恋って残酷――
「おい、予鈴だ。そろそろ戻るぞ」
俺の消沈なんか全く眼中にない調子で、ぶっきらぼうにヤツが言う。
分厚い雲に覆われた空も、じっとりと重い湿気がまとわりつく空気も、何もかもが落ち込む気持ちを煽ってきやがるようで、居たたまれない気分になった。
「フケる――」
「はぁ?」
「次の時間、フケるっつったの! てめえは先行けや」
思いっきり視線を反らしながらふてくされてそう言った俺の態度に、ヤツの呆れた溜息が小さな音を立てた。
これ以上は言っても仕方がないと踏んだのか、しばらくの沈黙を置くと、ヤツは静かにこの場を立ち去って行った。
恋って残酷。
愛って過酷。
ダチって薄情。
俺は……惨め。
相思相愛なんてクソ食らえ、じゃん――!
ガツン、とフェンスに一発拳をくれて、皺くちゃになった煙草をもう一本取り出して銜えた。
ふと、その煙草の先にライターの火が差し出されたのに、驚いて隣を振り返れば、若干バツの悪そうな表情で苦笑いを浮かべたヤツが佇んでた。
「やっぱ付き合う――」
そう言ったヤツの唇にも同じように煙草が一本銜えられていて――
くゆらしたそれを煙たそうに細められた瞳が、遠くの空を見つめていた。
こんな仕草は堪らない。やっぱコイツってめちゃめちゃイイ男じゃん。
そう、憎らしいくらいにすべてが俺好みなんだ。容姿も仕草も何もかも、それこそ残酷なくらいにソソられる。
なんで戻って来るんだよ。
どういうつもりで戻って来たんだよ。
とてつもなくホッとする気持ちと、より一層落ち込む気持ちとが交叉していた。
やっぱダメだ。渡したくない――
幼馴染みだっていうあの男にも、いつでもこいつを取り巻いてキャアキャア言ってるクラスの女たちにも、時たま校門の前でこいつを待ってる隣の女学園の女たちにも、誰にも盗られたくない。
そしてできることなら――俺を見て欲しい。例えば気まぐれだっていい。何ならカラダだけだっていい。遊びでも欲求処理でも何でもいい。俺を求めてくれたらどんなにか――!
贅沢な望みだって分かってる。叶うはずのない想いだって分かってる。
いつか――こいつから『恋人ができた』って言葉を聞かされる時が来たら、俺はどんな顔で”おめでとう”を言うんだろう。未来を想像すれば、胸がズキズキと大袈裟なくらいの音を立てて痛み出した。
「は――! バッカよね、俺も……」
思わずこぼれちまった独り言と共に、不思議顔をしたヤツと目が合った。
「おい、泣きそうなツラしてどうした――?」
煙草をひねり消したヤツが怪訝そうに覗き込んでくる。俺、そんな面してたってか?
「……別に。何でもねって」
情けない声で苦笑いしてごまかした。
「何でもねえってツラじゃねえだろ」
しつけえって! 俺のことなんか、大して心配でもねえくせしてさ。
でもそんなに言うなら本音をぶつけてみるのも悪くねえかも。そう思って、
「んー、そうね。強いて言うなら……恋煩いってやつかね」
まるで他人事のように飄々とおどけてみせた。
こいつ、どんな反応をするんだろうか。何だか肝が据わってきて、ヤツの反応が楽しみになってくる。
「恋煩いだ? 誰に――?」
「さあな。内緒」
「好きなヤツでもできたわけ?」
「まあね。思いっきり片想いだけどな」
マジでこいつ、どんな反応を返してくっかな?
だんだん面白くなってきて、多少の上から目線でそう言った。だが、チラリと横目に見やったヤツの眉根が八の字に歪んでいるのに驚かされてしまった。
しばしの沈黙を置いてヤツが言った。
低い声で――そう、まるで地鳴りのするようなめちゃくちゃ重い声で――言った。
「相手――誰だ」
思い切り不機嫌そうに睨み付けてくる。ヤツのこんな顔を見たのは初めてだ。
いつもは往々にして穏やかで、誰かに対して怒っているところなんか見たこともないってのに。そんなこいつが、目を三角に吊り上げて鋭い視線で睨み付けてくる。
俺、何か気に障ることでも言っちまったんだろうか――、こんなおっかねえ顔したこいつに、驚きを通り越して冷や汗が出そうになる。
「な……に怒ってんだ……。ンな、メンチ切って……イケメンが台無し……」
「云えよ。誰だ――」
「誰……って」
タジタジになって一歩後退さりした瞬間に、デカい掌でガシッと髪ごと頭を掴まれて、俺は息が止まる思いに陥った。
煙草の匂いが立ち上る――
ほろ苦い独特の香りがツンと鼻を撫でる――
気付けば、視界に入りきらないくらいの近い位置でヤツの鼻先が俺の頬骨を撫でていた。