極道恋事情

36 三千世界に極道の涙2



◆21
 ところが――である。
 一向に厠からは出てこないことを怪しんだ組員たちが調べに入ったところ、代田は煙のように姿をくらましてしまったというのだ。
「何だとッ!? いったい何処へ消えやがった……」
 鐘崎らはとりあえず座敷に残っている代田の仲間たちを縛り上げると、
「悪いがてめえらは代田のカタだ。しばらくそうして辛抱していてもらおう」
 組員たちを見張りに置いて、皆で代田の行方を追うことにした。
「大門を出れば分かるはずだ! そっちは伊三郎の親父っさんに任せるとして、俺たちはヤツを捜すぞ!」
 地下とはいえ、こうなるとこの街は広い。鐘崎らが必死に捜索を続ける傍らで、当の代田の方でもまた意外なことになっていた。
 それは代田が座敷を出て厠へと向かった直後のことだった。
「代田さん! 代田さん」
 小声で呼び掛けられ、
「誰だ――」
 身構えた代田を待っていたのは厠の個室から顔を出して手招きしている町永汰一郎だった。
「町永……! 貴様……」
「しーッ! 静かに! いいから入ってください」
 個室へ引っ張り込まれ、代田は目を吊り上げた。
「てめえ……来てやがったのか……。こんなところで何してやがる」
「あなたを助けに来たんですよ」
 汰一郎は声をひそめて言う。
「助けに来ただ?」
「あなたがいた座敷の連中はヤクザです。賭場だ何だと言っていますが、このままではいいように金を吸い上げられるだけですよ」
「ヤクザだって……? じゃああの壺振りとか見張りの連中もか?」
「それだけじゃない。あの花魁も本当は男性です」
「はぁッ!? 冗談だろ?」
「嘘じゃありません。極道鐘崎組というところの一員です。もう座敷に戻ってはいけません。抜け道を案内しますので、一緒にここから逃げましょう!」
「抜け道って……お前……」
「涼音に聞いて知っているんです。この厠からこっそり外へ通じる抜け穴があるんですよ」
「マジか……。ってかよ、何でヤクザが賭場なんか開いてんだ?」
「それは後で説明します! とにかく行きましょう。話はそれからです!」
「お、おう……」
 こうして代田は汰一郎に導かれるまま最上屋から消え失せてしまったのだった。

 一方、鐘崎の方には父の僚一から連絡が入ったところだった。海外での仕事を終えて、つい先程帰宅したらしい。電話の向こうでは僚一が驚くような報告をしてよこした。
『俺の方でも一連の事件についてちょいと調べてみたんだが、意外なことが判明したぞ』
 鐘崎は父の僚一が海外へ出張中であっても、日に一度は仕事の報告方々必ず連絡を入れている。そんな中で今回の源次郎と町永汰一郎のことについても逐一経過を話していたのである。



◆22
『町永汰一郎と代田憲についてはお前からの報告通りだったが、問題は涼音という芸妓だ。彼女は汰一郎と将来を約束した仲だということだったな? だがな、どうもそれだけじゃないらしい。涼音の父親というのは以前汰一郎が担当する顧客だったようでな。ヤツに勧められた株で大損を被っていたことが判明した』

「株で大損だと?」

『当然だが涼音の父親は激怒した。損失分を保障しろと汰一郎に迫って、結局汰一郎は身銭を切って償ったそうだ。その額何と一千万だ』

「一千万? 汰一郎がそんな大金を自腹で捻出したってのか?」

『おそらくは源さんが毎月欠かさず振り込んでいた金だろう。二十年前の事件以来、汰一郎が成人して居処が分からなくなるまで源さんは年間二百万円を超える額を援助し続けてきた。それに手をつけずに貯め込んでいたとすれば、汰一郎の手元には五千万に達する現金があるはずだ。おそらくはそこから一千万円を涼音の父親に補填し、残りの金はその地下街で代田の飲み代に消えていったんじゃねえかと――俺はそう見ている』

「……なんてこった。つまり……汰一郎が涼音に近付いたのは好いた惚れたじゃなく、涼音の父親に補填させられた一千万の恨みってわけか?」

 つまり、汰一郎がこの地下街に代田を引き入れた理由は、涼音の父親に対する報復の意味もあったということだろう。地上のバーやクラブでなく、この地下街でなければならなかった理由はそれだというわけか。

『まだそうとは断定できんが、何らかの思惑があって涼音に近付いたのは確かだろう。それより遼二。帰ってみたら源の字がいねえ。もしかしたらその地下街に向かったのやも知れん。俺もこれからそっちへ向かうが、念の為気をつけてやってくれ。源さんと代田が鉢合わせになればただでは済むまいからな』

 僚一はそう言うと、すぐにこの地下街へ向かうと言って通話は切られた。その直後に今度は最上屋で代田の仲間たちを見張っていた組員から連絡が入る。それによると厠の個室からどこかへ通じている抜け穴を発見したとのことだ。
「抜け穴だと? クソ……なんてこった!」
 鐘崎は一旦周や紫月らと合流し、今の僚一からの報告を伝えることにした。
「じゃあ……なんだ。汰一郎は代田だけじゃなく涼音にも恨みを抱いてるってわけか?」
 捜索で動き回る為に紫月は花魁の衣装を脱いで大きな鬘も取っていたものの、白塗りの化粧はそのままだ。
「まだそうと決まったわけじゃねえが、汰一郎が二人を恨みに思っているという可能性は捨てきれん。もしかしたら代田が姿をくらましたのも汰一郎が手引きしたとも考えられる。あの厠を調べていた若い衆から連絡があって、抜け道を発見したとのことだ。源さんも組を出てこっちへ向かった可能性が高いという。グズグズしておれん、とにかくヤツらを捜そう!」
「分かった! んじゃ二手に分かれっか」
 鐘崎と紫月、周と冰の方には綾乃木にも付いてもらって捜索を開始する。
「汰一郎は涼音を通してこの街の地理には詳しいはず――。例の抜け穴も涼音に教わったのかも知れん」
「とすれば、この街ン中で人目につかねえ場所に代田を連れ込んだ可能性もあるな」
「人目につかねえ場所か……。もしかしたら――」
 鐘崎は紫月と共に以前この街を荒らしたテロリストたちが占拠していた武器庫があった辺りを調べてみることにした。



◆23
 占拠されていた当時から比べれば多少マシになったものの、やはりこの辺りは街の中心とは雰囲気が違う。空き家も多く、まだすべてが再建には至っていないようだ。一旦荒れてしまうと案外そんなものなのかも知れない。
「伊三郎の親父っさんもここまではなかなか手が回らねえってところなのか――」
 少々怪しい雰囲気の中、周辺を散策していると、案の定か武器庫の辺りから人の話し声のようなものが聞こえた気がして、二人はそちらへと向かった。



◇    ◇    ◇



 一方、代田の方では厠で汰一郎と鉢合わせた後、抜け穴を経て街の最奥にある蔵へと連れて来られていた。正に当時の武器庫である。そこには涼音が待っていて、代田は驚かされたようだ。
「なんでい、こんな所に連れ込んで。ヤクザから逃げるんじゃなかったのかよ」
 ここは大門から一番遠くに位置する反対方向の街区である。
「こんな奥へ引っ込んじまっちゃ逃げるもクソもねえじゃねえか! 町永……てめえ、いったい何を考えてやがる……」
「まあそう焦らずに。今頃大門の辺りではさっきのヤクザたちが手ぐすね引いて僕たちを待っているでしょうし、しばらくはここでおとなしくしているのが得策ですよ。ほとぼりが冷めるのを待って密かにこの街を出ましょう」
「クソッ、とんだ災難だぜ! だいたい……! 何で今日に限ってあんな連中が居やがったんだ。俺が聞いた話じゃ涼音が風邪引いて座敷に出れねえっていうから! なのに当の涼音がここに居るって……ワケ分かんねえわ! 町永! どういうことか説明しろよ!」
 代田は憤っていたが、汰一郎は存外落ち着いた様子で堂々としている。ともすればその口元に薄ら笑いまで浮かべているのに、さすがの代田も不気味に思ったようだ。
「ふ――、じゃあ説明しますよ。代田さん、僕はね。ずっとこの日を待っていたんですよ」

「は――?」

「あなたとゆっくり――誰にも邪魔されずに向き合えるこの時をね」
 汰一郎は懐から短刀を出すと、それを代田に向けながら笑った。
「な……ッ! 何考えてやがる、てめえ! いったいどういうつもりだ!」
「さすがのあなたも怖いってわけですか? そりゃそうですよね。こんな刃物を向けられれば誰だって怖い。当たり前でしょう」
「町永……てめえ、気でも狂ったか……? 何で俺がこんな目に遭わされなきゃいけねんだ!」
「――そうですよね。何でこんな目に遭わされなきゃいけない、僕の父もきっとそう思ったことでしょう」
「は? てめえの親父が何だってんだ!」
「まだ分かりませんか? 本当に馬鹿なんですね、あなたって」
「んだとッ! 町永てめえ……調子コキやがって!」
「調子こいてるのはあなたでしょうが! 僕の父はね、あなた……いや、お前に刺されて死んだんだッ! 二十年前……お前らが調子こいて……イキがって乱闘騒ぎを起こしたあの事件でなッ!」
 さすがの代田も当時のことを覚えていたようだ。
「は、はは……そうか……。てめえ、あん時のガキか……」
「やっと思い出したか! このクズ野郎がッ!」
 汰一郎は刃物を握り締めると、ジリジリと代田に向かって刃を向けた。



◆24
「は……ん! 俺を刺そうってか!? てめえにそんな勇気があるかね? 慣れねえモン、チラつかせて脅そうったってそうはいかねえ! 返り討ちにしてやるわ!」
 代田は涼音の首根っこを掴み上げると、そのまま盾にするように彼女を自分の前へと突き出した。
「どうだ、刺せるもんなら刺してみやがれ! てめえがこの涼音とデキてるのを知らねえとでも思ってたか?」
 代田は余裕でせせら笑う。ところが汰一郎は焦る様子もなく、代田に――いや、涼音にとっても驚くようなことを口にしてみせた。
「ふ……ははは! 代田サン! あんた、何も解っちゃいないよ! そんなことしたって無駄さ」
「何を!? 強がってんじゃねえわ! 涼音がどうなってもいいってのか!」
「いいも悪いも――僕にとってその女はあんたと同様、恨んでも恨み切れない相手なんだよ!」

「……な……んだと!?」

 驚いたのは代田だけではない、涼音は驚愕というように顔色を真っ白にして絶句状態だ。汰一郎だけが平静のまま、薄ら笑いを続けていた。
「その女――涼音はね、僕にとってあんたと同じくらい憎い相手の娘なのさ! そいつの父親は……株でしくじったことを俺のせいにしたんだ! 俺が薦めたブツで大損したから……その分そっくり補填しろと言いやがった……。出来ないなら会社に訴える、何なら出るところに出ようとまで言い出して脅しやがった! 俺は仕方なく身銭を切って払わされる羽目になった……。一千万だぞ! 俺にとっちゃ大事な金だった……。それなのに――」
 汰一郎は拳を握り締め、歯軋りをする勢いで先を続けた。
「この地下街へ出入りするようになったのは会社の接待で偶然だった。だが、そこで涼音を知り、その親父があの時の客だと知った時は……運命だと思ったさ! それと同じであんたが……二十年前に俺の両親を殺した代田憲が――俺の勤める会社と取引している銀行にいると知った……。しかも頭取の息子だって? あんたの同僚にそれとなく話を聞けば、あんたはあの頃と何ひとつ変わっちゃいないならず者だった……。頭取の息子ってのをいいことに仕事はいい加減、同僚や先輩にまで威張って手に負えないクズだと知った。その時の俺の気持ちが分かるか……? お前らに人生を狂わされた俺の気持ち……絶対に復讐してやると誓ったよ……」
 汰一郎は手にしていたナイフに力を込めると、怒りの為か真っ赤に紅潮させた顔で二人を睨みつけた。
「二人共……まとめてぶっ殺してやる……! 覚悟しろッ!」
 汰一郎はそのまま二人を目掛けて突進した。

 一方、鐘崎と紫月も武器庫の中から怒鳴り合いのようなものが聞こえてくるのを感じて、扉を開けんと必死になっていた。
「ヤツはこの中だ! もしかしたら汰一郎も一緒かも知れん!」
「クソ……鍵が掛かってやがる」
「ここの鍵は確か――南京錠だったな……。かなり頑丈だ」
 鐘崎は紫月に少し下がっているように言うと、体当たりで蹴破ることにした。
 何度か蹴りを繰り返し、やっとのことで南京錠が外れる――。中へ踏み込んだ二人を待っていたのは驚くような光景だった。なんと汰一郎が腹から血を流して横たわっていたからだ。



◆25
 少し離れたところで代田がナイフを手にしたまま呆然というようにして突っ立っている。涼音は刺された汰一郎に覆い被さるようにして号泣していた。
「代田ッ! てめえ、いったい何しやがった!」
 だが、聞かずとも状況は明らかだ。鐘崎はすぐさま代田を取り押さえて意識を刈り取り、紫月は汰一郎に駆け寄って刺された腹を確かめる。
「ク……ッ、かなり深えぞ。こいつぁ急がねえとやべえ!」
 自らの着物の袖をむしり取って止血に掛かる。
「遼! 急いで綾さんを呼んでくれ!」
 綾乃木は万が一の為にと応急処置が可能な医療具や薬剤を持って来ていたはずだ。彼がいればこの場で取り敢えずの手術も可能だろう。出血量からして一刻を争うのは確かだ。紫月は止血しながら汰一郎を励まし続けた。
「おい、しっかりしろッ! すぐに治療する! がんばるんだ!」
 汰一郎はおぼつかない視線で紫月を見上げた。
「あ……んた、鐘崎組のヤ……クザだな……? もうちょっと……だったのに、しくじっちまった……。やっぱ俺は……一人じゃ何もできな……情けない男……だ。親の仇さえ……マトモに討てな……」
「いいからしゃべるな! すぐに縫合手術をする……。おとなしくしてるんだ」
 側で泣きじゃくる涼音の話では、汰一郎が代田を刺そうとしたところ、逆に返り討ちに遭ったとのことだった。
「……アタシのせいよ……汰一郎さんはアタシを庇って刺されたの……!」
 どのみち代田のようなチンピラには敵わなかったというところなのだろう。ところが汰一郎は虫の息ながら『そうじゃない』と言って話を続けた。
「別に……涼音を庇ったわけじゃ……ない。たまたま俺が……しくじっただけだ……。最初から解ってたんだ。代田のようなヤツには俺なんかじゃ敵いっこねえって。だから本当は……あの人……東堂のオヤジと代田を鉢合わせにして……東堂に殺してもらおうと思ってた……のに、あのオヤジったら乗ってきやしねえ……。仕方ね……から自分で殺るしかね……って思って」
 紫月も鐘崎も驚いたが、やはりこの汰一郎は代田と源次郎を引き合わせて、源次郎に手を染めさせるつもりだったのだと知る。
「馬鹿野郎が……! てめえがそんなこと考えてたなんて知ったら……源さんがどんなに悲しむと思ってやがる……!」
 さすがの紫月も悔し涙が抑えられない。グイと懸命に涙を拭いながらも、何とかして止血をせんと踏ん張っていた。
「死なせねえぞ! てめえにゃ、その根性叩き直して……源さんに会ってもらわなきゃなんねんだ……。この二十年、ずっとてめえンことを気に掛けてきた源さんの気持ちを……ちゃんと受け止めてもらわにゃなんねえってのよ……!」
 懸命に処置を続けながらも、抑え切れない紫月の涙がポタリポタリと汰一郎の頬を打つ。そんな彼の表情を朧げに見上げながら、汰一郎の瞳からもまた、みるみると大粒の雫が溢れ出した。



◆26
「あ……んた、東堂さんと俺のこと……知って……」
「ああ! 知ってるともさ! 源さんは俺にとって親父もお袋も同然の人だからな! おめえだってホントは解ってんだろが! 源さんがどんなに……あったっけえ人かってのをよ! それなのに……てめえ、勝手にこんなバカなことしやがって!」
 悔し涙に塗れながらも声を嗄らしてそう叫び、懸命に手当てを続けてくれる紫月に、汰一郎は嗚咽しながらコクりとうなずいた。
「……あ……んたの言う通りです……。本当は俺、東堂さんのこと……誰よりもいい人だって知ってた……。でも頭では解ってても、東堂さんを恨むことでしか自分を保てなかったん……だ。ホント……俺、大馬鹿野郎……だな」
 汰一郎は震える手を差し出しながら、涼音に向かっても微笑みを見せた。
「涼……音、おめえにも……嫌な思いさして……すまな……い」
「汰一郎さんッ……!」
 涼音はブンブンと首を横に振りながらも、大粒の涙で濡れた頬を汰一郎の差し出した手に擦り付けては泣いた。
「ご……めんな涼音。俺は……自分の逆恨みで……おめえまで騙そうだなんて……。けど……騙し切れなかった。最初は……おめえの親父に復讐するつもりで……おめえに近付いたのに……ホントに惚れちまうなんて……」
「汰一郎さん……! バカ……! あんた大馬鹿よ! アタイだって……アタイだって本気であんたのこと……」
「涼……」
 すまない――そう言って汰一郎は意識を失ってしまった。と同時にちょうど綾乃木が駆け付けて、急ぎ容態を確かめる。
「大丈夫だ、息はある。紫月、急いで三浦屋に戻って縫合手術を行う! 手伝ってくれ」
「分かった!」
 それを聞いた周が、すぐに汐留の鄧に連絡を入れて医療車を手配してくれた。ここから汐留なら車ですぐだ。綾乃木の手助けにもなるだろう。
 こうして皆の懸命の処置により、汰一郎は一命を取り留めたのだった。



◇    ◇    ◇



 汰一郎が意識を取り戻したのは一之宮道場の地下にある処置室だった。綾乃木と紫月、そして医療車と共に駆け付けてくれた鄧によって手術が行われ、無事に縫合が済んだのだ。紫月の処置が早かった為、思ったよりも重症にならなくて済んだとのことだった。
 あの後すぐに源次郎も地下街にやって来て、術中もずっと汰一郎の側について見守っていた。源次郎の到着がもう少し早かったなら、汰一郎の思惑通り代田と鉢合わせてしまったかも知れない。そうならずに済んで良かったと思う鐘崎と紫月らであった。

「気がついたかい?」
「……東堂……さん」
「手術は無事に済んだそうだ。もう心配はいらない。傷が塞がればまた元のように元気になれる」
「……東堂さん、俺……」
「何も言うな。キミが無事だったんだ。それが何よりだよ」
 細められた源次郎の瞳は赤く充血していて、寝ずに看病してくれていたのだろうことが窺えた。おそらくは己の思惑も、盗聴器の件も、既に何もかも知っているのだろう。汰一郎は本能でそう理解していた。



◆27
「ごめんなさい東堂さん……俺、俺は……」
「いいんだ。いいんだよ」
「俺……あなたに……あんなに世話になっておきながら……。金だって……あんなにたくさん、毎月欠かさずに援助してもらったのに……俺……」
 涼音の父親への補填と代田の飲み代に使い果たしてしまい、掛けてもらった温情を無にしてしまった。汰一郎は後悔と自責の念に、あふれる涙を抑えることができなかった。
「いいんだ。妻も子も持たなかった私にとって、キミは息子も同然だった……。息子が何をしようと親が愛情を失くすなんてことはない。キミがこうして生きていてくれただけで……私は充分だよ」
「東堂さん……ッ、俺、俺……! ごめんなさい……本当に……ごめんなさ……ッ」
 しゃくり上げて涙する汰一郎の手をしっかりと握り締めながら、源次郎もまた熱くなった目頭を抑えたのだった。



◇    ◇    ◇



 町永汰一郎が涼音と共に鐘崎組を訪れたのはそれから三ヶ月後のことだった。傷もすっかり完治して、仕事にも復帰を果たせたとのことだ。代田を襲おうとしたことで一旦は身柄を拘束され、事情聴取を受けたものの、情状酌量で執行猶予がついたのだ。
 その代田の方は汰一郎を刺した傷害の罪で逮捕され、過去のこともあって当分は獄中暮らしになるようだ。父親の頭取も責任を取って辞職に至ったとのことだった。
「東堂さん、本当にお世話になりました。ご恩は一生忘れません。これからは心を入れ替えてこの涼音と共に生きていきます」
 涼音の父親への恨みから彼女に近付いたものの、憎しみは愛しさを超えることはできなかったそうだ。
 あの最上屋で逢瀬を重ねる中でどんどん惹かれ合っていき、汰一郎は愛情と恨みの間で苦しんだそうだが、結局は恨み切ることができなかったと言って、自らの浅はかさを悔いたという。涼音もまた、すべてを知って尚、汰一郎への愛情は揺るがなかったそうだ。父親が汰一郎にしたことは申し訳なく思えども、これからは二人で懸命に生きていくと誓い合ったとのことだった。
 そんな若き二人の報告に、源次郎は心から歓び、涙した。

「東堂さんにご援助いただいたお金は少しずつですがお返ししていきたいと思っています。本当に……せっかくのご厚意を無駄に使ってしまったこんな私ですが、できる限りご恩に報いたいと思います。様々ご無礼をお許しください」
 そう言って涼音共々揃って頭を下げた様子に、源次郎はとんでもないと首を横に振った。



◆28
「過ぎてしまったことはいいのだ。お金のことも気にしないでください。私はこの通りもういい歳だ。お金はキミら若い人たちのこれからに役立ててくれた方が嬉しいのだよ。お二人のそのお気持ちを聞けただけで充分幸せですから」
「ですが……本当に気持ちだけでも……」
 汰一郎は汰一郎で、例え月に僅かずつでもお返ししないと気が済まないと言って、申し訳なさそうな顔をする。――と、第一応接室のドアがノックされて、三人が振り返るとそこには組長の僚一が姿を現したのに、皆驚き顔で彼を見つめた。
「失礼するよ。まずは――汰一郎君、涼音さん、ご結婚おめでとう。二人の末永いお幸せを祈っておりますぞ」
「は――! はい……あの、恐縮です!」
 汰一郎には初めて目にする僚一が誰なのかは分からなかったものの、そのオーラだけで近寄り難いものを感じたようだ。
「不躾ながら少々話が聞こえてしまったものでね。汰一郎君、源さんの言う通りだ。キミたちのその気持ちを聞けただけで源さんは何を貰うよりも嬉しかったはずだよ。それでも――どうしてもというなら、たまに二人で顔を見せに寄ってやってください。それが源さんの一番の喜びだと思うのでね」
 穏やかに微笑む僚一に、源次郎も有り難い思いでいっぱいだったようだ。
「組長、わざわざのお越し、ありがとうございます。誠、おっしゃる通りです。私にとって若い二人がいつまでも仲睦まじく手を取り合っていってくれることこそが何よりの幸せでございますゆえ」
 汰一郎も涼音も、源次郎の『組長』という言葉に驚いた様子でいる。二人共にガチガチに硬直しながらも、揃って深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……! お言葉を……決して忘れずに二人で一生懸命歩いていきたいと思います!」
 緊張しながらの言葉もまた清々しい。僚一と源次郎は互いを見やりながら微笑んだのだった。

 源次郎にとって苦く切なく、そして長かった冬が終わろうとしている。二十年の月日がようやくと報われ、新たな春を目前にした今、その陰には我が事のように親身になって支えてくれた鐘崎や紫月、そして組長の僚一。周家の面々や一之宮道場の飛燕に綾乃木、鐘崎組の若い衆たち、そんな皆があってこそなのだとしみじみ思う。

 源さんは俺の親父でもありお袋でもある――若頭と姐さんが二人揃って同じことを言ってくれた。

 壮年を過ぎ、高年を迎えた今、これまで歩んできた人生を振り返る。妻も子も持たなかったものの、そんな自分を親と慕ってくれる若者たちが側にいてくれる。源次郎にとってこれほど嬉しいことはない。
 かくも幸せな人生だと、心の底からそう思う。
 皆に囲まれて生かされている至福を噛み締める源次郎の頬に一筋の涙がこぼれて落ちた。

 極道一筋に人生を捧げた男の――幸せの涙がこぼれて落ちた。

三千世界に極道の涙 - FIN -



Guys 9love

INDEX    NEXT