極道恋事情
◆1
そ 年の瀬、二十八日――。
今日は周の社であるアイス・カンパニーにとっても鐘崎組にとっても一年の締め括り――仕事納めの日だ。それぞれ午前中で仕事を終わらせて、午後からは鐘崎と紫月が年始の門松など飾り物一式を持って汐留へとやって来た。
毎年、周の社では鐘崎組からこうした正月飾りを仕入れているのだ。冰にとっては周と共に過ごす三度目の年末年始である。
初めてここを訪れた年は周と結ばれた直後で迎える正月だったので、思い返すとなんとも感慨深いものがある。
「今年も立派ですね、門松!」
周と鐘崎が組の若い衆らと共にトラックから門松を下ろしている傍らで、紫月と冰が設置場所の囲みなどを整えながら相変わらずに仲が良い。
「だろー? 今年はさ、冰君も氷川もいろいろ大変な目に遭ったしで、例年よりデカいのにしてくれって氷川がさ」
「そっかぁ。特に白龍は大変だったですもんね」
大きな門松を飾って、来る年は穏やかで幸せに暮らしたいという周の気持ちが込められているようだ。
「んだからさ、ウチん組のもここと同じ大きさにしたんだ。もち、飾りの水引もオソロだぜー!」
「うわぁ、じゃあ今回も是非見に行かせてください!」
「うんうん! 松の内の間は飾ってあっから。見に来てくれよなぁ!」
それよりも今年の年末年始はお楽しみが待ってるしな! と、門松を設置し追えた紫月がウィンクを飛ばす。そうなのだ。今年は皆で南の島へバカンスに出掛けることが決まったからだった。
周も鐘崎も事件に巻き込まれて記憶喪失になる薬物を盛られたりと大変な年であった。嫁の冰と紫月にも多大な苦労を掛けたことだしと、旦那二人が労いと厄落としを兼ねて海外旅行に行こうと言い出したのだ。行き先は南国リゾート、ハワイである。周と鐘崎もそれについて話している様子だ。
「氷川、今回もジェットを出してもらってすまねえな」
「構わん。それよりホテルを全部持ってもらちまって、こっちの方が恐縮だ」
周がプライベート・ジェットを出す礼にと、今回は鐘崎がホテル代を持つことになったらしい。まあ、鐘崎としてみれば記憶喪失を乗り越えた周と、側でずっと見守った冰に対する快気祝いの気持ちでもあるわけだ。
「明日の夜出発ですよね! 紫月さん、もう支度は済みました?」
「バッチリよ! 冰君は?」
「俺の方もすっかり済んでます! 真田さんたちも準備万端だって言ってました」
今回は周の方からは真田と、側近の李に劉。それに医師の鄧も一緒だ。鐘崎組からは番頭の源次郎が同行することになっていた。
「楽しみだなぁ。俺、ハワイ初めてなんです!」
「そっかぁ。あっちは常夏だからな。あったけえし、満喫してくるべ!」
「はい! よろしくお願いします!」
無事に年始を迎える飾り付けも済み、次の日から一行は念願のバカンスへと向かったのだった。
◇ ◇ ◇
◆2
「うわ……あったかい……!」
というよりも蒸す。ジェットを降りた途端に身体中を包み込んだ南国の空気に、冰が目を白黒させていた。
「やはり蒸し暑さが日本とは違うからな。冰は初めてだったな」
周がクスっと笑む。
「うん、初めて。なんだか……世界って広いんだなぁって思っちゃう」
冰は香港で生まれ育って以来、海外に出たのは汐留を訪ねたのが初めてだし、つまり香港と日本の他にはマカオと鉱山にしか行っていない。もちろん南国ハワイも初体験だし、見るもの感じるものがすべて新鮮な驚きに思えるわけだ。周にとってはワクワクとしたその可愛らしい表情を眺めていられることが、まさに醍醐味といったところであった。
税関を通過すると、歓迎の一環かハワイアンダンスを踊りながら現地の女性たちが一人一人の首にレイを掛けてくれた。
一番最初にゲートをくぐった源次郎と真田の二人が、若い女性からレイを貰い、それと同時にチュッと頬にキスをされる。李や鄧らも同じくハグとキスをされているのを見て、さすがに外国だなと実感させられる。暢気にそんなことを思っていた冰は、自分の番が来てキスをされると、ポッと頬を染めた。女性にキスされるなど初めてのことだからだ。
ドキマギとしながらも、ふと後ろを振り返ると、ちょうど周がレイを受け取っているところだった。背の高い彼にレイをかけるのに女性の方ではクッと背伸びをして、ハグも両腕を目一杯伸ばして抱き付く勢いでいる。それらを気遣ってか、キスをされる時には彼女らがやりやすいように膝を折って頬を差し出してやっている。女性は感激の面持ちで、『キャッ!』と言いながら満面の笑みを浮かべ、長身の周へと抱き付くようにしながらその頬に唇を寄せた。
続いてやって来た鐘崎も同じように膝を折ってキスをもらっている。そんな姿を目にした冰は、ドキドキと心拍数が逸り出すのに戸惑ってしまった。
思えば周が女性とハグをしたり、頬とはいえどキスをされたり抱き付かれているのを見たのは初めてのことである。今は全員が同じように歓迎のイベントでキスされたわけだから、そこにドキドキすることもないのだが、こうして目の前で女性と抱き合うというビジュアルを体験してしまうと、やはり平常心ではいられないわけだ。
といっても、冰にとっては嫉妬という感情ではなく、格好いいという認識だったようだ。
ハグの動作もキスを受ける仕草も非常にスマートで、見ていて素敵だと思うのだ。相手の女性の方も周や鐘崎にハグする時は、真田や源次郎にした時とは明らかに違うといった表情で嬉しそうだ。きっと心の中では『いい男だわ!』と思っていることだろう。
そんな”イイ男”が自分の亭主だと思うと、嬉し恥ずかし何ともいえない高揚感に包まれる冰であった。
◆3
そういえば周の出立ちも普段は殆ど目にすることがないラフで開放的なものだ。タンクトップの上に無造作に羽織られた粋な柄のシャツ、生地は薄く軽めだが光沢のある七部丈のパンツから覗く長い脚も格好いい。ピッタリとしたタンクトップを盛り上げている引き締まったシックスバックスの腹筋は言うまでもないが、パンツの裾からチラりとのぞいているすね毛でさえも色香を感じてしまう。
日本では夏場であっても仕事の時はスーツ姿だし、休日の普段着でもここまで開放的ではない。髪型もオンの時と違ってワックスなどで固めていないから、はらりと額に垂れている黒髪が艶かしい。かれこれもう二年以上も一緒に暮らしているというのに、なんだか知らなかった別の魅力を見たようで、冰はドキドキと心臓を高鳴らせっ放しでいるのだった。
到着したのは現地時間の午前中だった為、一旦ホテルにチェックインしてから皆で昼食タイムとなった。
ロビーに降りてみると、年末年始だけあってか観光客であふれていた。日本人の姿もちらほらと見掛ける。恋人同士だったり家族だったり友人と一緒だったりで、皆楽しそうだ。
周ら一行は混み合う街中を避けて、ひとまずホテル内のレストランで食事をすることにした。
周囲のテーブルには欧米人が多く、慣れない冰などはキョロキョロと忙しそうにして感嘆の声を上げている。彼らが飲んでいるトロピカルドリンクがいかにもハワイといった感じで高揚感が駄々上がりなのである。
「ね、白龍。俺もあれ飲んでみたい」
「ああ、トロピカルジュースだな。そんじゃストローを二つ突っ込んで一緒に飲むか」
今まさに隣の席の老夫婦がやっている最中だ。
「いいの?」
冰は嬉しそうに頬を染めた。それを見ていた鐘崎も羨ましく思ったのか、すかさず自分たちも同じ物をオーダーすると言って鼻息を荒くしている。
「はは、若も周殿も相変わらず姐様方にゾッコンですな! 素晴らしき!」
源次郎に冷やかされて、ドッと笑いが巻き起こった。
午後からはやはり同じホテル内のプールでゆっくり南国気分を味わうこととなった。本格的なマリンスポーツなどビーチへ出るには時差ボケもあるし、着いた初日くらいはのんびりペースで体調を整えようという思いからだ。ところがプールサイドへ陣取った途端に、とりわけ冰にとってはまたもやドキドキとさせられる場面に遭遇する羽目となる。周と鐘崎の元に女性たちが群がってきたからだ。
最初は欧米人の三人組だった。
『はーい、男前さん!』
『素敵ね! あなたたち、ハンサムだし私好みだわ。一緒に泳がない?』
『今夜お酒を一緒にどうかしら?』
と、矢継ぎ早に誘う文句もド・ストレートだ。さすがに外国人だなぁなどと紫月は余裕の様子で笑っていたが、周の肩や首に腕を回しての大胆なアプローチに、冰の心拍数は上がりっ放しだ。
「……やっぱり世界中どこに行っても女の人ってイイ男を見つける目は確かなんですねぇ」
ポツリと呟いた冰の言葉に、真田や源次郎などは微笑ましそうにフォローの言葉を口にした。
◆4
「ご心配には及びませんですよ、冰さん。坊っちゃまのことです、すぐにスマートにかわされますぞ」
ニコニコとした真田の言う通りか、周は女性たちに向かってニヤっと笑みながらこう言った。
「すまねえな。俺には得難いハニーがいるんでね。他を当たってくれ」
女性たちは残念そうにしながらも軽く肩をすくめると、今度は鐘崎にまとわりつかんと即シフトチェンジだ。ところが、誘い文句を発する間もなく、
「同じく!」
短くそう言ってはヒラヒラと手を振り、『ご機嫌よう』と付け加えた。これではいささか女性たちが気の毒とも思える素っ気なさだ。
紫月の方は慣れっこなのか、まるで心配する素振りもなく、逆に『もうちょい愛想遣えねえもんかね』と笑っている。冰にとっては軽くカルチャーショックである。
「か、鐘崎さんも白龍もカッコいいから……モテるとは思ってたけど、ホントにお声が掛かってるところを見たら……何ていうかちょっとドキドキしちゃいました」
頬を染めながら可愛らしいことを言った冰に、紫月や源次郎、真田たちは微笑ましげに見つめ合ったのだった。
そんな健気な冰だが、しばらくすると今度は自分がナンパされる側を体験することとなった。ちょうど周と鐘崎が一服タイムで席を外していた時だった。
紫月は李らと泳いでいて、冰と真田で荷物番をしていたところ、二人連れの男性が後方からいきなり肩を抱いてきたのだ。金髪の欧米人で、なかなかに整った顔立ちのハンサムである。
「キミ、一人?」
「可愛いね! よかったら一緒に遊ばない? 俺たち、クルーザー持っててさ。これから沖へ出ようかと思ってるんだけど一緒にどう?」
いかにもフレンドリーな調子で、誘い文句も手慣れた感丸出しだ。冰にとってはこういったナンパなどは初めてのことである。しかも相手は同じ男性だ。
「あの……えっと、その……」
突然のことにバクバクしながらも、冰はすかさず先程の周らのことを思い出して、断り文句を真似ることにした。
「あの、お、俺にはハニー……じゃなかった、ダーリンがいるので……その……ごめんなさい!」
よせばいいのに、わざわざ正直に『ダーリン』と言ってしまうところが落ち度なのだが、そこが嘘のつけない冰だ。しどろもどろながら目一杯頭を下げて断った。ところがその慣れない様が気に入られてしまったのか、男たちはますます興味をそそられたようにして、諦める様子は皆無のようだ。馴れ馴れしく肩を抱き寄せては、頬にキスをする勢いで顔を近づけてくる。
「お若い御方、およしなさい! この方にはご主人がいらっしゃるのですよ!」
見兼ねた真田が冰を庇わんと制止に割って入ったが、逆に物笑いの種にされてしまった。
「ご主人って、まさか爺さん、アンタのことかい?」
「なに、キミ? もしかしてこんなお年寄りで満足してるっての?」
可哀想に、だったら俺たちが本当の快楽を教えてやるよとばかりに、なお一層しつこく迫る。
◆5
「失礼な! 私はこの方にお仕えする者ですぞ! はしたないご想像はおやめなされ!」
真田が憤りを口にしたが、男たちは引っ込む様子がない。
「仕える者って何だよ。まさか執事とか?」
「そんな見苦しいウソはよしなって! ホントはアンタがお相手なんじゃねえの? 爺さん、アンタも好き者だなぁ。いい歳こいてこんな可愛い子ちゃんをたぶらかしてさー。いい加減引退しなって。後は俺らが引き受けて、この可愛い子ちゃんにとびきりのイイ思いさせてやるからさ!」
次第に下品な方向に話がそれていく。つまりこの男たちは冰と身体の関係を持ちたがっているのが丸分かりだ。そもそもクルーザーで沖へ出ようなどと言っているが、何が目的かなど聞かずとも想像がつくというものだ。
「冗談ではありませんぞ! この世がひっくり返っても貴殿らのような輩にこの方をお渡しするわけには参りません! この真田、身命を賭して死守いたします!」
冰を抱き締める勢いで真田は必死だ。このままでは真田に危害が加えられかねない。そう思った冰は、咄嗟にこう言い繕った。
「父です! この人は僕の父なんです!」
ところが、男たちには別の意味での父と受け取られてしまったようだ。
「はいはい、要するに”パパ”ね!」
まるでパトロンだろうといったふうに鼻で笑う。
「キミもまだ若いんだからさ。こんなお年寄りの”パパ”よりも俺たちみたいに若くて新鮮なエキスを覚えた方がお得だぜ! 試しに一発ヤってみりゃキミにも新しい世界が開けるって!」
「そんなワケだからさ。爺さん、ちょっとこのお坊ちゃまを貸してくれよ」
男の一人が冰の腕を掴みかけた時だった。プールから二人が絡まれているのに気付いた紫月がすっ飛んでやって来た。
「おい、コラ! 兄ちゃんたちよー、その手を離しな! その子に手ェ出したら後悔すっことになんぜ!」
冰の腕を掴んでいた男の手を捻り上げて、合気道の技で軽々その場へと押さえ込んだ。
「痛てててッ! な、何しやがる、こんちくしょう!」
焦る男たちを見下ろしながら紫月は余裕の表情で笑った。
「てめえら、こんなところをこの子の旦那に見つかったらタダじゃ済まねえぞー。下手したらタマ取られて地獄行きだ」
「は、はぁ!? 地獄行きってなんだ……。脅かすんじゃねえ」
「だいたい……さっきっからその爺さんもてめえも口揃えて旦那旦那って言うが、どこにそんなモンがいるってんだ!」
本当にいるのなら今すぐここに連れて来てみろと食ってかかる。と、その時だった。地鳴りのするような声で、
「ここに居るが?」
後方から投げられた短いひと言を聞いただけで、男たちは一気に肝を冷やしたようだった。
「え……?」
「――は?」
おずおずと男二人が振り向いた時だった。そこには般若のような顔をした周と鐘崎がヌゥっと顔を突き出しながら立っていた。
「そいつは俺の嫁だ」
クイと軽々男の腕を引っ張ったと思ったら、トンと胸板を突っついただけで男はその場に尻もちをつかされてしまった。
「な、な、何しやがる貴様……」
もう一人が尻もちをついた男を庇うようにして抱き上げながら威嚇の言葉を口にするも、体勢は既に逃げ腰だ。
「他人の嫁に粉かけてきたのはてめえらだ。望むなら遠慮なくあの世へ送ってやれるぞ」
表情は柔和な笑顔だし、冗談めいたユーモラスな言葉に聞こえなくもないが、ゆっくりと動く瞳は笑っていない。一見穏やかな紳士の雰囲気を纏っていながら、懐には抜き身の刃を忍ばせていそうな雰囲気の周に男たちは震え上がった。今ここで引き下がらなければ、気付いた時には本当にあの世かも知れない。
「わ、分かった」
「もういいって」
すごすごと後退り、周から距離を取ると、くるりと踵を返して一目散に逃げていった。
◆6
「白龍……あ……りがと、その……」
「すまなかった。怖い思いをさせちまったな」
「う、ううん……。俺、その……ああいうの初めてで……ちょっとびっくりした」
周は冰の頭ごと引き寄せると、すっぽりと懐へと抱き包んだ。
「あの……俺、さっきの白龍の真似してハニー……じゃなかった。ダーリンがいるからって言ったんだけど、通じなくてさ」
やっぱり場慣れしてないからダメダメだねと眉を八の字に寄せた笑顔を見せる冰に、思ったよりもショックを受けていないのだろうことが窺えてホッと胸を撫で下ろす。
「真田さんと紫月さんもありがとうございます。俺ももっと精進しなきゃ」
「いえいえ、ご無事で何よりです。しかしこの真田も捨てたものではございませんな。まさか冰さんのダーリンと間違えられるとは」
その言葉にいち早く反応したのは周だ。
「――ダーリンと間違えられただと?」
なんとも言いようのない表情で眉根を寄せてみせる。
「そうなんですよ、坊っちゃま! 聞いてくださいまし! あの方たちは私を冰さんのいい人だと思われたようでございますよ。焦りましたが、今になって考えると褒め言葉と受け取っておくのも悪くないかと」
少々自慢げに胸を張った真田に、ドッと笑いが巻き起こる。結果として何事もなかったことだし、周もやれやれと苦笑させられるのだった。
「まあ、側を離れた俺が悪い。なんといっても喫煙スペースが限られているからな。ここで吸えりゃ万々歳なんだがな」
せっかくクリスマスのプレゼントで貰ったシガーケースを持参して来たというのに、公の場で自慢できないのが残念だと肩を落とす。
「真田も一之宮もすまなかったな。お前たちが居てくれたお陰で助かった」
周は詫びも兼ねて明日か明後日にでも買い物三昧と洒落込むかと言ってニヒルに笑った。
その後、源次郎と真田に荷物番を任せて、若い者たちはしばしプールで楽しんだ。周や鐘崎はもちろんのこと、李や劉、鄧もいわゆるイイ男といえる。紫月もまた然りだ。冰だけが若干幼く見えるものの、男だけで固まってボール遊びなどをしているとさすがに目立つのか、今度は日本人と思われる女性のグループが声を掛けてきた。まったくもって忙しいことだ。
「あのぅ、もしかして日本の方ですか?」
「ご一緒してもいいですかー?」
「よかったらこの後お食事とかいかがですか?」
先程の欧米人の女性たちと殆ど同じ誘い文句が錯列だ。
と、いち早くそれに答えたのは鐘崎だった。
[ごめん、何かな?]
にこやかながらも言語は広東語だ。女たちは戸惑って互いの顔を見合わせている。
「あー……っと、エクスキューズミー。英語はいけますか?」
今度は片言英語で話し掛けてきた。すると続いて周が早口の広東語で畳み掛けた。
[すまんがよく分からんのでな。他を当たってくれると助かるぞ]
こちらもまた気持ちの悪いくらいに満面笑みのオマケ付きだ。女たちはタジタジとしてしまい、
「あー、ごめんなさい。日本人かと思ったから」
「また今度……」
苦笑と共にそそくさと去っていった。
◆7
「しかしよくもまあこう次々と!」
「さすが老板と鐘崎様ですね。女性たちが放っておかない」
鄧と李が苦笑している。
「リゾート地だからだろ?」
「こういう所に来ると普段よりも開放的になるもんだ」
周と鐘崎はしれっとそんなことを言ってのけたが、実際女性たちの男を見る目はたいしたものだ。他にも東洋人欧米人含め男性はたくさんいたというのに、迷わずここへやって来るところを見ると、しっかり相手を品定めしているのが分かる。
「まあ遼のモテっぷりは今に始まったこっちゃねえけどなぁ」
紫月は笑うが、冰にとっては興味津々な話題といえる。
「やっぱり鐘崎さん、前からモテてらしたんですねぇ。そりゃそうだよね。鐘崎さんも白龍もイイ男だもん。っていうか、俺以外は皆さんカッコいいし、オトナの男っていう感じだし」
それはもうモテて当たり前ですよねと深い溜め息をついている。
「俺ももうちょっと何とかならないかなぁ。せめて大人っぽく見えるようになるといいんだけど」
ガックリと肩を落とす様子を横目に、周がすかさず片眉を吊り上げた。
「なんだ、冰。お前、女にモテたいってのか?」
「ち、違うよ……! そうじゃなくて、なんていうかもっとこう……ね?」
冰はタジタジだ。
「う、上手く言えないけど……もっとこう、皆さんのようにスマートにいろいろ対応できる大人になりたいなぁとか……さ」
別にモテたいわけではないのだが、目の前で周や鐘崎が女性たちに囲まれているのに遭遇してしまうと、何ともモヤモヤと胸が苦しくなってしまったわけだ。せめて自分も同じようにして女たちから声でも掛けられれば、彼らの気持ちが分かるというか、正直に言ってしまえばこの苦しいヤキモチも少しは軽減するのではと思ってしまう。
「何を言う。お前だってさっき粉掛けられてたろうが。あの野郎ども、やはり地獄を見せておくべきだったか」
周が口をへの字にしながら、『うーむ』と腕組みをしたのに、またもやドッと笑いに包まれた。
その夜はホテル内のレストランで個室を取ってもらい、水入らずでのディナーとなった。昼間受けたナンパの嵐が教訓といえる。地元の珍しい料理の数々に冰と紫月は大喜びだ。食後にはそれこそ日本では滅多にお目に掛かれないようなケーキが出てきて、二人は感嘆の声を上げた。
「見ろ、遼! このめちゃくちゃコッテリなチョコケーキ! さすがアメリカンだぜ」
もはや生チョコクリームどころか溶かした板チョコレートがスポンジを覆っていそうな特大ケーキに、鐘崎は見ただけで胸焼けしそうだと額を押さえている。
「いくら何でも腹八分目でやめておけよ。さすがのお前でも胸焼けを起こすぞ」
「かもな! すっげ甘えもん」
カハハハと紫月は豪快に笑っては、普段は有り得ないブラックのままの珈琲を鐘崎からひと口もらってすする。冰のはホワイトチョコにアメリカンチェリーのシロップ漬けが乗っているタイプだったが、こちらも相当に甘いようだ。例によって周と自分のイメージである白と赤の色合いだけで選んだのだが、味も大きさもボリューム満点だ。
「冰、食い切れなかったら残せよ」
無理をするなと周が笑う。
「うん、ありがと。白龍もちょっと食べる?」
「ひと口だけな」
大らかでやさしい旦那たちに見守られて、紫月と冰はハワイアンスイーツを満喫したのだった。
◆8
部屋に戻るとさすがに時差ボケのせいか、すっかり眠気が襲ってきた。
「疲れたろう? 今日は早めに休むか」
周がベットカバーをどかしながら手招きをする。
「うん、でもちょっとその前に……少しだけこうしててい?」
布団に潜り込むと同時に、珍しくも冰の方からしっかりと周の懐へと顔を埋めた。
「――どうした? お前がこんなふうに甘えてくるなんて珍しい」
「……そ、そう?」
腕の中で真っ赤に頬を染めながらも、モジモジとしている。何か言いたげなのだが、おそらくは上手く言葉にならないのだろう。
「もしかして昼間のことを気にしているのか?」
髪を撫でながらそう訊くと、図星といったようにしてビクリと顔を上げた。
「女たちが寄ってきたからな。妬いてくれたのか?」
周は愛しげに瞳を細めながら笑う。
「や、妬いてとか……そ……ゆんじゃなくて……その」
冰はますます赤面で茹で蛸状態だ。
「あ、あのね……。女の人たち、皆綺麗だったし……み、水着とかもその……セ、セクシーで。俺、その……白龍カッコイイし、いろいろドキドキしちゃって……」
さすがに妬いてしまったとは正直に言い出せない。というよりも、冰にとってはヤキモチという感情よりもカルチャーショックに近い思いの方が強かったからだ。
周とは固い絆で結ばれているし、どれほど強い愛情をかけてもらっているかもよく解っているのだが、実際に綺麗な女性たちのグラマラスな胸元などを目の当たりにしてしまうと、万が一にもそちらの方に興味を惹かれてしまうのではと心細くなったりしてしまうのだ。変な話だが、いかに好きな料理があっても毎日では飽きるし、たまには違ったものも食べてみたい――というのは例えが悪いが、冰にとってはそれに近いような心配が沸々としてしまったわけだ。
言葉はしどろもどろで言いづらそうにしているが、冰よりは年齢も経験も大人の周には、そんな言い出しづらい思いが手に取るようであった。
「大袈裟な話だがな。例えば仮に――世界中の美女が言い寄ってきたとしても、俺にはお前しか見えねえから心配するな。どんなにグラマーだろうが美人だろうが、お前に適うわけもねえ」
周はしっかりと懐に頭ごと抱え込みながらそう言って、愛しげに額へとキスを落とした。
「白龍……んと、ありがと……。俺、ごめんね。ヤ、ヤキモチなんか焼いちゃって……みっともない」
「バカだな。みっともねえどころか、俺にとっては最高に嬉しい愛情だ。お前に妬いてもらえたんなら、あの女たちにも感謝せにゃならんくらいだ」
そう言って髪を撫でていると、腕の中で小さく『グスン』と鼻をすする音がした。
「泣くヤツがあるか」
「だって……だ……て、俺ったらこんなにしてもらってるのに……全然余裕がなくて……。まるで子供で……紫月さんみたいに余裕で笑ってられる大人になりたいのに……こやって白龍に我が侭言っちゃって慰めてもらったり……迷惑かけて」
「迷惑だなんて思ってねえ。それどころか、お前がそれほど俺を想ってくれてるってのが解ってめちゃくちゃ嬉しいんだからな」
クイと顎を持ち上げて、軽く唇を奪いながら額をコツンと擦り合せる。すると冰は堰が切れたようにポロポロと大粒の涙をこぼしたのだった。
周にとってはますます感激だ。可愛くてどうしようもない気持ちに駆られてしまった。
◆9
「冰――あまり可愛いことをしてくれるな。さすがに理性の箍が吹っ飛びそうだ……」
よしよしと頭を撫でながらも、それこそ”食べてしまいたい”気持ちにさせられる。
「時差ボケだが寝かせてやれそうにねえぞ?」
周の声音が少し色香を帯びていて、吐息の間合いも余裕がない。
「白龍……白龍! ん、いい。時差ボケよりも白龍が欲しい……。大好き……大好き!」
「ああ。俺もだ。俺も――」
この世の誰よりもお前を、あなたを、愛しているよ――
南国ハワイの熱風も息を潜めそうなほど、甘く激しく、そして熱いリゾートの夜に溺れたのだった。
◇ ◇ ◇
そうして睦み合った後、二人はベッドの中で寄り添いながら余韻に浸っていた。冰はすっかり安心顔で、周の逞しい腕枕に抱かれながらうっとりと瞳を蕩けさせている。
「なぁ、冰。さっき一之宮みてえに余裕ある大人になりてえと言っていたが」
「え? あ、うん。そう、紫月さんはさ、鐘崎さんに女の人たちが寄って来ても『もう少し愛想遣えねえのかー』って言って笑ってたでしょ? それってすごいなぁって思ったんだ。多分、李さんや鄧先生でも同じような対応されるんだろうなって。俺はただオロオロしちゃって、白龍が盗られちゃったらどうしようなんて……思っちゃって全然余裕がなくてさ。だから皆さんのように大人になりたいって思ったんだ」
それでプールでもそんなことを言って落ち込んでいたわけか。
「だがな、一之宮だって昔は今のお前と似たようなもんだったんだぜ?」
「え、紫月さんが?」
冰は驚いてキョトンと瞳を見開いている。
「俺たちは高校の時同じクラスだったんだが、その頃から傍で見ててもあの二人が想い合ってるのは分かるほどでな。だが二人共どういうわけかぜってえ自分からは言い出さねえ。互いに好きだと分かってるのに想いを告げようとはしねえんだ。まあ今となってはその理由も想像がつくがな」
鐘崎は、仮に紫月への想いを告げてもしも叶わなかった時のことを考えたら勇気が出せなかった。告白して気まずくなるくらいならいっそこのまま親友という立ち位置で構わないから側にいたい――そんなふうに思っていたのだろう。一方の紫月もまた、鐘崎組の跡取りである彼に同性の伴侶など、彼の将来を壊しかねないと遠慮して想いを封じ込めていたようだと周は言った。
◆10
「あの頃からカネは引き手数多だったからな。俺たちは男子校だったが、近くの高校の女たちがひっきりなしに寄って来てたもんだ。一之宮は表向きは何とも思ってねえってな態度ではいたが、心の中じゃ悩みはあったと思うぜ。いつも笑顔でな、『おモテになって結構なことだ』なんて言ってはいたが、俺にはその笑顔が寂しそうに思えてならなかった」
冰は驚いた。あの紫月にもそんな時期があったのかと、大きな瞳を更に大きく見開いて話の続きを待っているといった表情でいる。
「まあカネも一之宮しか眼中になかったからな。寄って来る女にゃ見向きもしなかったし、一之宮の気を引く為にわざと女とベタベタするなんて器用なことができるヤツじゃねえから、その点は安心だったがな。それでも女に言い寄られたりする度にあの二人の間が何となくギクシャクしちまってな」
そういう時には自分が潤滑油の役目をしてやらなければと思ったのだそうだ。
「俺の家へ呼んで、真田がメシを作り過ぎたから一緒に食ってくれと言ったりしたこともあったな。一之宮はケーキが好物だろ? だから真田に焼いてもらっておいて食後に出すと喜ぶわけだ。その時点でもう一之宮の方はすっかり普段のヤツに戻ってるわけだが、そんな一之宮の笑顔を気付かれねえようにチラチラ見てるカネがまた嬉しそうなツラをしてな。世話の焼けるヤツらだと苦笑させられたもんだ」
周は懐かしそうに瞳を細めて笑う。そんなことがしょっちゅうだったそうだ。
「そ、そうなんだ……。紫月さんたちにもそんな頃があったなんて」
「当時はまだはっきりと口に出して互いをどう想ってるかってのを言い合ってなかったからな。遠慮もあっただろうし、相手の交流を邪魔しちゃいけねえなんて思ってたんだろうがな」
「でも、でもさ。鐘崎さんがモテるのは分かるけど、紫月さんだってすごくカッコいいじゃない? 逆に紫月さんが言い寄られるっていうこともあったんじゃないの?」
確かに紫月も顔立ちは美形だし、背も鐘崎には及ばないものの遜色ないくらいの高身長だ。同じようにモテただろうと思うのだ。
「一之宮の場合は女にモテるってよりも野郎に人気があったな」
「え? そうなの?」
「まあ野郎同士で恋仲になりてえとか、そこまでじゃねえにしろ単に遊び仲間としてツルんで歩きてえってヤツはたくさんいたぞ。見ての通り一之宮はざっくばらんで人見知りもしねえから、一緒にいて楽しいんだろうな。放課後にどっか寄ってこうとか、昼メシを一緒に食おうとか、それこそ年中クラスのヤツらが群がってはいたっけな」
「へえ。そういう時って鐘崎さんはどうしてるの? ヤキモチ焼いたりしないの?」
冰にとっては俄然気になるところだ。紫月はどちらかといえば自分と同じ嫁という立ち位置だから、何かと相通じる部分もあるのだが、亭主の立場である鐘崎がどんなふうな目線でいるのかというのはやはり興味深い。
◆11
「まあ一緒にメシ食うくれえならな。相手はクラスの連中だし、そうそう危ねえこともねえ。絶賛はしねえが、ヘソを曲げるまでのことでもねえと思ってたんだろう。だがそういや一度だけすげえことがあったな。ありゃ確か他校の野郎が繁華街のクラブに誘ってきた時だ」
冰はますます興味津々で身を乗り出してしまった。鐘崎は普段から独占欲が強いと自分でも認めているようなところがあるし、傍で見ていても紫月のこととなると無我夢中というのが分かるくらいだ。そんな彼がどのように嫉妬を態度に表すのだろうと思うと興味を引かれずにはいられない。
「なんでもダンスパーティーがあるから一緒に行かねえかとかで他校の男連中が誘ってきてな。夜だっていうし、場所も都内で、行ったこともねえ繁華街だ。一之宮自身は乗り気じゃなかったし、だがあのフレンドリーな性格だから上手く断れなくて困ってた時だった。それまで黙って様子を窺ってたカネがいきなり首を突っ込んでな。そん時に言った台詞がまたすごかった」
「ど、どんなこと言ったの?」
「例によって顔色ひとつ変えずにだな、『タマ取られたくなかったら散れ』っつって、顎で蹴散らしたんだ」
「タ、タマって命のことだよね? ふぇえ……すごい」
「カネは元々愛想のある方じゃねえから笑いもしねえし、ものすげえ仏頂面でな。まあ相手の男らもどっちか言ったら不良っぽい連中だったから、最初は突っかかってきてたがな。そのひと言で一気に諦めたんだ。なにせそん時のカネのオーラがすごくてな。背中に般若の光背でも背負ってんじゃねえかってくれえの勢いだったからな」
普段は極力見せないようにしている裏の世界の本気をもろに出した威嚇に、粋がっているだけの高校生の不良連中が敵うわけもなく、飛んで逃げるように散っていったという。
「それ以来一之宮にヘンなちょっかい掛けてくるヤツらはいなくなったってわけだ」
「ほぇえ……すごい」
「そういやあのすぐ後だったな、一之宮に少し余裕が見られるようになったのは」
「余裕?」
周の言うにはまだその続きがあったそうだ。他校の輩を蹴散らした直後のことだ。
『あ……のさ、断ってくれてサンキュな』
モジモジと視線を逸らしながらも頬を真っ赤に染めて紫月がそう言ったそうだ。
『けど、あいつら完全にビビってたわな。なんもあそこまで脅さなくたって、もうちょい愛想のいい断り方でもいいと思うんだけどよぉ』
照れ隠しの為か紫月が放ったひと言に、鐘崎の方は大真面目な顔付きでこう返したという。
『愛想なんざ遣う必要はねえ。あの野郎共、どう見たって下心丸出しだったろうが。金か薬か、下手すりゃおめえ自身の身体が目当てか。そんなニオイがプンプンしてやがった。俺ァ、おめえに手出すヤツには例え相手が誰だろうと容赦しねえ。万が一おめえに不埒なことなんざされようもんなら、俺は修羅にも夜叉にも平気でなるぞ』
『修羅ってお前……』
『俺は本気だ』
鐘崎はそう言うと、そそくさと早足で歩き出し、結局家へ着くまで黙ったまま紫月に背中を見せていたそうだ。
◆12
「きっと照れ臭かったんだろうがな。つい本音が口をついて出ちまったもんで、その後はひと言も喋らねえまんま一之宮を家まで送ってったっけ。カネもああ見えて照れ屋なところがあるからな」
周は懐かしそうに笑った。
「それからだったかな。以後、女たちがカネに群がって来ても一之宮は寂しそうな面を見せなくなった。それどころか、愛想のねえカネに代わって女たちの機嫌を取ってやったりするようになってな。持ち味のフレンドリーさを生かして上手く断ったりかわしたりするようになった。一之宮がそんな調子だから二人の間がギクシャクすることもなくなってな。きっと一之宮はカネの本気を知ったことで自信がついたんじゃねえか」
想いを言葉に出して告げ合わずとも、この男は本気で自分を想ってくれている。そんな覚悟のようなものを感じ取ったのかも知れない。
「そっか。だから紫月さん、あんなに余裕でいられるんだね。鐘崎さんのこと信じてるんだよね」
「お前ももっと俺を信じろ」
クシャクシャっと髪を撫でながら周は笑った。
「し、信じてるよ! 俺も……白龍が俺を大事にしてくれてるのちゃんと解ってるんだ。ただ今回は知らない女の人たちが白龍に好意を持ってるんだなぁっていう場面を目の当たりにしたら……何だかすごくドキドキしちゃっただけ」
「まあそうかもな。普段は女が寄って来るようなシチュエーションに遭遇することもねえからな。お前にとってはカルチャーショックだったのかもな」
「ん、そうだね。でもちょっと思ったんだぁ。女の人たちにモテてる白龍はやっぱりカッコいいなって。そんな素敵な人が俺の旦那様だと思ったらさ。一緒にいられることがすごい幸せなことなんだって、改めて身に染みたっていうか……」
「幸せか?」
「うん! うん、すごく……!」
冰は今一度広い胸の中にうずくまるようにしがみつくと、
「ありがとう白龍。一緒にいてくれて。大好き……。こんな……子供の俺だけど……」
「冰、だからなぁ……あまり可愛いことをしてくれるなと言っているだろうが。こんなんじゃまた……」
また抱きたくなってしまうだろうが。
「これじゃ明日起きられんぞ」
「いいよ。俺がちゃんと起こしてあげるもん」
「バッカ。おめえの方が体力ねえんだから!」
「えへへ。じゃあ白龍が起こしてよ」
「分かった。そん代わり」
もう一度だけ俺を受け入れてくれたら――な?
ニヤっと不敵に笑った唇を塞ぐように、冰は自ら進んでキスをした。
「だから、そう可愛いことをしてくれるな!」
長い長い夜が甘くゆったりと更けていったのだった。
◇ ◇ ◇
◆13
次の日は皆で島の裏側へドライブし、そこでウォータースポーツを楽しんだ。周ら若い者たちは水上バイクに乗ったりシュノーケリングで魚と戯れたりし、源次郎と真田は釣りに勤しむ。今日はワイキキを離れたせいかナンパに煩わされることもなく、それぞれにとって十二分に満喫できた一日となった。
「いよいよ明日は大晦日だな」
「カウントダウンの花火が上がるらしいぞ」
ニューイヤーの前日、夜はビーチが見えるデッキタイプのレストランを予約したので、昼間はショッピングへ出掛けることに決まった。
現地特有の南国ムード満点の土産物はもちろんのこと、ブランド品なども免税になっていて見ているだけでも心が浮かれる。
「冰、何か欲しい物はねえのか? 何でも好きな物を買ってやるぞ」
周のところは商社だから、別段ここで買わなくとも大概の物は入手できるわけだが、せっかくのリゾートだ。一緒に何か選ぶのもまた醍醐味というものだ。昨年の秋には事件に遭って記憶を失くした自分を精一杯面倒を見てくれたこの冰に、その労い方々どんな物でも買ってやりたいという周の愛情であった。
ところが当の冰は相変わらずにまったくと言っていいほど欲がない。自分の物よりも汐留で待っている邸の者たちへの土産選びに精を出している有様だ。
「まったく、寡欲というか……てめえのことより他人の土産が優先とはな」
周がやれやれと肩をすくめているのを見て、鐘崎と紫月が冷やかしながら笑ってみせた。
「そういうところがまた可愛くて堪らねえんだべ?」
「それが冰のいいところだからな」
確かにそうだ。周にとってもそんな冰だからより一層愛しく思えて仕方ないのだから、この際彼の優しい気持ちに水を差すこともなかろうと、一緒に土産品を見て回ったのだった。
そうして夜を迎えた。ニューイヤーのイベントを見る為にディナーは遅めの十時に予約していた。シーサイドのデッキでフルコースに舌鼓を打った後、食後酒を堪能しながらおしゃべりに花を咲かせていると、いよいよカウントダウンの時がやってきた。
日付が変わる十五分前になると一同のいたデッキから左右の方向で次々に花火が上がり、夜空を彩り始めた。
「うわぁ! 綺麗!」
「南国での新年もいいものですな」
冰と真田がワクワクと瞳を輝かせている。
「お! そろそろカウントダウン来るぜ」
皆でグラスを手にしてその時を待った。
「十秒前だ。そんじゃ皆んなで」
「五、四、三、二、一」
「ハッピーニューイヤー!」
それぞれ天高く掲げたグラスを突き合わせて新年を祝った。
「明けましておめでとう!」
「今年もよろしくなぁ!」
その後しばし皆で花火を楽しみ、そろそろホテルへ戻るかと席を立った時だった。
◆14
「あのー、ちょっとよろしいですかー?」
「日本の方ですよね? よかったら一緒にお写真撮らせてもらっていいですか?」
「もしよければこの後、新年の乾杯がてらお酒でもどうですかー?」
日本語で話し掛けてくるところをみると、どうやら日本人のようだ。女性の三人連れである。
やれやれ、またかというところだが、正直なところただのナンパならいざ知らず写真はまずい。一昔前ならともかく、今はすぐにSNSなどに上げられる可能性が無きにしも非ずだからだ。
別に写真をばら撒かれたところで何がどうということもないのだが、裏の世界に身を置く以上、自分たちよりも一緒に写った彼女らの方が要らぬ厄介事に巻き込まれる可能性もゼロとはいえないからだ。
だが単にリゾート地での写真一枚を断れば、また別の意味で厄介な結果になりかねない。逆に隠し撮りをされて、お高くとまっている感じの悪い男だ――だのと拡散されても面倒だ。
さりとてこういう時の為に策を用意していない裏社会の男たちではない。期待顔の女たちに感じのいい笑顔を見せながら鐘崎が言った。
「申し訳ない。せっかくのお誘いですが、この後仕事関係の付き合いがありますので」
にこやかに断り文句を口にすると、女たちは残念そうにしながらも、『だったら写真だけでも』と食い下がってきた。
「分かりました。ではご一緒させていただきます」
鐘崎は周らと目配せをし合いながら、源次郎に撮影してくれるようにと頼んだ。もちろん源次郎もどうするかは承知の上である。女たちから託されたスマートフォンで愛想良く数枚を撮った。
「では我々はこれで。お嬢様方も素敵なニューイヤーをお過ごしください」
源次郎がスマートフォンを返しながら微笑むと、
「ありがとうございます! おじさんも楽しんでー」
女たちの方もご機嫌で手を振り、満足げな様子で見送ってくれた。
「よし、冰。ちょっと急ぐぞ!」
周に急かされて、冰はわけの分からないまま小走りさせられて出口へと向かった。どういうわけか鐘崎も紫月も、それに李や劉、鄧までも急ぎ足だ。周は真田が転ばないように気遣いながら手まで繋いで出口へ急ぐ。
レストランの外には既にワゴン車が待っていて、皆は辿り着いた順から次々と乗り込んだ。普段ならば李などが主人である周や鐘崎を先に誘導し、自分は最後にドアを閉めがてら助手席に乗り込むというパターンなのだが、今はそれもなく着いた順に即座に乗り込んでいく。最後にやって来た源次郎を回収すると同時に、車は即刻店を後にした。
後部座席は満員御礼を通り越して、あわやパンク状態だ。元々後ろには六人でギュウギュウのところ、八人が乗り込んだのだから無理もない。助手席には李が陣取っていて、何やら運転手にテキパキと指示を出している。周と鐘崎が割合華奢な冰と紫月を膝の上に抱え込む状態でホテルまでの道のりを走った。
何故こうも急ぐのか、分かっていないのは冰だけだ。ポカンとした表情で瞳をパチクリとさせている様子に、周が理由を説明した。
◆15
「急がせて悪い。窮屈だがすぐにホテルに着くからちょっと我慢してろ」
「う、うん。俺は全然平気」
「あの女たちに追い掛けられると厄介なのでな」
苦笑する周の後の席から鐘崎がその理由を教えてくれた。
「源さん、守備はどうだ?」
「滞りなく! お任せください」
「そうか。ご苦労だった。すまなかったな」
なんと源次郎が撮ったのはスマートフォンの持ち主である女たち三人だけで、周や鐘崎ら一同のことは画面から外して撮影したというのだ。ズームで彼女たちだけを撮り、スマートフォンを返して、気付かれる前に即撤収。万が一にも後を付けられたりしないようにと大急ぎで店を出たのだそうだ。
冰以外は全員それを分かっていて、素早く撤収に移ったというわけらしい。
「こういう時の為にな、事前にそう打ち合わせてあったのさ」
「俺たちの写真が見ず知らずの他人の手元に残るのも厄介だが、裏を返せばあの女たちの安全の為でもあるからな」
その写真が万が一にも周らのことを知っている裏社会の人間の目に触れて、彼女たちが要らぬトラブルに巻き込まれないとも限らないからだという。
それなら写真を撮ること自体を断ればいいと思うところだが、邪険にして恨みを買うよりも上手く撮れていなかったということで諦めてもらう方が賢明ということらしい。冰はつくづく驚いてしまった。
「で、でもすごいね。そんなことまで打ち合わせてあるなんて」
「備えあれば憂いなしってところだ」
「些細なことでもいつ大きな火種になるとも限らんからな。準備だけはしておいて損はねえということさ」
周や鐘崎は笑うが、冰からしてみれば驚きの連続である。李や鄧もすぐに動いたところを見ると、さすがによく連携ができていると感心せざるを得ない。
「さて、到着だ。皆、年明け早々ご苦労だった」
ギュウギュウ詰めの車から解放されて、一同はホッと胸を撫で下ろした。
明日は午後一の便でもう帰国である。楽しかった南国のバカンスも今夜で終わりだと思うと、何だか寂しいような懐かしいような気持ちになる。
だがまあ、帰れば日本のお正月が待っているのだ。帰国後もまだ三ヶ日の内なので、参拝や新年のセールなどで街は賑やかであろう。
◆16
「帰ったら雑煮食うぞー!」
「お屠蘇もあげなきゃですな!」
「いいね。日本の正月を楽しむとするかぁ」
ホテルのエレベーターに乗りながら和気藹々とした朗らかな会話に包まれ、楽しかった南国リゾートの夜が更けていく。
その頃、スマートフォンで写真を確認した女たちが、苦虫を噛み潰したような表情で唖然としていた。
「うっそ! 信じらんないー! アタシたちだけしか写ってないじゃん!」
「なに、あのクソジジィ! 誰がアタシたちだけ撮れって言ったのよ! 腹立つー!」
「せっかくの超絶イケメンてんこ盛りだったのにさー。今年一番のSNSに載せようと思ったのに!」
地団駄を踏んでいたのは言わずもがなである。
「ヘックショ!」
源次郎が大きなクシャミをしたと同時に、
「お、さてはバレたな」
紫月が悪戯そうな笑顔でちり紙を差し出すのを受け取りながら、
「おおかた、なにあのクソジジィー! とでも言っているところでしょうな」
『イヒヒ』と得意気に源次郎が笑う。
「はは! ンなこと言ってっとー! 今頃さっきの姉ちゃんたちもクシャミしてっかも知れねえぞー」
紫月がそう言ったと同時に、女たちの方でも、
「……ックシュン!」
「ヤダ、風邪ぇ?」
「まさか! こんなあったかいのに」
風邪ではなく噂話ですよ、お嬢様方! そんな想像をしながらウィンクでおどけてみせるユーモアあふれる源次郎に、皆一斉に朗らかな笑いに包まれたのだった。
ナンパの嵐などハプニングもあったが、それぞれにとって羽を伸ばせたバカンスとなった。とかく冰にとってはヤキモチに翻弄されたハラハラ感はあったものの、改めて素敵な亭主といられる幸せを噛み締めるいい機会にもなり、少しだが大人に近付けたことだろう。
「また来ような」
「うん。うん……!」
あなたと――、
お前と――、
一緒に!
カウント・ダウンを南国バカンスで - FIN -