春朧

新しい季節へ 9



 その後、初のライブで大成功を収めた遼平と紫苑のユニットJADEITEは、順調にチャートにも顔を出すようになり、ミュージシャンとしての彼らの日々も本格的に歩み始めようとしていた。
 ライブの際に手助けしてくれた春日野と徳永も、本格的にメンバーに加わることとなった。それぞれの進路的には、元々音楽一家である実家の稼業を継ぐつもりでいた春日野は、特に就職という形での企業等への進路が決まっていたわけではなかったから、スムーズにメンバー入りを決めることが叶った。
 徳永は現役の音大生なので学業は続けるが、それと並行してJADEITEとしての道を歩むことに決めたのだった。彼もまた、春日野と一緒に歩める人生が、心から嬉しそうであった。
 そしてベテラン組のリードギターとベース、清水剛と橘京は言うまでもない。遼平と紫苑と共にバンドが組めるなんて夢のようだと、当然の如くメンバーへ加入となった。
 こうして六人で歩み出す新生JADEITEは、それぞれが本当に幸せに満ちあふれている中、好スタートを切ったのである。

 氷川は相変わらずに多企業の経営をも見つつ、プロデュース業にもますます意気込みを見せている。それを支える帝斗や倫周も生き生きと輝いていた。
「お疲れさん! どうだい、一緒に昼飯でも?」
 音楽事務所がある自社ビルのロビーで、帝斗が氷川と肩を並べて歩いていた。方々から「おはようございます、社長」「お疲れ様です」と、声が掛かり、そんな中でも氷川は例の如く仏頂面がお決まりのパターンなので、軽く会釈を返すだけだ。帝斗は「ああ、お疲れさん」などとにこやかにしている。これも見慣れたいつもの風景である。
 ふと、受付の前を通り掛かったところで、氷川はハタと足を止めた。何となくどこかで見たような顔を見つけた気がしたのだ。
 よくよく見れば、どうやらバイク便の配達に来た若者のようだ。氷川がしきじきと見つめていると、先方もこちらに気が付いたのか、ペコリと頭を下げながら駆け寄ってきた。その顔を確認するなり、氷川は少々驚いたように瞳を見開いた。
「お前、確か――」
「ご無沙汰しています!」
 氷川の前で深々と頭を下げた男は、僅か照れ臭そうにしながら微笑んでみせた。
「思い出した。前に倉庫で会ったやんちゃ坊主じゃねえか――!」
 そうである。彼は遼平と紫苑と春日野が巻き込まれた、例の乱闘騒ぎのあった倉庫で出会った若者の一人だったのだ。確か、バイクで氷川に突っ込んできた男である。氷川に捉えられた後も、自分の身よりも転倒させられたバイクの傷を気に掛けていた程のこの男のことを、氷川は独特な印象として覚えていたのだった。
「お前が配達してくれたわけか?」
「はい! 俺、やっぱバイクっきゃ脳が無えッスから。でも……楽しいッス! 好きなバイクに乗ってられて幸せッス!」
 以前のことが後ろめたいのか、バツの悪そうにポリポリと頭を掻きながらも嬉しそうである。きっとあの後、ブラブラと当てもなくしていたのを改めて、この職に就いたのだろう。清々しげな笑顔でそう言う彼に、氷川は思いきり瞳を細めた。
「そうか。頑張ってるんだな」
「はい、あの……その……あなたのお陰ッス。あの時、アンタに出会ってなかったら……俺、未だにフラフラしてたと思います」
 感謝してます――そんな思いを今一度の深々としたお辞儀に代えた彼に、心の温まる思いがしていた。
「それじゃ……! 失礼します!」
 元気よく敬礼して走り出した彼を、「おい、待て――」氷川は思わず引き留めた。
「はい……?」
「本当は昼飯でも一緒にしたいところだが、お前も忙しいんだろう?」
「え!? ええ、はい……。まだこの後も配達が山積みなんス!」
 思いがけない誘いに彼は相当驚いたようである。
「そうか――。じゃあ、気持ちばかりだがこれで昼飯でも食ってくれ」
 氷川は彼の手を取ると、労いの気持ちに代えてチップを差し出した。彼はますます驚きに目をグリグリとさせている。
「……え、でもそんな……申し訳ないッス」
 戸惑いと遠慮からか、なかなか受け取ろうとしない彼に、横から帝斗がやわらかに口添えした。
「どうか受け取ってやっておくれ。こいつもなかなかに人見知りだから、今キミにこうして声を掛けたのだって精一杯なんだぜ?」
 まるでウィンクをするようにそう促す。氷川の方は図星を突かれた感じでタジタジだ。
「そうッスか……じゃあ、遠慮なくいただいてきます!」
 彼は頬を染めると、とびきりの笑顔と共に今一度ペコリと頭を下げて去って行った。

「彼も自分の行く道を見つけたようだね。良かったね」
 帝斗が微笑ましげに言う。元気に駆けていく彼の後ろ姿を見送りながら、あの倉庫で見た時からは見違えるように生き生きとしている様を、二人安堵の思いで見つめていた。
 ふと、後方から明るい声が言った。
「相変わらずカッコいいっすね、氷川さん!」
「つか、気障ッスよね?」
 振り返れば、そこには遼平と紫苑の二人がニヤリと嬉しそうな笑顔を見せながら佇んでいた。
「これから昼飯行くんスか?」
「俺らも一緒にいいですか?」
 揃ってそんなことを言う。
「あ、ああ、もちろん構わんぞ。何が食いたいんだ」
 じゃあお前らの好きなモンでも食いに行くか――そう言った氷川に、
「氷川さんの好きなものでいいッスよ。今日は俺らが奢ります!」
 遼平が少々鼻高々な調子で返した。
「――奢るって、お前らが……か?」
「はい! 粟津の社長からこの前のライブが大成功だったってボーナスいただいたんス! だから日頃の感謝も込めて、初奢りさせてください!」
「そりゃ……有り難てえ話だが――」
 氷川は嬉しいような困ったような絶妙な顔付きで、それはまさに必死の照れ隠しのようにも感じられる。側ではやり取りを聞きながら帝斗が可笑しそうに笑っていた。
「いいじゃないか。せっかくの二人の気持ちなんだから、素直にご相伴に与れば?」
「そうッスよ! 鮨がいいッスか? それとも中華とか? この際、豪華にフレンチのコースとかでもいいッスよ!」
「氷川のオッサンなら鰻あたりが妥当じゃね?」
 遼平の問いに、横から紫苑も楽しげに口を挟む。
「マジでお前らにご馳走になるってのか?」
 氷川はまだ奢られることに迷っているようだ。如何なボーナスが入ったとても、二十も年の離れた彼らに金を出させるのも申し訳ないと思うのだろうか。そんな様子に遼平がニヤッと口角を上げながら言った。
「お前が遠慮するタマかよ? つかさ、前に約束したろ? お前が日本に帰ってきた時は俺が奢るって。あん時の約束、まだ果たしてなかったしな?」
「――――え?」
「そん代わり、香港に行った時はお前が奢れよ?」
 悪戯そうな瞳がうれしそうに笑っている。

 いつかの春の日が蘇る――

『なあ氷川……っ」
『ん――? 何だ』
『あ……のさ、もし日本に帰ってくることがあったら……声、掛けろよな』
『――え?』
『えっと、だから……夏休みとかよ、何でもいいーから用事あってこっちに来る時は、声掛けてくれってこと! そん時は……一緒に飯くらい食おうぜって意味!』
『ああ、そうさしてもらうぜ。そん時はてめえのおごりな?』
『は――ッ!? なんでそーなんのよ! てめえの方が金持ちのくせしてよー!』
『はは、いいじゃねえか。そん代わり、お前らが香港に来た時は俺がおごるって!』
『え、マジッ!?』
『マジ! だから来いよ香港。一之宮と一緒にハネムーンがてら、とかな?』
『はぁッ!? てめッ、また……ンなこと言いやがって……! 待てこら、氷川ッ!』

 卒業式の日に河川敷で交わした約束だ。
 あの日、あの時と何ら変わりのない笑顔が今ここに在る――

 ポカンとしたまま瞬きさえも忘れたような氷川の表情をヘンに思ったのか、遼平が頭を掻きながら言った。
「あー、もしかして俺、また何かおかしなこと言いましたか? ってことは……また”遼二”の仕業だな」
 氷川は無論のこと、帝斗もその言葉に驚いたように遼平を見やった。
「あー、驚かせてすいません。このところ……たまにね、頭ン中で勝手に誰かが何かやってるのを感じるんス。そういう時は多分遼二が俺ン中に遊びに来てるんかなって。もう慣れっこですよ!」
 ペロッと舌を出して苦笑しながらも、その笑顔は爽やかだ。氷川はつられるように破顔し、笑むと、ガッシリと遼平の肩に腕を回した。
「ああ、そうだったな! そんじゃ遠慮なく奢ってもらうとするか! なあ帝斗」
 後ろを振り返り、帝斗にもそう言うと、「鰻だ、鰻! 精を付けるぜー!」珍しくもノリノリではしゃぎながら、嬉しそうに歩き出した。
「ちょっ、氷川さん! ンなギュウギュウしないでくださいよ! おいー、聞いてねっだろ、てめ! もちっとゆっくり歩けってー! 鰻は逃げねえってば」
 氷川の早足に引き摺られるようにしながら遼平も至極楽しげだ。遼平と遼二、どちらか分からないような言葉遣いにも笑みを誘われる。はしゃぎ合う二人の後ろ姿を見つめながら帝斗と紫苑が半ば呆れたように笑っていた。
「ああしていると大親友のようだよね」
 帝斗が紫苑にそう言えば、
「ああ、そうだな」
 その返答の調子にも僅かに驚かされる。紫苑ならば、一応はもっと丁寧な敬語で返してくるからだ。
「……もしかして……紫月か?」
「――ん」
 おそるおそるといった訊かれ方が可笑しかったのか、紫苑はクスッと笑ってみせた。
「あいつさ、遼二のヤツ。こっちの世界に遊びに来たがってしょーもねえんだよ。てめえで『遼平と紫苑ていう二人の人生があるから、俺らは邪魔しちゃいけねえ』なんてカッコ付けておきながらよ、舌の根も乾かねえ内にこのザマだよ……。ま、多分、遼平と紫苑が俺らを受け入れてくれたってのが大きいんだと思うけどさ」
 紫苑よりも少し低めの落ち着いた声音と、独特のクセのある話し方は紛れもなく”紫月”のものだ。
「そうなんだ。でもいいじゃない? 遼平も遼二も、紫苑も紫月も――両方ともキミらなんだから。どちらも僕らの大事な仲間さ」
 帝斗ももう特に驚くでもなく、普通に会話を進めることに違和感がないようである。前を行く氷川と遼平――遼二――も本当に楽しそうだ。互いの肘で突っつき合ったりしながら、これではまるで高校生に戻ったかのようなやんちゃ坊主である。
「あれ? お店、ここじゃないのかい? あの二人は一体どこまで行くつもりなんだろうね」
「ホントだ。マジ、しょーもねえ奴らだな。おい、てめえら! はしゃぎ過ぎだ。鰻屋、通り越しちまってるぞ!」
 大声でそう叫び、冷やかすようにニヤッと笑った紫苑――紫月――の脇で、
「早く戻って来ないとお前さんたちの分も食べてしまうよ!」
 帝斗もつられるように声を上げて笑う。
「それより……倫周さんも呼んであげなくていいんスか? 清水さんと橘さん、春日野に徳永も。あいつら抜きでメシ食って来たなんてのがバレたら、後で面倒くせえことになるぞ、ぜってえ……」
 こちらも紫苑と紫月が交互に話しているような言葉遣いだ。帝斗は可笑しそうにしながらも、慌てて懐から携帯を取り出した。
「ああ、忘れていたよ……! 急いで電話して彼らも誘わなきゃ!」

 ワタワタとした忙しなさの中にとびきりの安堵感を感じる。そんな一同を真昼の日差しが眩しく照らし出す。

 夏に向かう青葉萌ゆる午後に、爽やかで幸せな風が吹き抜けた。

- FIN -



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