「――そうだな。おめえが帰ると言ったなら……送る送らない以前に何故だと訊いただろうよ。だってウチに来たいと言い出したのはおめえだぜ? 来てすぐに帰りたいなんて聞けば、理由を知りてえと思うだろうが」
 そう返すと紫月はホッとしたようなツラで、「確かに!」と言って笑った。そして、俺にとってはまたもや衝撃的な言葉を投げ掛けてきた。
「なあ、遼二さ……。俺、クラスの連中からも毒舌とか直球とか言われてっけどもよ。実際当たってると思うのよね。思ったことを溜めとけねえっつかさ、例えば欲しいモンがあれば欲しい、手に入れたいって思っちまう。特にそれがこの世に二つと無い貴重品の場合なんかは――さ」
「――いいんじゃねえか? それこそお前らしいじゃねえか」
「そう思う?」
「ああ。確かに欲しいモンがこの世にたったひとつっきゃ無え貴重な物だってんなら、手に入れたいと思う自体は誰にでもある素直な気持ちだろ? それをはっきり言えるおめえがおかしいとは思わねえさ」
「そっか、そうね。んじゃ言っちゃう。俺さあ、お前を|他所《よそ》のヤツに盗られたくねえって思ってさ。例えそれが超親友って言える冰でも――な」

「――――?」

 一瞬、言われている意味を理解するのに時間を要してしまった。つまりは何だ、こいつは俺に惚れた――とそう言っているわけか。

「お前、女じゃ勃たねえっつったろ? だったら俺なんかどう?」
「どう……って」
「ヤってみねえ? 俺と――」
「ヤる――だ?」
「そ! 案外相性いいかもだし。まあ、おめえが俺ンことめさめさ趣味じゃねえってんなら無理強いはしねえけどさ」
 あっけらかんと言い放つ。この世に二つと無いモノには違いないが、まるで美味そうな食べ物を試食したいような軽さで言われても、正直なところ面食らってしまう。
「あのな、紫月――」
「うん?」
「俺は食い物じゃねんだ。ちょっと美味そうだから味見してみたいってな感覚と一緒にされてもな」
「やっぱ俺が好みじゃねえ?」
「いや、そういうわけじゃ……。ただもっと――その、欲しいモノってのが好いた惚れたって意味ならば真剣に考えろと言いたいだけだ。てめえは軽いノリでヤるなんて言うけどな、そういうのはもっとちゃんと――心からこいつが好きだと思えるような相手に出逢うまで大事に取っとけと思うがな」
「俺、本気で好きだけど? お前、イイ男だし誰かに盗られる前に俺のモンにしてえって、すっげマジで思うけど」

 はぁ……。

 冗談なのか本気なのか、彼特有の軽口が真意を濁らせる。ある程度本気なのだろうことは分かるが、では実際、俺自身はこいつのことをどう思っているのか、抱きたいほどに興味があるのかと考えればすぐには答えが浮かばない。
 そこで考えてみることにした。もしも紫月が冰のような目に遭っていたとしたら俺はどう感じるだろうか。もちろんクラスメイトだし、俺にできる全力で助け出してやりたい――そう思うだろう。
 だが、何故だろう。そう考えた瞬間に胸が異様に逸るような気持ちになった。
 もしも――冰が安泰で、この紫月があんな目に遭っていたとしたら――俺は酷く憤って、正気ではいられない気がする。是が非でも一緒に車に乗って自宅前まで送らなければ安心できない。運転手に行き先を告げて一人で帰すなど有り得ない。首根っこを引っ掴んででも送り届けるか、あるいは帰さずにここに泊めようとさえ思うかも知れない。
 思わず湧き上がった衝動に、自分自身で驚きを隠せなかった。
 俺はこの紫月に対して冰には感じていない別の感情を抱いている――そう思えるからだ。
 初めてこの紫月に会った時、酷く懐かしいような郷愁めいた気持ちになったことを思い出す。そう――ヤツのツラや雰囲気があの人に似ていたからだ。

 柊麗、親父と不義密通の関係にあった男――だ。

 親父と麗さんが密かに愛し合っていたせいで俺たちの家庭は崩壊した。麗さんの妻は船舶の往来が激しい香港の湾に身を投げて自殺し、俺のお袋は発狂して息子の俺に抱かれようとまでした。挙句は親父と共に銃撃に遭って逝った。
 正直なところあまり思い出したくはない惨い記憶だ。
 そんな麗さんを思わせるこいつ――紫月を見ていると、自分でも説明しようのない感情が胸を揺らす。
 モヤモヤとし、苛立って理由もなく当たり散らしたくなるような感情であったり、それとは裏腹にこの手の中に閉じ込めて何処にも逃したくはないといったような逸る気持ちが俺を不安定にする。
 もしもこいつの誘いに乗って、身体を重ねてみたのなら――この奇妙な気持ちを鎮める答えに辿り着けるのだろうか。妻子がありながらにして不義を選んだ親父と麗さんの気持ちを理解することができるのだろうか。
 ふと、俺は漠然と探し求めていた答えにぶち当たったような気持ちになった。
 そうだ――俺が知りたかったのはこれだ。親父と麗さんが俺たち家族を裏切ってまで抑え切れなかった、互いを求めるその感情。
 もしも誰かを本気で愛したのなら、人間はどんな気持ちになるのかという――俺が知りたかったのはその答えだ。
 紫月を抱けばその答えに辿り着けるのだろうか。香港を離れたあの日以来、ずっと心にわだかまって止まずにいたこの感情の捌け口が見えるとでもいうのだろうか。

 迷っていた。

 俺は何故だろう、転入の日からずっと――時折この紫月をめちゃくちゃにしたいような衝動を覚えていた。この脳天気な明るさを側で感じる度に、心のどこかが掻き毟られるような気がしていた。
 常に軽口で自信満々なこいつの鼻っ柱をへし折って、目の前でひれ伏せさせてみたい。立ち直れないほどに酷い抱き方をして、めちゃくちゃに嬲ってみたい。
 その時の――絶望に暮れたこいつの顔を見た時こそ、胸の隅に燻っているやり場のない気持ちに決着がつけられるような気がしていたのだ。
 こいつが麗さんを思わせるから――俺たち家族の平穏をぶち壊した麗さんを思い出させるから、俺はこいつをめちゃくちゃに踏みにじってみたい。
 ああ、そうか。俺は――麗さんを憎んでいるんだ。俺から両親を取り上げたあの麗さんを恨んでいる。
 今の今まで思い付きもしなかったことだ。紫月が――こいつが寝てみようなどと言ったせいで、俺はその思いに辿り着くことができたような気がする。

 奇妙な気持ちだった。

 ずっと心の隅でモヤモヤとしていたものがすっかり晴れた気分だ。
 そう、紫月には何の罪もないのだ。俺が踏みにじりたいのは麗さんであって紫月ではない。そう思ったら何故だろう、急に泣きたいような気分にさせられた。
 目の前にいるこの紫月に縋り、思い切り抱き締め、そして抱き締め返されたい。そんな欲望が胸を逸らせる。あの頃――香港にいた頃から親父とそっくりだと言われ続けたこの俺。そんな俺が麗さんによく似たこいつを抱けば、当時の親父と麗さんの気持ちが理解できるような錯覚に囚われてもいた。
 だが、こいつは麗さんじゃない。俺は親父でもない。面構えや雰囲気が似ていたとて、まったく別の人間だ。
「――紫月、やはりそういうのは、心から大切だと思えるヤツに出逢うまで……」
 大事にとっておけ――そう言いたかった。が、上手くは言葉にならなかった。
 頭で考える意思とは裏腹に、気付けば俺の手は紫月を抱き寄せんと無意識にヤツの頬を撫でていた。

「後悔――しても知らねえぞ」

 思っていることとは真逆の言葉が俺の意思を無視するように口をついて出る。既に頭の中は淫らな妄想であふれていた。
 身体はもはやとめようもない欲情で膨れ上がり、考えることはただ目の前のこいつにすべてをねじ込んで、熱く渦巻くこの欲をぶち撒けたいというのみだ。
 そんな思いのままに、まるで乱暴に抱き寄せた肩は思っていたよりも華奢で、わずかにも力を込めれば壊れてしまいそうなくらいに繊細だった。
「なんだ、口ほどにもねえじゃねえか」
 抱き寄せた肌のどこかしこがカタカタと音を立てて小刻みに震えていた。
「おめえ……ケツの軽いふりして遊び人を気取ってるが、本当は初めてなんじゃねえか?」
 逃がさないとばかり腕に力を込めて耳たぶを甘噛みしながらそう囁けば、ヤツの細い首がビクリと震えたような気がした。
「バ……ッ! バカにすん……な……! 誰がハジメテよ……。て、てめえこそ……大人ぶってっけど、実はドーテーだったりし……て」
 自尊心が邪魔するのか、目一杯強がったセリフも震えっ放しだ。
「ドーテー? そんなもん、十五の時にゃとっくに無かったな」
「じゅ……十五……ッ! この……早熟早漏……っ」
「早漏とは言い草だな。残念だが俺はそんなに柔じゃねえ」
 そう広くはないコンクリート剥き出しの部屋。乱暴に、吊し上げるようにヤツを引き摺っていき、ベッドへと張り付けた。

 安物のスプリングの――ギギッという音が胸を逸らせる。

 そのまま馬乗りになり、普段から胸飾りスレスレにまで開けているこいつのシャツを指で撫でた。まるで脅すように少しずつ少しずつ、首から鎖骨、鎖骨から肋骨、そして白い制服のシャツの下で透けているその飾りの手前で弧を描くように弄ぶ。
「……おッ……い、遼……二……」

 焦って裏返った声が、
 行き場を失くして泳ぐ視線が、
 ついさっきまでの背伸びを、
 粋がりを、
 暴露する。

「どうした? ヤらねえかと言ったのはてめえだぞ、紫月」
「や……! そだけ……ど。お、俺ァ……その、ム……ムードを大事にする主義っつーか」
 この期に及んでまだ強がりを言うってか。
 理由もなく苛立ちが込み上げて、無我夢中でヤツを追い込んだ。ローライズ気味のズボンに手を突っ込んで、尻を撫で回し、掴み上げ――後孔をなぞれば、『ヒッ!』と小さくどよめいた焦り声にも苛立ちが募る。
 腕の中で組み敷いたヤツのツラは幾ばかりか蒼白となっていて、その瞳は明らかに恐怖を訴えていた。
「怖えか? だが、誘ったのはおめえだ。こんな状態でやめられるわけがねえ」
 既に硬く欲情した雄をこれみよがしとばかりに擦り付ければ、無意識に俺の胸板を押して退けようとしたその仕草までを封じ込めて、俺は更にヤツを追い込んだ。
 むんずと髪を掴み上げ、反らしていた顔を強引にこちらへと向けて無垢な唇を塞ぎ、思いきり濃いキスを見舞う。
「や……ッ! ちょッたんま! 待ッ……遼……ッ」
 逃げても逃げても、何度でも顔をこちらに向けて唇を重ねる。いつしか自分でも制御が効かないほどに俺は興奮した獣のようになっていることを自覚していた。
 あわや人としてあるべき理性などどうでもよく、本能のままにつき動く獣になり掛かった――その時だった。
 勢いよくドアの叩かれる音でハッと我に返った。
「遼ちゃん! 遼ちゃん、いるかい!? すぐに出て来てくれ!」
 源さんの呼ぶ声だった。焦ったようなその声が俺を人に引き戻す――。
 組み敷いていた身体を離すと、紫月はホッとしたような顔つきで俺を見上げた。
 乱れた服を軽く訂してドアを開ければ、源さんの慌てた表情。
「遼ちゃん! お前さんがさっきタクシーに乗せた友達だがね。つい今しがたユーターンして戻って来たのを見たんだ。ちょうどウチの真ん前の信号で停まったんだが、その際あの坊やが運転手に告げた行き先が気になってな」
「行き先……?」
「プルダウン――と言っていたように見えた。口の動きを読んだだけだが、確かにそう言っていた。プルダウンに行ってくれとな。あそこは表向きはダイナーバーだが、裏じゃ危ねえことが行われてるって噂が絶えん店だぞ」
「プルダウンだって? あいつが――冰が確かにそう言ったのか……?」
「ああ確かさ! 運転手が本当にいいのかと尋ねたようだったが、彼はこう返した。『さっきのヤツが言ってたことは気にするな。あいつはお節介な野郎なんだ』とな」
「クソ……ッ! あのバカッ」
 こうなったら追い掛けて連れ戻すしかない。
「源さん、悪ィ! バイク借してくれ!」
「ああ、構わんが……一人で乗り込むつもりかい?」
 慌てる俺たちの会話が気になったのか、紫月がおずおずとこちらを気に掛けながら覗いていた。
「紫月……」
「なに……? どっか出掛けんの? つか、冰がどうかしたんか?」
 だったら俺も一緒に行こうかと言い出したこいつを無我夢中で引き留めた。
「お前はダメだ!」
「……ンだよ……、俺だって冰のダチだぜ? あいつが何かやべえコトになってんだったら……」
「ダメだ!」
 紫月の側へと駆け寄って、がっしりとヤツの両肩を掴んで揺さぶった。
「ンだよ……ンなおっかねえ顔しなくったって……」
「あ……ああ、すまん。だが――とにかくお前はここにいてくれ。すぐに戻るから――俺が帰るまで待ってて欲しい」
 どうしてか胸が逸ってならなかった。
 危険が迫っているのは冰の方だ。この紫月に――じゃない。
 こいつが一緒に行こうかなどと言ったせいか、俺の頭の中は焦燥感でぐちゃぐちゃになっていた。
 もしもこいつが一緒に来て、目をつけられて、冰と同じような目に遭わされることにでもなったなら――そんな場面を想像すれば居ても立っても居られない。
 理由など分からなかった。とにかく紫月を誰の目にも触れさせたくない、そんな気にさえさせられた。
「紫月――すまねえ。さっきのことも……悪かったと思ってる。どうかしていた……。謝る。この通りだ」
「……遼二」
「だが、頼む。これだけは聞いてくれねえか? 俺が帰るまで待っていて欲しいんだ。理由は――後でちゃんと説明する。おめえの家には――親父さんには、ダチの家に泊まるとでも言って、とにかく待っててくれねえか」
「泊まるって……別にいいけど……。そんな遅くなるってこと?」
「いや――なるべく早く帰るようにする。すまねえ――本当に」
 紫月の肩を掴んでいた手をゆるめて、軽く――ほんの一瞬触れるだけの口づけを残して部屋を飛び出した。
「……ッと、遼……!」
「源さん、俺が戻るまでそいつを頼む!」
 それだけ言い残して俺は一目散に冰を追った。



◇    ◇    ◇






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