春朧

惜春 2



 組敷いたまま左の腕を取り上げ、もう片方の掌を合わせ、指と指とを絡めては唇を貪り合う。白い枕の上に投げ出されたやわらかい髪を少し乱暴に掻き乱しては、既にガチガチに硬さを増した雄同士を擦り付け合って腰元をよじる。耳たぶを甘噛みし、そのまま首筋をきつく吸い上げ、鎖骨をくすぐるように舌先で辿りながらローブを押し広げ――
 胸飾りの突起を指先で転がせば、堪え切れない嬌声と同時に細い腰が大袈裟にくねって、開けた裾の中で淫らに滴る蜜液が互いの太股あたりを濡らした。
「……っんあッ、遼っ……平っ……ッ」
 いつもよりも大胆なのは、やはり神経が高ぶっているからだろうか。それとも月明り以外に自分たちを照らすものがないからだろうか。わざと照明を落とした真っ暗闇の中で、互いの感覚だけを頼りに激しく求め合う。突起を舌先で突かれ舐め回されて、紫苑は淫らな吐息を漏らし続けた。
「……平っ、……しつこ……そこばっか……っ」
「――ココだけじゃ足んねえか?」
「え……? あ、ん……なこと……言っ!」
 ツツーと、親指で脇腹を撫でられて、ゾクゾクと背筋を煽られると同時に、硬い竿の根元から蜜液の滴る先端までをいきなり口淫で舐め上げられて、紫苑は大袈裟なくらいの嬌声を上げた。
「いっ……ん、ああっ……!」
 鈴口のくびれを尖らせた舌で突かれ、時には思い切り口中に含まれ激しく吸われて、竿の付け根から袋までをも揉みしだくように掌で弄ばれる。太股を掴まれ、片脚を持ち上げられ、躊躇も容赦もなく当たり前のように後ろの蕾を弄られる。そこに舌先を突っ込まれる勢いで舐められて、紫苑は思わず身構えるように下肢を固くした。
「よせっ、バカ……てめ、いきなり何……を……」
 普段はこんなふうに愛撫されることはない。大概はぎこちなく遠慮がちに、だがそうこうする内に互いの若さが欲するままに段々と乱れていくのが当たり前なのだ。こんな――まるで慣れた大人の男に翻弄されるような愛され方は知らない。急激に湧き上がった不安をそのままに、紫苑は愛撫を遮るように遼平の腕を掴んでいた。
「――どうした?」
「や……どうしたって……そりゃ俺ン台詞。今日のお前、なんかヘン……」
「どうヘンだよ? めちゃめちゃにしろっつったの、てめえだろ?」
「や、そ……だけど」
 やっとのことでやめてくれた前戯と引き換えに、妙に落ち着き払った問答を突き付けられて、紫苑はますます戸惑わされてしまった。
 闇に慣れた視界の中、見下ろしてくる瞳はいつもの遼平のそれとは違う。
 照れたようにして行き処のない視線に見つめられるのが心地よかった。それが当たり前だと思っていた。少し照れ屋の彼に見つめられながら、それとは裏腹の激しいセックスは抑えようのない欲情の証でもあって、そんなギャップが遼平そのものに思えて安心できたというのに――
 今日の彼はまるで違う。ともすれば別人のようにも感じられるのだ。
「……おい、遼平……?」
 真上からこちらを見降ろしながら、今度はゆるゆると髪の隙間を縫うように指で梳き始めた遼平を、紫苑は恐る恐る窺うような面持ちで不安げな視線を泳がせた。
「なあ、おい……てめ、聞いてる? おい、遼平」
「遼平じゃない――」
「――え?」
「遼平じゃない。遼二だ」

――?

 闇色の瞳が射るように見つめてくる。
 形のいいたっぷりとした厚みの唇も、鼻梁の高い鼻筋も、額に掛かる黒髪も全部見慣れた男のものだ。
 そのはずなのに、まるで雰囲気が違うように感じられるのは錯覚ではない。
「……ちょ、何……言って……遼平ッ」
「遼平じゃねえっつったろ。遼二だ」
「え、あの……遼二って、まさか……おま、ふざけてんじゃねえよ」
「ふざけてなんかねえ。だからお前も思い出せ、紫月――」
「え、あの……ちょっと……!」

 お前も思い出せ、紫月――

 低く色香に満ちた声音が耳元を撫でたのと同時に、先程までよりもっと深い愛撫で全身を捉われて、呼吸もままならない程のそれに、紫苑は硬直させられてしまった。
 激しいというんじゃない。確かに激しくもあるのだが、それよりはむしろ濃厚過ぎるというのがぴったりな程の、いわば受けたこともないような淫らな愛撫に意識が持っていかれそうだ。
 今、自分の上に圧し掛かっているのは、確かに遼平ではない。朧げながらも理解できるのはそれだけだった。
 別の男の愛撫――そう思った瞬間、反射的に紫苑は自らの上に圧し掛かっている男を跳ね退けていた。
「は……なせっ! 俺に寄んじゃねえ……ッ」
 ベッドの上で片膝をつき、身構えるように睨み付ける。その視線は余裕のかけらもなく、戸惑いを隠し切れずに切羽詰まって震えている。まるで『俺に触れていいのは遼平だけだ』といわんばかりの頑なな様子に、自らを『遼平ではない』と名乗った男は、満足気に見据えてみせた。
「上等だ」
 ニヤリと口角を上げてそう言うなり、再び腕を取られ即座に組敷かれて、しっかりと彼の身体の下に囚われてしまった。そしてまた濃厚に口付けられ、深い愛撫で意識を揺さぶられる。

 思い出せ紫月――
 俺のことを、
 そしてあの頃の俺たちのことを、
 切なかった想いも、
 逸った胸の高鳴りも、
 何もかも全部思い出すんだ!

 遠くなる意識の中で脳裏を巡るそんな台詞が延々と繰り返される。

「よせ……ッ、俺に……触んなっ……! 挿……れんじゃねえッ……!」
 硬い雄が自らの秘所に押し当てられる感覚に、紫苑は狂気のような叫び声を上げて身をよじった。そんな態度に、僅かに歪められた視線は不機嫌な色を湛えて不満げだ。拒絶されたことに傷付いているというよりは、ますますもって凶暴な欲情をも感じさせる。
「随分な言いようだな? それ、本気で言ってんのか?」
 グイと乱暴に前髪を掴まれて思わず仰け反らさせられてしまった。と同時に有無を言わさない勢いで、浮いた腰元に逸った雄をあてがわれて全身が総毛立つ。まるで鷲掴みというように太股を持ち上げられたと思ったら、大きく両脚を開かされて息が詰まりそうになった。
「痛……ってーよバカッ! よせっつってんだ……ろっ!」
 もうとことん余裕のかけらもなく、必死の懇願という感じでそう叫べども、聞き入れてはもらえない。無理矢理強姦されるように身体を繋がれそうになって、紫苑は驚愕に瞳を見開いた。
「ッ……いっ……嫌っだ……!」

 こんなの嫌だ――
 あいつ以外の男とこんなこと、絶対に嫌だ。

 抵抗の言葉を発そうにも喉が嗄れて焼けつくように痛い。声が出ない。快楽どころか恐怖と嫌悪が渦巻いて、今の今まで潤みに満ちていた秘所も悦びを失っていく。見開いたままの瞳は瞬きさえもままならずに天井を見つめたままで、何もできない。身体の表面から体温が引いていく気がするのは錯覚なのか、まるで蝋人形のように硬直したまま、いつしか紫苑の頬には無意識の涙が伝っていた。
「泣くんじゃねえ紫月。思い出せばいいだけだ」

 愛し合ったあの頃を、お前だってこの身体のどこかで知っているはずだ――

 熱っぽい視線は確かにやさしく、そして酷く切なげで、そんな中には遼平の面影が垣間見えないこともない。だが、流れ伝う涙は止まることなく、月光に浮かんだ蒼色の枕を濡らしてやまない。頭の中を巡るのはただ一つの思いのみだ。

 俺は紫月なんかじゃない。
 紫月なんて知らない。遼二なんて知らない。こんな酷い愛され方も知らない。
 俺が知っているのはあいつだけ――
 求めているのはあいつだけ、遼平だけなんだ――!

 当たり前のように傍にあった存在が、今はどこにも見当たらない。まるで自分だけが置いて行かれたような孤独感が深く心をえぐっては苛んでいく。
「挿れるぜ――?」
「…………」
「おい、聞いてんのか?」
「……違ッ、……紫……じゃな……」
 俺は紫月じゃない。挿れるなんて冗談じゃない。そう叫ぼうにも、嗄れた喉は声を発することもままならず、今現在、自身の身に起こっていることが夢なのか現実なのかも分からなくなりそうだ。
 蒼く深い闇の中で強要される手酷い愛撫に耐え切れず、紫苑は自らを貪る男の腕の中で意識を失ってしまった。



 ◇    ◇    ◇



 誰もいない霧の湖畔に浮かべられた小さなボートの上にいるような感覚に、ブルリと身を震わせた。そんな夢を見ていたというのだろうか、ぼんやりと瞳を開ければ、そこはボートの上ではなく、白いシーツの海の上だった。
 ふと部屋を見渡すように視線をやれば、薄蒼色がアールデコの窓辺に広がり、今が早朝なのだろうということだけを瞬時に感じ取った。と同時に昨夜の嫌な記憶が一気にフラッシュバックするように脳裏をざわつかせて、紫苑は飛び跳ねるように身体を起こした。
 恐る恐る隣を見やれば、そこに人の気配は無く、本能的にホッと胸を撫で下ろす。
 が、次の瞬間には無意識に唯一人の名前を叫んでいた。
「遼平……ッ!?」
 ざっと室内を見渡したものの、彼の姿が見当たらないことに焦燥感を覚えて思わずベッドを飛び降りた。
 暖房のきいた部屋の絨毯はほんのりと暖かく、素足でも心地がいい。こんな時にある種どうでもいいような事柄が、逐一頭の中で交叉する。逸った気持ちのままに室内をうろつき、大きなソファの上に遼平のジャケットを見つけて、縋るようにそれを手に取った。
「紫苑――? 起きてたのか?」
 いきなり後方からそう声を掛けられて、驚いて振り返った先に見慣れた微笑みを確認して、紫苑は胸が締め付けられるような気持ちに陥った。そこにはいつもの照れたような仕草で頭を掻きながら微笑んでいる遼平の姿があって、あまりの安堵感に衝動的にその胸に飛び込んでしまった。
「おいおい……いきなりどーしたよ?」
「……ッカ野郎、どこフラ付いてたんだよ……! 急にいなくなるから捜したじゃねえか!」
「ああ、悪りィ。ちょっと起き抜けの一服っての? ベランダ出てた」
 縋り付いた腕は確かに冷たくて、真冬の冷気に当たっていたことを物語っている。遼平の方は意外な程の素直さで自分に縋り付いてくる紫苑の様子に、少々驚きながらも彼の顔を覗き込むように身を屈めて見せた。
「心配させちまったか?」
「……ったりめえだろ! 気が付いたらお前いねえし……」
「そっか、悪かった。なーんかいろいろ有り過ぎてヘンな夢見ちまったっつーか……あんまし眠れなかったからさ」
 それで起きて一服をしていたというわけか。寝ている自分を気遣って、わざわざ外へ出て煙草を吸ってきたのだろう彼の思いやりを考えれば、ますます胸が締め付けられるような気がした。
「悪かったよ。お前、よく寝てるみてえだったから起こしちゃ悪りィかなって思ってよ? けどやっぱ半端なく外は寒みィよ」
 おどけたようにそう言って、はにかむ彼はいつもの遼平だ。他の誰でもない。
 それに安堵すると共に、昨夜の出来事が蘇って、紫苑はおずおずと問い掛けた。
「なあ……昨夜のことだけど……さ」

――あれはお前だったのか?
 それとも錯覚か。もしかしたら悪い夢を見ただけなのかも知れない。

 だが身体の節々に残る引っ掻かれたような数ヶ所の痕が、夢ではなかったことを告げてもいる。紫苑は恐る恐るといった調子で、隣の遼平を見やった。だがそんな深刻な思いを他所に、当の遼平はあっけらかんとしたような表情で照れ笑いを漏らすと、面食らうようなことを言ってのけた。
「悪りィ! 俺、昨日やっぱいろいろ有り過ぎて疲れてたのかも……。すぐ寝ちまって、その……悪かったな?」
「……悪かったって……何……が?」
「や、せっかくお前がその……誘ってくれたのに、ってーの? ヤんねえままで寝入っちまったし……」
 まるで失態だと言わんばかりにバツの悪そうに頭を掻きながら頬を染める彼に、驚きでしばし言葉を失ってしまう。
 ではやはりあれは遼平ではなかったということだ。


 思い出せ、紫月。
 お前も思い出せ。紫月――!


 脳裏を巡る見知らぬ男の低い声。いや、知っているような知らないような不思議な感覚の声が追い掛けてくる。
 確かに聞き覚えがあるはずなのに、妙に色香を伴ったような、酷く大人な感じのする男の声が頭の中で止んではくれない。それらを振り払うように、紫苑はいきなり遼平の腕を鷲掴みすると、そのままグイグイとベッドへと引っぱって行った。
「だったら、今からヤり直そうぜ」
「は……? ってお前ッ、ちょっ……!」
「俺はお前以外とはぜってーヤんねえ……!」
「何言ってんだ……当たり前だろうが」
「お前がいいんだ! お前だけがっ……いいんだ」
「――紫苑?」
「お前じゃなきゃ……ダメなんだ……俺は」
 そう、例え姿形がどんなにそっくりであろうが、お前でなければ意味がない。やさしくて、少し口べたでもあって、巧い言葉など殆ど言わないけれど、思いやりがあって誰よりもあたたかく大きな気持ちで受け止めてくれる。そんな男の腕に抱かれていたい。今まで傍にあるのが当たり前だと思っていたこの存在の大切さを、改めて突き付けられたようでどうしようもなく心が震える。
「お前がいいんだ遼平。俺はお前が……遼平がいいいんだ」
 だからずっと、ずっとこのまま、できるならばもっと激しく苦しいくらいに抱き締めて離さないで欲しい。気を失ってしまった後に、昨夜の『遼二』という男と自分がどうなったのかという覚えがないことが恐ろしくてならない。何かされたのか、それとも未遂だったのか、それすらも思い出せないことが無性に怖くて堪らなかった。遼平という唯一人の男に包まれて、あれは夢だったのだとこの身体に刻み込みたい。そして昨夜の嫌な記憶を拭い去ってしまいたい。

 だから頼むよ――!

 まるで必死という勢いで懇願するように抱き付いてくる紫苑の様子に、遼平はまたもや意外そうに見つめながらも、しっかりと彼を抱き締め返した。
「……ったく、朝っぱらからサカってんのがバレたらどーすんだ?」
 ぶっきらぼうな台詞と共にチィと舌打ちをしながらも、その頬をしっかりと紅潮させて照れる様子を目にしながら、紫苑は何ものにも代え難い大いなる安堵感に身を預けた。



◇    ◇    ◇



Guys 9love

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