極道恋事情

3 男たちの姫始め



 香港からやって来た冰にとっては、日本で初めてとなる年の瀬である。
 年始を迎えるに当たって一通りの飾り付けが済んだ後、皆は周家の応接室へと移動してティータイムを楽しんでいた。
 この応接室は、周と冰が普段使っているダイニングとは廊下を挟んだ向かい側にある。客人の数によって使い分けられるようにと、大・中・小の三タイプがあり、今日はその内の”中”に当たる部屋に通されていた。室内の装飾は、大正浪漫を思わせるレトロな趣だ。
 鐘崎が連れてきた源次郎と若い衆、そして紫月と冰の五人は部屋の中央に置かれた応接セットのテーブルを囲んで、それぞれ自己紹介がてら和気藹々とおしゃべりに花を咲かせていた。この日の茶菓子は純和風で、正月情緒がたっぷりの上生菓子がもてなされている。
「冰君、和菓子は珍しいんじゃねえか?」
 紫月が問えば、冰も瞳を輝かせながらうなずいてみせる。
「はい! この前、京都の八ツ橋っていうのを初めて食べたんですが、とっても美味しかったです。今日のお菓子はまた初めて見るものばかりですが、すごい綺麗でビックリです!」
 新春にふさわしい梅や椿など、和花を象った色鮮やかな菓子に目を見張る。
「これ、外側が餡子みたいだけど……中身は何だろう。どうやったらこんな綺麗な形のが作れるのかなぁ……」
 冰がしきじき眺めていると、一番の年長者である源次郎が言った。
「梅の形のそれは練り切りといってね、おそらく中身まですべてが餡子だと思いますよ」
「……! そうなんですか。色もピンクでとっても綺麗ですね!」
 餡子といえば黒か茶色を想像してしまうわけか、興味津々といった表情で源次郎の話に耳を傾けている。
「白餡をベースにして作られているんですね。こっちは求肥。ちょっとモチモチッとした食感が八ツ橋と似ているね」
「うわぁ、どれも美味しそうで迷っちゃいますね」
「雪吹さんは香港でお育ちになられたんでしたね?」
「はい、そうなんです。ですからこんな綺麗な和菓子を見るのは初めてで……」
 感動がそのまま表情に出ているといった冰に、源次郎も瞳を細めながら微笑ましい思いでその様子を眺めていた。
「香港で餡子といったら月餅が有名だよな? 冰君は食べたことあるだろ?」
 鐘崎と共に何度か香港を訪れている紫月は、ご当地で食べた月餅が印象に残っているようだ。
「はい、月餅はじいちゃんが好きだったんで、俺もよく食べてました」
「そっかー! 俺、あれ好きなんだよな。それこそ真っ黒い艶のある餡子にクルミが入っててさ。濃厚な味が堪らなく美味いんだよ」
 そこへ茶を持って真田がやって来た。
「今日は和菓子に合わせてお抹茶に致しましたよ」
 冰にとってはこれまた珍しい大きな茶碗に緑色が鮮やかな薄茶がふるまわれて、またひとたび話に花が咲く。
 そんな一同とは少し離れた席で、周と鐘崎にはコーヒーがもてなされていた。紫月らとは違って、甘いものは殆ど口にしない鐘崎の嗜好を心得ている真田の気遣いである。
「ところで、正月の予定はどうなんだ」
 ワイワイと楽しそうな紫月らの席を横目にしながら鐘崎が問う。
「俺のところは晦日から二泊で温泉に行って来ようと思ってな。冰にとっちゃ初めての日本での正月だし、雪を見せてやりてえんだ」
「なるほど。香港じゃ雪は見られねえからな」
 鐘崎自身も仕事柄香港にはしょっちゅう行っているので、理解が深い。
「雪深い温泉宿を取ったんだ。真田や李らも一緒に行くことになってる。お前の方はどうなんだ」
「――奇遇だが、俺も紫月を連れて源さんたちと温泉の予定だ」
「なんだ、お前ンところもか」
「毎年正月は初詣に出掛けるくらいで、特別なことはしてなかったからな。たまにはいいかと思ってよ」
 鐘崎と紫月は幼馴染みだから、普段も正月もなくしょっちゅう行き来している間柄なのだが、互いに想いを打ち明け合ったのは意外にもここ近年のことだった。つまり、恋人として一緒にどこかへ出掛けたりする正月というのは実に二度目のことなのだ。
「去年は京都の老舗宿で迎えたからな。今年は雪見しながら温泉がいいっていう紫月の希望だ」
「そうか。じゃ、お互い楽しんでくるとしよう」
 そんな周と鐘崎だが、まさかこの二日後に別々に出掛けた温泉地の宿で再び顔を合わせることになろうとは、この時は想像していなかった。



◇    ◇    ◇



 そして晦日の日――。
 周は冰と真田らと共に新幹線で温泉地へと向かった。車でもよかったのだが、冰に新幹線を体験させてやりたかったのもあって、今回は列車の旅を選んだのだ。
 午後の二時を回った頃、宿に着いてチェックインをしていると、見知った顔ぶれと鉢合わせて驚かされるハメとなった。
「――なんだ、てめえもここだったのか……?」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ」
 周と鐘崎は苦虫を噛み潰したような表情で一瞬ポカンと硬直状態に陥ったが、冰や紫月は大喜びである。
「冰君ー! まさか一緒の宿とはね! すげえな、俺ら! めちゃくちゃ縁があるじゃん」
「紫月さん! ほんとですね、ご一緒できて嬉しさ倍増です!」
 思い掛けない偶然に二人は手を取り合ってはしゃいでいる。真田も源次郎も普段から付き合いがあるので、一緒に大浴場の温泉を楽しもうと入浴時間まで打ち合わせて、早々と盛り上がっていた。
 そんな一同を横目にしながら、周と鐘崎の大黒柱二人はやれやれと苦笑させられるのだった。
「おい、カネ――。てめえらの部屋はどこだ」
「紫雲の間だ。最上階の東の端だそうだ」
 そう聞いて、周は手元のパンフレットを広げながら館内の見取図を確かめる。
「俺らは昇龍の間か――」
 間取りは鐘崎らと同じだが、最上階の西の端と知ってホッと胸を撫で下ろす。
「これなら安心だな」
 周が独りごちる傍らで、鐘崎が面白そうに口角を上げた。
「なんだ、てめえ。部屋が離れてると何か都合のいいことでもあるのか?」
 ニヤッと人の悪い笑みまで浮かべるオマケ付きだ。
「そりゃ、まあな。俺は隣同士でも一向に構わんが、冰が気にするだろうと思ってよ」
「――何の話だ。部屋が近え方が紫月と冰は喜ぶんじゃねえのか?」
 ここ数回の行き来で、すっかり打ち解けた紫月と冰だ。どうせ夕方からの宴会も一緒にしようなどと言い出すに決まっている。
「俺が言ってるのはその後の話だ。冰はあれでも恥ずかしがり屋なところがあるんでな」
「ほう――そっちの心配か」
 いわゆる”夜の営み”のことを言っているのが分かっていて、わざと大袈裟に納得してみせる鐘崎である。
「なんせ姫始めだからな。壁一枚に遠慮してるんじゃ情緒がねえってもんだろうが」
「――姫始めね。俺は姫晦日と、それに姫大晦日も楽しむつもりだがな」
「……姫晦日だ? おかしな造語を作りやがる――」
 周は眉根を寄せて怪訝そうに鐘崎を見やった。聞き慣れない言葉ながらも、言わんとしている意味だけは瞬時に理解できてしまい、思わぬところで対抗心に火が点いてしまったからだ。
「は――、スケベ野郎が。まあ――こっちは予定通り姫始めを楽しみに待つことにするさ。俺は姫との睦みを”大晦日”にするつもりはねえからな」
 周はこれみよがしにそう言って、ニヤニヤと笑ってみせた。
 鐘崎の言うところの姫晦日とは単に暦の上でのことであって、そういった営みを晦日――つまり”最後”にするという意味ではない。それがよくよく分かっていながら、わざと意地悪く捩ってやったわけだ。当然のごとく連日挑むつもりでいるらしい鐘崎の根性に、一歩引けを取った気にさせられてしまった周としては、つい嫌味のひとつも繰り出さずにはいられないというところなのだ。
 それを受けて、今度は鐘崎の反撃の始まりである。
「は――! ガキの勝負じゃあるめえに。俺が言ってんのは”姫納め”のことだ」
 分かっていやがるくせに――と、鐘崎の方もチッと舌打ちせずにはいられない。いつもは寡黙で硬派なイメージの彼にしては、珍しくも”してやられた”とばかりに片眉をしかめて悔しがっている。
 そんな様子を横目に、一本取り返したことで気分を上げたわけか、
「ま、せいぜい励めよ?」
 ニヤッと笑いながら、その実、自らも着々と”姫晦日”の予定を脳裏に組み込む周であった。むろんのこと、暦の上での晦日なのは言うまでもない。

「白龍ー、チェックインが済んだって」
 そこへ話題の姫たちが揃ってやって来た。

「おう、そうか。じゃ、姫。早速参るぞ」
「姫って……何?」
「深い意味はねえ。こういう場所だし情緒があるだろ?」
「ええー? 何それ」
 クスクスと笑いながらも、
「じゃあ、紫月さん、鐘崎さん、また後ほど」
 ぺこりと頭を下げて、冰は朗らかな笑顔で手を振った。そんな彼の肩に機嫌の良く腕を回して部屋へと向かう周の後ろ姿を眺めながら、
「――紫月、今夜は寝かさねえぞ」
「……は? いったい何の話だ?」
「男の沽券に関わる話だ。遅れを取るわけにはいかねえ」
 鼻息まで荒くしながら、いつも以上に低くドスの効いたバリトンボイスで気合いを入れる。まったくもって稚拙この上ないことだが、当人たちにとっては至極真面目な――まさに極道同士の恋事情なのであった。

男たちの姫始め - FIN -



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