-Body Language→
土日と祝日が重なる三連休の初日のことだった。
その朝、一之宮紫月は夢で起こされた。心地の悪い、非常に嫌な夢だ。幼馴染みであり親友でもある鐘崎遼二が出てきた――までは良かったのだが、その内容が少しばかり驚愕だった。
遼二とは高校に進学して間もなくの頃から、親友を越えた濃い関係を結ぶようになっている。元々、異性に興味が持てなくて悩んでいた紫月は、学園行事で行った夏キャンプの際に、ふとしたきっかけから彼とふざけてキスをしてしまった。それを機に思いも寄らぬ火が点いてしまい、今ではしっかりと肉体関係を結ぶ間柄にある。
が――、だからといって、二人の間では互いを恋人だとかいう括りで定義付けているわけでもない。告白はおろか何の約束もしていないし、言うなればセフレのようなものだ。そんな曖昧な関係だが、今までは取り立てて不満に思ったことはないし、不安に感じたこともなかった。
ところが――だ。今しがた見た夢は、そんな遼二との関係を考えさせられるようなきっかけとなり得るものだった。
遼二と深い間柄に嵌まる少し前のことだった。それまでは彼にも、いわゆる『彼女』と呼べる相手がいたこともあった。
容姿端麗で男らしい魅力にあふれた遼二は、性質も気さくで、男女問わず誰からも好かれるような男だ。どちらかといえば愛想のない自身とは違って、彼は女性からもよくモテていた。告白されることも多く、気のいい性質だから断るでもなく、とりあえずは相手の好意を受け入れるタイプの彼は、女たちと付き合うことも割と多かった。
そんな経緯が頭のどこかにあったのだろうか、先程見た夢の中での遼二は、自分の見知らぬ女と情事にふけっていたのだ。
脳裏に浮かぶ映像の中には、女を後方から抱き包む彼がいる。酷く濃密な雰囲気で、はっきりとした欲情にまみれて絡み合う二人の姿に、胸が締め付けられるような思いに陥った。
夢の中の遼二は女に奉仕され、快楽がたまらないというような表情で彼女の髪を撫でている。いわばオーラルセックスというやつだ。しばしの後、逸ったように彼女を抱き締め、ふわふわとした巻き毛の長い髪を掻き分けて『――いいか?』と、色香であふれた低い声を耳元に落とした。もう挿れたいという意味だ。
そんな行為を傍で見ながら、『おい、てめえ――何してやがんだ』懸命にそう叫ぶも、当の二人にはこの声が届かない。喉が焼け付いて嗄れそうになり、そこで目が覚めた。
じっとりとした全身の汗が気持ち悪い。
すかさずシャワーを浴びるも、何とも不快な気持ちは治まらずに、時間が経つにつれて不安へと変わっていった。
堪らずに携帯を手に取り、遼二に宛ててメッセージを打つ。
*
おはよ
何してる?
今から家来ねえ?
*
打っては消し、また新たに打ち直す。だが、どれも違う気がする。
いつもは気軽に送っていた言葉が今日は全くままならない。何を話していいのか、何を伝えたいのか、それすら思い浮かばないのだ。
「何やってんだ、俺……」
重いため息を落としたその時だった。手にしていた携帯が震え、着信を告げる。慌てて手中から落としそうになり、持ち直した画面には『鐘崎遼二』という表示――それを目にした瞬間、ドキリと胸が震えた。
『紫月? まだ寝てたか?』
彼の声はいつもと変わらない、普段の遼二そのものだ。
咄嗟にはどう応答していいのか戸惑って、思わず声がうわずってしまいそうになった。
「寝てねえよ……とっくに起きてる」
そう返すのが精一杯。それを聞くと、受話器の向こうの彼が嬉しそうに笑ったのが分かった。
遼二の用件は、彼の母親がチェリーパイを焼いたから、それを届けに行ってもいいかというものだった。
嬉しい反面、何とも言いようのない気持ちが僅かに胸を締め付ける。夢の中に出てきた女を思い浮かべると癪な気持ちがこみ上げて、紫月はわざと露出度の高い服をクローゼットから選んで取った。
◇ ◇ ◇
それから三十分もしない内に遼二がチェリーパイを片手にやって来た。
「随分静かだな? 今日は道場の稽古、休みなのか?」
紫月の父親は道場を開いていて、土日祝日ともなれば普段は通いの子供たちで賑やかしい。紫月の部屋は道場がある母屋とは別棟の離れにあるから煩わしさはないものの、それでも稽古の声だけは聞こえてくるのが通常なのだ。
それが今日は静まり返っていることを不思議に思ったのか、
「親父さんたち出掛けてんのか?」
パイを差し出しながら遼二が勝手知ったる何とかで、まるで自分の家に上がるように玄関で靴を脱いでいる。その仕草を目にした瞬間に、先程の嫌な夢の残像が脳裏を過ぎった。
――こいつはこの腕で見知らぬ女を抱いていた。
「どした? お前、今日は何か元気なくね?」
部屋に入るなりそう訊かれ、顔を覗き込むように見つめられて、紫月は複雑な思いに苦笑した。
「……別に」
そう答えるのがやっとだった。
すぐ隣では、わざと選んだ露出度の高い服を遼二がチラ見している――
なあ、こういう格好をしていれば、もしかして俺でなくてもお前は興味を示すのか?
思わずそんなひねくれた言葉がついて出てしまいそうだ。遼二がそんなヤツではないと分かっていても、朝方の夢はどこまでも手痛い感情を突き付けてくる。
これ以上黙っていれば、何だかどんどん不機嫌になって、目の前の何も知らない彼に八つ当たりをしてしまいそうだ。そう思った紫月は、気持ちのままをぶつけてみることにした。
「さっきさ、嫌な夢を見たんだ。何つーか、それで寝覚めが悪いってかさ……」
「なんだ、怖い夢でも見たのか?」
遼二はクスっと笑うと、
「どうせ連休なんだし、今夜は泊まってやろうか? 一緒に寝れば怖くねえぞ」
まるで女子供をあやすかのように髪を撫でてよこしながら、しかも思考はとんでもなく違う方向にいっている。紫月はまたも苦笑させられた。
「怖い夢っつーかさ……まあ、ある意味コワイ夢ではあったけどな」
「なんだ、それ」
笑う遼二に、
――オマエが女を抱いてる夢を見た。
真顔でそう打ち明ければ、一瞬驚いたようにして瞳を見開き、ポカンと口を開けたままでこちらを見つめた。
しばしの沈黙の後、
「バカだな、お前。もしか俺が浮気するとでも思ったか?」
とびきり穏やかな笑みと共にそう言った。