極道恋事情

5 香港蜜月1



◆1
「――っていうのが俺と遼二が今みてえになった経緯! まあ、こうして思い返してみるとさ、ここまで辿り着くのに色々あったなぁって、ちょっと懐かしかったりして」
 一之宮紫月が力説して聞かせているのは、彼と彼の恋人の鐘崎遼二がどのようにして恋仲に漕ぎ着けたかという経緯だ。大きなソファベッドに寝転がっては、お気に入りの甘い菓子類を頬張りながら懐かしそうに話す。
「そっかぁ。鐘崎さんと紫月さんのエピソードって、なんだかすごくドラマチックですよね!」
「へへ、そうかなぁ?」
「お二人は元々幼馴染みだったんですよね? 長い間ずーっと想い合ってたっていうのもホントすごいです! 憧れちゃいますよ」
 対面のソファでお茶をすすりながら相槌を打っているのは雪吹冰だ。香港へ向かうプライベートジェットの中でのことである。
 鐘崎と紫月が生涯の伴侶として誓い合ってから二年余りが経った今、二人の親友である周焔にも唯一無二といえる相手ができて、念願のダブルデートが叶うようになったのである。
「そういう冰君たちだって充分ドラマチックだと思うけどな。初めて氷川と出会ったのって、冰君がまだ子供の頃だったんだろ?」
「はい。確か八歳か九歳だったと思います。あの時の白龍はもうすごく大人に見えて、最初はめちゃめちゃ怖いお兄ちゃんだなって印象だったのをよく覚えてます」
 冰もまた照れ臭そうに笑った。
「でも話してみるとすごくやさしかったんです。でっかい背を丸めて、俺の目の前で屈んでくれて、子供の俺を怖がらせないようにってすごく気を遣ってくれているのが分かって……このお兄ちゃんになら何でも話せる、っていうか話しても大丈夫なんだなって安心したのも覚えてます」
 ポッと頬を赤らめながら言う。そんな冰を紫月は可愛いなと思うのだった。
「そっかぁ。じゃあ冰君と氷川はまさに運命の相手だったんだろうな」
「……そ……うなんでしょうか。でも今こうして白龍と一緒に暮らせていることは本当に有り難いし、幸せだと思います」
 モジモジと恥ずかしそうにする様子からも冰の性質の良さが感じられる。紫月は周との繋がりでこの冰と出会えたことを素直に嬉しく思うのだった。
「着陸まであと二時間くらいか。ちょっと仮眠でも取っとく?」
「そうですね。白龍たちはあっちの部屋で難しい話に花を咲かせているようですしね」
 そうなのだ。紫月と冰の恋人である周焔と鐘崎遼二は、各々の家令の真田と源次郎と共に、先程から世情や経済についての話で盛り上がっている様子である。春節を機に香港にある周の実家へと向かう機中で、恋人たちは二組に分かれて寛いでいるといったところだった。いわば旦那組と姐組とでもいおうか、四人が集まると最近はもっぱらこの組み合わせでおしゃべりを楽しむことがお決まりとなっていた。




◆2
 紫月と冰の二人が仮眠を取り始めてから小一時間が経った頃、旦那組の男たちの方も雑談が終わったのか、揃って愛しい恋人のもとへとやって来た。
「おいおい、寝ちまってるぜ」
「ああ、本当だ」
 お菓子がたんまりと乗ったテーブルを挟んだ両脇のソファベッドに一人ずつ、紫月は大の字になって脚と腕を投げ出したまま、冰は子供のように毛布に包まり丸まって寝息を立てている。
「また腹出して寝てやがる……。仕方のねえヤツだな」
 鐘崎はクスッと笑いながら、寝相の悪い紫月の脇に座り込んではそっと毛布を掛け直してやっている。一方の周は、丸まった子猫のような冰を見下ろしながら、
「無邪気な顔しやがって」
 起こさない程度に、そっと頬を指先で突っついては瞳を細めて口角を上げる。

「――ったく! 可愛いったらねえな」

 一字一句違わずに同時に呟いて、思わず声が重なった瞬間、男二人は互いに顔を見合わせてしまった。
「おい、ハモってんじゃねえよ」
「そりゃこっちのセリフだぜ」
 またもや同時に片眉を吊り上げ合って、二人はプッと噴き出してしまった。
「着陸までもう一時間くれえあるからな。このまま寝かしといてやるか」
「そうだな。おおかた、はしゃぎ過ぎて疲れちまったってところだろう」
「そういやさっきっから賑やかしくやってたようだからな」
「二人して何を話してたんだか……。まるで遠足に行ったガキだな」
「はは! 違いねえ」
 うなずき合うと、周と鐘崎はそっと隣の部屋へと移動したのだった。
 片やマフィアの頭領ファミリー、片や裏の世界でその名を轟かせている硬派極道といわれる男たちも、恋人の前では形なしである。誰もが想像し得ないほどにやさしい眼差しで愛しい者を見つめる二人は、おそらく当人たちでさえこんなにも甘い表情になっているなどとは気づかないのだろうと思うくらいなのだった。
「おや、坊っちゃま方! お早いお戻りで。冰さんと紫月さんはどうされました?」
 隣に行ったと思ったらすぐに帰って来たことに、真田が目を丸くしている。
「二人とも寝ちまってるんでな」
「左様でございますか!」
 残念そうに苦笑した周を見て、真田は瞳に弧を浮かべながら言った。
「では紹興酒でもお持ち致しましょう。ご到着まで坊っちゃま方も少し休まれると良うございますよ」
 ほほほと朗らかに笑っては、甲斐甲斐しく飲み物の準備に席を立つ。
「おい、真田。気遣いも有り難えが、お前も疲れんようにな? 俺らは適当にやってるから、旅に出た時くれえはゆっくりしてくれ」
「ありがとうございます。いつもながらの坊っちゃまのお気遣い、そのお気持ちだけでこの真田は元気をいただけておりますよ」
 そう返しつつも軽快な動作でドリンクを運んでくる。
 和やかな二人の会話に、鐘崎と源次郎も瞳を細めて微笑み合うのだった。




◆3
 香港に到着すると、一同は揃って周の実家へと向かった。
 空港には既に迎えのワゴン車が来ており、山道を登って街全体を見渡せる邸を目指す。周の父親である隼の私邸は、この一軒家の他にも香港島と九龍にある高楼のビルなどにいくつもあって、仕事の都合で住処を使い分けているといったところである。今日向かうのはそれらの中でも本宅とされる邸であった。
「うわぁ……すごい!」
 車を降りると同時に、冰などはその豪華さに瞳を大きく見開いて溜め息を連発してしまった。
 石とアイアンを用いた重厚な造りの門から玄関ロビーまで広大な庭園があり、歩けば数分とかかりそうだ。緑豊かな庭には季節の樹木や花々が植えられていて美しい。建物の外観は一見中華ふうだが、一歩中に入ると西洋と東洋の際立った建築が融合されているような造りに目を見張らされる。香港マフィアの頭領というからにはそれなりの想像はしていたものの、実際に目にすれば足がすくんでしまいそうなくらいの素晴らしい邸に呆然とさせられてしまった冰である。
 鐘崎と紫月は以前にも幾度か訪れているわけだが、そんな彼らでも来るたびにうっとりとさせられるくらいだった。
「よく来てくれた。皆、元気そうで何よりだ」
 出迎えてくれたのはこの邸の主、香港の裏社会を仕切るマフィアの頭領だ。周の父親である周隼だった。
 漆黒のスーツは繻子だろう、織物の所々が光の加減でキラキラと品の良く輝いている。重々しく厳かな雰囲気ながら、端正な顔立ちに似合いの長身は、周とほぼ同じくらいだろうか。まるで映画の中から抜け出してきたような美麗さに、冰はポカンと大口を開いたまま固まってしまった。
「白龍、お前さんも達者そうで何よりだ。いつもながらの援助にも痛み入る」
 周が日本で起業し、その稼ぎをファミリーの資金源の一部として貢献していることへの感謝と労いの言葉に、周は恐縮しながら丁寧に頭を下げた。
「いえ、私の方こそいつも心に掛けていただき有り難く存じております。父上もお元気そうで安心致しました」
「ああ、お陰様でな。して、そちらが冰君かな?」
 真っ直ぐに視線をくれられて、冰は機械仕掛けの人形のようにビシッと背筋を伸ばした。
「は、は……はじめまして! ふ、雪吹冰でございます! ふ、ふつつかな者でございます!」
 まるで機械がギギギッと音を立てるごとく勢いで腰を九十度に折って自己紹介した冰に、周はむろんのこと側にいた一同は思わず笑みを誘われてしまったほどだった。
「おい、冰……。そんなに緊張することはねえ。いいから顔を上げろ」
 やれやれと苦笑しながら周が肩に手を添える。そんな二人の様子に父親の隼も瞳をゆるめてうなずいている。
「焔の言う通りだ。そう畏まることはない。楽にしてくれ」
 緊張も緊張、ド緊張といった様子がモロ見えのおぼつかない挨拶だが、隼にも冰の性質の良さが感じられたのだろう。そんな彼を愛しそうにかばう息子の様子を見ても、普段の彼らの仲が窺い知れるというものだ。
「周隼だ。焔から話を聞いていたのでね。早くキミに会いたいと楽しみにしていたんだ」
 そう言って、未だ頭を上げられずにいる冰の目の前へと歩み寄り、その顔を覗き込むようにクッと腰を屈めて微笑んでみせた。



◆4
 その瞬間、冰の双眸にみるみるとうるみ出した涙に、周と父親の隼は慌てたようにして瞳を見開いてしまった。
「おいおい、どうした。泣くヤツがあるか」
 周も一緒になってその顔を覗き込む。
「ご、ごめ……すみませ……! 白龍と初めて会った時のことを思い出してしまって……本当にすみません!」
 そうなのだ。父親の隼の掛けてくれた言葉や仕草が周とそっくりで、感激ともなんとも言いようのない思いが涙という形になってあふれ出してしまったのだ。
 初めて周と出会った幼いあの日、周も同じように屈みながら顔を覗き込んでくれた。大人になって汐留の社を訪れた際にも、『周焔だ。よく訪ねてくれた』と迎え入れてくれたし、『そう畏まることはねえ』と言って緊張を解してくれようとした。今まさにそんな彼とよく似た面立ちの隼にまったく同じ言葉を掛けてもらえたことが、その時の感動と重なって思えたのだ。冰は改めて周という唯一無二の恋人と共にいられる幸せを痛感したのだった。
 取り留めのないながらもその思いを懸命に告げると、隼も周も、そして周りの皆も温かい気持ちに包まれたのだった。
 そんな折だ。
「あなた! もうそろそろいいかしらー?」
 待ち切れないとばかりに柱の影から顔を出したのは、周の継母と兄夫婦だった。どうやら彼らは隼によって少しの間、対面を待つように言われていたらしい。一度に全員で顔を出せば、初めて訪れる冰を緊張させてしまうかも知れない。それでは気の毒かろうと、順々に自己紹介することに決めていたようだ。
「白龍! 会いたかったわ!」
 継母は待ち兼ねたように駆け寄ると、小さな子供を抱きしめるように周へとハグをした。と同時に、
「あなたが冰ね? まあ、なんて可愛いのかしら!」
 間髪入れずに今度は冰を抱きしめて、周にしたのと同じようにハグをしてよこした。
「旦那様がね、いきなり皆で出て行ったら冰が面食らうといけないと言ってね。私たちは待たされていたのよー」
 初対面とは思えない朗らかな歓迎に、冰の緊張も一気に解されていく。
「私は香蘭、焔の母よ。そしてこちらが兄の風とお嫁さんの美紅ちゃん! 皆、あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ」
 言葉通りに瞳をキラキラと輝かせて言う。香蘭の名のごとく、見惚れるほどに美しく、そして朗らかな彼女に、冰は周から聞き及んでいたままの印象を受けた。
「はじめまして。雪吹冰です! お目に掛かれて光栄です!」
 隼の時とは違い徐々に緊張も解れてきたし、また、彼女の明るさにつられるようにして今度は冰も上がらずに挨拶をすることができたのだった。



◆5
 それにしても美男美女の両親は、親とは思えないほどに若くて美しい。兄の風も周によく似て群を抜いた男前であるし、嫁の美紅もファッションモデルか女優のようだ。まさに見ているだけで溜め息が出そうなファミリーに歓迎されて、夢見心地に陥った冰であった。
「今夜の晩餐にはあゆみも来るから楽しみにしていてね! きっとあゆみも冰に会いたくてウズウズしているはずよ!」
 あゆみというのは周の実母のことである。周に聞いていた通り、継母と実母は本当に親友のような仲なのだろう。息子が初めて連れてくる恋人との対面の席に、妾という立場の彼女をないがしろにすることなく、声を掛けて一緒に晩餐をと言ってくれる。そんなファミリーに周はむろんのこと、冰もまた心から嬉しく、感謝と感激でいっぱいになったのだった。

 その夜は鐘崎と紫月、真田と源次郎も含めた全員で周ファミリーと共に晩餐を楽しんだ。実母の氷川あゆみも駆け付けて、冰との念願の対面を果たすことができたし、それぞれにとって幸せなひと時となったのだった。
 晩餐が済むと、周と冰は鐘崎らと共に街中に取ってあるホテルへと帰ることとなった。
「何もホテルなぞ取らなくていいのに。ここへ泊まっていけばいいではないか」
 父の隼はそう言って残念そうな顔をしたが、冰が緊張するだろうことを考えて周が敢えてホテルを予約したのである。
「今回は初めてのことですし、また次回の時には是非そうさせてもらいます。明日はこいつの育ての親の墓参りと、少し市内を観光して歩きますが、明後日にはまた寄らせてもらいますので」
 周が言うと、隼も香蘭も納得して送り出してくれた。
「明後日はここで春節を祝った後、夜にはベイフロントで記念のカジノが開かれることになっている。お前さん方も皆で来るといい」
 隼の経営するカジノでは毎年開催される一大イベントでもあるのだそうだ。
「ええ、楽しみに伺いますよ。では父上、母上、兄貴に義姉さんも、また明後日に」
「気をつけて帰るのよ。遼二と紫月、真田さん源次郎さんも本当にありがとう。また明後日お目に掛かれるのを楽しみにしているわね!」
 香蘭もあゆみも、そして兄夫婦もそう言って見送ってくれた。



◇    ◇    ◇



「ねえ、白龍。ご実家に泊まらなくて本当に良かったの?」
 街へと降りる車中で冰が遠慮がちに訊く。
「ん? ああ、構わんさ。それにホテルの方が気兼ねなくていいだろ?」
 それはもちろん冰自身のことを気遣ってくれてのことと重々分かってはいるのだが、たまに帰省した時くらい親子水入らずで過ごしたいのではないかとも思ってしまうわけだ。何だったら自分だけホテルに泊まるからと言い出しそうな冰をグイと抱き寄せて周は言った。



◆6
「家に泊まっても構わんが、お前がまたいろいろ気にすると思ってな。汐留にいる時でさえシーツがどうとか言ってるからな。せっかくの蜜月だ、そんな気を使わせるのは野暮ってもんだろうが」
 ニヤっと白い歯まで見せて笑う周に、冰は大袈裟なくらいに赤面させられてしまった。
「ちょっ……、白龍ったら……! な、な、何を言い出すんだって……」
 車中には鐘崎と紫月、真田も源次郎もいるというのにこの堂々ぶりだ。冰はアタフタと視線を泳がせて冷や汗状態だった。
「――ふ、てめえも相変わらずだな。冰の為だとかご尤もなことを言っちゃいるが、単にてめえが気兼ねなく楽しみてえだけだろうが」
 隣の鐘崎から冷やかされて、周もタジタジながら、すかさずやり返す。
「他人のことを言えた義理か。そういうてめえだって親父さんの邸があるってのに、わざわざ俺らと同じホテルを取ってるじゃねえか」
 そうなのだ。鐘崎の父親は海外での仕事を請け負うことも多いので、この香港にも自邸を構えている。場所も先程行った周ファミリーの邸と近所に位置する、こちらもなかなかの豪邸である。父親の僚一は現在は日本だが、邸には留守の間も管理をする家令らが常駐しているというのに、そこには泊まらずにわざわざホテルを取るのだから、目的は言わずと知れたものである。
 所詮考えることは一緒だろうと鼻で笑われて、鐘崎もまた苦笑するのだった。

 周たちの泊まるホテルは、明後日の夜にカジノが行われるというベイサイドである。言わずもがなゴージャスな最上階のスイートルームだ。鐘崎らとは斜め向かいの部屋だったので、二組のカップルたちはそこで別れることとなった。ちなみに真田と源次郎もフロアは同じだが、少し離れた部屋である。むろんのこと、これもまた壁一枚を通して声がどうのと気を遣うだろう冰のことを思っての周の事前の気回しだった。
「疲れたろ? いきなり家族全員集合だったしな」
 一先ずはソファで寛いでいる冰に労いの言葉を掛ける。
「ううん、そりゃまあ最初は緊張したけどさ。皆さんやさしい方ばかりで楽しかったよ! ご飯もすごく美味しかったしさ!」
 冰の口ぶりからは決して嘘ではないことが窺われる。彼はこれみよがしの世辞などは言わない性質なので、本当に楽しかったと思ってくれているのだろう。にこやかに瞳を輝かせるその様子に、周も安堵したのだった。
「それよりお前、メシの最中はどんな話をしてたんだ? お袋二人に囲まれて大変だったろうが」
 母たちの希望で、晩餐の席は冰の両脇を継母の香蘭と実母のあゆみが陣取ってしまったからだ。



◆7
「ううん、全然! 大変どころかすごく楽しかったよ! 実はお母さんたちに言われたことがすっごく嬉しくてさ。俺、感激でまた涙出そうになっちゃったんだよ」
「ほう? いったいどんなことを言われたんだ?」
「うん、それがね。俺が小さい頃に両親を亡くしてるのをお母さんたちもご存知だったようでさ。気の毒なことだったけど、これからは私たちがあなたのお母さんだからって。遠慮しないでたくさん甘えてねって言ってくれたんだ」
「お袋たちがそんなことをな――」
 会食の間、周自身は久しぶりに会う父の隼と兄との対話で忙しく、あまり冰を構ってやることができなかったのだ。すまないと思いつつも、時折ちらりと視線をやった先では、母親たちに囲まれた冰が楽しそうな笑顔を見せていることにホッと安堵していたというところだった。だが、さすがに会話の内容までは聞き取れなかった為、どんな話で盛り上がっていたのかが気になるわけだ。
「もう俺、めちゃめちゃ嬉しくて……! 本当は白龍の恋人が男の俺だなんて……って思われても当然だよなってちょっと覚悟してたんだけど、お母さんたち全然そんなこと気にしてないっていう感じでさ。もちろんお父さんもお兄さんご夫婦も、皆さん本当にやさしくしてくださって……」
 男同士で恋仲であることに関しては、ここへ来る前に周からもそんなことをどうこう言う家族ではないから安心しろと言われてはいたものの、やはり実際に会ってみるまでは多少なりと不安はあったのだ。それがこんなにも温かく迎えてもらえて、皆の心の大きさに直に触れることができて、冰にとっては感激を通り越した大感動だったらしい。
「だから言ったろうが。うちの家族はそんなことを気にする狭量じゃねえって」
 クスッと周は頼もしげに微笑んだ。
「うん、ホントそうだね! 俺、マジで超幸せ者だよ」
 頬を染めて感激に瞳を細める様子は、周にとっても心底愛しいものだった。
「よし、冰。それじゃもっと幸せ者にしてやらねえとな?」
「え?」
 これ以上の幸せなんて贅沢過ぎるよ――そう言おうとした冰だったが、周の不敵な笑みを見てその意味するところを悟った途端にみるみると頬が染まっていった。
 大きくて温かい掌がやわらかな髪ごと包み込み、そっと触れるだけのキスが唇を奪う。
「白龍……!」 
 吐息にまじって名を呼べば、次第に深く激しい口付けが降り注ぐ。
「――な? ここならシーツがぐちゃぐちゃになったって気にすることはねえだろ?」
「白龍……ったら! ……ッ、もしかしてその為……? 家じゃなくてホテルにしたのって……」
「それ以外にねえだろ?」

 耳元をくすぐる声が色香にあふれて、男らしいその美声を聞いているだけでジクジクと腹の中心がうずき出す。

 しっとりとした厚みのある唇が胸飾りを掠った瞬間に、冰の形のいい口元からは赤く熟れた舌先がピクりと震えて顔を出す。

 愛しい男の仕掛けた熱情に翻弄される夜が始まるのだった。



◇    ◇    ◇






◆8
 次の日、冰は周と共に亡き黄老人の墓参りに訪れた。
 墓前で手を合わせ、黄老人が生前から好きだった酒や果物などを供える。花は老人の名にちなんで、黄色を基調とした春のやさしい花々を選んできた。
「じいちゃん、久しぶり。俺、今は周焔さんと一緒に日本で暮らしてるんだ。周さんにも周りの皆さんにもすごくやさしくしてもらって、とっても幸せだよ。これからも周さんと共に健康でずっと一緒にいられるように見守っててくれよな」
 そう報告をして、今一度手を合わせる。冰に続いて、周もまた老人の墓前に語り掛けたのだった。
「黄大人、こいつと引き合わせてくれた運命に感謝しています。冰のことはできる限りの愛情を注いで必ず幸せにしますんで、どうぞご安心ください」
 墓参りを終えると『また来るね』と言って、二人は車へと戻って行った。

 昼食はホテルではなく、街中にある老舗の中華料理店で舌鼓を打った後、以前に冰と黄老人が住んでいたアパートメントの近くを散策して歩くこととなった。
 街区は開発が進み、新しい店なども建ってはいたものの、アパートの建物は当時のまま残っており、懐かしさに胸がいっぱいになる。
「そうだ、白龍! じいちゃんが好きだったお菓子屋さんに寄ってもいい? あそこの月餅が絶品でさ。紫月さんに買っていってあげたいんだ。真田さんと源次郎さんも甘いものはお好きみたいだしさ」
 鐘崎と紫月は父親の僚一からことづかった取引先に出向いていて今日は別行動なので、甘いもの好きの紫月の為に土産に買っていこうというわけだ。些細なことではあるが、ちょっとした心遣いを忘れない、そんな冰のことがますます愛しく思える周であった。



◇    ◇    ◇



 夜はホテルへと戻り、鐘崎たちとも合流して夕飯を共にした。
「昨日の夜も今日の昼飯も中華だったからな。今夜は肉だ! 精をつけねえとな!」
 ガッツポーズまで繰り出して上機嫌の周の隣で、鐘崎がコソっと耳打ちする。
「ほーお? 精をつけてどうしようってんだ?」
 ニヤっと人の悪い笑みを浮かべながらも、自らはしれっとした顔で一等精のつきそうな厚切りステーキを注文した彼に、周もまた対抗心に火が点いてしまう。
「ンな分厚い肉食いたがるヤツに言われたかねえね。てめえこそ考えてることが見え見えだぜ?」
「そりゃお前、愛するヤツを幸せにすんのが男の甲斐性ってもんだろうが。大黒柱は常に元気で強くいねえといけねえ」
 ご尤もなセリフで満足げに言う鐘崎に、周はチィと舌打ちをしてみせた。
「ほうほう、ほーお? 元気で強くですか。何にお強くなるつもりか知らんが、鼻の穴おっ広げて言われてもなぁ?」
 ニヤニヤしながら大袈裟に肩をすくめつつも、負けじと厚切りステーキをシェフへと告げる。



◆9
「ふん、鼻の下伸ばしたヤツが何を言う」
「るせー。鼻の下だろうが、どこの下だろうが短えよりは長え方がいいに決まってる」
「は! 品のねえこと抜かしてんじゃねえ」
「大は小を兼ねるって言うだろうが」
「阿保か、てめえは! 何の話してんだ」
 傍らでは、旦那衆の低次元な企みに気付く様子もない紫月と冰がおしゃべりに花を咲かせながら、カボチャやニンジンなどの甘味のある野菜を中心にヘルシーな魚介類と薄めのステーキを楽しんでいる。
 各人の目の前には大きな鉄板が設られており、シェフがその場で好みの肉を焼いてくれるというスタイルだ。口に入れるととろけるようなやわらかいステーキからホタテやアワビなどの魚介類、色とりどりの野菜など種類も豊富で、調理の様子を見ているだけでも楽しい。
 何はともあれ、二組の恋人たちは真田と源次郎と共に賑やかな夕卓のひと時を楽しんだのだった。
 その後、旦那衆が強い大黒柱と称して、嫁を幸せにすべく挑んだのは言うまでもない。



◇    ◇    ◇



 次の日、”大黒柱”たちが張り切ったせいで、紫月と冰は昼過ぎまで寝過ごすハメとなった。
 それとは裏腹に、当の大黒柱二人は朝早くから機嫌も上々、すっかり気持ちの良く目覚めてしまい、共に伴侶は夢の中だしで手持ち無沙汰で仕方ない。暇を持て余した鐘崎が周を誘いにやって来て、源次郎と真田の部屋を訪れての麻雀大会が始まった。
「そういや今夜は親父さんのカジノで春節記念のイベントだとかと言っていたな?」
「ああ。始まるまではまだたっぷり時間があるからな。冰たちが目を覚ましたら、そこらのショップでも見に行こうかと思ってる」
「なんだ、ショッピングか。何か買ってやるつもりなのか?」
「今夜の為のタキシードは一応用意してきてはあるんだが……。昨日、冰と出掛けた際に通り掛かった贔屓のショップでちょっといいカフスを見つけたんでな。あいつが気に入れば揃いでつけるのも悪くねえと思ってよ」
「カフスか。そんなにいいデザインだったのか?」
「ああ。付いてる宝石がガーネットとダイヤだったんだ」
「ほう?」
 その二つの宝石に特別な意味でもあるのかと訊きたげな鐘崎の視線を悟って、横から真田が口を挟んだ。
「ガーネットとダイヤモンドは、坊っちゃまと冰さん、お二人のお名前にちなんだ石なのですよ。お二人がスマートフォンにつけていらっしゃるストラップにも同じ石がはまっておりましてな」
「ああ、例の組紐のやつか」
 鐘崎も見たことがあるので知っているのだ。



◆10
「ふぅん、名前と揃いの宝石か……」
 麻雀牌を器用に動かしながらも、脳裏には揃いの宝石を思い浮かべている鐘崎である。
「俺の名前は宝石とは何の関係もねえが、紫月なら紫の石がちょうどいいだろうな」
 すっかり自分も紫月にプレゼントする算段になっているふうな彼に、周はクスッと笑んでみせた。
「なら一緒に行くか。名前にこじ付けずとも、お前のは誕生石でも選べばいい」
「誕生石か。そういや、紫月は二月生まれだったな。石は……」
「アメジストでございますよ! 紫色ですし、ちょうど良いではありませんか!」
 横から真田が言う。
「遼二さんは六月生まれですから、誕生石なら真珠ですな」
 源次郎もそんなことを言うものだから、鐘崎も周も目を丸くしてしまった。
「源さんも真田さんも……よく知ってるな?」
 おおよそ男にとっては興味の薄いことだが、さすがに年の功といったところか。麻雀は既にそっちのけで、頭の中は誕生石でいっぱいになっている鐘崎である。
「おい、氷川。その店ってのは遠いのか?」
「いや。このすぐ下だ」
「そうか……。まだあいつらは起きてこねえだろうしな。ゲームはこの辺にして、ちょっと今から下見に行ってみねえか?」
「あ? ああ、構わねえが」
 すっかり買う気満々の鐘崎の様子に、周も真田らもクスッと笑みを誘われて、麻雀大会はお開きとなったのだった。



◇    ◇    ◇



「ほう? なかなかいいデザインじゃねえか」
 周と共にショップを訪れた鐘崎は、すっかり展示物に興味津々である。
「そういや紫月のヤツに宝石を贈ってやるのは初めてだな……」
 伴侶としての指輪は揃いでつけてはいるが、石のはまったものは今の今までまったく眼中になかったのだ。まあ、女性と違って紫月も特には欲しがらないというのも理由ではあるが、よくよく考えれば恋人に宝石のひとつも贈っていないというのは手落ちとも思う。そんなわけで、かなり真剣に眺めていたのだが、お目当ての紫の石、アメジストの色合いも綺麗で、鐘崎はなかなかに気に入ってしまった様子だった。
「鐘崎の坊っちゃま、こちらが真珠でございますよ!」
 下見について来た真田がショーケースを指差しながら呼ぶので、そちらも見てみることにする。
「紫月さんのお名前には月の字も入っていらっしゃるので、ムーンストーンなどもありますな」
「鐘崎の鐘にちなんで青銅色の石というのもオツですぞ」
 真田の横から源次郎もケースを覗き込んで、わいのわいのと賑やかだ。
「青銅色ならターコイズやブルージャスパーですかな?」
「いいですな!」
 もはや真田と源次郎は我が事のようにはしゃぎながら宝石選びに夢中になっている。
「……しかし、こう種類があると迷うな」
 これまではさっぱり興味がなかったことだけに、鐘崎当人は決めかねている様子だ。
「だったら後で一之宮も連れて来て一緒に選べばいいじゃねえか。こういうのは嫁の意見も大事だぜ?」
 ”嫁”などと言われれば、まったくもって悪い気はしない。一気に気分も高揚、周の提案になるほどとうなずく鐘崎だった。




◆11
 午後になって紫月と冰が起きてきたので、周と鐘崎は少し遅めの昼食がてら恋人たちを伴って早速にショップへと向かった。
「どうだ、綺麗な色だろう?」
「カフスボタン……? これ買うのか? つか、お前、カフス持って来てなかったっけ?」
「一応持って来てはいるが、せっかく香港に来たんだ。記念にもう一つくらいどうかと思ってな。こういうのはいくつあってもいいだろ?」
「まあ、そうだけど――」
 目星をつけてあったものを紫月に見せながら反応を見る。気に入った様子ならこれに決めようと思うわけだ。すると、当の紫月は鐘崎が使う物と勘違いしたらしく、マジマジと見つめながら少々首を傾げてよこした。
「確かに綺麗な色だけど、お前がするならもうちっと別のやつの方がいんじゃねえ?」
 ショーケースを覗き込みながら真剣な眼差しで考えているというふうである。鐘崎としては紫月にと思っていたのだが、ここはひとつ自分用のを彼の好みで選ばせるのもいい機会かも知れないと考えた。
 先刻、下見に来た際に真田と源次郎から聞いていた誕生石だという真珠のカフスも見たのだが、鐘崎自身はいまいちピンとこないというか、果たして自分にはどんな石が似合うのかなど、まったくというほどイメージが湧かなかったからだ。紫月に贈ることしか頭になかったというのもあるが、周らもペアで買うらしいし、どうせなら色違いで二人一緒のデザインのものを揃えたいところだ。
「だったら俺にはどんなのが似合うと思う?」
 珍しくもワクワクとしながら鐘崎は訊いた。
「うーん、そうだな……。遼だったらこれかな?」
 紫月が指差したのはブラックダイヤがはまったカフスだった。
「――ブラックダイヤか」
「うん。ブラックダイヤってネーミングからしてカッコいいし、似合うと思うぜ」
 真珠とは真逆の印象のものを選んだ紫月に少々驚いた鐘崎だったが、その理由を聞いて更に驚かされることとなった。
「俺さぁ、遼のイメージっつったら昔っからブラックダイヤなんだよねー」
「そうなのか?」
 長い付き合いの中でも初めて聞くセリフである。鐘崎は俄然興味が湧いてしまった。
「白い方のダイヤモンドってのは輝きを発する方だろ? それとは逆にブラックダイヤは周りの光を吸収する石だって聞いたことがあってさ。それ知った時に遼が頭の中に浮かんだんだよね。色的にも硬質っつーかさ、イメージにピッタシだし」
「俺のイメージは黒ってわけだな?」
「うん、色でいえばそうかな。つかさ……お前がブラックダイヤだとしたら、俺はそれに吸収されてみてえとかって思っちまったのよね。あ! もち、付き合う前の話な」
 いつかアクセサリーをプレゼントするならブラックダイヤを贈りたいと思っていたのだと紫月は言った。
「じゃあ、今はすっかり吸収されてくれた――と思っていいわけだな?」
 あまりにも嬉しいことを聞かされて、鐘崎はこの場で今すぐにでも抱き締めたい衝動に駆られてしまった。
「吸収された……つか、まあ……そういうことになるのかなぁ」
 彼特有の照れ隠しの為か、少々唇を尖らせながらもモジモジと視線を泳がせている。そんな様子も堪らなく愛しくて仕方ないと思う鐘崎だった。



◆12
 こうまで嬉しいことを聞かされれば、もはや迷うわけもない。自分用のはブラックダイヤで即決し、紫月には下見していたアメジストを贈ることにした。
「え? ちょい待ち! まさか……俺のも買ってくれちゃうわけ?」
「ああ。元々お前にと思って、実はさっき氷川と下見に来たんだ」
「マジ? 何でまた急に……」
 まさか自分に贈られるとは思っていなかった紫月は驚き顔でいる。そんなの悪いからいいよと言われる前に、鐘崎はさっさと店員に言って二人分のカフスを購入してしまった。
 が、買ってしまった後で少しばかり急いてしまったかと気付く。
「……なぁ、紫月――お前はそいつで良かったのか?」
 鐘崎にとっては、紫月といえばやはり紫色のイメージが強い。彼も嫌とは言わなかったものの、半ば強引に決めてしまった感もあったので、少々心配になってそう訊いたのだ。
 だが、紫月は鐘崎が選んでくれたこと自体に感激したようで、頬を染めながら大事にすると言って喜んでくれている。
「いきなしこんなん買ってもらっちゃって……すっげサプライズってかさ。ビックリしたけど超嬉しいわ!」
 今夜すぐに使うわけだが、初めて宝石の類を贈る記念でもあるしと、ギフト用に包んでもらったので、それを大事そうに抱えながら紫月は頬を染めている。こうまで喜んでもらえると、自分たちも周らの組紐ストラップのように、普段使いできる物も贈りたくなってしまう。
「せっかく香港に来た記念だ。他にも揃いで何か買うか。そうだな、普段から身に付けられるようなものがいいが……お前はどんなのがいい?」
 紫月にも意見を訊いてみる。
「や、どんなのって……今これ買ってもらったばっかだし、そんな何個もいらねって!」
 遠慮するところがまた可愛いわけだが、そうなると事更に是が非でも贈りたくなるのは男心というものだ。
「俺がお前とペアで付けてえんだ。カフスは改まった席用だ。普段使いできるものが欲しいじゃねえか」
「普段使いねえ……。でもほら、これ! 祝言の記念にって指輪ももらってるし……」
「氷川と冰だって揃いのストラップを付けてるだろ? マネするわけじゃねえが、俺らもペアで何か持っていたいと思うわけだ」
「へえ、お前がそんなこと言い出すなんてさ」
 紫月は笑うが、鐘崎が是非にと言ってくれるのならやぶさかでないと思うわけか、早速何がいいか思いめぐらせている様子である。
 スマートフォンのストラップなら常時身に付けている物という点では最適だが、それだと周らと同じになってしまうし、二番煎じのようで分が悪い気もする。何かもっと気の利いたものはないかと思う鐘崎だったが、その答えは意外にもすぐに見つかった。何故なら紫月から嬉しい提案があったからだ。



◆13
「だったらさ……あれにしようぜ! GPSの付いたやつ。遼と氷川には刺青のところにくっ付いてるけど、俺には付いてねえじゃん?」
 それを聞いて鐘崎は驚いた。確かに紫月は鐘崎の伴侶であるし、裏の世界ではすっかり周知の仲だから、緊急を要する事態が訪れないとも限らない。万が一にも敵対心を持った組織などから拉致されたりすることも絶対にないとは言い切れないのだ。
 安全面から考えれば当然GPS機能は必要だとも思うが、平穏なことの方が圧倒的に多い日常下では、彼の行動を逐一見張るようで、鐘崎の方からはそういった機能を所持して欲しいとは言い出せなかったのだ。
 だが、紫月は自分からそうしたいと言ってくれた。驚きつつも感激の気持ちが先立って、鐘崎は一瞬返答が遅れてしまったほどだった。
「……いいのか?」
「いいって、何が? まあ、俺はお前らと違って誰かに狙われるとか、突然行方が掴めなくなるってことはそうそうねえとは思うけどよ。ンでも何かの時にはGPS機能がくっ付いてりゃ安心じゃね?」
「それはもちろん……そうだが」
「つか、やっぱ俺にゃ必要ねえ?」
「いや、お前がいいなら付けてくれれば俺は安心だが……。年中居場所を監視されてるようで、お前が窮屈に感じやしねえかと思ってな」
 危惧する鐘崎に、紫月はクスッと笑ってしまった。
「バッカ……! つまり、なんだ。お前が俺を束縛してるんじゃねえかって思うわけ?」
「――まあ、正直に言えばそういうことだ。よほどの危険がない限り、縛るようなことはしたくねえと思っているが……」
 言いずらそうにしながらも、GPS機能があれば安心だと顔に書いてある。と同時に、必要以上にプライベートを侵したくないという思いやりが透けて見えて、紫月はそんな彼を頼もしく思うと共に、より一層愛しさが募るような心持ちにさせられてしまった。
「まあ、今だって年がら年中一緒にいるんだ。俺のプライベートはお前ありきと思ってるし、GPSがくっ付いたところで縛られてるなんて思わねえって! つかさ、別に縛られてもいいんだけどな……。あ、お前限定だけど……な?」
 語尾にいくに従って恥ずかしそうに頬を染めながら小声になっていく様子に、鐘崎が心を揺さぶられないわけもない。
「紫月……お前ってヤツは……! 今すぐにでも抱きたくなるじゃねえか」
 感動の面持ちで声を震わせる鐘崎に、紫月はまた一度、「バッカ……」と言って逞しい胸板に軽くゲンコツをくれたのだった。



◆14
「よし、それじゃまずは石を決めるとするか! 別にアメジストじゃなくてもお前の好きなのにすればいい」
 この際、もう周らと同じストラップでも構わない。四人一緒だろうと、それぞれの絆が強い上でのお揃いなのだから、それも幸せというものだ。
「ストラップでもいいし、ブレスレットでも腕時計でも――石も形もお前のいいと思うやつにしろ」
 すると、紫月はまたしても鐘崎を喜ばせるようなことをサラッと口にした。
「うーん、そうだな。だったら俺、ブラックダイヤがいいな……。そんでもって、アクセの形はピアスにしてもらって、そこにGPSを仕込んでもらえればいっかな。時計だと外す機会も多いけど、ずっとつけっぱなしにできるっつったらピアスがいいんじゃねえかなって」
 それを聞いて、鐘崎はもう我慢できずにその場で紫月を抱き締めてしまった。
「そうか……! そうか! なら、俺はアメジストで指輪でも作るか。石の形を揃えればアクセサリーの種類は別でもいいかも知れねえ」
 同じカットの宝石で指輪とピアスのペアというのもまた粋である。これなら周たちとも被らないし、とびきりいい案に辿り着いとばかりに鐘崎は気分も上々、幸せの極みといった表情でいる。
「そうだ、遼! パスワードだけどさ。これも化学式にするんじゃ、さすがに覚えらんねえつか……俺ンはもうちょい簡単なのにしてくれよな?」
「ああ、パスか。そうだな、じゃあお前の好きな言葉でいいぜ?」
 確かにあっちもこっちも化学式ではこんがらがりそうだ。紫月用のは分かりやすいものの方が賢明かも知れない。
「好きな言葉かぁ……。マジで俺が決めていいのか?」
「ああ。お前の好きなワードで覚えやすいのにするといい」
「そうだなぁ……じゃあ、アール、ワイ、オーにすっかな」
「またえらく短えな? いくらなんでもそれじゃパスにゃなら……ねえ……」
 鐘崎は笑ったが、頭の中で文字列を綴った瞬間に、ハタと瞳を見開いて紫月を見つめてしまった。
 そうなのだ。アール、ワイ、オー、つまりは”リョウ”である。
「紫月――お前、それって……」
「いけねえ? だって……俺ン好きな言葉でいいっつったじゃん!」
 唇を尖らせながらも、その頬は朱に染まっている。鐘崎はそれこそ本気ですぐにも彼を押し倒してしまいたいくらいの気分にさせられてしまった。
「紫月……まったくお前は……どこまで俺を喜ばせるんだ……!」
「べ、別に……おめえを喜ばせる為じゃねって! 分かりやすい好きなワードっつーから俺は……」
「それが喜ばせるってことだ」
 もう嬉しいも嬉しい。嬉しくて踊り出したいくらいなのは確かだが、実際にこれではパスワードとしては短すぎるのも事実である。
「――よし、それじゃこうしよう。その三文字をフォネティックコードにすりゃいいんだ」
「フォネティックコード?」
 フォネティックコードというのは、聞き間違いを防ぐ為の通信手段に使われるものである。
「……って、何だそれ?」
「ああ、それはな――」
 言い掛けたところで、
「フォネティックコードがどうしたって?」
 背後からニュッと周に覗き込まれて、二人は驚いたようにビクりと肩を震わせて振り返った。



◆15
「バカヤロ、脅かすな!」
「別に脅かしたつもりはねえがな。さっきっから何をイチャイチャ内緒話で盛り上がってんのかと思ってよ?」
「……ッ、イチャイチャとはご挨拶だな。こちとら一等真剣な話をだな……」
 ところがである。紫月にGPSの付いたアクセサリーを贈ることを説明した途端、周は自分も冰に持たせたいと思ったのだろう。片眉をジリリとしかめて、羨ましそうにしながらムスーっと頬を膨らませてみせた。
「――俺も買う」
「――は?」
「え……?」
「俺も買うと言ったんだ。冰にも持たせてえ」
 しかめっ面なのは照れ隠しだろうか、鼻息を荒くせん勢いで周が『ウンウン』とうなずきながら独りごちている。
「実際――冰だっていつ何時、どんなことが起こるか分からんからな。俺の側にいる以上、そういった備えは必要不可欠だ。いいことを聞いた。感謝するぜ」
 今まで気付かなかったのが手落ちだと言わんばかりの勢いで、周は丁寧に礼の言葉まで述べると、そそくさと冰の元へと駆けていった。
「冰! おい、冰――!」
「ん? 白龍、何? どうかした?」
「ああ、実はな――」
 早速仲睦まじくショーウィンドウに張り付いている彼らを遠目にしながら、鐘崎と紫月もまた自分たちの宝石選びに戻っていったのだった。
「で、アール、ワイ、オーをフォネティックコードにするとどうなるんだよ」
「ロメオ、ヤンキー、オスカーだな」
「へえ……。なんかそれも遼にピッタシじゃん! ロメオっていやロメオとジュリエットのあれだろ? でもってヤンキーはお前の高校時代とかさ。オスカーは……確か映画かなんかの賞にそんな名前のがあったじゃん? これなら覚えやすくていいわ」
 気に入ったと言いながら、ケラケラと楽しそうに紫月は笑った。
「ロメオとオスカーはまあ分かるが……俺、ヤンキーだったか?」
 さすがの鐘崎もヤンキーと言われては眉根を寄せてしまいそうだ。
「ンだって高坊ん時は不良連中に崇められてたじゃん、お前! 今だから暴露しちまうけど、実はあの頃……俺も不良っぽいお前にときめいたりしてたんだよな、これが!」
 またまた嬉しいことを聞かされて、それこそすぐにでもベッドへ連れ去りたいと思ってしまう。
 愛しくも出来過ぎた伴侶を持つというのは幸せの極みである。男冥利に尽きるというものだが、と同時に、こと欲情に関してだけは忍耐力を試されているようで、なかなかに複雑であると思う鐘崎だった。
 一方、周の方もこれまたなかなかいい感じに話が進んでいるようだ。
 冰は頬を染めながらも嬉しそうな顔をしているし、当の周もご機嫌そのものだ。この四人、似た者同士というべきか、とにかく傍で見ている方が恥ずかしくなるほどに甘くも熱いカップルなのは確かである。
 余談だが、実はこの時、周が冰へと持たせるGPS付きのアクセサリーが後々になって役に立つ時がくるのだが、それはまた別の話である。今はとにかく蜜月の記念に宝石を贈ることに頭がいっぱいの周であった。



◇    ◇    ◇






◆16
 その夜、一同は周の父親が経営するカジノでのイベントへと向かった。
 今夜は四人とも黒のタキシードである。先刻買い揃えたそれぞれのカフスボタンをしっかり身に付けて出掛けた。もちろん、真田と源次郎も同行している。
「白龍……いつものスーツの時もカッコイイけど、今日はまためちゃめちゃ素敵だね……」
 思わず感じたままが口をついて出てしまった冰は、言ってしまった後で真っ赤に頬を染める。
「なんだ、改まって。お前だってすごく良く似合ってるぜ、そのタキシード!」
 愛する冰に褒められて機嫌も上々の周は、ニヒルに口角を上げて恋人の肩を抱き寄せる。
 世辞ではないが、本当に周という男はこうしたクラシカルな装いがよくよくサマになる男前ぶりなのだ。欲目を抜きにしても心底見惚れる格好良さだと、冰は高鳴り出す心拍数を抑えるのがたいへんなくらいであった。
 ホテルの玄関前には昨日までのワゴン車とは別の高級車が待っていて、それにも驚かされた。豪華も豪華、黒塗りのリムジンである。香港在住時には街中に走っているのを目にしたことはあるが、乗るのは初めてという冰には、何もかもが夢の世界である。鐘崎と紫月、真田と源次郎を乗せる為のリムジンもそれぞれ別々に三台が連なっていて、その光景を見ただけで膝がガクガクと笑い出してしまいそうだった。
 車は滑るようにホテルを出発し、カジノに到着するなり、冰はまた感嘆の声を上げながら瞳を見開いてしまった。
「うはぁ……すごい……!」
 ほんの数ヶ月前までは冰とて黄老人の後を継いでディーラーをしていたわけだから、カジノ自体は日常見慣れていたはずの場所なのだが、ここまで広くゴージャスなのは初めてである。
 天井は建物の五、六階くらいありそうな吹き抜けになっていて、部屋全体を見渡せるように螺旋階段状の広い廊下が延々と続いている。照明器具も大型のシャンデリアがいくつもあって、そのデザインだけでも芸術鑑賞といえるくらいの豪華なものだ。
 ディーラーたちも紳士淑女といった、粋で上品な制服に身を包み、冰がいたカジノとは別世界といえるほどに、とにかく見るものすべてが豪華絢爛だった。
「ここは親父が持ってるカジノの中でも陸の上では一番大きな店でな。特に今夜は春節のイベントってことで、客も各国から来ているし、普段よりも賑やかだぜ」
 周がそう説明する。
「陸の上ではっていうことは……他にもどこかにあるの?」
 例えばお隣のマカオなどにも店を展開しているのかと思って冰が驚き顔で訊く。
「マカオにも息の掛かった店はあるが、直営の中ではここの次に規模がでかいのはカジノ船だな」
「カジノ船……!?」
「ああ。湾内をクルーズしながらカジノも楽しめるって感覚なんで、あっちは普段でもかなりの賑わいだな」
「ふわぁ……」
 まさに言葉にならない。この世界に身を置いていた冰でも溜め息の連続なのだから、真田や源次郎などはそれこそ物見遊山顔で少年のように瞳を輝かせていた。



◇    ◇    ◇






◆17
 出迎えてくれた周の父親たちと合流し、案内されたのは二階部分に当たるコーナールームだった。
 全面ガラス張りの窓からは階下のカジノ場の様子が見渡せる。まさに壮観な風景だ。こちらからは人一人の動きまでよくよく分かるが、客の側からはミラー仕様になっていて、中の様子は分からないようになっていた。周ファミリーがカジノ全体の動きを把握するのに通常使っている部屋ということだ。
 すぐ隣はコントロール室になっていて、常時専門の係員が監視管理している。機械のトラブルからイカサマなどにも即対応できるようにする為だそうだ。
「父上、今年のデザインも粋に仕上がりましたね」
 テーブルの上に並んでいるトランプのカードに気が付いた周が感想を述べている。毎年、春節のイベントに合わせてカードやルーレットのボールなどを新しいものに一新するのも恒例となっているのだそうだ。
「ああ、お陰様でな。いつも備品を作ってもらっている会社に今年は新しく入ったデザイナーが担当したと言っていたが、出来は悪くない」
「ええ。なかなかに斬新ですね」
「そう言ってもらえて何よりだ。あと三十分ほどで開場だが、乾杯と挨拶が済んだらここでメシを食いがてらゆっくり見学してくれてもいいし、下へ降りて遊んでみるのもオツだぞ」
 鐘崎と紫月はすっかりカジノに参加する気満々らしい。真田も源次郎もそれぞれ得意とするゲームに向かうと言って張り切っている。
「どうだ、冰。お前さんも賭ける方は新鮮だろうが。俺らも回ってみるか?」
「うん! やってみたい!」
 周が訊くと、冰も興味津々の様子でうなずいた。
 階下では招待客が続々と集まっているようだ。俳優やモデルなどの有名人もチラホラと見えるし、政治家や大企業のトップたちも次々と顔を見せる。さすがに香港の裏社会を仕切る周ファミリーの運営するカジノだけあって、まさに夢の世界だ。
 そんな中、客人の一人がファミリーのルームを訪ねてやって来た。
「頭領、ご友人のレイ・ヒイラギ様がお見えです」
 側近に案内されて顔を見せたのは、アジア一のトップモデルと言われている柊麗とその息子の倫周だった。
「レイか! よく来てくれた。お前さんも相変わらずご活躍の様子だな」
 レイは年齢こそ周の父親と変わらないが、実際よりは数段若く見える美麗を絵に描いたような男前で、世界的なブランドのファッションショーなどからも引き手数多という有名モデルだ。ファッションに興味のない者でも街角のスクリーンパネルやコマーシャルなどでも見掛けるので、誰でもその顔は知っているというくらいだった。
「そっちこそ! 今年も大盛況じゃねえか」
 ハグをし合う周の父親とレイというモデルを遠目にしながら、紫月と冰が感嘆の声を上げていた。



◆18
「うはぁ……! レイ・ヒイラギじゃん! 本物かよ……! すっげえ」
「有名なモデルさんですよね? めちゃくちゃ綺麗な人だなぁ」
 はしゃぎ合う二人を横目に周が言った。
「レイ・ヒイラギな。親父が学生時代に留学してた先で知り合って以来の友人だそうだぞ? 春節のカジノイベントには毎年顔を出してくれているようだ」
「そうなんだー。でもホント、綺麗っていうか、さすがにトップモデルさんだけあってオーラがすごいね! それに、一緒にいるのは息子さんっていう話だけど、彼もモデルさんなのかな? 二人共、人形のように綺麗だー……!」
「ああ、息子の倫周はレイのヘアメイクを専門で担当しているアーティストだそうだが、なかなかに腕がいいらしいな」
「ええ、そうなの? モデルさんじゃないんだ? お父さんのヘアメイクをしてるなんてすごいね! 立派な方なんだねぇ」
 冰がつくづく感心しているが、周にしてみればそんな素直な彼が、またいっそう愛しく思えるわけだった。

 その後、一通りのオープニングセレモニーが済むと、周らは会場をグルリと見物して歩いた。鐘崎と紫月はゲームに参加しに行ったが、周にとっては経営者側であるし、冰にしてみても少し前まではディーラーとして客を迎える立場にあったので、ゲームを楽しむというよりは別の角度からの興味が湧いてしまう。それでもスロットゲームなどをいくつか楽しんで回った後、腹ごしらえがてらファミリールームへと戻ってきた。
「階下はすごい熱気だったねー! ここから皆の様子を眺めるのもまたオツかも!」
「そうだな。とりあえず何か食うか」
 ルームにはカジノのレストランから専任のシェフとバーテンダーが出向いてくれていて、その場でローストビーフを切り分けてくれたり、好きなカクテルを作ってくれたりと至れり尽くせりである。二人が食事を取っていると、父親の隼と兄の風も揃ってルームへと戻って来た。
「おう、二人共もう戻っていたのか。カジノは楽しめたか?」
「ええ、お陰様で。すごい熱気なんで、一先ず腹ごしらえです」
 周は父と兄の為に席をひとつずらして座り直しながら言った。
「遼二と紫月はまだ階下か?」
「ええ、奴らはポーカーのテーブルに張り付いてましたよ」
「そうか。勝ててるといいがな」
「さっきチラっと見た様子じゃ、なかなかにいい塩梅のようでしたよ」
「そりゃ良かった。そういえば冰はディーラーをしていたそうだな?」
 父の隼に訊かれて、冰はコクリとうなずいた。
「はい。育ての親がディーラーだったもので、幼い頃からいろいろと教えてもらったんです」
 両親を失った冰が、大人になってから一人で生きていけるようにと、黄老人が教え込んでくれた技である。例えその道に進まずとも覚えておいて損はないということで、手取り足取り老人の持てる技をすべて仕込んでくれたというわけだ。



◆19
「確か育ての親御さんは黄大人だったな。まだ私の父の代の頃だったが、大人にはこの春節のイベントで腕を振るっていただいたことがあるぞ」
「……! じいちゃんが……そうだったんですか!」
「ああ。他の追随を許さないほどの素晴らしいディーラーだったと父に聞いたことがあるよ」
 黄老人が周ファミリーのカジノに立ったことがあると聞いて、冰は感激の思いに打ち震えた。確かに老人は周家のことをよく知っているようだったが、そんな経緯があったことが嬉しくてならなかった。
 そうして四人で和やかな食事と酒を楽しんでいた時だった。隼の友人だというモデルのレイ・ヒイラギが息子の倫周と共に少々険しい顔付きでファミリーの元へとやって来た。
「隼、ちょっと耳に入れておいた方がいいと思ってな。実は俺たちはルーレットのテーブルで遊ばせてもらっていたんだが、どうやらイカサマをやらかしている連中がいるようだぜ――」
 レイの話を受けて、一気にファミリールーム内に緊張が走った。
「イカサマだと――!?」
 すかさず隼が立ち上がってガラス張りの窓辺へと駈け寄り、階下を見渡す。ルーレットのテーブルを見やれば、確かにディーラーが頭をひねって困惑顔でいるのが視界に飛び込んできた。周囲の客も互いに顔を見合わせながら、どことなくザワついた雰囲気になっているのが分かる。
「テーブルの真ん中に陣取っている帽子を目深に被った男がいるだろう? どうもヤツが怪しい動きをしているようなんだ」
「怪しい動きというと?」
「ヤツが賭けるところに三度立て続けでドンピシャ玉がハマった。普通なら有り得ねえだろうが。賭けている金額的には大してデカくはねえんだが、もしかしたら試しているのかも知れねえ。何回か様子を見て上手く事が運ぶのを確認したところで、大きく賭けてくる可能性もあると思ってな」
 レイはとにかくルーレットのテーブルを一旦とめた方がいいと思い、報告にやって来たのだそうだ。すると、案の定か、階下の黒服から少々焦ったような問い合わせが飛び込んで来た。
『只今ルーレットに法外と思える金額が賭けられまして……如何致しましょう』
 レイの悪い予感が的中したようだ。
「やはり来やがったか――。隼、あれは絶対おかしい。承諾は待って一旦ゲームを休止し、テーブルを確認すべきだ」
 焦燥感に駆られる中、鐘崎と紫月も逸ったようにしてファミリールームへと戻って来た。
「おい、ルーレットのテーブルで何か不正が起こっているようだ――」
 鐘崎からもレイと同じ報告が成される。緊張感が走るルーム内で、冰はガラス張りの窓から階下の様子を見渡しながら言った。



◆20
「ねえ……白龍、確か今日のイベントの為にカードやダイス、ルーレットのボールなんかを全て新しいものにチェンジしたって言ってたよね?」
「ああ、そうだが。毎年そうしていることだが――何か気になることがあるのか?」
「ボール……、そう……それだよ! 新しくしたルーレットのボールのサンプルってここにある? あったら見せてもらいたい」
 先程、トランプの新しいカードを周が褒めていたのを思い出して、もしもボールやダイスもあるならば見せて欲しいという冰に、周はすぐさま父親へとそれを告げた。
「サンプルならこれだが――」
 兄の風が新しいカードやボールのサンプルを持って来て手渡す。それを受け取った冰は、ボールを握ると、スマートフォンの方位磁石を起動させて近付けた。
「やっぱり……! わずかですが磁石が狂います。多分、このボールの中に微量ですが磁気が含まれているのかも……」
「磁気だと!?」
「どういうことだ」
 周はむろんのこと、父も兄も、その場にいた一同は驚いたようにして顔を見合わせた。
「おそらく磁気を利用して狙ったところにボールを落とすように細工していると思われます。ルーレットでイカサマをする時に使われる方法のひとつです。賭けているお客さんの周囲に仲間がいるはず……」
 冰の指摘に慌てて階下を見下ろすと、確かに怪しげに視線を交わし合う者たちが数人で帽子の男を取り囲んでいるようだった。
 隼はすぐさま場内の賭けを休止させるように指示を出すと、緊急の対策を練ることとなった。
 先ずはフロアの監視役である黒服とルーレットを担当していたディーラーを呼び寄せて、詳しい経緯を訊くことにする。
「それが本当におかしいんです……。お客様の賭けた箇所に……狙ったように確実にボールが落ちるんです。それも立て続けに! こんなことは初めてです……」
 ディーラーは困惑も困惑、報告する声も震えて取り留めもない様子だ。冰は彼が持ち帰ってきたボールを見せてくれるように言うと、それを手にした感覚で、やはり磁気が含まれていることを確信した。

(やっぱり――! イカサマだ)

 まだ黄老人が健在だった頃、聞き及んでいた話を思い出す。

『いいか、冰。今から教える技はよほどのことがない限り他人様の前で披露してはいけない。だが、覚えておいて損はない――というよりも、お前がもしも将来ディーラーとして生きていくなら知っておかなければならない。ただ、この技を使えるようになるには気の遠くなるような鍛錬が必要だ。そして、仮にし身に付けられたとしても人前で易々と行ってはならない』



Guys 9love

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