねばならん。お前らは丹羽と連絡を取って紫月たちが拐われたことをヤツに打ち明けろ。もしかしたら丹羽の方では既にその施設について何らかの情報を持っているかも知れんからな』
「分かった。親父……すまねえな、その……さっきは冷静さを失っちまって。頭を切り替えて必ずヤツらを救出する……!」
『俺はその施設について少し調べたいことがあるんで台湾に寄るが、なるべく早く帰国する。二十年前に俺にその情報を流した奴が今は台湾で隠居生活を送っているんでな。何か動きがあればすぐに知らせろ』
 そこで通話は切ったものの、鐘崎は居ても立っても居られないといったふうで、何とか感情をコントロールせんと握りしめた拳を震わせている。
「気持ちは分かるが、冷静になれカネ。親父さんの話だと賭場もあるようなことを言っていたな。とすると……案外目的は冰という可能性もある。その場合、敵がディーラーとしての冰の腕前を知っているということになるが――」
 まだ紫月だけを男遊郭で働かせる為に連れ去ったと決まったわけじゃないと慰めの言葉を口にする。
「とにかくすぐに丹羽とやらに連絡を取るぞ。親父さんの言葉じゃねえが、俺らが焦れている場合じゃねえ」
「あ、ああ……そうだな。すまねえ氷川……」
 確かに感情優先で動けば冷静な判断を欠くことになり、思わぬミスを招きかねないだろう。どんな事態に陥っても常に第三者の目で事を捉えなければならないのは自分たちが身を置く世界の要である。鐘崎は不甲斐ない自身を戒めると共に、周や父親の僚一が側にいてくれる有り難さを噛み締めていた。
 そうして二人は裏の三千世界とやらに関する調査に乗り出すこととなったのだった。



◆27
 一方、紫月らの方ではいよいよ本格的な披露目に向けての幕が上がろうとしていた。
「まずは花魁道中だ。この遊郭街でも一番の大きさを誇る我が茶屋にとびきりの男花魁が誕生したということを広く知らせねばならん。皆、用意はいいな?」
 主人の男が意気揚々と張り切っている。
 男花魁に抜擢された紫月の美麗さは目を見張るもので、それに付き添う下男の春日野と禿役の冰も倫周の手によってより一層艶やかに変身を遂げ、いざ道中が始まると道行く人々の目を釘付けにしていった。
 最初の客は茶屋の主人の馴染みらしく、特に男色というわけではないらしいが、初披露目ということで祝儀がてら宴の席にだけ付き合ってくれるとのことだった。
 その客は外の世界においても花街での遊び方を熟知している粋な男のようで、この裏吉原でもかなりの太客らしい。普段は対面の方の茶屋で遊女の花魁を相手に粋と酒だけを楽しみに度々やって来るそうだ。
 なるほどスマートな遊び方で、色よりも琴や三味線、それに踊りといった芸の方に興味があるらしく、下品な話題なども口にしない。歌舞伎や寄席の知識も豊富で、着物もよく似合っているし、何より和服での所作が小慣れていて粋である。当然か、花魁との床を望むこともなく、歳の近い源次郎と寄席の小話やら千社札の由来などの話題で盛り上がり、多いに満足の様子だった。
 紫月らにとってはある意味著しく想像を裏切られたといった印象で、驚かされる披露目の席となったわけである。
 お開きの時間も程よいところでスッパリと綺麗に切り上げて、皆への心付けも忘れない。そうして初日が終わると、客は男衆に囲まれて飲むのもなかなかに楽しかったと言って満足そうに帰って行った。
「……なんか……思ってたのと全然違うっていうか……」
「本当に酒と会話だけを楽しんで帰られましたね」
 紫月と春日野が思わずそんなことを口ずさむ。その傍らでは客の背中を見送りながら主人がポツリとつぶやいた。
「昔はな、ああして粋を心得たお人が集う場所だった。いつの頃か変わってしまったんだな」
 その横顔は何かを懐かしむようでもあり、細められた視線が少し寂しそうに思えたのは錯覚か。馴染みを見送る主人の顔に初めて会った時の悪人の色は微塵もないように感じられる気がして、皆一様に何とも言いようのない不思議な思いにとらわれてしまったのは確かであった。
「今宵は初披露目だったからね。私の馴染みに無理を言って付き合ってもらったが、これからキミたちが相手にする客は皆が彼のように粋を心得ている者ばかりじゃない。どちらかと言えば真逆の客の方が多かろうよ。苦労はもちろんのこと、嫌な思いのひとつやふたつもあるかも知れんが……その分報酬は弾むつもりだ。頑張ってくれることを期待しているよ」
 主人はそう言い残すと、今宵はご苦労だったと言って部屋を下がって行った。



◆28
「いったいどうなってるんだかな……。あのオッサン……最初の時と随分イメージ違くねえか?」
「そうですね……」
 思うことは皆一緒のようだ。狐につままれたような顔で互いを見合わせるだけの皆を横目に、源次郎とレイが大人の見解を口にした。
「先程のお客さんはここのご主人の馴染みと言っていましたが……どう見ても悪い類のお人には見えませんでしたな。豊富な知識と花街での遊び方をよく心得ていらっしゃった。着物の着こなしや所作からして呉服屋か……あるいは普段から芸妓などを相手にする簪か扇子などを扱っている店のご主人といったところでしょうか。そんな印象を受けましたね」
「ああ。随分と粋な御仁だったのは確かだ。それにこの茶屋の主人だが……なんとなくこの商売に誇りを持っているようにも感じられた。最初に会った時は腹黒い悪党にも思えたがな。どちらが本当の姿なのか、まだはっきりとは分からねえが……もしかしたらこの裏吉原って所は俺たちの想像もつかねえ現実を抱えているのかも知れねえな」
 溜め息をつくレイを不思議そうに見やりながら息子の倫周が首を傾げてみせる。
「想像のつかない現実って?」
「それが何かは俺にも分からん。まだここへ来てほんの数日だ。あのオヤジが善人か悪党かは別として、ひとつ言えるのはこの商売に誇りを持っているのは嘘じゃねえんじゃねえかと思えることだ」
「誇り?」
「俺たちを一目見て仕事を割り振った時の的確な目利きといい、衣装合わせの時の張り切りようといい、金を稼ぐだけの目的でやっているようには思えねえ芯のようなものを感じる。それとは裏腹に、危ねえ用心棒風情の浪人を従えていたりと、どうにもチグハグに思えて仕方ねえ」
 確かにここで働くことを断ったら命はないぞとばかりに脅されたのも事実である。
「何か事情があるのかも知れんが、とにかくもうしばらくは様子を見るしかねえだろうな。あのオヤジも言っていたが、今後俺たちが相手にする客はタチの悪い輩も増えてきそうだ。それこそ男娼を抱く事が目当ての客も来るだろう。最初の予定通り、冰の博打でなるべく花魁には近付けねえようにして全員一丸となって紫月を守ることに専念しよう」
「それしかありませんな。あとは博打で負けた客が暴れ出すことも想定して、春日野君と私で警護の方も手厚くする必要がありますな」
 それと同時に少しずつこの世界の成り立ちや事情についても探る必要があるだろう。周と鐘崎へのコンタクトの機会を窺うことも忘れてはならない。皆は改めて明日からの行動に気構えを新たにするのだった。



◆29
 その後、美麗な男花魁が誕生したとの噂が噂を呼び、紫月らのいる茶屋は連日客が増え続けて、あっという間に大盛況と化していった。
 さすがに花魁を相手にするにはそれ相当の金も必要となるので、全部が全部花魁目当ての客ばかりではなかったが、それでも一目噂の彼を見ようと興味本位の客も含めて押し寄せる客が後を立たない。それと同時に他の男娼が指名される率もおのずと増えていった。
 冰はさすがの腕前で次々に賭場での成果を上げ、花魁との床を賭けた客たちから紫月を守る盾として稼ぎを伸ばし続けた。倫周によって凄みのある男前に変身させられた姿は、元々の可愛らしさを充分に裏切る艶男といえた。それはそれで興味を呼び、花魁に手が届かないならば彼と寝たいと言い出す客も出てくる始末である。だが、店の主人は決して安売りすることなく、賭場と酒の席だけで鰻登りの稼ぎを叩き出していったのである。
 結果的に紫月は貞操を守られる形となり、馬の鼻先にぶら下げられているだけの人参の如くいつまで経っても餌にありつけない客たちの心を煽っては、賭場で賭けられる金額もどんどん膨れ上がる。ある種の異常事態となっていった。
 そんな状況が続けば、当然不満の声も上がってくるのは必至だ。
 男花魁は確かに高嶺の花だが、どうあっても床を共にできないとなれば、それはそれで不味い事態を招かざるを得ない。ここいらで賭場を破って花魁を勝ち取る客を出さなければ暴動が起きかねないことを懸念して、主人からの要望が出されたのは、紫月らがここへ連れて来られて数日が経ったある夜のことだった。
「キミらが来てからうちの茶屋は目覚ましい業績を上げている。正直なところ予想以上で有り難いことこの上ないんだがね。そろそろ花魁をモノにした客が出たという事実も必要なんだ。売上的には文句のつけようがないキミたちにこんなことを頼めた義理ではないが、今宵のお客様には賭場での勝ちを譲ってやっちゃくれないだろうか」
 主人はすまなさそうにしながらも頭を下げてそう言った。
「せめてもと思い、今宵のお客様は常識のあるお人をお通しするつもりだ。これまでにも何度かうちの遊女のところに通ってくれている御仁でね、遊び方も心得ていらっしゃるなかなかの男前だ。彼が男色かどうかは分からんのだが、噂を聞きつけて今宵はこの男遊郭の方をご所望なんだ。私の立場を分かってもらえんだろうか」
 主人の言うには、仮にその客のと寝るようなことになっても、そうそう失礼な扱いはしないだろう人物を選んだとのことだった。
 正直なところ紫月に客を取らせるのは以ての外だが、常識がある人物というなら、ひょっとして外の世界との連絡役を頼める可能性も高い。当の紫月がそれでいいと言うので、皆もひとまずは主人の頼みを受け入れることで合意した。



◆30
 その夜、茶屋の主人が連れて来たのは約束通りに常識のある人物のようだった。まずは酒と料理を楽しむ宴から所望とのことで、紫月らは部屋で待機させられていた。本来であれば客を迎えに行く花魁道中も、今宵は客の方で必要ないと断ったという。
「どうやらおいでになったようですな」
 廊下からは主人が客を案内する会話が聞こえてきたが、その受け答えからしても品がある常識人のように感じられた。
 先に座敷に入って来たのは主人である。しばし廊下に客を待たせたままで彼は紫月らに念押ししにやって来たのだ。
「くどいようですが、くれぐれも言った通りに頼みますぞ。今宵の博打はお客様に勝ちを譲ってやってください」
 それだけ言い残すと、客と入れ替えに座敷を下がっていった。
「ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」
 下男役の春日野が丁重に出迎えて客を招き入れる。その姿を見た源次郎と紫月、そして冰は驚きに瞳を見開かされる羽目となった。
「……! あんた……確か……」
「なんと……これは!」
 紫月と源次郎が驚きの声を重ねると同時に、男の方はニヤっと不敵に口角を上げてみせた。そう、それは警視庁捜査一課課長の丹羽修司だったからである。
「……に、丹羽君……どうしてキミがここへ?」
 源次郎にとっては彼が幼い頃からよくよく見知っているので、呼び方からして”君付け”なわけだ。
「やはりお前さん方だったか。近頃ここの男遊郭に見目麗しい花魁が誕生したともっぱらの噂を聞きつけてな。もしやと思って来てみたんだが――」
 驚かされたのは丹羽がここにいるという事実だけではなかった。
「実はな、俺たちは前々からこの裏吉原を探っていたんだ」
「探っていたですと? やはりここには何かキミら警察に探られるような事情があるのですな?」
「まあな。それについては後で詳しく話すとして――俺は任務の為にここの客となり、度々通い詰めてようやく常連と覚えられるようになったんだ。そこへ持ってきて鐘崎の倅と周焔からお前さん方が突然姿を消しちまったと相談を受けてな。ヤツらも親父さんの僚一からここの存在を知ったようで、俺に協力を要請するよう言われたらしい」
「そうだったんですか。ではうちの若と周さんは我々がここに拐われたんじゃないかというおおよその見当をつけてくださっているということですか」
「それを確かめる為にひとまず常連の俺が様子見にやって来たというわけだ。ここは一見が入れるような場所じゃねえし、如何にヤツらでも紹介なしには手が出せねえ。男花魁が誕生したという噂とお前らがいなくなった時期が重なっていたんでな。可能性は五分五分だったが」
 事情はともあれ、この丹羽と会遇できたことは喜ばしい。
「実は我々も今宵は是が非でも花魁にお客様の床のお相手をするようにといわれて、どうしたものかと思っていたところなのですよ」
 源次郎の説明に丹羽はなるほどとうなずいてみせた。



◆31
 その丹羽の話によると、この巨大遊興施設の構想は今から二十年ほど前に持ち上がったということだった。ちょうど僚一がそんな噂を聞きつけたのとほぼ同じ時期といえる。
「ではやはりあの話は本当だったのですな」
 源次郎が納得している。
「源次郎殿はやはりご存じだったか。実際には江戸吉原を再建するという計画はもっと前からあったようです。それが実現化に向けて動き出したのがおおよそ二十年前で、当初はもっとまともな計画だったんだが……」
「まともと申しますと?」
「表の世界にも色を売るばかりじゃなく厳しい鍛錬を積んだ芸事で宴の席を彩る芸妓たちがいる。当初はそういった伝統ある花街をそのままこの地下の巨大空間に移設する予定で、計画に携わっていたのは江戸時代にあった実際の吉原で茶屋を営んでいた者の子孫たちだったそうだ。当時の吉原をそっくり再現するわけじゃなく、色よりも芸事に重きをおいた拡張高い花街を作ることが彼らにとっての永年の夢だったとか」
 これには国からも許可が下りていて、いわば真っ当な花街になるはずだったそうだ。現在の高級クラブや京都の置屋などと同じような感覚だが、ここでは江戸吉原の再来というだけあって、施設に入る者は必ず和服姿でなければならないという決め事があったらしい。また、猫も杓子も歓迎されるわけではなく、ここで遊ぶ者たちは相応の常識と社会的立場のある富裕層が事前の審査で選ばれるシステムになっていたそうだ。つまり会員制の超高級クラブという認識である。
 新しく会員になるには必ず既存の会員からの紹介状が必要で、酒も芸事も粋を心得て楽しめる節度ある大人だけが歓迎されるという条件だったそうだ。先日、茶屋の主人がボソリとこぼした言葉の意味はそういうことだったのかと納得させられる。
「まあこれだけの巨大施設だ。ほとんど街といってもいいくらいだからな。当然我々警察組織も常駐する計画だったわけだが……」
 江戸の頃にも吉原には今でいうところの警察組織が置かれていて、当時は番所と呼ばれていた。
「合法的に認められた花街のはずが、その体制に変化が起こったのは今から五年ほど前だった。この街に目をつけたある組織が介入するようになってな。乗っ取られる迄はあっという間だった。番所役の警察官も手が出せずに追い出され、一年も経たない内に無法地帯と化した。当初からいた芸妓はほとんど拘束状態で、脅されて無理矢理客を取らされる始末だ。それどころか銀座や六本木、赤坂界隈からは人気のホステスが次々と姿を消していった。おそらくは上手い口車に乗せられて、ここへ拐われて来たんじゃねえかと我々は踏んでいる」
 事態を重く見た警視庁と公安から数人が選ばれて秘密裏に調査に動き出すこととなったのはつい一年前のことだったそうだ。丹羽もその内の一人で、客としてこの吉原に潜入し、乗っ取りを図った組織について調べを進めている最中とのことだった。



◆32
「して、ここを乗っ取った組織とやらには見当がついたのですかな?」
「ああ。どうやらここを乗っ取ろうとしている輩ってのは、その昔岡場所を仕切っていた者たちの子孫らしいことまでが分かってきた」
「岡場所ですか……」
「源次郎殿はご存じだろうが、当時岡場所を仕切っていた連中の中には高嶺の花の吉原を快く思わない風潮も多かったのではという逸話が残っている。吉原で茶屋を営んでいた子孫たちがこの施設を作る構想を抱いていたように、岡場所の子孫たちもまた一丸となって現代の遊郭を仕切る目論みを描いていたということだろう」
「そうだったんですか……ではここの元々の経営者たちはどうされたので? 既に追い出されてしまったということですか?」
 それについては一概にそうとは言い切れないところがまた厄介なのだと丹羽は苦笑した。
「追い出されて完全に乗っ取られたというなら潰しに掛かるのはまだ容易だ。それこそ武力でカタがつくからな」
 だが、彼らは元々の経営者たちを追い出すわけではなく、商売はやらせたままで上納金だけを吸い上げるという汚い手口でこの街に居座ってしまったというのだ。
「そこがヤツらの賢いところでな。茶屋そのものを乗っ取ることはせず、経営はこれまで通りにやらせて莫大な所場代だけを巻き上げていくって寸法だ。逆らえば武力で制圧される。ヤツらは腕の達つゴロツキだけでなく、傭兵の訓練を受けたようなテロリストまでを抱え込みやがった」
 つまり、既存の茶屋の主人たちは逆らいたくとも儘ならないままに、必死で金を作らされているといった現状らしい。
「テロリストですか……。それで公安までが動いているというわけですな?」
「ああ。岡場所の子孫たちはともかくとして、ここに出入りしている輩の中には国際的に名が上がっているテロリストも確認できている。武力行使はお手のものというわけだ。茶屋の稼ぎが悪ければその店で働く遊女たちにも残酷な仕打ちが待っている。もはや花街の粋など関係なく、ただの女郎として使いものにならなくなるまで客を取らされる。茶屋の主人は遊女たちをそんな目に遭わせない為にも必死になって上納金を稼ぎ出さねばならないというわけだ」
 故に不本意ながらも少々強引なやり方で稼ぎ手となる遊女の数を増やしていったそうだ。外界に出て銀座や六本木で著名なホステスたちを勧誘したのもそれが理由らしい。



◆33
「ホステスたちを勧誘……ですか。ではやはり我々もそうした目的で目をつけられてしまったわけですな」
「そのようだ。既に女たちだけでは稼ぎも詰んでいる。それ故、新たに男色を好む客をターゲットに男遊郭にも手を出さざるを得なかったということだろう。客探しももちろんだが、働き手も当然必要だ。茶屋の者たちは度々外界に出てはスカウトに血眼になっていたようだからな」
「……もしかして丹羽君はここのご主人とも昔からの馴染みですかな?」
 ここの主人は確かに強引なところもあるが、花街の仕事に誇りを持っているように感じられたのもまた事実である。もしかしたら元々は天職として生き甲斐を持って経営していた店を守る為に、悪どいことに手を染めざるを得ないでいるのかも知れないと源次郎は思った。
 丹羽もまた、ある意味ではその通りだと言ってうなずいた。
「ここの親父は江戸の時代に吉原全体の茶屋をまとめていた者の子孫だそうだ」
「なるほど……! ということはもしかして三浦屋四郎左衛門の……」
 三浦屋の四郎左衛門とは当時の吉原を仕切っていたとされる人物のことで、出入り口の大門の側に会所という施設を置いていたまとめ役のことである。
「その通りだ。さすがは源次郎殿だな。主人の伊三郎氏は実際に会所を切り盛りしていた四郎兵衛の子孫らしいが、この街を作る時にも要となって計画を進めた人物で、相当の私財も投げ打って一世一代の夢を追っていたらしい。まあ伊三郎ってのは本名で、茶屋の者たちは江戸の頃に倣って未だに彼のことを四郎兵衛のお父さんと呼んでいるらしいがな」
 やはりか。初披露目の時もそうだったが、花魁をモノにするという名目である今宵も丹羽のような常識のある人物を花魁相手の客として選んだことからしても、ここの主人はこの商売に誇りを失っていないと思われる。
「あのオッサン、伊三郎っていうのか。そういやまだ名前を聞いてなかったよな」
 紫月がそう言えば、冰も倫周も全くだとうなずいた。
「花魁道中をした時にお店の入り口の看板に三浦屋って出てたので、ああそういう屋号なんだーって思ってましたけど、そういえばご主人のお名前は知らなかったですよね」
「うん、お父さんって呼べって言われただけだったもんねー。すっかりそのイメージで覚えちゃってて本名とか気にならないままだった」
 何とも脳天気なことだが、とにかくはここの主人のまずまともといえる扱いのお陰でか、拐われてきた皆が無事であったことが何よりだと丹羽は苦笑していた。
「それで、ご主人の伊三郎さん、いや四郎兵衛さんとお呼びした方が良いのですかな。彼は丹羽君の素性もご存じなのか?」
 つまり警察が動いているという事実を知っているのかという意味だ。源次郎が訊いたが、それについてはまだ明かしてはいないらしい。



◆34
「いや、まだだ。ここのオヤジも俺のことは単なる客としか思っていねえだろう。遊女の方の遊郭にはかなり足を運んだからな。やっと最近になって常連と認識してもらえるまでに漕ぎ着けたという塩梅だが……何とか力になってやりたいと思っている。真っ当な商売をしようとギリギリまで頑張っていたようだからな」
 だが上納金の催促は増えるばかりで、いよいよ理想を言っていられる状況ではないところまで追い込まれてしまったということか。
「とにかく、ここの親父たちのような元々からいた者たちの為にもまずは乗っ取りを図った組織を潰すしかねえ。だが相手は無法者の集まりだ。正攻法では手に負えんことは我々警察も承知している」
 丹羽曰く、それ故に近々鐘崎組と周への助力を願おうと思っていたところだったのだそうだ。
「先日、ちょうどお前さん方が拐われた日に俺は鐘崎らと昼メシを共にしただろう? その時にチラっと助力の話はしていたんだが――危険が伴うのも事実だ。詳しい話はもう少し下準備を整えてからと思っていたが、まさかこんな形でお前さん方が当事者になっちまうとはな……」
 とんだ偶然もあったものだと丹羽は苦笑してみせた。
「だがまあ、こうなっちまった以上は仕方がねえ。お前らがこの茶屋に連れて来られたのは不幸中の幸いと言える。仮に他所のもっと扱いが酷い店だったら今頃はこんな悠長にしていられなかったろうからな」
 ここは街の中でも入り口の大門に比較的近い位置にあり、高級な茶屋が立ち並ぶ一画だそうだ。奥へ行くほど茶屋の質も落ち、乗っ取り班たちがアジトにしている区域では殆どスラムと化しているようだと丹羽は言った。やはりここの主人はまだ誇りを捨てていなかったということだろう。
「予定より少し早いが、すぐに鐘崎と周に応援を要請するとしよう」
 ただ、ここへの出入りは厳しくチェックされる為、丹羽の紹介状付きの客か、あるいは下男や用心棒のような働き手として二人を迎え入れる形を取るしかないという。
「なるべく迅速にやるつもりだが、もうしばらくの間は何とか踏みこたえてくれ。俺も男花魁が気に入ったということで、ちょくちょく顔を出すようにする」
 丹羽にも都合があるのだろうが、こうなった以上は如何に危険が伴おうとも一刻も早く鐘崎と周に合流してもらうのが得策といえる。いっそのこと、ここの主人にこちら側の正体を明かして、店ぐるみで協力してもらった方がいいのではと源次郎は思った。
「そうしたいのは山々だが、万が一にもそれが他所に漏れねえとも限らん。主人の伊三郎氏や番頭くらいまでは信用できるとしても、ここに勤める者たちの中に敵のスパイが潜り込んでいないとも言えねえからな。敵を出し抜くには見方からというのもある」
 なるほど、一理あるか。今しばらくは秘密裏に動くしかなさそうである。だがまあ、とにかくはこれで外との連絡も付きそうだし、ひとまずは安泰と思えた。丹羽はこの遊郭で紫月らがどういった役割をさせられているのかを詳しく聞くと、表向きは賭場を破って花魁をモノにできた初の客という形にして座敷を後にしたのだった。



◆35
 次の日からは男花魁と一夜を過ごした客が出たというので、男色の客がこれまで以上に押し寄せる大盛況となった。紫月らにとっては喜ばしいことではないが、茶屋にしてみれば大歓迎である。花魁には手が届かない客も他の男娼を指名して、ここの茶屋だけではまかないきれないほどとなっていった。周辺の茶屋もそれに引きずられて続々と客足が増え、連日満員御礼で追い返される者たちが出るほどだ。この地下の遊郭街始まって以来の大騒ぎとなり、所々で店に入れない客同士の諍いまで勃発する始末である。まさに火事と喧嘩は江戸の花の如く、街には活気があふれていった。
 そうなってくると、賭場師の冰の方も大忙しである。当然、紫月の貞操を守る為に勝ちを譲るわけにもいかない。腕は確かな冰であるから負けるという危惧はなかったものの、何度挑もうにも破れない賭場の噂で持ちきりになり、それが裏目に出て、ここを乗っ取った者たちの耳に届いてしまうという新たな窮地に陥ってしまったのだ。
 それはある夜のことだった。いつものように花魁道中に出掛けようとしていた紫月らの座敷に著しくガラの悪い男たちが数人で押し寄せて来ることとなったのだ。誰もが着流し姿で、短刀どころか長い真剣を携えて、土足のままで最上階まで登って来るという異常事態である。彼らの後ろからは血相を変えた主人が番頭を引き連れて、必死で止めにかかる叫び声が館内に響いた。
「お待ちください! 今宵は既に御予約のお客様で埋まっております故!」
「うるせえ! つべこべ抜かしやがるとてめえもこの場で叩き斬るぞ!」
 無法者たちは明らかに乗っ取りを図った組織の者であろう。座敷の襖を我が物顔で乱暴に蹴破ると、賭場で待っていた冰に向かって突如長い刃を突き付けてよこした。
 当然黙って見ている源次郎ではない。春日野と二人で即座に冰を守るべく彼の前へと歩み出た。
「何をなされる! いきなり失礼ではありませんか!」
 源次郎は精鋭だが、見た目は初老である。舐めてかかった男たちが「うるせえ! ジジイはすっこんでろ!」と、彼の頬に平手打ちを食らわした。
「用があるのはこの壺振りにだけだ! 関係ねえヤツらは口出すんじゃねえ!」
「さもねえと全員まとめてぶった斬るぞ!」
 下品な怒号で威嚇する。茶屋の主人と番頭などは真っ青な顔をして彼らの後方で縮こまってしまっていた。
「おい、壺振り! てめえ、随分と腕がいいって話じゃねえか。こんなところで花魁の為だけに壺振りさせとくんじゃ勿体ねえ。今日からは俺たちが本物の賭場で使ってやらぁな!」
 冰の腕を掴んで連れて行こうとしたその時だった。
「やめなんし!」
 座敷の一等奥に座っていた紫月のハスキーボイスが欄間を抜けて天井にまでこだました。



◆36
 雅な着物の裾をビシッと叩きながらゆっくりと立ち上がる。その姿に無法者たちは一瞬ピタリと動きをとめたが、次の瞬間には誰からともなく嘲笑が沸き起こり、ゲラゲラと品のない罵声で溢れ出した。
「何だぁ、てめえ」
「聞いたか? やめなんしときたもんだ!」
「付け焼き刃の男娼風情が聞いて呆れらぁな! 一丁前に花魁気取りしてやがる!」
「てめえなんぞに用はねえんだよ! すっこんでやがれ!」
「てめえはおとなしく物好きな野郎共にケツだけくれてりゃいいんだ!」
 言いたい放題である。さすがに主人の伊三郎と番頭もワナワナと拳を震わせたものの、だが逆らう勇気などとうにない。彼らと向き合った位置にいた源次郎らには、黙って唇を噛み締める主人らの悔しい心の内が手に取るようであった。
 だが、当の紫月は悔しがるわけでもなく、また怒るでもなく、落ち着き払った口調で一歩一歩敵方へと近付きながら先を続けた。
「兄さん方、ここは遊郭でありんすよ。品のない言い草はやめなんし。それにその子は壺振り以前にわちきの禿でありんす。勝手に連れ出されては困りますね」
 優雅に扇を仰ぎながら微笑む。そのままゆっくりと冰の肩越しに立つと、扇を閉じて彼を掴んでいた男たちの腕をピシャリと叩いてみせた。
「……! こんの淫売のオトコオンナが!」
「調子こきやがって!」
「しゃらくせえ! 付け焼き刃のド素人が花魁気取りしてんじゃねえ!」
 憤った男たちが腰に携えた真剣を抜こうとした時だ。それより先に紫月らの一等側にいた男の着物の袖がハラリと切れて肌があらわになった。

 一瞬、何が起こったのかというように座敷内に静寂が立ち込める。

 誰もが我に返った時には紫月の手が男らの内の一人の腰元にあった剣の柄に添えられていた。
「て、てめえ……ッ、何しやがった……」
 何と紫月は男の持つ鞘から剣を抜き取って袖を切り付けると同時に、再びその剣を鞘へと戻してみせたのだ。つまり居合い抜きの技である。
 剣を抜き取られた者はおろか、周りにいた誰一人としてその技の動きを目視できないほどの早技、いや神業といえた。
 それまで粋がって怒鳴り散らしていた男たちが、一瞬で青ざめた瞬間でもあった。
「物分かりの悪ィヤツらだな。こいつぁ俺の禿だ。手ぇ出すんじゃねえ」
 今までの花魁言葉を一転、低くドスのきいた声音と鋭い眼光で直視する別人のようなオーラに押されてか、その一挙手一投足が無法者たちを更に震え上がらせた。
「て、てめえ……何モンだ……」
 もはや『よくもやりやがったな』のひと言さえ発せられずに、腰が抜けたようにして脚を震わせている。それも当然であろう、その気になれば袖どころか腕の一本を平気で持っていかれていたかも知れない腕前は火を見るより明らかだ。
 このままでは敵わないと悟ったのだろう、一番後ろで見ていた男がうわずる声をもつれさせながら、
「ず、ずらかるぞ……!」
 短くそれだけ言い残すと、それを合図に男たちは転げるようにしながら一目散に座敷を後にしていった。
 残された主人と番頭は、既にヘナヘナと畳の上に崩れ落ちたまま、呆然としたように瞬きさえ儘ならずといったふうである。男たちから解放された冰もまた同様に、賭場用の毛線の上にペタンと糸の切れた人形のように座った姿勢で硬直してしまっていた。
「もう大丈夫だ。怖かったな」
 紫月が冰の肩を抱いてさすりながら落ち着かせんと声を掛ける。
「あ……りがとうござい……ます。だ、だだ大丈夫……です」
 しどろもどろながらも安心したのか、冰が差し出された紫月の腕の中に縋るようにして抱きついた。



◆37
 その後、ようやくと正気を取り戻した主人が、蚊の鳴くような声で詫びを口にした。
「す、すまなかったね……。だが紅椿……お前さん、すごい技をお持ちだ……」
 あまりにも驚いたせいでか、未だ瞬きもできずといったように大きく見開かれた瞳で呆然状態でいる。幼い頃から紫月をずっと見てきてその腕前を知っている源次郎以外は、組員の春日野でさえも初めて見る姐さんの技使いに絶句状態である。むろんのこと他の皆も同様であった。
「あの者たちはいったい何です? お客様ではないようだが」
 源次郎が主人の側へ寄って抱き起こしながら問う。さすがに肝が冷えたのか、主人は臓腑を抜かれたような面持ちでポツリポツリと事情を話し始めた。
「実は……私共はあの者たちに店を……いや、この吉原の街全体を乗っ取られ掛けておるのです」
 主人の口からは先日丹羽から聞いたそのままの話が語られた。
「私共は江戸吉原の時代から茶屋を営んでいた者の子孫なのです。移り変わる渡世の中で、いつかはあの頃のような花街を再建しようと代々に渡って資金を貯め、受け継がれた夢を実現する為に努力を重ねて参りましたが……」
 その夢がようやく叶ったと思った矢先、先程の無法者たちに街ごと占拠されてしまったというのだ。
「あの者たちは吉原とは相反する岡場所を仕切っていた組織の子孫でしてな。当時から我々吉原に対抗心を燃やしておった者たちです。現代になった今、恐ろしいテロリスト集団を味方につけてここへ乗り込んできたのです」
 暴力によって脅された吉原の者たちは、やむを得ず従うしか身を守る術がなかったのだという。すべて丹羽から聞き及んだ通りであった。
「お前さん方にも本当に申し訳ないことをしたと思っております。だが、もはや遊女たちだけでは上納金を納め切れなくなり、新たに男色の遊郭を作ることで何とか稼ぎを増やそうということになりました。見も知らぬあなた方を誘拐してきて、強制的に働かせるなど……この私とてやっていることはあやつらと変わりありません。ですがこうするしか方法が思い付かなかったのです」
 主人は土下座の勢いで紫月らの前で謝罪を繰り返した。
「そうでしたか。そのような理由がお有りとは」
 主人と年の近い源次郎がこれまでの交渉役のレイに代わって聞き手を引き受ける。その方が主人も話しやすかろうとの配慮からだ。
「ご事情は分かりました。して、ここはいったい何処なのです? 見たところ地下であるのは明らかでしょうが」
 丹羽が出入りしていたところからして、都内からそう離れてはいないのだろうが、そういえば丹羽本人にもここが地理的に何処であるのかを聞き忘れていたことを思い出したのだ。
 主人からの答えは皆を驚かせるようなものだった。



◆38
「ここは東京湾の真下でございます。あなた方を拐った銀座から程近い埋立地に工事を装った地下道への入り口がございます。そこは工事関係者しか入れないような造りになっておりまして、周囲には建築中の高い囲いがあり、外から見れば長い間放置されたままの建築現場としか映りません。一般の方はおおよそ滅多に近寄ることのない場所でございます」
「東京湾の……。そうでしたか」
 ということは、ほぼ真上に鐘崎や周がいることになる。助力を要請するに当たっては好都合と言えた。
「それよりも……紅椿、私はお前さんが心配です。さっきのヤツらが仕返しにやって来るのは間違いない! あやつらは受けた仕打ちを絶対に忘れない無法者の集まりです。きっと誰よりもお前さんをターゲットにしてくることでしょう……」
 そうなっても自分たちには紅椿を守ってやることができないだろうと言って主人は涙した。
「如何にお前さんの腕が達つといっても、相手は先程の者たちよりももっと危ない連中を束にしてここへよこすに違いない……。お前さん方に何かあったらと思うと悔やんでも悔やみ切れません!」
 主人は意を決したように立ち上がると、すぐにここから逃げてくれと言い出した。
「紅椿! 出入り口までご案内致します! あの者たちが戻って来る前に皆さんは一刻も早くここを出てください!」
 だが、紫月はニッと不敵に笑うと、とんでもないと言って主人らを驚かせた。
「それじゃあんたらが困るだろうよ。ヤツらが戻って来たらそれこそ有無を言わさず殺されちまうかも知れねえぜ?」
「致し方ありません! 何の関係もないあなた方を巻き込むわけには参りません!」
 やはりこの主人はただの悪党ではなかったようだ。
「心配には及ばねえ。俺らだって事情を聞いちまった以上、あんたらを見捨てて逃げるわけにはいかねえさ。乗り掛かった船だ、どうせならヤツらからこの街を取り戻してやろうじゃねえの」
 紫月の言葉に皆一様だと言ってうなずいた。
「紅椿……皆さん……お気持ちは有り難いが……だが本当に危険なのです。生きてここを出られる保障はない……! 短い間でしたが茶屋が遊女や男娼を抱えた時点で私はこれでもお前さん方の親であると思っています。親が我が子を見捨てるわけには参りません!」
 主人の言葉からは茶屋を営む者としての誇りと覚悟が感じられた。
「大丈夫だ。俺らを舐めてもらっちゃ困る」
「ですが……」
「あんたが俺らの親なら尚更だ。親を見捨てて逃げるなんざ、そいつぁ子のすることじゃねえ」
「紅椿……お前さん……しかし……」
 頑なに首を縦に振らない主人に、紫月はこれからの対策を話して聞かせることにした。



◆39
「親父っさん、先ずは地上にいる俺たちの仲間をどうにか理由をつけてここへ呼んじゃもらえねえか? 体裁は下男としてでも客としてでもいい。あんたが雇い入れたことにでもして、すぐに仲間に連絡を取りたい。さっきのヤツらと戦を構えるってんなら、確かにここにいる俺らだけじゃ手に負えねえだろうが、仲間が来れば勝算はある。それこそ事は一刻を争う。俺らを信じて手を貸しちゃくれねえか?」
「紅椿……お前さん方はいったい……」
 驚く主人に、『なぁに、単なる物好きの集まりさ』と言って紫月は笑った。その後ろで同じようにうなずく倫周や冰ら皆も意思のある心強い笑顔を見せている。
「俺たちは仁義には厚い野郎の集まりなんでな」
「お任せください」
 レイも春日野も不敵に微笑んだ。

 そうして主人を説き伏せ、地上の鐘崎らに応援を要請するべく、番頭の男と共に倫周が伝達役の状使いとして出発することとなった。もしもその間に果たし打ちに遭った場合を考慮して、腕の達つ源次郎や春日野は残った方がいいとの思いからだ。
「倫、くれぐれも抜かるなよ!」
 父親のレイにハッパを掛けられて倫周がすぐに大門へと向かって行った。

 一方、逃げ帰った無法者たちのアジトでも今後の対策に頭を悩まされていたようだ。
「兄貴、ありゃあただの男娼なんかじゃありませんぜ! とんでもなく腕が達ちやがる……」
 袖を切られた男が未だ腰の抜けたような状態で半狂乱で訴える。
 その切り口を目にした頭らしき男が、なるほどと腕組みしながら口をへの字に曲げて唸っていた。
「確かにな……。切り口からして素人じゃなさそうだ。その花魁ってのは、てめえの鞘から刀を抜き取って袖を落としたってか」
「そ、そうです!」
「ふむ、こいつぁ居合いだな。それも相当な腕の持ち主だ。普通に布だけを切るのも難儀だが、腕には傷ひとつ付いてねえ。人間が着ている状態の着物をこうまで見事に切り落としたとなると……」
 頭の男はその切り口をまじまじと見つめながら、苦々しく眉を吊り上げた。
「あそこの茶屋のオヤジは三浦伊三郎とかいったな。ヤツは江戸吉原を仕切っていた会所の末裔だ。当時の四郎兵衛を継承したとか上手いことを抜かしやがって、周りの茶屋の総代気取りでいやがる。あの野郎、まさか俺たちから吉原を取り戻す為に剣客集団でも雇い入れやがったか……」
「剣客集団ですと?」
「その花魁ってのも実のところは用心棒のようなモンで、本当は男娼でも何でもねえんじゃねえか? それを証拠に花魁をモノにした客はこれまでにたった一人というじゃねえか。それだって実際は上手いこと細工されたガセの可能性もある」
「じゃ、じゃあ……あの壺振りも偽物ってことですかい?」
「かも知れねえ。表向きは花魁だ壺振りだと騒いじゃいるが、ヤツらの本当の正体は俺たちを潰す為の剣客って可能性もある」
「ですが兄貴、あの店からの上納金がここ数日でめっきり増えてるのも事実ですぜ」
 花魁と壺振りが偽物だとすれば、それだけの稼ぎをどこから捻出しているのかは気になるところだ。



◆40
「クソッ! 三浦屋の狸オヤジめが! ヤツは昔から粋だの雅だのと綺麗事ばかり並べやがるいけすかねえ野郎だったが……」
 焦れる頭を横目に、参謀らしき男が宥めるように口を挟んだ。
「とにかく少し様子を見るしかねえでしょうな。三浦のじいさんがどこから金を捻り出しているかというのもですが、あの花魁と壺振りが実際にはどんな働きをしているのかなど探る必要があります。本当に客を取っているのかどうかも怪しいもんです」
「ンなこたぁ分かってらぁ! だがどうやってそれを確かめるってんだ! 茶屋は連日超満員でやたらと近付けねえって話じゃねえか」
 それまでチビリチビリとやっていた熱燗の盃を勢いよく掘り投げては、寂れた襖にまたひとつ新たな穴を増やす。どうにか威厳を保とうと平静を装ってはいたものの、さすがに限界の様子だ。
「まあ頭、聞いてくだせえ。幸い俺はヤツらにツラが割れちゃいねえですし、明日にでも客を装って実際にこの目で確かめてきますぜ」
「……てめえが直々にか? 客を装うってんなら、てめえ一人で行くことになるぜ?」
 仮に反撃に遭ったとしても、応援の手下がいない孤立状態になりかねない。
「そこいらは上手くやってみせますぜ。まあ、花魁を買うわけですから? ちょいと経費も嵩むってもんですが、そんなモン後から取り返せばいい」
「ふん! それしか手はねえか。くれぐれも抜かるんじゃねえぞ!」
 頭の男は不本意ながらも『チッ!』と舌打ちと共に参謀の目の前へと札束を放り投げた。
「そいつは見せ金だ。必ず取り戻して来いよ」
 無法者たちはすぐに果たし合いには出ずに、先ずは男遊郭の実態を探ることにしたようである。大勢で殴り込みに掛かれば、あるいはすぐにカタがつくとも考えられるが、万が一にも相手が上手だった場合は深手を負いかねない。それほどに紫月から受けた仕打ちが肝を冷やしたということになるのであろう。ともあれ、当の紫月らにとっては時間が稼げる幸いとなったのは事実であった。

 その頃、鐘崎らを呼びに行った倫周の方でもちょっとした困難に陥っていた。上手く連絡がついて鐘崎らを地下施設に連れて来るまでは順調だったのだが、入り口の大門での検閲で難儀な問題が持ち上がってしまったのだ。というのも、紫月らのことを剣客ではないかと疑い始めた敵によって、これまで以上に施設への出入りが厳しくなってしまった為であった。特に働き手として新たに雇われる人材へのチェックが入念になっており、倫周たちが連れて来られた時のように自由にはいかなくなっていたからだ。おそらくは剣客が増えることを懸念した敵が、そこだけは即座に動いたと思われる。
 鐘崎と周はもちろんのこと、組からは幹部の清水や橘、周の方では李や劉をはじめ、紫月の父親の飛燕といった精鋭がまとめてやって来たのだが、このままでは怪しまれて全員が潜り込むのは難しそうだとの連絡が番頭を通して茶屋の皆の元へと届けられた。
「……ッ! 相手も早速動きやがったか……」
「こうなったら仕方がねえ。一度に潜り込むのが無理なら一日一人ずつとかにするしかねえか」
 紫月らは主人に言って、周辺の茶屋にも協力してもらい、各茶屋に潜り込ませる人数を振り分けることにした。鐘崎と周にはすぐにでも合流してもらいたい為、彼ら二人は新規の客という形で潜入してもらうことにする。それでもチェックが厳しく、審査が通るまでには丸一日は掛かりそうだということだった。



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