清楚で淫らな俺のヒト
ボート小屋に着くと、もう全く人目を気にする様子もなく落ち着いた感じで、白夜は羽織っていたマントを手に持つと、ゆっくりと小屋へと入っていった。
こっそりと木陰から盗み見るように、紫月は息を潜めながら様子を窺っていたが、しばらくして小屋の中に薄明かりの灯ったのを確認すると、忍び足で近寄るように歩を進めた。
そっと扉越しに耳を潜めれど、中の様子は容易には窺い知れない。
声も、物音らしいものも気配がなかったが、どうやら薄明かりの漏れる感じが部屋の中からというよりは地下の方からのような気がして、紫月はふと眉をしかめた。
(ボート小屋に地下室なんてあったのか?)
そんな思いがよぎった。
最もボート小屋に来ることなど滅多に無い上に、前に来たのは遥か子供の頃のことで、確か夏休みに水遊びに来て以来のことだった。
どちらかというとアウトドアで休養することを好まない父の影響下もあってか、物心ついてからは近寄ったことすら無かったのだ。
それどころかこんな小屋の存在などすっかり忘れていたといっても過言ではない。
紫月は遠い記憶をさかのぼりながらしばらく扉横で身を潜めていたが、何の変化もないような室内の雰囲気にそっとドアを押し、中を覗いてみた。
やはり人の気配はしないようだ。
では兄は何処へ行ったというのか?
左程広いというわけでもない室内に姿がないのなら、やはりここには地下室でも存在するというのだろうか?
先刻までの焦燥感は何処へやら、ふと湧き上がった少年のような冒険心に流されるように、紫月はそっと部屋へと進入してみた。
ギシリと鳴る床の音に、さすがにまずいと感じたのか一瞬一瞬でビクっと肩の震える思いがしたが、だがすぐにそんな思いは払拭された。薄明かりの漏れる先に地下室への階段を見つけたからだ。
古びた木目の床とは違い、そこからは割合しっかりとした造りの石畳ふうな階段になっていて、地下から這い上がってくる涼しい冷気にますます好奇心を煽られた。
紫月は忍び足で階段を降りると、そこに広がる光景に思わず瞳を見開いた。
そこは狭い小部屋続きに長細い廊下のような造りになっていて、暗さもあってか先が確認出来ない程に距離があるようだった。
遠くの方から揺れる灯りは恐らく兄の持参しているものなのだろう、狭い壁に這うようにしながらもその灯りに置いていかれないように、紫月は少し足早になっていった。
「何だよ……又階段かよ?」
長い石畳の廊下を抜けきると、今度は又もや地上へ続くような階段に行き当たって大きく瞳を見開いた。今度は木製のはしごのような階段だ。
いい加減冒険心も尽きたか、やれやれといった調子で半ばかったるそうに階段に足を掛けたそのときだった。
「つぅ……っ……」
鈍いようなうめき声に、忘れかけていた焦燥感が触発される如く舞い戻った。それが確かに聞き覚えのある声音だったからだ。
まさかの半信半疑も、次の瞬間には焦燥どころか驚愕へと変貌を遂げた。
薄ら笑いと共に兄が発した声、そしてそれに続く返答は信じ難いなどという言葉では言い表せない程、衝撃のものだった。
「待たせたな帝斗? いい子にしてたか?」
「白夜さ……ま……!」
「夕刻からずっとその格好か。本当にいやらしい奴だな、お前って」
「っ……く……」
苦しみにまみれたような返答は、唇でも噛み締めているような感じだった。
はしごの上から聞こえてくる会話が紫月を駆り立てたことは言うまでも無く、気づけば一気に登りあがった先に想像だにしないような光景を目にして、一瞬でその場に硬直してしまった。
はしごを登った所には小さな踊り場のようなものがあって、その奥には格子に囲まれた四畳くらいの部屋が存在していた。丸太が剥き出しの天井の一角には小さな窓のようなものがあるのだろう、僅かに風が吹込んでいる。
兄は所持していた灯りを床の隅に放置していて、その全容は容易に見えない。だが、そこに淫猥な空気が漂っているのだけはしっかりと把握出来得た。
会話の様子からしても、兄が誰かに淫らなことを強いているのだろうという雰囲気がありありと伝わってくるのだ。
そしてあろうことか、その相手は自分が密かに想いを寄せている教師の帝斗なのだろうということが、声で分かったから尚驚愕であった。
何故――――?
何故、兄と帝斗先生がこんなところで?
こんな人の寄り付かないような隠れ家でいったい何をしているというのだろう?
逸る気持ちをようやくの思いで抑えながら、紫月はその場から動くことも出来ずにいた。
次第に闇に目が慣れて来れども、放り投げられた僅かな灯りだけでは到底全容は掴めない。逸る気持ちを抑えながらも、思うようにならないもどかしさに聞き耳を立てる以外に術は無かった。
だがそんなことを他所に、誰にも見られていないという安心感のせいなのか、交わし始められた二人の会話が灯りを点して目にするよりも明確に何をしているのかということを突きつけてきて、紫月は蒼白となった。
「もう……堪忍してくだ……さい……白夜…さまっ……」
「ふ……ん、可愛げのない物言いだな。何を堪忍するって? 早く欲しいと急かしているつもりか? 見ろ、下着が濡れて湿っているではないか。夕刻にここに閉じ込めて以来、ずっといやらしいことでも考えていたのか?」
「そんなっ……」
「あれからもう何時間経つんだ? その間ずっと勃たせっ放しか? それとも耐え切れないで夢精でもしてしまったのか」
「やっ……ぁあっ……ち、違いますっ、そんな………こと……後生ですからこの縄を解いて……お願いです……」
「何を言う。この縄の擦れ目を利用して散々いい思いでもしていたのだろうが。俺がいない間独りで縄に擦り付けて抜いていた――違うか?」
「そっ……そんなっ……! 誤解ですっ、僕はっ……」
「それを証拠にほら、こっちまでズクズクに液が溢れ出てるぜ? 少しは可愛らしく、早く弄ってください――とでも言ってみたらどうなんだ」
「違いますっ……! そんなっ……本当にもう……どうかお許しをっ……! こんな仕打ちをなさるなんて酷い御方だ……」
「――言い草だな。この俺を相手に大した度胸だ。というよりもお前、自分の状況が全く解ってないようだ。ま、そんなところもソソルけれどな?」
兄は機嫌の良さそうに鼻を鳴らしながら笑い、先を続けた。
「元はといえば俺に好意を抱いてきたのはお前の方だろう? お前が俺の写真を大事そうに握り締めて悶えてたんだろうが? 書類の整理を手伝うなんて名目で勝手に部屋に入った挙句、本棚から写真を盗んだ。違うか? それを自室に持ち帰って隠し持っていたと、おしゃべりなメイドから何もかも情報が漏れているんだぜ?」
ベラベラと流暢に突き付けられるそんな台詞に、あの人はどんな思いでいるのだろう、思わずそんなことが脳裏をよぎった。
そして相変わらずに鼻にかけたような、見下す調子でズケズケとした物言いは続けられた。
「ま、健気といえばそうだが。そんなに俺が好きなら、回りくどいことなんかせずにはっきりとそう云ってくれればいいものを。そうしたら俺もこんな仕打ちなんかしないで済んだんだぜ? 男相手だろうが一度くらいは想いを叶えて抱いてやったさ。なのにお前がコソコソとそんなことするから、俺もヘンな興味が湧いて想いを叶えてやるついでに、どうせならとびきりのサービスでもしてやるか――なんて気分にもなったんだ」
「白夜……さまっ――!」
「感謝しろよ帝斗。これからもたっぷり可愛がってやるからな? 何せお前ときたら顔にそぐわない淫乱ときてる。清楚そうに見えて実際はとんでもない好きモノなんだからな? こうやって縛られるのだって本当はうれしくて仕方ないんだろうが?」
「……違います……! 本当に僕は……こんなこと……」
切羽詰まった返答は、生真面目な帝斗の本来の姿を想像させる。紫月が普段見慣れている清純でやさしい印象そのものの彼だ。
彼はきっとこんなことを望んでなどいない。兄が彼を無理強いしているだけに違いない――!
そう思いたかった。紫月は心臓が飛び出しそうになりながらも、助けに出ることもできずに、ただただ音を立てないように息を殺しているしかできなかった。
目の前では驚愕を更に煽るような会話が続けられていく――
「お前を抱いて今日で五度目、いや六度、七度目だっけ? 毎度毎度嫌がるフリをしながらも淫らなイイ声で啼くんだもんなー? そうだ、今度お前のこの姿を写真に撮って残してやろうか? それで邸中にバラ撒くんだよ。そうすればお前は即刻解雇だろうぜ? 出来の悪い弟の家庭教師をしながら偽善者を装って、ゆくゆくは親父の会社に採用されたいってお前の夢も一瞬でパアだよな?」
「そんなっ……白夜さまっ……!」
「冗談だよ。そんなことしないさ。たっぷりたのしませてもらう。あんまり焦らしちゃ可哀想だ――そろそろ欲しくて気が狂いそうだろう?」
「あっ……ああっ……白夜っ……さまっ……! 嫌ですっ、やめてくださいっ……ああっ、やめっ――!」
夢か幻という程に信じ難い会話が続いた後には、ズルリと嫌な濡れた音、そして衣擦れの音、ギシギシと一定のリズムで床が鳴る――それと共に荒くなる彼らの吐息が闇に充満していった。
驚愕などという言葉では言い表せない光景に、それが現実だと認識することさえも困難な紫月の頭の中は真っ白になり、もはや何も考えられない。
呆然とその場から動くことも出来ずに、中途半端なはしごの上に立ち尽くす。
そんな紫月の脳裏を更に掻き回すような言葉が掠めたのはしばらくの後、欲望を解放した兄が逸る吐息と共に言い放った悪戯なひと言だった。