焔
どういうわけか、俺には他人の感情の起伏が読めてしまう――
格別には意識せずとも、自分と対面する周囲の人間が、おおよそどんな思惑でこちらをとらえているのかということが感じ取れてしまうのだ。
極端な話、殺意があれば無論のこと、ただ現状を静観するだけの監視の気配や、あからさまな敵意の視線の他、危険が目前に迫りきている時の焦燥感など、とにかくいつ何時襲わても対処できるようにと、常に神経をとがらせてしまう習慣は、おいそれとは抜けないらしい。
おそらくはこれも幼少の頃からの奇異な環境の裏返しなのだろうが、当時と違って平穏な今現在に於いては、そんな習性がうっとうしく思えてならない。
先程からこのクラスの連中が、俺に対して遠巻きに距離を取る気配をただよわせている中で、それとは別の思惑の混じった感情が二つ程感じ取れるのだ。
ひとつは侮蔑や疎外感とは異なる興味の視線。俺の席から数えて右に二人置いた、廊下側の最後尾の席に座っている男だ。
身長はおそらく俺と同じくらいだろうか、ゆるやかなウェーブのかかった茶髪に似合いの色白の肌が印象的で、遠目からでも目を引くだろう整った顔立ちをしている。そして、それ相応の自信家なのか、よく言えば威風堂々、悪く言えば図太そうな感じのする、とにかく少々変わった感じの男だ。
午前中の授業の間中、何かにつけてこちらの様子を窺っては、時折ニヤニヤとした薄い笑みを浮かべながら満足げだ。一見、感じの悪く思える行動だが、何故かこの男の発するオーラからは、敵意が感じられないのが不思議だった。
どちらかといえば好奇心的な感情だろうか、まさに興味津々といった視線は、ある種うっとうしいといえなくもないが、俺の長年の勘はこの男に対して警戒心を抱かせないようだ。
それとは別にもうひとつ、俺が感じ取ったのは興味とは正反対の無関心の感情だった。
この茶髪の男とは反対側の、窓側最後尾の席に座っている男だ。横目に窺っただけでも端正だと分かるようなはっきりとした目鼻立ちに、これまた茶髪の奴とは正反対の濡れ羽色のストレートを風に揺らしながら、くっきりとした大きな瞳が先程からずっと窓の外を見つめている。
見つめているというよりはぼんやりと眺めているといった調子だろうか、興味の視線を送ってくる茶髪の男とは逆で、そいつからは俺に対する興味の『キョ』の字も感じられないのが、逆に関心をそそられた。
ひょっとすると俺(転入生)が来たこと自体も分かっていないんじゃないかというくらいに、何事にも無関心なふうだ。何か別のことに気を取られているのか、終始ダルそうで、時折机に突っ伏したりしながら授業もろくに聞いてはいない。一見腑抜けのようにも感じられる。そんな様子が酷く興味をそそってやまなかった。
◇ ◇ ◇
昼休みになると俺の勘は的中した。
廊下側最後尾の席に座っていた例の”茶髪”が、愛想のよく近づいて来ては、俺を昼飯へと誘ったのだ。
ニヤニヤと軽薄そうに口元をゆるめては、自信満々な笑みを浮かべながら周囲の視線も気にせずに、俺の席の真ん前へと立った。
「よお転入生! 俺、一之宮紫月ってんだ。『紫月』でいいよ」
まるで古くからの知り合いのような馴れ馴れしい態度で、細身の腰をしなやかに曲げながら、片手を俺の机上にベタリとついてヤツは笑った。
「どう? 一緒に昼飯食いに行かねえ? ここのカフェ、案内してやるよ」
「……カフェ?」
「アンタ、この学園で飯食うの初めてだろ? だからさ――」
どうやら金持ちの御曹司が集まるこの学園では、昼食は弁当や購買ではなく、専用のカフェレストランでとるらしい。そういえば朝方に職員室で担任がそんなことを言っていたのを思い出した。
案内してもらえるのなら好都合だし、別に断る理由もないので、俺は素直にヤツの好意に甘えることにした。
それを見て驚き顔なのはクラス内の他の連中だ。ザワザワと遠巻きに俺たちの方を窺っては、信じられないといったように目を丸くしている。
小声で、『うそ! 一之宮の知り合いなのか?』などと少々慌てたようにヒソヒソ話を繰り返しては、何ともバツの悪そうに眉をひそめる。そんな様子から察するに、この『一之宮紫月』という男は、クラスの中でも一目置かれているらしいことが窺えた。誰しもが皆、彼の一挙一動に釘付けといった調子だ。
要は、こいつが認めるんなら自分たちも早めにそれに便乗するのが利口だとでも言いたげなのがあからさまで、それを証拠に遠目から俺の方を窺ってはペコリと軽い会釈をしてくる奴がチラホラし始めたのに、何ともリアクションに困らされる。
こんな学生間ででも、暗黙の縦社会の系列が出来上がっているのかと思うと、驚きを通り越してヘンな感心までもが湧いてきて、俺はしばしポカンとしながら、味わったことのない奇妙な雰囲気を堪能していた。
そんなことを他所に、当の”茶髪”は、周囲の思惑など全くお構いなしといった調子で、堂々と俺を連れ出した。
カフェに着くと、それこそ奇妙という表現がぴったりな程の豪勢な造りに、俺はまたまた驚かされてしまった。
だだっ広い吹き抜けのフロアー全体がレストランになっていて、庭先のテラスにまで悠々とテーブルが並べられている。まるでパーティー会場か何かのようなそこは、おおよそ一学園のものとは思えないような贅沢な仕様をしていた。
驚いている俺のことが可笑しかったのか、隣りで茶髪の紫月という奴がニヤニヤと笑っている。そんな態度とは裏腹に、後生丁寧に椅子まで引きながらヤツに席を勧められて、ようやくと我に返った端から、いきなり目の前に灰皿を差し出されて、俺はまたまた目を丸くしてしまった。
「何――? あんた、吸わねえヒト?」
まるで当たり前のようにそう言うヤツの口元には、既にしっかりと煙草のフィルターが銜えられている。
ちょっと待てよ、俺たち高校生だぜ?
それとも日本ではそれもアリなのかと、俺は少々戸惑いながらヤツの顔をマジマジと凝視してしまった。そんな俺の態度の方が理解し難いというような顔をして、目の前の茶髪は心底不思議そうにこちらを見つめ返してくる。
こうして間近で見ると、よくよく整った顔立ちをしているこいつに、俺は少々腰の引けるような奇妙な思いがよぎるのを感じていた。
そうだ、さっきから気にかかっていた何とも言い難い既知感はこれだ。誰かに似ているような気がしていたが、親父の相方だった麗さんを思わせるような人形のような面構えと、それに似合いの細身の長身。だからこいつに対しては警戒心が湧かなかったというわけなのか、とにかく優美で華奢なその身体をしなやかにくねらせながら脚を組み、ヤツは旨そうに煙を吐き出した。
片肘をテーブルについて物憂げに首を傾げ、目の前に立ち上る煙に瞳を細める仕草は、計算し尽くされたモデルか何かのようだ。決して一学生のそれではない。あの少々軽い感じの物言いさえなければ、見事にサマになっているじゃないか。
そんな様子が見れば見る程、麗さんによく似ている気がして、何だか懐かしいような寂しいようなヘンな気持ちがこみ上げてならなかった。
そんな俺を気遣うというわけじゃないだろうが、次の瞬間、奴の軽口がしばしの回想を見事に吹っ飛ばしてくれた。
「何? 俺ってそんなにイイ男?」
「は――?」
「まあアンタみてえな色男に見つめられるってのも悪い気はしねえけどぉ……」
未だ片肘をついたデカイ態度のまま、わざと色香を伴ったような流し目で笑われて、俺は苦虫を潰したような心持ちにさせられては、額に浮かび上がった青筋を抑えた。
「なあ、おい――。日本の高校ってそれ(喫煙)OKなのか?」
ヤツの馴れ馴れしい冷やかしを無視して話題を変えた。すると今度は可笑しそうにクスッと声をあげながら、
「フツーはダメでしょ? このガッコだって基本はダメってうたっちゃいるが……まあ何つーか、暗黙了解ってやつよね?」
暗黙って、それはまたどういう理屈だと首を傾げたくなる。半ば呆れながら周囲を見渡せば、ところどころのテーブルから紫煙がチラホラと垣間見えるのに、俺は滅法驚かされてしまった。
要は何だ、こういうことらしい。桁外れの金持ちの御曹司が集まるこの学園では、彼らの親から積まれる膨大な寄付金を前にして、些細なことには干渉しないというのがお約束というわけらしい。だから教師も目を瞑ると?
「ま、さすがに酒は禁止だけどな?」
余裕の仕草で煙をふかしながらヤツは笑った。
それにしても有り得ない話だと、俺は転入早々、この異色の学園で体験するすべてに面喰らい気味でいた。
そんな俺の様子を他所に、ヤツは銜え煙草のままメニュー表を広げると、相も変わらずの懐っこい調子で、お勧めランチのページを開いてよこした。
「これがね、意外に旨えんだよ。俺の絶品はパスタランチだけどさあ、こっちのステーキランチってのも捨て難い! あんた、肉食系って感じだからいいんじゃね?」
ニヤッと唇の端をひん曲げながらヤツはそう言った。
肉食系って、それが俺の印象というわけか。
次々に飛び出す無遠慮な物言いに、呆れを通り越して唖然とした感が無くもない。だが、やはりどうしてかこいつ相手だと憎めないのは先程からの既知感覚のせいなのか、それとも本人の持ち味なのか。とにかく少々変わったこいつのお陰で、学園生活も退屈しなくて済みそうだ。
俺はぼんやりとそんなことを考えながら、気付けばヤツにつられるようにして、知らぬ間に口元に笑みが浮かんでいるのが何とも可笑しかった。
そうして俺はヤツのオススメである”肉食系”ステーキランチを、そしてヤツはご贔屓のパスタランチを注文し、先に運ばれてきたセットのソフトドリンクで喉を潤した。そんな折だ。
「そういや、あの野郎遅えなあ……」
広すぎるフロアーを見渡しながらヤツはそう言って、短くなったフィルターをひねり消した。その様子からして、どうやらもう一人連れが来るらしい。
「誰かと待ち合わせでもしてるのか?」
「ああ、まあな」
さして違和感のなく、普通に会話できているのがはたまた不思議だ。これではまるで古くからの知り合いそのものだ。
俺はなんだかうれしいようなむずがゆいようなヘンな気持ちになりながら、それでもやはり悪い気はしなかった。
――なあ、倫周。俺はボチボチ上手くやれてるぜ?
お前はどうしてる? と、そんなことを考えながら、しばしぼうっと庭先に目をやった。
どことなく倫周の父親の麗さんに似た面差しの、紫月というコイツを見ていると、あの頃のことが脳裏をよぎる。やはり強引にでも一緒に連れて帰国すればよかったのだろうかと、今更ながらに香港に残してきた倫周のことが気に掛かってやまなかった。
そんな俺のセンチメンタルがさえぎられたのは、無遠慮な音を立てて隣りの席の椅子が引かれたその時だ。
突如、騒々しい雰囲気と共に現れたのは、長身の一人の男。よくよく見れば、先刻、同じ教室の窓側最後尾に座っていた例の無関心男だった。
俺に気付くなり、『こいつは誰だ?』というふうにして、俺と紫月という奴とを交互に見ながら首を傾げている。その様子からして、やはり転入生がきたということも露知らずといったところだろうか。紫月という奴が呆れるようにして、
「今朝、俺らのクラスに転入してきた遼二だよ。なかなかの肉食系イケメン君だろーが?」
と、これまたおちょくったような物言いで、この男に紹介した。
いきなりの呼び捨てはともかくとして、いい加減その”肉食”ってのはよしてくれないかと思いながらも、俺は『鐘崎遼二です』と、一応の自己紹介をしてみせた。
だが、この無関心男は『ふぅん、そう』といった感じで、やはり大した興味を示さないどころか名乗ることさえしないままで、かったるそうにテーブルの上で突っ伏してしまった。すぐ傍でメニュー表を広げながら、何を食うんだと言いたげにしている紫月のことにもおかまいなしといった調子で、『あーあ、眠みィよ……』などと大アクビをかましている。
何ともマイペースなその態度に、ますます奇妙な関心が湧いて、俺はしばしぼうっとしながらそいつに見入ってしまった。
そんな様子を茶化すかのように、隣りから紫月という奴が例の流し目をニヤつかせて、
「へえ、アンタそーゆーのが好みなの?」
と、突如ワケの分からないことをほざいてよこしたのに、俺はハッとなってヤツの方を振り返った。
好みだ――?
言われた意味が分からずに首を傾げた次の瞬間、ヤツはもっと突拍子のないようなことを言ってのけた。
「そいつみてえな野郎が好みなのかと思ってさ? だってアンタ……ゲイだろ?」
――!?
紫月の言葉に反応するように、さすがの無関心男も突っ伏していた顔を上げ、怪訝そうな目つきで眉をしかめ気味だ。
ほんの一瞬、俺たち三人の座った円系の洒落たテーブルに静寂が漂い、だが当の紫月は悪びれた様子もなく、それどころか自信ありげにニヤニヤと瞳をゆるめたままこちらを凝視する。
「俺のカンは間違ってねえと思うけどな? つまり、俺とアンタは同類ってことよ!」
ズズーッと品のないような音を立ててソフトドリンクをすすり、ストローを少々挑発的に、まるでエロティックに舌先で転がすような仕草を繰り返しながら、紫月はそう言った。
つまりは何だ、こいつ自身はゲイだということか。
ゲイ――
普段の生活の中ではあまり聞き慣れない言葉だが、同性愛者のことをいっているのだろう。だがしかし、出会って間もない他人にそんなことを打ち明けて、どういうつもりなのかと、さすがにこいつの真意は計りかねる。しかもそんな相手を前に、同類だと言い切るこの押しの太さには正直脱帽、怒る気にもなれない。
俺は多少面喰らいながらも、反面、まるで臆する様子もなく、堂々とそんなことを暴露してみせる紫月という男が清々しくも思える気がして、何とも微笑ましい気分にさせられてしまった。
一方の傍らでは、例の無関心野郎が平然とした様子で俺たちを交互交互に窺っている。一応、新入りの俺に助け舟を出すわけでもなければ、友人の紫月を止めるでもない静観状態だ。自分とは無関係のテリトリーには節介に立ち入らないとでもいうふうなドライ感が、これまた俺には心地よく思えた。
無遠慮で不親切だが、腹の底を探り合うような駆け引きめいたものとは無縁の潔さが肌に合いそうだ。こいつらとなら上手くやっていけそうだと、理由のない確信までもがこみ上げて、そんな思いのままに俺は紫月の問い掛けに相槌ちを返した。
「さあな、自分がゲイかどうかなんて考えたこともねえからよく分かんねえ」
そう口走りながら、ふと、脳裏にお袋のことが思い浮かんだ。
そうだ――確かに俺は、あれ以来、女に興味が持てなくなっているのは否めなかった。
興味が持てないというよりも、自ら触れ合うことを避けてきたという方が正解か。俺にとって女との情事は、あの時の記憶をほじくり返す忌々しいものに他ならないからだ。
だからといって同性である男をそういった興味の対象に見たこともないが、紫月という奴の言葉をきっかけに、実際俺のような人間は、傍目からみたらどんな印象に映るのだろうなどという興味が湧いた。
漠然とそんなことを考えながら、
「まあ、どのみち俺はオンナは抱けねえから、そういった意味では……」
無意識に本音がこぼれ、だがそこまで言いかけたと同時に、驚いたような目つきで二人がこちらを見つめているのに気が付いて、言葉をとめた。
最初に話を振ってきた紫月の方は、一本とられたと言わんばかりの面喰らった表情で瞳を丸くしている。
それはさておき、多少なりともギョッとしたような面持ちで俺を凝視している無関心野郎の視線が、酷く印象に残ってやまなかった。そこには先刻からの無気力さとは無縁の、鋭く澄んだ視線が真っ直ぐに俺を捉えていて、射るように物言いたげだった。
まだ名も知らぬ男の、黒曜石のような瞳がキラキラと冷たい光を放ちながら見つめてくる。
俺はこの時初めて、この男の本質であろう活きたツラを拝んだような気がしていた。